聖樹への誓い
マリエたちが住んでいる屋敷。
厨房で夕食の用意をしているのは、マリエとカーラにカイルだ。
「パスタよ、パスタ! とにかく大量に湯がいて量で誤魔化すの!」
パンやらスープを用意しているカーラが、カイルにお願いをする。
「テーブルに持っていってくれる、カイル君?」
八人での夕食だ。
カーラは身分が違うとか、カイルは奴隷だから別でとか、そんなことは言わない。
これが「そんなのは駄目よ!」なんてマリエが言えれば格好もつくだろうが、本音は別にあるのだ。
……片付けが面倒。
別で夕食を用意して、その後にバラバラと動いて貰っても困るから、だ。
効率を考えて、みんなで一緒に食事をしているに過ぎない。
身分云々で食事を分けるなんて駄目! なんて言っている余裕がないのだ。
カイルが呆れている。
「他の二人がせめて夕方までいてくれたらいいのに」
使用人がいると言っても、その二人は一人が庭師。
一人は女性だが、家庭があるため夕方前には帰ってしまう。
ユリウスがいるために、身元がしっかりしている王国の人間以外を側に置けないために問題が出ていた。
そもそも、留学生にユリウスのような王族が来るなど想定していなかったのだ。
大使館に文句を言っても「こっちだって困る」としか言えない状況だった。
何もかも慌ただしい中での決定で、色々と手が回っていない。
カイルが料理を運ぶと、そこには食事を待っているグレッグの姿があった。
「飯はまだか?」
テーブルに突っ伏しているグレッグに、カイルも苛立つ。
「早く食べたいなら手伝ってくださいよ」
「腹が減って動けない」
料理を並べるカイルは、他の面子について話を聞く。
「殿下たちはどうしたんですか?」
「ユリウスは明日の授業の準備だな。ジルクは少し遅れて戻ってくるよ。何でもティーセットを見て回りたいと」
カイルは時計を見た。
「食事前には戻ってきて欲しいんですけどね」
「知るかよ。あと、クリスはアレだ。外で素振りだ」
「あの人、暇さえあれば素振りをしていませんか?」
「あいつは暇だからな」
グレッグの答えを聞いたカイルは思った。
(あんたも暇そうだけどね)
「なら、クリスさんを呼んできてくださいよ」
「お前が行けよ。俺は腹が減っているんだ」
外では気を張っているグレッグも、屋敷では気を抜いて駄目な姿をさらしている。
学園では留学生や、王国の貴族としての立場もあって意外と真面目だった。
その反動で屋敷では気を抜きすぎている。
カイルが料理を並べ、厨房に戻ろうとすると――。
「あれ? ブラッドさんはどこですか?」
グレッグが顔を上げる。
「そういえば見てないな。女子に付きまとわれているんじゃないか? あいつ、チヤホヤされるのが好きだから、遊んでいるかもな」
ナルシストであるブラッドは、自分を褒めてくれる存在が大好きだ。
女子に囲まれ気分良く過ごしていると想像したカイルは余計に腹が立つ。
(夕食を抜いてやりたいね。片付かないから早く食べて欲しいのに)
すると、慌ただしく屋敷にジルクが戻ってきた。
「た、大変です!」
◇
エプロンをしたマリエが屋敷の門へと走ると、そこには植物の蔦のようなもので縛り上げられたブラッドがいた。
酷くボロボロで、体中に酷い怪我を負っている。
顔は膨れ上がり、歯も折れているように見える。
そんなブラッドに腰を下ろしてマリエたちを待っていたのは、ピエールだった。
取り巻きたちも木刀などを持って屋敷の前にいる。
「あ、あんたたちいったいどういうつもりよ! ブラッドに何してくれたのよ!」
怒るマリエに対して、ピエールはとぼけたように言うのだ。
「へぇ、こいつブラッドって名前なのか? いきなり襲いかかってきたから返り討ちにしたんだよ」
取り巻きたちが笑っている。
「この落とし前はどう付けてくれるんだ?」
「ホルファート王国の皆さんは、どう償ってくれるのかな?」
「俺たちも怪我をしたんだ。誠意を見せて欲しいよな!」
ブラッドから手を出したと聞いて、マリエはあり得ないと思った。
確かに馬鹿であるが、以前よりはまともだ。
「馬鹿を言わないで! ブラッドがそんなことをするわけがないじゃない。したとしても、何か理由があるはずよ!」
マリエの後ろで見ていたカーラとカイル。
マリエの前に出るのは、グレッグとクリスだった。
「ブラッドからどけよ」
睨み付けるグレッグに対して、ピエールは笑っていた。
「お前らがどう言おうが関係ないんだよ」
クリスが目を細めた。
「どういう意味だ?」
ピエールが口角を上げて笑っていた。
「ここはアルゼルで、お前たちは余所者だ。俺がこいつに襲撃されて返り討ちに遭ったと言えば、それが真実だ。分かるか?」
屋敷からはユリウスとジルクが駆けてくる。
「何があった!」
マリエがユリウスたちに事情を話す。
すると、ユリウスがピエールに向かって、
「事情は理解した。だが、ブラッドは王国の人間だ。相応の地位にもある。引き渡して貰うぞ」
とにかくブラッドの治療を優先させ、後で事情を調べるとするユリウスに対してピエールは両手を広げて提案するのだった。
「返して欲しい? ならゲームをしようじゃないか」
マリエたちは「こいつ何を言っているんだ?」と、本気で腹立たしい顔をしていた。
「あんた、この状況で何を言うのよ。いいからブラッドを返せ!」
そんなマリエにピエールが怒鳴る。
「ゴチャゴチャ五月蠅いんだよ! いいからお前らはゲームをすればいいんだ。そうすれば、このゴミ屑は返してやるからよ!」
埒があかない。
ピエールのその取り巻きとも、下手に争えない事情があった。
そして、ユリウスがピエールの言うゲームの確認をする。
「お前らの言うゲームをすれば、ブラッドを返して貰えるんだな?」
「勝ち負けに関わらず返してやるよ。だが、一つだけ始める前の決まりがある。“聖樹に誓え”……これはやって貰うぞ」
聖樹と聞いてマリエが怪しむ。
(こいつらいったい何を――ま、まずい!)
ここで忘れていたゲーム知識を思い出すマリエだったが、先にユリウスが――。
「いいだろう。その聖樹に誓ってやるからさっさと始めろ。ブラッドの手当を早く――」
マリエは血の気が引いて顔が青くなった。
「駄目ぇぇぇ!」
しかし、ピエールは口を開けて笑い始めた。
「もうおせぇぇぇ! 聖樹の名の下に、この勝負は正式に認められたのさ!」
マリエやピエールたちの地面に特徴のある魔法陣が浮かび上がった。
その魔法陣を見たマリエが思い出す。
(聖樹――そうよ、こいつらにとって聖樹の名は何よりも重い)
信仰だけではない。
実利の面でも聖樹はとても重要な存在であり、そしてこのアルゼルの大地を支配している存在でもあった。
ユリウスが地面を見ながら、
「いったい何が!」
ピエールたちが笑っている。
「勝負方法は簡単だ。お前ら、自分たちで殺し合え。半分になったらお前らの勝ちだ。そうでなければ、お前らの負け。お前らが乗ってきた飛行船も、その中身も俺が貰う」
クリスが目を見開く。
「どういう意味だ! そんな話は聞いていない。それに、アインホルンはバルトファルトの飛行船だ。俺たちに所有権はない!」
そんなことは関係ないというピエールたち。
「聖樹に誓った勝負だ。破ったら相応の報いが待っている。それに、お前らが仲間内で殺し合えばいい話だろ?」
ピエールは「さぁ、殺し合って見せてくれ」と言って笑う。
ユリウスが言う。
「そんなことが出来るか! お前らいい加減に――」
すると、魔法陣から蔦が伸びてマリエたち全員の首に絡みつく。
マリエは抵抗せずにその場に座り込んでいた。
蔦を引き剥がそうとするグレッグだが、
「だ、駄目だ。取れない!」
ジルクが拳銃を取り出して蔦を撃つも、その程度ではどうにもならなかった。
「こんなことをして何の意味が」
苦しむジルク。
蔦が外れると、全員の首に薄い緑色の小さな印がついていた。
ピエールはそれを見て笑う。
「敗北者の印だよ。お前らが俺から飛行船や中身を奪い返そうとすれば、問答無用で聖樹がお前たちを殺す」
唖然とするユリウスたち。
「こんなことをしてただで済むと思っているのか?」
睨み付けるも、ピエールたちは笑っていた。
「お前が聖樹に誓ったのが悪い。何も知らなかったみたいだが、もう決まったことだ。お前ら、飛行船を取りに行くぞ」
ブラッドから腰を上げたピエールたちが、港へと向かい始めた。
マリエは頭を抱える。
「ど、どうしよう。あ、あに――リオンに伝えないと」
皆がいるので何とか兄貴とは言わなかったが、狼狽えているマリエはリオンが何というのか怖くて仕方がなかった。
カイルが首を気にしながら走る。
「僕が伝えてきます!」
クリスも同行する。
「まて、私もいく。お前たちはマリエたちを屋敷の中へ!」
周囲が慌ただしく動く中、マリエはただ呆然としていた。
「……私、殺される」
◇
自宅でノエルの面倒を見ていた。
「ノエルちゃん、いっぱい食べるね。俺、元気な子は大好きだ。だからもう少し頑張ろうな」
食事をさせながら様子を見ていた。
ルクシオンが俺を見ている。
『マスター、当面の必要な物は既に地下にご用意しています。ノエルの食事ですが――』
そこで激しくドアを叩く音が聞こえてきた。
「話は後だ。はいは~い」
ドアを開けると、そこには息を切らしたクリスとカイルがいた。
クリスは上半身裸で木刀を持っている。
「……お前はもう少し格好に気をつけた方がいいよ」
「バルトファルト、冗談を言っている場合じゃない。お前の船が!」
「アインホルンのことか?」
カイルが汗を拭いながら、
「それだけじゃありません。アロガンツも奪われたんですよ! 船と、船の中身全てがピエールってこの国の貴族に奪われたんです!」
俺が目を細めると、クリスが港へと行こうと誘ってくる。
「あいつらは港だ。急いだ方がいい」
カイルが首に出来た痣を俺に見せてきた。
「あいつら、聖樹に誓うとか何とか言わせて、僕たちに呪いみたいなものを付けたんです。気をつけてください。あいつら、普通じゃありませんよ」
とにかくクリスに俺のシャツを貸し、港へと向かうことにした。
◇
夜の港には街灯の明かりがそれなりにあった。
そんな中、俺たちを待つようにアインホルンの前にいたピエールという悪役が両手を広げ歓迎してくれる。
「よう。遅かったじゃないか」
わざわざアロガンツを船からだし、そして試運転を終えたのか笑っている。
「いい鎧じゃないか。外見は駄目だが、パワーがある。こいつを量産できれば、お前らの国なんかすぐに潰せるな」
馴れ馴れしくアロガンツを触るピエールたち。
クリスがピエールたちに怒鳴る。
「それはバルトファルトの物だ。俺たちが勝手に勝負をして賭けの対象には出来ない!」
ピエールが髪をかく。
「分かってないな。そんなのは関係ないんだよ。もうこれは俺の物だ。見ろよ」
船体。
そしてアロガンツにも緑色の紋章が浮かび上がっていた。
「聖樹がこれは俺の物、だって認めた証だ。分かるか? お前らの理屈は通用しないんだよ。だが、俺も鬼じゃない。もう一度だけ、そこの冴えないゴミ野郎と勝負してやってもいいぞ」
それを聞いてクリスもカイルも焦って俺に振り向くが――。
「……勝負しない。好きにしろ」
俺が勝負をしないと聞いて、クリスが「すまない」と悔しそうに俯いていた。
カイルは少し疑った視線を向けてくる。
ピエールが笑っていた。
「何だ? 似非貴族は意地もないのか?」
取り巻きたちも俺を馬鹿にするように笑っている。
「こんなのが伯爵なんて、王国は終わっているよな!」
「本当に間抜けだよな。聖樹に誓って勝負をするなんてよ」
「これで少しは利口になっただろ。よかったでちゅね~」
うっとうしい雑魚共だ。
……顔は覚えたからな。
そして、俺の右肩に浮かんでいたルクシオンがピエールに近付く。
「何だ?」
ルクシオンがピエールに自己紹介を始めた。
『飛行船を管理する人工知能です。所有者変更に伴い、今日からは貴方をマスターとしてお仕えすることになりました』
ピエールたちが不思議そうに見ている。
「使い魔か?」
「飛行船の管理?」
「そう言えば、船員が一人もいなかったな。こいつ一匹で管理するのか?」
話し合っている取り巻きたち。
ピエールは俺に近付いて唾を顔に吐きかけてきた。
頬に奴の唾がかかる。
「使い魔にも裏切られた気分はどうだ? 聞かせてくれよ」
俺は笑顔をピエールに向けてやった。
「……最悪だね」