喜久里 亮

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喜久里 亮
@Ryo_Kikusato
生まれたとき4220gあったらしい。母の股が心配。 栄光学園→東京大学(文学部)卒→東京大学大学院(総合文化研究科)中退→MESAR HAUS→キャバクラバイト→予備校講師、時々バックパッカー。 横浜育ちのカープファン。 冷温停止中のブログ kikusato.blog37.fc2.com
2019年1月からTwitterを利用しています

喜久里 亮さんのポスト

遅刻して当たり前、ケアレスミスをして当たり前、汚い字で答案を書き殴って当たり前。そういうことを当たり前と思っている限り、永遠に貴方の人生は変わらない。なぜならこれらの現象は全て貴方の「生き様」の顕現だから。
我々人間の寿命は動物たちよりもはるかに長いので、何世代にも亘って彼らを見送らなければならないんですが、東雲さんとこのソーヤくんは、今でも本の中で可愛らしく愛想を振りまいています。 #おじいわんソーヤ
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意識の高い受験者は、センターは9割を狙うだろう。僕はそれは得策だとは思わない。要は「人よりいい点」を取ればいいのだから。 「9割」への執着が冷静な判断を狂わせる。臆病になり、時間配分を滅茶苦茶にする。 センター試験は「大崩れしないこと」が何より大切だということを忘れるな。
僕は受験は精神修養だと思っているので、自分の教え子は遍く合格して欲しいとは思っていない。相応の血と汗と涙を流した人にのみ、歓喜の瞬間は訪れて欲しい。 逆に、大した努力もせず、もし大学に合格して「しまった」なら、その人はこの受験で何を手に入れたことになるのだろう。
「怒るのではなく叱るのだ」とか「教室で叱るのではなくあとで呼び出して」とか実に下らない。 要はこれだけのことですよ。単純な話。
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春先にはオシャレだった生徒達が、この時期になると段々「小汚く」なってくるんですよね。女の子はノーメイクになってきて、男の子は寝癖つきっぱなしだったりして。 高校球児が泥だらけになって白球を追う姿が感動を呼ぶように、形振り構わず教材にむしゃぶりついている受験生の姿は「美しい」。
自分が低空飛行の勉強しかしてこなかった指導者は、生徒にも低空飛行の勉強を求める傾向がありますね。 「綺麗にノートを取りなさい」「辞書を引きなさい」「読解力を付けるには読書をしなさい」「こんな難しい問題、子供達が可哀想」等々。 子供が貴方の知らない世界を飛翔するのが、そんなに嫌か。
受験なんてものは知性の競争でもなんでもなく、結局のところ「どれだけ己を律せるかゲーム」に過ぎないので、舐めた生き様をしてる奴にはそれなりの報いがあるというだけのことなんですよ。本質はボディビルとかと同じだと思う。
僕は「ジャニーズ事務所は解体せよ」という主張も「タレントに罪はない」という主張もどちらも理解できるけど、このモスバーガーのような、周りをキョロキョロ見渡して態度を変える風見鶏は、心の底から軽蔑するね。 個人でも沢山いるね,こういう奴等が。
引用
日本経済新聞 電子版(日経電子版)
@nikkei
モス、ジャニーズとの契約一転継続せず 現行CMは変更 nikkei.com/article/DGXZQO
大人ですら感動を覚える程の勉学に対する真摯な姿勢。 来年の受験生、特に高校受験時にちょっといい結果を出したくらいで自惚れているような受験生は、難関大学受験というのはこういう青年と同じ土俵で戦う戦いなのだということを覚えておいて欲しい。 x.com/nekoguitar/sta
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授業を欠席することは森林伐採に似ている。森林面積の10%を伐採したら、生態系がズタズタになって森林全体が死滅するだろう。 授業を十回に一回欠席することが正にこれに当たる。それは1/10のロストを意味しない。知識の体系が寸断されて、学習効果は激減するだろう。
本番中にどうしても緊張してしまったら、パニックになりそうになったら、「パイロットの六割頭」この言葉を思い出しなさい。 六割の力しか出ないのが普通なのである。 周りのみんなも六割の頭で必死に戦っている。 それを思い出して、一度鉛筆を置き、深呼吸でもして、もう一度歩み出せ。頑張れよ。
この子は右のあんよが無いんですけど、元気に泳いでいました。幼い頃サメか何かに襲われて九死に一生を得た、なんていうドラマがあったのかも知れませんね。
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一度大笑いしちゃったのは、この「あそこ」、外から授業の様子が見えるんだけど、黒板の上にデカデカと 「熱意なき講師は去れ!」 って張り紙がしてあったの(笑)。 わかる?授業中に生徒から正面に見える位置にだぜ? すげー塾だなって思った。
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授業中に寝るというのは、紛れもなく「暴挙」である。皆これを軽く考えすぎである。 授業中に寝るという行為には、実に様々な病巣が顕現している。
去年と同じ事をやっていてもまた落ちるだけである。受かりたかったら根本的に「生き様」を変えろ。 その最も簡単な方法は「狂ったように勉強する」ことである。 そしてこれこそが、孫子の言う「勝於易勝者」ということになる。
「学歴は重要じゃない。性格こそが大事」 塾講師がこれを言うのは、スイミングスクールの先生が「やっぱ柔道も出来た方がいいよな」と言うのと同じでは。 まぁ間違いじゃないだろうけど、お前が言うことかよっていう。
本当に優秀な生徒は中学受験でもう勝ち抜けてしまっているため、高校受験には参戦しない。故に高校受験で好結果を収めたからといって、それは上位層がごっそりいなくなった「二軍の試合」でホームラン王になったというだけのことなのだ。
周りが受験から解放されて遊んでいる中、自分だけ勉強を続けるのは本当に辛いだろう。僕も経験者だからよく分かるよ。 前期試験が終わった時、正直僕は合格を確信したけれども、合格発表の三月十日まで後期の勉強をやり続けたよ。それは一年間、狂ったように勉強した自分へのけじめでもあった。
まぁ日本人は識字率は高いですけど、「識文率」は極めて低いですからねぇ…。
引用
こぐれ
@toshi_kogure
高島屋のケーキ監修シェフの件、「監修」って書いてあるのに「製造委託で自分のところで作ってないんかい!」とか「発送まで自分で責任持たなきゃ」とかツイートしてる人がたくさんいて。監修だって言ってんだろ?ってなってる。
やや大言させてもらうと、これは大学入試に限らず、人生全般に言えることである。「まぁこんなもんでいいか」という生き方をしてきた奴は、必ずどこかでその緩んだ鼻っ柱をへし折られるということである。
日テレには昔「ZIP!」という番組があって、そのマスコットが「ジッペイ」というサモエド犬で、この子、吠えないように声帯を切除され、車の中で熱中死させられ、挙げ句「ジッペイ、ありがとう」などと言いながらグッズまで販売してたからな。 こいつら人間じゃないんだよ。 #セクシー田中さん
相手に合わせてしまう受験生というのがいる。 問題が易しかったら解くスピードを緩めてしまうとか、 志望校がこれくらいのレベルだからこれくらいの勉強でいいや、とか。 強い相手と全力で戦うのは当たり前なのであって、弱い相手も全力で「皆殺し」にするという発想がないと、受験では勝てませんよ。
日本のために身を粉にして働いてこられた方ですからね、どうか助かって欲しい。
引用
Yahoo!ニュース
@YahooNewsTopics
【最新情報 安倍元首相が銃撃される】 news.yahoo.co.jp/pickup/6431902
「どうしても時間が無いんですけど○○やらなきゃ駄目ですか」という質問をよく受ける。 僕はその質問を聞いてあげられるし、相談にも乗ろう。 が、大学は君の事情を聞くことはないし、○○をやらなかったことによる「物理的結果」だけが残る。その時本当に後悔しないか胸に手を当ててよく考えるべきだ
私が絶対に守りたいものはただ一つ、どうしても憧れる大学に入りたい、そのために一生懸命頑張りたいと思っている生徒に、彼に相応しい「学びの空間」を提供することだけです。 それは、ただボケーっと座ってりゃ大人が口に餌を運んでくれると思い込んでいる子供の権利に優先すると思っています。
受験勉強の最初期において ①受験攻略本を読め ②赤本を解け 以上は100%、自分が受験生だった時の経験に基づいた発言である。 よく「自分が受験生だった時の経験で生徒指導するな。時代が違う」という意見を目にするが、僕はそれに賛成しない。
数学だけではない。僕はこの「和田式勉強法」を援用して、日本史・地理の論述もZ会旬報の解答丸暗記、さらには小論文ですら大量の問題の解答丸暗記で済ませた。 人間の言論にオリジナルなものなど殆ど無い。先人の言論のパクリの集積、それが我々凡人が「知」などと称しているものの実相だ。
「知者、知に溺れる」という言葉がある。自分の知力に自信がある者が己の知力に過剰な自信を持ち、結果失敗するという意味である。 要約ではこれが非常に多い。なまじ自分の国語力に自信がある生徒ほど、やる必要のない、無用なシャッフルをやりたがる傾向がある。
「多様化」というのは実は「均質化」なんですよ。言ってる意味伝わりますかね。 世界を旅してるとそれがよく分かる。 インターネットの出現で何処でも瞬時に情報が手に入るようになり、多元的な価値観が世界中に行き渡った。 その結果ローカルの個性は失われ、世界はどこに行っても同じになった。
やや別件の話になるが、僕が所謂「サヨク」を嫌うのは、その思想の内容故ではなくて、彼等が「オフェンス専門」だから。 彼等はどういうわけか、自分達には人を殴る権利が先験的にあると信じており、逆に批判されると強烈なアレルギー反応を示す。
古巣の予備校(Z会)の講師紹介パンフレットには、「推薦図書」という項目があった。他の先生方には申し訳ないが、僕は「『予備校講師に勧められて』なんてのは、読書の動機としては最低の部類」と書き捨てたものだ。
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同じ事が予備校のクラスでも言える。 暗~いクラスは相乗効果が全く期待できない。 各自がバラバラのペースで、バラバラの方向を向いて走っている。 マラソンと同じで、人間というのは、伴走者がいないとなかなかポテンシャルのMAXを発現できないのだ。
戦略が無意味だとは言わない。が、受験生に言いたいのは、それが勉強から逃げるための方便になっていないかということです。「合理的な勉強法」なんぞを考えてる時間が既に無駄で非合理的なんですよ。
駿台の創立が1918年、河合が1933年、代ゼミが1957年なんだそうな。 大学受験はほぼ研究され尽くし、合格に必要なメニューほぼ解明されていると思う。 成績が伸びないと悩んでいる生徒に言いたい。 目の前に合格への道標は既にあるのに、歩こうとしないのはお前自身ではないのか?と。

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