“コーヒールンバ”
2018.07.10 Tuesday
昼下がりに自分で作った美味くも不味くもない昼食を食べながらTwitterをつらつら眺めていたら、とても素敵な記事を見つけた。
https://note.mu/hayakawagomi/n/n92d89dc43fb0
記事の内容はリンク先で是非とも最後まで読んで頂きたいので、当然ながらここでは割愛するとして。
2016年の6月。
今から丸っと2年前、仲間達と制作していたフリーペーパーの中で自分が書いていたコラムの文章を、上記の記事を読んでいてふと思い返したので、ここではそちらを再掲しておく事にする。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
コラム 『カンガルーのアシ』
no.2「コーヒールンバ」

高速バスの車内で今、この文章を書いています。
全国どこのサービスエリアにでも、ほぼ間違いなく設置されているコーヒーの自販機が、僕は昔から妙に好きで。お金を入れてボタンを押すと、軽快なメロディーを奏でながら、提供されるまでの映像がリアルタイムでチープに流れ出す例のアレです。
アイスブレンドがジャンボカップで250円。2016年6月現在、缶コーヒーが130円。加えて言えば、コンビニで100円で買えるコーヒーの方が、間違いなく、遥かに美味しい時代。にも関わらず、サービスエリアに寄ると一目散に自販機コーナーに向かって、250円を財布から取り出してしまうのは、一体全体何故なのか。
あくまで僕の個人的な話をするならば。学生時代が終わり社会に放り出されて以降、『物の値段』について考える機会が増えました。
ハンバーガーが100円。牛丼一杯300円。Tシャツは一枚500円で、靴下は3足900円、1000円ポッキリで髪が切れるお店まである始末。低所得者である僕にしてみればこの国はもはや、天国のような場所であるようにも感じます。
しかし果たして本当に、その通りなのでしょうか。今の時代のこの国の現状が、「価格競争」から一向に抜け出せないこの国の経済の枠組みが、本当に「天国」であると言えるのか、どうか。
ファストファッションブランドの洋服に身を包んで、ファストフード店で安いバーガーを頬張って。この時代のこの国の中で感じる事の出来る、非常に刹那的で甘美な多幸感に文字通り全身で溺れる事を、否定するつもりは毛頭ありません。
でも、少し考えてみて欲しいのは、「物の値段」に対する残酷なまでの意識の薄さによって、加速度的に悪化していく「生産者側の周辺環境」についてです。そして、僕が最も恐ろしいと感じるのは、「消費者は消費者であると同時に、必ず何処かで生産者でもある」という純然たる事実です。
自分達が目にしている物の値段が、僕達が今感じている「適正価格」というものが、果たしてどういう意味合いを持っているのか。そうした事に目を瞑ったままで過ごす消費生活が招く終焉は、一体どんな状態なのか。
気付かぬ内に自分で自分の首を絞めているかもしれない現状に、この飽食の時代を生きる僕達は今、気付くべきなのかもしれません。
さて、最後に。僕が「コーヒールンバ」の流れる自販機でコーヒーを買う理由について。それは、「何でかよく分からんけど旅に来たような気になれる」という、大体何かそんな感じです。
いやいや、だってねぇ?ほら。そういう非日常感とかって、やっぱり超大事じゃないですか。ねぇ?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「物の値段」について。
そして、「価値の高め方」について。
2年前も今も、変わらず同じ事を考えて、同じ事をしていきたいと思えている自分がいる事に、
少なからず安堵した昼下がり。
https://note.mu/hayakawagomi/n/n92d89dc43fb0
記事の内容はリンク先で是非とも最後まで読んで頂きたいので、当然ながらここでは割愛するとして。
2016年の6月。
今から丸っと2年前、仲間達と制作していたフリーペーパーの中で自分が書いていたコラムの文章を、上記の記事を読んでいてふと思い返したので、ここではそちらを再掲しておく事にする。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
コラム 『カンガルーのアシ』
no.2「コーヒールンバ」
高速バスの車内で今、この文章を書いています。
全国どこのサービスエリアにでも、ほぼ間違いなく設置されているコーヒーの自販機が、僕は昔から妙に好きで。お金を入れてボタンを押すと、軽快なメロディーを奏でながら、提供されるまでの映像がリアルタイムでチープに流れ出す例のアレです。
アイスブレンドがジャンボカップで250円。2016年6月現在、缶コーヒーが130円。加えて言えば、コンビニで100円で買えるコーヒーの方が、間違いなく、遥かに美味しい時代。にも関わらず、サービスエリアに寄ると一目散に自販機コーナーに向かって、250円を財布から取り出してしまうのは、一体全体何故なのか。
あくまで僕の個人的な話をするならば。学生時代が終わり社会に放り出されて以降、『物の値段』について考える機会が増えました。
ハンバーガーが100円。牛丼一杯300円。Tシャツは一枚500円で、靴下は3足900円、1000円ポッキリで髪が切れるお店まである始末。低所得者である僕にしてみればこの国はもはや、天国のような場所であるようにも感じます。
しかし果たして本当に、その通りなのでしょうか。今の時代のこの国の現状が、「価格競争」から一向に抜け出せないこの国の経済の枠組みが、本当に「天国」であると言えるのか、どうか。
ファストファッションブランドの洋服に身を包んで、ファストフード店で安いバーガーを頬張って。この時代のこの国の中で感じる事の出来る、非常に刹那的で甘美な多幸感に文字通り全身で溺れる事を、否定するつもりは毛頭ありません。
でも、少し考えてみて欲しいのは、「物の値段」に対する残酷なまでの意識の薄さによって、加速度的に悪化していく「生産者側の周辺環境」についてです。そして、僕が最も恐ろしいと感じるのは、「消費者は消費者であると同時に、必ず何処かで生産者でもある」という純然たる事実です。
自分達が目にしている物の値段が、僕達が今感じている「適正価格」というものが、果たしてどういう意味合いを持っているのか。そうした事に目を瞑ったままで過ごす消費生活が招く終焉は、一体どんな状態なのか。
気付かぬ内に自分で自分の首を絞めているかもしれない現状に、この飽食の時代を生きる僕達は今、気付くべきなのかもしれません。
さて、最後に。僕が「コーヒールンバ」の流れる自販機でコーヒーを買う理由について。それは、「何でかよく分からんけど旅に来たような気になれる」という、大体何かそんな感じです。
いやいや、だってねぇ?ほら。そういう非日常感とかって、やっぱり超大事じゃないですか。ねぇ?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「物の値段」について。
そして、「価値の高め方」について。
2年前も今も、変わらず同じ事を考えて、同じ事をしていきたいと思えている自分がいる事に、
少なからず安堵した昼下がり。
The way to euphoria
2018.06.18 Monday
風邪をひいた。ような気がする。
クシャミが止まらないのと、痰が絡むのと、喉と全身の節々が痛いのと。
ここ最近の気温変動を表したグラフを見て、自分の生活態度を顧みて思うことは、
「これは、風邪をひいた」
そりゃそうだ、と思う。単純に。
昨日一昨日と、嵐のように過ぎ去った二日間を経た今。
心も身体も文字通り全部使ってフルスマイルでゴールテープを切ったように感じている今。
その反動からか、可能なのであれば夕方17時のチャイムまで家のベッドで丸くなっていたいと心の底から感じているのだけれども、そんな事は問屋さんも卸してはくれないのが常であって、とはいえ次の予定の時間が明確に定まっていない為に動く事も出来ず、とりあえず車の中で缶コーヒーを飲みながら携帯で今この文章を書いている。
時間が空いて、朝も早くて、そんな時に流石に仕事関係の整理をするスイッチは入らなくて、そうした「するべき事はあるけれど何にもしたくない時間」の時に自分が決まってする事と言えば
「とりあえず考えてみる」
これに尽きる。
もっともっと有り体に、雑に言い捨てれば、
「ぼけっとする」
まぁ、そちらの方が言葉のニュアンスとしては大分近い。
「ありえない『もしも』を考える」というのはきっと、誰しもが日常的に行っている事なのだろうけれど、自分の場合はその頻度が(恐らく)人よりも高くて、「趣味は、妄想と空想と瞑想です」と初対面の人に対して言ってしまっても、あながち間違いではないんじゃないかなぁと感じている。
本当にそれを言うのが有意義なのかどうかは、勿論置いといて。
取り留めもないような事を、あてどなく漂うように、次から次へと考えては忘れ、また違う事を考えて、と繰り返していく。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「ナルシストだよね」
「自分の事が好きなんですね」と、
言われる事が最近、頓に増えた。
前々から言われる場面はあったけれど、それにしたって最近は多いなぁと感じるし、ただ実際のところ今、自分は自分の事が大好きなのだから、これまたそりゃそうだ。と思う。単純に。
「良い・悪い」といった二元論では無く、これは完全に只の持論でしかないのだけれど、「ナルシストになるプロセスは二通りある」と思っている。
即ち、
「自己肯定」を常にし続けてきた というパターンと、
「自己否定」から「自己肯定」へ変わった というパターンである。
前者は至極単純で、自分の見た目や人間性その他諸々を客観的な意見として「否定」された事が無く、ただ純粋に自分という存在に関して自信があるというパターン。
他者からの否定や批判があったとしてもそれに気付かない、気付いていたとしても「それがどうした?」と跳ね返せるのがこのタイプで、自分の経験上ではこのタイプの人は精神的に圧倒的な強者である場合が多く、人を先導して物事を推し進めていく力が非常に強いので、何事もスピード感をもって行動する事が出来る。
変わって後者はどうかと言えば、これはつまり「コンプレックス」を「武器」に変える、もしくは「コンプレックス」を補う為の「武器」を他の要素で獲得する事に成功したパターンである。
こちらの場合は他者から否定された経験を経て、その否定を覆す為の「何か」を持っている人達であると思っている。これまた自分の経験上の推測ではあるが、このタイプの人は総じてプライドが非常に高く、精神的には非常に弱い、脆いという場合が多い。
しかし、様々な場面で比較的柔軟に物事を受け止められるので、言い方を変えれば「協調性は高い」といえるのかもしれない。
繰り返しになるが、どちらのパターンが「良い・悪い」というような下らない事を言いたいのではない。何万回と繰り返してきた自己分析の中で勝手に心に秘めている推測の一つでしかない。
じゃあお前は何が言いたいのかというと、「自分という人間が好きです」と今この瞬間に恥ずかしげもなく口に出せる自分は、一体どちらのパターンなのか、という。正に、それだけなのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
自分が中学生だったあの頃。
極々狭くて小さなあの世界の中で、自分の味方は「BUMP OF CHICKEN」と「古着の洋服」だけだった。家族ですら信用していなかったかもしれない。
自己の肯定だの否定だの、そんな事は考えた事すら無かったし考える余裕もなければ、考える頭も纏める語彙力も、あの頃の自分には何も無かった。そこから今日まで、ざっと15、6年。まさしく『思えば遠くへ来たもんだ』といった心境にもならざるを得ない。
そうした自分の下らない思い出話は、これまでにもこの場所で繰り返し話題に出してきたように思うので、今更またくどくど書くつもりも流石にないけれど、要するに今日この瞬間に思う事は
「生きてて、良かったな」
という、あまりに陳腐な、そんな表現に尽きる。
でも、ありえない「もしも」を考えるとすれば。
もし、あの頃にファッションの楽しさを知る事が無かったならば。もし、音楽を聴くような環境が無かったとしたら。どんな人間になって、二十八歳の今、どこで何をしてどんな人間になっていただろうか。
もし、あの頃の自分に今、会いに行けるのだとしたら。自分の事が大嫌いだったあの頃の自分に、自分の事が大好きで仕方ない今の自分は、何を言うのだろうか。
きっと、あの頃下ばかりみて歩いていた猫背の少年は、さぞ鬱陶しそうな目でこちらを見上げてくるんだろうなぁ、という事だけはほぼ確信的に予測が出来るけれど。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
我が部屋には、暫く前から体温計というものがない。だから、自分の体温を知る術がない。という事は、自分の今の体調を簡単にすら診断する事が出来ない。であれば、とりあえずこのまま今日も、頭と口と手と足を動かそうと思う。
熱っぽいと感じているのは、風邪による発熱なのか、はたまたスイッチがやっと入ってきたからなのか。どちらでもないかもしれないし、どちらでもいいし、そんな事よりも腕時計が指している短針が、さっき見た時よりも2段階進んでいる事が見間違いでなかったとしたら、早くコインパーキングから車を出して次の予定に向かうべきなんだろうと思う。
この手慰みが終わったら、安物のBluetoothスピーカーから音楽を流してキーを回してエンジンをかけて、全力でカッコつけて、今日もイケるところまで生きていこう。
という所まで書いて、缶コーヒーの残りを一気に飲み干そうとしたら盛大にむせてあわや大惨事になり、仕方なく一度家に帰って洋服を洗濯機にぶち込んで着替えを済ませてソファに腰を落ち着けたのが、本当の今。
もう昼過ぎか。やっぱり今日は、夕方まで寝ていようか。
クシャミが止まらないのと、痰が絡むのと、喉と全身の節々が痛いのと。
ここ最近の気温変動を表したグラフを見て、自分の生活態度を顧みて思うことは、
「これは、風邪をひいた」
そりゃそうだ、と思う。単純に。
昨日一昨日と、嵐のように過ぎ去った二日間を経た今。
心も身体も文字通り全部使ってフルスマイルでゴールテープを切ったように感じている今。
その反動からか、可能なのであれば夕方17時のチャイムまで家のベッドで丸くなっていたいと心の底から感じているのだけれども、そんな事は問屋さんも卸してはくれないのが常であって、とはいえ次の予定の時間が明確に定まっていない為に動く事も出来ず、とりあえず車の中で缶コーヒーを飲みながら携帯で今この文章を書いている。
時間が空いて、朝も早くて、そんな時に流石に仕事関係の整理をするスイッチは入らなくて、そうした「するべき事はあるけれど何にもしたくない時間」の時に自分が決まってする事と言えば
「とりあえず考えてみる」
これに尽きる。
もっともっと有り体に、雑に言い捨てれば、
「ぼけっとする」
まぁ、そちらの方が言葉のニュアンスとしては大分近い。
「ありえない『もしも』を考える」というのはきっと、誰しもが日常的に行っている事なのだろうけれど、自分の場合はその頻度が(恐らく)人よりも高くて、「趣味は、妄想と空想と瞑想です」と初対面の人に対して言ってしまっても、あながち間違いではないんじゃないかなぁと感じている。
本当にそれを言うのが有意義なのかどうかは、勿論置いといて。
取り留めもないような事を、あてどなく漂うように、次から次へと考えては忘れ、また違う事を考えて、と繰り返していく。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「ナルシストだよね」
「自分の事が好きなんですね」と、
言われる事が最近、頓に増えた。
前々から言われる場面はあったけれど、それにしたって最近は多いなぁと感じるし、ただ実際のところ今、自分は自分の事が大好きなのだから、これまたそりゃそうだ。と思う。単純に。
「良い・悪い」といった二元論では無く、これは完全に只の持論でしかないのだけれど、「ナルシストになるプロセスは二通りある」と思っている。
即ち、
「自己肯定」を常にし続けてきた というパターンと、
「自己否定」から「自己肯定」へ変わった というパターンである。
前者は至極単純で、自分の見た目や人間性その他諸々を客観的な意見として「否定」された事が無く、ただ純粋に自分という存在に関して自信があるというパターン。
他者からの否定や批判があったとしてもそれに気付かない、気付いていたとしても「それがどうした?」と跳ね返せるのがこのタイプで、自分の経験上ではこのタイプの人は精神的に圧倒的な強者である場合が多く、人を先導して物事を推し進めていく力が非常に強いので、何事もスピード感をもって行動する事が出来る。
変わって後者はどうかと言えば、これはつまり「コンプレックス」を「武器」に変える、もしくは「コンプレックス」を補う為の「武器」を他の要素で獲得する事に成功したパターンである。
こちらの場合は他者から否定された経験を経て、その否定を覆す為の「何か」を持っている人達であると思っている。これまた自分の経験上の推測ではあるが、このタイプの人は総じてプライドが非常に高く、精神的には非常に弱い、脆いという場合が多い。
しかし、様々な場面で比較的柔軟に物事を受け止められるので、言い方を変えれば「協調性は高い」といえるのかもしれない。
繰り返しになるが、どちらのパターンが「良い・悪い」というような下らない事を言いたいのではない。何万回と繰り返してきた自己分析の中で勝手に心に秘めている推測の一つでしかない。
じゃあお前は何が言いたいのかというと、「自分という人間が好きです」と今この瞬間に恥ずかしげもなく口に出せる自分は、一体どちらのパターンなのか、という。正に、それだけなのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
自分が中学生だったあの頃。
極々狭くて小さなあの世界の中で、自分の味方は「BUMP OF CHICKEN」と「古着の洋服」だけだった。家族ですら信用していなかったかもしれない。
自己の肯定だの否定だの、そんな事は考えた事すら無かったし考える余裕もなければ、考える頭も纏める語彙力も、あの頃の自分には何も無かった。そこから今日まで、ざっと15、6年。まさしく『思えば遠くへ来たもんだ』といった心境にもならざるを得ない。
そうした自分の下らない思い出話は、これまでにもこの場所で繰り返し話題に出してきたように思うので、今更またくどくど書くつもりも流石にないけれど、要するに今日この瞬間に思う事は
「生きてて、良かったな」
という、あまりに陳腐な、そんな表現に尽きる。
でも、ありえない「もしも」を考えるとすれば。
もし、あの頃にファッションの楽しさを知る事が無かったならば。もし、音楽を聴くような環境が無かったとしたら。どんな人間になって、二十八歳の今、どこで何をしてどんな人間になっていただろうか。
もし、あの頃の自分に今、会いに行けるのだとしたら。自分の事が大嫌いだったあの頃の自分に、自分の事が大好きで仕方ない今の自分は、何を言うのだろうか。
きっと、あの頃下ばかりみて歩いていた猫背の少年は、さぞ鬱陶しそうな目でこちらを見上げてくるんだろうなぁ、という事だけはほぼ確信的に予測が出来るけれど。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
我が部屋には、暫く前から体温計というものがない。だから、自分の体温を知る術がない。という事は、自分の今の体調を簡単にすら診断する事が出来ない。であれば、とりあえずこのまま今日も、頭と口と手と足を動かそうと思う。
熱っぽいと感じているのは、風邪による発熱なのか、はたまたスイッチがやっと入ってきたからなのか。どちらでもないかもしれないし、どちらでもいいし、そんな事よりも腕時計が指している短針が、さっき見た時よりも2段階進んでいる事が見間違いでなかったとしたら、早くコインパーキングから車を出して次の予定に向かうべきなんだろうと思う。
この手慰みが終わったら、安物のBluetoothスピーカーから音楽を流してキーを回してエンジンをかけて、全力でカッコつけて、今日もイケるところまで生きていこう。
という所まで書いて、缶コーヒーの残りを一気に飲み干そうとしたら盛大にむせてあわや大惨事になり、仕方なく一度家に帰って洋服を洗濯機にぶち込んで着替えを済ませてソファに腰を落ち着けたのが、本当の今。
もう昼過ぎか。やっぱり今日は、夕方まで寝ていようか。
Goodbye my peaceful days , and
2018.05.08 Tuesday
すっかりこの場所を放置していた。
「すっかり」と言っても四月丸々一ヶ月程度の話で、年単位で書いては消してを繰り返して きた自分のブログ執筆ペースを考えれば十分に御の字ではあるのだが。
さておき、「サラリーマン」という肩書きが無くなり、スーツに袖を通す事をしなくなってから、一ヶ月。大袈裟でなく本当に「あっという間」だったと言わざるを得ない日々であったように思う。「あっ」っと言う間も無かったかもしれない。
沢山の物事が、大きく変わった。
怒涛の一ヶ月が終わり小休止のような時間の只中にいる今、そんな風にふと思うことがあって、今こうしてブログの記事を書いている。変わっていった物事の起点は勿論、「退職」という自分で作り出したものによってである場合がほとんどだろうから、当然ながらそれはポジティブな物事ばかりであるのだけれども。
目覚ましをかけずに済むようになった。
日付と曜日の感覚が非常に薄くなった。
襟足と髭の長さに気を配らなくなった。
日常生活において変わったことについても、今パッと思い付くだけで他にもいくつもあるように思う。そんな中で、恐らく一番大きく変わったもの、変わってしまったと自覚しているもの、そして、変わろうと人知れず決意したことがある。
それは何かと言えばつまり、「他者に注ぐ想いの多寡」について、であったりする。
これまでの人生で自分は、ある一定以上近しい距離感にいる他者に対して、ほぼ無条件に全力で自分の気持ちを注いできた。相手方がどのように受け取ってくれていたのかは知らないし、一方通行的な「親切の押し売り」「ありがた迷惑」といった状況にも多々なっていただろうことは当然にしてありえるだろうけれども、自分視点での主観的な意見として、そうした「いい人」といった人間性を今日まで貫いてこれたという自負はある。
「いい人」というポジションを崩さないように、間違えないようにと常に気にかけて人と接していたし、そうした「媚び諂う」自分の基本姿勢は恐らく今後も一生「変わらないもの」なんじゃないかな、とぼんやりとではあるが考えている。
そんな自分の人間性を、「ダメだなぁ」と感じる場面もあれば「いやいや、それでこそ自分でしょ」と、ある意味誇りに思うような場面も多々あって、最終的には自分の好きな部分、大事にしていきたいもの、「変えていきたくないもの」として自分の中の大事な部分として置き続けてきた。
だけれども、自分のライフスタイルが変わり始めてから今日まで、数え切れない人達と日々出会い、繋がり、話をして、時には一緒に計画までするようになってきた中で、そうした自分の「お節介」であったり「世話焼き」と言われてきた様な一面が踏みにじられるような、言葉を選ばずに言えば「恩を仇で返される」ような、そんな場面が目立つようになってきた。
母数が加速度的に増えていて、非常に喜ばしい出会い、ポジティブな繋がりというのもその中から勿論数多く生まれているのだけれど、だからこそ余計に、そうではないネガティブな人間関係にスポットライトが当たってしまうようになった、のだろうと思っている。
よく耳にする文句ではあるけれど、「何かを『選ぶこと』は、それ以外のものを『選ばないこと』である」というもは正にその通りで、その「選ばない」という事を自分は今後もっともっとフランクに捉えるべきなんだろう。
選ぶ必要がない、選ぶべきではないものは、きっと、自分の周りに無数に存在している。そうしたものを選ばない事で結果として残るものを全力で大事にし続ける事がきっと、今の自分が第一にするべき事なんだろうと思う。
小難しく読みづらい言葉運びでここ一ヶ月の間で溜め込んでいたものを延々と吐き出し続けてみたけれど、要するに何が言いたかったのかって、それは
「不健康な人間関係はもう、今後一切いりません」
という事、ただそれだけだったりする。
「すっかり」と言っても四月丸々一ヶ月程度の話で、年単位で書いては消してを繰り返して きた自分のブログ執筆ペースを考えれば十分に御の字ではあるのだが。
さておき、「サラリーマン」という肩書きが無くなり、スーツに袖を通す事をしなくなってから、一ヶ月。大袈裟でなく本当に「あっという間」だったと言わざるを得ない日々であったように思う。「あっ」っと言う間も無かったかもしれない。
沢山の物事が、大きく変わった。
怒涛の一ヶ月が終わり小休止のような時間の只中にいる今、そんな風にふと思うことがあって、今こうしてブログの記事を書いている。変わっていった物事の起点は勿論、「退職」という自分で作り出したものによってである場合がほとんどだろうから、当然ながらそれはポジティブな物事ばかりであるのだけれども。
目覚ましをかけずに済むようになった。
日付と曜日の感覚が非常に薄くなった。
襟足と髭の長さに気を配らなくなった。
日常生活において変わったことについても、今パッと思い付くだけで他にもいくつもあるように思う。そんな中で、恐らく一番大きく変わったもの、変わってしまったと自覚しているもの、そして、変わろうと人知れず決意したことがある。
それは何かと言えばつまり、「他者に注ぐ想いの多寡」について、であったりする。
これまでの人生で自分は、ある一定以上近しい距離感にいる他者に対して、ほぼ無条件に全力で自分の気持ちを注いできた。相手方がどのように受け取ってくれていたのかは知らないし、一方通行的な「親切の押し売り」「ありがた迷惑」といった状況にも多々なっていただろうことは当然にしてありえるだろうけれども、自分視点での主観的な意見として、そうした「いい人」といった人間性を今日まで貫いてこれたという自負はある。
「いい人」というポジションを崩さないように、間違えないようにと常に気にかけて人と接していたし、そうした「媚び諂う」自分の基本姿勢は恐らく今後も一生「変わらないもの」なんじゃないかな、とぼんやりとではあるが考えている。
そんな自分の人間性を、「ダメだなぁ」と感じる場面もあれば「いやいや、それでこそ自分でしょ」と、ある意味誇りに思うような場面も多々あって、最終的には自分の好きな部分、大事にしていきたいもの、「変えていきたくないもの」として自分の中の大事な部分として置き続けてきた。
だけれども、自分のライフスタイルが変わり始めてから今日まで、数え切れない人達と日々出会い、繋がり、話をして、時には一緒に計画までするようになってきた中で、そうした自分の「お節介」であったり「世話焼き」と言われてきた様な一面が踏みにじられるような、言葉を選ばずに言えば「恩を仇で返される」ような、そんな場面が目立つようになってきた。
母数が加速度的に増えていて、非常に喜ばしい出会い、ポジティブな繋がりというのもその中から勿論数多く生まれているのだけれど、だからこそ余計に、そうではないネガティブな人間関係にスポットライトが当たってしまうようになった、のだろうと思っている。
よく耳にする文句ではあるけれど、「何かを『選ぶこと』は、それ以外のものを『選ばないこと』である」というもは正にその通りで、その「選ばない」という事を自分は今後もっともっとフランクに捉えるべきなんだろう。
選ぶ必要がない、選ぶべきではないものは、きっと、自分の周りに無数に存在している。そうしたものを選ばない事で結果として残るものを全力で大事にし続ける事がきっと、今の自分が第一にするべき事なんだろうと思う。
小難しく読みづらい言葉運びでここ一ヶ月の間で溜め込んでいたものを延々と吐き出し続けてみたけれど、要するに何が言いたかったのかって、それは
「不健康な人間関係はもう、今後一切いりません」
という事、ただそれだけだったりする。
肯定と否定と
2018.03.31 Saturday
自分の「言葉」を、直接的に褒めてもらう事が増えた。
有難い事に(本当に、有難い事に)自分の様々な面や要素を、色々な表現で褒めて貰う事があるけれども、
その中でも特に「言葉」というモノを褒めて貰った時というのが、
自分という人間は、どうしたって一等嬉しいと感じてしまう。
言葉というモノに傷つけられて、言葉というモノに救われて、
そうして言葉に惚れ込んで、言葉と共に生きてきた。
と、大げさでなく本当に思っている。
信じている、と言ってしまってもいいかもしれない。
自分に出来る事は何もないと、自分で自分を貶めてきた時間は長かったけれど、
もうそろそろ、ほんの少しくらいは、自分みたいな人間でも、
胸を張って生きてみてもいいかなぁ。
なんて、根拠のない自信が多少は沸きつつある。ような気がしている。
どうかこのまま、あともう少し先の所まで
誇りを持って、歩いていけますように。
3月が終わる今日という日に、今。ふと思った事をただ、書き残しておきたいと思った。
*********************************************************************************************************
この文章を書く前、instagramの過去の投稿をつらつらと眺め返していたら
二年前の夏、あるゲームが全世界で一世を風靡し始めたその最初の頃に、
自分が思った事を割と直接的に、少し強い語調で書いていた投稿があった。
ただ、今読んでも「うん、やっぱそうだよなぁ」と思ったりしたので
特にどういう意味があるという訳でもないけれど、再掲しておこうと思う。
*********************************************************************************************************
色んな批判の声がある。
各地で事故も起きている。
個人情報抜き取りなんて話も出てきたし、
今日だけで3回は人とぶつかった。
どんな物事にも、「負の側面」は必ずある。
ネガティヴな点だけを取り上げて、
頭ごなしに「批判」をするのは簡単だ。
さぞかし気持ちも良いだろう。
でも、きっと全てがそうだという訳じゃない。
それだけじゃあ、ないはずだ。
空想の世界の住人が現実世界に現れた事。
当時の感動を同じ熱量で今また感じられる事。
夏の夜を歩く事の楽しさを知れた事。
大してプレイしていない僕でさえ
これだけ即答出来るのだから、
きっと、他にもまだまだ沢山の言葉で
並べ立てる事が出来るはずだ。
マイナスな一面は、プラスの物より尚目立つ。
でも、「それはそれ。これはこれ。」
例え同一線状の物事だとしても、
主観的な感情で即断してしまうのは、
とても悲しくて、勿体無い事だと思う。
そしてそれは、大袈裟でなく
「人」に対して向ける感情も、きっと
同じような構造なんだろう。
だからこそ、やはり、
思考の無い、意見も主張も主義も無い
「空っぽの批判」というものは、
悲しくて、勿体無くて、
ただただ本当に、恐ろしい。
20年前、小学校1年生だった1996年。
相棒のフシギダネと一緒に、
家の近所の公園を駆け抜けたかった、
この世代の人間の1人として、今。ぼんやりと思う。
有難い事に(本当に、有難い事に)自分の様々な面や要素を、色々な表現で褒めて貰う事があるけれども、
その中でも特に「言葉」というモノを褒めて貰った時というのが、
自分という人間は、どうしたって一等嬉しいと感じてしまう。
言葉というモノに傷つけられて、言葉というモノに救われて、
そうして言葉に惚れ込んで、言葉と共に生きてきた。
と、大げさでなく本当に思っている。
信じている、と言ってしまってもいいかもしれない。
自分に出来る事は何もないと、自分で自分を貶めてきた時間は長かったけれど、
もうそろそろ、ほんの少しくらいは、自分みたいな人間でも、
胸を張って生きてみてもいいかなぁ。
なんて、根拠のない自信が多少は沸きつつある。ような気がしている。
どうかこのまま、あともう少し先の所まで
誇りを持って、歩いていけますように。
3月が終わる今日という日に、今。ふと思った事をただ、書き残しておきたいと思った。
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この文章を書く前、instagramの過去の投稿をつらつらと眺め返していたら
二年前の夏、あるゲームが全世界で一世を風靡し始めたその最初の頃に、
自分が思った事を割と直接的に、少し強い語調で書いていた投稿があった。
ただ、今読んでも「うん、やっぱそうだよなぁ」と思ったりしたので
特にどういう意味があるという訳でもないけれど、再掲しておこうと思う。
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色んな批判の声がある。
各地で事故も起きている。
個人情報抜き取りなんて話も出てきたし、
今日だけで3回は人とぶつかった。
どんな物事にも、「負の側面」は必ずある。
ネガティヴな点だけを取り上げて、
頭ごなしに「批判」をするのは簡単だ。
さぞかし気持ちも良いだろう。
でも、きっと全てがそうだという訳じゃない。
それだけじゃあ、ないはずだ。
空想の世界の住人が現実世界に現れた事。
当時の感動を同じ熱量で今また感じられる事。
夏の夜を歩く事の楽しさを知れた事。
大してプレイしていない僕でさえ
これだけ即答出来るのだから、
きっと、他にもまだまだ沢山の言葉で
並べ立てる事が出来るはずだ。
マイナスな一面は、プラスの物より尚目立つ。
でも、「それはそれ。これはこれ。」
例え同一線状の物事だとしても、
主観的な感情で即断してしまうのは、
とても悲しくて、勿体無い事だと思う。
そしてそれは、大袈裟でなく
「人」に対して向ける感情も、きっと
同じような構造なんだろう。
だからこそ、やはり、
思考の無い、意見も主張も主義も無い
「空っぽの批判」というものは、
悲しくて、勿体無くて、
ただただ本当に、恐ろしい。
20年前、小学校1年生だった1996年。
相棒のフシギダネと一緒に、
家の近所の公園を駆け抜けたかった、
この世代の人間の1人として、今。ぼんやりと思う。
『花発多風雨』
2018.03.15 Thursday
春が来るなぁ、と思う。
触れる日差しの暖かさに、見える光の柔らかさに、鼻に香る草いきれの微かな青々しさに
新しい季節の訪れを感じずにはいられない。
身が強張る季節が終わりを告げかけていて、
身に纏うものの重さが少しずつ軽くなっていく日々の中で、今自分の頭を過る事の多くが
楽し気でハッピーで、とてもポジティブなものだという事。
これ以上に幸せな事が、果たしてあるのだろうか。
根っからのネガティブ人間として生きてきた自分の四半世紀の中で、
これから本格的に訪れる季節を、前向きに捉えられた年が、果たして何度あったのだろう。
わずかな時間をかけて今思い返してみても、さっぱり検討がつかない。
それはきっと、環境であったり人間関係であったりと、自分と、自分の周囲を取り巻く様々な要素・要因が
短い期間の中で目まぐるしく「変化する季節」だからなのであろうと。ある種、確信的に分析している。
「安定」を好んできた人生だった。
ある程度の幸福を感じたその瞬間から、その状態を維持する事に執着し続ける事を主としてきた人生だった。
自分が変わってしまったら、周りも変わってしまうから。
今より良くなるかもしれなくても、悪くなってしまうかもしれないから。
そんなリスクがあるのなら、今のこの、生温いお湯に浸かっているような状態のままでいい。その方がいい。
そんな風に本気で思っていたし、実際に環境や人間関係の変化があると目に見えて疲弊をするタイプの人間だった。
それが、どうだ。
毎日毎日毎日毎日、「はじめまして」と言い続け、声を枯らしながら話をし続け、
眠い目をこすりながら意見を交わし合い、さっきまで知りもしなかった人と一緒にご飯を食べて、
「おはよう」と言い合える人達がいる空間の中で、目が覚めて始まる朝がある。
こんな風に、変化をするとは思わなかった。
同じ空間で同じ時間を、またあの人達と過ごせるようになるなんて。もう、終わってしまったものだと思っていた。
もう一度、歩いてみようと思えるようになった事。そのきっかけは本当に些細な事だったけれど、でも。
あの時に、良い意味での「適当さ」が自分の中にあった事だけは、今。褒めてあげてもいいのかもしれないと思う。
********************************************************************************************************
「出会いと別れの季節」なんて、とうの昔に誰しもが聞き飽きた、陳腐な表現を耳にするにつけ
今思う事は「失うからこそ、得られるものがある。のかも、しれない」という事だったりする。
ある偉大な日本の詩人の訳した言葉が、自分は昔から妙に好きで、この季節になるといつも頭の中で反芻している。
曰く、『サヨナラだけが、人生だ』
この言葉を、「惜別」と捉えるのか「一期一会」と捉えるのか。
それはきっと、この言葉を聴いた時の、その時々の心情に大きく左右されるのだろうけれど、でも
今僕にとってこの言葉は、少なくともネガティブな表現には決して映らない。
サヨナラだけが人生なのであれば
その時までの今を、今この時こそを、全力で大事にしてやる。
そうやってポジティブに前向きに、何事においても考えて行動に移していける人生を歩んでいけますように。
********************************************************************************************************
唯一、これからの季節における要素において、未だに一向に好きになれないものが一つだけ、ある。
そいつのせいでずっと止まらない鼻水と、ぼーっとした頭と終わりの見えない眠気の中で、
ただ只管にタイピングをし続けた結果、割と今の自分の気分とこれからの決意を言葉に出来たように思う。
という事はこれまた、一つポジティブに物事を捉えられたという事なのかもしれない。
いいぞいいぞ、これでもう僕はこの病気を克服したも同然だ!
という所まで打った時に丁度、今日一番の大きなクシャミが出た。
机の上のティッシュ箱は、とっくの昔に空だった。
触れる日差しの暖かさに、見える光の柔らかさに、鼻に香る草いきれの微かな青々しさに
新しい季節の訪れを感じずにはいられない。
身が強張る季節が終わりを告げかけていて、
身に纏うものの重さが少しずつ軽くなっていく日々の中で、今自分の頭を過る事の多くが
楽し気でハッピーで、とてもポジティブなものだという事。
これ以上に幸せな事が、果たしてあるのだろうか。
根っからのネガティブ人間として生きてきた自分の四半世紀の中で、
これから本格的に訪れる季節を、前向きに捉えられた年が、果たして何度あったのだろう。
わずかな時間をかけて今思い返してみても、さっぱり検討がつかない。
それはきっと、環境であったり人間関係であったりと、自分と、自分の周囲を取り巻く様々な要素・要因が
短い期間の中で目まぐるしく「変化する季節」だからなのであろうと。ある種、確信的に分析している。
「安定」を好んできた人生だった。
ある程度の幸福を感じたその瞬間から、その状態を維持する事に執着し続ける事を主としてきた人生だった。
自分が変わってしまったら、周りも変わってしまうから。
今より良くなるかもしれなくても、悪くなってしまうかもしれないから。
そんなリスクがあるのなら、今のこの、生温いお湯に浸かっているような状態のままでいい。その方がいい。
そんな風に本気で思っていたし、実際に環境や人間関係の変化があると目に見えて疲弊をするタイプの人間だった。
それが、どうだ。
毎日毎日毎日毎日、「はじめまして」と言い続け、声を枯らしながら話をし続け、
眠い目をこすりながら意見を交わし合い、さっきまで知りもしなかった人と一緒にご飯を食べて、
「おはよう」と言い合える人達がいる空間の中で、目が覚めて始まる朝がある。
こんな風に、変化をするとは思わなかった。
同じ空間で同じ時間を、またあの人達と過ごせるようになるなんて。もう、終わってしまったものだと思っていた。
もう一度、歩いてみようと思えるようになった事。そのきっかけは本当に些細な事だったけれど、でも。
あの時に、良い意味での「適当さ」が自分の中にあった事だけは、今。褒めてあげてもいいのかもしれないと思う。
********************************************************************************************************
「出会いと別れの季節」なんて、とうの昔に誰しもが聞き飽きた、陳腐な表現を耳にするにつけ
今思う事は「失うからこそ、得られるものがある。のかも、しれない」という事だったりする。
ある偉大な日本の詩人の訳した言葉が、自分は昔から妙に好きで、この季節になるといつも頭の中で反芻している。
曰く、『サヨナラだけが、人生だ』
この言葉を、「惜別」と捉えるのか「一期一会」と捉えるのか。
それはきっと、この言葉を聴いた時の、その時々の心情に大きく左右されるのだろうけれど、でも
今僕にとってこの言葉は、少なくともネガティブな表現には決して映らない。
サヨナラだけが人生なのであれば
その時までの今を、今この時こそを、全力で大事にしてやる。
そうやってポジティブに前向きに、何事においても考えて行動に移していける人生を歩んでいけますように。
********************************************************************************************************
唯一、これからの季節における要素において、未だに一向に好きになれないものが一つだけ、ある。
そいつのせいでずっと止まらない鼻水と、ぼーっとした頭と終わりの見えない眠気の中で、
ただ只管にタイピングをし続けた結果、割と今の自分の気分とこれからの決意を言葉に出来たように思う。
という事はこれまた、一つポジティブに物事を捉えられたという事なのかもしれない。
いいぞいいぞ、これでもう僕はこの病気を克服したも同然だ!
という所まで打った時に丁度、今日一番の大きなクシャミが出た。
机の上のティッシュ箱は、とっくの昔に空だった。
“ 0305 ”
2018.03.05 Monday
忘れたくても忘れられない、あの一日に感じた事を
自分なりに纏めて書いておこうと思った。
書いておかなくてはいけないと、思った。
***************************************************************************
朝起きて、会社に行って、普段通りに仕事をしていた。
少しだけイレギュラーなトラブルが立て続けに発生して
結局は終日その対応をする羽目になって、気が付いたら定時だった。
会社を出て、電車に乗って移動して、待ち合わせをして
少しだけ久しぶりの顔を見て、多分お互いに少しほっとした。
「二度目まして」の子と少しだけ路上で話をして
カラオケに行って、途中途中でメンバーが入れ替わって
電話が来て、話を聞いて話をして、また近々会おうって電話を切った。
カラオケを出て、センター街のラーメン屋で無駄に沢山頼んで
結局全部食べ切れなくて、吐き出しそうになるのを堪えて
自販機で缶コーヒーを買って、スクランブルの側で煙草を吸った。
タクシーに乗って家に帰って、倒れるようにベッドに飛びこんで
スーツも脱がずにそのまま、本当にそのまま、眠りに落ちた。
翌朝、目が覚めたらすっかり両目が腫れ上がっていて
別人みたいな自分の声にびっくりして、ちょっと笑った。
文章に書き起こしてみれば、何てことはない、至極ありふれた一日だった。
でもきっと、いや、これはもう間違いなく。
この先何年経ったって、自分や世界がどれだけ変わってしまっても
この殴り書いた行動記録を見るたびに、自分は
あの日という一日の中で感じた様々な感情と、決意と、想いを
ついさっきの事の様に思い返す事が出来るだろう。
もう、それでいいや。
そうやって思う事がずっと出来れば、俺はもう、それだけでいい。
強く、しなやかに、でも飄々と生きていこう。
何も問題など起きようがない。死ぬまでハッピーでいられるに決まってる。
何があっても笑い続けていよう。死ぬまでずっと、くだらない事で馬鹿笑いしよう。
締めの言葉が中々思い浮かばないし、元々殴り書きとして書き始めた雑文なので、
今日はもうそろそろこの辺りで。
***************************************************************************
『キミの夢が叶うのは誰かのおかげじゃないぜ』
『風の強い日を選んで走ってきた』
心を配る。
2018.02.06 Tuesday
日本語という言葉って素敵だなぁ。好きだなぁ。と、しみじみ思わされる事がどうにも昔から多い。
この世に溢れ在る様々な物事の、ほんの少しの微妙な差異を、単一の言葉だけではなく、非常に豊かな「幅」を持って言い表すことが出来るという優位性は、誰かに何かを伝えたくて喋りたくて聞いて貰いたくて仕方ない自分の様な人種・職種にとって非常に有難い。
例えば「雨」という言葉。
「雨」という事象に纏わる現象や感情、情景を表す日本語というのは、今この瞬間だけでも両手の指の数では圧倒的に足りないくらい膨大に存在している。という事は、1つの物事に関して他者へ伝えられる情報量を多く含ませられるという事になる訳で、つまりはより正確に、自分の頭や心の中身を言い表すことが出来る(可能性が大きい)言語が日本語なのである、と言ってしまって差し支えないと思っている。
勿論、「正確に」表現出来るだけでなく、曖昧に濁す事が可能な事もまた、日本語という言葉の持つ懐の深さだと思っていて、様々な場面で白黒をはっきりとつけたがらない性格の自分にとっては、むしろこちらの要素の方が優位性を感じる事が多かったりする。
ここまで長ったらしくも中身のない文書を連ねたのは、何時だか誰かに「皆が心配しているよ」という言葉を送った時に「そうか、『心を配る』と書くのか」と間抜け顔ではたと気付いて、「良いなぁ、やっぱり」と感じたその結果、恐らく何かしらを思い付いた自分は携帯のメモアプリに「心を配る」とだけ打ったはいいものの、数日後にはまんまとその事を忘れ、そして今日になってそのメモデータがうっかり見つかったものだから今、こうして思いつくままに形にしているというのが事の顛末である。
とまぁ。「口語言葉とカタカナ語を極力使わない」と決めて、ゲーム感覚でここまで書いてみた訳ですが。疲れました。とても。時間も割とかかったし。もうやりたくないけど移動中待機中の良い暇潰しにはなったかな。
要するに、「日本語っていいよネー」って事が言いたかった。
ただそれだけだったんです。
この世に溢れ在る様々な物事の、ほんの少しの微妙な差異を、単一の言葉だけではなく、非常に豊かな「幅」を持って言い表すことが出来るという優位性は、誰かに何かを伝えたくて喋りたくて聞いて貰いたくて仕方ない自分の様な人種・職種にとって非常に有難い。
例えば「雨」という言葉。
「雨」という事象に纏わる現象や感情、情景を表す日本語というのは、今この瞬間だけでも両手の指の数では圧倒的に足りないくらい膨大に存在している。という事は、1つの物事に関して他者へ伝えられる情報量を多く含ませられるという事になる訳で、つまりはより正確に、自分の頭や心の中身を言い表すことが出来る(可能性が大きい)言語が日本語なのである、と言ってしまって差し支えないと思っている。
勿論、「正確に」表現出来るだけでなく、曖昧に濁す事が可能な事もまた、日本語という言葉の持つ懐の深さだと思っていて、様々な場面で白黒をはっきりとつけたがらない性格の自分にとっては、むしろこちらの要素の方が優位性を感じる事が多かったりする。
ここまで長ったらしくも中身のない文書を連ねたのは、何時だか誰かに「皆が心配しているよ」という言葉を送った時に「そうか、『心を配る』と書くのか」と間抜け顔ではたと気付いて、「良いなぁ、やっぱり」と感じたその結果、恐らく何かしらを思い付いた自分は携帯のメモアプリに「心を配る」とだけ打ったはいいものの、数日後にはまんまとその事を忘れ、そして今日になってそのメモデータがうっかり見つかったものだから今、こうして思いつくままに形にしているというのが事の顛末である。
とまぁ。「口語言葉とカタカナ語を極力使わない」と決めて、ゲーム感覚でここまで書いてみた訳ですが。疲れました。とても。時間も割とかかったし。もうやりたくないけど移動中待機中の良い暇潰しにはなったかな。
要するに、「日本語っていいよネー」って事が言いたかった。
ただそれだけだったんです。
再会と再開と。
2018.01.21 Sunday
5年前の自分に会いに行ったら、
今とそう変わらない人間性であったらしい。
備忘録としてこの場に再掲。
※※※
楽園の鳥
2013年06月02日14:38
一昨日の夜は、興奮して寝付けなかった。
深夜営業のカフェに行き、コンビニで酒を買い足して、結局明け方まで起きていた。
「ビル・カニンガム&ニューヨーク」
http://www.bcny.jp/
出版業界、写真業界、映画業界、そしてファッション業界。
これらの業界に深く関わり、それらの業界の主とも言える著名人から
これ以上無く真っ直ぐに賞賛の言葉を贈られる、一人の老人のドキュメンタリー。
映画の内容は、検索をかければ恐らく膨大な数のレビューが散らばっているだろうから ここでは書かない。
そんな事よりも僕は、彼に、ビル・カニンガムという1人の男性に
自分が如何に心動かされたのかという事を、ここに書いておきたい。
備忘録の意味も込めて。
『ファッションは鎧なんだ。日々を生き抜く為の。手放せば、文明を捨てたも同然だ。』
彼のこの一言を聞いて(見て)、
大袈裟でも何でも無く、僕はまるで、救われたような気分だった。
自分の存在をきちんと肯定して貰ったかのような、
「大丈夫だ、間違ってないよ。」と、頭を撫でられたような心持ちだった。
「お前から[服]を取ったら何が残る?そういう奴はこの業界にごまんといる。つまんねぇ人間だよ。出直してこい。」
こんな事を、真っ直ぐ目を見据えて 僕はつい先日言われたばかりだった。
こんな素敵な言葉をプレゼントしてくれたのは職場の上司(先輩?)で、 体育会系が幅を利かせていた当時の業界を生きてきた人で、
「売り場は神聖な場所である」を信条としていて、
そして僕は、その人の機嫌を損ねてしまったものだから、こんなお言葉を頂戴したのだった。
ご丁寧に、「さっさと帰れ」というリボンまで付けて。
自慢じゃあないが、24年間近く服ばかりに狂って生きてきた。
「ファッションが好きだ」という気持ちなら、そんじょそこらの同世代には中々負けない自信だってある。
だから、上司からのあまりにも的を射たその一言に、僕のプライドは崩れ去った。
「その通りだ。」と思ったのだ。心の中で、深く頷いてしまった。
「ファッション」という要素を無くしたら、僕という人間は一体どう表現したらいい?
一体自分は何者だ?アイデンティティは何処にある?
お前は、本当に「ファッション」が好きなのか?
プレゼントを受け取って以来、そんな自問自答を繰り返す毎日。
そんな時に観たのが、このドキュメンタリー映画だった。
そんな時だったから、僕の心には強く深く、突き抜けるくらいに真っ直ぐに響いた。
ただ好きだというその気持ちだけでも、良いんじゃないか。
僕の生きてきた人生は、選んだ道は、描いた夢は、間違っていなかったんだ、と。
4月。
先延ばしにしていたモラトリアムの終わりが遂にやって来て、
歯車の1つに組み込まれ、電車に揺られる毎日の中で、
見失いかけていた物。落っことしていたビジョン。失われていた気持ち。
それらを一度に取り戻せたような気分だった。
『私は働いていません。好きな事をしているだけです。』
そうだ。僕が目指したのそういう人生だった。
「社会人」と呼ばれる人種のほとんどが、後ろ向きな心持ちで自信の仕事に向き合いがちなのは、もはやこの国ではデフォルトだ。
当たり前だろう。「やりたくない事」を「やらされて」いたら、誰だって嫌になる。
だけど、ご飯を食べて、食べさせてあげなくてはいけないから。
生きて行かなければならないから、自分の心に蓋をして毎日毎日「仕方なく」力を削る。
多くの人が無意識ながらに思う「労働」の中身は、いつの時代も大概がこうだろう。
けれど、自分の心を偽る事なく、そうは思わない人々も少なからずいる事は確かで、
そうした希有な人々の一部分が、ビルの様な人間なんだろう。
即ち、「やりたい事」を「望んでやっている」人達。
出来る事なら、僕も そうしたクラスタの中の一員になりたい。
最期に、「もう終わりかよ!まだまだやり残した事が山ほどあるのに!」とかどこかで聞いたような台詞を吐いてこの世を去りたい。
その為に今出来ることを、精一杯やるべきだなのだ。
トイレ掃除もゴミ捨ても、ストック整理もデータ入力も、
全てが未来に繋がっていると考えればいい。
長い長い距離を気持ちよく走り切る為に、今はスタートラインの前で力を溜めていると思えばいい。
そうやって意識を変えてみれば、ほら、いつだって未来は明るい。
『僕たちは毎日、白いキャンバスに自分という絵を描く。』
涼やかな6月の風が、シャツの裾を揺らす。
柔らかな光の中を、前を向いて、当分は歩いて行けそうだ。
あの老人の、ニンマリとした笑顔を思い浮かべながら。
※※※
再び重い腰を上げた今の自分を、
若く青かったかつての自分が真っ直ぐに睨みつけているのだと思うと、
少し歩幅を大きくする必要があるのかもしれないとも感じつつも、
同じ轍は踏まないよう、慎重に1歩ずつまた歩いていこうとも思うのである。
今とそう変わらない人間性であったらしい。
備忘録としてこの場に再掲。
※※※
楽園の鳥
2013年06月02日14:38
一昨日の夜は、興奮して寝付けなかった。
深夜営業のカフェに行き、コンビニで酒を買い足して、結局明け方まで起きていた。
「ビル・カニンガム&ニューヨーク」
http://www.bcny.jp/
出版業界、写真業界、映画業界、そしてファッション業界。
これらの業界に深く関わり、それらの業界の主とも言える著名人から
これ以上無く真っ直ぐに賞賛の言葉を贈られる、一人の老人のドキュメンタリー。
映画の内容は、検索をかければ恐らく膨大な数のレビューが散らばっているだろうから ここでは書かない。
そんな事よりも僕は、彼に、ビル・カニンガムという1人の男性に
自分が如何に心動かされたのかという事を、ここに書いておきたい。
備忘録の意味も込めて。
『ファッションは鎧なんだ。日々を生き抜く為の。手放せば、文明を捨てたも同然だ。』
彼のこの一言を聞いて(見て)、
大袈裟でも何でも無く、僕はまるで、救われたような気分だった。
自分の存在をきちんと肯定して貰ったかのような、
「大丈夫だ、間違ってないよ。」と、頭を撫でられたような心持ちだった。
「お前から[服]を取ったら何が残る?そういう奴はこの業界にごまんといる。つまんねぇ人間だよ。出直してこい。」
こんな事を、真っ直ぐ目を見据えて 僕はつい先日言われたばかりだった。
こんな素敵な言葉をプレゼントしてくれたのは職場の上司(先輩?)で、 体育会系が幅を利かせていた当時の業界を生きてきた人で、
「売り場は神聖な場所である」を信条としていて、
そして僕は、その人の機嫌を損ねてしまったものだから、こんなお言葉を頂戴したのだった。
ご丁寧に、「さっさと帰れ」というリボンまで付けて。
自慢じゃあないが、24年間近く服ばかりに狂って生きてきた。
「ファッションが好きだ」という気持ちなら、そんじょそこらの同世代には中々負けない自信だってある。
だから、上司からのあまりにも的を射たその一言に、僕のプライドは崩れ去った。
「その通りだ。」と思ったのだ。心の中で、深く頷いてしまった。
「ファッション」という要素を無くしたら、僕という人間は一体どう表現したらいい?
一体自分は何者だ?アイデンティティは何処にある?
お前は、本当に「ファッション」が好きなのか?
プレゼントを受け取って以来、そんな自問自答を繰り返す毎日。
そんな時に観たのが、このドキュメンタリー映画だった。
そんな時だったから、僕の心には強く深く、突き抜けるくらいに真っ直ぐに響いた。
ただ好きだというその気持ちだけでも、良いんじゃないか。
僕の生きてきた人生は、選んだ道は、描いた夢は、間違っていなかったんだ、と。
4月。
先延ばしにしていたモラトリアムの終わりが遂にやって来て、
歯車の1つに組み込まれ、電車に揺られる毎日の中で、
見失いかけていた物。落っことしていたビジョン。失われていた気持ち。
それらを一度に取り戻せたような気分だった。
『私は働いていません。好きな事をしているだけです。』
そうだ。僕が目指したのそういう人生だった。
「社会人」と呼ばれる人種のほとんどが、後ろ向きな心持ちで自信の仕事に向き合いがちなのは、もはやこの国ではデフォルトだ。
当たり前だろう。「やりたくない事」を「やらされて」いたら、誰だって嫌になる。
だけど、ご飯を食べて、食べさせてあげなくてはいけないから。
生きて行かなければならないから、自分の心に蓋をして毎日毎日「仕方なく」力を削る。
多くの人が無意識ながらに思う「労働」の中身は、いつの時代も大概がこうだろう。
けれど、自分の心を偽る事なく、そうは思わない人々も少なからずいる事は確かで、
そうした希有な人々の一部分が、ビルの様な人間なんだろう。
即ち、「やりたい事」を「望んでやっている」人達。
出来る事なら、僕も そうしたクラスタの中の一員になりたい。
最期に、「もう終わりかよ!まだまだやり残した事が山ほどあるのに!」とかどこかで聞いたような台詞を吐いてこの世を去りたい。
その為に今出来ることを、精一杯やるべきだなのだ。
トイレ掃除もゴミ捨ても、ストック整理もデータ入力も、
全てが未来に繋がっていると考えればいい。
長い長い距離を気持ちよく走り切る為に、今はスタートラインの前で力を溜めていると思えばいい。
そうやって意識を変えてみれば、ほら、いつだって未来は明るい。
『僕たちは毎日、白いキャンバスに自分という絵を描く。』
涼やかな6月の風が、シャツの裾を揺らす。
柔らかな光の中を、前を向いて、当分は歩いて行けそうだ。
あの老人の、ニンマリとした笑顔を思い浮かべながら。
※※※
再び重い腰を上げた今の自分を、
若く青かったかつての自分が真っ直ぐに睨みつけているのだと思うと、
少し歩幅を大きくする必要があるのかもしれないとも感じつつも、
同じ轍は踏まないよう、慎重に1歩ずつまた歩いていこうとも思うのである。
I'm home
2018.01.14 Sunday
スケジュールの管理にスマートフォンのアプリをずっと使っている。
紙の手帳も併用していた時期が暫くあったのだけど、常に必ず携帯しているという事は代替し難く便利なもので、結局はアプリに一元化してしまい、どころか最近は色々な物がこの掌に収まる端末で全て管理出来てしまっている。便利であり、愉快であり、そして少しだけ不気味な時代だな、と思う。
スケジュールアプリというものを一度でも使った事がある人はお分かりになると思うけれど(というか今のご時世にそういうアプリを一度も目にしたことすら無い人などいないと思っているけれど)、目視し易くするために予定の内容によってバーの色を変える事が出来る事が常であって、当然の事ながら自分もそうした使い方を取り入れた当初からずっとしている。ついさっき、直近で入った新しい予定を入力し終わって、ふと思い立って二年前の同日を振り返ってみた。
二年前。2016年。3月頃から加速度的に日々の予定が増えていって、それはつまり自分個人が色々と動き出した事の証左に他ならないのだけれど、夏が終わって秋に入り冬が本格的に猛威を振るうようになるくらいまでの期間、僕のスケジュールのマスはそれはもう窮屈そうな状態がずうっと続いていたのだった。
しかしそれから、去年。2017年。左に指をスワイプしていくにつれて徐々に徐々にバーの数は減り始め、春が終わりを迎える頃には週に一回予定があればいい方、そして夏真っ盛りの時期には遂に、完全に白紙の状態となっていた。
心が死んでいた一年だったなぁ、と。去年一年間を振り返って、思う。
半分以上、というかほぼ全て自分の不始末というか実力不足というか何というか、僕という人間の「足りていないもの」によって引き起こされた事態の連続によっての事なので誰かに対して愚痴の様な形で吐き出す事も出来ず、新しい物を取り入れる事も忘れ、というよりもむしろ忌避し、当たり前の事が当たり前でなくなって少しずつながら確実に感性と意欲が冷えていった日々であった。そうした毎日の中で時折周りを垣間見れば、溌剌とがむしゃらに走り続けているかつての知人友人の姿があって、そんな彼等の姿を受けて奮起するどころかより沈殿していく自分の感情により一層嫌気が差していく、というような事の繰り返し。(ついでに言えば体重は3,4カ月で10kg近くも増えていた)
だが、人生レベルで更に振り返ってみれば、こうした精神状態の上がり下がりというのは実はこれまでに何度もあって、(抜け出した今だからこう思えているのだろうけれど)結局いつかは出口があってまた立ち上がる時が必ず来るというのも僕は経験則として知っている。何がきっかけだったのかは少し気恥しい話になるのでここではとても書くことは出来ないけれど、とにかく、今はまた前を見て、生産的な思考回路でポジティブに、口笛でも吹きながら少しずつ、再び調子に乗れそうな気がしている。(ついでに言えば体重は元に戻り、今ではすっかりまたガリガリ状態)
「良かった、生きてて。心配したよ」
「落ち込むとネットから姿を消す癖は相変わらずだな」
「這い上がってこい」
「おかえり。待ってたよ」
様々に、口々に僕に対して言ってくれる人が今も昔も自分の周りには沢山いるから、だからきっと今回も、そしてこれからも何も問題などないのだ。キープマイペースだけ忘れなければ、それだけできっと、僕は大丈夫。
色とりどりのバーで溢れたカラフルな毎日を今後また再び作り出せるのは今日からそう遠くないだろうと、ある種確信的に今、この文章を打ちながら感じている。
紙の手帳も併用していた時期が暫くあったのだけど、常に必ず携帯しているという事は代替し難く便利なもので、結局はアプリに一元化してしまい、どころか最近は色々な物がこの掌に収まる端末で全て管理出来てしまっている。便利であり、愉快であり、そして少しだけ不気味な時代だな、と思う。
スケジュールアプリというものを一度でも使った事がある人はお分かりになると思うけれど(というか今のご時世にそういうアプリを一度も目にしたことすら無い人などいないと思っているけれど)、目視し易くするために予定の内容によってバーの色を変える事が出来る事が常であって、当然の事ながら自分もそうした使い方を取り入れた当初からずっとしている。ついさっき、直近で入った新しい予定を入力し終わって、ふと思い立って二年前の同日を振り返ってみた。
二年前。2016年。3月頃から加速度的に日々の予定が増えていって、それはつまり自分個人が色々と動き出した事の証左に他ならないのだけれど、夏が終わって秋に入り冬が本格的に猛威を振るうようになるくらいまでの期間、僕のスケジュールのマスはそれはもう窮屈そうな状態がずうっと続いていたのだった。
しかしそれから、去年。2017年。左に指をスワイプしていくにつれて徐々に徐々にバーの数は減り始め、春が終わりを迎える頃には週に一回予定があればいい方、そして夏真っ盛りの時期には遂に、完全に白紙の状態となっていた。
心が死んでいた一年だったなぁ、と。去年一年間を振り返って、思う。
半分以上、というかほぼ全て自分の不始末というか実力不足というか何というか、僕という人間の「足りていないもの」によって引き起こされた事態の連続によっての事なので誰かに対して愚痴の様な形で吐き出す事も出来ず、新しい物を取り入れる事も忘れ、というよりもむしろ忌避し、当たり前の事が当たり前でなくなって少しずつながら確実に感性と意欲が冷えていった日々であった。そうした毎日の中で時折周りを垣間見れば、溌剌とがむしゃらに走り続けているかつての知人友人の姿があって、そんな彼等の姿を受けて奮起するどころかより沈殿していく自分の感情により一層嫌気が差していく、というような事の繰り返し。(ついでに言えば体重は3,4カ月で10kg近くも増えていた)
だが、人生レベルで更に振り返ってみれば、こうした精神状態の上がり下がりというのは実はこれまでに何度もあって、(抜け出した今だからこう思えているのだろうけれど)結局いつかは出口があってまた立ち上がる時が必ず来るというのも僕は経験則として知っている。何がきっかけだったのかは少し気恥しい話になるのでここではとても書くことは出来ないけれど、とにかく、今はまた前を見て、生産的な思考回路でポジティブに、口笛でも吹きながら少しずつ、再び調子に乗れそうな気がしている。(ついでに言えば体重は元に戻り、今ではすっかりまたガリガリ状態)
「良かった、生きてて。心配したよ」
「落ち込むとネットから姿を消す癖は相変わらずだな」
「這い上がってこい」
「おかえり。待ってたよ」
様々に、口々に僕に対して言ってくれる人が今も昔も自分の周りには沢山いるから、だからきっと今回も、そしてこれからも何も問題などないのだ。キープマイペースだけ忘れなければ、それだけできっと、僕は大丈夫。
色とりどりのバーで溢れたカラフルな毎日を今後また再び作り出せるのは今日からそう遠くないだろうと、ある種確信的に今、この文章を打ちながら感じている。
もう幾つ寝ると。
2017.12.26 Tuesday
「年末」という言葉を聞くにつけ見るにつけ、そして自らも口に出すその度に自分が一番最初に連想するのはやはり実家の事だったりする。
28年間生きてきて、1,2回のイレギュラーを除いて年末年始は某県の田舎に住む父方の祖父母の家で過ごすというのが我が家の恒例であって、30日は大掃除とお節作りを手伝い、31日は炬燵に入って紅白を見ながら大人は麻雀をし、鐘が鳴る頃に目一杯着こんで近所の小さな神社へと二年参りに向かって、帰ってきて少し寝たら翌日は大きなお稲荷さんへ必ず全員参加で初詣に。というのが、きっと自分が生まれるよりも前からの我が家の年末年始のスケジュールである。
寒い中で嫌々やる大掃除のしんどさとか、その後に食べる汁粉の甘さとか、神社に向かう途中の風の冷たさというものが自分の中には深く浸透している気がして、逆に言えばそれが欠けてしまった年というのはどうにも年を越した、新年だという実感が薄くって、良い節目とは言えないような気さえしている。
子供の頃、大晦日の夜にだけは大人達と一緒になってずっと起きていても怒られない事が妙に嬉しくて、まるで自分もそこにいる大人達の仲間入りをしたような心持ちでいられるあの空気感というのが、背伸びをしたくて仕方がなかった当時の自分には嬉しくて楽しくてたまらなかった。大人と呼ばれるような年になった、なってしまった現在。「未来」に思いを馳せるよりも「過去」を振り返る事の方がどうしても多くなってきた日々の中で、ただそれでもこの日だけは少しくらい振り返ってもバチは当たらんだろうと思えるからこそ、年の暮れなのだと感じている。
今年一年を振り返る為の、普段より少しだけ長い夜。きっと日本中、世界中で数えきれない人達がそれぞれの場所でそれぞれに、去っていった日々をゆっくりと思い返しているのかと考えると、真昼間からアルコールに侵された頭で「大人になるのも案外、悪くないもんだなぁ」なんて、どこかで散々見て聞いてきたような、当たり障りの無い在り来たりな表現を、ここ最近は性懲りもなく毎年頭の中に浮かべながら炬燵に半身を突っ込んでいる。
そんな感じで。
サンタが去ったばかりで一足早くはありますが、皆様どうぞ良いお年をお過ごしください。
28年間生きてきて、1,2回のイレギュラーを除いて年末年始は某県の田舎に住む父方の祖父母の家で過ごすというのが我が家の恒例であって、30日は大掃除とお節作りを手伝い、31日は炬燵に入って紅白を見ながら大人は麻雀をし、鐘が鳴る頃に目一杯着こんで近所の小さな神社へと二年参りに向かって、帰ってきて少し寝たら翌日は大きなお稲荷さんへ必ず全員参加で初詣に。というのが、きっと自分が生まれるよりも前からの我が家の年末年始のスケジュールである。
寒い中で嫌々やる大掃除のしんどさとか、その後に食べる汁粉の甘さとか、神社に向かう途中の風の冷たさというものが自分の中には深く浸透している気がして、逆に言えばそれが欠けてしまった年というのはどうにも年を越した、新年だという実感が薄くって、良い節目とは言えないような気さえしている。
子供の頃、大晦日の夜にだけは大人達と一緒になってずっと起きていても怒られない事が妙に嬉しくて、まるで自分もそこにいる大人達の仲間入りをしたような心持ちでいられるあの空気感というのが、背伸びをしたくて仕方がなかった当時の自分には嬉しくて楽しくてたまらなかった。大人と呼ばれるような年になった、なってしまった現在。「未来」に思いを馳せるよりも「過去」を振り返る事の方がどうしても多くなってきた日々の中で、ただそれでもこの日だけは少しくらい振り返ってもバチは当たらんだろうと思えるからこそ、年の暮れなのだと感じている。
今年一年を振り返る為の、普段より少しだけ長い夜。きっと日本中、世界中で数えきれない人達がそれぞれの場所でそれぞれに、去っていった日々をゆっくりと思い返しているのかと考えると、真昼間からアルコールに侵された頭で「大人になるのも案外、悪くないもんだなぁ」なんて、どこかで散々見て聞いてきたような、当たり障りの無い在り来たりな表現を、ここ最近は性懲りもなく毎年頭の中に浮かべながら炬燵に半身を突っ込んでいる。
そんな感じで。
サンタが去ったばかりで一足早くはありますが、皆様どうぞ良いお年をお過ごしください。