弊社の歴史
2009年07月20日
本日は弊社の歴史でもお話しいたします。 なぜ、我々がこの様な世間様から冷ややかな目で見られる様な、復讐屋や別れさせ屋などと謳う危険な特殊工作業をやっているのか。 弊社は元々は個々で活動しており、今の様なシークレットジャパンという組織を組んでやってはおりませんでした。 まず記事更新している私本人は、2000年代にIT企業が世間様にIT、ITと浸透して来た頃、東京、名古屋、大阪のIT企業専門のトラブル解決を専門に弁護士などと手を組んでやっておりました。と言うのも、その時代、IT企業はバブルを迎え、その反面凡ゆる人間から目をつけられ、脅され金を強請られるというトラブルが後を断ちませんでした。 私のモットーとしては、一般企業と付き合う以上は反社会勢力などの力は一切借りず、私と周りの仲間で解決するということに徹して時にはその様な反社会勢力の人間も相手でと臆することなく数たるトラブルを解決してきました。 実績を積み重ね自信がついた頃、とある芸能プロダクションの社長さんからある人物を紹介されました。 その人物(以後X氏とします)が今では、このシークレットジャパンを共に立ち上げた人物の一人なのですが、その紹介してもらった理由が、X氏の父親が某大手広告代理店の社員に投資話を振られ、多額のお金を騙されたというお話しでした。 X氏の父親は、多額のお金を騙された責任を感じ自殺未遂をして一命を取り止めましたが、脳に障害が残ってしまいました。 警察にも訴え出たが、詐欺としての立件は難しいとのこと、腰をあげてはくれず、X氏は父親をこんなにした人間に復讐心を抱く様になり、自ら行動を起こすことにしました。 ただ、相手の情報も乏しく、どうしていいか途方に暮れた時に知人の芸能プロダクションの社長に相談したところ、私と仲間の弁護士を紹介するとのことで、私たちは出会いました。 お世話になってる方から是非、力になってあげてくれとのことだったので、最初は渋々でしたが協力することに。 ただ、その当時は決して特殊工作と呼べるものではなく、ただの仕返しと騙された金の回収に必死に闇雲に動き回りました。 ただ、私とX氏の自慢は人脈の多さでした。 お互いの凡ゆる人脈を駆使して、情報を買ったり、協力要請をしたりをして、とにかく必死でした。 その結果、時間はかかりましたが見事に犯人を追い詰め、金銭の回収に成功しました。 その時に、達成感と、犯人を追い詰めた時の妙な快感を覚えたのです。 それは、X氏も一緒でした。 これはビジネスになると踏んだ私たちはお互いの人脈を駆使して、凡ゆる人材を集めこの様な特殊工作団体を結成しました。 最初は集客も出来ず依頼は皆無でしたが、知り合いを通じて依頼をもらう様になり、徐々に実績を積み重ね凡ゆるジャンルの依頼を解決してきました。 そしてもう一つ我々の業務が広がる事件が一つ起こりました。 それは、依頼主から別れさせ屋を使って彼女と別れさせられた相手に復讐をしてほしいと言うものでした。 当時、私は別れさせ屋という存在は知っていたものの、別れさせ屋は詐欺の一環でまともな業者なんていないと勝手に解釈していたのです。 ですが、依頼主から話を聞くと、実際に存在する事がわかり、知人の探偵を辿り別れさせ屋を紹介してもらい、話を聞く事が出来ました。 確かに詐欺や真似事が多い業界ではあるが、まともな業者も存在するということ。 この様な業態は日本だけかと思いましたが、 その方は在日韓国人の方だったのですが、別れさせ屋と言うものは言い方は違えど中国などの財閥などが自分の気に入った異性を手に入れるために、その恋人と別れさせる組織が存在し、韓国にもそらが渡り韓国にも別れさせ屋が存在するという歴史も教えて貰いました。 そして、この別れさせ屋とも提携を結ぶ事により弊社で別れさせ工作も取り扱う様になり、今では特殊工作、特殊依頼を扱う組織と成長しました。 決して、世間様からは理解の得れる世界ではありませんが、誰もが必要になるシーンが訪れるからこそ需要があり私たちの存在が成り立ちます。 世の中にはどうにもならないことが起きます。その時に私たちに相談してみてください。力になれるかもしれません。