聖樹の苗木
休日にマリエたちの使用している屋敷を訪れた。
相変わらず俺の前で大人しいマリエは、目を合わせてこない。
ちょっと意地悪をしすぎてしまったか?
「ブラッドの様態は?」
マリエがガタガタと震えながら答える。
「意識は戻ったけど……怪我が酷くて、治療はしたけどまだ動けない……かも」
俺を怖がるマリエに悪戯したくなる。
「そうか。それはそうと、アレから思い出したことはあるか? 特に、聖樹の苗木についての情報が欲しい」
マリエがビクリと反応すると、すぐに部屋に戻って一冊のノートを持って来た。
どうやら、アレから必死に色々と思い出してそれを書き記したようだ。
役に立つ情報かどうか分からないが、ページをめくっていくと苗木についても書かれていた。
その場で読む。
「聖樹の苗木……主人公が手に入れるキーアイテム、か。アイテム効果はないに等しいな」
主人公が苗木を手に入れてしまい、そこから出自が判明する流れが本筋のようだ。
時期的には二年生の中盤頃。物語の折り返し地点か。
時期としては近いな。
聖樹についての記述もあった。
そこにある記述のいくつかに、俺は強く興味を示す。
「……これなら、苗木を手に入れればどうにかなるか」
マリエが俺の言葉にいちいち反応している。
そう言えば、昔――前世で怒ったときもこんな感じだった。
しばらく俺のご機嫌取りをしてきたのも同じだ。
つい、昔を――前世を思い出してしまった。
「ノートは借りていくぞ」
マリエが何度も頷いていた。
◇
リオンがブラッドの見舞いに向かうと、カイルとカーラがマリエを心配していた。
「ご主人様、もう大丈夫じゃないですか? 伯爵、怒っていませんでしたよ」
カーラも慰めてくる。
「あの様子ならもう大丈夫ですって。きっといつもみたいに何とかしてくれますよ」
そんな二人に対して、マリエは酷く淀んだ瞳を向ける。
「何とか? 大丈夫? 二人とも、まったく理解していないわね」
カイルが首をかしげる。
「そうですか? 怒っているようには見えなかったですよ」
「それが間違いよ。あいつは本気で怒ったらそれを悟らせないのよ。ニコニコとした笑顔で追い詰めて、こっちが許しを請うまで続けるわ。しかも、こっちが苦しむ様子を見て楽しむ最低の奴なのよ!」
カーラが少し考え、リオンならあり得ると思ったのか震えた。
以前、カーラもリオンを騙して痛い目に遭っている。
今も許されていないとしたら、これほど怖い話もない。
何しろリオンは、現在王国最強の騎士だ。
誰も倒せなかった黒騎士を倒し、王国の危機を救った英雄である。
「ど、どどど、どうしましょう、マリエ様!」
怒らせたらいけない人物……それがリオンだ。
カイルはまだ理解していない顔をしていた。
「そうかな? もう怒っていないように見えたんですけど」
「甘いのよ! あいつが本気になったら詰むわよ。人生が詰むからね! どうして私ばかりこんな目に遭うのよ。終わった。私の第二の人生終わ……ってたまるかぁぁぁ!」
叫ぶマリエに二人が驚く。
そんな二人を前に、マリエは覚悟を決めるのだった。
(こうなれば、やられる前にやってやる。兄貴に比べたら、ピエールなんて小物以下よ。自分で何とかしないと、本当に兄貴に……殺される!)
覚悟を決めたマリエは、二人を連れて出かけることにした。
「二人とも急いで準備をして。大使館へ向かうわ」
覚悟を決めたマリエの背中を見た二人は、少し格好いいと思って目を輝かせてみていたのだった。
◇
ブラッドの部屋。
椅子に座り、横になるブラッドと話をする。
顔の怪我は随分と良くなっているが、体のあちこちに薬を塗ったのか薬品の匂いが部屋に漂っていた。
「随分といい顔になったな」
皮肉を言えば、ブラッドも返してくる。
「怪我をしても僕は美しいからね。羨ましいだろ?」
「それだけ言えれば十分だな。それで? いったい何があった?」
事情を聞けば、ブラッドは苦しそうにしながらも話してくれた。
ピエールたちに校舎裏に呼び出されたこと。
その後、魔法で戦おうとしたら、圧倒的な実力差を見せつけられたなど――。
そして、ブラッドが私見を述べる。
「あいつらの魔法だけど……何か大きな別の力に守られているみたいだ。それに、こちらは何かに邪魔をされている気がしたよ」
別な力。
大体予想はついている。
聖樹にこだわっている六大貴族。
どう考えても聖樹が関わっている。
無限にエネルギーを供給してくれる聖樹だが、貴族たちには別の恩恵もありそうだ。
マリエのノートにそれに関する記述もあった。
「……バルトファルト、早まるなよ」
ブラッドの言葉に、俺は鼻で笑ってやった。
「一度早まって失敗したお前らと一緒にするな。俺が何かするときは、必ず勝てる見込みがあるときだけだ」
俺の言葉に恥ずかしそうに笑っているブラッドの歯を見れば、折れたと聞いたが完治していた。
これもマリエの力か?
あいつ、リビアには劣るが、治療魔法の才能は本物だったらしい。
下手に欲を出さなければ、治療魔法で稼げたはずだ。それなりに裕福な暮らしを送れただろうに。
欲をかいて失敗する典型だな。
「それを言われると言い返せないな」
「寝とけ。俺は少しやることがあるからな」
マリエ曰く、体力は回復していないためしばらく動けないらしい。
……大丈夫だ。
まだ使える駒が四つもあるから。
あいつらに働いて貰うとしよう。
◇
大使館。
マリエは一番偉い役人を前に抗議していた。
「何で文句一つ言えないのよ!」
「お、落ち着いてください、マリエ殿!」
ユリウスの女という立場であるマリエに、役人も困り果てていた。
ホルファート王国の立場を説明する。
「いいですか? アルゼル共和国とは事を構えない。これがホルファート王国の大前提です」
マリエは苛々していた。
(お前らが弱腰だから調子に乗るんでしょうが! このままだと私が殺されるわ。何としてもアルゼルに圧力をかけて、飛行船を取り戻さないと)
「ビビってんじゃないわよ。防衛戦最強? そんなの、外交努力で何とかしなさいよ。そうだ! 経済封鎖! 経済封鎖をするのよ! 周辺国と組んで囲んでやるのよ!」
役人が慌ててマリエを止める。
「止めてください! そもそも、経済封鎖で困るのはホルファートなのです」
「――え?」
マリエが、せっかく思い付いた名案が否定されて固まった。
「アルゼル共和国は、魔石の輸出国です。ホルファート王国も、国内で消費する魔石をアルゼルから購入しています」
狼狽えるマリエは、王都にあるダンジョンを思い出した。
「王都にダンジョンがあるじゃない。魔石ならそこから得られるわ」
「大陸全土に必要な魔石を、一つのダンジョンではまかないきれません。それに、飛行船を動かすにも魔石が必要です。毎年莫大な量が消費されており、国内だけでは足りないのです」
それを海外から買い付ける場合、手頃なのはアルゼル共和国だった。
大量の魔石を輸出しているのが一点。
そして、二点目は安定して供給してくれるため、ホルファート王国としては非常に助かっていた。
国内で不足している魔石のほとんどを、アルゼルに頼っている。
「……エネルギー問題」
頭を抱えているマリエに、役人が畳みかけてくる。
「それにアルゼルの周辺国ですが、王国と繋がりが薄いですからね。協力できるかどうか怪しいですし、アルゼルと組んで我々を出し抜こうとする国だって過去にいたわけでして……」
マリエが想像できる打開策など、とっくに試されていた。
マリエの頭の中が、危機的状況に加速していく。
(フリーエネルギー……そ、そう言えば、そのエネルギーでアルゼルは生産能力が高かったわね。エネルギー問題なんてないから、手に入る魔石は海外に売れば良いし、自分たちは他の資源も豊富で生産能力が高かったような……)
マリエが叫んだ。
「そんなのチートじゃないのぉぉぉ!」
役人はマリエの「チート」という発言に首をかしげるが、アルゼルが非常に豊かであるのは同意する。
「確かに卑怯と言っていい大地ですね」
資源は豊富でエネルギー問題もなく、大地は肥沃……マリエは絶望した。
「こんな国に喧嘩を売って勝てるわけがないじゃない」
役人も理解してくれたかと安堵した。
「そういうことです。ご理解いただけたようで何より。ブラッド殿に関しては、飛行船を手配して本国に療養のため戻らせます。安心してください。事情は理解していますので、処罰されないように報告しておきます」
国力はアルゼル共和国の方が上と知り、マリエは絶望するが――。
(こんなところで諦めていられない。必ず何とかしてやるわ)
目を血走らせ、次の一手を考えるのだった。
◇
アルゼル共和国の中央には、聖樹のある大地がある。
そこから巨大な木の根が七つの大地に伸び、結びつけていた。
聖樹のある大地も小さな島ではなく、そこには七大貴族――今は六大貴族となった当主たちが集う議会を開催する建物がある。
議会議事堂と言われるが、聖樹神殿とも呼ばれている。
かつて聖樹を信仰し、神殿として利用していた場所でもあるからだ。
聖樹の根元近くにある巨大な建造物だが、聖樹があるために小さく見えてしまう。
大きな高い塔である議事堂に集まった六大貴族の当主たち。
丸いテーブルを使用しているのは、優劣を付けない配慮だった。
一つ席が空いており、そこは議長を務めていたレスピナス家の椅子だった。
代理で議長を務めているのは【アルベルク・サラ・ラウルト】だ。
茶色の髪をオールバックにした、鋭い目つきの中年男性だ。
背が高く筋肉のついたしっかりとした体つきをしている。
顎を撫でながら、今回の議題について話をする。
「ホルファート王国の留学生と問題を起こしたか。フェーヴェル家の男子が関わっているそうだが?」
フェーヴェル家の当主は腕を組み、そして不満そうにしている。
「その程度はどうにでもなる。ホルファートとは一度戦ってみたかった。協定を見直すためにも、一度戦って実力差を見せつけておきたかったからな」
アルベルクはそんな態度のフェーヴェル家当主に内心呆れた。
(手柄欲しさに煽ったか? もしくは、本当にただの馬鹿息子の暴走か……)
フェーヴェル家の当主【ランベール・イオ・フェーヴェル】は、額が大きく後退した小柄で太った男だ。
アルベルクからすれば小物だったが、少し厄介でもある。
「ホルファートと戦争をすると?」
そう問いかければ、
「フェーヴェル家だけで対応して見せましょう。最近、活躍の場がなくて家臣や部下たちも暇を持て余しているのでね」
他の当主たちがそれぞれ違った反応を見せている。
忌々しそうにしている者もいれば、興味がない者もいる。
もう一つは――。
「……船員を必要としない飛行船を手に入れたと聞いた。それに、とんでもない鎧も手に入れたそうだが?」
――【フェルナン・トアラ・ドレイユ】という金髪の青年が問う。
緑色の瞳はとても力強い意志を感じる。
ランベールは微笑むが、醜い笑みになっていた。
「王国も少しは進歩しているらしい。解体して調べたいが、息子が玩具にしていてね。準備ができ次第、うちで解析して量産予定だ」
フェルナンは目を細める。
「聖樹を利用して酷い真似をしたそうですね。不用意に聖樹の力を利用するのは危険だと思いますが?」
「それ以上は止めて貰いたいな、フェルナンの小僧。フェーヴェル家に口出しをするのかな?」
言われてフェルナンが悔しそうに黙る。
同じ国にいながら、その関係は他国のトップと同じだ。
彼ら一人一人が王でもある。
「何か気になることでも?」
アルベルクがフェルナンに話を振る。
アルベルクも、ホルファートの一件はあまり重要視していなかった。
だが、
「付き合いのある商人からの情報ですけどね。王国の商人と話す機会があったと。随分と若い騎士が活躍して英雄になったらしい」
六大貴族の当主たちは興味がない。
他国の英雄も、アルゼルに来れば並の騎士程度の実力しか出せないのだから。
アルベルクも同様だ。
「若い英雄か。なら、相手は公国だったか? 内輪揉めで成り上がった騎士だな」
公国は元々王国と関係があり、アルゼルからすれば内輪揉めに見えていた。
フェルナンは難しい表情をしている。
「その若い騎士――留学してきている男子生徒と同姓同名なのだが? 気にならないのですか?」
ランベールは愉快という感じで笑っていた。
「それはいい。戦争になれば、世間は広いとその若造に教えてやれる。私の息子たちも手柄を欲していましてね。丁度いい手柄首だ」
侮っているランベールに、フェルナンは何かを言おうとしてアルベルクに止められた。
「この話はここまでだ。次の議題に移ろうじゃないか」
こうしてホルファートの話題は流されてしまった。