↑のつづき。

さて、星繋がりで、この日の締めくくりの神社へ。

喚續神社から徒歩10分程度。


遠くから見るだけですぐわかった。

「あの神社はワタシが好きなやつだ」と。


『星宮社』である。




立派な御神木。


手水舎。


そろそろ夕方だ。

沖縄に比べて、本土の日が短いことを改めて実感する。


拝殿の上に五芒星が見えた。
かっけー。



拝殿。

『星宮社』

鎮座地 愛知県名古屋市南区本星崎町宮西
創建 西暦629年から641年頃、
   星崎城築城の際当地移転したとされている。
祭神 天津甕星
国常立命と香々背男神の二柱とも言われている。
喚續神社にも国常立命は祀られていた。

天津甕星とは『天香香背男(アメノカガセオ)』のこと。

昨年の茨城出張から、カガセオさんとはご縁がある。

舒明天皇9年(637年)、七星が天から降り、神託があったので、往古の千竃郷であった当地に社を建てたのだそうな。

やはり星崎町は、星降る町なのだ。

「ミカ」とつくことから、カガセオは金星の神格を持っていることは知っていたが、『七星』とは。

北斗七星? 七曜? プレアデスかも。

『七星』という表現自体は中国の道教思想に通じる。

また、昨年から読み続けている風土記全集の『尾張国風土記』には、『赤星が落ちた』という記述があった。

赤星とは金星のことである。


左側には、境内社
英霊社。


白山社
金比羅社
天王社神明社相殿


横からお決まりの本殿。


横から拝殿。
こういう造りの拝殿は、少し御皇城山の皇太神宮に似ている気がした。


右側にも境内社。
加具土社
軻遇突智社
霊社

異なる漢字のカグツチが二社ある。

カグツチが一柱ではないというメッセージだろうか。



右側にまた鳥居があった。


なんと、ここからは知我麻神社へとつづく参道なのだ。

なんとワクワクする境内なのであろうか。



参道を進んですぐ左側には磐座。

どちらかと言うと、女神かな️と思わせる形状である。

さらに登っていくと、階段は左に折れる。

どうやら星宮社本殿の丁度裏側、山頂に知我麻神社はあるらしい。

上にあるのいうことは、神格はカガセオより高位におわす神なのだろうか。


裏から星宮の本殿。


見えてきた。



『知我麻神社』。
熱田神宮にも同名の摂社があるが、当社がその元宮だという説がある。

上社と下社が仲良く並んでいるようだ。

上知我麻神社の祭神は、乎止与命。
(ヤマトタケルの最後の妻、宮簀媛の父)

下知我麻神社の祭神は、
真敷刀俾命 伊奈突智老翁。

真敷刀俾命(マシキトベ)は、宮簀媛の母。

上下は、宮簀媛の両親が祀られているのだ。

しかし、なぜか下社には
『伊奈突智老翁(イナツチノオキナ)』が。

初めて出会う祭神だ。


似た名前なら聞いたことはあるが。



尾張の文献には、星宮社の絶頂にイナツヲキナノ社という小社があると記載されているらしい。

元々は、伊奈突智老翁の社であったということだろうか。

「知我麻(ちかま)」は「千竈」であり、伊奈突智老翁とは、この地に土竈で堅塩(固形の塩)を焼く技術を伝来した人物なのだそうな。

『塩土老翁』と同一神か、あるいは深く関連していることは間違いなさそうだ。


星宮社の祭神は、カガセオ。

タケミカヅチとフツヌシが、唯一負けなかった神。

そんなタケミカヅチとフツヌシを東国に導いた神こそが、塩土老翁なのである。


星宮社の境内に知我麻神社があることにも、何かしらの意味がある。


星の神の伝承は静岡にもあり、この愛知県の隣。


繋がりを感じる。




上社と下社の両社の下に、こんなものが。

六角形を重ねた石に、十二花弁の菊。

気になります。


反対側に降りていってみる。


下から知我麻神社。
やっぱり仲が良さそうだ。




この灯籠の神紋は初めてみた。
九曜紋ではありません。

『七星紋』というらしい。

かっけー。



降りていくと、先ほどの左側の境内社のところに出た。

ここからは降りられないので、来た道を戻ります。







星宮社。

めちゃくちゃ良かった

個人的には名古屋で一番好きでしたね~。

見所が多いし、静かで気持ちが良かった。


やはり気になるのは、『知我麻神社』。

「我、麻を知る」。

最近はどうしても四国、それも徳島に繋がっている気がする。


大いなる伏線だ。


さてさて、本日は時間切れ。

翌日は、今回の旅の最終日。

名古屋市街で仕事して夕方には沖縄に帰ります。


つづく。


ではまた

参拝日2023/01/19



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