この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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四話目。


盤石と破綻

 彼女が示唆した『ザ・クィブラー』の記事が出たのは、二月も末になる頃だった。

 

 案外早かった。そういうべきなのかもしれない。

 

 アズカバン脱獄で決心したという言葉から察するに、ハーマイオニーが計画を始動させたのは新年以降だった筈である。そして如何に零細の雑誌とは言え、出版行為はそう迅速に出来るものでも無かろう。

 しかし、たった一ヶ月強でハリー・ポッターのインタビューは世に公開された。この速さを見るに、案外ゼノフィリウス・ラブグッドも魔法界の未来を憂う一人であるのかもしれない。

 

 ……まあ、その予想は大穴であり、単に予定通りに紙面が埋まらず仕方なくハリー・ポッターの記事で埋めた可能性の方が本命なのだが。『ザ・クィブラー』への寄稿者が締切を守りそうにない人種だというのは、半年程購読していれば察せられるものなのだから。そもそも締切という規定が在るかどうかすら怪しい。

 

 ハリー・ポッターの記事は……内容的には然程目新しい物はなかった。

 

 重要部分は校長から聞いているし、初耳の内容の中で特段引っ掛かった箇所も無い。敢えて言うのならば、その記事の執筆者としてリータ・スキーターの署名が有った事くらいか。去年の『週刊魔女』で酷い目に遭ったのはハーマイオニーも同様だろうに、良くもまたそんな人選をしたものだ。

 

 もっとも、悪い手だとは思わない。

 彼女は或る意味ハリー・ポッターよりも有名で、記事についての注目度を上げ、かつ内容に一定の信憑性を持たせるには恰好の人間と言える。何より素晴らしいのは、この記事に激怒した死喰い人に殺されても全く良心が痛まないという点だ。

 

 まあ、ハーマイオニーに後半の意図が存在していたかは兎も角、流石のリータ・スキーターであっても、今回の記事を書く危険には気付いていただろう。

 彼女が非合法の動物擬き(アニメ―ガス)である事は、去年を見る限りルシウス・マルフォイ氏──ひいては闇の帝王も知っている。命が狙われた場合に逃げ切れる保証はなく、しかしながら、彼女は今回の執筆依頼を受けた。そう考えると、あのゴシップ記者もまた、僕が思っていたよりも気骨がある人間だったという事なのかもしれない。

 

 記事も悪いものではない……どころか良く出来過ぎていて、はっきり言えば、素人の寄稿記事ばかりが載る『ザ・クィブラー』の中では浮いていた。ハーマイオニー自身が執筆しても何も変わらないだろうと思っていたが、こうして記事を見せられるとやはり本職は違うものだなと感心させられるものだ。

 

 ただ、僕にとってはその程度の感想で有っても、他の人間には違うらしい。

 特に親が死喰い人であると名指しされた者に対しては大いに動揺を齎したようだ。

 

 『ザ・クィブラー』が発刊された翌日──ドローレス・アンブリッジがハリー・ポッターから雑誌を没収したらしい日の午前中は、ドラコ・マルフォイは騒ぎの理由について知らなかったようで、自分を見た人間達がひそひそ話をする光景を不思議がっていた。

 しかし何処かの時点で、そして恐らくドローレス・アンブリッジ経由で情報を得たらしい。放課後まで待つ事もまた出来なかったようである。彼は休み時間に僕を空き教室へと引っ張り込み、乱暴に椅子へと押し付けた後、怒りで声を張り上げた。

 

「スティーブン! 君は一体何を考えている!」

 

 椅子に座り直す僕を他所に、彼は勇ましく気炎を上げていた。

 

「君はあの事を()()知っていたんだろう……! そもそもあの雑誌を君が購読していたというのは僕も知っているんだぞ! 当然君はポッターのインタビュー記事も目にしている筈で、何故僕に言わなかった!」

 

 激しい怒りと猜疑心を隠さない彼の反応は聊かも僕に衝撃を与えなかったが、唯一、『ザ・クィブラー』を購読しているという指摘には少し驚いた。

 

「僕がそこまで君の行動に注意を払っているとは思わなかった。そう思ってる顔だな?」

「……まあ、そうだな」

「君は変な所で大馬鹿野郎だ! 君のような人間があんな雑誌を読んで居るのを無視しろというのが無理な話だろう! もっとも、君が奇行に走るのはロックハートの時からだから、今まで余り気にもしていなかったがな……!」

 

 その割には各方面から頭を心配されたギルデロイ・ロックハートの時と違い、今年は誰からも指摘されなかったように思えるが。

 

 ……まさか、あのイカレた雑誌を読んでいても何ら不思議ではない人間だと広く認識されているのだろうか。万一『ザ・クィブラー』の標準的読者と同一視されているとすれば、割とショックな話ではある。

 

 しかし、ドラコ・マルフォイには僕の内心の衝撃はどうでも良いらしい。

 まあ僕が彼の立場でも同じ事を思った筈で――けれども、仮に僕がドラコ・マルフォイであったとすれば、このような無様を晒すまい。

 

「とにかく、ポッターがインタビューを受けたんだ。僕達としても対応を──」

「――それは良いが、一体何をすると言うんだ?」

 

 膝の上で指組みをしながら紡いだ僕の疑問に、ドラコ・マルフォイは言葉を喪ったようだった。嫌味でも何でもなく、僕が想像しえない行動を思い付いているのなら是非聞かせて貰いたかったのだが、どうやらそういう訳では無いらしい。

 

「『ザ・クィブラー』が出版された事は、昨日の時点でルシウス・マルフォイ氏に警告を送っている。事が事だからスネイプ寮監の所にも報告は行った。何も自慢にならんが、アレを闇の陣営に伝えた人間としては誰よりも早かっただろう。そしてルシウス・マルフォイ氏に伝われば、更に〝上〟にも伝わっている」

「……父上は、何と?」

「君はふくろう便を送らなかったのか?」

 

 素朴な疑問に、ドラコ・マルフォイは顔を背けた。

 

「……今の状況で送れる訳がないだろう」

「個人的にはそこまで警戒する意味も無いと思うが、まあ間違いとは言えんか。僕も一応、あの家の屋敷しもべ以外に読み取れないよう暗号化したしな。仮に何も知らない人間が見ても、単なる進路相談にしか読めなかっただろう」

 

 警戒心を持っておくのは良い事だ。

 あの校長は好んで検閲をしたがらない人間ではあるが、しかし必要とあればやれる人間でもある。彼の懸念は理解出来るし、正しい。

 

「君の質問に答えるならば、全く何も無かった」

 

 ルシウス・マルフォイ氏は反応を示さなかった。

 

「まあ表向きの質問……進路相談に対する回答は有ったが、それだけだ。嗚呼、君共々O.W.L.試験での良い報告を聞ける事を楽しみにしているとは添えられていたか。しかし『ザ・クィブラー』に関する言及は返って来なかった」

「……っ。そんな馬鹿な事が有る筈がない! 何かの間違いで――」

「――その意図は明らかだ。要するに、放置していて構わないという事だよ」

 

 僕は返答がない程度で無視されたとか、自身を軽んじられたと思う人間でない。そんな事はルシウス・マルフォイ氏も察しているだろう。仮に彼がそうでなかろうと、ナルシッサ・マルフォイ夫人が把握している筈である。

 

 その上で返答をしないという事は、それ自体が答えである。

 

「……君の警告を見落としたという可能性は無いのか」

「その言葉は、ルシウス・マルフォイ氏への侮辱に片足を突っ込んでいると思うがな」

 

 余程平常心を喪っているのか、非常に見当外れの言葉に思わず笑ってしまう。

 

「半純血風情が無礼な真似をする──君の父親は、そんな風に考える人間では無い。君を経由せず手紙を送るという事自体にメッセージ性を見出し、内容に眼を通す程度はしてくれる。その位には道理を理解される方だ。万一の場合でもスネイプ寮監が居る。伝わらないなど有り得ない」

 

 スネイプ教授も非常に不愉快そうな表情を浮かべていたが、それだけだ。

 全く問題にならないというのは言い過ぎだが、大人達にとっては『ザ・クィブラー』の記事が出た事は大した問題でも無い。

 

「そもそもハリー・ポッターが〝嘘〟を言い触らすのは今更だ。彼は闇の帝王の復活を去年度末から主張している。その嘘を補強する作り話が今更語られた所で一体何の問題が有る? 『ザ・クィブラー』の読者として言うが、あの雑誌は元々正気ではない。正気を喪った者が書く雑誌に、正気を喪った者のインタビューが載る――果たして、どれだけの者が信じるやら」

「……でも、今のホグワーツの雰囲気は」

「気にする必要は無い。何となく魔法省を信じていた者達が、何となくハリー・ポッターを信じるようになっただけだ。自分の頭で考えず周りに流されるああいう人間達はな、ハリー・ポッターの形勢が悪くなれば再度掌を返す。選挙をやっているのではないのだから、校内支持率に価値などない」

 

 ハリー・ポッター個人へ忠誠を誓える者など、彼の親友二人を除けば一人も居ない。

 少なくとも、今の所は。

 

「そもそも、インタビューにより状況が変わった訳ではない。アズカバンの大量脱獄事件を受け、闇の帝王の復活が真剣味をもって受け取られ始める事は解っていた。闇の帝王はその反応を全く気にも留めていないだろうという事もな」

「…………」

「世間が〝真実〟を信じなかったのは、単純に平和が続いていたからだ。シリウス・ブラックの脱獄もハリー・ポッターが復活を宣言する前の事だしな。それ以降に不審死が目に見えて増える事はなかった──第一次魔法戦争と同じ事は起こらなかったから、だから多くの人間は信じなかった。しかし更にアズカバンが破られれば、それも逃げた囚人が間違いなく死喰い人と呼べる人間ばかりならば、見方が変わるのは必然だ」

 

 ハリー・ポッターの証言は後押し程度にしかならない。

 闇の帝王の復活が信じられ始めるのも、過去に元死喰い人の疑惑を掛けられた人間の子供への視線が冷たくなるのも時間の問題だった。

 

「……じゃあ何で、あの方が気に留めていないと思う?」

「今回のアズカバン脱獄。闇の帝王は隠蔽出来なかったと思うか?」

 

 事件が報道された。

 その意味を、ドラコ・マルフォイは考えるべきである。

 

「コーネリウス・ファッジは現状闇の帝王に利する行動を取っており、彼にとっては二年後に再選されるかどうかこそが最大の関心事だ。闇祓いや魔法法執行部隊にしても、シリウス・ブラックを野放しにしたままの無能さを丸三年叩かれ続けているから、市民からの信頼を更に低下させる事態は歓迎しない。ルシウス・マルフォイ氏達にとっては言わずもがなだ」

「…………」

「既に魔法省は腐敗し切っている──アルバス・ダンブルドアが少なからずそう仕向けたのだが。だから誰にとっても〝事件〟なんぞ無い方が良かったのだ」

 

 〝穏便〟な脱獄方法は、バーテミウス・クラウチ氏が息子を用いて実践してくれた。

 コーネリウス・ファッジの権力を用いて何とか闇の手勢を一人アズカバンの監視に捻じ込めれば、後は簡単にそして秘密裡に、死喰い人達は脱獄を遂げられただろう。

 何れ発覚するにしても、今回のように即座に発覚する事は無かった。

 

「……なら、何でファッジは隠蔽しなかったんだ」

「報道規制が為されているから推測になるが、まあ少なくない人間が死んだんだろう」

「…………」

 

 吸魂鬼に警備を全て任せている訳はないだろうし、そもそも囚人には食事が必要だ。アズカバンに常駐していたかは別として、あの拷問施設の運営に生きた人間の手は欠かせない。

 

「死人を隠すにも限度が有る。死体が綺麗でない可能性もあるしな。遺族は死の理由を知りたがる筈であり、犠牲者の同僚達が何処まで緘口令に従うかどうかも解らない。アズカバン絡みの死人である以上、犠牲者は闇祓い、魔法法執行部隊、ないしはその関係者ばかりの筈だからな。公表を巡っては魔法法執行部で意見が割れたに違いなく、最終的には、後に何処からか告発されるよりはマシだと公表に踏み切ったんだろう」

「……でも、その話だとファッジは公表に抵抗するんじゃないか」

「彼が命令権を持っていようと実際に働くのは現場の人間だ。闇祓いや魔法法執行部隊、暴力装置である彼等に反抗されては堪らない。それだけ今のコーネリウス・ファッジの指導力が低下しているとも言える」

 

 まあ、脱獄以前の時点でコーネリウス・ファッジに再選の目は既に無かったのだろう。

 シリウス・ブラックを早期に見付けるよう、コーネリウス・ファッジが闇祓い達を()()()()()光景は容易に想像出来る。彼等が酷く不満を溜め込んだのは間違いなく、〝叛逆〟が起こるのもまた時間の問題だった。

 

「そして、何故多くの死人が出たか。言い替えると、何故闇の帝王が〝穏便〟な脱獄を選択しなかったか。難しい事では無い。単純に、かつての配下がより早く戻ってくる事に重きを置いた。少なくとも闇の帝王にとって、自身の復活の信憑性が多少強まろうと何も問題無いという事だろうさ」

 

 個人的には悪手だと思うが、帝王には帝王なりの考えが有るのだろう。

 そもそも僕に異論を差し挟む権利は無い。彼が決めた以上、それが正しい。

 

「ともあれ〝上〟は問題視などしていない。であれば、僕達が気にする事ではない」

 

 そして、動く必要も無い。

 

「心配ならスネイプ寮監の下に相談に行くと良い」

 

 段々と落ち着いて来た様子のドラコ・マルフォイに、今後の目的意識を与えてやる。

 

「どうせ君のその様子では行っていないんだろう? まあ、言われる内容も目に見えているが。気にせずO.W.L.の勉強をしろとか、そんな所だ。ただ、僕から同じ内容を言われるよりも安心は出来るだろう」

「……っ!? で、でもスネイプ先生は──」

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 半ば自棄のように紡がれかけた反論を、最後まで言わせず切り伏せる。

 

「ハリー・ポッターにそんなつもりは無かっただろう。しかし馬鹿な読者は、アレに名が挙がっていない人間なら信じられると読んでしまうのだ。闇の帝王の復活に際して馳せ参じなかった以上、セブルス・スネイプ寮監は間違いなく死喰い人ではない──そんな風にな」

 

 騎士団員の一部も同様に考える事は有り得よう。

 ましてホグワーツ教授達。特に騎士団の事情を推察出来る立場にない人間達は、今回の一件でスネイプ教授を完全に信用したかもしれない。

 

「寮監も今頃……そして放課後も苦労するかもしれん。あの記事を見て、光の陣営に付きたいと思うスリザリン生が彼に近付こうとする事は大いに有り得る。けれども君も知る通り、あの寮監にはそれを受け容れる自由なんぞ存在しない」

 

 スネイプ教授は死喰い人だ。

 公然とスリザリンを裏切る生徒を見付けてしまえば、最悪の場合、闇の帝王に報告せねばならなくなる。であれば最初から見付けない方が良い。ドラコ・マルフォイの〝相談〟は渡りに船となるだろうし、彼の立場を改めて明らかにする事にも繋がるだろう。

 

 そして俯いてしまったドラコ・マルフォイに、一つ独白を落とす。

 

「――まあな、現状について、多少の責任を感じる所は有るのだ」

 

 瞬間、彼は跳ねるように顔を上げた。

 彼の表情からは、どういう訳か強い疲労を感じているように読み取れた。

 

「……君に責任感が有るとは意外だな」

「心外だな。少しは有るとも」

 

 ハーマイオニーの行動だから──本来スリザリン生では得られない筈の情報に基づくような対処はすべきではないから、今回ばかりは何もしなかった。

 しかし、こうなる事を知っていた身として、また『ザ・クィブラー』の内容を広めるのに加担してしまった身として、全く何も思わない訳ではない。

 

 教育令が雑誌の所持を禁じた時点において、生徒の手許に在った『ザ・クィブラー』は恐らく二冊。ルーナ・ラブグッドが持っていた物と、校内唯一の購読者である僕が持っていた物。そして僕の持っていた物は、昼休み中ルーナ・ラブグッドが半ば無理やりに回収して行った。傍に死喰い人関係者が居る相手に恐喝を敢行するとはまったくもって良い度胸である。そして、その二冊が何処に行ったかは、校内の噂話を聞くに明らかである。

 

 しかも「禁制品の対象は『ザ・クィブラー』である以上、ハリー・ポッターのインタビューのみ切り抜けば良いのではないか?」と言ってしまったのがいけなかった。

 

 その僕の指摘は、雑誌を切り刻む事を好まなかった彼女に二つの発想を与えた。

 裁断を防ぐ為には隠蔽呪文を使えば良いというのが一つ。そして『ザ・クィブラー』の注文書を配り歩くのは教育令に反しないというのが一つ。

 

 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に置かれているとも思えないアレの存在は、今日でホグワーツの保護者の大半に知れ渡った事だろう。遅かれ早かれ知れ渡ってしまう事だった、そして読んでも内容を信じるかどうかは別だとはいえ、周知されるまでの時間を早めた責任は感じている。

 

「ハリー・ポッターの主張を信じる者──闇の帝王の復活を信用する者が増えるのは織り込み済みだった。とはいえ、今回ばかりは燃え上がりだな。だからスリザリンが過度に不利な立場に置かれるならば、アルバス・ダンブルドア校長を巻き込んで何かやろうとは考えていた」

「……何故、そこでダンブルドアを持ち出す?」

「持ち出さない理由が逆に有るか?」

 

 校内で今最も注目を浴びている者。

 それはハリー・ポッターでは決してない。

 今世紀で最も偉大な魔法使い──ゲラート・グリンデルバルトを討ち破り、前戦争でも不死鳥の騎士団を率いて闇の帝王と戦った人間である。

 

「ハリー・ポッターの路線と校長の路線、それらが一致しているのは去年度末から明らか。そしてアルバス・ダンブルドアはハリー・ポッターの上役、不死鳥の騎士団長だ。監督責任を問うのは必然で、だから彼の感想を聞いてやるのも不自然でもない。生徒の大半が気になっている事を代わりに質問してやる事になるが、まあそれ位は良いだろう」

「…………『ザ・クィブラー』は禁止されている」

「禁止されたのはあくまで所持だ。読む事は禁止されていない」

 

 記事の知識を有している事は、当人が過去に『ザ・クィブラー』を所持していた事を間接的に推認はさせるものの、その事実を確実に証明する証拠では決してない。

 例えば、他人が持っていた物を見せて貰っただけ、或いは噂で聞いただけという言い訳が普通に想定し得るからだ。この場合は当然ながら教育令第二十七号に反しない。

 

「何より、その高等尋問官令の発効は今日の昼前だ。『ザ・クィブラー』の購読者である僕が、それまでにハリー・ポッターの記事を読んでいようと何ら不思議でもないだろう?」

 

 法を遡及適用する程、あの高等尋問官殿も野蛮ではないだろう。

 そもそも彼女に余計な口を挟ませるつもりもない。

 

「故に、僕は今日、君が思うよりも遥かに注意深く校内を観察していたとも。グリフィンドールが果たして何処までやる気が有るのかと。彼等が聖戦の為の軍を立ち上げ、血を見る事を覚悟してホグワーツの〝膿〟を出そうとするつもりなら、スネイプ寮監が何と言っていようと正当防衛として()()つもりだったが――」

 

 指を組んだ両手を膝に当て、抱え込む。

 

「――グリフィンドールは、呑気なハリー・ポッターは、自身の大嘘吐きという評価が払拭され、己の支持者が増えた事で満足を覚えている」

 

 ハリー・ポッターの〝攻撃〟は既に終わっており、スリザリン生の迫害行動に移る気は更々持っていなかった。精々ドラコ・マルフォイ達の動揺を良い気味だと思う位で、色々と考えていたこちらが拍子抜けする程の平和主義者振りだった。

 

「つまるところ、ハリー・ポッターの眼にはスリザリン生など映っていないのだろうな」

「…………」

「まあ正しい認識では有る。彼と異なり、僕達が戦争に与える影響なんぞ皆無だ。あの『ザ・クィブラー』に対して行動する自由は闇の帝王から与えられておらず、ホグワーツに騒動を起こしたとしても、闇の帝王の助力無しには軽々と鎮圧されるだけ。彼が敵と看做すのは唯一闇の帝王であり、一応死喰い人が考慮に入る程度で、しかし校内のスリザリン生は違う」

 

 何よりハリー・ポッターは、非の打ち所がなく〝善〟の側なのだろう。

 彼の信条の下では、何も──というには、スリザリン生は多くの悪事をやっているが──兎に角、大きな罪を犯していない人間を裁くのは許されないのだ。ダーズリー家で虐待されていた割に真っ当な倫理感を持っているのは、やはりアレもまた異常とも呼べる。あの校長が大切に想う筈だ。

 

「他の生徒はどうかというと、ハリー・ポッターにやる気が無い以上、彼の意向を無視して行動する気も無いようだ。一ヶ月半もすればイースター休暇。その後は五年生であればO.W.L.、七年生であればN.E.W.T.。他の人間でも期末試験。今回の記事など直ぐに頭の片隅に追いやってくれるとも」

 

 闇の帝王が君臨したのは既に十四年前の事になる。

 当時の恐怖を直接知る者は最早生徒の中に残っていない。またシリウス・ブラック侵入時の恐怖にしても、彼がやった事と言えばたかだか肖像画を切り裂くだけだった。要するに、今のホグワーツにおいて、死の危機を切迫したモノとして捉えている生徒は皆無だという事らしい。

 

 ルビウス・ハグリッドも大いなる学びを残してくれたものだ。

 セストラルを見られない者達は、自分の死もまた思い描く事は出来ない。

 

「そして教授陣とアルバス・ダンブルドア校長。これらは言わずもがなだ。今年度が始まって以来の方針を動かす気は無いらしい。彼等も善であり――まあ、親の罪は子の罪であると、そのような考え方はしない。君達が大人しくしている限りは、内心はどうあれ教授陣は君達の味方をしてくれる。これは賭けても良い」

 

 教育令第二十七号を馬鹿げていると一蹴したものの、アレが出て唯一良い事があるとすれば、それはハリー・ポッターの〝真実〟を理由にスリザリンを迫害出来ないという事だ。

 他三寮は僕達に対して()()()()()()()()虐めしか出来ず、それはスネイプ教授のみならず、他の教授が眼を光らせ、場合によっては介入してくれるだろう。これは良く有る嫌がらせで済むものではなく、一度過激化してしまえば血を見る恐れがあるからだ。

 

 何より教授達は第一次魔法戦争の経験者である。

 だからこそ強く思っている事だろう。かつてのように不愉快なモノをホグワーツ内で見る羽目になるのは、絶対に御免だと。

 

「兎に角、君が――君達が、か。今考えている程に酷い事にはならんよ」

 

 木に吊るされたスリザリン生の死体を発見するような事は起こるまい。

 

 そう紡いで言葉を締め括る。

 

 安心させるつもりでそう言ったのだが、ドラコ・マルフォイの青白い顔は一段と蒼白になったように見える。そしてその後二十秒ばかりの時間を掛けて発されたのは、思わず失笑せざるを得ない問いだった。

 

「……あの記事について君はどう思った?」

「随分と抽象的な問いだな」

 

 相変わらず、質問に際してドラコ・マルフォイは視線を合わせない。

 

「回答をしたいのはやまやまだが、君が一体何を聞きたいのか解らない」

「……アレが本当に起こった事だと思うかという意味だ」

「成程、内容の真実性の話か」

 

 もっともな話でもあると頷く。

 

 恐らくドラコ・マルフォイ達にとっても、あの記事は初耳の事ばかりだっただろう。

 如何に息子が相手とは言っても、アレは闇の帝王、そして自分達の失態についての話なのだ。ルシウス・マルフォイ氏らの口は重かったに違いない。故に内容を真実か測りかねているという点においては、彼等も他のホグワーツ生と何ら変わりない。

 

「と言っても、君の心は決まっているように見える。そもそも話の核心部、つまり闇の帝王の復活については事実であり、周辺事実が正確かどうかを問う意味など余りない。だから僕の感想を聞く必要性も欠片も無いように思えるのだが──」

「御託は良いから答えろ。……嘘も吐くなよ。僕は君の主人だ」

「──そうか」

 

 漸く合わせてくれた瞳には覚悟の色が有った。

 それならば構わない。僕もまた、同種の覚悟を持って答えよう。

 

「君も知っての通り、ハリー・ポッターに眼に見えて解りやすい特別性など無い。魔法力や杖腕は優秀止まり。知性や発想力も凡庸。戦闘経験も豊富とは言えない。殺し合いの実力という点において、彼は闇の帝王どころか、死喰い人の誰にも遠く及んでいまい」

 

 真正面から戦えば必ず勝てる。

 

 合理的に考えれば、まず間違いなくその筈で。

 

「それでも、去年度末。復活した闇の帝王と、数多くの死喰い人達による包囲。どう考えても絶対絶命の筈の状況下において、しかし彼は生きた人間の力を借りる事もなく、殆ど独力で逃げおおせて見せた。それは間違いなく真実なのだろう」

「────」

「同じ事は出来んよ。君にも、勿論僕にも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドローレス・アンブリッジ。

 闇の帝王と偶々向いている方向が同じなだけの、単なる魔法省の一役人。

 

 両陣営の指導者から〝駒〟としての価値を認められていない彼女は、或る意味、今のホグワーツ内で最も自由な人間と言って良かった。……もっとも彼女自身は嬉しく思っていまい。そんな事に気付いていない以前に、誰よりも己の不甲斐なさや無力さ、世のままならなさを強く実感していたのは、間違いなく彼女自身だったであろうから。

 

 無能な占い学教授の一件など特に強く実感した事だろう。

 

 シビル・トレローニーにクビを宣告した際、ドローレス・アンブリッジは勝利を確信していたものの、しかし校長が有する施設管理権によって追放を阻まれた。また教育令が侵せなかった教授任命権の下、彼女が嫌う半獣であるケンタウロスが占い学教授となってしまった。

 

 少しでも頭を回す事が出来たなら、あの展開は見えていた。

 

 教育令がホグワーツ校長の聖域を侵せなかった事は学期当初の時点で既に指摘していたし――何より彼女が追放しようとしたのはシビル・トレローニー、ドローレス・アンブリッジと異なり戦争の〝駒〟の資格を持つ者だ。ああした判断を校長が下すのは当然だった。

 

 占い学を選択したホグワーツ生の十六年分の学習機会。

 魔法戦争を左右するかもしれない『予見者』を自身の手元に置く価値。

 

 両者の重みを天秤に掛けた場合、真っ当な校長ならば当然前者を選び取るだろう。

 

 何せ普段の彼女はどう見ても無能であり、ルビウス・ハグリッドの方がマシと言える程に知識の伝道者として不適格だ。ホグワーツ校長が担って来た伝統的責任を踏まえて尚、シビル・トレローニーをホグワーツに置く事は適切でなく、その身柄の確保及び安全の保証は魔法省や闇祓いに任せざるを得ないと判断するのが普通だろう。

 

 しかし、アルバス・ダンブルドア校長は違う。

 魔法界の守護者を自負する彼は後者を選ぶし、実際に選んだ。

 

 嗚呼、確かに彼こそがシビル・トレローニーを最も上手く使えるだろう。

 帝王が消えた後にハリー・ポッターを護り切ったのは間違いなく彼の功績で、また仮に彼女が今後『第三の予言』をするような事態になれば、それを知らないままでは不死鳥の騎士団は戦えない。そもそも魔法省なんぞ信ずるに値しないというのは、今でも一般的な魔法族が持つ信念である。彼こそが絶対的に〝正しい〟のであり――けれども子供の成長を第一に考えるべき教育者としては、特に今魔法界を侵食しつつある〝マグル〟の価値観の下では、やはり論外と言うべきではないだろうか。

 

 そして闇の帝王であれば当然このアルバス・ダンブルドア校長の悪癖を知っていた筈で、彼の取る行動を推測していたに違いなく、そしてドローレス・アンブリッジはそうではない。今年度が始まって以降道化で在り続けた彼女は、最初から追い出せる筈が無いシビル・トレローニーに手を出し、またもや無様を晒す羽目になった。

 

 ……もっとも。

 僕はやはりそれを嗤う気にはなれなかった。

 

 グリフィンドールは勝ち誇っていた。あの校長とてそうだろう。

 スリザリンですら彼女の失態を冷ややかに見詰めていて、しかし僕は同じような楽観を抱く気にはなれなかった。

 

 ドローレス・アンブリッジは常に意外な所で有能さを発揮してきた。

 

 魔法省内で出世競争に勝ち残り、純血達に血の詐称を黙認させ、冬期休暇前にはハリー・ポッター達を捕まえる寸前まで行った。校内での失敗しか見ない人間であれば彼女を評価せず、単なる無能として片付けるのだろうが――果たしてそう簡単に結論を出してしまって良いものか。

 

 その疑問への回答は、四月の半ば、イースター休暇も数日後に迫った頃に出てくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「御呼びですか、高等尋問官殿」

「ええ。良く来てくれました、スティーブン」

 

 ドローレス・アンブリッジに呼ばれる事は然して珍しくない。

 

 しかし何時もと違い、他のスリザリン生を経由して呼ばれる事は割と珍しい。授業後に僕を呼び留めない場合、彼女は大概僕の下へと足を運びにくる。

 もっとも必ずしもそうだと断言出来る事では無かったし、気紛れに呼びつけたい気分になる時も有ろう。だから何の覚悟も無く何時も通りにピンク一色の部屋に赴いたのだが、その部屋の中に入った瞬間、既に非常事態なのだと強く思い知らされた。

 

 一番に眼に入ったのは、顔を隠して椅子に座っている少女。

 この部屋でスリザリン以外のローブを見たのは、僕が知る限り一度か二度と言った程度。そして、そのレイブンクロー生が啜り泣いているとなると、どう考えても普通では無い。

 

「アレは?」

「ミス・マリエッタ・エッジコム――」

「――名前を聞いた訳ではないですが」

 

 ビクリと震えた高等尋問官殿は、しかし一瞬後にはニタニタした笑みを取り戻していた。どうやら余程上機嫌らしい。

 

「密告者、ですよ」

「……そうですか」

 

 勿体ぶって小声で紡がれた言葉の意味する所は明らかだ。

 ハリー・ポッターにしろハーマイオニーにしろ、構成員の統制が甘かったらしい。

 とは言うものの、裏切者は不死鳥の騎士団長すら出している。十月末から数えて四ヶ月程は秘密を護り通したのだから、単なる学生の自習会にしては良く持った方か。

 

「聞き出せた内容は? 嗚呼、僕に言えないのならば別に構いませんが」

 

 そう言いつつも、彼女が口を噤まない事は解り切っていた。

 話をする気が無いというならば、そもそも最初から呼び立てる事はすまい。

 

「……彼女によると、ポッター達が今夜違法な集会を開くようです」

「────」

「場所は、八階──そこは『必要の部屋』だと呼ばれているとも言っていました。もっともホグワーツ卒業生の一人として言わせて貰いますが、その場所には部屋など全く存在しなかった筈ですけれど」

「…………まあ、在るというからには在るんでしょう」

 

 実際在るのを知っているのだがと思いつつ、杖を抜いて軽く振る。

 

 意図した通りマリエッタ・エッジコムの腕が払われ、彼女の顔が露わになる。余り強い力を使った訳ではないから、彼女の抵抗によって直ぐに顔は隠され直した。泣き声も更に大きくなってくれたが、しかし知りたい事は知れた。

 

 成程、ドローレス・アンブリッジが彼女を密告者と評した理由が解った。

 そして思う。誰かの顔を一々確認しない限り、守りたい秘密が守れているかどうか解らない。そんな仕組みは、魔法契約として下の下であると。

 

「では、現在のハリー・ポッター達の動向は? 貴方に秘密が漏れたと知れば、彼等が既に何らかの反応を示しても可笑しくないように思いますが?」

 

 その問いに、ドローレス・アンブリッジは呆れ顔を浮かべた。

 彼女にしては非常に珍しく、憐憫すら混じっていた。

 

「……驚いた事に、この呪いを掛けた主は報復を優先したようです」

「はあ。この有様では、秘密を暴くのに今まで掛かった僕達の無能さを嘆くべきですかね」

 

 深く溜息を吐く。

 

 余り言いたくないが、ハーマイオニーの頭脳は今回ばかりは鈍らだったらしい。本気で秘密を護りたかったなら秘密を洩らした後で罰を下しても意味は無い。

 実際僕がスリザリン生との間で締結した契約も、罰を下すなどという()()()()()機能は付いていない。そんな機能を付けて魔法を複雑化させる必要はなく、秘密が秘密でなくなった瞬間に誰が漏らしたかが解れば目的達成には十分だからだ。

 

 彼女は行動前にまず、ウィーズリーの双子に相談すべきだった。

 悪巧みにおいて遥かに先達である彼等の力を借りていたのなら、こんな馬鹿な真似をしなかっただろうに。ハリー・ポッターの悪い部分を学んでいるのは彼女もらしい。

 

 とはいえ、折角ドローレス・アンブリッジが僕を呼んでくれたのだ。

 求められてる通り、後処理をせねばならない。

 

「であれば、話は簡単でしょう」

 

 ドローレス・アンブリッジに改めて向き直る。

 何故か脅えの表情を見せた彼女に構わず、今後の事について問う。

 

「高等尋問官。貴方が今からやるべき事。それは当然解っていますよね?」

「……や、やるべき事?」

「ええ。コーネリウス・ファッジ大臣をホグワーツに呼ぶ事です」

「――――」

 

 その瞬間に彼女が浮かべた反応は、想定外を言われたというものでは無かった。

 しかし、僕がそれを口にするとは思ってもみなかった。そう感じているのは明らかだった。

 彼女が僕を呼んでまで持ち掛けようとした相談事にも、その構想は間違いなく入っていない。だからこそ大きく狼狽を示し、眼に見えて呼吸を乱れさせている。

 

「……な、何故貴方がそういうのか、理由を聞かせてくれませんか?」

「教育令第二十四号には穴が有るからですよ」

 

 数ヶ月前には気付いていたが、口を挟む権限は僕に無かったし、そもそもその穴が問題になる場面というのは非常に限定されていた。だから放置していたのであって、けれどもこの状況に至り、尚且つドローレス・アンブリッジが発言を許してくれるというならば、僕が口を噤んだままでいる理由も無かった。

 

「あの教育令は、組織や団体等について『定例的に三人以上の生徒が集まるもの』と定義した。しかしながら、『()()()()()』という部分については全く定義していない。つまり、所謂学生集会(Student Organization)の解釈は教育令から導く事は出来ず、であれば、その解釈は日常概念によって為されるしかない」

「――――」

「嗚呼、迂遠な言い方を辞めましょうか。アルバス・ダンブルドア校長が首謀者として頂点に君臨し、彼こそが自ら直接に構成員を選定し、彼のみが集会日時と集会内容の全てを決める。貴方の常識に基づけば、これを()()()()()組織と呼べますか? 教育令第二十四号違反を理由として生徒を退学処分に出来ると胸を張って言えますか?」

 

 ドローレス・アンブリッジから答えは返ってない。

 

「まあ、穴というのも酷でしょうかね」

 

 法の善し悪しを判断する能力は僕には無いが、あのような規定にした気持ちは解る。

 

「教育令第二十四号を押し通す建前は、馬鹿なホグワーツ生を統制する為だった。勝手に魔法薬を作ろうとして爆死する馬鹿、死の危険を撒き散らす隠し部屋を開けようとする馬鹿、無謀にも一人で闇の魔法使いを追った挙句死ぬような馬鹿。直近で言えばバジリスクの討伐に挑んだ馬鹿――の傍には、一応、教授を名乗る人間は居ましたか」

 

 溜息を吐く。

 ギルデロイ・ロックハートが監視役として不適格である事とは別の話だ。ハリー・ポッターが愚行に及ぶに際し、大人の眼は有った。

 

「ともあれ、そのような馬鹿な生徒の死の責任を、子供の教育に失敗した馬鹿親共がホグワーツ教授に擦り付けるのは許されない。そんな趣旨の下で構築された本教員令は、当然ながら、教授の監督下に在る生徒の活動を規制していない。この穴を悪用する人間は今まで居なかったようですが――しかし、あの狡猾な校長はそうとは限らない」

 

 ハリー・ポッターの軍団は、アルバス・ダンブルドアの下に行われた。

 だから教育令第二十四号に反しないという言い訳をしてくる事は十二分に有り得る。

 

「……私は、その法を執行する私は、そんな解釈を許しません」

「ならば、ウィゼンガモット評議員を納得させる理屈が御有りで?」

「…………」

「貴方と校長、対立は何処まで行っても並行線だ。故に貴方が正攻法でアルバス・ダンブルドア校長を追い詰める気ならば、主戦場は当然裁判所(ウィゼンガモット)になりますよ?」

 

 そして正直言って無理筋に思える。

 

 教授による監視の下、生徒の課外活動が適正に行われている。何処が違法なのか。

 

 そもそも通常の魔法族の価値観では、生徒達が秘密裡に決闘クラブを開いていようが余り問題視しない。

 勿論ホグワーツ教授は教職者としての建前として止めるが、教授の眼を盗んで悪さをやった事のない元生徒の方が珍しいだろう。ウィゼンガモットの頭の固い老人が何処まで〝現代的(マグル的)〟な倫理観を持っているか疑問である。何故そんな事を問題視するのかも理解出来ない者すら居そうだ。

 

「しかしながら、この言い訳には当然難点が有る。校長がそういう形で人間を集める事は、確かに教育令には反しないかもしれない。だが他の魔法法や省令には反する可能性が有る。端的に言ってしまえば叛逆罪ですね」

「…………」

「けれども実際にこのような言い逃れをされてしまった場合、貴方は引かざるを得ない。叛逆罪の成立判断や罪人の逮捕は、高等尋問官やホグワーツ教授、そして魔法大臣付上級次官の手には余る。……嗚呼、勿論、貴方は即座に魔法大臣に連絡する事でしょう。しかし魔法大臣を呼んだとして、あの校長が彼の前でも同じ言い訳を吐いてくれるかは解らない。アレは狡猾で、明晰だ。時間を与えてしまえば、また別の言い訳を考えつくかもしれない」

 

 その場合、言った言わないの水掛け論になる。

 そして、それで魔法省が負けるとは言わないが、勝てるとも言わない。どちらに転ぶかどうか解らない勝負は、余りしたくないものだ。

 

 この程度の疑念など、誰かが思い付いている筈である。

 僕はそう考えていたが、ドローレス・アンブリッジの様子を見る限り、少なくとも面と向かってぶつけられるのは初めてらしい。まあ、それだけ彼女達が嫌われているのか。動揺を示すように暫く両目を右往左往させていたが、突然自信を取り戻して僕へと焦点を合わせた。

 

「そ、そうです! そのような主張は教育令でも許されないではないですか!」

「──何故です?」

「教育令第二十六号が有るでは無いですか!」

「…………嗚呼」

 

 思い出すのには少しだけ時間が掛かった。

 『自分が給与の支払いを受けて教えている科目に厳密に関係すること以外』を生徒に教える事を禁止するアレか。

 

 そう言えば、そんなものが有った。余りにも意義が薄いから忘れていた。

 

「だからダンブルドアは──」

「で、当該教育令を破った際の罰則規定は?」

「…………」

 

 聞いてやれば、彼女は一瞬で意気消沈したようだった。

 

「あの教育令は、違反した教授をクビに出来るとは書いていない。つまり、あの規定を理由に、我が校長閣下を辞任させられるかどうかは解らない。出来るかもしれませんが、出来なくても不思議ではない」

「…………」

「貴方には高等尋問官の権限、ホグワーツ教授を辞任させる権限が有るから然程問題にはならなかったんでしょうけどね。或いは、そちら側の規定に、教育令第二十六号違反の罰則の根拠規定が置かれているんですか? それなら罪刑法定に違反しないかもしれませんが──しかし、実の所、アレはホグワーツ校長に対して使えるのですかね?」

 

 アルバス・ダンブルドアに突き付けるには、心細い矛のように思える。

 

「ホグワーツ校長の地位を僕も詳細に把握している訳では有りませんが、彼は雇われている……給与を支払われている( they are paid to teach )と言えるんですか? 確かに校長は理事会が選びますが、別に校長は理事会と雇用関係に立つ訳では無い。ホグワーツの構造的にも、彼は給与を払う側で有って、被雇用者を拘束する当該規定で縛るのは難しい気がしますが」

 

 そして、例えばスネイプ教授なら魔法薬学という科目を教える対価として金銭を受け取っているが、ホグワーツ校長は特定の科目を教授する対価として金銭を受け取っている訳では無い。法適用の前提となる、『自分が給与の支払いを受けて教えている科目(   the subjects they are paid to teach   )』自体が存在しない。

 

「まあ、〝ホグワーツ〟から金銭を受けていると認識するとか、科目(subject)の定義を広く……教師として生徒に影響を及ぼす一切と取るとかして乗り越えたとしても、決定的な問題が残る。要は結局、ホグワーツ理事会の判断と魔法省の判断が抵触した時、果たしてどちらが優先するんです?」

「────」

 

 それだけは、絶対に何処の法令を探しても書かれていない。

 ホグワーツと魔法省の力関係は、互いが望んで曖昧のままにしてきたに違いないからだ。

 

「知っての通り、理事会は現校長閣下を支持している。闇の帝王の復活という嘘を吹聴し出しても、辞任させるべきでないという判断は変わらなかった。それを魔法省がクビにしろと言った所で──しかもこの程度の法令違反で──通るんですか? 何処の組織だろうと、自分の権限が他所に奪われる事を善しとする事は有り得ないでしょうに」

 

 ホグワーツ理事会はアルバス・ダンブルドアを嫌っている。

 しかし、校長の選解任という権限を奪われる事態になれば、彼等は完全に魔法省の敵に回ってしまう。そして彼等は死に物狂いで抵抗してくるだろう。屈服させるのが不可能だとも言わないが、ホグワーツ外の親や卒業生も巻き込み大揉めするのは間違いない。

 

「つまるところ、教育令を弄り回す程度では足りないんですよ」

 

 正攻法では、ホグワーツ校長が纏う権威を打ち破れない。

 

「……まあ、叛逆罪も魔法界では割と怪しいのですが、しかし非魔法界の流儀では介入理由として十分過ぎる程に重い。そして何より、彼個人の叛逆では無い。大人が教師の立場を利用し、生徒を集めて行う叛逆だ。そして判断能力が未熟な子供達を()()()しているのは、流石の魔法界の大人達でも眉を顰める事態と言える」

 

 魔法省側が正義という体面は取り繕える。

 疑う人間はどうしたって出るだろうが、声高な批判を封じる位は出来る。彼等の批判は〝ダンブルドアがそんな事をする筈が無い〟という点に集中し、〝そもそも魔法省が介入する事自体が可笑しい〟という方向には行きにくい。

 

 校長が生徒に課外活動をさせていたからクビにします──魔法省がその程度の主張をするより余程良い。

 

「今回の一件は、対応を誤れば容易に引っ繰り返されますよ」

 

 ドローレス・アンブリッジが思っている程、簡単に済みはしない。

 

「相手はアルバス・ダンブルドア。四半世紀以上に渡って校長として君臨する、今世紀で最も偉大な魔法使いだ」

「…………」

「だからこそ、こちらも油断せず、初撃で、最大火力で仕留めに行かねばならない。ハリー・ポッターが組織活動をしている場面を押さえるのみでは足りない。その上で、こちらの最強の札である魔法大臣が現場に居て初めて、主導権を握る事が出来る。ハリー・ポッターの退学、或いは校長の追放。それらの結果を手繰り寄せられる」

 

 ガマガエルの小さな瞳は不安で揺れている。

 

「……コーネリウスを呼ぶ。それが私にもリスクがある事は解っていますよね」

 

 か細い声が部屋の中で良く通ったのは、啜り泣きが小さくなったからか。

 

 そう言えばマリエッタ・エッジコムの存在を忘れていた。

 

 しかしながら、話を聞かれていた所で別に大して影響は存在しないだろう。

 彼女は既にハリー・ポッター達を裏切っており、そして事が終わるまでドローレス・アンブリッジは彼女をここから逃がそうとしはしまい。

 

 そんな裏切者を置いておき、僕は頷いてみせた。

 

「ええ、勿論」

 

 魔法大臣を呼ぶというのは、言う程簡単に取れる手段でも無い。 

 ハーマイオニーは二人を同一視している節があるし、大抵の場合はそれで構わないのだが、両者はやはり別個の人格なのだ。彼等の思惑や利益は重ならない部分が有る。

 

「貴方達は単なる上司と部下の関係に過ぎず、一蓮托生の間柄という訳でも無い。わざわざ呼び付けたのに何の成果も無かったとなれば、当然貴方は責任を問われる事になる。流石に即座にクビになる事は無いでしょうが、コーネリウス・ファッジが今までと違った眼で貴方を見る事は避けられない。ホグワーツにおける貴方の今までの行動も精査されるかもしれない」

 

 特に今のコーネリウス・ファッジは自分の地位の危うさに焦っている。

 まさにホグワーツでシリウス・ブラックを取り逃がした事も記憶に新しい。余計なぬか喜びをさせ、更に失態を上乗せしてくれた相手に対し、人当たりが良くなるとは思えない。

 

「けれども、別に魔法大臣に対して全てを明かす必要も無いでしょう?」

「────」

「ハリー・ポッターを退学にさせられそうだ。その程度の情報で彼は来てくれるでしょう。アズカバンの大量脱獄により彼の再選の道は絶たれた。そんな彼は現実逃避の為の刺激的な事件を求めている筈で、深く考えを巡らす事もない」

 

 ドローレス・アンブリッジの顔は恐怖で彩られていた。

 

「……一体何が、貴方にファッジをそこまで断言せしめるのです?」

「彼がもっと賢かったなら、去年の時点で闇の帝王の復活を信じていた。そう思いません?」

 

 何事も無ければ、コーネリウス・ファッジは良き魔法大臣として記憶された事だろう。

 

 〝純血〟贔屓は魔法戦争により隅に追いやられた者達を庇護する善良さ、優柔不断は慎重や周囲の意見を良く聞くと言い換える事が出来た。そもそも彼が現在独裁を行えている事とて、ルシウス・マルフォイ氏達が協力している以上に、シリウス・ブラック脱獄までは目立った失敗を犯さなかった証であろう。

 

 けれども、彼は誤ってはならない道を誤ってしまった。

 何の確信も無しに、アルバス・ダンブルドア校長を裏切るべきではなかった。

 

「ドローレス・アンブリッジ高等尋問官、貴方の不安も理解出来る。あの校長がこんな言い訳をするとは限らないというのは僕としても認めざるを得ない。今まで通りに学内だけで問題を完結させたのであれば、今回の件で万一失敗した場合でも外に知られないまま事件を隠蔽し得る。要らぬ危険を負いたくないというのは尤もだ」

「――――」

「ただまあ。貴方が校長の座を奪い取りたいというのであれば、この隙を見逃すなんぞ有り得ない。何、()()()()()()()()()、魔法大臣を呼んだ所で悪い事にはなりませんよ」

 

 ドローレス・アンブリッジは知らない。けれども僕は知っている。

 

 ハリー・ポッター達が結成したのは()()()()()()軍団だ。

 その無垢の忠誠に対しては、あの最強の魔法使いも敗北を認めざるを得ないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうしてアルバス・ダンブルドアは盤上から消えた。

 

 その結末へと落ち着いた経緯は知らない。

 事の顛末を特等席で見届けたい気持ちも多少有ったのだが、ドローレス・アンブリッジはドラコ・マルフォイに対してハリー・ポッター以外のダンブルドア軍団の人間を捕まえるよう指示し、更に僕に対しては彼の補助をするように伝えて来た。

 それが僕達を遠ざける口実だったのは明らかであり、自身の功績をコーネリウス・ファッジに誇示したかったらしいドラコ・マルフォイはぶちぶち文句を言っていたが、左程拘りのない僕は素直に従った。これはこれで面倒に巻き込まれないで済むと考える事は可能だったからだ。

 

 そして予想通り、あの校長は暴力をもって我を通してくれた。

 

 しかも御丁寧な事に、密室だった校長室で一体何が有ったかを広く喧伝してくれる始末。

 医務室送りとなったマリエッタ・エッジコムは語る能力がなく、ミネルバ・マクゴナガル教授は教職者として堅く口を噤んだ筈で、ハリー・ポッターが噂を広めるにしても早過ぎたから、事件の情報源は校長室内の肖像画あたりか。

 

 しかし、少しばかり思ってしまう。

 あの校長は〝マグル〟と仲良くする気が本気で有るのだろうか、と。

 

 オックスブリッジの総長が首相や警察を暴力で叩きのめして逃げ去った。

 そう聞いた〝マグル〟がどう思うか、それを彼の頭脳で理解出来ない訳でもあるまいに。

 

 それでも尚、彼は今後も厚顔無恥に〝マグル〟との友好を唱え続けるのだろう。

 価値観の違い過ぎる者の交流なんぞ御互いに不幸しか産まない。そんな現実からは、都合良く眼を逸らしたままに。

 

 ……まあ、良い。

 

 彼はやはり〝正しい〟。

 今回の行動もまた魔法界の常識では肯定出来るもので、らしくもなく自制していた老魔法使いは漸く魔法族としての本旨を思い出してくれた。

 

 あの大魔法使いが為すべき仕事はドローレス・アンブリッジの可愛らしい我儘から生徒を守るとか、ハリー・ポッターの学生生活を心穏やかに見守る事ではない。闇の帝王を確実に葬る為の分霊箱探しである。今回は非常に〝自然〟な形で消えられたのだから、闇の陣営の監視を撒くのも容易く、彼は暫くの間大胆に動ける事だろう。

 

 後は、もう一方の指し手が何を考えているかが解れば良いのだが――

 

「――ドラコ・マルフォイ。そのバッジは一体何だ?」

 

 睡眠時間前の談話室。

 恐らくは他の三寮と同じように校長の逃亡劇についての話題一色だった空間は、僕の言葉でピタリと静まり返った。

 

「……こ、これはだな」

「咎めている訳では無い。単に何かと聞いているだけだ」

 

 胸元に輝く銀色を慌てて手で隠そうとした彼に、鼻を鳴らす。

 

 そして、僕達の会話が聞こえていると周りは普段通りの会話が出来ないらしい。

 そう思い知らされた僕は何時も通りに杖を抜き、指揮棒のように軽く振った。この一年で使い慣れた魔法は滞りなく効力を発揮し、周囲に会話が漏れる事も無くなった。

 こっそり後退りしつつ何かをローブから取り出そうとした人間が一人だけ居たが、彼の眼前に小さな衝撃(フリペンド)を飛ばして止めてやった。愚かな事だ。スリザリンの授業を盗聴しようする試みが既に複数回防がれており、その行為内容が広く共有されている事を、その下級生は知らなかったらしい。

 

 蒼褪めただけで文句も言って来ない彼の姿を暫く観察した後、ドラコ・マルフォイへと視線を戻す。そうして漸く、彼は多くの視線の中──聞こえていないのに御苦労な事だ──重そうな口を開いた。

 

「…………尋問官親衛隊のバッジだ」

「そうか」

 

 答えに軽く頷き、ドラコ・マルフォイにそれ以上は聞かなかった。

 名前だけで何をやりたいのかが想像が付いたし、今直ぐ問題を指摘してやるのも余りに芸がないとも思ったからだ。

 

 どうやらドラコ・マルフォイは、今年度の始め、一体如何なる理屈で高等尋問官殿に膝を屈させたのかという事を忘れたらしい。僕が高等尋問官職に突き付けた論理は尋問官親衛隊とやらにも当然該当するだろうに。彼は彼が思っているよりも〝特別〟ではない。

 

「ならば、僕が現時点で言うべき事は一つだ。二ヶ月後にはO.W.L.試験。魔法族として最低限の能力を有するかを図る、君にとって非常に重要な試験が迫っている」

「――――」

「そしてそんなバッジはどうでも良い。確認しておかねばならない事がもう一つ」

 

 またもや同じような事を言う羽目になるとは思っても居なかった。

 そう思いつつ溜息を吐いた後、ドラコ・マルフォイに向かって問い掛ける。

 

「無論、ハリー・ポッターの退学の件だ」

 

 過去のそれと同様、問わない自由は今回も僕にない。

 

「ドローレス・アンブリッジは規定上ホグワーツにおける最高権力者となった。そしてハリー・ポッターが教育令を破ったのは明らかだ。教育令第二十四号、教育令第二十六号。そのどちらでも良い。それらの教育令に基づく限りハリー・ポッターは退学であり、君が彼を追放したいというのなら──試験が近付いている中で面倒を掛けてくれるとは思うものの──既に約束してしまった以上、僕は君を止める論理を持たない」

 

 アルバス・ダンブルドア校長が責任を取った、などという理屈は無意味だ。

 独裁者に真っ当な理屈が通じると思っているのならその人間の頭はどうかしている。法を護らなければならないのは、僕のように法を無視する力を持たない弱者だけだ。

 

「……あー、そ、その事だが、スティーブン」

 

 恐々と、言葉をつっかえさせながらドラコ・マルフォイが言葉を紡ぐ。

 

「ど、ドローレス・アンブリッジは校長室から締め出された」

「ふうん」

「…………」

「…………」

「だ、だから――」

「――ハリー・ポッターを排するのに、何か支障が有るか?」

 

 何故それがここで意味を持つのか、僕にとっては不思議で仕方ない。

 

 そのドローレス・アンブリッジの無様は、明日になれば広く知られるだろう。

 そしてグリフィンドールの馬鹿共はざまあみろとほくそ笑むだろうが、多少なりとも道理が解っている人間であれば、その程度の些事を問題視などしない。

 

「なあ、ドラコ・マルフォイ。城や校長室が、無機物如きが人間様(ホグワーツ校長)を選ぶのか?」

「――――」

「違うだろう。現行法の下では、校長の選解任権限はホグワーツ理事会に在る。そして、現在の状況でホグワーツ理事会がミネルバ・マクゴナガル教授を任命する事は有り得ない。それ程の気概が理事会に有るならば、賢者の石はそもそも校内に持ち込まれず、バジリスクの散歩を受けてホグワーツは早々に閉鎖されており、シリウス・ブラックは吸魂鬼の接吻により抜け殻となった後で、三大魔法学校対抗試合にしても途中で中止されていた」

 

 ドローレス・アンブリッジが校長になるのは既定路線だ。

 ホグワーツ理事会、そしてミネルバ・マクゴナガル教授では役者が足りない。魔法省と戦争しても単体で勝ち得る前任者とは違うのだから、彼女達は法と秩序に従わねばならない。

 ミネルバ・マクゴナガル教授を含めた寮監達は、内心はどうあれ、理事会の承認したドローレス・アンブリッジ新校長を受け入れざるを得ない。

 

「嗚呼、ホグワーツに残る伝説では、相応しくない者を校長室から排するというモノが有る。しかしその伝説が真実である可能性と、アルバス・ダンブルドア校長が部屋の鍵を閉めて出て行った可能性。普通はどちらが現実的だと思うだろう? あの校長が現在正当な校長(ドローレス・アンブリッジ)に嫌がらせをしているのだという主張は、決して詭弁や屁理屈でもない」

 

 校長室から締め出された程度の瑕疵は彼女の権限を損ないはしない。

 ドローレス・アンブリッジがホグワーツ理事会に承認されたのであれば、そこに手続上の瑕疵はなく、彼女は当然〝校長〟として扱われるべきである。

 

「ハリー・ポッターを正式な手続で退学処分にするのが不可能そうだという問題にしても、だ。法の理想と世の実態、規定と運用は別物だ。ホグワーツの生徒を拘束する魔法契約が何と言っていようが、事実上彼をホグワーツ生で無くしてしまう事は可能だ。例えば、シビル・トレローニーと逆の事をやるとかな」

「…………」

「ホグワーツ校長の名の下に、ハリー・ポッターについて校内施設の利用権限の一切を停止する。そうしてしまえば、彼がホグワーツで授業を受ける事は不可能となるだろう」

 

 〝ホグワーツ〟の本質とは城ではない。

 四人の創設者達が一つの目的の下に集い、そして彼等彼女等を慕う生徒が居る場所こそが〝ホグワーツ〟だった。この城が跡形無く吹っ飛ぼうと、彼等の意思を継ぐ教授が残り、また教えを請う生徒が存在するならば、〝ホグワーツ〟は無くなりはしない。

 

 裏を返せば、ハリー・ポッターを城から追い出せる余地は十分ある。

学生は当然にホグワーツ城内に滞在出来、また城内施設を利用し得る。そんな内容は、まず間違いなく原初の学生契約には書かれていまい。

 

 ミネルバ・マクゴナガル教授達が校外でハリー・ポッターを教えるのは御勝手に。

 生徒の身分を正式に剥奪出来ない以上それは已むを得ない事で、しかしハーマイオニーやロナルド・ウィーズリーと共に授業を受ける時間は奪わせて貰う。

 

 ダンブルドア軍団を結成した責、高等尋問官の視点で秩序を乱した責任は問わせて貰う。

 

「ホグワーツの魔法契約が炎のゴブレット未満の緩さで、かつ校長の誰かが防衛措置を施していないのなら、恐らくこの程度で抜けられる。万一これが通らずとも、ハリー・ポッターに嫌がらせをする為の理屈なんぞ幾らでも用意出来る」

 

 嘘、詭弁、屁理屈、身勝手な仮定。

 それらを駆使すれば、人の論理で正当化出来ない主張など存在しない。

 

「法はな、執行力……力が無ければ、学生の努力目標以下の価値しかない。あの校長が消えた以上、このホグワーツ城内で法的裏付けを持つそれを有するのはドローレス・アンブリッジただ一人だ。だから彼女が本気になってくれるならば、如何に〝ホグワーツ〟が護ろうと城内からハリー・ポッターを追い出せると確信しているのだが――」

 

 改めて、眼前で沈黙したままの人間を見やる。

 

「――君はまたもや、ハリー・ポッターの退学に乗り気ではないようだ」

 

 ドラコ・マルフォイは更にたじろぎ、余りに動揺したのか、手から何かを落とした。慌てて拾ったものの、僕がそれが何かを認識する時間としては十分だった。

 

 一通の手紙。

 どうやらドラコ・マルフォイは、尋問官親衛隊のバッジ以上にそれを隠したかったらしい。

 

「…………成程、成程」

 

 手紙に書かれた名、或いは封蝋は見て取れなかった。

 

 しかし、相手を察する事は可能だった。このタイミング――あの校長がホグワーツを去った直ぐ後、ふくろう便が生徒に届く事も稀な夜間の時間帯に受け取った手紙ともなれば、その差出人は殆ど一人しか有り得ないと言って良いだろう。

 

「君も人が悪い。最初から言ってくれれば良かったのだ」

 

 そうしてくれれば、無駄話をせずに済んだ。

 

「僕はハリー・ポッターを退学にする事に興味は無い。これは既に二度程言った筈であり、やはり僕の立場は今も変わりはない。そして君が反対の意思を明確に表明するのならば、僕はそれに従う。これもやはり何度も言った筈だろう?」

「――――」

「正直言って、君が手紙を僕に隠そうとした理由までは解らんのだが……まあ君がこれ以上僕に何かを伝えるつもりがないのならば、この話はこれで終わりだ」

 

 再度杖を振って呪文の効果を掻き消した。

 僕はそのまま、取り組んでいた課題へと戻る。

 

 大多数のO.W.L.科目に心配は無いが、やはり問題は天文学と薬草学だった。前者は星がどう動こうと地上に大きな影響が出ないから興味を持てないし、後者は単純に言葉の通じぬ反抗的な雑草が苦手だ。僕がO()を逃すとすれば――そしてまず間違いなくそうなると予測しているが――その二科目であり、その分手を抜く事は出来なかった。

 

 しかし、ドラコ・マルフォイは立ち去らなかった。

 

「手紙の件か?」

 

 問えば、首を横に振る気配。

 

「……い、いや。あ、アンブリッジから君に伝言だ」

「内容は想像が付くが、聞かせて貰おうか」

 

 奇妙に震えている声に溜息を吐いた後、再度杖を振り直す。

 今度のそれは内容の秘匿というよりは、彼の名誉を守る為だった。

 

 そして唾を飲む音の後に紡がれたのは、案の定の勧誘の言葉。

 

「…………君にも尋問官親衛隊として、新校長の手助けをして欲しいとの事だ」

「そうか。君は予想出来ているらしいが、まあ断る」

 

 改めてドラコ・マルフォイを見上げる。

 衝撃を受けた様子は無かった。彼は覚悟しており、だが、受け容れられていなかった。

 

「正しくは、仕事を手伝えという君の命令は受ける。だが、その地位は要らん」

「……親衛隊の一員になれ。僕がそう命令しても従わないのか」

「ならば、君は他の親衛隊員を納得させられるのか?」

 

 ドラコ・マルフォイが大きく怯んだ様子を見せるのは、最早今更過ぎると思う。

 

「僕が尋問官親衛隊に就くという事は、単に立場上に過ぎないとはいえ、僕が〝純血〟と同格になるという事を意味する。ただの半純血の生徒が、自分達と同じ地位に就き、同等の権力を獲得する──そんな真似を、君は彼等に認めさせられるのか?」

 

 闇の帝王が何と言おうとも、〝純血〟達は何も変わらない。

 

 彼等は決して(マグル)の血が混じる者を同格とは認めない。その現実を闇の帝王は──並外れた開心術士である彼は、一体どう感じていたのだろうか。

 

「まあ、一応可能か不可能かで言えば可能だろう」

 

 現在の〝マルフォイ〟の権勢は、有無を言わさず意思を通せる力を持っている。

 

「しかし僕を親衛隊とする事で多数決の票数が増える訳でもあるまいし、この程度の事で彼等の反感を買うなんぞ無駄だ。それでも君が無理を通したいというのであれば従いはするが、僕としては強力な反対の態度を示させて貰う」

 

 明日になれば〝純血〟達の意見が変わっている可能性は有り得るが、少なくとも今日の時点では、僕が親衛隊となる事につき同意を得られまい。

 そして彼等が反対してくれるのは寧ろ助かる。沈むと解り切っている船に()()共乗ってやる義理はなく、今後の展開を考えれば、僕は尋問官親衛隊でない方が良い。

 

「繰り返すが、尋問官親衛隊に対して助力はする。肩書が無いからと言って手を抜く事もしない。もっとも助力という立場で動く以上、それには君が仕事をする限りという留保が付くが。つまり、君が尋問官親衛隊としてどの程度熱心に働くかに掛かっている。そして個人的な意見を付け加えるなら、僕は君が熱心に働く事こそを期待している」

 

 揺れる灰眼を見つめながら言いつつ、しかし思うのだ。

 既に結果は見えていると。

 

 今までの五年間を見て来た限り、ドラコ・マルフォイという人間は残念ながら辛抱強くはない。そして今回アルバス・ダンブルドアが魔法族の模範を示してくれた以上、グリフィンドールを筆頭として尋問官親衛隊は手痛い反撃を受ける事にもなろう。ドラコ・マルフォイが尋問官親衛隊である事など忘れ、O.W.L.試験の勉強に励むようになるまで一週間か、それとも二週間か。一ヶ月もてば快挙と言えるかもしれない。

 

「……嗚呼、そうだ。この返答は、ドローレス・アンブリッジには僕から伝えておく。だから彼女への言い訳を君が考える必要は無い。それは僕の仕事だ」

「────」

「他には?」

「……無い」

 

 それで話は終わりだった。

 ドラコ・マルフォイは暫く立ち竦んでいたものの、僕の論理を打ち砕く事が出来ないと悟ったのだろう。彼は何時の間にか立ち去っていた。その瞬間に気付かなかったのは、それだけ己が深く思考に没頭していた証だろう。そう思いつつ、杖を振って呪文を解除し直した。

 

 ドラコ・マルフォイが隠そうとしていた手紙。

 あの送り主は当然彼の実家、ルシウス・マルフォイ氏からの物に違いない。

 

 アルバス・ダンブルドア校長がホグワーツを出ていった。

 

 その情報が魔法大臣経由でルシウス・マルフォイ氏に伝わる可能性は有るが、しかし事件の重要性を思えばドラコ・マルフォイの方からも伝えない理由が無い。彼は他の三寮の生徒と同じく夜闇の中ふくろう便を飛ばし、そしてあの手紙は彼の報告に対する返答なのだろう。夜間に生徒の下へと届く手紙が、普通の送り主による普通の内容である筈がないのだから。

 

 そして手紙の内容の方にしても、全てを言い当てる事は出来ないが、たった一つだけ──その手紙が運んで来た〝命令〟の内の一つならば、神ならぬ僕でも的中させられる。

 

 闇の帝王は今学期当初、ホグワーツに興味が無かった。それはまず間違いない。

 

 会話や報告をしている際のスネイプ教授の反応。冬期休暇前にハリー・ポッターがドローレス・アンブリッジから逃れられた事実。ハーマイオニーが僕との会話以上の悩みを抱えていないという感触。そして何より、ドラコ・マルフォイが今日の夕刻、『ダンブルドア軍団』の大捕物をやっていた頃までは抱えていた、ハリー・ポッターを退学に追い込むという野望。

 

 それらの証拠全てが、闇の帝王による干渉の不存在、これまでのホグワーツへの関心の薄さを示している。

 

 しかし――

 

「――今は、違うのか」

 

 ドラコ・マルフォイの態度の変節は、ほぼ確実に〝上〟から止められた事によるもの。

 ホグワーツを護る最強の盾は消え失せた。そして闇の帝王は、この状況下でハリー・ポッターが退学になって貰っては困るらしい。


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