生活力
街を歩くユリウスは顔面蒼白だった。
「――仕事が決まらない」
アレから身分を隠して面接を受けてもみたが、ルクシオンの言うとおり噂が広がっていてユリウスを誰も雇わなかった。
大使館が臨時のアルバイトをしないかと言ってきたが、明らかに気を遣っている。
今のユリウスには、大使館の情けを受けることは出来なかった。
何故なら――。
「――ブラッドの奴、こんなにも人気が出たのか」
壁に貼られたチラシを見る。
ブラッドは何やら手品を披露しているらしい。
美形の芸人として人気が出ているようだ。
少し前には、骨董品を売り買いしているジルクも見かけた。
意外なことに成功しており、動かしている金額が大きい。
グレッグもクリスも働いており、補習で学園に顔を出すととても疲れている様子だった。だが、それでも充実している顔をしていた。
「それなのに、俺はこんなにも情けない」
悔しかった。
他の四人は、リオンの言う生活力の高さを証明していた。
なのに、自分だけは未だに働いていない。
落ち込んでいると、とても良い匂いがしてくる。
香ばしい焼き鳥の匂いだった。
屋台の店主が、顔を上げたユリウスに串を一本向けてくる。
「兄ちゃん、今日も落ち込んでいるな。一本食べていけよ」
「いえ、お金が――」
お金がない。
持っているのは小銭だけだ。
そのお金も、リオンから借りているものだった。
「おごりだよ。何かあったのか?」
「実は――」
事情を説明すると、店主が大笑いをした。
「仕事をしたい? 兄ちゃん、そんなことで悩んでいたのか」
「笑い事じゃないです。面接で全て落とされてしまって」
「生活に困っていないのに働きたい、ね。そういうのは嫌いじゃないぜ。どうしても働きたいなら、給料は安いがうちで働くか?」
その言葉にユリウスは笑顔になる。
「本当ですか!」
実は串焼きなどが好きなユリウスは、屋台に興味が出てきていた。
「期間も短いし、仕事を教えるにしても雑用くらいだけどな」
「是非ともお願いします!」
こうして、ユリウスも仕事を見つけるのだった。
◇
アルバイト先の飲食店。
夜は居酒屋のような雰囲気だった。
昼は普通の大衆食堂だけどね。
「兄ちゃんたち、金持ちか? 何か間抜けそうな顔をしているよな。酒をおごってくれよ!」
地元のおっさんたちが、今日も俺の働いている店に来た兄貴や友人たちに絡んでいた。
酔ったみんなは、外国語が分からず俺に絡んでくる。
「リオン、このおっさんがさっきから何か言ってくるんだが?」
俺は笑顔で兄貴に教えてやる。
「そこの高貴そうなお兄さんたちって褒めているんだよ。酒でもおごれば大喜びさ」
酔った兄貴が嬉しそうにしている。
「え、そう見える? 俺も少しは貴族らしくなったのかな。おっさん、見る目があるじゃないか!」
喜ぶ兄貴を囲むのは、レイモンドとダニエルだ。
「ニックスさんも次期男爵の風格が出てきたんじゃないの」
「それにしても、共和国のおっさんたちは見る目があるな。おい、リオン。おっさんたちに酒を出してやってくれ!」
俺は笑顔で、
「毎度あり~。店長、お酒をガンガン出してください!」
店長が俺の顔を見て引いている。
「――そっちのお客さんたちに何を言ったのか分からないが、お前が騙したことだけは理解できる」
「時に真実は人を傷つけます。だから、優しい嘘で騙すんです。みんなは仲良く出来る。お店は儲かる。ほら、誰も損をしていない。それに、俺って優しいからみんなが喧嘩をするところを見たくないんです」
「自分のことを優しいとか言う奴を俺は信用したくないけどな。ジャン、ノエルちゃんは酒を運んでくれ」
「は、はい!」
「お任せ!」
慌ただしくジャンが酒を注ぎ、それをノエルが運んでいく。
テキパキと働くノエルは、酒場の雰囲気に慣れている様子だった。
酔った客がノエルのお尻に手を伸ばすと、その手を叩く。
「お触り禁止! あたしのお尻は安くないよ」
「お~、怖いねぇ」
店主が悪さをした客を睨んでいた。
「旦那、飲み過ぎだね。兄さんたちからのおごりは下げさせてもらうよ」
「ま、待ってくれ。悪かった。だから、酒を持っていくことはないだろ」
騒がしい店内で、俺は俺の仕事をこなす。
ジャンが近付いてきた。
「店長、ノエルさんを気に入っていますよね」
俺は笑った。
「娘に付けた名前がノエルだからな。何か運命的なものを感じるとか言っていたからじゃないか?」
店長の娘の名前はノエル。
そして、ジャンの愛犬の名前もノエル。
どこもかしこもノエルだらけだ。
ジャンの話を聞いたノエルなど、大笑いをしていたけどね。
――俺がそのせいで婚約者に平手打ちをもらったのを忘れてない?
それよりも、兄貴や友人たちのおかげで商売繁盛だ。
俺が酒を運ぼうとすると、店長が話しかけてくる。
「あれ? リオン、お前の国の人たちはあの年齢で酒を飲んで良いのか? お前、酒は飲まなかったよな?」
そうだね。飲まないね。
「あぁ、マイルールってやつですよ。俺、二十歳になるまで酒は飲まないんです」
「そ、そうなのか?」
不思議そうにしている店長は、仕事に戻る。
兄貴たちにおごってもらった客が、大喜びで酒を飲んでいた。
「兄ちゃんたち、今日もありがとよ! よく見たら良い男に見えてきたぜ。酔いが回ってきた証拠だな!」
肩を組んで笑い合っている。
「何を言っているか分からないけど、褒められているのは分かるぞ! リオン、酒とつまみを追加だ!」
「毎度あり~」
兄貴は随分と酔っていた。
互いに、酒さえあれば言葉などいらないのを見せつけてくれる光景だ。
――ウケる。
◇
帰り道。
俺はノエルを屋敷へと送っている。
ついでに屋敷に顔を出し、アンジェたちと会うのも日課だ。
帰り道で話すのは何気ない会話だった。
「クレマン先生が色々とブツブツ言って怖いんだよ。シングルでどちらを選ぶか、それとも豪華にダブルでいくか、って。クリスとグレッグを見る目が怖いんだよね。あいつら、一体何をやっているんだか」
補習で顔を合わせるクレマン先生が、クリスとグレッグを見る目が怖いのだ。
二人は心なしか痩せたというか、引き締まった気がする。
肌つやは良いが、疲れているのが余計に気になる。
変なことはしていないと思うが――。
「クレマン? 最近は銭湯にいくのが趣味らしいわよ」
「銭湯? え、卑猥な感じの?」
「銭湯で卑猥って何よ? 普通の銭湯よ」
お姉のクレマン先生と、あの二人の間に一体何があるのだろうか?
二人で歩いているとお腹の音が鳴った。
――俺じゃないよ。
恥ずかしそうにするノエルが、お腹を押さえて髪をかいている。
「ご、ごめん。良い匂いがして」
「焼き鳥かな?」
近くにある屋台で何か買おうか覗くと――。
「へい、らっしゃい!」
――ねじりはちまきをしたユリウスがいた。
「お前、ここで何をしているんだ?」
驚く俺に、ユリウスは背筋を伸ばして胸に手を当てる。
「働いている」
堂々としたその姿は、恥じることはないと語っているようだ。
いや、別に屋台が駄目とかそんなことを言うつもりはない。
だが、予想外すぎた。
ノエルがユリウスを見ながら、俺に小声で確認を取ってくる。
「この人、元は王太子殿下よね?」
「そうだよ。面白い奴だよ。関わりがなかったら笑えるけど、身近な人たちは一切笑えないのもポイントだね」
俺も笑っていられないから困る。
屋台の店主がユリウスの後ろで笑っていた。
「この兄ちゃん、鶏もさばいたことがなくてね。今の若いのは知らないことが多すぎるぜ」
ユリウスが店主に謝罪していた。
「申し訳ない。はじめて鶏をさばいたときは迷惑をかけてしまった」
「何、今は出来るようになったんだ。これから頑張れば良いさ」
店主は知らないだろうが、そいつはホルファート王国の王子だよ。
これ、どうしたらいいのだろうか?
ノエルも困っている。
しかし、ユリウスは笑顔だ。
「バルトファルト、俺はここで一人前になってみせる!」
――お前、いったいいつまで共和国に残るつもりだ。
一人前になるまでに帰国するに決まっているだろうが!
「とりあえず、串を二十本くれ」
「まいど!」
深く考えるのは止めて、俺は串を購入するのだった。
◇
一方その頃。
アンジェはマリエの屋敷でリオンが来るのを待っていた。
普段よりも戻ってくる時間が遅いことを気にしている。
「リオンの奴は遅いじゃないか」
浮かんでいるクレアーレは、そんなアンジェをからかうのだった。
『あら? もしかして心配しているの? 大丈夫よ。ひねくれ者が監視をしているし、マスターはヘタレだからノエルに手を出さないわ』
一緒にいるリビアは、ノエルの件を納得できていなかった。
「アンジェ、本当にノエルさんを連れて帰るつもりですか? 本人の意思を確認しないなんて酷すぎます」
そんなリビアの言葉に、アンジェは小さく微笑むのだった。
「お前は優しいな。だが、生まれ落ちた家が家だ。あの女も、その妹も運命からは逃げられないのさ。巫女の資質を持ったならなおさらだ」
リビアが落ち込むと、クレアーレが慰める。
『大丈夫よ。マスターは無理強いしないつもりみたいよ。その気になれば、苗木からエネルギーを抽出する方法は私が考えるわ。私――その手のことは得意なの。巫女とかいらないわよ』
リビアが顔を上げる。
「リオンさん、本当はどう思っているんでしょうか? ノエルさんも何を考えているのか分からなくて」
ノエルはあまり二人と会話が出来ていなかった。
その原因をクレアーレは察している。
『他人の男に手を出しそうになったのよ。気まずいに決まっているじゃない。マリエちゃんみたいに図太くないんじゃない?』
「それどういう意味よ!」
横で話を聞いていたマリエが怒っていた。
だが、アンジェが睨むと黙ってしまった。
「そのままの意味だろうに。言っておくが、私は個人的にお前を許したわけじゃないからな。そのことを忘れるなよ」
「――すみませんでした」
リビアが話を戻す。
「でも、これから連れて行かれようとしているんですよ。きっと心細いはずです。それに、妹さんもいるのに、一人だけ連れて行くなんておかしくないですか?」
『エミール・ラズ・プレヴァン――六大貴族の次期当主と恋仲らしいわよ。プレヴァン家が放さないんじゃないかしら?』
「けど!」
アンジェが紅茶を飲む。
(――まずい紅茶だな)
香りは悪いし味も悪い。
どうしてこんな茶葉を買ったのか理解できない。
ジルクが大量に購入し、処分に困って日頃から飲んでいるというマリエの悲しい事情をアンジェは知らなかった。
カップを置くと口を開く。
「共和国に残しても同じだ。あの女は幸せにはなれないよ。ならせめて――」
言いかけたところで、メイド長が叫ぶのだった。
「アンジェリカ様!」
慌ただしく聞こえてくる足音に、アンジェは素早く立ち上がりクレアーレを見る。
「何が起きた?」
『共和国の兵士たちが来ているわね。ひねくれ者に連絡を取りたいんだけど――連絡が取れないわ。これってちょっと厄介ね。数も多いわ』
「え、何? 何なの!?」
マリエが慌て、リビアも立ち上がる。
「アンジェ、どうして共和国の兵士たちが来るんですか?」
アンジェは少しの間まぶたを閉じ、それからゆっくりと開ける。
「レスピナス家の件、どうやら知られてしまったな」
◇
「本当だって。俺、嘘は言わない男だよ」
帰り道、ノエルと話をしていた。
「嘘だぁ~。だって、嘘は言わないだけよね? 今日も同郷の友人たちを騙していたじゃない」
アンジェともリビアとも違うノエルとの話は、結構盛り上がっている。
「酷いな。これでも誠実を売りにしているのに」
「そうなんだ。なら――そんな誠実なリオンは、私を王国に連れて行ってどうするつもりなの?」
急に真面目な話が振られる。
いつか聞かれると思っていたのだ。
片手で購入した串焼きの入った紙袋を持ち、空いた手で髪をかく。
「――無理に連れていくつもりはない。アンジェは俺の方で説得するさ」
「本当にそれでいいの? 私を連れて帰れば、リオンは出世できるんじゃないの?」
「出世? もう頭打ちだから、これ以上の出世はないよ。それに、俺って田舎でノンビリしたいんだ。宮廷のドロドロした争いは嫌いだ」
ノエルが俯き、理解できるのか悲しい顔をしていた。
「私も分かるよ。実家がそうだったから。私たち、双子だから家中でどちらを担ぐかで揉めていたからね」
レリアからは聞かない話だった。
「レリアは何も知らなかったみたいだけど?」
「――あの子には適性がなかったの。巻き込まれる寸前だったけど、おかげで助かったわ」
何か隠している気がした。
一瞬、表情が変わった気がしたが――気のせいだろうか?
「巫女の適性か。どうやって調べるの?」
「――母さんが、レリアに才能はないって。それだけよ。巫女は聖樹と会話が出来る存在だから、聖樹の判断じゃないかな? だから、レリアを担ごうとしていた家臣たちは落胆していたわ。でも、それでよかったのよ。下手をすれば、どちらかが死んでいたもの」
どこもドロドロとしている。
「レリアが知らなかったのは、聞かされていなかったからか? 適性がない子には知る必要もないわけだ」
「それでよかったのよ。適性があったところで、あの時の私たちに意味なんて――」
何かが近付く音が聞こえてきた。
ノエルを庇うような壁を背にする位置についた俺は、空を見上げる。
「上か?」
そこにはアロガンツが降下して来ていた。
ルクシオンも一緒のようだ。
『マスター、すぐに戦闘の用意を。共和国が武力を持ち出しました』
「今更か? それにしても、気付くのが遅いな。怠けていたな」
『違います。ジャミングが――』
アロガンツが俺たちの目の前に降り立つと、急に辺りが明るくなった。
強い光を向けられ、目が痛くて開けられない。
目を細めると、足音が聞こえてくる。
武装した兵士たちが俺たちを囲み、その中から一人の男が歩み出てくる。
ノエルが呟いた。
「――セルジュ」
逆光で表情の見えないセルジュは、神妙そうな口振りだった。
「久しぶりだな、ノエル。――迎えに来たぜ」