ルーミアだけど、どうやらめっちゃ強いらしい 作:ポンデーニュ
ルーミアは正気を失った!!
森の中の小さな隠れ場。
それは上空から見ると、ちょうどそこだけがぽっかりと空いた穴の様であった。
彼女は目の前の金髪の少女を捉える。そしてその姿を目で追う。
無表情、全く感情が読み取れないその瞳は、ただ人知れずに燃え続けるルビーのようであった。
ルビーですら何故燃えているのかは分かっていない。そこに自己が存在しているという、その主張をする為だけなのかもしれない。
しかしながらそこには、いつものような瞳の輝き、生命的な光は宿っていなかった。あまりにもそれは無機質だった。
そこにあるのは、ただ目の前の獲物を食べてしまいたいという、欲望そのもの。
対峙するは少女、八雲紫。
帽子や日傘はない、真っ白なドレスに時折赤と黒、彼女を象徴するスキマを思わせるような装飾が施されている。
今のルーミアにとっては、そんな造形のことなんて、些細なことだ。
「貴女、一体どういうものなの?」
紫の言葉は全く耳に入らない。
これから胃の中へとすんなり納まるものに対して、何か考えを構築しようなんて一々思わないのだ。
――びっくりさせちゃったのかしら。
こちらは紫、目の前のなんだか不思議な少女の敵意には気づいていない。
否、それは敵意とは違った。
純粋で全く悪意のない、誰しもが持つ根源的な欲求、食欲そのものだった。
とりわけ敵意や悪意に敏感な紫は、だからこそ全く気づくことができなかった。あまりにもそれは純粋すぎたのだ。
真水のようにさらさらと流れゆき、雪のようにふらふらと、周りを気にしないように、独りでに振る舞うそのあどけない感情に、気づきようがなかった。
紫は岩から降りて、少しルーミアと距離をとった。
恐怖だったり警戒だったり、そんな危険を読み取ったから行ったわけではない。単純に、少し俯瞰してルーミアを見ようと思った、観察眼的な考えだった。
やがて、互いの視線が交差する。
一人はただ、好奇心と純粋な疑問から。
一人は心の底から湧き上がる、真っ直ぐな欲を満たす為に。
二人の間には、何故だか騒々しい風も流れない。木々の揺らめきによって生じる音もなかった。ただ、悠久の時すら儚く思えるほどの、なだらかで平坦な時間が流れていった。
「!」
先に動きだしたのはルーミアだった。
目の前のモノを胃の中へと落とし込む為に、彼女はゆるりゆるりと紫の元へと歩く。一歩、二歩、それが当然のように、繰り返されすぎて単純化された作業のように、確実に、ゆっくりと歩く。
「…どうかしたの?」
ルーミアは返答しない。
ただ黙って、紫という存在を眼球で捉え、口をどう動かしてバラバラに砕いてやろうか考えるのみ。
三歩、四歩…歩く。表情はない、目も口も、顔を構成するパーツはなんの感情も示していない。
そんな様子を黙って見つめる紫。
こんなにも理解できない存在を見つけたのは、初めてのことだった。
彼女が一番大事にすることの一つに、相手より優位に立つというものがあった。
その為には敵を知り、自分との差異や共通点を知り、念入りに計画と算段を立て、時間を余すことなく使う。
スキマはそれに最適だった。相手に気づかれることなく、安全圏から予習ができる。
それを今、紫は考えていなかった。考えようともしなかった。
ルーミアという存在を知り、直ぐにこうして対峙した。そのあまりに解することのできない存在を目の当たりにして、観察する所の話ではなくなってしまったのだ。
八雲紫はスキマ妖怪である。
そしてそれ以上に、彼女は、好奇心の奴隷だった。
初めて知った存在、境界が通用しない存在。
ここのところあまりにも退屈な日々を送っていた紫にとって、ルーミアはとても魅力的に映った。
いてもたってもいられなかったのだ。
後に賢者と呼ばれるこの妖怪は、この時、まだ未熟であった。
ルーミアは歩く、自分に正直に、歩を進める。
この時何を考えていたのか、臓物を引きちぎる感触に思いを馳せていたのか、それとも躁に操られ引っ張られる感覚の心地良さに、ただ正直だったのか。
そしてやがて、ルーミアは紫に対し手が届く位置まで到達したことを知った。
紫は不思議なものを見る面持ちで、それをじっと見つめる。特に動こうともしなかった。
「なっ!」
それからは早かった。
ルーミアは紫の白い首筋へと噛み付こうとする、右足に少し力を込めて、口を大きく開け、そうして小さく飛びかかって肉を噛みちぎる、ちょうど肉食動物が獲物に襲いかかるように。
それはただ目を見開いて、紫の肉を体の一部に取り込もうとすることしか考えていない行動だった。
紫は既のところで回避する。身を捩って、体を後退させた。
ルーミアは噛み付く的を失って、そのまま地面に倒れ込む。
思わぬ事態に状況が理解できないのは紫。
もう一度、名も知らない奇妙な少女を視界に入れる。
――私を、食べようとした?
殴りかかろうとしたわけでもない。
引っ掻こうとしたわけでもない。
勿論抱きつこうとしたわけでもない。
…殺そうとした、というのも少し語弊がある。
あの白く鋭い歯を見れば分かる。あれは確実に、私に噛み付こうと、食べようとしていた。殺すのではない、食べようとしていたのだ。
初めて抱いた、自分が食べられる所であったと理解した時に訪れる感情。野生動物に襲われたことはある、知能すら持たない獣に、捕食の対象にされたことはある。
しかしこれは違う。明らかに目の前の少女は獣とは違って理性があるはずだった。その上で私を食べようとしたのだ。
未だに殺意や敵意は感じない、あるのはただ、私を食べようという未知なる動機のみ。
「ちょっと、いきなり何するのよ!」
対話を試みる。
紫はとにかく、ルーミアの事が気になって仕方がなかった。
自分が襲われた、食べられそうになったという事実よりもまず、その好奇心が強く彼女の中で蠢いていた。
「……」
答えず。
ルーミアは起き上がって、両膝を地面につき、ただ紫を見つめるだけだ。氷のような表情、その紅い瞳は相も変わらず全く揺れない。
「ね、ねぇ…貴女、言葉分かる?」
やはり答えず。彼女は口をぴくりとも動かさない。
しかし一つだけ変化があった。
ルーミアは右手をかざし、それを紫へと向けた。
正確には紫の足の辺りに向けた。
「な、何よ?」
何かが起こる。
紫は心の底から脳に至るまで、そして手足が痺れそうになるくらい、その何かが起こると確信した。
経験によるものではない、事実、紫はこの時、まだ生まれて数百年程度だった。
しかし紫は感じ取った。
それは本能と、そして類稀なる資質、才能からだった。
「……!」
何か、何かがルーミアの掌に集中している。
エネルギーを伴った強い力、しかしその正体が分からない。
不気味なルーミアの仕草に、尚も疑問の濁流が続く。
しかしそれ故に、紫はルーミアに釘付けだった。目が離せなかった。
彼女は従順な奴隷だったのだ。好奇を主人とする、飼い慣らされた奴隷だったのだ。
ルーミアの右手からは、時折黒い小さな稲妻がこぼれるように放たれている。
何かが焼けるような、引き裂かれるような音がその度に小さく響いた。
「!」
途端、轟音。
木々が大きく揺れ、驚いた鳥達が空へと飛び立つ。
それは先程まで紫が居た地面を大きく抉った。
完全に無かったかのように、そこだけが小さな穴となって、浮いているのだ。
――あくまで私を食べる気ね…!
紫は闇の弾が放たれる直前に大きく飛んで、それを回避した。彼女の危機管理能力があってこその読みだった。
弾は紫の足元を狙っていた。
動けなくなった紫を食べるつもりだったのだ。
――あの弾、存在を消滅させている…?
紫は宙に浮きながら、抉れた地面を見下ろす。
普通何か衝撃が加えられて地面がこうなった時、そこにおいて境界というものは更新されるはずだった。地面とその上との、その境い目が変わるということだ。
しかしこの、先の弾によって抉れた地面は、紫にとって訳の分からないものだった。
境い目そのものが元からこうであったように、書き換えられていたのだ。更新ではない、地面は''最初からこうであった''様子だ。
ぞくぞくとした気味の悪い感情が紫の背から這い寄った。それに対して彼女は身震いをした。
しかし紫はまだ、その心情の正体には気づいていない。
ルーミアはようやく二本の足を使いこなし立ち上がった。そうしてさらに追撃を加える。
今度は一つではない、複数に渡って闇の弾が形成され、それらは生成されると同時に不規則な動きをした。
バラバラに、無造作に発射された弾たちは、やがて静止すると、今度は紫目掛けて様々な角度から飛んで行った。
「冗談じゃないわっ!」
アレに当たればどうなってしまうのか、さすがにそこまで好奇心は配慮してくれなかった。
放たれた弾は四つ。
紫は高度をぐんぐん上げ飛行しながら、まず最初に到達し得る弾に対して境界からの干渉を試みた。
が、失敗。
――分からない、こんなの初めてだわ!どうしてこんなにもぼんやりとしているのっ!?
弾が目の前まで迫る。彼女は自身の空間座標を移動し続けそれを躱す。
宙に浮いた状態でのその動きは、完璧だった。洗練された動作だった。
残るは三つ。
内一つは余裕をもって回避、一回転して優雅に避ける。次の一つはちょうど紫が避けた位置めがけて飛んできていた。
少しかすりかけたが、彼女はそれも見事に避ける。
紫にしてみれば、造作もないことだ。
いよいよ弾は最後の一つになった。
紫はもう一度、そのラスト一つに対して、本当に境界を利用し干渉することが出来ないか試すことにした。
基本的にどんな攻撃も、いや、攻撃だけではない。飛んでくるものであれば全て、飛ぶために必要なエネルギーを消費している。弓矢でも妖怪が放つ火の玉でもなんでもそうだ。
そのエネルギーの境界を弄ってしまえば、どんなものでも途端に力を失って落下、もしくは消滅するはずであった。
紫は試した。今度は先程よりもより深く、より集中した。
いつものように、その闇の弾だけを意識し、境界を探る。
深く深く、彼女は境が交わる神秘的な世界に落ちていく。身も心もそこへと沈めていく。
理論的ではない、彼女にとっては感覚だ。人が右手を握るのと同じように、感覚だ。
しかしやけに焦点が定まらない。何故だか自身の体が小刻みに揺れて止まないのだ。
そうして少しの間苦戦した後、彼女はようやく境界の理から抜け出た。
――見えない、やっぱり見えない!!
またしても、それは無駄に終わっていた。幾度となく目を凝らしても、何度確認しても境が見えない。
ぼやけた弾は、その周りの空気に溶けだしているようだった。どこからが弾なのか、それが全くつかめない。
ルーミアと同じく、この弾も存在があやふやだったのである。
「もうっ!何がどうなってるのよっ!!」
彼女は憤りを顕にした。癇癪に近いものだった。
それを表に出しながら、するりと最後の弾を避ける。
先程までの好奇心は、こうして何度もトライアンドエラーを重ねることでいつの間にか苛立ちに変わっていた。
そしてこれは、一方的ではあるものの、知的生命体同士による世界初の弾幕を交えた戦闘となった。
この時紫が行った、弾に当たらないように宙を縦横無尽に舞い避けきるという動作が、後に彼女がスペルカードルールを考え付くきっかけの一つになる。
その一方、地上ではルーミアが紫を捉えていた。
――あ、れ?私、何してるんだろう?
ルーミアは空を見上げる。
春先、心地よい空気と温度。
しかしなんだか、彼女にとっては酷く嫌なものに思えた。
――まあいいや、美味しそうだし。
彼女は飛ぶ。
空を飛ぶのは好きだった。
風になるのが好きだったからだ。
「!?」
紫はこの時、初めて自分以外に宙に浮くことが出来る人型の存在がいるということを知った。
それからまた、ルーミアに対する、その正体を知りたいという強い好奇心が顔を覗かせた。
さらにもう一つ、先程這い寄った感情、彼女はその正体をようやく理解する。
――私が、怯えている…?
それは恐怖だった。
彼女は、震えていた。
自分という存在は圧倒的上位に位置する筈だった。事実、それは強ち間違いではない。
八雲紫という妖怪は、大妖怪という言葉すら品格を貶める程の資質を持っている。
彼女は身の危険、あるいはまた、恐怖といったものを、それこそ世に生まれ落ちた''あの時''以来感じたことがなかった。
ルーミアは紫へと接近する。何もそこまで速い訳ではない、昼の身体能力は、紫に到底及ばない。
しかしその事実以上に、彼女を好奇心の渦へと駆り立てた''分からない''という感情。
それがいよいよ、恐怖へと変わりつつあった。
紫の目には、ルーミアはとてつもない速さで迫ってくるように映ったのだ。
紫は考えた。
この少女は、ひょっとすると自分を脅かす存在かもしれない。彼女は、本当に私のことを食い殺してしまうかもしれない。
そして脈打つ心臓の鼓動が、その考えを増長させる。
これまで反撃しなかったのは、目の前の少女があまりにも異質な存在であり、もっとその様子を観察したいという考えの他に、どこか自分に敵う存在など世に居る訳がないという慢心もあった。
しかし正体不明の攻撃に加え、こうして宙に浮くことだってやってのけたのだ。
紫はいよいよ反撃を決意した。
まずはローリスクローリターンの攻撃で様子を見よう。
彼女はスキマを展開し、中から大木を放出する。
いつの日か、紫がいくつかの木を丸ごとスキマで飲み込んだ時の残りだった。
――さぁ、どう避ける?
この攻撃で紫に隙は生じない。
スキマから何かを取り出すことなど、彼女にとっては基本的な動作だった。
大樹が放たれる。紫に向かって飛んでくるルーミアに対して放たれる。
射出速度は極めて速い。 しかし紫は確信していた。
少女は必ず避ける、もしくはこの攻撃を無効化する、と。
――次の手は何かしら?
紫は二手三手先を考えた。
木を破壊しこちらに真っ直ぐ進んだ時はどう出るか、あるいは木を無視し、一瞬でこちらまで到達した場合はどうするか。
この間、未だに大木はルーミアに届いていない。
コンマ数秒の思案だった。
冷や汗が彼女の頬を伝わる。
心臓の鼓動が指数関数的に高まり、動悸がはやまる。脈が踊り出すように、紫の体の内部から危険な信号を送り続ける。
思えばこうして命のやり取りをするのは、産まれ落ちたあの時以来初めてだった。
慣れていないこの感覚に、紫はこの時ばかりは好奇心という楔から抜け出していた。
いよいよ大木がルーミアのすぐそばまで到達する様子だ。
紫はじっと見つめる。ルーミアの動きを追う。どんな些細な動きでも、直ぐに動き出せるように身構える。
何百通りもの動きを予想、そしてそのそれぞれに対して最適解となる行動を思考する。
やがて大木はルーミアに到達し、そして…。
「……あ、え?」
普通に衝突した。
彼女の体に、物凄いスピードで放たれた木の枝々が突き刺さる。
そしてルーミアは力なく、宙へと浮く力すら失い、落下していく。
「………え?」
紫は困惑した。
境界の見えない相手、未知なる闇の弾幕、そして宙に浮く存在。
それが、こんなにも呆気なく攻撃を食らい落下して行った。
――私、考え過ぎたのかしら。
拍子抜けしそうになる。
しかしすぐに気持ちを戻す。
これだけで終わりになる筈がない、それは直感だった。
「ん?」
やはり何かおかしい。
地面へと墜落した少女を観察する。
するとどうだろうか。木と共にぺしゃりと潰された筈の少女の姿が薄らと消え始め、そして…。
「なっ!」
彼女は木の真上に突如現れた。存在そのものが、転移したようだった。
♠
「うぎゃっ!」
ビクッとする。
ああ、またあれか。私は死んだのか。
ホント嫌な感覚だな。もう何度も死にまくってると言うのに、全然慣れない。
それにしても……。
私は遂に、あの欲望に忠実に動かされ、そしていよいよ攻撃すら仕掛けてしまった。
何もかも覚えている。
''食べる''という行為への凄まじい欲求、それに身を任せていると本当に清々しく、心地よく、天にも昇るなんてものじゃあない、あれは天より上の、もっともっと上の最頂点だ。
「はぁ……」
力なく仰向けで倒れ込む。
私をぺしゃんこにした大きな木のざらざらとした質感が、髪から頭に伝わった。
最悪の気分だ。
今までは一度も、こう完全に支配されて直接攻撃を仕掛けるくらい正気を失ったことなんてなかったのだ。それもあんな長い間。
…待てよ、食べる?
そういえば私はあの金髪少女を食べよう、と……!
「うわああっ!!」
大量の木や岩が頭上から降り注いできた。
私は寝返りをうって、特にすぐ目の前まで来ていた大きな石っころを避けて、そして必死にしゃがみこみ、頭を両手で押さえてカリスマガードを行った。
うー☆、とまでは言っていないが、あんなの避けられっこない。無理に動いて当たるくらいなら、こうしてじっとしていようと思ったのだ。
周りからは重量のある物が地面に落ちたことによる大きな音、そして衝撃が伝わる。
しかし今の私はカリスマだ、どうってことな…「ぎゃひっ!」
またも何かに押しつぶされたらしい。
直ぐに復活したものの、この状況だと無限に死が続いてしまう。かつてカミに何度もリスキルされ続けたときもそうだったが、ほんとこうやって短いスパンで死にまくると体がついていけなくなって、視界がぐるぐるしてしまうのだ。
ちょうど乗り物酔いみたいな感覚だろう。あれを何倍も酷くした感じだ、もう味わいたくはない。
空を見上げると、金髪少女……うん、どうみても八雲紫さんが大小様々なスキマを展開して、私のいる地上目掛けて木や岩なんかで爆撃をしているみたいだった。なるほど、これが安全圏からの攻撃…って言ってる場合なんかじゃない!
「ちょ、ちょっと!!タンマ!タンマぁ!」
私の声に応えるように岩が降り注ぐ。
すぐ真横、目と鼻の先ってレベルの距離に大岩が落ちた。
「ぎゃひ~~っ!死んじゃうっまた死んじゃうからぁっ!!」
ダメだ!声が届いていないのか?
身振り手振りでどうにか意志を伝えよう。もうあなたを食べようとなんてしません、私は人畜無害なルーちゃんですって!
「許してぇ!もうしない、もうしないからぁっ!」
伝わっていないのか無視しているのか、岩ときどき木のこの空模様は一向に変わってくれない。
「ゆっかり~~んっ!!」
今出せる全力の声、まさしく腹から出した私の叫びが響く。
途端、攻撃は止んだ。天気は一転して晴れ模様だ。
んん?どうにかなったのか?
おろおろして周りを見渡す。
森の中のこの小さな休憩所は、大きな岩や大木でもうめちゃくちゃになっていた。
「貴女、話せるの?どうして、私の名前を…?」
すぐ上から声が聞こえる。
訝しむような、鋭い声だ。
ゆっくりと見上げると、そこには美しい金髪少女が宙から私を見下ろしていた。
なるほどなるほど、八雲紫さんで、やっぱり間違いないようだ。
彼女は私の様子を注意深く伺っている。恐らく私が不審な行動をしたら、すぐにでも攻撃を再開するつもりなのだろう。
ちょっとでも下手に動いたらきっとまた爆撃だ、ここは慎重に行動しないと。
「は、話せる、話せるよ!」
声が裏返ってしまう。なんともまあ情けない声だ。
焦った時にこうなる癖はどうにかしたい。
ゆかりんはそんな私の言葉にも表情を変えない。
こうしてよくよく見ると、どこか私の知っている八雲紫像から離れているように思える。
端正な顔立ち、美しいのはイメージ通りだが、どこか幼さが残っているように感じるんだ。もちろん私なんかよりは成熟した様子だけど、やっぱり子供っぽさが抜け切れていない。
それにあの帽子だってない。あれって初期装備じゃなかったのか。
日傘も見当たらないし、服装だって確かに白を基調としたドレスではあるけど、どうも私の知る風貌ではないのだ。
「えっと……なんて言うか……と、とにかくもう襲わないからっ!」
彼女はまだ何も言わない。それに結構怖い顔してる。
ま、まぁ……初対面でいきなり襲いかかってきて、あまつさえあの闇弾だって何発も打ち込んでしまったんだ。そりゃあ当然だ、怖い顔の一つや二つ、誰だってするさ。
ああ、ルーちゃんは本当は優しい子なのに!
「だ、だから仲良くしよ、ね?」
こんなこと言われて仲良くなんて出来るわけないのは知っているが、しかしなんて言えばいいのだ。
さっきまで食い殺そうとした相手に弁明する、そんな気の利いた上手なセリフを私は持ち得ていないのだ!
それからしばしの間、私たちの周りは静寂になった。
生唾を飲み込むことすら緊張してしまう程、はっきり言って気まずい空間だ。
♠
「あ、ははは……」
彼女は気まずそうに頭をかいた。
私と同じ、金色の髪が時折風で揺れている。
しかし、どうも変だ。
まるで別人ではないか。
先程までの、あの全く表情の見えない、陶器のような冷たさを持っていた少女とは思えない。いや、あれは少女なんてものではなかった。見た目こそそうだが、そもそも同じ生物かすら怪しい程に、その佇まいにずっと不安が付き纏っていた。
それが一体どうしたというのか。
コロコロ変わる表情に、その体をオーバーなくらい動かす身振り手振り。
色が違うのだ。
相変わらずその境界線はつかめないし、不思議であることに変わりはない。
しかし確実に色が違う。彼女を包んでいる色合いは、今は陽の光のように暖かい。ちょうど、髪色と同じようなのだ。
「…貴女、本当にさっきまでの貴女?」
「え………ち、違うよ!全然違うっ!」
両手を使って、少女は必死に弁明をする。
「…あれは……私じゃない……と、思う」
歯切れ悪く、しおらしい表情だった。
なんだかこちらの警戒が馬鹿らしく思えてくる程、とても人間らしく、見ていると自然に警戒心や毒気が抜けていく。それくらい緩やかな少女だった。
いつでも攻撃ができるように、私はスキマを展開し威嚇するような動作を取った。もう少し様子を見なければ。
「ひぃ!ほ、ほんとにもうしないからぁ!ぺしゃんこはもうこりごりだよ!」
あたふたと、忙しなく動く。
やはり、違う。何もかもが違う。別人のようだ、という言葉すらおかしい。''ようだ''ではなく、別人そのものではないか。
色も気配も何もかも、全てがまるで違う。姿だけ同じで、全く別の何かにすり変わっているのではないだろうか。
……演技か?
そんな考えが過ぎる。
私を食い殺すために、こうやって馬鹿な振りでもしている…?
しかし、嘘をついているようには、どうも思えない。
「…………!」
その時、私はようやく気がついた。
彼女の、その紅い瞳が揺れていたのだ。
まるで火がゆらゆらと空気に触れているように、瞳が揺れていたのだ。
「……はぁ、分かったわ…貴女を信じる」
「本当!?」
目が違う。光が宿っていない、何を考えているかも分からないあの時の目と明らかに違う。
自分でも驚く。根拠のないあやふやな判断なのは分かっている、あまりにも浅はかだ。
しかし何故だか確信出来る、彼女は、先程までの彼女ではない、と。
それに私の脳がこう告げて止まないのだ。
''彼女は私のこの退屈な毎日を変える、そんなきっかけになる''と。
そう判断を下すと、途端に恐怖心は消えていった。
残ったのは、この不思議な少女への興味だった。
私は地面に降りて、彼女の傍まで歩いた。
少女は申し訳なさそうに、上目遣いだった。
「だって、貴女、さっきと全然違うもの」
そう言うと、なんだか少女は嬉しいような、ほっとしたような表情をしていた。
##########
「特定の信号に反応して異常な食欲……っていうのが、よく分からないわよ」
「そりゃあね、私だってよく分からないもん」
「………」
彼女はルーミアと名乗った。
闇を操る程度の妖怪、なんて意味のわからないことを説明してきたので詳しく問いただすと、どうやら闇、その概念の実体化らしい。
「貴女が闇という概念そのものなのは、何となく分かる話だわ。そうでなければおかしいもの、こんなふうにぼんやりとしていながら成立しているなんて、ありえない話だったから」
「まあ、分からないことだらけだけど、そんなのに縛られてるよりコロコロと楽しく生きてた方が気は楽なんだよ」
この子と、ルーミアといるとどうもペースが掴めない。本当に不思議な子だ。
「……貴女、存在だけじゃなくて考えもぼんやりしてるのね」
森の中を散策、時折聞こえる鳥や動物の声が好きだ。
あの、私に対して無表情で、一切感情を読み取れなかったルーミアが嘘のようだった。
海の奥底のような冷たさは全くなく、むしろ気の良く、明るいのんびりした少女だ。
食欲を抱くという信号の話は実態が掴めないが、こんな意味のわからない嘘をつくようには思えない。
それに私は人の嘘を見破るのが得意だ。感情の移り時など、簡単に分かってしまう。
だから確信を持って言える、彼女は全部本当のことを話している。
しかし、これは私にも言えることだが、もう既に彼女は私に気を許しているように思える。
お世辞にも私は普通とは言えない存在だろう。今までもこのスキマという特性からか、仲間と呼べる存在なんて出来たことがなかった。
そんな私に対して、今は背を向けて自ら歩き出している。どういうつもりなんだろう?
…やはり、以前から私の事を知っていたに違いない。そうでなければ私の名前を知っているなどありえない話だ。
「それで、一つ聞きたいことがあるわ。
貴女、どうして私の名前を知っていたの?」
問い詰める。
これが気がかりだった。まだ油断はできない、いつまた牙を向いてくるか分からないのだから。
「え、えと……その…あ、そうそう、スキマを操る妖怪がいるって話、聞いたことあって、それでピンと来たんだ!うんうん!」
あ絶対嘘ついてる間違いない。
こんなの私でなくても分かる。
「ふ~ん、誰から聞いたの?」
「え?誰から?
……えーっと、なんか、虫?」
「…は?虫?」
「……そ、そうなんだよ。虫の知らせって、やつ…あはは…」
「………」
ルーミアは変に口笛を吹いて、森に視線をやっている。どう見ても誤魔化していた。
この子、本当に掴めない。悪意なんかは一切感じられない、無邪気で純粋な色だ。
「ふふっ……」
ルーミアの、そんな阿保らしい仕草をみていたら、私はつい笑ってしまったようだった。
自然と笑ってしまうなんて、一体いつぶりだろう。
「ど、どうしたの?なんか面白い?」
彼女は間違いなく嘘をついている、だけど不思議と、悪い気はしない。
「ふふふ、少しね、嘘がお上手だと思って」
私がそうからかうように言うと、彼女はなんだかむすっとした表情になった。
子供っぽいその顔を見ていて、私は警戒心が薄まってきているという事実そのものを忘れていった。
何故私の名を知っているのかは、これから付き合っていって彼女の口から話してくれる時を待とう。無理やり言わせては面白くない。
……待てよ、いつから私は、これからこの少女、ルーミアと長い時間を過ごす前提でものを考えていたんだ?
………しかし何故だろう、この会ったばかりの少女とは…今後とてつもなく長い間付き合っていくことになる気がしてならない。
彼女の後ろ姿が目に入る。
私と同じ金髪、可愛らしい顔立ち、私より背の低い小さな体。
やはり、気になる。戦いの最中ですら高まっていったこの少女への関心は、もう十分すぎるほどだった。
つまらない、退屈な日常が、どうやら変化しそうな、そんな気がした。
なんの根拠もないその予想が、私はほぼ確実なもののように思えた。
しかし、やはり警戒は怠らない。
いつまたああなるのか分からないのだ、しばらくの間様子を観察して、正体を探ろう。
実際、あの不気味な弾を除くと大して身体能力は高いようには思えなかったが、しかしやはり何か裏があるように思えてならない。
私は確信している、彼女にはきっとまだ何かある。
必ずそれを暴いてみせよう。
ふふふ、一つ楽しみが増えた、きっと今日はいい日だ。
――ガサッ!!
「ん?」
木の奥から音がして少し身構える。
ルーミアも気づいたようだった。
しかしそれは杞憂に終わった。
草木の間から出てきたのは、ただの可愛らしい狐だった。
「なんだ、狐か」
ルーミアも言った。
狐は私たちの前を通り過ぎて、また別の木々へと走り去って行った。
私は何となくその様子を眺めていた。
「動物、好きなの?」
私のその視線に気づいたのか、ルーミアが言う。
「ええ、そうね。動物は好きだわ。
特に、狐が一番好きね、あのフサフサな尻尾は多ければ多い方がいいわ」
「ぷっ!あははははっ!!」
ルーミアは突然笑い出した。
「ちょっと、何よ。なんで笑うのよ?」
「い、いや……だって、ねぇ……?」
「べ、別におかしい事ないじゃない」
「あははっ」
彼女はなおも笑い続ける。
なんだか仕返しされた気分だ。
「じゃ、じゃあ、他に好きな動物は?」
未だ少し笑みを浮かべ、なんだか期待するような表情でルーミアは言う。
こういう表情は知っている。相手に対して自分の求めた答えを言って欲しい時の顔だ。
………思い通りになるものか。ここは無難なことを言っておこう。
「…そうね、やっぱり……猫かしら」
「あははははははっ!!!」
「だ、だから!何がおかしいのよ!」
「ひぃーひぃー………だ、だって……あはははっ!」
いくら問い詰めても、彼女は何が面白いのか、その理由を全く言ってくれない。
「そ、そのうち分かるよ…ひひひっ」
私は、人を言いくるめられる話術を身に着けようと決意した。
♠
思った通りだ。このゆかりんは、まだ幼い。
変に胡散臭くて、こう……なんというか手の内が全く掴めないような感じではない。
いや、勿論どこか得体の知れなさ、底の知れなさというのは感じられるし、凄く頭が良いのは伝わるけど、どこか私の知ってる八雲紫像と離れている気がした。
ただ単に私が永琳という非常に賢く聡明な女性を知っているから、それで慣れてしまっているだけなのかもしれないが…。
それにしても……私がアレに支配されていた時、ゆかりんによって一度ぺしゃんこになって死んで、ビクッとすると私は正気に戻っていた。
たとえあの欲望に支配されたとしても、死んでしまえばリセットされるということだろうか…?
なるほど、死ぬのは嫌だが、食欲狂になるよりはマシだ。
これなら、私が密かに抱いていた夢が叶うかもしれない。
世界中を旅して、色んな人、あるいはこれから増えていくだろう人型の妖怪と交流する、そんな夢だ。
そりゃあ永琳と出会うずっと前は、物を考える知能を持った生物と会話をするなんて嫌だったけれど、私だってもうあれから成長したんだ。
永琳と出会って、大切な人が出来る幸せを知ったし、私のことを受け入れてくれる村とだって出会った。
小さな村だけど、あの暖かい雰囲気がとても気に入っていた。そこには差別や偏見はなく、全員が全員協力しあって生きている。
今は村が私の居場所だ。そういう拠り所があると、心に余裕が持てた気がしていいね。
村に定住するのだって考えられたけど、どうも私、同じ場所に留まり続けるのがあんまり性に合わないんだよね。
ずーっとひとつの場所に留まってると、こう……なんていうかムズムズするんだ。実際永琳がいた頃も、私結構いろいろ飛び回って各地を転々としてたし。
考えたのは、その旅にゆかりんも付いてきてもらって、私が正気を失ったら、その度に殺して貰えばいいってことだ。彼女が傍にいてくれればなんともないだろう。
……しかし、あの欲望に支配されてそのまま戻らなかったら?
それに万が一のこともある、ゆかりんを殺してしまうかもしれない。昼ならまだしも、夜になるとゆかりんだって平気で殺せちゃうかもしれない。私だって、未だに自分の力を把握しきれていないのだ。
「う~ん、やっぱり危険すぎるな」
「え、何が?」
「ああ、ちょっと考え事…」
考えていることを思わず口に出してしまうのは、本当にどうにかしたいものだ。
「ねぇ、ルーミア、一ついいかしら?」
「ん、なに?」
そんなことを考えていると、紫が声をかけてきた。
「貴女、神秘の泉って、聞いたことある?」
「んん?神秘の泉?
………いいや、聞いたことないかなあ」
「そう……それならいいの」
泉?一体なんの話だろう。
よく分からないな。
「お腹、空いてきたわね」
紫は話題を変える。
泉だかなんだか知らないけれど、まあきっと何かあるのだろう。
しかし結構長い間、私たちは森の中をさまよっていたらしい。
もう日が傾き始めている。
「そうだねゆかりん、私もペコペコかも~」
「ねぇ、そのゆかりんって……まあいいわ」
ゆかりんはまだ私のことを警戒しているのだろうか。
表では私に気を許しているように振舞っているが、彼女のような頭の良い慎重な人はいろいろなことを考えるものだ。
少しずつ誤解を解かなければ。
「いいじゃんゆかりん。ゆかりんって可愛いよ。………あ!」
ある花が目に入った。
それはちょうど、村人からお願いされた、あの綺麗な桃色の花だった。
「やった!見つけた!」
まさかこんな直ぐに見つかるとは思わなかった。
もしかするとここら辺はこの花の群生地なのかもしれないな。採れるだけ採って、村へのお土産にしよう。
「その花を探していたの?」
「うん!そうそう!………あ、そうだ!!」
花を収穫していると良いことを思いついたぞ。
この花だってできる限りすぐに渡したいし、ゆかりんもお腹が空いてきたようだし…。
「ねぇゆかりん、私が通ってる村に行って、一緒にご飯食べようよ!」
やっぱり仲良くなるにはご飯だよね!
永琳とだって干物かじりあって仲良くなったんだ!
「あら?行きつけの村があるの?」
「そう、そうなんだ!ご馳走たっぷりだよ!」
「ふふっそう……じゃあ、私もお邪魔しようかしら。最近は獣の肉ばかりで、そっちの方は食べて久しいから楽しみだわ」
そっちの方ってのは、野菜のことかな?
全く、お肉ばっかり食べてたら栄養が偏っちゃうのに。
……って言っても、妖怪なら関係ないのかな。
「やった!じゃあ、決まりだね!」
ゆかりんとはこれからも交流したいな。
やっぱり歴史を作る大妖怪だし、仲良くしたいと思うのは当然だろう。
人と妖とが共存する理想郷、もしかするとその誕生を間近で見ることができるかもしれないのだ。
「ふふふ、村に子供はいるのかしら?」
「いるいる!メグって言うんだけど、これがまたちっこくてさぁ」
「あら、そうなの。ふふ、子供は柔らかくて好きなのよ」
なんだなんだ?ゆかりん子供好きだったのか。
可愛い所あるなぁ。
にしても柔らかい所が好きって………随分変な趣味してるなぁ。
「早速行きましょうか、朝から何も食べていないのよ」
相当お腹が減っているのだろう。彼女は綺麗な笑みを浮かべている。
「ふふふ、じゃあ出発進行!」
よしよし、すぐに連れて行ってやろう。
私の紹介だし、それにこんな美人なんだから丁重にもてなされるに違いない。
私は彼女の手を引いて、宙に浮いた。
桃色の花が、私の感情を表しているようだった。
………あれ?待てよ。何か、何かものすごく重要な事を忘れているような気がするな。なんだっけ…。
…………。
…まぁ、直ぐに思い出せるでしょ。とにかく村へ急ごう!
♠
夜、空模様が暗闇と星空に包まれて数時間。
二人の少女が空を舞っていた。
「もうちょっとで着くよ」
「そうなのね、もうお腹空きすぎてクラクラしてきちゃうわ」
「あはは、きっとゆかりんも歓迎されると思うよ」
「歓迎だなんて、ルーミアも中々酷な言い回しするのね、ふふ」
「えぇ、酷なの?
私そういう言葉の綾よくわからないや」
二人の間には大きな誤解があった。
しかしどちらも、その事に気がつかない。二人とも、それが当然のことだと認識しているからだ。
「ルーミア、私のスキマなら簡単に攫えるけど、いつもどうやってるの?」
「えぇ~攫うだなんてそんな人聞きの悪い。ご馳走は逃げたりしないんだからさ、普通に正面から入るよ」
「……貴女、すごい堂々としてるのね」
しばらく二人の夜行は続いた。
夜を彩る虫の声、二人はそれに耳を傾けていた。
「ん、ちょっと、感じ悪いわね…」
村がもうすぐそこまで迫った頃合いで、紫はそう告げた。
「え、どうしたの?
……あ、もしかして元々居た神様が張ったとかいう結界かな?」
二人の目の前に広がる、大きな山を越えればすぐそこに村はあった。
「そう、そんなものがあったのね。
まあ、これくらいならなんとか大丈夫よ」
紫レベルの大妖怪、並の結界であればなんのことはない。加えて、この結界はその主が消え去ってもう何年も経った為に力が弱まっていた。
「そっかそっか、良かった良かった」
「ところで…貴女はその結界とやらの嫌な気を感じないのかしら?」
「私はなんともないかな~」
「そうなのね」
紫は少し考えるような仕草をとった。
「それにしても、中に入れなくてあの美味しい鴨鍋が食べられないなんてことになったら大変だったよ」
「え?鴨鍋?
もう、何言ってるのよ、私は早く、そのメグとかっていう子供を食べ尽くした…「そ、そんな!どうして!?」
紫が何かを話そうとした時、二人はちょうど山を越えた。
そして二人の前に現れた村は、ところどころから火の粉が上がり、少なくない数の家が倒壊していた。
まさにそれは、惨状だった。
「み、みんな……みんなぁー!!」
「あ、ちょっと!」
ルーミアは一目散に村へと急ぐ。
続いて紫も彼女の後を追う。
村は凄惨な様子だった。
半数近い家々が倒壊、もしくは燃えている。ルーミアが降り立った道にも、見知った顔の死体が転がっている。
「そんな、なんで、なんで……!」
ルーミアは桃色の花を落とした。花びらに土がつく。
全く理解が出来なかった。数日前に訪れた時はなんともなかった、いつも通りの村だった。
続いて紫も村へと降り立つ。
「ルーミア、どうやら先を越されたみたいね」
そんな紫の声も、ルーミアの耳には入らない。
「ル、ルーちゃん…かい?」
「!」
ルーミアの存在に気づいたのは、数日前に彼女が訪れたときに門番をしていた男の一人だった。左腕に鋭い傷を負い、それを右手でかばっている。
村の掲示板を壁にして、寄りかかっているその男にルーミアは近づく。
「こ、これは一体……一体どうしたのさ!?」
「はぁ……はぁ……ど、どこか遠くの…遠くの異国の神が、この村に生贄に必要な子供がいるって……ぐふっ…」
「神!?生贄!?
ちょ、ちょっと、しっかりして!」
傷跡を確認する。
これは妖怪の仕業ではない、弓矢で貫かれた傷口だと確信する。
「その国の……神が命じたそうだ……この村の子供が生贄に、必要だ、って……それで、あいつら…メ、メグを…」
「!」
彼は血を吐き倒れる、慌ててルーミアがそれを抱き抱える形になった。
よく見ると傷は腕だけではない、鋭利な刃物で切り裂かれた跡が至る所にあった。
「メグを、連れ去ろうと、兵士が沢山、たくさん攻め込んできて……メグの母親も殺されてしまった……」
「なっ!」
ルーミアの頭に、あの親子が過ぎる。
仲睦まじい、あの親子が過ぎる。
「ルーちゃん、頼む……どうか、どうかあの子を……くっ…」
「お兄さんっ!そ、そんなっ!!」
男は息絶えた。
ルーミアは、ただそれを呆然と眺めていた。
「ね、ねぇルーミア?貴女、一体この村と…?」
その様子を、ただ困惑して見ていたのは紫。
火が近くの建物を飲み込む音、勢いを増した音が周囲を包んだ。
ところどころでは悲鳴や叫び声が聞こえる。村人は全滅しているわけではなさそうだった。
紫は状況が飲み込めないでいた。
村の人間をかっ攫って食べるつもりだった。
それがこの村の様子と、ルーミアの様子とを見比べて、酷く混乱していた。
「あ、ああ……ほんと、本当にさぁ……」
ルーミアは男の亡骸を抱き抱えて、地面にゆっくりと寝かせる。
「ほんと……神様ってのは……だから、だから嫌いなんだよぉ!」