国内サイクリングは欧州文化の影響下に=輸入文化。
その日本化な過程には独自な解釈は無論、普及につれ新たな様式も派生=その一つがパスハンターでも。
さて、欧州の山&峠系に、仏にシクロ・アルピニズム[Cyclo-Alpinisme]が、そして英にはパス・ストーム[Pass-Storm]が。
いずれもツーリズムにカテゴライズ=自転車でのスポーツとはされない=旅は競技( ゲーム )ではない。
( ちなみにヒルクライムは登坂競技としてTTに。またCXも”Course sur Route”で競技に )
そして、そのような峠越えはクライミング[Climbing Run]にヒリィ[Hilly Run]としても紹介された。
( このネーミングの使い分け、ざっくり言って識者と年代にも、古いサイクリング本に散見は”クライミング”かと? )
が、そもそもトランスレートに無理が=風土が異なる。
峠越えにシクロ・アルピニズムは、仏の風土に鑑み、標高2000mの高峰エリアがデフォ。
峠をターゲットなパス・ストームでは、英の風土に鑑み、標高700mを越えることはなく、舗装率も97%に。
( 英で未舗装路に特化なサイクリングとしてはラフ・スタッフ[Rough Staff]が )
国内の山岳系ツーリングで標高2000mはポピュラーとは言い難く、舗装率は低い( 70年ころで15% )。
いずれもママには該当しない。
と、このような話は幾重にも語られ… たいていのサイクリング本には載ってる話であり詳細は割愛。
( 先にふれておくと、80年代には峠越え=クライミングな呼称はほぼ絶えて、それにかわり峠越え=パスハンティング[Path-Hunting]が広義的に。留意は”path”のトランスレートである点 )
そして前回にも紹介な50年代中期、山田鉑雄氏により”アルペン・サイクリング”の提唱が、で、ここからが特殊な話に。
そのアルペン・サイクリングとは嶮峻な山道の峠をターゲットに、端的には、登山に近い。
( アルペンサイクリングな呼称は山岳系ツアーな総称的に活語ですが、それは山田氏による元祖系とは異なる。昨今のアルペン系は鳥山新一氏が説くところのクライミング・ツアーに近い )
が、登山ママでなく、ハイキングでもなく、通例なサイクリングとも異なるとの見解は、低山バリに近い感覚だろうか?
( この以前、すでにパスハンティング的な所作はポピュラーに、山岳サイクリングも自転車での登山と云われたが、それはまだツーリズムの枠内 )
これが世にいうパスハンターの元祖に相当するも、そんな深山の峠アタック専用車が販売されていたわけではない。
そもそも戦後では、国内でのサイクリング車の製造スタートは54年とされる。復興期を終え、これからという時節だ。
マイナー用途に特化な車体が最初から存在する方が不自然。当初、既存の自転車をベースに、平たくはカスタムに。
( たとえば峠越えサイクリングの歴史を辿るに、菅沼氏からALPSの萩原氏に至るまで最初期には実用車も活用と )
そのアルペン仕様で( まだパスハンターな符牒はない )峠をターゲットなルートファインディングに山にわけ入る。
ところで、アルペン[Alpen]を冠し、その解説には”岩壁登攀に相当”と添えられても。
するとそれは( 当時としては )古典的アルピニズムの影響下にあると考えるのが妥当では? な、疑問が。
( 山田氏がアルピニスト云々でなく、その講釈に鑑み、多少なりともその影響下に? な、提起 )
なぜに、そこにこだわる? は、アルピニズムとは純粋にスポーツであるから。
前述、通例な峠越え( クライミング・ツアー )はツーリズムであるからには、スポーツとはされない云々。
( ツーリズムとスポーツとの区分けは、鳥山氏など始祖連の文献を参照 )
でも、スポーツになるからには、であるならばと、それで前回、旧来ツーリズムの枠を超えてる&分派云々と例えた。
ただ、その著書にはアドベンチャーに相当な意味での解説はあれど、スポーツな文言は見られない。
( しかしアルペン云々な時点で、当時の概念としては純粋なスポーツとみなされる、と、捉えるのが近代登山史では通例かと )
そこで、当初のパスハンターとはスポーツ( アルピニズム影響下と仮定 )にアドベンチャーとして、そこの説明も必要に。
そのスポーツとは、アルピニズムでは純粋な登山においてで、通俗的スポーツ( ゲームに競技 )とは異なる、またアドベンチャーは=単純に冒険ではない。
( アルピニズム門外漢としては、ここの説明が厄介で、これまでパスハンターの派生にまつわる話は避けてきた。型式など外観的な云々よりも、その概念の形成は如何に? な、そこが哲学的にもややこしい )
通俗的スポーツにはルールが( 人工的に造成されたグラウンド上では )、でも対峙な相手が自然ともなるスポーツ登山にルールはない。
競い合う相手は自然と仮定に、自然はママにあるのみ。そのリスクは自然条件と登山者の条件に応じて多様に変化=ルールも多様に変化せざるを得ない、それはルールとは言い難く。
( 常に安全性と危険性が変化するとされる自然では、二元論的なルールは通用しない。ルールの無い危険なスポーツが登山であり、危険なことを了解したうえでわざわざ行うのが登山の特性とされる。これは法律書でも説かれている定説であり、すなわち安全な登山などない )
そのような自然の中で行われるという点が通例なサイクリング、また舗装路上でのパスハンとは異なる。
( 舗装路上では、たとえ過酷なパスハンがあれど、コンディションはともかく、少なくとも舗装路の安全管理は可能 )
競技でのトレラン&スキーに例えても、それも自然の中だが、人と人とが競い合う( またタイムを競う、であれば )そのようなスポーツと、アルピニズムのスポーツとは概念が異なる。
( 純粋行為なスポーツ登山での対峙は自然ママに個己そのもの。ちなみに、その対極はプロスポーツで、それは興行に )
つまり山田氏創始なパスハンターがアルピニズム影響下にあるならば、スポーツとなるが、レーサーにヒルクライムなど通例な自転車競技のスポーツとは意味が異なる。
つづきます。
アドベンチャーとの関係は、また後でふれます。
留意は、アドベンチャー[adventure]のトランスレートが”冒険”は便宜的、相当な概念が日本語にはないのです。
それと、このように純粋登山にまで話が及ぶのは( ならざるを得ないのは )、それほどに山岳系パスハンターは特殊。
( 極論、古典的な山岳系パスハンティングはサイクリングと言えるか怪しい…Hmm )
その1: 自転車登山に山サイ
その2: 戦前のサイクリング
その3: 自転車に大道無門
その4: 山旅と古道な幹線道路
その5: 高尾山年表( 近代インフラ編 )前編
その6: クライミングにパスハンター
その7: 初めて物語( パスハンターの巻 )