わたしの「昭和歌謡」

2022年5月17日 07時53分
 令和の今、「昭和歌謡」が注目されている。あの時代に生まれ育った人には懐かしく、デジタル世代の若い人には新鮮に響く。昭和は長く、歌謡曲は幅広い。世代の違う三人に、それぞれの昭和歌謡を語ってもらった。

<昭和歌謡> 戦前には、藤山一郎が歌った「丘を越えて」などがヒットした。戦後、最初のヒット曲は、並木路子と霧島昇の「リンゴの唄」。1945年10月公開の映画の主題歌だった。49年には、美空ひばりがレコードデビュー。高い歌唱力で「天才少女歌手」と呼ばれた。51年からNHK紅白歌合戦が始まる。60年代後半にはグループサウンズ(GS)が若者たちの間で流行。72〜73年には森昌子、桜田淳子、山口百恵の「花の中3トリオ」がデビューし、以降、多くのアイドル歌手が誕生した。

◆演歌の心 血に脈々と 映画評論家、パーソナリティー 浜村淳さん

 一口に言って、昭和は長かった。だから「昭和歌謡」といっても人によって捉え方はいろいろでしょう。私が強く感じるのは、暗くて悲しい歌が非常に多いということです。「酒は涙か溜息(ためいき)か」「人生の並木路」など、特に女がつらい、悲しい思いをする歌がね。
 つまり演歌です。心の底に根付いた恨みが表れたもの。私は昭和四十年代から長く「全日本有線放送大賞」の司会をしました。いつも最初にこう言ったものです。「恨みの歌か、艶歌(つやうた)か、演ずる歌か、人生の応援歌か。いずれにしても『エンカ』は庶民の心の歌です」
 私が考える「昭和歌謡」は、やっぱり古賀政男先生の作品です。「悲しい酒」はまさに演歌の代表。作詞なら西条八十先生。一番、二番、三番とストーリーになっている。中でもいいのは美空ひばりさんが歌った「越後獅子の唄」です。
 今は演歌を聴く人も少なくなりました。生活のスタイルが変わって、演歌の雰囲気が合わない。歌謡曲の司会のやり方も変わりましたよ。昔の歌の紹介は七五調で「海のにおいが恋しさに、かわいい娘に手を引かれ、やって来たんだ今日もまた、ああ『波止場だよ、お父つぁん』」。やがて七五調はクサいということで消えて普段の語り口調になり、ついには「こまどり姉妹が歌います『ソーラン渡り鳥』。はいどうぞ」。何にも言わなくなった(笑い)。
 でも演歌をばかにしてはいけません。かつて米国を旅行した際、ニューヨークの居酒屋で、長髪、茶髪の日本人の若者たちがカラオケで次々と演歌を歌っていた。聞くとロックの勉強中だという。日本人の血の中には脈々と演歌の心が流れているんですね。考えてみれば、米国生まれのブルースと演歌には共通の心情が歌われている。彼らが演歌を再発見したのも不思議ではありません。
 だから、ほそぼそかもしれませんが、演歌が滅びることはないと信じています。ポップス好きの若い人たちが五、六十代になって演歌にのめり込むんじゃないかと。村田英雄さんの「人生劇場」に「義理がすたればこの世は闇だ。なまじ止めるな夜の雨」という一節がありますが、そういう世界と、七五調の語りを懐かしく感じる日が来る。ジャズ喫茶の司会でこの世界に入った私が演歌にはまったように。 (聞き手・大森雅弥)

<はまむら・じゅん> 1935年、京都市生まれ。大阪・MBSラジオで月曜から土曜の毎朝、生放送の「ありがとう浜村淳です」は来年、50年目を迎える。映画や源氏物語にも詳しい。

◆世代超え話せる宝物 シンガー・ソングライター 町あかりさん

 中学三年生のとき、たまたま見たテレビの特番で、キャンディーズを知りました。なんてかわいい人たちなんだろう。曲もすてき。それが歌謡曲との出会いでした。別の番組で見た沢田研二さんも、すごく格好よくて大ファンになりました。
 歌謡曲をきっかけに音楽に目覚め、高校ではフォークソング部に入りました。私が松田聖子さんの「青い珊瑚礁」をギターを弾きながら歌うと、友達も興味を持ってくれて。いい曲は時代を超えるんですね。
 昭和の曲はインターネットで調べています。探せば探すほどいい曲が出てきて、宝探しをしているような感覚です。「後追い世代」の私には、ヒットした曲なのか、有名な曲なのか、という当時の知識はありません。でも、だからこそ、先入観なく好きな曲に夢中になれる面もあると思います。
 ヒット曲を意外と知らなかったりするので、「リアルタイム世代」の方と話していると「この曲、知らないの」と聞かれることもあります。逆に「そんな曲、なんで知ってるの」と驚かれることもあります。
 田原俊彦さんの「カフェバー物語」は、そんな曲です。B面の曲ですが、私は大好き。岩崎宏美さんの「未来」、山口百恵さんの「喪服さがし」も、お二人の代表曲ではないかもしれないけど、私は好きです。
 世代の違う方と共感し合うのは、難しいところがあります。私も年齢が離れた方と話すときは緊張してしまいます。でも、昭和の歌謡曲なら分かるし、興味もあるから、一緒に盛り上がれます。音楽が世代をつないでくれるんです。私にとっては大切な宝物ですね。
 昭和の時代には、テレビやラジオでみんなが同じ曲を聴いていました。ということは、ヒットした曲は子どもからお年寄りまで、みんなが知っているということですよね。作り手側も、それを意識して作り、歌っていたと思います。私は、そんな昭和にあこがれます。
 歌謡曲には、いろいろなタイプの曲があります。ピンク・レディーの「UFO」のようにドキドキする曲もあれば、浅田美代子さんの「赤い風船」のようにほっとする曲も。そこが面白いんです。私も、いろいろな種類の曲を作り、子どもからお年寄りまで皆さんに聴いてもらえたらいいなと思っています。 (聞き手・越智俊至)

<まち・あかり> 1991年、東京都生まれ。昭和の文化が好きで、著書に『町あかりの昭和歌謡曲ガイド』『町あかりの「男はつらいよ」全作品ガイド』。カバーアルバムに「それゆけ!電撃流行歌」。

◆生音の良さ 若者支持 音楽評論家 スージー鈴木さん

 「昭和歌謡」という言い方は極めて漠としていて好きではないのですが、僕的には一九七〇年代前半〜八〇年代半ばの音楽という感じがします。作曲家の筒美京平、作詞家の阿久悠、松本隆ら選ばれし才能が、知恵と時間、お金をふんだんにかけて老若男女を熱狂させるような、多面的な魅力を持った音楽を生み出した時代と言えます。
 そして、それらは今、聴いてもやはり素晴らしいし、どうやら今の若者にとっても良いようです。「少年隊ってすごかったんだね」「沢田研二は歌がうまい」という声を聞きます。
 若者の間で昭和歌謡が再評価されているのはなぜなのか。デジタルにはないアナログの響き、生音の響きの良さに気付いたからでしょう。「生感」を求めて音楽フェスに若者が押し寄せるように、作詞家や作曲家、編曲家、演奏者、録音技師、歌手、いろんな人が携わった昭和歌謡の生感が、Z世代にとって新しく豊かなものとして伝わったのだと思います。
 一方で、若者が今、聴いている音楽が昭和歌謡っぽくなってきているなとも感じます。僕は「令和歌謡」と名付けましたが、似ているのは曲の短さ、マイナーキー(短調)の暗い曲調、メランコリックな歌詞である点。昭和歌謡も、一曲が三分台に収まり、暗いマイナーな曲調が特徴です。
 対して「平成Jポップ」は一曲五分台は当たり前、明るくキラキラとしたメジャーキー(長調)が中心です。みんなで盛り上がって歌うカラオケブームもこれを後押ししたと言えます。米津玄師、King Gnu、藤井風らに代表される令和歌謡には、この平成Jポップからの反動もあるでしょう。変遷の裏にはレコード盤からCD、サブスクリプション(定額制)へとメディアの違いが大きい。
 とはいえ、令和歌謡の昭和歌謡っぽさは偶然、要素が似たというのが実態に近いのかも。彼らの音使いやメロディーラインを聴くに、音楽に博識だと思いますね。YouTube(動画投稿サイト)などのデジタルツールで昔の音楽を簡単に聴ける環境にあるので、音楽偏差値が高い。昭和歌謡や洋楽など昔の音楽のエッセンスを生かして曲作りをするミュージシャンの登場が、昭和っぽい音楽のブームに拍車を掛けているのでは。彼らがどう音楽を進化させていくのか、これからが楽しみです。 (聞き手・飯田樹与)

<すーじー・すずき> 1966年、大阪府生まれ。昭和歌謡から最新ヒット曲までをラジオや紙面で評論。小説家、ラジオDJとしても活動している。著書に『平成Jポップと令和歌謡』など。


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