ゲームクリア
地下牢から王宮内にある部屋に移されたマリエは、不満そうな顔をしていた。
「……田舎に押し込められるとか嫌なんですけど」
「助けてやったのに、その態度は何だ?」
文句を言うマリエとこうして話をしているのは、色々と聞きたかったからだ。
両親のこと。
……俺が死んだ後のことを聞くために、こいつを生かしたようなものだ。
前世の両親が悲しむというのもある。
個人的には凄く許せないし、許されるならあの五人もボコボコにしてやりたい。いや、少し待て? 今なら殴っても許されないだろうか?
「私は都会で輝く女よ!」
「俺が丹精込めて整備した領地に文句を言うつもりか?」
「兄貴はスローライフとか後ろ向きでネガティブな思考だから駄目なのよ」
スローライフは後ろ向きでもネガティブでもねーよ。頭おかしいんじゃないの? いや、元からおかしい奴だったわ。
「お前の前世での善行は、親父とお袋に孫を抱かせたことだな。それ以外はマイナスで、両親が哀れだよ」
「兄貴だって親より早く死んだじゃない!」
「俺の死因はお前のせいだろうが!」
「いつも女の子が出るゲームでニヤニヤしていたじゃない! アレくらいで死ぬなんてあり得ないわよ!」
「お前は野郎が出てくるゲームでニヤニヤしていたけどな!」
言い争っていると、次第にどっちが悪いかという話になってくる。
「兄貴が悪い!」
「お前が悪い!」
ぷかぷか浮かんでいるルクシオンが、興味なさげにこちらを見ていた。
「ルクシオン、お前からも言ってやれ。逆ハーレムなんて目指して、最悪の結末を迎えそうになったのはお前のせいだって!」
「兄貴だって悪役令嬢と主人公を側に置いているじゃない!」
「俺の場合は清い付き合いだ! お前のような爛れた関係じゃない!」
「チキンでヘタレだから手が出せないだけじゃない!」
「ルクシオン! 早くこいつに言ってやれ。間違っていて頭の可哀想な女はお前だって!」
「そこの丸いの、どっちが正しいか教えてあげなさい。可哀想なこの駄目兄貴にね!」
一つ目で交互に俺たちを見るルクシオンは、
『では、私の意見を言わせていただきますね。お二人のような子供を持った……前世のご両親が一番可哀想なのではないでしょうか?』
……こいつ、それを言うのか。言ってしまうのか。
俺が急激に冷め、罪悪感が胸に広がるとマリエが小声で話しかけてくる。
「ねぇ、こいつ酷くない? 空気読めなくない?」
「心に刺さるよな。冷静に言って欲しくなかったわ」
『事実ではないでしょうか? それにマリエは、前世の娘に顔向けできるのですか?』
マリエが胸を押さえて視線を泳がせていた。
「で、でも、ここにはいないし……そ、それに、時々あって話しはしたけど、あの子はこんなことで私を見捨てないわ」
こいつにも一応、母親としての自覚があったのだろうか?
「一緒にご飯を食べて『母さん、ちゃんと生活できているの?』って心配してくれる優しい娘なのよ」
……顔も見ていないが、姪っ子は素晴らしい成長を遂げたらしい。
伯父として、姪っ子や両親の幸せを願うことしか出来ないのが歯がゆい。
『……母親が男六人を誑かし、逆ハーレムになっていると聞いたら、その子もきっと泣きますよ』
膝から崩れ落ちるマリエを、俺はお腹を抱えて笑ってやった。
「ほら見ろ! やっぱりお前の方が最低だよな!」
『マスターも同じですよ』
「え!?」
ルクシオンが俺の悪い点を挙げてくる。
『現在進行形でお二人の告白から逃げていますよね。いい加減に覚悟を決めたらどうです?』
……あの日。
二人に呼び出された俺は――。
◇
王宮の屋上にある庭園。
そこで俺は緊張した二人の前に立っていた。
俺まで緊張してくる。
夕焼けが綺麗だとか、そんなことを考えている余裕もなかった。
「リオン――私はお前が好きだ」
真っ直ぐ顔を見られて告白されてしまった。
……俺は息をのむ。
「いつからだろうな。殿下よりも、お前のことを考えている時間が増えた。一緒にいるのが楽しかった」
俺が口をパクパクさせていると、アンジェが凄く良い笑顔を向けてくる。
「お前が好きだ」
――人生で二度目の告白。
その隣には、一度目の告白をしてくれたリビアがいた。
ぎこちなく首を動かしてリビアの方を見てみると、こちらも笑顔だった。
……どうしよう。意味が分からない。
何で笑顔なの?
ルクシオンに救援を求めるべきだろうか? そう思って視線で助けを求めようとすると、白い球体のルクシオンの偽物がいた。
「誰だお前!」
『クレアーレちゃんよ。お久しぶりね』
お久しぶり? 女性的な電子音声に聞き覚えがあると思えば、エルフの里にあった遺跡を管理していた人工知能だ。
「ルクシオンはどこだ!」
『野暮だから下がって貰ったわ。貴方がこの場にいないと、マスターがきっと困るだろうから、って言ったら喜んで出て行ってくれたわよ』
……あいつの性格、捻くれすぎじゃない?
「リオンさん」
「は、はい!」
背筋を伸ばしてリビアの方に体を向けると、
「私は今でもリオンさんが大好きです。この気持ちは誰にも負けないと思っています」
「な、なるほど」
なるほどなんて言ってみたが、こんな状況は想定していない。
俺の人生に二人同時に告白される状況など予定になかった。
「――だから、聞かせてください。ここで答えを知りたいんです」
アンジェが胸に手を当てながら、
「私とリビア……いや、私たち以外に好きな人がいてもいい。どちらを選んでも恨みはしないし、選ばなくてもいい。だから……お前の気持ちを聞かせてくれ」
はぐらかして逃げ出す方法を考えていたが、真剣な二人の顔を見て俺は覚悟を決める。
そろそろ暖かくなる季節。
風が吹くと――二人の髪が揺れた。
夕日に照らされた二人は、神々しく見えてくる。
俺は両手を広げ――。
「両方好き!」
――二人が笑顔で、俺の頬を平手打ちした。
◇
――凄かったよ。
平手打ちも最初にアンジェに頬を叩かれた後、すぐに反対の頬にリビアの平手打ちがくるんだ。素晴らしいコンビネーションだったね。
『最低ですね』
「――ほら、可愛い子が二人揃って告白してくれるなんて、人生二度目だけどはじめてのことだったから」
言い訳をしていると、逆ハーレムなんてことをやった糞女が俺を見てドン引きしていた。
「信じられない。最低」
「何? 六股した女が俺に何を言いたいの?」
煽ってやると悔しそうにしていた。
そして、マリエは自分の心境を吐露する。
「……反省しているわよ。逆ハーレムなんて大変なだけで、全然嬉しくないわ。だから、終わりにしたかったのに」
半端な知識も今になれば納得だ。
こいつはゲームを中盤までしかプレイせず、画像や動画しか見ていなかった。俺とは元から持っている情報量が違ったのだ。
結果、聖女になって状況を引っかき回し……男六人に付きまとわれている。
「その辺は同情するけどな」
逆ハーレムが嫌になったマリエは、カイル以外の五人との関係を解消しようとした。
だが、五人揃って「いつか惚れさせてみせる」なんて斜め上の答えを宣ってきたのだ。
将来的に無職が決まっているような五人を支えなければいけないのが、今のマリエの状況である。
まったく……兄妹揃ってろくでもない。
「まぁ、頑張れよ。俺は抜けさせて貰うけど」
「はぁ?」
マリエが凄く驚いた顔をしているが、俺としては十分に頑張ったと思う。
「この世界で十二分に頑張ったんだぞ。ヘルトルーデさんに妹がいるとは思わなかったし、お前が引っかき回して大変だったし」
俺は十分に頑張った。
「妹? ヘルトラウダのこと?」
「そうだよ。他にも微妙に色々と違うし、これはアレかな? ゲームの世界と考えていたら駄目なパターン? まぁ、とにかく……国の危機を救ったんだ。俺は十分に頑張ったから、ここで抜けるわ」
そもそも、これ以上の出来事なんてあり得るのだろうか? ゲームで言うならクリアした状態だ。
主人公であるリビアは誰とも結ばれず、マリエが野郎六人をものにしただけ。
結果としてはバッドエンドではないが、微妙な状況なのは間違いない。
ただ……無事にクリアできたと思うしかないだろう。
マリエが目を見開く。
自分だけ納得したように何度か頷くと、
「――兄貴は知らないと思うけど」
そう言って、マリエは俺が知らなかったこの世界の真実を語る。
◇
数日後。王都にある墓地。
戦没者たちを弔うために、大勢が詰めかけていた。
家族を失った者。
恋人を失った者。
とにかく、嫌でも物語の裏側を見せられる。
勝って終わりではなく、始まりなのだと。
そんな光景を、俺は馬車の中から見ていた。
「ご家族には申し訳ありませんが、こうして貴方と話をしたかったのよ。若い子ではなくて残念でしょうけどね」
向かい合って座っている相手は、ミレーヌ様だった。
式典後に誘われ、こうして馬車に乗っている。
「ちょっと棘がある言い方ですね。怒っちゃいました?」
「貴方はいつもそうね。周りにはヘラヘラして見せて、問題は自分だけで抱え込む。目の下に隈ができていますよ」
目の下を指で触れる。……昨日は眠れなかった。
「今回の件、本当にご苦労様でした。式典も残すは一つだけですね」
戦勝会やら色々と式典が行われ、忙しい日々が続いている。
「俺の解任と報酬の件でしたか?」
「そうね。臨時とはいえ、総司令官になったのですから、相応の扱いがありますね」
建前上、俺は王国から莫大な報酬を貰う。
俺の方が王国に色々と差し出しているが、世間的に報酬を貰ったと見せないと駄目なのだ。そうしないと、王国が困る。
困ってもいいが、ここから更に王国への不満が爆発して反乱やら独立やら――とにかく戦争が起きて貰っても困る。
ハッキリ言って関わりたくない。
「報酬に降格を望んだ方ははじめてですよ。まぁ、落ち着いたら正式に爵位を取り上げ、望む形に持って行くつもりです」
すぐには無理でも、数年後に少しずつ――という感じになる。
「子爵で四位下なんて立場は俺には重すぎますよ。領地も失いましたし、これからはただの騎士ですかね? パルトナーもアロガンツも使えない俺では役に立てないでしょうけど」
ミレーヌ様が困った顔をしている。
先程の仕返しだと言ってやると、拗ねて顔を背けられた。
なんて可愛い三十代だ。押し倒したい。
「それと、あの件ですが、問題なく認められました」
「それは良かった」
俺にとって都合のいい状況が出来つつあった。
「気になるのは貴方のロストアイテムです。修理は出来そうですか?」
「回収はしましたけど難しいですね。うちの工場に保管しています」
「……本当に、リオン君には頼ってばかりでしたね。私に出来ることがあれば何でも言ってください。出来うる限り応えましょう」
一瞬。本当に一瞬だけエロい妄想をしてしまったが、相手は王妃様である。手を出してしまえば俺の首が飛ぶ。
「貸しにしておきます。その方が面白そうですから」
「大きな借りがいくつも出来てしまいましたね」
そのまま色々と話をしていると、馬車の窓から王宮が見えてくる。
さて、最後の仕事をするか。
◇
控え室。
家族がいて騒がしく、そして慌ただしかった。
「こ、これでいいのか?」
「あんた、ボタンをかけ間違っているよ」
親父の服装の乱れを整えるお袋がいて、違う場所では兄貴が鏡の前で服装の確認をしている。
戦争に参加したことで、親父は六位“上”に昇進が決まった。
「何で俺まで出席なんだよ。親父やリオンが出るなら必要ないじゃないか」
文句を言っている兄貴を落ち着かせる。
「次期男爵だからじゃない? 初陣が派手で良かったね」
「俺は何もしていないけどな。……それよりも、ルトアートの兄貴はどうなるんだ? いや、兄貴じゃなかったんだけど、あっちの家族もどうなるんだ?」
ゾラたちの屋敷には、防衛戦で飛行船が落ちて何もかもなくなった。
王都自体がボロボロで、しばらくは復興作業で忙しい。
ただ、鎧なんてパワードスーツがあるからか、作業自体は凄く早い。
「逃げ出したし、ルトアートは騎士の称号も剥奪だったかな? そもそも、ゾラって貴族の娘であって、爵位云々は持っていないから放置だよ。ルトアートは騎士でもなくなったし、扱いとしては平民だって」
親父に捨てられた場合、ゾラは実家に戻るしかない。
その実家も今回の一件で逃げ出しており、取り潰しが決まっていた。
結構な貴族の家が消え、その中にゾラの実家もあった。それだけの話だ。
「詳しいな」
「ミレーヌ様――王妃様に聞いた」
兄貴が凄く微妙な表情をしていた。
「なんで王妃様と親しいんだよ。……ないとは思うが、手なんか出していないよな? 止めろよ。本当に止めてくれよ! これ以上、お前に巻き込まれるのは嫌だからな!」
失敬な。俺だって手を出してはいけないと理解している。
「それより、姉貴は? こういう式典とか、嬉々として参加すると思ったのに」
「ジェナは実家に引きこもったぞ。親父があいつの専属使用人を斬り殺したから、わめき散らしてさ。ユメリアさんがお世話をしているよ」
……新しい奴隷を買ってやれば、すぐに部屋から出てきそうな気がするな。
ただ、学園は大きく方針を変えるらしい。
専属使用人は廃止する方向に進むようだ。
今回、黒騎士の手に渡った魔装の右腕――アレによって大きな被害が出ており、それを盗んだのが奴隷だとあって、禁止すると言っていた。
控え室にノック音が聞こえ、どうやら時間が来たらしい。
「――さて、最後の仕事をしますか」
これが本当に最後だ。
◇
謁見の間。
玉座に続く赤い絨毯の上で膝をついた俺は、陛下の言葉を聞いている。
この度の働き、誠に大儀である――から始まり、芝居がかった台詞で周囲の貴族たちも褒めていた。
早く終わってくれないかな、と思っていると陛下が言う。
「リオン・フォウ・バルトファルト子爵――いや、伯爵。貴公の総司令官の任を解く。そしてこの場にて伯爵への陞爵と、三位下の階位を与える!」
周囲の貴族たちがざわめいていた。
俺は俯いたまま目を見開く。
……この馬鹿、いったい何て言った?
「へ、陛下。は、発言してもよろしいでしょうか!」
急な出来事に混乱する俺だが、発言の許可を求めると陛下は髭を触りながら俺を見下ろして、
「認めよう」
「感謝いたします! 伯爵、そして三位下の階位とはどういうことでしょうか? 私には伯爵家規模の領地も、階位に相応しい役職もありません!」
混乱する俺は、とりあえず「伯爵なんて無理! 階位を貰っても何にも出来ないよ!」というのを伝えてみた。
周りだって同じだ。
聞こえてくる声の中には「あの年齢で伯爵だと」「成り上がりも極まったな」「一代で伯爵とは異例だぞ」「三位下――事実上の最高位ではないか」などと言っていた。
伯爵の爵位は置いておくとして、階位の三位下について話をするなら――もはや大臣クラスだ。事実上、俺は王国で到達し得る最高の地位を手にしてしまった。
そんな階位を貰っても嬉しくないよ!
明日からお前が大臣ね、なんて学生に言っても「は?」ってなるよね? 会社で言えば幹部だよ。責任なんか取れないし、仕事も出来ないぞ!
顔を上げると、陛下――ローランドの野郎はニヤニヤして俺を見下していた。
「これだけの功績に報いるため、王国は君に相応の爵位と階位を与えなければいけない。何、心配はいらない。君ならいずれ、爵位にあった貢献も、階位に相応しい働きもしてくれることだろう」
高い評価をしていただきありがとう、反吐が出ます!
こいつ分かっている。
俺が嫌がると分かっていて、こんなことをしたのだ。
周囲を見れば、役人たちも混乱しているのが見えた。
ミレーヌ様も目を見開いており、何も話を聞いていなかったようだ。
……こいつ、独断で俺を昇進させやがった。
ふざけやがって。
俺が何か言おうとすれば、ローランドの奴が先に口を開く。
芝居がかった鼻につく喋りをしやがる。
「不満があるものは名乗り出るといい」
誰も名乗り出ない。
俺の昇進を嫌がる奴はいても、俺の昇進を取り消すのは困るのだろう。俺が昇進しなければ、今後――何か手柄を立てても昇進しにくくなると分かっているからだ。
昇進する際、俺の働きと比べられたら多くの連中が出世できなくなる。
「バルトファルト伯爵、今後の働きに期待する」
「……ありがたき幸せ」
ここで「ふざけるな!」なんて怒鳴れたら、どれだけいいか。
この場には俺の家族もいる。
俺の態度次第では、家族にだって迷惑がかかる。
親子揃って俺に迷惑をかけやがって。
ローランドの奴が笑っている姿を見て、俺は心に決めるのだ。
……いつか仕返ししてやると。
◇
部屋に戻った俺は荒れ狂った。
「あの野郎! 俺が出世したくないって言ったのに、わざと出世させて伯爵にしやがった!」
投げたのはソファーに置かれていたクッションだ。
割れ物を投げるとか怖くて出来ない。
親父とお袋が俺を見てヒソヒソと話をしている。
「なぁ、息子だけど伯爵になったリオンにはやっぱり敬語かな?」
「た、たぶん? けど、あの子がそんなことを気にするとは思えないし」
「でも伯爵だぞ。三位下とか、雲の上の存在だぞ」
「……なら、敬語で」
俺は二人に振り向き、
「中身のない名ばかりの伯爵なんて滑稽なんだよ! こんなの王宮のいじめじゃないか! あと、親の敬語とか気持ち悪いから却下!」
兄貴は思い出したように言う。
「ほら、アレだ。親父が工場をリオンに返せば収入はあるぞ」
「その程度でどうにかなるなら悩まないよ!」
工場の収入はそれなりにある。
あるが……駄目だ。
伯爵というのは結構な身分だ。
工場を一つ持ったからといって、どうにかなるものではない。
親父がひらめいたらしい。
手の平に拳を落とし「そうだ!」と言って、
「いっそ宮廷貴族になったらどうだ? ほら、王宮から年金が出るぞ。領地がなくても安心だ!」
「無理。絶対に無理! 俺の階位って大臣クラスじゃん! 大臣並の仕事なんて出来ないよ!」
「だよな。お前が大臣とか偉い人だったら、この国終わっているなって思うわ」
素直な親父にクッションを投げつけ、俺は部屋を飛び出すのだった。
「こんな国、出ていってやるからな!」
お袋が俺の背中に声をかけてきた。
「夕飯までには帰るのよ!」
……はい。
◇
王宮の廊下を歩いていると声がかかった。
「おい!」
スカートを両手で少しつまみ上げ、踏まないように駆けてくるのはアンジェだ。
謁見の間に顔を出していたのか、ドレス姿だった。
おいつくと呼吸を整えていた。
見かけたので慌てて追いかけてきたのだろう。
少し頬が赤い。
「先程のアレはどういうことだ? 知っていたのか?」
謁見の間での出来事だろう。首を力なく横に振る。
「陛下が勝手に決めたことだよ。俺だってこんな話は聞いていないし」
「まぁ、確かにあの場でお前を降格には出来ない。昇進させるのが王国としても都合は良かったが……父上も知らなかったぞ」
あいつ、本当に誰にも相談せずに決めたのか?
何て迷惑な血筋だ。
ユリウス殿下といい、ローランドの野郎も最低だな。
「どうしよう? どうしたらいいと思う? 割と本気で伯爵になっても困るんだけど」
「そ、そうだな。地位だけあっても今のお前には実がない。宮廷貴族になっても問題が出るだろうし、ここは素直に婿入りが一番だろうな」
婿入り?
首をかしげていると、同じようにドレス姿のクラリス先輩が顔を出した。
「あら、別に婿入りしなくても、新しい家を興してもいいじゃない。宮廷貴族だけが選択肢じゃないわよ。少なくない領主貴族の家も消えたから、領地は余っているからね」
……王国は今回の事件でいくつもの家を取り潰した。
公国と繋がっていた家はもちろんだが、救援要請を無視した奴らは問答無用で取り潰しから領地の没収など色々と処罰が待っている。
「クラリス、何のようだ?」
「婿入りをしたら、色々と面倒よ。伯爵が婿入りなんて外聞も悪いからね」
「リオンの場合は例外だ」
二人で揉め始めたが、俺としては現状をどうにか出来れば問題ない。
「婿入りか、独立か……」
呟いていると「きゃっ」という可愛らしい声が聞こえてきて、自然と足がそちらへと向かう。争っているアンジェとクラリス先輩の二人が怖くなったから逃げたのではない。
廊下を少し進んで曲がると、そこにはドレス姿のリビアがいた。
慣れないドレスのスカートを踏みつけ倒れたようだ。
そんなリビアに手を差し伸べている男が一人。
「大丈夫かな、お嬢さん」
「は、はい」
「それはよかった。もしよかったら、そこの部屋で休もうじゃないか」
リビアが困ったのか視線を漂わせていたので、俺が野郎に近付く。声をかけたナンパ野郎だが、俺が憎むべき相手だった。
「陛下、王宮でナンパなんて恥ずかしくないんですか?」
「馬鹿者。こんなのみんなやって――む、お前は」
俺だと気が付いたのか、振り返ると随分と楽しそうに笑っていた。
「やぁ、伯爵。出世した気分はどうかな?」
「最悪だよ。降格するって話はどうした? 出世させたら、これから降格するのも面倒になるから爵位は据え置き、って話だったじゃないか!」
「アレか? あぁ、考えてやった。だが、色々と面倒でね。救国の英雄にそんな扱いをしたとなると、私の器量を疑われかねない。熟慮した結果、やはり昇進させることにした」
「……ここから降格するんですよね?」
「爵位が下がるようなことをすれば、な。そもそも、降格したい人間が総司令官になったら駄目だろうに」
そうしないと色々と駄目になると分かっていたからだろうが!
お前らがもっとしっかりしていれば、俺は苦労せずに済んだのに。
「約束が違います」
「あぁ、そうだな。私も心が痛むよ。だが……私はお前が嫌いだからな。喜ぶことはしてやらないと決めている」
こいつ、面と向かって嫌いとか言ってきたぞ。
面食らっていると、気分を良くしたローランドは身振り手振りを加えて話すのだ。
「あの謁見の間で、私以上に目立ったのが許せない。何が、陛下がそう望まれるのなら、だ。格好いいじゃないか。そんなのは許せない。せっかくの私の見せ場だったのに。その後も私より目立ったら、私の立つ瀬がない」
「え? そんな理由?」
リビアが理解できないのか、立ち上がってオロオロとしていた。
困っている表情が可愛い。
だが、問題は目の前にいるおっさんだ。
「私の見せ場はあそこだけだったのに。私の台詞にまごつくお前をからかって、大人の余裕を見せたかった私の計画は台無しだ」
「息子をボコボコにしたとか、奥さんを口説いたとか、そういった理由じゃなくて?」
ローランドの野郎は腕を組んで俺をつま先から頭の先まで眺めている。
「お前は屑だな。だが、その程度で怒っているようでは、王宮での生活など務まらない。息子がボコボコにされたのは息子の責任だし、今更王妃を口説かれても「それで?」という気分だ。側室に手を出したら処刑していたがね」
……え? こいつって割と屑野郎じゃない? 俺よりも屑じゃない?
ローランドがリビアに向き直り、姿勢を正して手を差し伸べる。
「さぁ、お嬢さん。一緒に一晩の思い出を作ろう」
そういえば、主人公にとって王妃様は敵だった。だが、王様は何故か物わかりが良かったのがゲームでのシナリオだ。
その理由が若い子好きのエロ親父だったとは思わなかった。
乙女ゲーなら、もっと夢を持たせる王様でいろよ!
「……ここであんたをボコボコにしたら降格かな?」
「小僧。処刑されたいようだな。いいだろう、この場で衛兵を呼んでやる!」
衛兵頼りも情けないと思っていると、
「――陛下」
ミレーヌ様が使用人たちを連れて立っていた。
ローランドが振り返ると、逃げだそうとするのでその手を掴む。
「は、放せ!」
「どこにいくんですか、陛下~」
ニヤニヤして腕をがっちり掴んでやると、凄い顔をしていたので笑いそうになる。
「お、お前! 本当に処刑するぞ!」
「ミレーヌ様! 陛下が俺を処刑するそうですよ。助けて!」
「また若い娘を誑かして! それに諫めた者を処刑するとは何事ですか! リオン君――伯爵は王国の恩人で英雄だというのに。今日という今日は許しません」
「ち、違う! これは王族としての務めだ! 子を生ませるのは義務みたいなもの。若い女に手を出して何が悪い!」
「そう言ってどれだけの女性を囲っているのですか!」
ミレーヌ様がローランドを連れてどこかへといってしまった。
ローランドとの低レベルな争いは、俺の勝利という形で幕を引く。
「……悪は去ったな」
リビアが苦笑いをしていた。
「あ、あの、リオンさん。えっと――」
「ん? あぁ、そのドレス、似合っているね」
「ありがとうございます。そ、そうじゃなくて!」
リビアが胸元に手を当てて深呼吸をした。
「この前の件です」
視線をそらすと手を握られる。
「どうしてちゃんと答えてくれないんですか?」
上目遣いで潤んだ瞳を向けてくるリビアを見て思うのは、こんな彼女や奥さんがいたら幸せだろうな――という妄想だ。
俺だって何もなければ頷きたいけど……どうして二人も俺を好きになる?
これ、どちらかを選ぶの?
俺が?
「……駄目なら駄目で構いません。でも、ちゃんと答えて欲しいです」
あとさ……この世界はゲームだって態度だった俺が、この世界で一生懸命に生きているこの子たちに好きになって貰っていいのかな?
散々馬鹿にしてやったマリエと何が違う?
だから困るんだ。
リビアがキッと表情を改め、そして少し足幅を広げて堂々と――。
「ハッキリしてくれないなら、私にも考えがあります」
「な、何だと!」
「絶対に――絶対にリオンさんを振り向かせて見せます!」
なんて男前な思考だろう。
あの五人が同じことを言ったときは「こいつら馬鹿だな」って思ったが、リビアを見ていると「姉御!」って言いたくなる男らしさを感じた。
俺が女だったらコロッと転ぶね。
「だから……一緒にいてください。ずっと一緒にいてください」
態度を一変させて泣きそうなリビアに、俺は髪をかきながら答える。
「ごめん。それは無理だ」