㊗️おしまい人生30周年㊗️

あーあ、もう30歳になっちゃった。

小学生の頃に流行ったプロフィール帳の"何才で結婚する?"の記入欄には決まって23才って書いてたのに、30歳無職の終わりの女になってる。

やりたいこと、将来の夢をことごとく否定されて、途中から主張を辞めてしまった結果、主体性も自尊心もまったくない社会のお荷物と呼ばれる悲しき人間が出来上がってしまったわけです。

こうやって大学まで出て無職させてもらってるのは親がいるからで、そこは本当に感謝しなければいけないけれど、それとは別に我が親は子供を育てるのが向いてなかったんだと思う。

チャレンジしてみたい仕事があって専門学校に行きたいと相談したけど、4年制大学じゃないと絶対にダメだと言われて適当に推薦で入った大学の学費を払ってくれた件については本当にありがとうございました。

昔、たくさん出かけたよねと言われても親との記憶は「パチンコに行きすぎて母親に怒られる父親」「いじめられてるから学校に行きたくないと言ったら気のせい、やり返せば済むと返された」「ヒステリックにキレて部屋にありったけの書類をばら撒く母親」「馬乗りで往復ビンタしてくる父親」これぐらいしか本当に思い出せない。

あと幼稚園の頃に仲が良かった近所の子と腕を組んでいたら、母親に「気持ち悪いからベタベタするのはやめなさい」って真剣に怒られた。今思うとなんでそんなにどうでも良いことを真剣に怒れるんだよ、と笑えるけど、当時の私は本気で人との物理的な距離感に思い悩んだ。

友達と出かけるというと紙に友達の名前、連絡先、行き先、お金の使い方、全て洗いざらい書かされたのも、心配だったのかもしれないけど、ずっと監視されてる気分だった。
ちなみにここに出てくる友達というのは学生期間のみ一緒に行動していた現在は連絡先も知らない友達とカウントして良いのか分からない存在のこと。

これが正常な家庭なのかそうじゃないのか、他の家の子育てが分からないから、比べようもない。
でも結果として自分のような人間が育ってしまったので、自立した健やかな子供を育てるという意味では残念ながら失敗ということで。
回転寿司の醤油を舐める方向に育たなかったのはラッキーだと思ってほしい、と思ったりもしたが、むしろ行動力がある分そっちの方が良かったのかもしれない。

小さい頃はお医者さんになりたい、ケーキ屋さんになりたい、芸能人になりたい、そんな風に思ったりもしたけれど、今はどうやってこの人生を終わらせるかを考えている。

ずっと他人事みたいな人生、自分で選んできてないから自分の人生じゃないみたい。
失うものなんてないくせに挑戦も出来ない矛盾を抱えて生きていくのも、どうでも良い自分という存在をだらだらと消費するのも飽きてきた。

メンヘラ界のカリスマ歌手も、暗い人生を過ごしてきたお笑い芸人も、引きこもりだったアイドルも、結局は何者かになってる。
満員電車で通勤してるサラリーマンも、ドラッグストアの店員も、街ですれ違う人達ってみんな何者かなんだ。

大変残念なお知らせだけど、私って結局何者にもなれずにおしまいみたい!

あなた様は本当に本当に薄い人生でございましたね、他人事な感想しか出てこない。太宰治の恥の多い生涯が羨ましい。こんなに自分に責任が持てない人間っているんだと自分でも驚き←これも他人事

生まれたくなかったけど、生まれたくなかった人生が存在するって分かったのは結構な収穫になる気がする。もし次生まれそうになった時の参考にしなくちゃ〜

「終わらせないと終わらない人生なんて、もう懲り懲りだ〜!」って言いながら、アニメのラストみたいにアイリスアウトで終わりにしたい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?

コメント

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。
㊗️おしまい人生30周年㊗️|倫理観