あの穢れた血事件から数週間が経ち、今年もハロウィンパーティーの季節になった。
事件以降、それとなくハーマイオニーの様子を窺ったりしたが意外にも彼女は持ち直しており心配は無さそうだった。
「まぁ、何かあったのは俺の方かもな…」
そう。あの事件でドラコを非難したこと、フリントを馬鹿にしたことが理由なのか俺はスリザリンで少しばかり浮いた存在となっていた。
とはいえ、それは上級生が殆どで同学年や下級生のスリザリン生とは上手くやれていた。やはりと言うべきか彼らはハーマイオニーを擁護したことが余程気に入らないようでささやかなものだが嫌がらせも受けるようになった。
「穢れた血ね……まさかドラコが言うなんて…」
「意外か?」
「いいえ。両親が極度のマグル嫌いだからそういった影響を受けるだろうとは思っていたけど、まさか最低な言葉を口にするほどなんてね」
対面に座るダフネが嫌悪をありありと表情にしながら口にする。ドラコの両親か……父親の方はダイアゴン横丁で取っ組み合いをしていたのを目にしているが母親の方は知らない。
「ダフネはドラコと幼い頃から付き合いがあるんだっけ?」
「えぇ。と言っても私だけじゃなくてカリアンもドラコと幼い頃から付き合いがあるわ」
そういえばマークは一年生の頃にコンパートメントでドラコと会ったときに旧知の仲のような感じだったなと思い出す。
「だから私達はドラコの親について知っているわ。あの二人は身内は凄く大切にするけどマグルに関しては徹底的に扱き下ろしているわね。典型的な純血主義者よ」
「そう、か……」
これまでのドラコとの付き合いで彼が両親のことを物凄く尊敬していることはよく知っていた。
だから両親の影響であんな言葉を口にしたのだろう。とは言え、穢れた血という言葉を口にしてはいけないことくらい知っていた筈だ。知っていながら口にしたのなら本当に馬鹿野郎としか言いようがない。
そんな風に考えながら辺りを見回すと、殆どの生徒が大広間を出てそれぞれの寮に戻っていく。
「パーティーも終わりか。そろそろ戻らなきゃな」
「そうね」
俺達も立ち上がり、大広間を出てスリザリン寮を目指す。
廊下を歩いていると何やら騒がしい声が聞こえてくる。それに二人して顔を見合わせ、騒がしさの原因の場所へと駆け出した。
目的の場所に到着すると、そこにはかなりの人混みが出来ており、何が何やら分からなくなっていた。
ふとその中に見知った顔を見つけ、後ろから声を掛けた。
「マーク、これなんの騒ぎだ?」
「あ、やぁリオン、ダフネ。二人はまだ見てないんだね。じゃ付いてきて」
そう言って人混みを掻き分けながら進んでいくマークに俺とダフネは困惑しながらも付いていく。
そうして人の波を掻き分け、開けた場所に出ると“それ”は目に飛び込んできた。
「なにこれ……」
ダフネが呆然と呟く。廊下の壁には赤い文字で“秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気を付けよ”と書かれていた。
描かれた文字を指でなぞると色が付着することはなく、どうやら壁に書かれてから時間が経っているようだ。
「これを最初に見つけたのは?」
「ハリーだよ。ロンやハーマイオニーも一緒に居てダンブルドア先生に連れていかれた」
「ダンブルドア先生に?」
もしこれが何でもないただの悪戯ならフィルチがすっ飛んできて事が済む筈だが……
「天井にミセス・ノリスが吊り上げられてたんだよ。まるで石化呪文でも食らったみたいに固まってね。それでフィルチがカンカンに怒っちゃって。そこにダンブルドア先生とマクゴナガル先生がやって来て三人を連れてったんだ」
「ミセス・ノリスが固まった?そんな質の悪い悪戯をハリー達がやるとは思えないけど……」
「そこにこの文さ。皆何かしらの事件が起きてるんじゃないかって騒いでたんだ」
「“秘密の部屋”……か」
赤いペンキで書かれた文字。血で塗られたようにも思えるそれを見つめながら“秘密の部屋”という単語に妙な胸騒ぎを覚えた。
ハロウィンの事件からしばらく。11月に入り寒さも本格化してきた今日この頃。
あの日以降、俺は図書館へ足を運び“秘密の部屋”に関する記述が無いかあらゆる本を漁っていた。
と言っても成果は著しくない。もしかしたら秘密の部屋自体が作り話という可能性もあるが、何故か胸の奥から“それは違う。秘密の部屋は存在する”という確信にも似た考えが浮かび続けていた。
「それで今日も調べてるのかい?」
積み上げていた本から一冊抜くのと同時、頭の上から声が掛かる。
顔を上げればそこに居たのは我が親友のマーク・カリアンだった。ボタンを最後まできっちり止めたカッターシャツに少し崩れた群青色のネクタイとローブを着た彼は、柔らかな笑みを浮かべながら俺の対面に座った。
「何か調べてるんだろうなぁとは思ってたけど、まさか秘密の部屋について調べてるなんて」
「何だよ、そんなに変か?」
そう聞くと、マークは首を横に振って「そうじゃないんだ」と言葉を続ける。
「あるかどうかも分からない幻を調べようとするなんて普段の君からすれば珍しいなぁってね」
「幻ね……確かにそうかもな。でも秘密の部屋は存在するっていう変な確信があるんだよ。言ってしまえば勘かな?」
「リオンの勘は馬鹿に出来ないからね」
そうやって笑うマークは「それじゃあ僕も情報を渡そうか」と真剣な目になって俺を見る。
「情報?」
「と言ってもホグワーツの歴史で学べるような簡単な物でしかないけどね」
「少し長くなるよ」と前置きして、マークは語り出した。
「秘密の部屋──それはホグワーツ創始者四人の内の一人、サラザール・スリザリンがホグワーツを去る際に遺した物と言われている。いつか自分の後継者が現れたとき、愚かなマグル生まれを一掃できるようにスリザリンの怪物と一緒にね。そして今回の事件。“秘密の部屋は開かれたり。”つまりはスリザリンの怪物が動き出したってことなんじゃないかな?僕の予想だけどね」
「ははー、流石はかつて王室直属でもあったカリアン家のご子息。博識でいらっしゃいますな」
「茶化さないでよ──リオン。もし君がまだ秘密の部屋について調べるつもりなら気を付けた方がいい。何かキナ臭い気がしてならない」
真剣な眼差しで忠告してくるマークに頷きを返す。確かに聞いた感じとんでもなくヤバそうな事件だと肌で感じることが出来た。
◆ ◆ ◆
「──そんな訳で、話があるんだ父さん」
「何が“そんな訳”なのかは知らないけど、まぁ座りなさい」
次の日。俺はホグワーツで父さん用に宛がわれた部屋を訪れていた。父さんは突然やって来た俺に目を丸くしたものの、俺を通して用意した椅子に座らせた。
「それで、何の用だ?」
「“秘密の部屋”について知ってることがあれば教えてほしいんだ」
それを聞いた父さんは一瞬だけ顔を険しくさせたものの「あれは単なる作り話だ。気にすることじゃないさ」と質問をかわそうとした。
「確かに秘密の部屋があるかどうかは定かじゃない。だけど、只の作り話だとしたらあまりにも長い間噂になり続けている。それには何かしらの理由があるんじゃないかって考えてるんだけど……どう?」
「もし秘密の部屋が実在するとして、お前はどうするつもりだ?」
「どうもしないさ。もし本当にあるのなら父さん達が何とかするだろ?」
「そこは丸投げかぁ……」
重苦しく息を吐いた父さんは、「これはあまり知られてはいないことだけど…」と前置きして語り始めた。
「秘密の部屋は実在する……と私は考えてる。多くの人は作り話だと取り合わないだろうけどね」
「どうして信じてるの?」
「そりゃあ五十年前に一度開かれたからさ。ある一人の生徒によってね」
その事実に思わず身を乗り出す。開かれた──開かれただって?生徒の手で?
「い、一体誰が……」
「とはいえその開いたと噂される人物は冤罪だったわけだけどね。ともかく当時犯人として扱われたのがルビウス・ハグリッド。禁じられた森の番人さ」
「ハグリッドが?」
思わず気の抜けた声を出してしまう。余りにも的外れな答えな気がしたからだ。
こう言ってはなんだが、ハグリッドがこんなまどろっこしいやり方を行えるとは思えないし、そんなことをする人物では無いと思う。そもそもそんなやり方をするくらいなら彼の得意な魔法生物にでも行わせるだろう──魔法生物?
「まさかハグリッドが疑われたのって──」
「……当時のハグリッドは極めて危険な魔法生物をホグワーツで飼っていた。ハグリッドを告発した生徒の証言もあってハグリッドは僅かな間だがアズカバン送りとなった。当初はハグリッドとその魔法生物こそがスリザリンの後継者と怪物だと思われた。だが時が経ち、本当の犯人が誰なのかを否が応でも思い知ることになった。秘密の部屋を開き、女子生徒一人を死に至らしめ、ハグリッドに冤罪を着せた人物こそ──“例のあの人”だ」
思わず、背筋が凍った。当たり前と言えば当たり前だがヴォルデモ──例のあの人もホグワーツに通っていた時期がある筈なのだ。
そして後世での悪行の数々を考えればこの考えに至るのも納得がいった。
「……まぁこんなところかな。当時の犯人は分かったが今回は謎だ。一体どのようにして開かれ、誰がやったのか皆目見当もつかない」
「本当に? 本当に見当がついてないの?」
「あぁ。流石の私でもお手上げだ──さぁそろそろ寮に戻って寝なさい。明日も早いぞ?」
「えっ…?げ、もうこんな時間かよ!?じゃ、じゃあ父さんまた明日!!」
俺はそう言って大急ぎで部屋を出ると、ミセス・ノリスが石にされて気が立っているフィルチや先生達に見つからないよう気を付けながら急いで寮に戻った。
慌ただしく部屋を出ていった息子を見送り、懐から数枚の手紙を取り出す。
手紙には“リオンが自分の部屋を訪れ秘密の部屋について聞きに来る”という内容が書かれていた。
「全く……どこまで“視えている”のやら……我が父ながら本当に恐ろしいよ」
懐かしい父の顔を思い返しつつ、手紙を懐に仕舞うとすっかり冷めきった紅茶を飲み干す。
「父さん……父さんは奴の事を今でも友達と言えるの?多くの人を手にかけ、殺すことを愉しむような奴をまだ信じていられるのか?」
返ってくることはないと理解しながらも問わずにはいられなかった。笑みさえ浮かべてとても安らかな表情で死んだ両親。自分は、そんな穏やかな表情で逝けるだろうかと深く思いを馳せた。