この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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二話目。


一対一

「──で、結局こうなるのか」

「せめて教授の前では、態度と言葉遣いに気を付けるように」

 

 双子との話し合いを終えて、ほんの一時間後。

 扉を開けて目に入った部屋内の光景に思わずボヤくと、ミネルバ・マクゴナガル教授は、何時もの厳格な教師の仮面を崩さず、ビシリと僕に対して言った。

 が、僕には僕で言い分が有るものだ。

 

「昼食を終えた後、速やかに自分の下へと来い。それも呼び出される先は、この五年間で一度や二度しか入った事のないような物置同然の場所。まあ、多少可笑しいとは思いましたが、それでも教授。僕は貴方を信頼しているが故に、大人しく此処に来たのですがね」

 

 それとも、僕の学習能力というモノを試しているのですか?

 そう問うても、彼女は聊かも揺らがなかった。

 

「取り敢えず、扉を閉めて中に御入りなさい」

 

 一貫して何時も通りの教授は、そう呼び掛けてくる。

 

「ドローレスとフィルチへの対処はピーブズが請け負ってくれたと二人から聞いていますし、更に私が呪文を掛けて守ってはいますが、何が契機となって私達に気付くか解りません。何処に座れば良いかは──見れば解るというものでしょう」

「……それは解りますが。はあ。まあ、良いでしょう」

 

 渋々ながら頷いた後、部屋の中央付近へと進む。

 

 余り広い部屋では無い。精々、大股で十歩も進めば壁から壁まで行けると言った程度。

 そして雑多という言葉が似合う部屋でもある。何せ、壁紙は四つの壁全てで別々の色合いと模様。天井には大小不揃いのライトが三つと来ている。余ったモノを適当にくっ付けたという印象しか受けないし、部屋の整頓も為されていない。石畳の床は人が通れる程度には片付けられているものの、壁際には予備の椅子や机が積み上げられ、部屋内は大小様々な箱で溢れている。更には箱に入らなかった植木鉢や魔法生物用ブラシ等々の道具が転がっていた。

 

 それらのわざとらしい障害物を避け、意図的に空けられていた粗末な回転椅子に僕は着席し、そのまま背を凭れ掛けさせた。その灰色は少々古ぼけているが、魔法で清掃はされているのか、黴臭さは無かった。大きな不満は低学年向けの椅子のせいか僕の身長に合って居らず、座面が低すぎると言った事くらいか。後は、身動ぎするごとに甲高い金属音が鳴ってくれる所も気にいらない。

 

「で、秘密裏にグリフィンドール八十パーセントの部屋を作って、一体どういうつもりなのです? 嗚呼、部屋内が片付けられていないあたり教授が〝主犯〟でない事は解っていますし、させたい事も既に解っていますが、僕の方も暇だという訳では無いのですが」

 

 グリフィンドール八十パーセント。つまり、四対一。

 この狭苦しい物置小屋には、僕を含めて五人の人間が居た。

 

 僕の真正面、硝子製のコーヒーテーブルを挟むように置かれた小さな丸椅子に、しかし堂々と座っているのはミネルバ・マクゴナガル教授。

 更に教授の後ろ、僕から見て左側には、粗末なパイプ椅子に肩身の狭そうに座っているハーマイオニー・グレンジャー。同じく教授の後ろ、僕から見て右柄には、やはり肩身の狭そうに二人掛けのソファに座っている双子のウィーズリー兄弟。

 

 言ってしまえば、教授が三人を僕から護るような構図か。明らかに意図したものだろうし、そして今回の僕の問いに口を開くのも、やはり教授だけだった。

 

「貴方はそう言いますが、今回もやはり、私が〝主犯〟と言わざるを得ないでしょう。少なくとも貴方をこの場所に呼び、席に着かせたのは私ですから。レッドフィールド、貴方の事ですから、私が居なければ即座に立ち去っているでしょう?」

「貴方が居ようと何も無ければ立ち去っていますよ」

 

 ホグワーツ教授が相手だろうと、正当性が微塵も無い指示に従う気はない。

 ドローレス・アンブリッジやルビウス・ハグリッドに対しては勿論、それは相手がミネルバ・マクゴナガル教授で有っても例外では無い。

 

「大人しく席に着いたのは、多少興味が湧き、意味も見出せそうだったからだ。この状況を見る限り、彼女が貴方に対し助力を求めたのは明らかですしね」

「グレンジャーを咎めてはなりません」

「そんなつもりは有りませんよ」

 

 少女から再度視線を右へと滑らせ、顔だけを教授へと向ける。

 足組みをしつつ更に背凭れに体重を掛ければ、やはり椅子はキィと甲高い悲鳴を上げた。やはり耐久性は怪しいようで、ローブから杖を抜き、レパロと唱える。応急処置にしかならないのは解っていたが、会話途中で壊れるような間抜けな事態にはならない筈である。

 

 そして僕の態度に教授は顔を顰めたが、注意の言葉は飛んでこなかった。

 

「けれども疑問を紡ぐ位は許して頂きたい所です。何せ、今年の彼等の『軍団』にしても、今やっている抵抗運動にしても、彼等は大人の力を──自分達より更に賢く、強い人間達の手を借りる事を良しとしなかった。しかし、今回は貴方を頼った。しかも貴方は受け容れたのでしょう? 前校長が消え、高等尋問官殿が君臨している今この状況で」

 

 校内の殆どは監視下に在り、不用意な接触は望ましくないと言うのは共通理解の筈だった。だからこそハーマイオニー、或いは双子達は僕と会話するのにあのような方法を取ってきた訳だが、これは余りにも冒険し過ぎでは無かろうか。

 

 けれども、教授は見せつけるように大きく溜息を吐いた。

 

「私を頼るのも当然でしょう。貴方が提示したのはどう考えてもグレンジャー達の手には余る問題です。そして、注意はしているつもりです。何せ私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()、今この部屋に居るのですから」

「ええ、大広間を出て来る際、確かに僕も眼にしましたよ」

 

 ポリジュース薬か。高度な変身術か。流石に逆転時計では無いだろう。

 他の手段が使われたのかもしれなかったが、手段自体を問い詰める意味もなかった。重要なのは、今のミネルバ・マクゴナガル教授は普段の理想的教師の在り方を投げ捨てた上、非常にグリフィンドール的な手段を用いてまでこの場に居合わせているという訳だ。

 

「それでも、危険が無い訳ではないでしょう?」

 

 僕が危惧していたより低そうだが、それでも零ではあるまい。

 

「しかも、これだけ手の込んだ事をやって、やるのが五人でスリザリン生を囲んでの恫喝となれば多少、いや、かなり呆れもします。何度使える手段でもないでしょうから、もっと有益な事に用いれば良いでしょうに」

 

 たとえば、ホグワーツから逃げたアルバス・ダンブルドア前校長と連絡を付けるとか。

 挑発するように笑えば、頬をピクリと動かした以上の反応は無かった。

 

「恫喝されている認識が有るなら、もっと殊勝な態度を取るべきです。そして貴方ならば、アルバスが私達の助力を必要としない人間だと良く知っている筈でしょう」

「まあ、寧ろ絶対に連絡を試みるべきでない状況だとすら思っていますよ」

「……それに貴方をこの場所に引っ張り出す事は、これだけの骨を折る価値が有る。私はそのように考えていますよ」

 

 良く言ってくれるものだ。

 

「グリフィンドールの問題をスリザリンに対処させるのですか?」

「貴方が提示した問題です」

「僕が提示する以前、貴方がたが自ら生み出した問題だ」

 

 座ったまま暫く見つめ合い、けれども視線を先に逸らしたのは僕だった。

 

「しかし、貴方も随分御苦労な事だ」

 

 よくもまあ、過労で倒れないものだと感心する。

 

「貴方に理事会や新校長、魔法省への対応を丸投げし、この無秩序状態の統制すらも押し付けた教職者失格。そして度が過ぎた事故を引き起こし、モンタギュー夫妻との折衝などの事故から派生する問題を押し付けた生徒失格。彼等は自由というモノを謳歌出来て良いのでしょうけど、後始末をする貴方の苦労をどれだけ理解しているか怪しいものですが?」

「そして、貴方にも理解出来るとは思っていません。その共感を私に求められる人間が居るとすれば、それは貴方でなくミスター・マルフォイです」

「──くくく。確かに、仰る通りかもしれない」

 

 冷淡な眼差しと皮肉の切れ味は流石に教授であり、脱帽物だった。

 

 けれども教授は、僕が愉快なままでいる事を許さなかった。

 

「そしてレッドフィールド。貴方はグレンジャーに甘え過ぎではないですか?」

「──甘え過ぎ? それはどういう意味です?」

 

 再び教授の後へ視線を向けつつ問う。

 ハーマイオニーはやはり俯いたままだったが、自身のローブを強く握り締めている彼女の顔は、真っ赤に染まっているようにも見えた。

 

「私に迷惑を掛けるのは、まあ、良いでしょう。そして確かにレッドフィールド、貴方が暗に言う通り、総時間で見れば貴方は私に迷惑を掛けていない方です」

「まるで時間比で見れば最悪だと言っているようではないですか」

「そう言ったつもりですが?」

「────」

「ただ、それはやはり教師の、私の仕事の内でも有ります」

 

 口を噤まされた僕を見て、しかし教授は全く面白そうではなかった。

 

「けれども、グレンジャーは違うでしょう。貴方が引き起こそうとする異例の問題、アルバスやスネイプ教授ですら手を焼く貴方の行動に付いていける人間は、そう多くないのです。それにも拘わらず、彼女が貴方への友情を喪わないと信じ……いえ、違いますね。アルバス達から話を聞く限り、貴方は寧ろ真逆の考えすら抱いているようですから」

 

 深く溜息を吐かれる。

 その瞬間だけ、教授は酷く疲れ果たような表情を見せた。

 

「とにかく、彼女の友情を試すような真似はしない事です。貴方にそのつもりは決してなくとも、第三者である私にそう見えてしまう事は確かです」

「……御説教の為に、貴方は僕を呼んだ訳ですか」

「半分は。これは教師の性というものです。そしてもう半分。こちらは、やはり教師としての仕事です。生徒の手に負えない問題を解決するのは、教授の役目です」

 

 コーヒーテーブルを超え、視線が交錯する。

 

 生徒に手に負えない。

 教授が手に負えると自惚れている問題。

 

「──彼女に頼られ、貴方が介入すべきと判断したのは、一体どちらの問題です?」

「勿論、どちらもです」

 

 返ってくるのは明快な回答。

 

 ……まあ、そんな気はしていた。

 ハーマイオニー・グレンジャーは、ドローレス・アンブリッジより更に御優しい人間である。双子達の悪戯に対するスリザリンの報復として、精々廊下で呪文を撃つ程度の事しか考えて居なかったのだろう。僕が例に挙げた行為なんぞは、彼女には発想自体が出来なかった。

 

 けれども、彼女は、そしてミネルバ・マクゴナガル教授も意識すべきだ。

 

 冗談としての悪戯、或いは権力への抵抗と言えば聞こえが良いが、法的には単なる器物破損と傷害だ。法秩序を尊ぶ人間は、基本的に許容してはならない行為である。

 

「私達が一つの失敗をした事は認めましょう」

 

 丸眼鏡を外し、目頭を揉みつつ、教授は言った。

 

「アルバスの逃走劇が『粋』であると、私ですら感じたのは事実です。ウィーズリー達の騒動を、痛快であると感じてしまっていたのも事実です」

「別に、それを非難などしませんよ」

 

 その事に関して僕は何も思っていない。

 

「その感性は酷く魔法族らしい。そして僕が仮にグリフィンドール側に立っていたのなら、アルバス・ダンブルドア前校長は勿論の事、この場のウィーズリーの行為ですら全肯定していた事でしょう。スリザリンの一生徒が多少小うるさい事を言って来ようと譲りもしない。何が何でも正当化してみせますよ」

「……その二律背反を平気で飲み込むのが、貴方が貴方である所以なのでしょうね」

 

 はあ、と溜息を吐かれる。

 

「……以前同種の事を話し合いましたが──」

「──なれば、もう時間の無駄でしょう」

 

 躊躇なき非礼に教授は顔を大きく顰めたが、これは引けない側の事項だった。

 

「スリザリン代表者という程では有りませんが、一応下級生や女生徒──極々一部の人間達から相談を受け、不安と恐怖の告白を聞かされた身では有る。だから、貴方に伝えるべき事は全て伝えました。今更グリフィンドール寮監と合意する事など何もない。非道を始めたのはドローレス・アンブリッジですが、無法を始めたのはアルバス・ダンブルドア前校長、貴方の教授であり大先輩だ」

 

 全てが悪戯の範囲に留まるなら問題視しない。

 グリフィンドールがスリザリンへ正当防衛を為すのも当然の権利である。

 けれども、過剰防衛や単なる傷害行為へと至れば、絶対に報復行為に及んでみせる。

 

 子供でも解る理屈だろう。

 ()()()()()()()()()()()()()。何も難しい事など有りはしない。

 

「グラハム・モンタギューは現在進行形で奪われている。ホグワーツの七年間の一部、代替も代償も不可能な学生生活の一秒一秒を。ただ単に不当な減点行為に及んだ(少しばかりの非が有った)というだけで。それにも拘わらず、彼や、彼に続く被害者は泣き寝入りしろ。或いは、口頭の謝罪や金銭賠償さえすればグリフィンドールは何をやっても構わない。そんな非道徳を、まさか教授とも在ろう者が言わないのでしょうね?」

 

 そこまで一息で言い切り、憮然としたままの教授に笑い掛ける。

 

「個人的な感想を吐露するなら、こんな理屈なんぞどうでも良いのですよ」

 

 頼みを受けた者の義理と義務としてやっているだけで、本心はどちらでも良い。

 正論だろうが暴論だろうが、この教授に問い糺す事自体に興味を持っていない。スリザリンの肩を持つのは、単に私情に過ぎない。

 

「そこの双子がドラコ・マルフォイに殴り掛かった時や、前校長がどさくさ紛れに『軍団』名簿を回収して行った時も同種の事を思いましたが、グリフィンドールは少々子供染みた、甘ったれの性根を御持ちではないですか?」

「────」

「自分達をまるで物語の正義のように考え、悪に敗北する事など欠片も考えない。相手の憎悪を買い、道連れに不幸に堕とされる恐怖を抱かない。世界は悲劇も理不尽も有り触れているというのに、彼等は知ろうとすらしない」

 

 少なくともアルバス・ダンブルドア前校長は、魔法省が自分を害せるなら害してみろ、文句があるなら掛かって来いという覚悟を決めた上で行動を起こしている。

 だから双子達にしても、スリザリン──最低でも高等尋問官と尋問官親衛隊の構成員を追放し、我が寮の悪しき理念を根絶させるつもりでやっているならば、その行為に敬意を払えはした。一時間前の接触にしても、もっと互いを尊重する形で話し合う気にはなれただろう。

 

 けれども実際に会ってみれば、彼等は決してそうではなかった。

 『ダンブルドア軍団』と同様、学生気分のまま馬鹿騒ぎをやっているに過ぎなかった。

 

 何が何でも、自分達が不幸に堕ちても成し遂げるという気概が一切無い。

 

「……重ねて警告しましょう。私達は、貴方の行為を絶対に許しません」

「ええ、そう在るべきだ」

 

 ホグワーツ教授とは、ミネルバ・マクゴナガル教授とはそうでなければならない。

 

「ですが、僕も繰り返しましょう。貴方はホグワーツ教授に過ぎない。僕達を指導出来るのはこの箱庭内だけ。その外では、貴方は一切の制止する権限も持たない」

「……それは闇祓いや魔法法執行部隊を軽視し過ぎた発言ではないですか?」

「ここ数年を観察していた限り、それをするなという方が無理でしょう? 魔法省はシリウス・ブラックを未だに捕まえられない──」

 

 そこまで言葉にして、部屋内に微妙な空気が漂った事で口を閉じた。

 嗚呼、そうか。この場に居るのは、全員が全員、事情を知っている人間なのか。

 

「──訂正しましょう」

 

 自分の非を認め、口を開き直す。

 

「シリウス・ブラックは三年前の夏には脱獄していた。それから……暖かくなり始める前ですから、脱獄から約半年後の二月頃ですか。あの脱獄犯がロナルド・ウィーズリーへ馬乗りとなり、ナイフを振り上げるその瞬間まで止められなかった組織の人間達に、寧ろ貴方がたが期待し過ぎなのではないですか?」

 

 そして今度は、期待通りの反応が得られた。

 

 理由がどうあれ、あの時点までは確実に、シリウス・ブラックは完全に自由だった。

 まあ、あの騎士団長閣下の頭から動物擬き(アニメ―ガス)の可能性が消えていた事は理解出来るのだが──彼は教え子の能力を、そしてかつての騎士団員の能力を良く知っていた筈だ。そして、動物擬きは逃亡中に容易に習得出来るような呪文でもない──大多数の闇祓い共が見落とし、見逃し続けていたのは、無能と呼ばれても已むを得まい。

 

 独裁的な騎士団長と違い、魔法法執行部は〝組織〟である筈なのだから。

 一つの目的の為に協力して、多様な価値観と状況分析に基づき、大勢の人員を割いた上で治安維持活動と犯罪捜査活動を行って然るべきなのだから。

 

「第一、魔法省や闇祓い達が頼りないから戦っているのが前回の、そして今回の騎士団長閣下でしょうに。法や社会、教授や魔法省といった機関が救済を与えてくれないならば、自らの力をもって損害回復へ動く。人類が有史以前より尊んで来た原初にして不可侵の原則に、スリザリンもまた従う。これは単にそれだけの話ですよ」

「──貴方の主義主張は理解しました」

 

 くすんだ碧色の瞳を閉じ、少し黙り込んだ後、話を打ち切るように教授はそう言った。

 しかし、その理解しましたという言葉は、許容するや共感するという意味には全く聞こえず、寧ろ絶対に相容れず、何としても僕を止めてみせるという覚悟の宣言のように聞こえた。……それはそれで少し楽しみですら有る。

 

 少々高揚を覚えて来た僕を他所に、教授は冷めた眼で僕を見た。

 

「……もう一つ聞きましょう。貴方はウィーズリー達による統制を期待しました。それは私達から求めた事ではなく、貴方自身から出て来た発想です」

「それが何か?」

 

 正しくその通りでは有る。

 更なる面倒事を避ける最短だと考えたが故に、彼等を自ら直接刺しに行った。

 

「つまり、彼等が今後貴方の思惑通りに行動したのであれば……スリザリンの女子生徒や下級生など、貴方が庇護すべきと看做している人間達を護る為、これから最大限努力したのであれば、多少の情状酌量は期待出来るのですよね?」

「教授は勘違いしているのでは? 最優先されるべきは被害者の意思──」

「──私はミスター・モンタギューではなく、ミスター・マルフォイですらなく、貴方個人の見解と立場こそを質問しています」

「…………」

 

 暫く睨み合い、しかし今度は白旗を上げた。

 被害者と加害者間での落としどころは決められずとも、僕の心一つであれば、今この場で決める事は可能である。

 

「ハーマイオニーと約束はしました。そして僕自身、更に事故が起こって欲しいと考えている訳では無い。そこの双子や、ハーマイオニーに限らない。貴方や全ての監督生が協力し、今回の騒動を微笑ましい喧嘩で終わらせてくれる限りにおいては、僕の理性は何の問題も無いと結論を下すでしょう」

「結構。そして、それはスリザリンも同様の努力をする事を前提とする筈です」

「勝手に始めておいて図々し過ぎると思わないのかと、そう返したい所ですが……まあ、スネイプ寮監の希望(オーダー)に沿うものでは有りますからね。結果まで御約束出来ませんが、最大限注意は払いますよ」

 

 モンタギュー夫妻か、事件を知った他の親から吼えメールでも飛んで来たのだろう。

 僕を呼びだし、何時もの二倍くらいの仏頂面で、寮内を厳しく見張れと命じて来てくれたのがイースター前の事。更にイースター明け、馬鹿をすれば我輩の不興を買うと改めて寮生に脅迫していた姿を目撃してもいる。勿論我等が性悪寮監の事なので自分で止める気は更々無いだろうが、それでも最低限の仕事は期待出来るだろう。手を抜いて最終的に困るのは結局、あの教授自身であるのだから。

 

「しかし、既に起こったグラハム・モンタギューの一件だけはどうにもなりませんよ。セブルス・スネイプ寮監も所詮は半純血。僕もまた同じ。可能なのは〝純血〟達に助力せず、諫める所まで。彼等がそれでも本気だというのなら止められない」

 

 我が寮の教義が純血主義である以上、その上下の絶対はどうにもならない。

 

 再三伝えている警告に、だが教授は構わないと頷いた。

 

「それで十分です。その後始末はやはり私の仕事であり、そもそも私が直接警告する意味を感じている生徒は貴方一人だけです」

 

 

 

 

 

 

 

「では、もう一方の件に移りましょうか」

 

 そう教授が宣言した瞬間、大きく息を吐いた音が何故か三つ。

 

 その発信源は明らかであり、僕の視界の内に居たハーマイオニーは特に露骨な安堵を浮かべていたが、そんなにもミネルバ・マクゴナガル教授が恐ろしく見えていたのだろうか。その辺りの真っ当な生徒としての感覚は、やはり僕には掴み難い所が有る。僕はこの五年間で、アルバス・ダンブルドア前校長やスネイプ教授と言葉を交わす事に余りに慣れ過ぎたのだろう。

 

 まあ、それは良いとしてだ。

 

「……レッドフィールド。呼び付けた身ですから何も言わないつもりでしたが、流石にそこまでの態度となると眼に余ります」

「無茶を言わないでくださいよ」

 

 咎められたので、多少は姿勢を正しつつ答える。

 

「どちらの行動が良いかは僕自身測りかねているので、貴方の思惑に乗るのは吝かでは有りません。しかし、このような状況が面倒だと思う事は止められない」

「────」

「そもそも、貴方は既にやる前提で話を進めたいようですが、意思確認は済んでいるんです? 僕はまだ、それすら聞いていませんが」

 

 双子の方を顎で小さく指し示す。

 教授は余計に顔を顰めたが、気に留めるつもりは無かった。

 

「……この場に彼等が居るだけで答えは明らかだと思いますが」

「教授。貴方は察している筈だ。この介入は自分の指導権を超えるかもしれないと」

「…………」

 

 ホグワーツ教授には広い指導権が認められるが、それでも授業とも学校生活とも無関係な事項に対しては、その指導権は当然排除されて然るべきだろう。

 まして教授がやろうとしているのは仲直りさせるとかではなく、その逆だ。そこまで行くと、教授のやるべき行いでは無い。この()()()教授がこの場に居り、これからの事を承認しようとしているというだけで、僕は十二分に驚いているのだ。

 

「まあ貴方の仰る通り、問題を(つつ)いてやったのは僕だ。ですから、貴方が僕を留める事は一応良しとしましょう。けれども、そこのウィーズリー達は違う」

 

 そこは道理が通らない。

 そして、僕も最初に確認しておかねばならない。

 

「この場を成立させる権利は、僕でも貴方でも無く、〝ウィーズリー〟にこそ在る」

 

 彼等こそが始まりだ。

 

「そしてこれは教授によって科される罰則や義務、或いは責任で在ってはならない筈だ。要するに、グリフィンドール寮監が彼等を留める権利など無い。彼等には何時でも、今この瞬間ですらも立ち去るのが認められて然るべきで、彼等が立ち去れば終わりにしなければならない」

「……つまり、貴方は私が彼等に無理強いしていると言いたいのですか?」

「生徒は教授よりも、寮監よりも弱い立場に在るものでしょう? 内心思っていたとしても、力関係上抵抗出来ないという事は多々存在する」

「如何に正論だろうと、貴方が言うと途端に嘘臭く聞こえます」

 

 失礼な事だと僕が答える前に、彼女は振り返って背後を見た。

 そうして暫く待って、結果は露わになった。双子は立ち去ろうとしなかった。緊張に身を堅め、息を潜めるようにはしていたが、そこに座ったままだった。

 

「見ての通りです」

 

 視線を戻し、静かにそう伝えた教授に、僕は口の端を歪める。

 

「僕の眼から見る限り、彼等が完全に、心の底から同意しているようには見えないのですが──まあ良いでしょう。留まる気だというなら同じ事だ」

 

 彼等に僕への敵意や反発心の気配が全く見えなそうだというのが気に掛かるものの、わざわざ視線を合わせて探る程、彼等の内心に余り興味は無い。ウィーズリー達は彼等なりに留まる理由を見付けたのだろうし、そして獅子としての矜持は残っていたという事か。

 

「それは理解出来ましたが、では、貴方が僕を引っ張り出す理由は何です?」

 

 必須にして最低限の確認は終わったが、全てを納得した訳でも無い。

 教授から視線を外し、何となく部屋の隅を観察しながら問う。まさかこの状況で透明マントが使われている事は無いだろう。単純に、ミネルバ・マクゴナガル教授を余り見たくない気分だったからだ。

 

「貴方がこうして直接的な形で出張ってくるという事は、教授は既に僕の皮肉、彼等の両親を賞賛した真意を理解しているという事ではないですか? 仮にそれが不可能だったとしても、ハーマイオニー・グレンジャーから聞き出せば済む話ですしね。貴方が把握する事は何も難しくない」

「…………」

 

 視線を合わせず、表情も見ずとも解る事は有る。

 彼女の気配は、その事が間違いなく真実だと答えていた。

 

「血の問題を禁忌とするのは勝手だ」

 

 あの前校長閣下には、ホグワーツの最高権力者にはその権利が有った。

 

「しかしそのせいで、『穢れた血』が非魔法族(マグル)の事を指すのだと勘違いしている者すら、今のホグワーツには存在している。それなのに、貴方がたは何もしない。見ない振りをした所で、社会からも問題が無くなる訳ではない。それでも貴方がたは、非魔法族育ちや半純血達に教えない。棒を振る事を教えるだけで、この社会で生きる為の知識を教えてやらない」

 

 そこまで言葉にし、漸くミネルバ・マクゴナガル教授へと戻した。彼女の表情は相変わらず凛然としていて、僕の皮肉は聊かも応えた様子は無かった。それどころか逆に、彼女の覚悟と決意をより強固にしてしまったようだった。

 

「……てっきり手厳しい反論が返って来るものだと考えていましたが。教授なら幾らでも出来るでしょう? 今貴方を糾弾した僕自身ですら、幾らでも思い付いているのですし」

「この問題についての批難は、私は真正面から受け止めるべきと判断しています」

 

 その潔く眩くもある態度に逆に遣り込められた気分になり、嘆息させられる。

 

「……ならば、繰り返しましょう。何故僕を担ぎ出そうとするのです?」

 

 その理由がやはり解らないと、改めて双子を見やる。

 

 彼等の計四つの瞳を視界の端で捉え、抱くのは案の定落胆だ。

 ミネルバ・マクゴナガル教授は彼等に一体どんな叱責をして、どんな理屈を付けてこの場に引き摺り出して来たのか。その事を不思議に思う位に、彼等からは牙が抜かれている。あの行き止まりの空間で対峙した時と違い、彼等からは僕への対抗心が喪われている。

 

 まったくもって、面白味に欠けている。

 

「貴方は僕に語らせようとしている。彼等に対して、アーサー・ウィーズリーの背信を語らせようとしている。しかし、貴方が理屈を理解しているならば、それこそ貴方が教えてやれば良いでしょう? 僕は彼等に優しくしてやる義理はなく、それがやれる人間でも無い。手の込んだ仕掛けをしたのは御苦労だと思いますが、貴方がそこまでする意味が見えて来ない」

 

 僕にとっては心底不思議に思える行動であり、けれども、ミネルバ・マクゴナガル教授は静かに、落ち着いた瞳で僕を見返して来た。

 

「一つだけあるでしょう。貴方を引っ張り出す意味が」

「何が有るというのです?」

「私のかつての、いえ、今でも教え子のつもりであるパーシーの件です」

「であれば、やはり無いでしょう」

 

 馬鹿々々しいと切って捨てる。

 

「確かに、貴方がたは僕と違って直接会った訳では無い。けれども、彼の離反の理由も想像出来てはいる筈だ。僕の皮肉の意味さえ理解すれば、当然そこに行きつく。彼が魔法省で如何なる立場に置かれているか想像出来る。なれば──」

「──上辺だけの理解で、貴方は彼の慟哭を受け止められると考えていますか?」

「…………」

 

 沈黙。

 僕はそれを選ばざるを得なかった。

 

「私は教師ですから、多くの生徒を見て来ました。だから、解っていないのに解った振りをしている生徒と言うのは、見れば直ぐに解るのです。そして大抵の場合、そのような生徒の下に、良い結果が訪れる事は有りません」

「……まるで、そこの双子の物分かりが悪いみたいじゃないですか」

「無論、そう言っているつもりは一切有りません」

 

 気のない僕の揶揄に、返ってくるのは断固とした否定。

 

「彼等は確かに問題児では有りますが、それでも非常に頭が回る人間達で、何よりグリフィンドール生です。そして、察しているのに惚けるのは賢いとは思えませんよ、レッドフィールド。私はこう言っているのです。解った振りをしているのは、私も含めてなのかもしれないと」

「────」

「私達はスリザリンの主張を正確に、かつ、可能な限り多く知らねばならないのです。貴方の眼から見れば、パーシーですら無知に当たるでしょう? そして、彼等にとって失敗する訳には行かないのです」

「……解せませんね」

 

 柄に無く熱を持っている教授とは反対に、今度は僕が酷く冷め切っていた。

 

「良いじゃないですか、済し崩し的和解で」

 

 全てを受け止める必要など有るのか。それが疑問でならない。

 

「パーシー・ウィーズリーの忠誠が何処に在るかは、既に僕が直接見ています。直ぐには無理でしょうが、時間が解決してくれる余地は十分あるでしょう。この戦争の何処かでウィーズリー家がグリフィンドール的に──上から目線で許し、家族として再度温かく迎えてやれば、彼は容易く屈するのではないか。そんな気がしていますよ」

「まるで貴方らしくない事を言うのですね」

「教授が認識している僕らしさとやらは今は置いておきましょう。けれども、すっぱり解決する問題の方が世の中珍しい筈でしょう? 継ぎ接ぎの壊れ掛けで満足せねばならない問題というのは確かに存在する」

「しかし、これは明確に違う筈です」

 

 僕の心からの呆れにも、教授は頑な態度を崩さなかった。

 

「見逃したままで居てしまえば、ウィーズリー家の結束の危機は、それもパーシーだけでない破綻は、今後何処かの場面で訪れるかもしれません。そして賢い貴方に説明する必要が有るとは思いませんが、和解とは御互いの側が譲歩してこそ成立するのですよ」

「…………」

「また、貴方の方も、この場では譲歩してくれませんか?」

 

 先程引かなかったのは僕だったが、今度は教授の番らしい。

 真っすぐ視線を合わせて失された言葉に、大きく息を吐いてみせた。

 

「……ミネルバ・マクゴナガル教授。嫌々ながらも確認させて頂くのですが、仮に僕がウィーズリー達に語る事を承諾したとして、貴方もまたその場に同席する。今の言葉からすれば、そう言っているように聞こえたのですが」

「その通りです」

 

 否定の言葉を期待した問いは、しかし当然のように裏切られた。

 

「レッドフィールド。私は失敗を犯したと考えているのです」

「……どれを?」

「前回、グレンジャーのみに問題を背負わせた事です」

 

 となれば、あの温室での接触の事か。

 

「あの時は、私は同席する必要が無いと考えていました。貴方がたを信頼していたというのもありますし……ええ、はっきり言ってしまえば、グレンジャーに貴方を止めて欲しいと伝えたのは、単なる口実に過ぎませんでした。けれども、貴方を甘く見過ぎていたのでしょう。貴方がその時突き付けた問題は、一生徒が受け止めるには余りに重過ぎるものだったからです」

「ハーマイオニーはあの程度で折れる程に弱くはない。実際そうだった」

「先程も述べた通り、その考えが貴方の甘えだと言うのです」

「────」

 

 頬を染めながらも今度は視線を逸らさなかった少女を見つつ言えば、返ってきたのは痛烈な皮肉だった。もっとも、それで顔を歪めたのは僕ではなく、あくまで教授の側だった。

 

「ですが、甘えていたのは私達の方もです。私達はアルバスに依存し過ぎました。そして、問題に取り組む努力を怠っていました」

「けれども、あの場での内容程度、貴方がたには目新しくもないでしょう?」

 

 彼女は、僕よりも遥かに賢い。

 そしてホグワーツ教授として、数十年の時を生きている。

 

「ホグワーツと魔法省、まあ、魔法使い評議会時代も変わりませんが、それらが決定的な対立にまで至らなかったのは、大人の世界と子供の世界で支配を棲み分けして来た点にある。だがそれはそれとして、裏では様々な事柄で主導権を巡り対立して来た。その程度の事は、この地の魔法族なら、そして勤務者であるなら知っていた筈だ」

 

 激化させたのは彼だが、彼が最初に生んだ訳では決してない。

 

 ただ、僕の言葉に教授は首を振った。

 

「知っている事と理解している事は違います。そして、その上で行動する事も」

「なら、今回の問題に関して言えば、アズカバンにでも面会に行ったらどうです? 貴方が頭でも下げて請いさえすれば、懇切丁寧に教えてくれる筈ですよ」

「マグルのスカートを捲り上げて弄んだ挙句、闇の印に逃げ出すような輩に聞く気は有りません。……貴方の言いたい事は解りますよ。今アズカバンに囚われている人間は違うというのでしょう。しかし、私は断じて、死喰い人の話を聞きたい訳では有りません。スリザリンの話を聞きたいのです」

 

 真摯な瞳であり、最大限誠実な言葉だった。

 

「……スリザリンの、と貴方は仰りますが。しかし、僕の考えは、恐らくスリザリンの考えと完全に一致するものではない」

「ならば、貴方のと言い替えても何ら構いません」

「どう考えても、貴方が知っている内容を逸脱出来る気がしませんが」

「既に自分が聞いた事のある内容、知識として有している内容を他から得る事に価値が無いと言うのであれば、教科書も教授も一つで足りるでしょう」

「────成程」

 

 その切り返しは、悪くない挑発(ユーモア)だった。

 

 そして、僕の負けか。

 

 そもそも、本気で拒絶する気であれば、最初の時点で席を立っておくべきだったのだ。

 ミネルバ・マクゴナガル教授が御見通しか解らないが、僕にも留まる意味は存在しているのだ。醜悪で、悪意に満ちた、歪んでいる期待を未だに持っているから、この場をとっとと立ち去る事を選ばなかった。

 

 但し、だ。

 

 先に進む為の言葉を、ミネルバ・マクゴナガル教授に向かって口にする。

 

「しかしながら教授」

「何でしょう?」

「そういう事であれば、貴方には今回黙っていて貰う」

 

 ミネルバ・マクゴナガル教授は大きく眉を寄せた。

 

「……どういう事です?」

「言葉通り。貴方に口出しは許さない。そう意味ですよ」

 

 その要求には、流石の教授も一切の不愉快を隠さなかった。

 けれども、彼女が抵抗するより僕が呼び掛ける方が先だ。僕の怒りの方が、遥かに上なのだ。如何にホグワーツ教授だろうと、否、教授であるからこそ許されない。

 

 〝教授〟とは、生徒に知識を与え、人生の指針を示す者の事を言うのでは無かったか。

 

「ねえ、ミネルバ・マクゴナガル教授。いえ、ミズ・()()()()()()

 

 指組みした向こう、険しい表情をした魔女をねめつけて告げる。

 

「僕が貴方にこんな事を言っているのは、そう大した理由が有る訳でもない」

 

 この要求自体に意味は無い。

 

「思惑や計画も無い。けれども、これだけは明確だ。この話は()()にとって冷静に、理性的に、御行儀の良い態度で出来るようなものではない。これは既に持っている者が持たない者達を踏み躙って来た話だ。これは魔法や科学の話では無く、()()()()()()()()()()()()()

「…………」

「そして貴方が彼等の側に立つ事は出来ない。その権利は──無い」

 

 マクゴナガルである彼女は寧ろ、僕の側に立たねばならないのだから。

 

「……傲慢不遜さに関して言えば、貴方はアルバスを遥かに上回っていますね」

「何とでも言うが良いでしょう」

 

 客観的に酷い言い草をしたとは理解しているが、譲る気はない。

 

「それに、貴方に立ち去れとまで求めている訳では無い。この場に居さえすれば、貴方の目的、つまりスリザリンの思惑を知り、同時にそこの双子の心の支えとなるという目的も達成されるでしょう? まあ、貴方が同席する方が良さそうだというのは頭では解っていますしね」

 

 教授の前で、生徒は完全に自由な振舞いをする事は出来ない。

 感情論を度外視すれば、それを最大限利用すべきだというのは理解している。

 

「そもそも、この要求自体が負け惜しみのようなものです。既に()()()()()()()()()()()()()()()()()。再度双子達を引っ張り出す事に成功し、僕の話を聞かせる為の場を成立させてしまった時点で、僕は引かねばならなくなっている」

 

 そう言った瞬間、教授はどういう訳か怪訝そうに眉を顰め、更にハーマイオニーも驚愕の表情を浮かべてい──嗚呼、彼女はそこまで見通してやった訳では無いのか。完全に僕が早合点した形らしく、まあ、良い。曲がりなりにも口に出した事を撤回するつもりは無い。それ位の矜持は有る。

 

 その代わり、愉快さと共に教授を見つめ直す。

 

「ミネルバ・マクゴナガル教授。貴方は今回()()()()()止めに来たのではないですか? 少なくともハーマイオニー・グレンジャーはそのつもりだった筈ですが」

「…………」

 

 僕達は揃って一人の少女に視線を向け、しかし彼女は大きく顔を背けていた。

 僕へは兎も角として、教授にすらそんな態度を彼女が取るのは、今までの五年間で初めての事態なのかもしれなかった。

 

「……貴方が、いえ、グレンジャーが止めようとしたのは何です」

「彼女に聞かずに僕へと聞くのは何故です?」

「グレンジャーが私に真意を伝えられなかった事に責任は無い──彼女は意図して隠そうとしていた訳では無く、単純に私に対してどう説明して良いか解らなかったからであったのだと、そう信ずるからです」

「なら答えますが。そこの双子の『卒業式』への介入ですよ」

 

 更に厳しくなった気がする視線を受け止め、大した事でないと答える。

 

「彼等はどうも意気揚々、威風堂々と出て行くつもりだったみたいですからね」

 

 詳細までは伝わって来ないが、随分楽しそうに計画していたとは聞いている。

 

「ですから、僕はそこに尋問をぶつけてやるつもりだった。主題は勿論、パーシー・ウィーズリーが己を信じられなくなった理由について。被告人はグリフィンドールそのもの。証人席に立つのはその二人とドローレス・アンブリッジ。陪審員はホグワーツ生であり、判決を下すのも彼等。今後の無秩序の()()()としては良い刺激になりそうでしょう?」

「……あ、貴方はホグワーツを粉々にするつもりですか」

「粉々? まさか」

 

 何故だか教授は僕が勝つ事を前提としているらしい。

 愕然とした、少しだけ震えているようにも聞こえた言葉を、しかし真正面から否定する。

 

「公平公正な裁判では無いのですから結論は決まり切っている。ウィーズリーは言わずと知れた人気者で、その上スリザリンは徹底的に不人気。ドローレス・アンブリッジも僕も例外では無い。加えて主題自体が真偽不明(フィフティ・フィフティ)と来ている。この状況で勝てるなら地上の神になれますよ。最初から負ける事こそが既定路線だと言って良いでしょう」

「…………」

「──嗚呼、負けるのは構わないが。ただ、せめて知って貰わねば割に合わん」

 

 そこまで口にして、ふと我に返る。

 

 知らず知らずの内に言葉遣いが崩れていたし、僅かの間にしても教授の存在を忘れていた。けれども、ミネルバ・マクゴナガル教授は何も注意を飛ばして来なかった。それどころか、眼を瞑って、僕の言葉を吟味していたようだった。

 

 いや、そもそも眼を瞑っていたのだろうか。

 ……瞑っていたのだろう。僕が教授の方に視線を戻した瞬間、彼女は僕に対して戦慄と恐怖を抱いたように見えたのだから。生徒にそれを抱く道理など無いのだから、見間違いに違いない。

 

 実際、眼を開いた彼女は、やはり何時も通りの教授だった。

 

「……私が引き下がれば、貴方も引き下がるのですね」

「引換の条件として出した訳では無いですが、結果的にはそうなりますね」

 

 必要が無いのであれば、分の悪い行動に及ぶ気まではない。

 確認の言葉にそう頷けば、教授は微妙に眉を寄せた。何と無く困惑しているようで、質問自体も彼女にしては歯切れが悪かった。

 

「しかし、貴方はそれで構わないのですか?」

「? 何がでしょう?」

「貴方が引き下がるという事は、貴方が今回の問題を全校生徒に問う機会を捨てるという事です。貴方の視点でグリフィンドールに好きにさせるという事です。勿論、それは私達にとって望ましい事になる筈ですが、それで貴方は十分満足出来るというのですか?」

「嗚呼、そんな事ですか」

 

 教授が疑問に思うのは理解したが、しかし、非常に下らない質問だ。

 

「教授に言わせれば、和解とは御互いが歩み寄る事なのでしょう? 個人的には一つ譲るのも二つのも同じですから、もう貴方がたが求める部分は全て譲ってやりますよ。僕が何処まで譲れるか。それをこれから貴方がたと揉めるというのも酷く面倒ですし」

 

 そう答えてやれば、秩序の教授は何処か荒んだ調子になって言った。

 

「……グレンジャー。この男の手綱を、可能な限り握っておくように」

 

 暴れ馬のような扱いをされるのは酷く心外だ。

 そう思いながらハーマイオニーを見れば、彼女は神妙な顔をして頭を下げた。

 

「……鋭意努力します」

「…………」

 

 本当に、彼女達には僕が一体どう映っているのやら。

 

「まあ、軽い冗談は兎も角として」

「……冗談を吐いている自覚は有ったのですか」

「多少はそうです」

 

 僕は先程譲歩と言った。

 要は、敗走や降伏では無い。

 

 つまり、既に得られるモノを見出しており、この流れに従ってやる事に異存はない。

 だからこそ、簡単に引いてしまう事が出来るのであり。

 

「しかしながら、ミネルバ・マクゴナガル教授。どうか御忘れなきよう。コレは、今回僕の口を封じれば終わる問題では無い」

「────」

 

 無理に食い縋る事に価値を見出していないからでもある。

 

 語ろうが語るまいがどちらでも良い、というのは流石に言い過ぎだが。

 是が非でも自分の手で為さねばならない、そうでなければ何も変わりはしないのだと自惚れている訳では無い。歴史に絶対不可欠の存在など居ない。ゲラート・グリンデルバルトや闇の帝王ですら、仮に彼等が存在しなかったとしても、他の誰かが同種の事を引き起こしただろう。

 

 そして、これもまた変わらない。

 

「そもそも我がスリザリンは何も困りませんしね。加えて、今年度の魔法界を眺めた上で、僕の方も既に心を決めている。()()()()()()()()()サラザール・スリザリンの悲願を叶えるのだというならば、それもまた一つの結末として受け容れると。貴方がたが千年前の勝者はグリフィンドールだと主張するのなら、此度の勝者となるのはスリザリンだと」

 

 アルバス・ダンブルドア前校長も、コーネリウス・ファッジも、ドローレス・アンブリッジも、ミネルバ・マクゴナガル教授ですらも例外ではなく。このホグワーツ内に既に在った()()()問題すら是正しなかった者達は、何の自覚無く、彼等の三創始者を裏切る罪深き道を進んでいる。

 

 その痛烈な皮肉には流石の教授も平静で居られなかったようで、彼女は反発と共に何か反論を紡ごうとしたようだが、僕は人差し指を立てる事で止めてやった。

 

「この議論は、今は先送りにすべきでしょう? 違いますか?」

 

 教授達の人払いを疑っている訳では無いし、何なら直近で最も完璧に近いなのかもしれないが、それでも完全無欠では無かろう。そして時間は有限であり、僕と彼女の議論は必要なら来年以降に伸ばす事すらも出来る。

 

 何より、この場の主役はやはり〝ウィーズリー〟なのだ。

 

 それを籠めた促しに、彼女は不承不承頷く。

 けれども、その姿に何処となく見慣れたハーマイオニーが──反論を不本意に止められた少女の姿が重なり、僕は思わず口元が緩んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、教授。始める前に用意して頂きたいモノがあるのですが」

 

 〝席替え〟が行われた後、僕はそう切り出した。

 

 部屋内の位置関係は然程大きく変わった訳では無い。

 宣言通り、教授は僕の前から消えて部屋の隅に行き、そこらから掘り出した執務机と椅子へと着いた。更に羊皮紙、羽ペン、そしてインク瓶を出現させた──つまり仕事を出来る態勢になった辺り、彼女は本気で話を聞くだけにするつもりらしい。そこまでしてくれと要求した訳では無かったが、それは彼女なりの演出(パフォーマンス)、グリフィンドール三人に対して自分は手助けをしないと主張する為の行動でも有るのかもしれない。

 

 また、教授が居なくなった分それだけ僕の真正面のスペースが空く形になったが、それは生徒三人が僕の方向に距離を詰めるのではなく、コーヒーテーブルを彼女達の側に移動させる事で無理矢理誤魔化された。杖を振ってその配置を作ったのは教授で有ったから、要するに、会話する距離の不自然さより僕達を近付けない事の方を優先したのだろう。

 

 まあ、こちらとしても文句は無い。ドラコ・マルフォイに平気で殴り掛かる野蛮人共には、進んで近付きたくもないからだ。

 

「……貴方はここまでしてまだ、不服な事が有るのですか」

「こちらは道理に外れた物では有りませんよ」

 

 既に羽ペンを手に取っていた教授は案の定、非常に嫌そうな顔を僕に向けてくる。

 この普通でない処遇と配置を受け容れはしても、内心腹立たしく思っているのは一目瞭然で、珍しく言葉にも露骨に棘がある。しかし、僕は構わず要求を紡いだ。

 

 そう何時も何時も、無駄口ばかり叩いている訳では無い。

 

「出来ればで構いません。『純血一族一覧』の現物がこの場に欲しいのです」

 

 内容自体から真意と真剣味は伝わったのだろう。

 今度教授の眉根に拠った皺は、その是非を吟味する為だった。

 

「その書籍は貴方にとって必須ですか?」

「確かに必須では有りませんが、可能な限り正確は期しておきたい。何より、これは何が何でも最初に確定しておかなければならない大前提です。ここから疑われてしまっては、この場での議論どころか会話自体が成立しなくなってしまう」

「……だから、証拠が欲しいという事ですか」

「ええ。約六十年前、()()()()()()()()()()()()()存在していた歴史的記述。それが在った方がやはり望ましい。もっとも、駄目元であるのは否めません。あの前校長が独断かつ恣意的に図書室から取り除いていたとしても、僕には何の驚きも無い」

「成程、貴方の主張を認めましょう。少し御待ちなさい」

 

 教授は杖を最初に二度程小さく振った。

 何の為かまでは解らないが、求めた成果は得られたのだろう。その後で彼女は大きく円を描くように振り、杖先から現れた銀色の猫を生み出した。そして、その猫は机の上に降り立ち、教授の方に一鳴きした後、床へと飛び降り──擦り抜けて消えて行った。

 

 どうやら多少は期待出来そうらしい。

 そう考えつつ、準備が出来るまで黙って待つ羽目になるとも僕は考えていたのだが、そうさせなかったのはミネルバ・マクゴナガル教授だった。

 

「しかし、貴方のその検閲を嫌う態度は、やはりレイブンクロー的ですね」

 

 そう言う教授の口調は酷く軽いもの。

 要するに、時間潰しの為の雑談である事が明白だった。

 

 だから、回転椅子の肘掛けに寄り掛かったまま、僕も気楽に答える。

 相も変わらず、この場に居る他の三人は口出ししてくる気配すら無い。それどころか、ますます身を縮めてしまったような気配すらした。

 

「そこでスリザリン的という言葉を選ばなかった理由は何故です? 『純血一族一覧』を学校に置けというのは、スリザリンの主張とも重なる部分も有る筈ですが。それにも拘わらず、敢えてレイブンクローを出した理由は気になります」

 

 少し考える素振りを見せた後で、教授は口を開いた。

 

「そこに貴方の熱意が無いように思えたからです。強いて言うならば、貴方はアルバスが本を取り除く事を嫌悪していても、その一方で権利を認めている。それはスリザリン生としては有り得ない態度でしょう。彼等は絶対に置くべきという立場なのですから」

「……成程。そう言われてみればそうかもしれない」

「レイブンクローは、良くも悪くも知識は無色と扱います。色を決めるのは人間であり、危険性を定めるのも人間次第であると。流石にスリザリン程に闇の魔術を是とはしませんが」

「しかし、それも偏見だと思いますけどね。陳腐な表現ですが、毒は薬にもなる。前校長も貴方も闇を毛嫌いし過ぎている。闇も使い方次第であり、そもそも闇の濃さを真に知らなければ、光がどれだけ素晴らしいモノであるかを理解出来やしない」

 

 そう述べれば、教授は批難の視線を僕に浴びせて来た。

 

「しかし、触れるべきでない闇も存在するでしょう。呪文の行使には意思が必要であり、そして意思が人間の物である以上、善悪と言った倫理判断からは自由で居られないのです。殺意や害意を不可欠の前提とする呪文、それを記述する知識は、やはり不適切以外の何物でもありません」

「それはまあ、確かに。貴方の仰る事には一定の理が在る」

「つまり間違っている部分が有ると?」

「ええ。それも僕が決めるのでは無く、貴方自身が認める間違いが」

 

 ハーマイオニーも良く嵌る事だが、僕のような人間と余り議論すべきでは無いのだ。

 悪党は禁反言や言行不一致に従わないが、正義の信奉者は容易に縛られてしまう。一方だけ制限が掛かっていれば負けやすくなるのも必然というものだろう。

 

「教授が省いたのが意図的かどうかは解りませんが、もう一つは違うのではという事ですよ。貴方は過去に魔法省に居たとも聞いています。ならば、現在闇だと分類されるその呪文を、貴方でさえも使った事が有るでしょう? 或いは、有益な物として今後に使うでしょう?」

 

 薄笑いと共に紡いだ揶揄は流石に効いたらしい。

 教授は苦い顔をしたが、逃げはしなかった。渋々であれ、小さく首肯した。

 

「……そうですね。バーティを全肯定はしませんが、彼が前回闇祓い達から支持された理由はそこに在ります。貴方の指摘はもっともで、私もまた、それ程強くはありません。もっともアルバスは、これすら言い訳だと考えそうですが」

「単にあの怪物が異常なだけでしょうに」

「アルバスを平然とそう評せるのは、老若男女問わず貴方ぐらいのものです」

 

 最後に軽妙な皮肉を紡いでくれた後、教授はふっと、僕から視線を逸らした。

 

 銀の猫が戻って来たのかと思ったが、そうでは無かった。

 ミネルバ・マクゴナガル教授はハーマイオニーを見ていた。そこに座っていた少女の口は大きく開かれていて……嗚呼、成程。そういう事か。そして教授の方も、彼女の反応の理由に気付いているようだった。

 

「グレンジャー」

「は、はい……!」

 

 背筋を伸ばして勢い良く答えた彼女に、教授は少しだけ頬を緩めた。

 

「『ダンブルドア軍団』の発想は、貴方から出たものでしょう?」

 

 一切の脈絡の無い問いだと感じたのかもしれない。或いは、彼女達の行為を責められていると感じたのかもしれない。更なる緊張に身を堅くした少女に対して、教授の方も僕と同じ事を思ったのだろう。明らかに優しい声色で語り掛け直した。

 

「決して責めている訳では有りませんよ。私は貴方達の行動に理解を示しています。勿論、貴方がたが行ったであろう活動内容にも。しかし、それがドローレスの手によって停止させられた後、その事について貴方と話す機会は無かったでしょう?」

「え、ええ。一度も有りませんでした」

「ですから、この場で少し質問をしてみたいと思うのです。貴方がた生徒がどれだけ本気で訓練に──魔法戦争の為の実践訓練に励んでいたか。それを確認するテストだと、そう言い替えても良いかもしれません。……そう堅くなる必要も有りませんよ。普段の授業でしているのと同様、貴方が学んだ事を、教師である私の前で示すだけです」

 

 恐怖より困惑が勝り始めたハーマイオニーを他所に、既に僕には教授の目的とやりたい事が解理解出来たが──まあ、教授が一瞥を向けて来た辺り、今はお前が引っ込んでいろという事だろう。

 

「解り易く状況設定をしましょうか、グレンジャー」

 

 意識しているのかいないのか。

 そこに居たのは既に変身術教授、授業内で見慣れた教師の振舞いだった。

 

「貴方が闇祓いになったとした上で、彼等を捕えようとしている場面を想定しなさい。余り有り得る場面では無いですが、一対一で向かい合っていると考えて構いません。そして私達の立場上、死喰い人に可能な限り怪我をさせないという条件も付けましょうか。しかし、相手は当然、殺すつもりで杖を向けて来ます。この場合、貴方はどう行動しますか?」

「え、ええと……」

 

 この場は教室ではないが、教授が生徒に対して教えるという形を一応取っている。

 それにも拘わらずハーマイオニーが質問に窮するのは割と珍しい、というよりホグワーツ生活で初めてなのではないか。僕は音無く笑いながらそのように思った。

 

武装解除呪文(エクスペリアームズ)を使う、でしょうか?」

 

 やはり見た事もない自信無さげな回答に、教授は小さく頷いて見せた。

 

「簡単かつ非常に有効な呪文ですね。その後は?」

「あ、後? い、拘束呪文(インカーセラス)を使って縛り上げるとかでしょうか? 捕らえなければならないのですから、動けないようにする事が必要でしょう?」

「成程」

 

 ミネルバ・マクゴナガル教授はもう一度頷き、双子の方へと視線を向けた。

 

「では、ウィーズリー。貴方達も『軍団』の一員で有ったのでしょう? 今のグレンジャーの回答について何か付け加える事や、自分達だったらこうするという考えは有りますか?」

 

 双子の方も少々面食らった顔をしていたが、それでもハーマイオニーよりは心の準備は出来たらしい。二人で顔を合わせた後、代わる代わる答えを紡いだ。

 

「アー、失神呪文を使ってやる──掛けるという事ですか?」

「用心の為にも更に石化呪文も掛けとくとか」

「そうですね」

 

 やはり表面上は満足そうに、ミネルバ・マクゴナガル教授は頷いた。

 

「私としても、死喰い人の意識を保ったままにはしておきたくないでしょう。一方で、石化呪文を更に掛ける意味は余り無さそうです。拘束呪文と石化呪文、それらの期待出来る効果は然程変わりませんからね。全く無意味とは言いませんが」

「えっと。なら、後は姿眩まし防止呪文とかですか? ……俺達は使えませんけど」

「発想としては十分評価出来ます。前回多くの死喰い人が逃げおおせられた理由の一つは、魔法族個人の機動力の高さに有ります。貴方がたなら……クィディッチ・ワールドカップでの体験を、知識として繋げられるかもしれません」

 

 教授の論評は一貫して称賛では有った。

 しかし全くの第三者として眺めていた僕には、彼女が抱いていた本心、及び後に続けるであろう言葉が予想出来ていた。

 

「しかし、です」

 

 案の定だった。

 

「確かに今の貴方がたの回答に対し、教師として減点する事は一切出来ません。けれども、戦争経験者個人としては、貴方がたの回答に不満を抱きます。下級生相手には流石にこんな事は言いませんが、貴方達の年なら現実を知っておくべきでしょう」

 

 そして教授は何時も以上に厳しく、険しい表情を作って言った。

 

「私であれば、何処かで()()()()()()()()()()

「────な」

「「────え?」」

 

 ハーマイオニーは言葉を喪い、彼女の隣に居る双子もそうだった。

 そして、そのグリフィンドールの甘さを、僕は愉快さと共に観察していた。

 

「で、でも先生! 許されざる呪文は、同族のヒトに掛ける事が許されていません! い、いえ、確かに前回の戦争での闇祓いには許可されていましたが、それでも──」

「──グレンジャー。私は必ず服従の呪文を使えと言っている訳では有りませんよ」

 

 慌てて正論を捲し立て始めた少女に対し、やはり優しい声色で教授は言った。

 

「そして倫理的・法的に言えば、貴方が全くもって正しい。けれども、この問いで私が本当に聞きたかったのは、何の呪文を使うのが正解なのかという事ではないのです。貴方なら答えられるでしょう、レッドフィールド」

 

 ……ここで僕に振るのか。

 一瞬で集まった四人の視線を受けつつ、渋々解答を口にする。

 

「まあ、これは先程の僕達の議論、その延長戦上に有る話でしょう?」

 

 教師の発言を殆ど一言一句逃さずに覚えていられるハーマイオニーでも、パニックになってしまえば容易に忘却するらしい。非常に自由度の高いように問われた質問では有ったが、流れを踏まえれば答えは完全に限定されていた。

 

「危険性の評価は個人や社会の価値観により左右され、しかも現実の形次第では、本来危険とされた代物が危険のままに許容される場合が有る。非魔法族の自動車、或いは拳銃が良い例で、あれらは文句無しに危険物であろうと、ある場面における卓越した有用性故に許容される。まあ服従の呪文がそれに当たるかは議論の余地が有るにしても、それが実際の〝現場〟で重宝されただろうというのは容易に想像出来てしまう」

「……相変わらず、貴方は持って回った言い回しをするわよね」

「僕の性分だが、答えを言ってしまえば、君の発想には工程が飛んでいる」

 

 栗色の髪を揺らしながら不満を示した少女に、彼女の論理の欠陥を指摘する。

 

「君は武装解除呪文を挙げた後、次に拘束呪文の発想に飛びついた。しかし、その発想の流れは明らかに、魔法族の杖を非魔法族の銃と同一視している。君は忘れているようだが、例えば、()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()? 武装解除して杖を取り上げたとしても、君はまだ、敵の死喰い人より有利に立ってはいない」

 

 何なら未だに不利な状況に在ると言っても良く、当然、相手を制圧したり拘束したりする呪文を用いるのは遥か先だ。

 

「あ……」

「レッドフィールドの言う通りです」

 

 ハーマイオニーは呆然とし、教授は僕の言葉を引き取って続ける。

 

「貴方は入学前、杖無しでも些細な魔法を使えていた筈です。そして戦闘に使えるような強力な呪文で有っても、熟練の魔法戦士なら行使出来る事は珍しくもありません。また、貴方と同い年であっても、既に専門の訓練を積んでいる者──例えばワガドゥーに起源を持つ魔法使いなら出来ても不思議では有りませんよ」

 

 そこまで説明した後、今度は双子の方に向き直った。

 

「ウィーズリー。貴方達には別の観点からの指摘をしましょう」

 

 その前置きは、彼等がハーマイオニーの回答に引き摺られた可能性を考慮してか。

 

「貴方達は愉快な発明品を作っているのだから、魔法使いの武器は杖に限らないと気付くべきでした。魔法薬に魔法道具、魔法動物に魔法植物。それらを自在に扱って戦う闇の魔法使いが稀であり、更に魔法の力を誇りとする死喰い人達が忌避する傾向を持つのは事実ですが、決して居ない訳では有りません。勿論、貴方がたが敵に使ってはならないという法も有りません」

 

 双子達は酷く素直な顔をして、視線を床へと向けていた。

 

「相手が何を武器とするか解らないまま戦う。それが魔法使いの決闘、いえ殺し合いです。ですから、服従の呪文を掛けて〝お前の武器の一切を差し出せ〟と命ずるのも、相手を制圧する為の一つの手段と言えます。勿論、極稀に破られる場合は存在しますから、絶対に頼れる手段でも有りません。しかし魔法使いには逮捕行為に際し、マグルと違って動くな(Freeze)ああしろ(Please)も不要なのです」

 

 悪くない言い回しをするものだ。

 そうは思ったが。

 

「けれども教授自身が認めたように、正しいのはハーマイオニー・グレンジャーだ」

 

 数十年前のミネルバ・マクゴナガル教授の時代、彼女が魔法省に居た時の逮捕手続(マニュアル)がそうであったとしても、今後もそうあるべきとは限らない。

 

「これから先、非魔法界の常識が更に流入し、警察──社会正義の執行者達は、服従の呪文は一切使うべきでないという、甘っちょろい主張が為されるかもしれない。そもそもの話、教授がその呪文を使うのは前回の魔法法の上でも違法ですしね」

 

 バーテミウス・クラウチ氏が合法化した対象は、あくまで闇祓いのみ。

 魔法法執行部隊、或いは魔法省の一般職員には行使が許可されていなかったし、当然ながらホグワーツ教授も含まれていない。

 

 それを踏まえての揺さぶりだったが、流石に自分で言った通り、僕達より長く生きているだけは有る。ミネルバ・マクゴナガル教授は至極平然としていた。

 

「何の良心の呵責も無く使用する事は、私にも不可能です。……それが有れば使用して良いのかとは言われるでしょうが。しかし、私の立場は明白です。誰かが死ぬ可能性が有るなら、特にその危険が生徒に有るなら、私は躊躇わず呪文を用いるでしょう」

 

 その清々しい厚顔無恥さに、僕は爽快さすら覚えつつ笑った。

 

「結局、貴方もまた規則破り常習犯(グリフィンドール)という訳ですか」

「貴方に言われる筋合いは有りません。貴方は私と同じ手法は用いないでしょう?」

「ええ、勿論」

 

 当然ながら、最も鮮やかな緑の呪文こそを用いるだろう。

 今年初頭の十人の脱獄犯にしても、さっさと殺しておけば問題は出なかったのだ。

 

 僕の解答に教授は頬に手を当て溜息を吐いた後、語り掛けるのはやはり、衝撃を受けたまま停止している少女に対してであった。

 

「……グレンジャー。レッドフィールドは論外中の論外として、貴方が本気で騎士団に入りたいと──戦争に身を投じたいと考えているならば、まず戦場で自分がどうするかを予め考えておかねばなりません。深く考え、対策を講じた上で尚、服従の呪文は自分に一切不要だと胸を張って言うのなら、私はそれを気高いと思います」

「…………」

「けれども、考えた事すらないのなら不十分です。それではまだ戦う準備が出来ていないと言わざるを得ません。戦場では考える時間など有りませんよ、勿論、迷う時間も。そして……一秒の猶予が有れば、人間は簡単に死んでしまうのです」

 

 多くの死を見て来た者だけが発せられる忠告を残し、教授は言葉を締めくくった。

 

 その後、つうと彼女は視線を滑らせ、中空を見た。

 傍目から見ていた限り、やはり何の合図も無かったように見えた。しかし、僕が見逃したのか、そもそも部外者からは見えない代物なのか。教授には何かが伝達されたらしい。彼女は椅子に座ったまま、ローブから再度杖を取り出した上で軽く縦に振った。

 

 そして意図した通りの現象なのだろう。突如として空中に一冊の本が出現し、重力に引かれて落ちる。その途中で教授は本を受け止め、そのまま僕の方へと差し出して来た。

 

「貴方が希望した品です」

「ありがとうございます」

 

 椅子を軽く回転させつつ立ち上がって教授の方へ近付き、礼を言って左手で受け取る。そして弄ぶように左右の手を往復させた後、そのまま無造作に開いた。

 

 目的の記述を一々探す労力は不要だった。無論、過去に読んだという経験も、その一つの理由では有る。しかし大抵法律の初めを見れば制定目的を知れるように、この『純血一族一覧』も初めから数ページ捲ってみれば足りるのだ。

 

「──さて」

 

 本を片手に教授から離れ、元々座っていた椅子の下へと向かう。歩きながら話を切り出せば、部屋の緊張が一気に高まった事を感じた。

 ミネルバ・マクゴナガル教授の方に最後に視線を向ければ、彼女は山積みになっていた羊皮紙に手を伸ばす所だった。こちらを一瞥すらしない。僕の希望と彼女の宣言通り、教授は本当に空気のような存在として振る舞うつもりらしい。

 

 その一方、双子の左隣のハーマイオニーは、緊張に大きく眼を見開き、僕の動作を固唾をもって見守っている。……彼女もまた部外者であり、僕としては彼女にも()()()なって欲しかったのだが、まあ、良いか。彼女にも弁護人の権利は明らかに無いのだが、この場も厳密な手続を要求する場ではない。それ位は許容すべきだろう。

 

「見ての通り、『純血一族一覧』には著者名が書いてない」

 

 彼等は本を開いた事がないどころか、そもそも現物を初めて見る事だろう。

 ソファに座ったままの双子を見下ろしつつ、手に持った書物の表紙、裏表紙、そして背と、見せてやる。その外観からは、書名以外の事は伺い知れない。

 

「中身を読んでも同じだ。著者を推測出来る情報の殆どは、この書籍から注意深く省かれている。噂によれば出処はノット家だとも言われるが、彼等が沈黙を守っている以上、確定事項として語る事は出来ない。匿名の誰かが記述した。それ以上の言及は、幾ら可能性が高かろうと推論の域を出ない」

 

 正しいかもしれないし、違うかもしれない。

 著者名という真実は曖昧模糊としており、これを理由にノット家を批難する事など出来はしない。容疑者は犯人ではないからだ。

 

「しかし、それでも確かに記述されている事は存在する──書物なのだから当然だが。流石の君達でも知っているだろうが、『間違いなく純血の血筋』と呼ばれる二十八家のリストがコレに載っている。だが当然、僕がこの本を求めた理由はそれを参照する為ではない。アルファベットより二つ多いだけだ、何も見ずとも暗唱くらいは容易い」

 

 スリザリン主流派の〝純血〟は当然として、非主流派のそれ以外でも可能だろう。

 

「この本には多くが書かれているが、この場で話題とするのは一つの記述だ」

 

 開いた本を左手だけで支え、目線を紙面に落とし、本文を右手でなぞる。

 

「つまるところ、書物とは作成目的が無ければ存在し得ない。自動筆記羽ペンを使うにしても、そこに人間の意識と意識が無いのならば、勝手に本文が作成される事は有り得ない。『純血一族一覧』も然り。そして、この著者は簡潔かつ簡明に書物の作成目的、つまり二十八の家をリストアップした意図を本文中に記載している」

 

 彼等の父親や母親は、この本を読んだ事が有るのだろうか。

 仮に読んだ事が無いとすれば馬鹿だし、読んだ事が有るなら大馬鹿だ。

 

「該当箇所をそのまま読み上げようか。匿名の作者はこう言っている。この書物は、非魔法族の血を含まない例として挙げた二十八のような家系が、『その血統の純血(the aim of helping such families )性を維持する目的(maintain the purity of their bloodlines)』で記したのだと」

 

 そして、この場に居る者達は、頭が空ではないようだった。

 息と唾を呑む音が二つ。嗚呼、しかしだ。非常に〝親切〟なスリザリン生に突き付けられてからでは余りに遅過ぎるのだ。彼等は入学前から知っていて然るべきであったし、だからこそ、彼等の家族の崩壊を止める事も出来なかったのだ。

 

「要するに、この『純血一族一覧』の存在を認め、内容を全肯定する場合、計二十八の家には一つの縛りが課せられる。わざわざ言わずとも推測し得るであろうが、結婚相手は同じく二十八の中から選ぶべきという縛りだ」

「…………」

「例えばドラコ・〝マルフォイ〟は〝グリーングラス〟の姉妹の何れかと──別に〝パーキンソン〟の令嬢でも良いのだが、兎に角、そのような家の女性と、『立派な、すばらしい純血結婚』をする事が宿命付けられている」

 

 まあ実の所、それから外れる事は必ずしも不可能では無い。

 しかしながら、それでも両親や親戚一族全てと対立する覚悟が無ければ不可能なのである。

 過去のアンドロメダ・ブラックがそうしたように、何も起こらなかったシリウス・ブラックがそうなったかもしれないように。

 

「ともあれ、この『純血一族一覧』は、そういう意図の下に記された。著者自身が明確にそう言っているのだから。そして君達も良く知る通りに、この本を馬鹿らしいと一蹴してくれた上で、声高に怒りを示した(  Most vocally indignant  )者達が居たな?」

 

 その一族を何と呼ぶかは挙げるまでもなかった。

 この部屋内に居る全員が、その名を知っているからだ。

 

「彼等の発言は特にスリザリンの大多数を除いた人間、ざっくり言ってしまえば半純血や非魔法族生まれから、多いに賞賛を受けた。立派だ。素晴らしい。グリフィンドールの鑑だと。嗚呼、我等がスリザリン──現在も尚時代遅れと看做されている純血主義者と異なり、全く差別思想を持たない一族()()()な」

 

 そこまで言って本を閉じ、クルリと逆さまへ回転させた後、彼等の眼前のテーブルに投げ置いてやる。本と衝突したガラスの天板が鈍い音を立てる。それを気にする事もなく、僕は勢い良く彼等の対面への椅子へと座り直した。

 

 座面の低さがやはり窮屈で不愉快だったが、それ以上に目の前の赤毛が、初めて聞かされた事実に動揺する二つの顔こそが、僕の気分を盛大に害していた。

 

「では、問おうか。純血主義の寮とされるスリザリンに組分けされた半純血が、反純血主義の寮とされる筈のグリフィンドールに組分けされた生徒に質問する。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」




・許されざる呪文の行使
 四巻でヒトへの使用は違法と明言され、クラウチによる合法化はシリウスによって批難の文脈で語られたにも拘らず、案外味方陣営も使用を躊躇っていない。
 流石に味方陣営による死の呪文の使用は(ただ一人の例外を除いて)忌避されたようだが、ハリーは磔の呪文をアミカス・カロ―に用いているし、マクゴナガルですら服従の呪文を掛けている(七巻・第30章)。

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