逆鱗
マリエは屋敷の自室にいた。
ベッドの上に正座をして自分の身を案じている。
目の前にいるのは――リオンだ。
ガチガチと歯を打ち鳴らし、小刻みに震えて青い顔をしている。
「……つまり、お前はアレか? 重要なことを今の今まで忘れていた、と?」
怖くてリオンの顔が見られないマリエは頷く。
「ふぁ……ぁい」
返事も震えてうまく出来ない。
マリエがリオンを恐れる理由はいくつかある。
一つに、リオンの性格を知っているからだ。
自分が逆ハーレムを利用してアンジェを追い詰めようとした際に見せた反骨精神とでもいうべきか、やる時にはやるというのを知っていた。
普段は問題ないが、やると決めたらリオンはやるのだ。
そして重要なのが二つ目だ。
リオンは既に実戦を経験しており、人を殺している。
この差は非常に大きいとマリエは理解している。
ためらいが少ない。
人殺しに対するハードルが低くなっている。
(殺される。私――兄貴に殺される!)
そして三つ目。
マリエはリオンの前世の妹である。
リオンが怒る限界を知っており、妹ながらにそのラインを見極めていた。そこだけは絶対に超えないようにしてきた。
理由は怒らせると怖いから。
ねちっこく、そして目的を達成するためには手段を選ばないからである。
普段、面倒くさがっているが、怒らせてはいけないと理解していた。
そもそも怒るラインが非常に緩い。
ある程度なら許してくれるし、マリエも前世はそれを理解して頼っていたところがある。
だが、そのラインを超えたらどうなるか思い出すと、今にも倒れてしまいそうだった。
(だ、駄目。絶対に倒れたら駄目。泣き落としも無理。逆に苛つかせる。淡々と事実を語って謝罪するしかない。そうしないと……死ぬ!)
リオンがマリエの部屋を歩く音が聞こえた。
グルグルと回るように歩いている。
「もっと早くに知っていれば、対策も立てられたのに。お前の飼っている王子もどきが、早まらなければ俺はルクシオンも船も――アロガンツも失わなかった。違うか?」
震えるマリエは、冷や汗が止まらなかった。
「ち、ちがいましぇん」
呂律がうまく回らない。
マリエは今にも倒れてしまいそうな意識を、必死につなぎ止めている。
「……お前の処分は後で決める。先にブラッドの治療にいけ」
「はい!」
ベッドから飛び上がり、部屋を出て廊下を走るマリエは応急処置をしただけのブラッドの元へ向かうのだった。
だが――。
(どうしよう。私――終わっちゃう!)
最大の支援者にして理解者でもあるリオンを敵に回したマリエは、かなり追い詰められていた。
◇
マリエが部屋を出て行ったのを確認し、俺は顎に手を当てる。
「さて、これから忙しくなるな」
ノエルの世話もある。
さっさと自宅に帰ることにして、明日にでも色々と相談することにした。
◇
翌日。
学園で相談した相手は、担任教師であるクレマン先生だ。
今日もはち切れそうなシャツを着ている。
いつもより真剣な顔をしているが、脚を組んで膝の上で手を組んでいた。
「……フェーヴェル家の次男坊ね。彼、学園でも指折りの問題児よ」
「他にも問題児がいたんですね」
そちらの方が驚きだ。
「方向性は違うのだけどね。それにしても、月並みで悪いけど大変だったわね、リオン君」
外見はともかく優しい先生なのは事実だ。
クレマン先生に色々と相談する生徒は多い。
特に女子が多く、男子はどうしても相談する際はためらいがちだ。
理由? 身の危険を感じるからだ。
「それで、どうすれば飛行船を取り戻せるのか、だったわね」
「はい」
相談内容は、取られた物を取り返す方法だ。
こればかりは少し困る。
あいつらに、アインホルンを賭けてでも勝負したいと思わせなければいけない。
それも、対等に見える勝負をする必要がある。
「結論から言わせて貰えれば、無理でしょうね。彼は七大――いえ、六大貴族の出身よ。対価を用意するにも、財宝程度では喜ばないわ」
「こちらは一人重症です。その線で上に文句を言えばどうです?」
クレマン先生は首を横に振る。
「聞き入れないでしょうね。何しろ、議会に参加する一人はフェーヴェル家の当主。ピエール君のお父上よ。他の議会に出る当主たちも、政治のための交渉材料にすることはあっても、真剣には考えないでしょうね」
外交問題を軽視している。
その理由が、防衛戦で勝利し続けてきた不敗神話――防衛戦限定だが、負けたことがないことに起因していた。
更に言えば、聖樹があるための慢心でもある。
「ピエールが欲しがる物は何かありますか? 六大貴族も欲しがっている物があると嬉しいですね」
クレマン先生が肩をすくめる。
「それこそ伝説の類いになるわね。伝説の武器とか、後は聖樹が生み出す宝玉かしら?」
「宝玉?」
「聖樹に果実が実るのだけど、その中には種の代わりに濃縮された魔力を封じた玉があるのよ。数は多くないのだけれど、それを探すために聖樹の近くには常に飛行船が飛び回っているわ」
聖樹がある島は聖域。
宝玉は回収した者に所有権があるらしく、六大貴族も奪い合っているらしい。
「聖樹から無限にエネルギーを得られるのに、どうしてそんなものを欲しがるんです?」
「……どこでその話を聞いたの?」
クレマン先生の目つきが変わった。
どうやらマリエの知識は間違っていなかったようだ。
「さぁ? どこでしょうね。それで?」
話の続きを求めると、クレマン先生は諦めたのか説明に戻った。
「聖樹には手を出せないわ。果実も自分たちで取ってはいけないの。取れない、と言った方がいいかしら? だから、落ちそうな果実を見つけたら飛行船で待機して様子をうかがうわ。ちなみに、宝玉には愛が実る伝説があるのよ」
恋人同士で宝玉を手に入れると、その愛は永遠となるらしい。
ふ~ん。興味ないな。
「興味なさそうね」
「婚約者がいるので」
「残念ね」
その残念とはいったいどういう意味だ? 気になるが、聞きたくないので他の話を聞くことにした。
宝玉を得る方法では時間がかかる。
競争率もあり、手に入れるのは難しい。
留学生である俺には時間も限られている。
宝玉を探している時間も道具もない。
「では、その次は?」
「……六大貴族が血眼になって探しているものなんて、一つしかないわ。『聖樹の苗木』よ」
「苗木?」
「そう。でも、さっきのことを思い出して。聖樹に実った果実の中身は、宝玉よね? あれ自体はエネルギーの塊で種じゃないの。なら、苗木はどうやって出来ると思う?」
種から芽が出なければ、そもそも苗木なんて手に入らない。
枝を切り落として植えるのも……クレマン先生の態度からするに駄目なのだろうな。
「だから伝説ですか」
「そういうことよ。六大貴族は欲しい物なんて全て自分たちで手に入れるわ。なければ、相手を挑発して戦争ね」
絶対的な自信から防衛戦を行い、勝利しては相手から賠償という形で財を得る。
……色々と見えてきたな。
「苗木ですか。その話、もっと詳しく聞きたいですね」
「私も伝説しか知らないわ。そうね、知っているとすれば……ナルシスきゅんかしらね?」
ナルシス“きゅん”?
◇
学園の教員室。
個室を与えられているその人物の名前は【ナルシス・カルセ・グランジェ】。
六大貴族の出身者で、教師になったグランジェ現当主の三男坊である。
クレマン先生に紹介され、教員室に入るとソファーの上で寝ている教師が一人。
灰色の髪をオールバックにした、無精髭の男性は二十代後半だそうだ。
研究に没頭しているらしく、彼の授業は人気もないのか暇だと聞いた。
必須の授業ではないため、受講する生徒も少ないというか――いないらしい。
「ナルシス先生」
「ん?」
欠伸をしながら起きるナルシス先生は、俺の顔を見ると首をかしげていた。
「……トイレはここじゃないよ」
「いや、先生に用事があるんですよ」
「私に? 何で?」
……本気で分からないという顔をしていた。
この教師、これでも攻略対象の男性の一人である。
不真面目な不良教師? もしくは、研究馬鹿という感じだな。
「実は話が聞きたいと思いましてね。留学生のリオンです」
すると、飛び上がったナルシス先生が俺の両手を掴む。
おい! こいつ、ちょっと酒臭いぞ。
「ホルファートの留学生か! 実は私も会いたかったんだ!」
「そうなんですか?」
「待っていてくれ。すぐにお茶を――あ!」
慌ててお茶の用意をしようとしたナルシス先生は、本の山に足を取られ崩れた書類と本に埋もれてしまった。
随分と汚い部屋だと思ったが、何度もこんなことがあるのか倒れている本の山が沢山ある。
「……とりあえず、片付けから始めましょうか」
本の山から顔を出したナルシス先生が、俺を前に恥ずかしそうにしている。
「すまない」
◇
部屋を片付けながら俺たちは話をした。
「冒険者と知り合いになりたかった?」
「そうだ。私はどちらかと言えばその場所に行って直接指導するタイプでね。実際にダンジョンに入って実地で学んで欲しいのさ」
自分の趣味でもあるらしいが、ダンジョンで古代のことを調べているらしい。
教員をしているのは、都合がいいから。
そして、六大貴族の出身者であるために、冒険者になれないのが原因のようだ。
「ホルファートは貴族出身者でも冒険者になれると聞いていたからね」
「なれるというか、なるしかないんですけどね。学園に入れば全員冒険者になりますよ」
「男女関係なく? え、アレは本当に?」
頷くと驚いていた。
「一人一人が強いはずだね。以前留学できていた生徒たちも異様に体育関係の成績が良かったよ」
留学生を受け入れているアルゼル共和国。
だが、留学生が来たのは数えるほどしかないらしい。
お互いに知らない事が多いのもそのためだ。
「それで、俺の方の話ですけど」
「聖樹の苗木かい? 確かに伝説だけど、発見自体は何度か報告されているんだ」
共和国の歴史上、苗木自体は発見されていると聞いて首をかしげる。
「なら、何で伝説なんです?」
「答えは簡単だ。大地に根付かなかったのさ」
見つけても枯れてしまう。放置しても枯れてしまう。
研究したくとも数がないそうだ。
アルゼル共和国としては、何としても確保したいのが聖樹の苗木らしい。
「聖樹も生きている。当然、そうなるといつか枯れるだろう。その前に、苗木はどうしても確保して新しい聖樹を手に入れたいのが共和国の考えだね」
百年後、二百年後のための計画。
ただ、気になった点が一つ。
「大事なのは分かりますけど、将来的に必要なのであってすぐに欲しがるようには思えませんね」
貴族たちが喉から手が出るほどに欲しいようには思えなかった。
ナルシス先生が何か言いたそうにして、言葉を飲み込んでいる。
手に入れたい理由はあるが、俺には教えられないのだろう。
「それで、その苗木がある場所はどこですか?」
「苗木自体の発見例は、大陸各地のダンジョンであればどこでもあるね。まだ発見されていないとしても、どのダンジョンにも可能性はあると思うよ」
どこでもいい?
俺が気になっていると、ナルシス先生が答えてくれた。
「アルゼルのダンジョンはね――全て聖樹に繋がっているのさ。そもそも、この大地にも根が深く入り込んでいる。全てが聖樹に繋がっているとも言えるね」
「不思議な国ですね」
「そう? アルゼルでは普通だから分からないけどね。でも、聖樹の苗木なんか欲しがってどうするの?」
俺はピエールの名前を出した。
説明すると、ナルシス先生が額に手を当てる。
「……同じ六大貴族出身者として申し訳なく思うよ」
「だったら助けてくださいよ」
ナルシス先生が首を横に振る。
「君たちには分からないだろうが、七大――いや、六大貴族というのは一国家の下にいる貴族じゃないのさ。国家の集合体だと思って欲しい」
すると、ピエールのフェーヴェル家に文句を言うのは、内政干渉になるということか?
フェーヴェル家は別国家……互いに色々と思惑がある、と。
いいことを聞いた。
「ということは、ピエールに味方もしないと?」
ナルシス先生が笑っていた。
「そういうことだ。私から注意くらいは出来るが、彼は聞き入れないだろうね」
「そんなに酷い奴なんですか?」
苦笑いをするナルシス先生が、ピエールについて話をするのだった。
「酷いというか、なんというか……好き勝手にしているからね」
どうやら学園での評価は低いようだ。
俺は少しずつ、頭の中で作戦を組み立てていく。