しがみついた青春

あんなに燃えた時代はもう2度とは来ないよ

羽のない君の背中に

 

どうも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自担がデビューしました!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(拍手)(大拍手)(歓喜)(感謝)(BIGLOVE)

 

 

 

 

 

 

 

昨年末にAぇ! groupが5人体制で活動することを発表し、彼らの今後も心も少し心配していたところで結成日の配信、そして京セラ単独2days、そして5月のCDデビュー&デビューツアー、、、、、、

 

 

 

怒濤だね?????

 

 

 

なんかもっとこうデビューって発表から当日まで数ヶ月ぐらいかけてじわじわなイメージだったけど、発表からデビュー日まで2ヶ月切っててビックリした。

 

 

毎朝起きて「CDデビューするんだ、、、」と幸せを噛みしめてします。

 

 

 

 

 

私事ですが2016年頃から約8年間、ジュニアとしての末澤くんを応援していました。

 

正直、楽しいことばかりではなかったです。むしろ、悔しくて辛くて悲しい事の方が多かったかも知れない。

 

 

それでも応援し続けた。

 

厳密には、応援することを辞められなかった。

 

 

 

 

8割ぐらいはこのクソデカ感情を言語化して整理したい&この気持ちを忘れたくない自分のための備忘録ですが、誰かに読んでもらうことで供養したい気持ちもあったり。

 

 

当時の記憶を辿って書いてる&文の構成上の都合で時系列が前後してる部分もたぶんありますが、その辺はご容赦ください。

 

 

 

 

 

 

羽のない君の背中に

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

2016年 年明け頃

 

当時のバイト先の先輩が中山優馬のファンで、「この前出たライブDVD、関西Jrがバックに付いてるよ」と見せてくれた。エイト(SUPER EIGHT)デビュー頃から関西が好きで、20年ずっと追いかけていた訳ではないけど、その後ろについていたWESTやそのまた後ろについていた当時の関西Jrも知っていた。

真鳥元気そうだな~、丈くんもう大学生なのか~、なんて思いながら見ていた時、知らない顔を見つけた。

 

小柄で、ちょっと意地悪そうな顔をした、少し触ったらパリンと割れて壊れてしまいそうな、怪我しそうな、危うい雰囲気を持った人。

 

それが末澤誠也だった。

 

たぶん名前だけはどこかで聞いたことあったけど顔は一致してなかった。というか顔を知らなかった。

 

舞い、恋で見せた、まるで命を削るような、美しくて儚いコンテンポラリーは私の心を掴むには十分すぎるパフォーマンスだった。

 

 

この人のパフォーマンスをもっと見たい。

 

ワクワクしながら末澤くんのことを調べた。たくさん調べた。

 

いままでの出演、先輩のバック、雑誌などの掲載、、、

 

中3で入所、同い年なんだ。頑張ってるな~。

 

あ、WESTのバックいるじゃん、DVD確認してみよ~。

 

屋良君と舞台やってたんだ、演技もいけるんだ。

 

 

これまで関西Jrのことは知っていても、みんなをフワッと好きなぐらいだったので特定の誰かひとりを応援することはなかった。

 

 

まさかジュニアに自担が出来るなんて。

 

 

2016年末から2017年春までは、WESTツアー、WESTドーム&冬松竹、そしてまた年始のWESTツアーに春松竹とFunky8の8人での活動が多かった。たぶんFunky担が一番忙しかったのはこの時期(笑)でも、当時一人暮らしをしながら高卒認定の取得と大学受験に向けての準備をしていた私は、あまり趣味に割ける時間はなかったけど、仕事と勉強に勤しみながら、合間を縫って末澤くんを追いかけた。

 

 

 

2017年のエイトのツアーは横倉の配慮でJrコーナーが出来た。東京ドームのスクリーンに映し出された『Funky8(事務所非公認!!!)』は間違いなく希望だった。

 

非公認の"非"が取れる日も近いかもしれない。

 

そう思っていた。

 

でも、エイトやWESTのツアーが終わると末澤くんの姿を見る機会はほとんどなかった。

 

数ヶ月に1回存在が確認できれば良い方だった。

 

 

たまに出る雑誌、たまに出るまいジャニ、たまに更新されるかんじゅ日誌

 

3ヶ月に1回ほどのペースで回ってくるかんじゅ日誌には毎回、「必ず幸せにするから信じてついてきて」と書かれていた。

 

他のFunkyたちも「8人でステージに立ちたい!!!」と書いていた。

 

みんな、公式グループになることを望んでいた。

 

でもその言葉とは裏腹に、末澤くんを見る機会はどんどん減っていった。

 

8人での仕事もなくなっていった。

 

5人と3人、4人と4人、6人と2人

 

8人はいつもなにかと分けられていた

 

あれ、この雑誌こないだ8人で載ってたよな?

 

なんで今回は5人なんだろう。

 

なんで末澤くんがいないんだろう。

 

 

まだ事務所は辞めてないのかな。

 

ファンレターが返送されて来ないってことは、辞めてないよね。

 

大丈夫、まだ応援できる。

 

 

 

 

その頃から、毎晩日付が変わる0時ちょうどに、プロフィールを確認することが日課になった。

 

当時はwebのジュニアのページには全ジュニアの中からランダムで3人表示される仕様で、リロードするたびに別の人が表示された。さらにURLの末尾にそれぞれ個人のページを表示される番号が割り当てられていて、みんなそれを「出席番号」と呼んでいた。

 

 

382

 

 

それが末澤くんの出席番号だった。

 

毎晩webを開いて、ジュニアのプロフィールにアクセスする。表示された誰かのページを開き、末尾のURLを「382」に変える。祈るような気持ちでページを開く。

 

 

まだ表示される。まだいる。まだ辞めてない。

 

辞めてないのに、どこにもいない。

 

不安な毎日は続いた。

 

 

 

 

2017年 秋頃 某日

 

リチャのプロフィールが消えた。

 

何かの間違いだと思った。何かの手違いで消えてしまったのだと。みんなそう言ってた。そう思ってた。

 

そう、思いたかった。

 

でも、もし本当にリチャが辞めていたら

 

8人が8人じゃなくなったら

 

ドミノ倒しのように他の子もどんどん辞めていくのでは。

 

 

次は、君の番なんじゃないか。

 

 

不安が一気に膨らんだ。

 

1日に何回もプロフィールを確認した。

 

リチャの出席番号は381。末澤くんのひとつ前。

 

 

 

381 ページが表示されません

 

 

何も表示されない真っ白なページを、何度もリロードする

 

これは何かの間違いだ

 

間違いだと、誰か言ってくれ

 

 

 

URLの末尾に382を入力する。末澤くんのプロフィールはまだ表示される。

 

丈も大橋も今江も淳弥も真鳥も古謝も、まだある。

 

でも、リチャのプロフィールだけがない。

 

 

心臓を鷲掴みされて握りつぶされて、喉に何かを押し込まれているような、不安で苦しい日が続いた。

 

 

 

 

2017年 11月15日

 

ベストヒット歌謡祭でトリを務めるエイトのバックに関西ジュニアがつくことが発表された。

 

当時、関西ジュニアが全国ネットのテレビに出演するなんて滅多にないことだった。祭りのようなタイムライン。

 

リチャは、末澤くんはいるだろうか。

 

 

結果として、そこにリチャはいた。

 

辞めてなかった。間違いだったんだ。

 

最後のほんの一瞬に大人数でわらわらと出てきただけだけど、涙が出るほど嬉しかった。

 

末澤くんの姿はなかった。

 

12月から上演する再演ドックファイトの稽古期間なことは知っていた。だから冬松竹に出ないことも確定していた。

 

でもバックくらい出て良くない?関西ジュニアが地上波に出られる機会なんて滅多にないんだよ?とも思った

 

 

 

 

 

『関西ジュニア総出演!!』

 

 

いつもそこに末澤くんの姿はなかった。

 

 

 

 

2018年年明け あけおめコン

 

Funky8の8人の団扇が出た。なぜか出た。

 

関西ジュニアの中でも特に選ばれた人しか出せない団扇

 

そこに8人の顔があった。

 

他のグッズも出た。

 

グッズが出ているなら、きっと8人での出番はある。

 

ちなみにこの時の末澤くんの団扇は3時間半ほどで売り切れた。

 

嬉しかった。完全に浮かれていた。

 

でも8人は、また5と3に分けられていた。

 

真鳥、末澤、古謝の出番は3曲だけだった。

 

5人はもっと出ていた。

 

 

 

どうして分けられるんだろう。

 

どうして末澤くんは出られないんだろう。

 

 

 

その頃から、腹の中に黒くて暗い感情がどろどろと出てくるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで末澤くんより踊れない子が前にいるんだろう」「なんで末澤くんより歌えない子がマイクを持っているんだろう」「なんで末澤くんじゃなくてこの子が松竹座に出ているんだろう」

 

 

 

 

 

なんで末澤くんだけが、どこにもいないんだろう

 

 

 

 

ダンスが上手いから、歌が上手いから前に出られる訳じゃない。他のジュニアだって悪くない。

 

わかっている。わかっているのに。

 

大好きだった関西ジュニアのみんなが、どんどん嫌いになっていった。

 

 

末澤くんはこの年の春松竹にもいなかった。

 

また末澤くんだけいない。

 

この頃から雑誌にも出る機会が減った。

 

どんどん末澤くんの姿が見えなくなっていく。

 

 

返送されないファンレターと、消えないプロフィールだけが、希望だった。

 

 

 

2018年 4月

 

滝沢歌舞伎に関西ジュニアが出ることが発表された。選抜された6人のメンバーの中に末澤くんの名前があった。

 

嬉しかった。

 

選抜メンバー。

 

でもまた8人ではなかった。

 

選ばれる側にいることが嬉しい反面、選ばれなかった4人の事を思って心が苦しくなった。

 

公演では得意のタップダンスも披露した。

 

この公演を通じて末澤くんの実力を分かってもらえれば、前に出られるはず。

 

だって選抜で選ばれたんだ。

 

大丈夫。

 

そう言い聞かせていた。

 

 

 

でも内心、この公演が終わったらもう末澤くんの姿が見られないような気がしていた。

 

なんの確証もない、なんの根拠もないけれど

 

大好きな末澤くんに仕事が決まったのに、なぜか不安の方が大きかった。

 

 

2018年 夏の松竹座

 

ポスターに末澤くんの姿はなかった。

 

ポスターに載っていなくても出演するジュニアはたくさんいる。

 

もしかしたら、万が一、億が一、

 

初日の公演が終わり、タイムラインに出演者の情報が続々流れてきた。

 

末澤くんの名前はなかった。

 

歌舞伎に出ていたメンバーは、別の舞台があったリチャを除いて全員が出ていた。

 

それなのにまた、末澤くんの姿だけがなかった

 

ファンレターを書いた。

 

仕事がないから書く話題もない。

 

それでも書いた。

 

届いているかもわからない。

 

読んでいるかもわからない。

 

それでも、君を応援している人がここにいるよ、と

 

君がステージに立つ日を楽しみにしているよ、と。

 

この手紙が返送されてこない事を願って書いた。

 

 

2018年 10月

 

ツイッターアイドル雑誌の早売り情報が出た。

 

「なにわ男子 結成」

 

 

なにかの間違いかと思った。

 

嘘だ、デマだ

 

そう思いたかった。

 

選ばれたメンバーを見て、愕然とした。

 

関西ジュニアを引っ張ってきた康二の名前もなかった。

 

誰も予想していなかったメンバーだった。

 

これから、関西ジュニアが大きく変わる。

 

8人が、8人じゃなくなる。

 

 

 

またこの頃、関西ジュニアのプロデュースをSUPER EIGHT(当時の関ジャニ∞)の大倉くんと横山さんが担うことも発表された。

 

私はエイトのファンでもあった。

 

だからふたりがプロデュースに入ってくれれば、きっと良い方向に向かうと分かっていた。信じていた。

 

だから、悲しかった。

 

ふたりが見る関西ジュニアの未来に、Funky8がなかったことが。

 

あの頃、本人達たちの口から聞くことも難しかった、Funky8という言葉を、東京ドームで、自分達の公演で、非公式なのにモニターにグループ名を出してくれたのに。

 

(後に今江大地がラジオで「あの頃はFunkyという言葉すら出せなかった」「雑誌とかで言っても”書けませんねぇ”って顔された」と語っています)

 

アイドルとしての横倉のプロデュース力を信じていたからこそ、どうして8人ではダメなんだという気持ちばかりが大きくなった。

 

 

 

 

何を食べても味がしなくて、

 

喉に堅い何かを詰め込まれているようで、

 

息をするだけで涙が出るような日々が何日も続いた。

 

 

 

もう8人で踊る姿は見られない。

 

 

 

この2ヶ月ほど前、梅芸で関西ジュニアがコンサートをやることが発表されていた。

 

年明け以外に、しかも松竹座以外の場所で、関西ジュニアだけでコンサートをやることは久しぶりだった。

 

多分、なぜこのタイミングで?とみんなが思っていた。

 

このコンサートは、なにわ男子のお披露目のためのコンサートだった。

 

 

 

 

末澤くんはいるだろうか。

 

他のみんなは、康二は、

 

 

 

 

結果として、末澤くんはいた。

 

それも、今までで一番出番の多いコンサートだった。

 

あんなに末澤くんがステージに立っているところは見たことがなかった。

 

ソロパートもあった。

 

見せ場のパート、末澤くん一人がモニターのカメラに抜かれていた。

 

 

そしてこの公演中に末澤くんが外部舞台に出演することも決まった。

 

やっと、やっと末澤くんにチャンスがやってきた。

 

この時、webで個人連載していた大倉は当時のブログで末澤くんのことをこう話していた。

 

せいやは、関西ジュニアのイケメン代表やな。
ステージを見てても、綺麗な顔やなぁって男の
わいでも惚れ惚れする瞬間があるくらい!!
ダンスも、うまいし
歌もうまいし
イケメン台詞も難なくこなす
なんで、隠れてたんだ…
誰か引っ張り出さんかったんかい!!!
ってくらい魅力的なやつです。
性格も素直です。
俺もそうやったけど、頑張れる場所があるって
幸せなことよな?せいや

(2018年11月2日 くらすます より引用)

 

 

この時のブログを何度も読んで、何度も泣いた。

 

末澤くんの魅力を、才能を、実力を、努力を、

 

見てくれている人がいる。

 

プロデュースに関わってくれている。

 

何よりの希望だった。

 

この頃末澤くんが単独で出た雑誌(確かダンススクエア)で、末澤くんはこう話していた。

 

 

「僕はみんなが思っているよりもずっと強い」

 

 

でも末澤くんの言葉とは裏腹に、私には別の不安が生まれていた。

 

なにわ男子が結成したことで、関西は次のグループは誰だ、と持ちきりになっていた。

 

なにわ男子に康二が入っていなかったことも大きかった。

 

 

大好きだったFunky8がなくなった今、末澤くんが次に誰とグループを組むのか、関西ジュニアにどんなグループが生まれるのか、私には検討もつかなかった。

 

そもそも次に結成するグループに末澤くんが入れるのかもわからない。

 

ジュニアなんて、そんなものだと分かっているけど。

 

なにわ男子結成で激震した関西ジュニアのファンもまた、かなりセンシティブになっていたと思う。

 

SNSではなにわ男子に対する過激な誹謗中傷や、それに対する対抗発言、そこにプロデュース業を快く思っていないエイトのファンまで参入して、久々の新グループ結成でキラキラと輝く水面の少し下を覗けば、まるで犯人捜しのように誰かを悪く言う言葉で溢れていた。

 

誰も悪くないのに、誰かを悪者にしないと、自分の心を守れない人で溢れていた。

 

 

 

 

 

末澤くんはグループに入れるだろうか。

 

末澤くんがグループに入れたとして、私は末澤くんの新しい仲間を、新しい仲間とやっていく末澤くんを、そのグループを好きになれるだろうか。

 

 

まだ心の整理がついていない私は、あけおめコンサートには行かなかった。

 

新しい仲間と踊る丈くんや大橋を、

 

大吾の隣にいない康二を、

 

どこで誰と踊るかわからない末澤くんを、

 

見る勇気が私にはなかった。

 

 

2019年 1月

 

あけおめコンサートでは、末澤くんは大活躍だったらしい。

 

ダンスコーナーも、ソロパートもあった。

 

まずはその事実を知って胸をなで下ろした。

 

 

でも、3日間行われたあけおめコンは誰も予想しない形で幕を下ろした。

 

最終公演で泣きじゃくっていた康二と龍太に、誰もが「ふたりが辞める」可能性を考えた。

 

事務所は辞めないにしても、もうこのふたりは関西ジュニアからは離れるんだろう、と。

 

前年10月からの怒濤の新体制にもまだ慣れない中で、これから関西ジュニアがどうなるか、怒濤の変化に、みんな希望を見いだしながらも不安になっていたと思う。

 

 

2019年1月

 

末澤くんが出演する舞台『スケリグ』が開幕した。

 

主演は浜中の文ちゃんだったこの舞台、でも約2時間の上演中、末澤くん演じるマイケルはほとんど舞台上にいた。

 

あんなに台詞が多いのは初めてだった。

 

マイケルを演じる末澤くんを応援しているいちファンとして嬉しかった。

 

こんなに出番があるんだ、こんなに台詞をもらえるんだ。

 

それと同時に、末澤くんがお芝居での道に進むのではないかという思いも過ぎった。

 

デビューだけがすべてじゃない。グループだけがすべてじゃない。

 

それはわかっているけど、俳優班になったタレントは歌やダンスを見られる機会がめっきりと減る。

 

末澤くんの歌とダンスが好きだった私には、お芝居一本でやっていく末澤くんを応援しつづけられる自信がなかった。

 

自信がない自分も、嫌になった。

 

末澤くんの人生なのに、私は末澤君の人生に責任なんか持てないのに、末澤くんに「こうあってほしい」という自分の理想を押しつけて、勝手に落ち込んでいる自分は、どこまでも身勝手で見苦しかった。

 

 

そしてこの公演中に、向井康二Snow Manに加入することが発表された。

 

ましてや長く活動してきたSnow Manという既存のグループへの加入という大きな変化は、すぐに受け入れられるようなものではなかった。

 

またみんな、自分を守るために誰かを傷つけ始めた。他人を攻撃することでしか安心を得られない人がたくさんいた。

 

駅に張り出されていた滝沢歌舞伎のポスターは、Snow Manへの加入が決まった康二と目黒くんの顔だけ引っ掻かれていた。

 

 

東も西もジュニアの大きな変化に荒れ狂う中、その日は来た。

 

 

2019年 2月18日

 

午後9時頃、それはweb内の連載『かんじゅ日誌』にて突然発表された。

 

Aぇ! group 結成

 

新ユニットが組まれることは予想していたけど、なにわ男子のメンバーや康二のSnow Man加入を見て、次に誰がグループになるか予想はかなり困難だった。

 

1月に結成されたLilかんさいは元々5人での活動が多く、グループになることは割と多くの人が想定していたので、そんなに驚かなかったと思う。

 

ただ、Aぇ! groupのメンバーは意外性しかなかった。

 

バンドで頑張っていた主に松竹座にいた3人と、ダンスで頑張っていたツアバ常連の3人。

 

共通点は、直近で行われた梅芸・クリパ・あけおめの3つのコンサートや舞台のバラエティコーナー『異種格闘技戦』で爪痕を残していたことだった。

 

たぶん、なにわが関西初のキラキラアイドル路線だったから、関西王道のバラエティに強いグループを作りたかったんだと思う。

 

 

なにより嬉しかったのは、末澤くんの名前がそこにあったことだった。

 

Funky8は公式ユニットとして認められなかった。だから末澤くんにとってAぇ! groupは初めての正式な公式ユニット加入だった。

 

ただ、結成を知った時は、嬉しいだけではなかった。

 

末澤くんが選ばれた。それは嬉しい。

 

だけど、誰かが選ばれたということは、誰かが選ばれなかったということ。

 

末澤くんはいつも、選ばれなかったことが多かった。

 

だから選ばれなかった誰かを応援している人が、いまどれだけ苦しい思いをしているか、私には痛いほど分かった。分かったからと言って何も出来やしないのだけど。

 

Aぇの結成は喜びと悲しみ、そして不安を連れてきた。

 

バンドを頑張ってきた3人と、ダンスを頑張ってきた3人。

 

グループとして、どちらを強みにするのか。

 

どちらか一方を強みにすることになれば、どちらか一方は不満が募る。

 

Aぇ! groupがアイドルとしてどんなグループになるか、この時はまだわからなかった。

 

そして翌日には横山裕プロデュースで舞台をやることが発表された。

 

会場は東京グローブ座

 

関西ジュニアのグループが、単独で東京で舞台が出来るなんて、当時はとても珍しかった。

 

すこしづつ、すこしづつだけど、末澤くんにライトが当たり始めている。

 

今まで当たらなかった、主人公のライトが。

 

 

Aぇ! groupの代表曲『Firebird』はこの年の春松竹のSHOWTIMEで初披露だった。

 

ひさしぶりすぎる松竹ゴンドラに強めのサウンド、初披露時はダンスverだった(後にバンドverも披露)

 

少し前に結成したなにわ男子とは対照的な、強くてギラギラしたAぇ! groupのかっこよさは、関西ジュニアに良いコントラストを生み出していた。

 

ここからまた新しいグループがどんどん増えるんだろうか。

 

 

2019年 3月31日

 

 

春松竹の最終日。

 

 

一瞬だけ、ステージ上にFunky8の7人が並んだ瞬間があった。

(真鳥は振付師として裏方に回ることが内定していたためこの春松竹には出ておらず、後日かんじゅ日誌にて振付師への転身を発表した)

 

 

あの時、みんなに囲まれて目を真っ赤にして泣いていた朝田淳弥は、翌日0時を回った瞬間に事務所のHPからすべての情報が消されていた。

 

3月は別れの季節。関西ジュニアも例外ではなかった。

 

こうやって何人もの関西ジュニアが、最終公演で涙を流して新たな道に進んでいった。

 

私たちファンは、彼らが選んだ結果を見届けるほかない。

 

でも、もう二度と、Funky8が揃うところは見られない。

 

辛くて苦しくて、ただただ泣いた。

 

 

 

 

私はAぇ! groupを、Aぇ! groupになった末澤くんを心から応援できるだろうか。

 

公式グループ加入という出来事は、喜びと同時に不安も運んできた。

 

 

 

 

2019年 4月13日

 

『僕らAぇ! groupって言いますねん』東京グローブ座 初日

 

私はその開場にいた。

 

正直楽しみよりも、不安や怖さの方が強かったと思う。

 

これから私は末澤くんを応援しつづけられるのか、この公演を見終わった後にはその結果が出ているかも知れない。

 

けれど、そんな不安は杞憂に終わった。

 

横山くんの演出によって引き出された6人のポテンシャル、個々の特技披露やバンド披露、自作曲『神様のバカヤロー』の初披露。

 

公演が終わる頃には、当時よく知らなかった晶哉や小島や正門のことも大好きになっていた。

 

彼らと一緒にいる末澤くんを、私はきっと好きになれる。

 

 

 

 

グローブ座で行った舞台は関西凱旋公演もあった。

 

なにより嬉しかったのは、末澤くんの誕生日を開場で祝えたことだった。

 

末澤くんの誕生日は8月24日。いつもは関西ジュニア夏松竹真っ只中。

 

だけど関西ジュニアの松竹座では、公演中に祝われるメンバーは限られていた。

 

それ以前に、末澤くんはもう何年も夏松竹に出ていなかった。

 

だから現場で祝えることはこれが初めてだった。

 

SHOWTIMEではサプライズ演出が行われ、会場の全員でバースデーソングを歌った。

 

末澤くんは大きな目からぽろぽろと涙をこぼして、これでもかとイチゴがたくさんのったケーキをメンバー5人に食べさせてもらっていた。

 

末澤くんの誕生日を、当日に、現場で、会場の全員で祝えるなんて、まるで夢のようだった。

 

 

 

それからは初の冠番組、ローカルだけどレギュラー番組やラジオの生放送、初の単独コンサート、新しい衣装に新しい曲。

 

 

末澤くんのための衣装が用意されて、末澤くんの歌割があった。

末澤くんがマイクを持って歌って、末澤くんがステージの一番前で踊っていた。

 

末澤くんのために、末澤くんを照らすためのスポットライトがあった。

 

こんなに幸せなことがあっていいのか。

 

すべてが新鮮ですべてが幸せだった。

 

年末には2020年年明けに関西ジュニアが初めて京セラドームであけおめコンサートをやることが発表された。

 

京セラでは関西ジュニアのドラマやそれぞれのコンサートも発表され、みんなが新しくなった関西ジュニアの未来に心を躍らせていた。

 

でもこの時すでに、世界を混沌に陥れたウイルスはすぐそこまできていた。

 

 

2020年2月

 

新型コロナウイルスによってこの年の春松竹が中止になることが発表された。

 

結果として全公演中止になったのだが、一度に発表したのではなく、様子を見ながら10日ほどの単位で徐々に中止になっていった。

 

真綿で首を絞められている気分だった。

 

この年の春松竹は、Aぇ! groupがメインで行う予定だったのだ。

 

やっと松竹座の1列目に立つ末澤くんが見られる。

 

そう思っていたのに。

 

感染症によるパンデミックでは、怒りのぶつけようがどこにもない。

 

エンタメは徐々に止まっていき、ロックダウンになると自粛自粛と言われるようになった。

 

こんな大変なときに楽しいことはやってはいけない、そんな空気だった。

 

予定していたZepp公演も延期となり、すべて止まったように思えた。

 

でもAぇ! groupは諦めなかった。

 

ステイホーム期間を逆手に取り、毎日のようにリモートで収録した動画を配信していた(当時関西ジュニアにはyoutubeチャンネルがなかった)

 

そして夏には関西勢そろって万博公園で配信ライブ、そして松竹座でSUPER EUGHT、WEST.、なにわ男子、Aぇ! group、Lilかんさい率いる関西ジュニアそれぞれの単独配信公演も行われた。

 

この配信でAぇを好きになった人も多いと思う。

 

探り探りでも、ピンチをチャンスに変えていく姿は、とても強くて泥臭くて、かっこよかった。

 

 

秋頃からは感染症対策を行った上でのコンサートも徐々に再開された。延期になっていたZepp公演も出来た。

 

予期せぬパンデミックに見舞われ、立ち止まってしまったように見えて、ちゃんと前に進んでいた。

 

 

グループとしてはレギュラー番組が2本、個人で舞台やドラマやバラエティにも出演、メンバーの新型コロナウイルス感染により中止となったサマパラを乗り越え行った初のアリーナ公演、順調に知名度も上がってきていた。

 

 

 

 

2023年 上半期

 

ここで、事務所の創設者である先代社長が、生前に所属タレントへ性加害を行っていた事が明るみになります。

 

この件については自分の精神衛生を守るため&誰かに都合良く切り取りされて本来の意図とは別の意味合いで引用されることをされたくないので、詳しく述べることはしませんが、私は「被害者は守られるべき」という立場である、という事は主張しておきます。

 

 

そして本件により、Aぇ! groupのデビューが本来の予定より延期になっていたとYouTubeで明かされていました。

 

 

 

 

2023年 12月30日

 

Aぇ! groupが5人体制で活動することを発表した。

 

あまりに急なことで、何が起こったかわからなかった。

 

冷静になって改めて公式発表の文章を読んだ。

 

その簡潔すぎる内容は、同時に「これ以上は何も知るな」という意味でもあった。

 

それが彼の意思だったのか、環境がそうさせたのかはわからない。彼が何をしてしまったのか、私たちには知る由もなければ、知るべきではない。

 

だた彼の行動には、”コンプライアンス違反による契約解除”という、所属タレントとして最も重い処遇が下った。

 

「世間全体が悪い方へ向かってる時は、アイドルの大きすぎる影響力をいい方向にもって行くのがエンタメに関係する僕らの役割」

 

そう語っていた彼が、なぜ。

 

ただただ悔しかった。

 

けど、受け入れるしかなかった。

 

泣いても喚いても、もう彼は戻ってこない。

 

(彼と呼ぶのは、もうタレントではない彼の本名を不用意にインターネットで言うのは良くない、という私個人の考えからです)

 

 

でも末澤くんは「5人で頑張っていく」と言った。

 

私は末澤誠也という人間を信じている。

 

末澤くんが頑張ると決めたなら、5人のAぇ! groupを応援しよう。

 

心の曇りは晴れなかったけど、5人のAぇ! groupと前を向く決心だけはついた。

 

その後怒濤のように配信舞台が決まり、京セラでのファンミーティングが決まった。

 

 

 

 

 

2024年 3月16日

 

初めての単独での京セラドーム公演で、末澤くんの口から、Aぇ! groupの口から、CDデビューすることが伝えられた。

 

 

 

いろんな感情がこみ上げてきた。

 

悔しかったこと、苦しかったこと、それ以上に幸せだったこと。

 

普段弱音を吐かない末澤くんが「めっちゃ辛かったわ」と言った時、これまでのことが走馬灯のように駆け巡った。

 

 

 

 

幕が開いても姿がない松竹座。

 

ライトの当たらずマイクも持たせてもらえないあけおめ。

 

ページをめくるたび、肩を落とすアイドル誌

 

プロフィールが消えてないか毎晩確認する夜。

 

 

 

 

私が悔し怒り泣きながら超えたいくつもの夜は、この日の末澤くんの顔をみて、すべて

報われた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

京セラドームで歌った君からのYELLは、末澤くんからの、Aぇ! groupからの最高の贈り物だった。

 

 

 

 

 

 

 

私が追いかけてきた末澤くんの背中に、羽が見えたことはきっと一度もなかった。

 

 

 

他の人より遅くても、後ろから来た誰かに追い抜かれても、時に立ち止まり、うずくまり、地を這っても、自分の力で何度でも立ち上がり、一歩一歩踏みしめながら、自分の足で歩いて前に進む末澤くんの背中が好きだった。向かい風の中でも、嵐の中でも、自分で選んだ道を自分の足で真っ直ぐに歩き続ける、この人の夢が叶う瞬間が見たいと思った。

 

 

 


だから私はこれからも

 

自分の選んだ道を、自分の足で歩いて前に進む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


羽のない君の背中にYELLを送る。

 

 

 

 

 

 

2024.5.14