「八幡、どうしたの?」
横並びで歩いていた筈のアイが、気づけば半歩先で俺を振り返っていた。先頭を歩く葉山グループ、彼らに纏わりつく小学生グループ。視界に捉えたそれに少しばかり眉を顰めていたが、どうやら両脚も同じく俺の心情を表していたらしい。
「いや……」
俺が気に留めたその光景は、特に珍しいものでもなく、わざわざアイと共有するような事柄でもない。俺たちと全く関係のないコミュニティで起こっている出来事で、今回のボランティアを楽しみにしているアイに聞かせて、それを無視しようがしまいが、どっちにしろ愉快なことにはならないだろう。
だが、彼女が俺に向ける双眸は、下手な誤魔化しは許さないとばかりにこちらを射貫いている。……いや、別にアイは、俺を詰問しようだなんて考えてないだろうが。俺が足を止めた理由を気にしていて、嘘を吐けば逆に、余計な興味を抱いてしまいそうではあった。
どうはぐらかしたものか……。
「──ふぅん?」
などと逡巡している間に、アイは俺が視線を向けていた先と俺とへ何度か視線を行き来させて、なんとなくこちらの考えを察したらしかった。
「仲間外れにされてるみたいだね。気になるんだ?」
アイは寸分たがわず、俺が足を止めていた理由に言及して見せた。正直彼女は察しが良いタイプの人間ではない。なのに、俺のことに関しては些細な情報で物事を正確に把握してしまう。これを八幡特攻の直感スキルとするか、真に俺と言う人間を理解していると捉えるか。未だ俺の中では判断がつかない。
「……何年も前に似たような状況を見たことがあっただけだ。他意はない」
5人で編成された小学生の女子グループ。その中に1人だけ、不自然に他4人から距離を取っている少女が目についたのだ。……いや、距離を取られている。弾かれている、と表現した方が的確か。
何の事はない、俺ですら経験があるレベルの、いじめなどと表現してしまうには有り触れた事象だ。そして俺は数年経った今、こうして立派なボッチになりました!
だから、まぁ。わざわざ俺が、それに付き合ってアイが、あの少女に何かをしてやるだなんてことは無いのだ。今だってほら、葉山が少女に爽やかに話しかけて、同じグループの4人に混ざれるよう促している。
──そっとしておいてくれ。
口の中に苦みが広がった。無責任に、何の覚悟もなく、俺は葉山の言動を悪し様に捉えている。葉山がこの場であの少女をグループに加えてやったとして、数分後には同じくハブられているに決まっている。むしろ彼がお節介を焼いたことで、あの少女に対する隔意は強まるだろうとすら言えた。
しかし、彼は行動していて。俺は遠くから見ているだけだ。どうせ意味は無いのだと。俺とアイが関わる必要は無いのだと、そう断じている。
「そっか」
なんでもない、と首を振った俺に。アイはどこか、透き通るような微笑みで頷いた。……俺の思考など読めている筈もないのに、こちらの言動をすべて肯定するような表情を浮かべるアイに。痛い腹など無いにも関わらず、俺はどこか後ろ暗い気持ちになった。
「八幡がそう言うんなら良いけど……わたしは八幡が何しても、ついていくから。好きにやったら良いと思うよ?」
「……自由時間には、まだ遠いだろうな」
小学生のグループはスタッフ一行の列を離れ、同時に葉山グループの歩みは再開した。俺も再び歩を進めながら、アイの言葉に適当な返事をよこす。彼女はわざわざ、今の件を蒸し返すようなことはしないだろうと決め打った。
「その時は、楽しもうね?」
仕方ないなぁと言うように、少し眉を下げながら、彼女は俺の腕を取る。こちらが弄した詭弁に騙されてくれる。
世の中幸せなことばかりじゃない。むしろ胸糞悪い出来事の方が記憶に残る。いま俺の目の前で起こったこともその一つでしかなく、目に入った何もかもを解決して回るなんて不可能だ。それ以上に、そんな覚悟も責任も、何より資格が俺には無いのだ。何かに関わろうと思えば、それなりの大義名分がいる。
ただのボランティアスタッフに、小学生の人間関係の悩みを解決してやる理由も手段も。少なくとも、今の俺にありはしないのだ。
数時間後、俺とアイは浮いているどころかハブられていた。これで小学生の人間関係がどうのなんぞ本当にどの口がと罵られるレベルだった。
「にぎやかだねー」
レクリエーションを終えた小学生どもが跋扈する広場で、ところどころにボランティアスタッフが散って飯盒炊爨を手伝っている。献立はカレーだ。ここに至るまでにも色々と作業はあったんだが、徐々に徐々に俺とアイはスタッフ連中からはみ出していったのだ。
理由の一端は、葉山グループの会話を盗み聞いたので察している。戸部が葉山に耳打ちしていたことには、「アイに作業させて怪我とかしたらマズイんじゃね?」ということである。
それは間違いなく、舞台裏で彼女たちの活躍を目に焼き付けた戸部の好意なのだろう。もしくはアイドルを神聖視してしまったのだろうか。とにかく戸部はそんなことを葉山に言ったし、葉山はそれに頷いてしまった。
それまでも、それとなく葉山からフォローされていた俺たちだ。簡単な作業を任せてくれたりとか、アイの正体や俺との関係が大っぴらにならないよう、さりげなく小学生から遠ざけたりだとか。
マジ隼人クン神っしょ感謝っしょ! な心持ちではある。来世があったら舎弟になることを考慮してやらんことも無くも無い。がしかし、トップカースト層がそんな気遣いをしていれば、それは周囲に伝播する。俺とアイはなんとなくアンタッチャブルな存在になってしまい、結果として炊飯作業からハブられたのだ。
「……別に、混ざりたかったら行ってきても良いんだぞ」
広場から少し離れた木立の傍に、ゴミを集める小屋がある。小学生やスタッフの輪を離れ、小屋の隣で棒立ちしている俺の足元で、アイは膝を抱えて座っていた。俺の足に
しかし、賑やかと形容するからには、視線の先で繰り広げられている騒ぎが愉快な類に分類されることくらいは分かっているのだろう。俺は積極的に混ざる気など毛ほどもないが、それに付き合ってアイまで大人しくしていることも無い。いくら葉山グループに気を遣われようと、アイがその気なら快く迎え入れてくれるはずだ。
「んー? 別に良いかな、こっちのが落ち着くし」
えい、えい。言葉の後にそんな声を漏らしながら、アイは俺の足に肩をぶつけて、反動で離れ、またぶつけて、と繰り返した。
「八幡が行くなら、一緒に行くよ?」
その後頭部を見ていたが、不意にこちらを見上げると、アイはにまっと笑いながら言った。……俺が行く場所に行く、と。随分な惚れようだ、ともすれば依存しているとすら言える。
俺はどこに行くにもアイを伴いたいとは思わないし、四六時中彼女とくっついていたいとも思わない。俺が彼女を……好き、なのは、間違いないけれど。それでもやはり、ずっと隣に居なければならないなどと考えはしないのだ。
これも俺とアイとで食い違っている考え方だろう。最も、俺は隣に居たいと言う彼女の希望に応えているつもりだし、アイも俺が本当に距離を置いて行動したいと言えば断りはしないだろう。食い違っていても、互いへの理解と譲歩があるから、俺と彼女の関係は成り立っていた。
「サボって良いって言われてるのに、わざわざ働くような社畜精神はねぇよ」
「ウチで働いてくれてたヒトとは思えない発言だね?」
「金出されたらサボる方が怖ぇだろ……」
アイの返しに渋面を浮かべれば、彼女は楽しそうにけらけら笑った。わざわざ泊りでこんな場所に来て。こんなやりとりばかり楽しんでいるのは、どうにも不健全に思えた。しかし……無理に輪に入って、まるで楽しみを見出せず帰宅するよりは、幾分マシな思い出だろうかと。傍らに座るアイの、形の良い旋毛を見てそう思った。
「ボランティアのクセに、サボってんの?」
「うぉっ……」
隣から急に知らない声が聞こえ、思わず身体を仰け反らせる。足元では煽りを受けたアイが「わぁ」と間抜けな声を上げて地面に両手をついていた。ごめんね、でも俺悪くないよね。
突然俺たちのサボりを詰った声の主に目を向ければ、そこには──件のハブられていた少女が、小屋に背を預けていたのだ。
その両目には、どこか……俺を。その隣のアイの様子を、窺うような色が見えた。
「──なぁ、無能な働き者って知ってるか?」
だから、まぁ。返答と自己紹介代わりに、とりあえずジャブを打ってみることにした。
「……?」
「ドイツの軍人の言葉だそうでな、無能な働き者は組織にもっとも害を与えるそうだ。仕事が出来ない、ミスを繰り返す、そのくせ自分には能力があると過信していて、失敗は他人のせいにする。そんな厄介な存在だ」
「それが、なに?」
紫がかった黒髪に、健康的な四肢。整った容姿の少女はそれだけならアイに通ずるものがあったが、顔立ちは落ち着いた印象を与える。有り体に言って可愛らしい女の子は、顔に「何言ってんだコイツ」とばかりに怪訝な表情を浮かべた。
そんな少女に対し、俺は自信満々に己へ親指を向けた。
「良いか、俺は孤高な存在だ。集団に合わせてなんかやらないし、みんな仲良く共同作業なんざほとんど経験が無い。今だって別に、積極的にサボろうとした訳じゃないにも関わらず、結果として仕事が免除されている。従って今の状況は、あそこにいる連中が俺を"無能な働き者"、つまり作業させると仕事を増やす面倒な奴だと判断したって訳だ。結論、俺がサボっているのは俺のせいじゃない」
真に無能な働き者などと呼ばれる者は、おそらく自らをそうだと認識できないだろうが。無論俺だって自分がそうだなどと欠片も考えていない。ではなぜこんな話をしたのかと言えば──そう、ただの自己紹介のようなものだ。
テンプレ通りの人間関係を構築するなんて。そんな手順を知らない俺が……そして、その女の子が。なんとなく人間性を探るための、ただの戯れ言だ。
他人に、それも年上にかける第一声が「なにサボってんだ?」と言うような、その少女に対する先制手。これに対して女の子がどう応じるのか、少しばかり興味があった。
少女は顔に書いた「何言ってんだコイツ」を「何言ったんだコイツ」に変えて、形の良い口を小さく動かした。
「……自分のこと無能って言っておきながら、自分は悪くないって言うの?」
特に想定外でもない疑問に、俺は腕を組んで自信満々に答えてやった。
「違うな、俺に"無能な働き者"の要素が見えるからと連中がそう決めつけたのであって、実のところ俺は有能な方だ。サボってるんじゃなくてサボらされてるんだよ、どう考えたって俺は悪くないだろ? ちゃんと使わないあいつらが悪い」
我ながら酷い言いがかりである。単に戸部や葉山の気遣いの末にこうしているだけなのに。しかし実際のところ、気遣いはお節介と紙一重であり、事実俺とアイは最初からサボろうだなんて思ってはいなかった。
だからせめて、この少女と。どこかの誰かのように、人間関係というものに対する理想と現実に揺れているだろう女の子との、会話のとっかかりくらいにはなって欲しい。
「させられてるから、悪くない……」
女の子は俺の言葉を反芻するように呟いて、俯く。
一秒と経たずに顔をこちらに向けた少女は、どこか険のある口調でこう言った。
「名前」
「? 名前がどした」
「名前聞いてんの。普通伝わるでしょ」