巫女
マリエの屋敷では――朝から空気が重かった。
食卓を囲むのは五人を抜いたマリエたちと――リビアとアンジェ、そしてノエルの三人だ。
(どうしよう、凄く気まずい)
屋敷で使用人たちが働くようになり、朝から慌ただしく仕事をしなくても生活が出来ている。
それはとても素晴らしいことだと思いつつも、マリエはこの状況に震えてくる。
(何でこの三人がうちにいるのよ!)
静かな部屋は、食器に少しスプーンが触れた音も聞こえてくる。
そんな静寂を打ち破ったのは――アンジェだった。
「殿下たちを屋敷から叩き出したそうだな。どういうつもりか聞かせて欲しいものだ」
マリエはビクリと肩を震わせた。
言葉だけを聞けば「はい」と頷くのが正しい。
だが、この言葉に一体どんな意味が含まれているのかと思うと、怖くて何も考えたくなかった。
(や、やっぱり、ユリウスたちを追い出したのは失敗だったかも。それよりも、なんで兄貴がここにいないのよ! 顔くらい出してよ。胃が痛いよぉ~)
今更後悔するマリエは、自分だけ屋敷に顔を出さないリオンに腹を立てる。
カーラは青ざめ、カイルは無表情で給仕をしていた。
アンジェの視線が怖い。
「え、えっと~」
言い淀んで返事が出来ないマリエは、冷や汗が流れ出ていた。
(助けて、お兄ちゃぁぁぁん!)
◇
どこかで俺を呼ぶ声がした。
「気のせいだな」
きっと美少女が俺の助けを求めているのだと考え、そんな自分にとって都合の良い妄想などあり得ないと首を横に振る。
俺の勘はよく外れるから、どうせ勘違いだ。
さて、そんな俺が何をしているのかと言えば――。
「お前、まだ決まらないの?」
――家で朝食を食べていた。
住まわせているユリウスに作らせた朝食は、お世辞にもおいしいとは言えない。
食えなくはない、程度の出来映えだった。
「う、五月蠅い! ――俺だって頑張っているんだ」
後半の声がとても小さくなっていた。
おいしくない目玉焼きを食べながら、俺はユリウスに言うのだ。
「他の四人は頑張っているのに、お前だけどうして――」
「だ、だから、俺だって頑張っているんだ! だが、俺が外国の貴族だと知ると、誰も雇ってくれない。自分で何かしようにも、元手となる金もないんだ」
その言葉に俺はフォークを落とした。
「――え、お前は自分が外国の貴族だって名乗ったの?」
「当然だ。出自を問われたからな」
確かにどこに出ても恥ずかしくない出自だろうさ。
ホルファート王国の元王太子――あ、駄目だ。
元、の部分が少し恥ずかしいや。
今のこいつは、婚約者を捨て地位を失った“ただの”王子様だったな。
「言ったら誰も雇わないだろ」
ユリウスが持っていた求人広告は、どれも普通のアルバイトだった。
「そ、そうなのか!?」
前世の感覚で言えば、他国の王族をコンビニのアルバイトで採用したいか? という状況だろう。
責任問題とか色々とあって、雇用主の方が気疲れするな。
俺ならお断りだ。
「駄目に決まっているだろ。俺も黙って働いているし」
「そんなの卑怯だろう!」
「そんなことを言っているから、お前は面接を落とされているんだけど?」
言い返せないユリウスが黙ってしまう。
こいつの真面目な部分は好感が持てるが、アルバイトを募集したら他国の王族がやって来た雇用者の方が可哀想だ。
詐欺も疑うだろうし、本当だったら自分のミスで大変なことが起きるかもしれない。
そんなことを考えながら仕事をするのは嫌だろう。
断る際も色々と考え、失礼にならないように気を使う雇用主――。
あと、他国の王子様に雑用とかさせられないじゃん。
黙っていればよかったのに。
ルクシオンがここで会話に加わる。
『最近、この辺りではホルファート王国の王子がアルバイト先を探している、と噂になっていますよ』
「そうなの?」
『はい。有名な話ですし、まともなアルバイト先を探すのは難しいのでは?』
ユリウスが肩を落としている。
「――俺はこれからどうすればいいんだ」
優秀なのに抜けていると考えれば良いのか?
本来ならリビアと出会い、成長するはずだったのにマリエのせいでポンコツにでもなったのだろうか?
「知るかよ。ほら、飯を食ったら学園に行くぞ。今日は補習を受ける日だ」
◇
夜。
アルバイト先に来たのは――ダニエルやレイモンドを連れた兄貴のニックスだった。
というか、毎日来ている。
共和国から賠償金やら物資を受け取ったのは良いが、運ぶための船がなかった。ルクシオンに運ばせてもよかったが、友人たちを頼ることにした。
兄貴や二人がここにいるのは、俺が呼び出したからである。
「今日も来たのか?」
ニックスが苛立っていた。
「こっちは急にお前に呼び出されたんだぞ。共和国の言葉だってろくに覚えていないのに、観光するのも大変なんだ」
ダニエルやレイモンドも頷いていた。
「リオンがいれば言葉で苦労しないから楽で良いんだよ」
「そうだよね。呼び出したんだから面倒を見て欲しいよ」
こんなことを言っている三人だが、海外旅行を楽しんでいるのは大使館の職員から聞いている。
通訳を連れて、遊び回っているらしい。
俺が出した報酬で、だ。
すると、店主が俺に声をかけてくる。
「なんだ、知り合いか? 身なりが良いから金持ちか?」
店主に王国の言葉は分からない。
だから、俺たちが貴族だと知らないのだ。
「えぇ、だから高い料理をガンガン出しましょう。儲け時ですよ」
「お前の友達なんだろ? そんなことをしたら駄目じゃないか」
店主が真面目に注意してくるので困った。
こいつらから搾り取れば良いのに。
そもそも、この店で高い料理を食べても、今のこいつらには痛くも痒くもない。
それだけの報酬を俺が出したからな。
呆れている店主が俺に新人を紹介してきた。
「それより、今日から働く新人だ。仲良くしてやってくれ」
こんな時間帯から?
不思議に思って店主の後ろを見れば、そこにいたのはウェイトレスの格好をした――ノエルだった。
「え、リオン?」
「ノエル――何でここに?」
どうしてここにいる!?
すると、兄貴がテーブルに顔を突っ伏す。
「あれ、ニックスさんどうしたの?」
レイモンドが問いかけると、兄貴は胃の辺りをさすっていた。
「嫌なことを思い出した。というか、リオン! お前、これは大丈夫なやつか? またあの二人を怒らせたりしないよな!」
ダニエルが俺を睨む。
「お前、もしかしてこの人が現地の彼女か! 二人も可愛くて優しい彼女がいるのに、三人目とかふざけるなよ!」
五月蠅い連中は無視するとして、
「え、なんでノエルが働いているの?」
「え、えっと――これには事情があって」
言い淀むノエルを見て、店主が何かを感じ取ったようだ。
「仕事の後でゆっくり話しをしなさい。それより、そこの三人が凄い形相でリオンを見ているが、大丈夫なのか?」
「あ、平気です。言わせといてください」
三人が激怒していた。
「無視するなよ!」
兄貴の声を無視して仕事に戻った俺は、ノエルに何があったのかを考えるのだった。
◇
仕事終わり。
夜も遅く、ノエルを屋敷に送ることになった。
ノエルの話を聞いた俺は――。
「屋敷の空気が最悪だ、と」
考えてみれば当然だ。
マリエの屋敷にはアンジェがいる。
当然、リビアはアンジェの味方――ついでに、リビアとの間に色々とあったカーラもいる。
「使用人の人たちも、アンジェリカの身の回りの世話をする人たちと揉めることが多いのよ。なんであんなに仲が悪いの?」
ノエルには不思議でしょうがないらしい。
屋敷を用意できなかった大使館に抗議するとして、今はノエルへの説明だ。
「マリエに五人も恋人がいるだろ。アレ――全部略奪したんだ」
「――え?」
「アンジェの元婚約者はユリウスでね。あいつ、アレでも元は王太子だよ。今は政略結婚にも使えない名ばかりの王子だけど」
ノエルが信じられないという顔をしていた。
誰だってそう思うだろう。
俺だって、こうなると分かっていたから、アンジェたちをマリエの屋敷に住まわせたくなかったのだ。
すると――。
「リオンも妹のことで苦労するわね」
――ん?
「え、妹?」
「マリエはリオンの妹でしょ? 私もレリアには苦労させられたわ。あの子、放っておけない子だから」
そのままノエルは笑顔でレリアのことを話すのだった。
「時々、凄く深刻そうな顔をするのよね。器用なところもあるんだけど、不器用なところも多くてさ。双子だけど、あたしと性格なんてまるで違うの。妙に悩むことも多いし、それに――」
嬉しそうな表情が、少しだけ悲しそうな顔になった。
「――たぶん、あの子はあたしのことが嫌いなのよ」
◇
――姉が嫌いだった。
「今の“姉貴”はいいわよ。けど、何ていうのかな――私を下に見ているわ。面倒を見る、って態度が苛々するのよ。世間知らずで、脳筋な癖に妹だからって理由で私を守ろうとするのよ。馬鹿みたい。何も出来ないくせに頑張るから、私がフォローをして苦労してきたのよ」
愚痴をこぼすレリアがいるのは、セルジュが貸し切ったレストランだった。
周囲には給仕の姿もいない。
浮かんでいるイデアルが、酒瓶を空中に浮かべてセルジュのグラスに酒を注いでいた。
『姉妹なりに色々とあるのでしょうね』
「“姉さん”より酷くはないわ。あの女は、猫をかぶるのがうまかった。裏で私のことを馬鹿にしているのを知っていたわよ。けど、姉貴は――気持ち悪いのよ」
前世の姉――姉さんと、姉貴であるノエルを比べるレリアの心境は複雑だった。
セルジュが面倒そうにしながらも話を聞いている。
「お前ら双子なのに似てないからな。ノエルの奴は、口より先に手が出るようなタイプだしよ。俺もあの性格は好きだぜ」
「男には人気よね。やっぱり乙女ゲーの主人公様は違うわ。どんなにミスをしても男が守ってくれるもの。あのリオンだって同じよ」
自分とは違い、ノエルを大事に守っている。
その態度が気に入らなかった。
前世の婚約者を思い出す。
『性的趣向の違いでは? 胸部の大きさに魅力を感じている方のようですし、その辺りが原因かもしれませんね』
セルジュはそれを聞いて眉をひそめる。
「腹の立つ野郎だな。胸の大きさで助けたのかよ。けど、ノエルってそんなに胸があるか?」
「普通じゃない?」
話題が逸れると、イデアルが修正をかけてくる。
『ですが、一番は巫女としての適性の有無でしょう。彼がノエルを選んだのは、それが一番の理由です』
レリアは自分の右手を見る。
(同じ双子でも、選ばれたのは姉貴――私はどこにいても選ばれない)
『共和国は聖樹の加護の有無が価値観に大きく関わっていますからね。適性があるノエルは、レリアさんを無意識のうちに下に見ても仕方がありません』
「――適性が何よ。巫女が何よ。私は――幸せになりたいだけよ」
セルジュが溜息を吐くと、酒の臭いがした。
「ノエルがそこまで色々と考えられるか? あいつ、結構な馬鹿だぞ」
『いえ、だからこそ直感的な――それこそ本能的な部分が強いのです』
訂正してくるイデアルの言葉を聞いて、レリアは思うのだった。
(やっぱり、姉なんて最低よね。姉貴も私を格下に見ているんだ。そっか――何だ、前世と同じじゃない)
酔いもあって判断力が鈍っていた。
そんな中、セルジュが何かを言おうか迷っていた。
イデアルがセルジュを急かす。
『マスター』
「分かっている。――レリア、お前らのことが親父にバレた」
レリアは机に頬を載せ、その話を聞いても驚かなかった。
「そう。でも、私には巫女の適性がないから意味なんかないわよ」
イデアルが赤い一つ目を横に振る。
『レスピナス家の血を引いているだけでも価値があります。それに、貴方はマスターの大事な理解者ですからね。私も最大限の支援を約束しますよ』
セルジュが言う。
「親父たちは今になって頭を抱えている。リオンからノエルを連れ戻すのは簡単じゃないからな」
アルベルクたちにしてみれば、女一人を助けるために随分と無理をしたリオンが理解できなかった。
だが、ここに来て、レスピナス家の生き残りと知り――リオンに対して更に警戒を強めたのだった。
「お前やエリクの話から、リオンが聖樹の苗木から加護を得たのも知った。六大貴族の当主たちが大慌てだ」
レリアは興味がなかった。
「――そう。それで?」
『彼――リオンという男は、かなり用意周到な男です。ルクシオンに苗木を解析させ、その力で何をするか分かりません』
レリアは酔いもあって、イデアルの言葉が正しく聞こえてくる。
リオンとマリエが、行き当たりばったりであるのを間近で見ていたのに、
(アレも演技だったのかな? 姉貴に近付いたのも、エリクから遠ざけたのも――)
セルジュが酒を一気に飲み干し、
「こっちはエリクを失った。俺以外じゃ最大戦力だろ? イデアルの話じゃ、別にノエルを奪わなくても問題なかったらしいじゃないか」
「え、でも暴力を――」
顔を上げたレリアにイデアルは、
『カウンセリングで対応できたと判断します。レリアさん――貴女、騙されていますよ』
その言葉にレリアは顔を下に向けた。
(そっか。何だ――あいつらも私を馬鹿にしていたのね)
セルジュは言う。
「ノエルと苗木を取り戻す。そのためには、お前の協力が必要だ。手伝ってくれないか、レリア?」
その誘いに、レリアは小さく頷くのだった。