エピローグ
少し早めの春休み。
実家に戻った俺は、親父の領地に用意した工場に足を運んでいた。
目の前に見えるのは二百メートル級の一本角が特徴的な飛行船【アインホルン】だ。見た目は実に豪華だ。
「飾りが多いな」
『ホルファート王国の代表として恥ずかしくない飛行船を用意せよ。それが、王宮からの条件でしたからね』
工場では人とロボットが慌ただしく動いて作業をしている。
ロボットたちが仕事をし、雑用を人が担当している状態だ。
稼働して数ヶ月の工場なので、熟練の技師なんてそもそもいない。
数年もすれば、仕事を任せられるようになるとのことだ。
それまでは、ロボットたちが仕事を代行する。
「パルトナーは修理が終わっても出せないし、本当に面倒だな。あれ? クレアーレはどうした?」
『あいつは王都に残してきました。オリヴィアとアンジェリカを気に入ったそうです』
「お前よりも自由な人工知能だな」
『否定できませんね。まぁ、裏切ることもありませんから大丈夫でしょう』
新しい飛行船を用意した。
理由は――留学するためだ。
「……まさか、あの乙女ゲーがシリーズ物になっているなんて誰が予想するよ」
思い出すのは、マリエとの会話だった。
◇
王宮でマリエと話をしたあの日。
「兄貴は知らないと思うけど――あの乙女ゲーはシリーズ物になったのよ」
「……え?」
あのバランスが悪く、ユーザーから不満が爆発したゲームがシリーズ物になったとマリエが言いだした。
「ヘルトラウダって三作品目に出てきたキャラクターよ」
「さ、三作品目!? おい、待て。少し待て!」
三作品目があるということは、その間に二作品目があるという意味だ。
……そんなの聞いていない。というか、知らない。
「知らなくても当然よね。兄貴、クリアしたら死んじゃったし。その後に続編が出たのよ。三作品目は、ユリウスの弟が登場するのよ」
「あいつ弟がいたのか!」
「いるわよ。王様に側室がいて、ユリウスとは腹違いなの。だから、ちょっと影のある感じが格好いいキャラよ。アウトローっぽいの」
そんな設定聞いてないよ。
いや、少し待て! ……そう言えば、謁見の間で何度かそれっぽい子供を見たわ。てっきり、王子はユリウスだけとか思っていた。
よく考えてみれば、確かに王子が一人なんて問題だ。
「そうなると、三作品目のラスボスがあの化け物だったのか?」
「そうね。天と海の守護神が三作品目のラスボスよ。ちなみに、三作品目の開始時にはユリウスたちが三年生なの。だから、色々と関われる上に、卒業後の様子も楽しめる特典付きだったわ」
そんな情報はいらない。
「そんな雰囲気なかったぞ。三年生の時に、ユリウスの弟が入学するイベントなんかゲームになかった!」
「何を言っているの? ――後付け設定に決まっているじゃない」
身も蓋もない説明をありがとう。
「で、でも、その守護神? そいつらを倒したから、もう大丈夫なんだよな? 王国の危機はないよな?」
マリエはニヤリと笑みを浮かべた。
「……兄貴、二作目の舞台はホルファートじゃないわ。【アルゼル共和国】なのよ」
あれ? どこかで聞いたことがある国だな。
「ま、待て。待ってくれ! すると――」
「二作目のボスは健在よ」
マリエのニヤニヤする顔を見ながら、俺は頭を抱えその場に座り込む。
「嘘だぁぁぁ!」
あっていいはずがない。この世界――あの乙女ゲーに続編があって、世界の危機は終わっていないとか信じたくない。全て終わったと思っていたのに!
マリエは勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「さて、交渉をしましょうか」
急にマリエが強気の態度になるのが腹立たしい。
俺がこれから先の知識を何も持っていないと分かると、交渉できる余地があると判断したのだろう。
「態度がでかいな」
「そんなことを言っていいのかしら? 私は兄貴が持っていないゲームの知識を持っているのよ」
「……何が望みだ」
「そうね。まずは――仕送りをお願いします! 生活費が欲しいの!」
いきなり土下座をしてくるマリエの頼みは、仕送りだった。
「いらないだろ。お前らは浮島に押し込められるわけだし、必要な物は用意されるはずだ。というか、生きるために必要なものは揃っているからいらないだろ」
「違うの! 少しは苦労を知りなさい、って自給自足の生活になったの! 必要な道具やら色々と用意はされるけど、あの五人よ? カイルやカーラはともかく、あの五人が農業なんて出来ると思う? 絶対に失敗するわ」
……まぁ、お坊ちゃまたちだし、いきなり農業はハードルが高いだろう。
というか、カーラもお前についていくの?
「お米とかちゃんと送るから、生活費をください! 割とガチでユリウスたちの実家も怒っているから、仕送りとか期待できないのよ!」
マリエが今後の生活を不安視している理由は、五人が「農業なんて楽だろ」みたいなノリだったからのようだ。
自給自足も悪くないと、のんきに考えているのが原因だった。
「無理。あの五人に任せていたら、絶対に失敗する。私の勘がそう告げているわ。だって、みんな前世の元彼と同じような台詞を言うのよ。甘い考えと、どうにかなるとか夢みたいなことを言ってヒモをしていた元彼たちと同じなのよ!」
奇遇だな。俺も同じ意見だよ。あいつらが失敗するのが目に見える。
というか、こいつは本当に駄目な男に人気だな。駄目な男がこいつに近付くのか、こいつが男を駄目にするのか……さて、どっちだ? もしかして、駄目な男を引き寄せる電波でも出ているのかな?
マリエは割と切実に俺に頼み込んできた。
「だから、情報を売るので仕送りをお願いします!」
……まぁ、情報は欲しいので仕送りは認めよう。
「仕送りはしてやるから、そのアルゼル共和国について話せ」
「ありがとう、兄貴!」
マリエは仕送りが貰えると喜び、立ち上がって小躍りしていた。さっさと話せと言うと、マリエは咳払いをしてアルゼル共和国について話をした。
「アルゼル共和国は、貴族共和制の国よ。王国よりも進んでいて、平民でも通える学園があるの。そこで、攻略対象の男子たちと仲良くなるの」
ホルファート王国と同じだな。
「それでね、主人公は潰えたはずの大貴族の血を引く娘なの」
「ふ~ん」
「最終的に、その主人公が攻略対象の男子と家を復活させるんだけど――」
マリエから聞いた情報に、俺は唖然とした。
◇
「攻略失敗で世界の危機とか止めろよ。勘弁してくれよ」
話は省くが、とにかく二作目の主人公がいい感じにならないと下手をすると世界が滅ぶ。この世界、常に滅びそうになっている。
『マスターも苦労性ですね』
「世界の危機を放置なんて出来るか! くそ、何も知らなければノンビリ学園で二年生として生活していたのに」
『伯爵で三位下ですからね。きっと引く手あまたですよ。聞けば、今回の一件で女子よりも男子が減ってしまったそうです。男女で立場が逆転しましたね』
男子は大勢から結婚相手を選べるが、女子は数少ない男子から選ぶしかない。
しかも、女子は卒業しても結婚できそうな男が少ないという現実。むしろ、卒業したら結婚が難しくなるのが現状のようだ。男が少ないから仕方がないね。
そんな中、賢い女子は慌て始めていた。
『こちらに残れば、それこそマスターにとって幸せな学園生活が待っているというのに』
「俺だって残りたいよ。けど、放置も出来ないだろうが」
問題なのは、俺たちと同じような転生者の存在だ。
存在の有無を確認してはいないが、いたとしたら――マリエのように好き勝手にされ、挙げ句に世界が危機に陥ったらと思うと安心できない。せっかく頑張ったのに、ここで世界が滅んだら意味がない。
「……留学ついでに様子を見に行く。何事もなければ、ただの留学で終わるな」
『語学の方は大丈夫ですか?』
「挨拶程度は覚えたけど、会話は無理かな」
『私なら通訳が出来ますが?』
「なら最初に言えよ! 柄にもなく猛勉強しちゃっただろうが!」
『そこは頑張りましょうよ』
騒いでいると、兄貴が迎えに来る。
「リオン、親父が呼んでいるぞ」
「親父が?」
◇
屋敷の執務室に顔を出した俺は、親父から話を聞いて驚いた。
「婚約?」
「そうだ。婚約式があるからお前も準備をしろ」
「もしかして姉貴?」
「ジェナは駄目だ。母ちゃんが言うには、まともに家事も出来ないから嫁にも出せないってよ。今は男の方が少ないからな。ジェナを嫁がせようと思えば、準男爵家以下の家柄だな」
準男爵家以下の家に嫁ぐことになると、姉貴では色々と問題が出てくる。
家事が全く出来ないのでは話にならない。
お袋が一から再教育中である。
俺の伝というか、英雄の姉としてならどこかに滑り込めるだろう。だが、両親はそれをすると洒落にならないと思ったのか、絶対に認めない。
なら、婚約するのは兄貴しかいない。
男爵家の跡取りとして、親父の仕事を手伝っているのが今の兄貴だ。
学園も卒業して、今は家の手伝いをしているので丁度いいのか?
「何で結婚じゃないの?」
「色々と事情があるからな。バタバタしていて悪いが、留学先に行く前にお前も参加して貰う」
俺を参加させたいから婚約なのか?
相手の女性がまだ学生で、学園を卒業していない可能性もある。
「別に問題ないよ」
「そうか。なら、準備をしておいてくれ」
◇
部屋を出て階段を降りると、次女から長女に昇格したジェナがいた。
ユメリアさんに掃除の仕方を教わっている。
「お嬢様、そんなに雑に拭いたら駄目ですよ。こう、丁寧に拭かないと」
黙っている姉貴は、凄く不満そうにしていた。
「あ、駄目です! そこはこうやって――」
一児の母なのに可愛いらしいユメリアさんに掃除を教わっているのに、姉貴が雑巾を投げた。
「やっていられないわ! この程度、使用人にさせればいいのよ!」
「で、でも、お掃除を教えるように言われて」
未だに現実を理解していないのか、姉貴は夢ばかり見ている。
「学園に戻れば男爵家の跡取りがいるわ。そいつらと結婚すればいいのよ。あ、リオン! あんた、私に友達を紹介しなさい。この際、田舎の領主貴族で我慢してあげるわ」
ユメリアさんがアワアワと慌てており、俺に頭を下げてくる。
俺は「あぁ、大丈夫だから」と優しい笑顔を向け、姉貴には嫌らしい笑みを向けた。
「おい、伯爵様に対していい度胸だな。因みに俺の友人たちは、既に女子から熱烈なアプローチを受けて選び放題だ。姉貴なんて眼中にないと思うよ」
……本当に羨ましい限りだ。
俺は伯爵という地位が邪魔をして、近付いてくる女子が洒落にならないレベルのお嬢様たちばかりなのに。
チヤホヤしてくれるので嬉しいが、手を出したらそのまま責任を取らされるため迂闊に遊ぶことも許されない。
「あ、あんた、姉に向かって何て態度なのよ!」
「お前が自分の奴隷のせいで大変な目に遭うところを、俺がフォローしたのを忘れないで欲しいな」
実際、姉貴にも責任が及びそうになった。
それを金の力でどうにかしたのが俺だ。
姉貴が悔しそうに唇を噛みしめている姿を見ると――気分が晴れる。今日は何て清々しい日なんだ。
「え、えっと、お坊ちゃま? 違う。伯爵様? あ、あれ? と、とにかく、リオン様、ジェナ様が可哀想ですよ」
ユメリアさんに癒やされる。
ゴミみたいな性格の姉妹しかいない俺にしてみれば、この人は可愛い妹みたいな感じだ。
実際は俺よりも年上で、一児の母だが。
この、ちょっと抜けている感じがいい。おまけに真面目で優しい。
この人、最高。
「ユメリアさんに言われたから許してやるけど、少しは真面目にしろよ。割と真剣な話をすると、このままだと嫁の貰い手がいないからね」
「……が、学園に戻りさえすれば、男子なんて選び放題よ」
「現実を見なよ」
笑ってやると、姉貴が雑巾を拾って俺に投げつけてきた。ムキになって顔を真っ赤にしているのが笑える。
華麗に避ける俺だったが、その様子をお袋が見ていた。
「ジェナ、あんたまだ分からないみたいね」
「母さん! もう許して!!」
逃げ出すジェナを笑って見ていた。
これで少しは婚活事情も改善されるといいのだが……姉貴を見ていると、まだ先は長い気がしてきた。
◇
夜。
自室に横になる俺は、ダラダラとルクシオンと話をしていた。
眠くなってきたので返答もあまり意識したものではない。
『兄君が婚約ですか』
「そうだな。お祝いしないとね」
『因みにマスターはどうなのですか? オリヴィアとアンジェリカ、双方同じくらい好きなのですか?』
「お前は馬鹿だな。自分の気持ちなんて自分でも分かるかよ。好きだけど……やっぱり、責任とか考えると怖い」
眠くなって欠伸をしていると、ルクシオンが勝手に結論を出す。
『つまり、どちらか選べないくらいに好きなのですね?』
「そうだよ。だから両方、って言ったら平手打ちだよ。正直に答えたのに、こんなのって酷いよな」
『どちらかと結婚する意志はあるのですか?』
「……出来たらいいね。そもそも、出来たら苦労しないよ。好きだけどさ。好きだから幸せになって欲しいし……俺じゃ釣り合わないよ」
良い子すぎて……俺とは釣り合わないと思う。
俺のために土下座までしてくれる子たちだよ? どうせなら、もっと良い男と結婚して幸せになるべき……。
『マスター……明日が楽しみですね』
「だな。もう寝かせてくれ。眠くて……」
目を閉じると、リビアとアンジェが笑っている顔が見えた。
◇
翌日。
親族の集まる控え室で、俺は豪華な衣装に身を包んでいた。
「おかしくない? 今日の主役は兄貴だろ?」
兄貴も高価なスーツを着用しているが、俺の方が目立っている。
「……ほら、お前は伯爵だからさ。俺、男爵家の跡取りだし」
「いや、駄目だろ。兄貴の方がビシッと決めた方がいいって」
弟のコリンが俺を見ている。
「リオン兄ちゃんの服凄いな! キラキラしている」
親父が緊張した様子でドアの前に立っていた。
心なしか警戒している気がした。
部屋の中に視線を巡らせれば、お袋もソワソワしていた。
「ルクシオン、様子がおかしくないか?」
『……皆さん緊張されているのでしょう』
まぁ、兄貴の婚約式だ。
領内にある神殿に来て、これから式が行われるわけだが……それにしてもおかしい。
「相手の親族に挨拶しないの?」
兄貴は俺から視線をそらしている。
「そういう段取りだから。全部終わったら挨拶するから」
本当に慌ただしい婚約式である。
そう思って部屋で待っていると、親父が時計を見て――。
「そろそろだな。よし、いくぞ。リオンはこっちだ」
「はいは~い」
婚約式とかはじめて出席する。
でも、今日の主役は兄貴だから、あとでからかってやろうとかそんなことを考えていた。
◇
「……親父、これはどういうことだ」
「見ての通りだ」
神殿はまるで教会のような場所だ。
赤い絨毯がひかれ、その横に参列者の座る長椅子が並んでいる。
参加しているのは公爵家――ヴィンスさんをはじめとした一族。
兄貴はしれっと参列者に混じっていた。
神官が待っている奥では、純白のドレスを着用した二人の女性が待っている。
「俺を騙したのか!」
「人聞きの悪いことを言うんじゃない。俺は一度も、ニックスの婚約式とは言っていない。お前が勘違いをしただけだ」
どう見ても、俺を待っている二人はリビアとアンジェだ。
ベールで顔は隠れているが、体つきですぐに分かった。
おまけにヴィンスさんも出席している。ここまでされると逃げ場がないじゃないか!
「こんなの聞いていないぞ!」
「……あの二人の話を聞いたら、お前がウジウジして情けないからだ。もう、留学前にハッキリさせないと、お前が向こうで何をするか分からないし」
俺だって色々と考えているんだよ!
ウジウジとか言うな。
責任を取りたくないだけだ!
親父がヴィンスさんの方を見た。
「ここで逃げたら公爵家の顔に泥を塗ることになるぞ」
「最低だな。逃げられない状況を作るなんて最低だぞ! ――ちょっと待て。ルクシオン、まさかお前は知っていたのか?」
近くに浮かんでいるルクシオンが、何故か嬉しそうにしているように見えた。
『はい。いつまでもハッキリしないマスターは、男として情けないと思いましたのでこちらで段取りを付けました』
お前は何てことをしてくれたんだ。
俺たちが入り口で口論をしていると、ギルバートさんがやってきた。
笑顔だが、目が笑っていない。
「リオン君、アンジェたちが待っている。いつまでも待たせたらいけないよ。それとも、アンジェでは不満かな?」
ふ、不満はないです。
でも、男としてもっと遊びたかったのに!
婚約とか聞いていないよ!
親父が困った顔をして、俺の状況について話をしてきた。
「お前は知らないだろうが、色んな所から見合いの話が来ている。もう、なりふり構わない見合い話も多くて困っていたんだ。上は五十代から、下は一桁までの見合いだぞ。お前だって嫌だろ」
貴族社会は腐っているな。
上の五十代は以前にもあったが、一桁とか子供じゃないか。
無理。絶対に無理。
ギルバートさんが親父の話を補足してくれる。
「アンジェと婚約すれば、それらの煩わしさからも解放される。それに、嫌いではないのだろう?」
ルクシオンを見れば、一つ目を俺からそらしやがった。こいつ、俺の気持ちを他人にペラペラと話しやがった。
「で、でも、俺って留学しますし」
「あぁ、だからその前に婚約させることにした。陛下にも相談したら、快くこの結婚を認めてくれたよ。ついでに伝言を預かっている」
一枚の紙を受け取り、広げると――俺はそのまま握りつぶした。
『ようこそ、人生の墓場へ。それから、俺はお前が嫌がることは大好きだ。結婚から逃げ回っているお前が嫌がると聞いて、全力で二人と結婚する方向へ話を持っていった。感謝しろよ by有能な王様』
……あの野郎は絶対に許さない。
親父に背中を押される。
「さっさといけ! あの二人はお前には勿体ないお嬢さんたちだぞ。というか、お前は本当に面倒くさい奴だな。あの二人が結婚してくれるって言うんだ。もっと喜べよ。というか、何をウジウジ考えているんだ? さっさと結婚しろよ。面倒なんだよ」
勿体ないから遠慮したんだろうが!
ヴィンスさんの視線が怖く、二人の下に歩いて行くと拍手がおこる。
俺の顔を見て兄貴は視線をそらし、姉貴は俺の態度を見てとてもいい笑顔で拍手をしていた。ユメリアさんなど、嬉しそうに泣きながら拍手をしてくれている。
お袋? 泣いていたよ。「あの子にこんないいお嫁さんが来るなんて」と言っていたね。心にグサグサ言葉が突き刺さるよ。……前世の両親の顔が思い浮かんでしまった。
二人の側に近付き、並ぶと小声でアンジェが話しかけてきた。
「騙し討ちをして悪かったな」
「ここまでしなくてもいいじゃないか」
リビアが少し俯きつつも、俺を責めるように、
「リオンさんがいつもはぐらかすからです」
……俺、まだ高校二年生くらいだよ。
人生を決めてしまうにはあまりにも早いように思うのは、前世の感覚が残っているからだろうか?
「……知らないぞ。愛想が尽きて、婚約なんかしなければ良かった、なんて思うかも知れないよ」
リビアが嬉しそうな声で、
「思いません」
「そ、それに、伯爵なんていっても稼ぎもないし」
アンジェが堂々と、
「私が養ってやる。安心しろ、これでも公爵令嬢だ。独立に必要な支援は実家にも約束させた。これでもある程度の教育は受けている。お前の稼ぎがないのなら私が養うだけだ」
男前すぎてビックリ。
アンジェは、入り口を見るために振り返る。
「逃げ道はあそこだ」
「戻ったら戻ったで、待っているのは地獄だと思うけどね」
進むも地獄、戻るも地獄……なら、まだ明るい希望がある地獄に進むしかない。
「何で俺なんかに惚れるかな」
「そんなお前だから惚れた。お前が欲しい。リオン――私の夫になれ」
アンジェの返事に、胸がキュンキュンしてしまう。
「は、はい」
リビアが俺の側による。
「リオンさんだから、私は好きになったんです。絶対に放しません」
ちょっとヤンデレが入った台詞に、ゾクゾクしてしまう。
「もう好きにして。逃げたりしないから」
「――はい!」
ベールに包まれながらも、満面の笑みを浮かべているのが分かった。まぁ、そもそも二人のことは……嫌いじゃない。
好きだからね。大好きさ。
心残りは、学生としてもっと遊んでいたかったくらいだ。
神官が何やら祝いの言葉を述べているが、耳に入ってこなかった。
騙されたが……悪くない気分だ。
◇
『婚約おめでとうございます』
「言いたいことはそれだけか、ポンコツ共」
『あら? 私まで責めるなんて酷くない? 私はあの二人の背中を押してあげただけよ。マスターなら、追い込めばいけるって』
ルクシオンもクレアーレも、共に俺を騙しやがった。
確かに婚活から逃げられたのは嬉しいが、後から聞けば色々と問題だらけだ。
「婚約しても婚活が終わらないとか聞いていないぞ」
部屋の中、浮かんでいるルクシオンとクレアーレは、互いに一つ目を向き合わせヤレヤレと横に振る。
『マスターは救国の英雄です。ガタガタになってしまった支配階級の建て直しには、必要な存在ですよ』
『その気になればハーレムだって夢じゃないわよ。やったじゃない』
「嬉しくねーよ! 今まで男に冷たかったのに、いきなり手の平を返されても困るんだよ! 逆に怖ぇよ! 裏があるとしか思えないよ!」
『安心してください。そこまで急激に状況は変わりません。女性の意識改革がまだですし、バランスが取れるようになるには五年から十年は必要です。まぁ、本格的に意識が変わるのは二十年ほどの時間がかかるかと』
そちらも嬉しくない情報だ。
今まで通り、上から目線の女子たちが多いということか?
本当にこの世界は男に厳しい。
「婚約してもすぐに留学だ。結婚してすぐに単身赴任する気分だよ」
クレアーレが笑っている。
『こっちには私が残るから安心していいわよ』
遺跡では真面目そうだったのに、球体ボディーを貰ってからは少し性格が軽くなっている気がする。
その丸い体に原因があるのか?
部屋にノック音が聞こえてきたので、返事をする。
「開いているよ」
「失礼します」
そこには、枕を持った寝間着姿のリビアと――。
「なんだ、妻を迎える準備をしてないじゃないか」
――アンジェが立っていた。
「きぃやぁぁぁぁ!」
「何故お前が叫ぶ?」
ベッドに腰掛けていた俺は、驚きのあまり飛び跳ねてしまった。
「だ、だって。もう夜で、それに二人が寝間着で」
その寝間着がいかにも――誘っているようにしか見えないネグリジェである。
「リオンさん、すぐに留学で旅立っちゃいますし、その前にその……ちゃんと」
その先を言わないでくれ。
俺だって男だ。
やりたいし、遊びたいが、責任云々が絡んでくると色々と考えてしまうのだ。
「だ、駄目だ!」
俺のそんな意見に、アンジェは首をかしげていた。
「何故だ?」
――やだ、価値観が違いすぎる。
「待って欲しい。心の準備が出来ていないんだ」
「お前は何を言っているんだ? リビアは話がしたいと言っているんだが?」
あ、そっち。そっちかぁ……。
「話?」
「えっと、色々とお話がしたくて。今まで、何かと忙しくてゆっくり話をする時間もありませんでしたから」
駄目ですか? なんて頼み込んでくるリビアが可愛くて、俺は何度も頷いて「大丈夫」と言うしかなかった。
ちょっと残念に思ったのは内緒だ。
「お前、何を考えていた?」
アンジェが意地悪い笑みを浮かべて俺を見てくるので、視線をそらしておく。
「愛について考えていました」
「ほう、愛か。それはいい。是非ともお前の愛についても話を聞いておきたい」
……愛って何だろうね。俺にも答えが出ないよ。
いつの間にか、ルクシオンもクレアーレも姿を消して隠れている。
あいつら、本当に頼りにならない。
二人が俺の横に座るが、肌が触れあう距離だった……。
結局、その日は夜遅くまで話をすることになった。
◇
出発の日。
王都上空に浮かぶ浮島。
そこは港になっており、留学に向けて出発する俺を見送りに来る人たちが詰めかけていた。
ダニエルやレイモンドは、友人として俺の留学を喜んでくれている。
「リオンも残念だよな。せっかく、女子からも誘いが増えたのに」
「まさか男子の方が誘われる側になるとは思わなかったよね。リオンは残っていれば、きっと大人気だったよ」
友人たちのニヤニヤした顔が最高に腹立たしかった。
俺だって、婚活事情が改善した学園なら戻っても良かった。
学園生活を楽しみたかったさ。
「……お前ら、戻ってきたら覚えておけよ」
「やっぱりリオンはこういう奴だよな」
「逆に普段通りで安心したよ。伯爵様だぞ、頭が高い! くらい言うかと思ったのに」
お前ら、いったいどんな風に俺のことを見ているの?
二人と話をしていたら、クラリス先輩が近付いてくる。
「留学なんて本当に残念よね」
「クラリス先輩」
「あと、婚約おめでとう」
ニコニコしているクラリス先輩が、いったい何を考えているのか分からない。彼女の取り巻きたちを見れば、俺を睨んでいる。
婚約したことを怒っているのだろうか?
人生始まって以来のモテ期だったが、こうも複数の女性から言い寄られる経験は二度とやってこないだろう。
何とも言えない雰囲気を察したのか、ダニエルもレイモンドも俺から離れて口を閉じる。
そこに救世主のようにやって来たのは――師匠だ。
その立ち姿が眩しく見えた。
「師匠!」
「ミスタリオン、出発するのですね」
「はい!」
師匠、実は今年度から学園長になることが決まっていた。
学園も大きな方針転換を行うことになり、相応の人物を置くことが決まったのだ。
その人物こそ師匠だ。
「外国を見てくるのもいい経験です。しっかり、学んでくるのですよ」
実はアルゼル共和国の様子を見に行くだけなのだが。
「お茶は向こうでも続けますよ」
「大変よろしい。ですが、紳士として――いえ、人としての成長も期待します。戻ってきたとき、一回り大きくなったミスタリオンを楽しみにしていますよ」
師匠――俺、師匠みたいな紳士を目指します!
ルクシオンが時間を知らせてきた。
『マスター、出航の時間です』
「あぁ、行こうか」
アインホルンに乗り込む。
◇
クレアーレは、学園でリビアとアンジェの側にいた。
『見送りはしなくてよかったのかしら?』
アンジェは紅茶を飲みながら、
「人のいる場所で泣いたら、あいつの迷惑になる」
リビアも同じだ。
「それに、出発前にお別れは済ませましたから」
クレアーレはそんな二人をからかう。
『健気よね。マスターはいい婚約者がいてよかったわね』
カップを置いたアンジェは、視線を空のカップに落としていた。
「それにな。私たちは私たちでする事がある」
リビアも小さく頷くのを見て、クレアーレが問う。
『何か予定があったかしら?』
「リオンさんの助けになりたいんです。そのために、いっぱい勉強して、頼りになる存在になります」
アンジェも同じだった。
「急に留学すると言い出したのも怪しい話だ。リオンの奴は、日頃から海外は嫌だと言っていた男だぞ。それが急に留学すると言ったんだ。何かあると思うだろ?」
クレアーレが納得する。
『まぁ、そうね。マスターなりに考えがあるんじゃない?』
「私たちまで留学するのは状況的に難しかったが……少し腹も立つ。私たちはそんなに頼りないのか、とな」
『う~ん、それとこれとは話が違うんじゃない?』
リビアも納得しているようだ。
「分かっています。でも、今度は私たちが頼りにされたいんです。リオンさんの助けになるためには、もっと色々と勉強しないといけませんから。帰ってくるリオンさんを驚かせたいじゃないですか」
クレアーレの一つ目は、テーブルの上にある書籍に向かう。リビアなら魔法関係の書物を。アンジェなら領地経営に関する書物が置かれていた。
『……条件次第だけど、私に頼んでくれれば連絡は取れるわよ。伝言程度ならすぐにでも。通信は少し難しいかもね。まぁ、あのひねくれ者に何とかして貰いましょう。それまで我慢して』
アンジェは微笑む。
「その時は頼む」
リビアは窓の外を見上げる。
「――リオンさん、今頃は飛行船の中ですかね」
◇
アインホルンの自室。
俺はベッドに横になり――。
「ちくしょう! ノリでいい感じに出発したけど、外国なんか行きたくないよぉぉぉ!」
バタバタと駄々をこねる子供のように振る舞っていた。
元々旅行はしても国内で十分という考えの持ち主だ。
何が悲しくて外国になど行かないといけないのか。
『諦めが悪いですね』
「文句を言うくらい許されるはずだ! どうして俺が外国で他人の恋路を見守らないといけないんだ」
新たな主人公の恋が成功しないと世界が危ない。
こんな理不尽なことがあっていいのだろうか?
『それはそうと、出てきたらどうですか?』
ガタガタと揺れる部屋にある箱。
いかにも怪しいその箱が気になっていた。
「何これ?」
『王宮から送りつけられた品です』
「あぁ、そう言えば俺の留学ついでにアルゼル共和国向けのお土産を持たされたな」
『国同士の贈答品をお土産呼ばわりとは流石です。因みに、こちらはマスター宛のものです』
箱を開けると、そこにはマリエが体育座りをしていた。
まるでホラー映画を見ている気分になったよ。
再び閉めると、マリエが飛び出してくる。
「何で閉じるのよ!」
「怖いんだよ! 普通に冷や汗が出てきたぞ」
何でこいつがここにいるのか?
ルクシオンを見ると、最初から知っていた様子だった。
『マリエから聞いた方がいいですよ』
マリエを見れば、指先を胸の前で突き合わせながら恥ずかしそうにしている。
「じ、実は――貰った仕送りを使い切ったの」
「……は?」
「私じゃないの! 私じゃなくて! ……あの五人が」
◇
リオンから献上された浮島は、王国が管理する土地の上空へと移動させられた。
春からそこで暮らすことになったマリエたちだが、いきなり問題が発生する。
「――何これ?」
リオンが自分のために用意した屋敷の前に、シートをかぶせた何かがあった。
ユリウスが笑顔でシートを剥ぎ取る。
「マリエのために用意した。喜んでくれると思ってね」
そこにあったのは石像で、マリエがまるで女神のような姿になっていた。
(……な、何これ! 本当に何これ!)
ジルクが神々しいものを見るように、マリエの像に視線を向けていた。
「若手でも名のある職人に作らせました」
ブラッドも出来映えに納得していた。
「すぐに胸を大きくしようとするから、訂正させるのに苦労したよ」
見れば、胸はマリエと同じくらいに平たい。
(わ、私の胸はもっと大きいわよ! というか、削りすぎじゃない? 違う。そうじゃない。大事なことを確認しないと)
「こ、これ、いったい誰が用意したの?」
グレッグがサムズアップしながら、
「みんなの金で用意した。沢山あったからな。まぁ、腕のいい職人に頼むには、少しばかり足りないからこの島にある物を売り払って金にしたけどさ」
大事な農機具やら、リオンから送られた食糧やら……五人が売り払ってしまったのだ。
頼めばすぐに送ってくると思っているらしい。
(ま、まさか、このために私たちより先に兄貴の浮島に入ったの? 嘘でしょうぉぉぉ!!)
そもそも、マリエが土下座して手に入れたのを五人は知らなかった。
クリスも悪びれた様子がない。
「毎月振り込まれるのなら、これくらい安いものだからな。もう少しあれば、もっと大きなものを用意できたんだが。それにしても、実家からの仕送りが少なくないか? 何もない島だから、色々と用意したいのだが……」
マリエの像を飾った噴水を用意しようとしていた五人。
金は自分たちの実家が振り込んでいると思っていたようだ。
「みんなの実家から仕送りなんてないわよ!」
五人がその事実に驚いていた。
カイルはそんな五人にドン引きしている。
「あれだけのことをして怒らせたのに、毎月振り込まれるわけがないでしょう。あれ、一年分の生活費ですよ」
マリエの荷物を持っていたカーラも唖然としていた。
「あ、あのお金、全部使ったんですか!?」
ユリウスは首をかしげて不思議そうな顔をしていた。
「そうなのか? なら、王宮に連絡して追加で予算を申請しよう」
五人の認識にマリエは目の前が暗くなった。
(こいつらどうして……お金持ちじゃなかったら、ただの疫病神じゃない)
マリエは頭を抱えてその場に膝をついてしまった。スカートが汚れるとか、そんなことを気にしている余裕がなかったのだ。
(あ、あり得ない。兄貴に頼んで、やっと手に入れた仕送りなのに!)
物資の他に現金も送って貰ったのは、定期的に商船がやってくるからだ。元は、自分たちで作った作物を売買して、お金を得る大切さを教えるための処置だ。
そんなことが一年目から出来るとは思えなかったために、マリエはリオンを頼ったのだ。
「そんな申請が出来たら苦労しないのよぉぉぉ!」
泣き叫んでしまうマリエに、カイルとカーラが駆け寄って慰めるのだった。
◇
マリエは青い顔をして俯いている。
「私は何も悪くないのに、王妃様に説教されたのよ」
「お、おぅ」
王宮に呼び出され、いきなり生活が出来ないレベルになったマリエたちをミレーヌ様が説教したらしい。
そもそも金銭感覚がこの短い期間で変わるとは思えない。十数年もお坊ちゃんで育ってきたのに、いきなり貧しい生活は無理がある。
「そしたら、いきなり放り出したのは間違いだって――だから、少し勉強してきなさい、って。兄貴がいるならそれもいいかな、って」
それが留学ということ?
……え? 俺がこいつらの面倒を見るの? この疫病神たちの面倒を!?
「おい、他の連中は?」
「倉庫にいるわよ。あと、これ」
マリエは持っていた複数の手紙を俺に渡してくる。
最初に乱暴に開いたのはローランドの物だった。
『面倒事をうまく処理するように』
すぐに破り捨ててやった。
次は王妃様からの手紙だ。丁寧に開封すると、
『ユリウスたちの事をお願いします。実は――』
どうやら、マリエたちのことが許せない勢力がいるらしい。暗殺の件もあるので、国外に一時的に避難させたいようだ。
というか、ユリウス殿下――もうユリウスでいいや。
ユリウスが王位継承権をほぼ失い、挙げ句に公国との戦争でボロボロになった王宮はとにかく忙しい。
建て直しに忙しく、ユリウスたちに構っていられないのが本音のようだ。
……あのまま国に残れば、俺は嫌でも関わることになったかも知れない。
そう思うと、留学はありか?
ミレーヌ様の手紙には、俺の身を案じている内容もあって泣けてくる。ローランドの野郎は許さないが、あの人は幸せになって欲しい。
「あれ? もう一枚は――」
「それ、ヘルトルーデからよ」
◇
甲板に出て手紙を読んだ。
手紙の内容は、簡単な挨拶が書かれている。
黒騎士を殺した俺への恨み言が書かれているかと思ったが、そんな一文はどこにもない。
ただ――。
『もしも貴方を私が手に入れていたら、公国はまだマシだったのかも知れないわね』
――そんなことが書かれていた。
彼女に待っているのは、これから辛い人生だ。王宮が彼女を生かしたのは、ファンオース公爵家を統治するためにその方が便利だから。彼女を処刑して誰かを送るよりも、ユリウスのような王族を送りつけ子供を生ませる。そうすれば、家臣たちの反発も少ない。
『本気で取り込めばよかったわ』
そんな一文を見て、俺にみんな期待しすぎだと思った。
俺はルクシオンを手に入れただけの凡人である。
その力も使いこなせていない。
側に浮かんでいるルクシオンに俺は疑問を投げかけた。
「お前は、もっと有能な主人に仕えたいとか思わないのか?」
『有能でも新人類の末裔は嫌です。そもそも、マスターに有能さを期待していません』
「お前は本当に嫌な奴だよ」
甲板の上に座り込む。
「――外国か。どんなところかな」
今から向かうアルゼル共和国へもあまり期待が持てない。
何しろ、あの乙女ゲーの続編である。
……本当に勘弁して欲しい。