「問題となっているツイートについて、一部が切り取られた形で拡散されており、誤った認識を招く内容となっている。……決して日本人全体に発言した訳ではありません。……実際の動画はもっと長く、その中では日本人に対する感謝などもしっかりと述べております。」とのご釈明があったようですが、
この方へのインタビューがWeChat 動画アカウント「老王日本故事汇」に3日前に投稿された動画のフル版(03:24)をここに貼り、この方のご発言を切り取らずに逐一全部和訳いたします。
「中国人を見下してるんだよ。お前らの食べ物なんてちっとも欲しくない。いつかきっとお前ら日本人に俺の店で皿洗いをさせてやる。
上海から来たんだけどまあ実際は浙江省出身で先祖は寧波だ。
1988年に留学しに来た貧乏学生だった。当時中国はまだ改革開放しておらず貧しくてね、6000円の所持金それも借りてきたお金とお米一袋のみで日本に来てね、バス降りたらびっくり。プラカードを手に迎えに来てくれた学校の人が、悪いがうちの学校は寮がいっぱいで住むところ提供できないのでご自分で探してと言われた。どうしようと困ったわけ。とりあえず中央公園という浮浪者が住んでいるところに行けばと言われた。そこに行って隣の日本人のおっちゃんは言葉がわからなくても近くに廃棄された食べ物の置き場があると教えてくれた、三ヶ月も食べたよ。
一番しんどいバイトはマグロの解体だった。マイナス40℃のところで切りまくる。血だらけだった。学校も行き11時半頃まで授業でそしてバイト。
最初は日本語がわからなくてバイトも見つからず仕方なく工事現場で働いた。朝4時決まった場所に行き、選ばれるのを待つ。選ばれたらついて行くけど選ばれなかったら無駄足なわけ。空きっ腹でお家に帰り、夜は飲食店でお皿洗い。一日四つバイトを掛け持ちしたこともある。睡眠時間は二、三時間。
当時日本人は中国人を見下してる。中国は何もないと陰口いうし。中国にも醤油あるの?豆腐あるの?と聞かれてね醤油も豆腐も中国人が発明したもんだよ、そうだろ。聞いてて不快だよな。みんなで美味しいものを一緒に食うとき俺だけが別のところでご飯に醤油をかけて食べてたよ。お前らの食うもの食ってやらねえよ。俺にはプライドがあるからね。お前ら日本人には絶対負けないぞ。
当時の中国人留学生に関する報道はネガティブなニュースばかり。日本人にとって中国人は犯罪や不法入国ばかりでいいイメージなかったよな。だから俺決心したんだ。いつかいい店を作って、お前ら日本人にお皿洗いさせてやるんだと。そして1995年赤坂に店を構えるようになった。
本物の四川料理を最初に日本に出したのはすなわち俺の『陳家私菜』だったよ。
毎年の紅白歌合戦もうちの店で打ち上げパーティをやるんだよ、カーテンをしっかり閉めるのだ、芸能人だからね、外から見られないように。これもヒットのきっかけだったな。
それから中国大使館。うちの店に車を寄越して、出来上がった料理を運んで行くんだよ。毒入ってないか厳しいチェック受けて。
テレビもよく取り上げてくれて。今の日本の若者は辛い物に興味が増えて。今は7店舗で従業員100名に近い。売り上げは月●●●●くらい。
中国からスタッフを招へいする際のビザ申請手続き、うちの店は入国管理局から見て信用度トップだ。うちの店員は永住者が多い。お皿洗いも永住ビザ持ってる。うちが出した書類を入国管理局が一目で陳家私菜と見ればすぐ許可を出すのだ。
今年は更に2店舗増やす予定。銀座と東京駅でね。向こうから声をかけてきたのだった。日本の大手企業もたくさん会いにきて上場を勧めてくれてる。何百億何千億でね。でも断った。中華飲食文化の真髄を守り続けていきたいだけだ。
犯罪や不法入国などネガティヴ報道ばかりでね。でも日本人には負けないぞ、お前ら日本人に皿洗いさせてやるからね。」
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