寛和(かんな)2年(986)、一条天皇が即位。そのきっかけとなったのが花山天皇を欺き、出家させたとされる藤原道兼です。
道兼は、一条天皇の即位行事、石清水八幡宮の行幸を取りしきり、左大臣・右大臣に相当する従二位(じゅにい)に出世。即位に合わせた行幸は、のちに恒例になったと『石清水八幡宮史』に記録されています。
道兼は、東山の麓、かつて粟田(あわた)と呼ばれた地に山荘を構えたことから、粟田殿と呼ばれました。
山荘では、歌会を開くなど多くの歌人たちと交流していたといわれています。
『栄花物語』には、屋敷の様子や障子に描かれた絵を題材に歌を作らせ、競わせた様子が語られています。
権力闘争渦巻く時代の中、和歌に傾倒していった道兼。
七日関白とも呼ばれ、その短い一生を終えたのです。
◆◇今回訪れたところ◇◆
~京都府八幡市・京都市~
≪石清水八幡宮≫
京阪電鉄「石清水八幡宮」からケーブル「ケーブル八幡宮山上」下車、徒歩5分
≪粟田口≫
市営地下鉄「東山」下車、徒歩4分