「クソったれ…ッ!!」
轟く警告音。焦げ臭いコックピット。シートに押しつけられる浮遊感。迫る白い地面。
きり揉みしかける機体を持ち直し、力任せに操縦桿を引いて機首を上げる。空気の層に受け流され僅かに浮いた刹那、堕ちる先に黒煙を捉えた。
瞬時に操縦桿を倒し傾く機体は左翼を犠牲に墜落する。バゴン!と毟れた翼が雪原を跳ね回り、勢いのまま滑る胴体は先端を雪に刺して静止した。厚い雪が音を吸い、束の間の静寂が訪れる。
遠い地上戦の音が届く頃、雪原にガンッガンッとキャノピーを蹴る音が響いた。こじ開けられた隙間から黒煙が漏れ、続いてウルフの頭が覗く。咳き込みながらも空気を吸い、破片で身体を傷つけながら這い出たウルフは、すぐさまその場を離れて機体を振りかえった。被弾したGディフューザーがバチバチと火花を散らしているが、炎上はしていない。雪に埋もれたおかげで炎は窒息したようだった。
額に垂れる血を拭ったウルフはフィチナの空に忌々しい青白の機影を探すも、鳥の一羽さえ見つけられなかった。コーネリア軍情報基地に仕掛けた爆破装置を解除しに向かったのだろう。 大きな舌打ちを洩らす。 作戦は失敗した。ターゲットの侵攻を許してしまったのである。筆舌に尽くしがたい心中に地面を踏み鳴らすも、雪の上では柔らかに沈むだけだった。
握り拳を震わせていたウルフだが、やがてそれを鎮め、指をほどいていく。灰色の空を睨む瞳は凶悪な喜びを湛えていた。
すぐさま身を翻し、締り雪を跳ね除けてウルフは駆け出す。向かう先の黒煙は別のウルフェンのものだ。先ほどは危うくぶつかるところだったが、まだチームの誰かが乗っているかもしれない。エンジンをやられた燃える機体はいつまで持つかわからなかった。
「おい! 居やがるか!!」
覗いたコックピットにはレオンがぐったりと俯いていた。割れたキャノピーのガラス片が刺さり、頭から血を流している。迷わず横転した機体に潜ったウルフは、シートベルトをはずして外へ運び出した。服の上から探る限り他の出血は無いが、死んでいるのかと疑うほど身体が冷たい。低体温症になっているかもしれず、 呼吸の細さにも焦りが募る。
急いで自身の機体に戻ったウルフは、貨物室をこじ開けて救急キットを引っ張り出し、レオンを担ぐ。いつまでもこの場に留まれば、スターフォックスの報告を受けたコーネリア軍が押し寄せて捕虜にされてしまうだろう。
幸か不幸か厚い雲が迫っており、自軍の情報通りならこの後は吹雪くはずだ。今逃げれば雪で痕跡が消え、追っ手を撒けるかもしれない。辺りを見回したウルフは、方角と記憶した地図を照らし合わせ、一番近い南の森へ走った。とにかく身を隠せる場所へ移動せねばならない。
雪でもつれる足に抗い森へ逃げたウルフは、倒木の切り株へレオンを凭れさせ、無線を繋ぐ。周波数を合わせた無線はザラついた音を立てるがすぐに繋がった。
「フィチナ攻略部隊司令。こちらスターウルフリーダー。チームは全機墜落した、すぐに救助を寄越せ」
苦々しい報告内容に、眉間へ皺を作りながら救急キットを開封する。レオンのガラス片を取り除いてガーゼを当て包帯できつく縛っていく。
「こちらフィチナ攻略部隊司令。我々は撤退する。救助は送らない」
予想通りの応答に、ウルフは鋭く切りかえした。
「アンドルフお手製の最新機体は置いてくってわけか。あれはコーネリア軍より上の技術を積んでるが、犬っコロに易々と拾わせて良いんだな?」
返事に間が開く。すかさずウルフは追い打ちをかける。
「数刻後に到着した敵軍は、漏洩した情報の確認と兵の救助を優先するだろう。だとしたら今夜中に機体の回収はしねえ。こっちが作業するなら吹雪がおさまるまでがチャンスだ。母艦だったら多少悪天候でも着陸できるだろ」
「…機体は回収する。救助は、」
「俺ら以外にアレを乗りこなせる奴はいんのか?」
「救助は送らない。本艦は明朝まで機体回収作業を行う。以上」
「了解」
ウルフは鼻で笑う。単純な猿たちへごねるなど簡単だ、アンドルフの威光を振りかざせば無視できないのだから。心から信仰する者も、脅威に怯える者も、どっちつかずな者も。全員に有効な文句だった。寄せ集めの軍など強く出れば指揮権を奪える。各地で文句なしの実績を上げてきたウルフは、傭兵にも関わらず今や幹部級の発言力を持っていた。
ひとまず回収が終わるまでは本隊を待たせられる。無線を切ったウルフは応急手当を終えたレオンを担ぎ直し、森の奥へ進んだ。
母艦が着陸するのは、日が沈んで天候が荒れ、姿を隠せるようになってからだ。負傷者を抱えたまま吹雪の中を待つのは無謀であり、野営地を探して休める拠点を作らねばならない。
ときおり藪を通って足跡を撹乱しながらウルフは黙々と歩いた。ひたすら森を進み、岩場を越え、斜面を登り、木々の隙間から日の高さを確かめる。ろくな防寒着も無く、互いの体温だけが寒さから身を守れる全てだった。肩にかかる白い息を保つにはあまりにも心許ない。のんびりなどしていられなかった。
密集する木々を抜けて歩きやすくなった辺りで近くのしおり雪が落ちて舞う。その音に、垂れていたレオンの尻尾の先が動いた。落ちる雪に気を取られていたウルフは変化を感じて話しかけようとするが、それより前にレオンの身体が揺れる。
「笑う余裕があるならまだ大丈夫だな」
「フフ…ただの脳震盪だ」
「吐くときは言えよ」
何が愉快なのかレオンは笑い続けていて、ウルフは口を尖らせるが腕を緩めはしなかった。
「つくづく、懲りない男だ」
「……」
行動の真意を見透かされてウルフは些か驚く。しかしこの殺人マシーンとは妙に馬が合うことが多い。また思考が重なったのだと気がついたウルフは何も言いかえせなかった。
「図星か」
「うるせえ」
「私はつき合ってもいいぞ、楽しいからな」
「それは、ありがてえなっ」
小川を跳び越えるウルフの上で、レオンは木々の奥に目がいった。
「あの辺りは、どうだ」
ふらつく指が示す先をウルフも見やる。苔むして鎮座する岩は直角に支え合っていて、死角がありそうな形をしていた。近づいて裏へ回ると、岩が壁となって数人がおさまるのにちょうどいい空間ができている。足元の雪を軽く払えばすぐに別の岩も顔を出した。床まで確保できそうだ。
湿気が唯一の気がかりだったが、よく観察してみればこちらの面には苔が少なく、岩肌も乾いていた。おそらく日中は日が当たるのだろう。これ以上無い候補地にウルフは即決した。
「ここにする」
時間的にもレオンの体力的にも頃合いである。止血に時間がかかったレオンの肌は黒ずんでおり、貧血も起こしていそうだった。一刻も早く低体温だけでも改善しなければならない。
ウルフはレオンと荷物を下ろすと、ナイフを使い針葉樹の枝を折ってなるべく乾いた岩の上に敷いた。簡易的なベッドである。そこへレオンを寝かせて今度は先ほど飛び越えた小川へ向かう。
一歩で跨げるささやかな流れの脇には、角ばった石が雪に隠れて転がっていた。その中から平らな石を拾ったウルフはレオンの前にそれを置いて、上に乾いた薪木を組んでいく。焚き火台へ枝を盛り終わると樹皮をブラスターで撃って火種を作り、岩から毟った苔に押しつけた。燻る煙はやがて炎となり、細く空へ立ち昇っていく。
拠点の最低限を整えたウルフは手袋を外して、レオンの尻尾を握った。すっかり冷え切っており、霜焼けを通り越している。爬虫類種族のレオンにフィチナの寒さは堪えるのだろう。
「手足は」
「似たようなものだ」
意識はしっかりしているが声は弱々しい。次の行動をすべきか逡巡するウルフに、レオンはまた笑った。
「探しに行くつもりか」
「無駄骨かもしれねえがな」
空を見上げたウルフの表情は険しい。雪雲が近づいているのだ。レオンはその横顔を見つめて頷いた。
「薪木だけ用意しろ、火の世話くらいはできる」
「…待ってろ」
細い枝ではすぐ燃え尽きてしまう。ウルフは急いで立枯れの木から太い枝をへし折り、あっという間に焚き火の傍へ山積みにした。力任せに折られた量にレオンが呆れていると、ウルフは暑そうにパイロットスーツのファスナーを緩める。
「日没前には戻る。粘りやがれ」
簡潔に言い残したウルフは返事も聞かず、身体から湯気を昇らせて森を駆けていった。藪の向こうへ消える影をレオンはおもしろそうに見送る。
「あれではイヌだな」
拠点から小川を伝って西へひた走り、河に着いたウルフは大岩の陰から辺りを窺う。 河は山の裾野にあり、岩だらけの河原は見通しが良く、水の流れは緩やかだった。万が一追手がかかっているなら遭遇する可能性は高い。慎重に逃げてきた平野の方を見下ろすと吹きっさらしの雪原は地吹雪いており、とうに足跡は消えていそうである。河へ吹き上げる雪は裾野の近くまで白くぼかしていた。
この荒れ方なら追手がついた可能性は低いだろう。だがウルフにとっても良い状況ではない。上空でスターフォックスと最後まで撃ち合っていたのはウルフだ。その間に他のメンバーは墜落していった。
つまり、ウルフの探すピグマとアンドリューが堕ちてからそこそこの時間が経っている。もしも捕虜にならず生きているのなら、とっくにどこかへ逃げているだろう。雪原の周辺に隠れられそうな所は山か森だけであり、闇雲に探しても簡単には見つけられない。
二機が堕ちる前の一瞬に見たレーダーから西の方と推測はしたが、それ以上の手がかりは無かった。
「どうするか」
日暮れまでは待てない。何か行動するならひとつしか実行できないだろう。できるだけ広範囲へ、短時間で、なるべく確実に、ウルフが探していることを知らせたい。二人に伝われば何らかの反応があるはずだ。
ウルフは上流側の山を見た。緩やかな斜面が長く続き、樹木が薙ぎ倒された跡も無いこの河では、おそらく直近に雪崩は起きていない。風向きも悪くない。決断したウルフは大岩に登り、肺いっぱいに空気を吸って、天を仰いだ。
「ゥオーーーーーーーーオォォォ………」
遠吠えが森に響く。冷たい風が声を運び、残響がほどけていく。高音が途切れる前にウルフはまた吠える。何度も、何度も、仲間を探す狼の真似事を繰りかえす。
冷気に喉が痛みを訴え始め、ウルフは仰け反っていた首を戻した。喉奥がジリジリと焼けてかすれている。首に手を添えて温めながら座ったウルフは、わずかな気配も逃さぬよう耳を澄まして目を凝らし、二人の反応を待った。
あまりに馬鹿げていて無視されたか、届かなかったか。あるいは既に望み薄だったのか。そもそも墜落地点が遠ければ徒歩での合流は不可能だ。強くなり始めている雪が、岩の上に留まるウルフの肩を薄く覆っていた。
時間切れだ。山の陰に日が落ちれば気温は一気に下がる。レオンの元へ戻り拠点を強化せねば、寒さに強いウルフといえど夜を過ごすのは厳しい。諦念を籠めた白い息を吐き、ウルフは大岩からゆっくりと滑り下りる。
だがその足が河原の石に触れたとき、いきなり近くの砂利が飛び散った。瞬時に大岩の陰へ隠れたウルフはブラスターを構える。釣ってしまった追っ手に舌打ちをこぼし、そっと岩の向こうを覗いた。
流木が落ちている対岸に、ブラスターを持つ手を必死に振る人影がある。ピグマと、ピグマに肩を借りているアンドリューだ。
誰か認識したウルフは大岩を飛び出し、勢いのまま浅瀬の岩を跳び移って、あっという間に対岸へ着地した。支え合う二人もよたよたとふらつきながら駆け寄ってくる。
「くたばってなかったか」
「ぶひょ…ほんまにウルフやったわアンドリュー。墜落したと思えんほどぴんぴんしてんで」
「嘘だろう? なんて短絡的な手を使うんだ」
「おっそろしいわ〜敵が集まってきたらどないすんねん」
「時間が無え、とっとと河を渡るぞ。アンドリュー、てめえ手足は使えるな? 落とされたくなかったらしがみついてろ」
遠吠えへの言いがかりにウルフは目だけで反論して、ピグマからアンドリューを預かる。軽口を叩いている場合ではないのだ。
スカーフで両目を隠すアンドリューは他に外傷は無く手足も無事で、促されるままウルフにおぶさった。しっかり背負い直したウルフは、前置きもなく反動をつけて飛び石へ跳躍する。
「うわあっ!?」
「おおっ、よぉやるわほんま」
背後の悲鳴と呆れをよそに、ウルフは不安定な足場を慎重に渡っていく。極寒の河に落ちれば凍傷は免れない。視界を奪われているアンドリューも周りの水音とウルフの緊張感で、自身の置かれた状況をすぐに察した。有無を言わせない無茶な行動に文句のひとつも言いたかったが、今は口を噤んで息を殺している。
引っかかった流木を伝い、ひときわ離れた岩を跳んで、平らな石をリズミカルに渡ると対岸に到着する。そのまま森の茂みへ移動したウルフは枯木の傍へアンドリューを座らせた。
「ピグマを連れてくる。てめえはここで待ってろ」
「待て、ピグマは片足を痛めている。どうやって運ぶつもりだ?」
「そんなもん、どうにかするしかねえだろ」
ウルフは近くの細い木をへし折り、手早く棒を仕立てながら答える。音しかわからないアンドリューは何をしているんだと首を傾げるが、ウルフはろくな説明もしないまま蜻蛉返りしてしまった。
岩の間が広い所に棒をついて跳び越え、ウルフはピグマの元へ急ぐ。遮るものが無い河の中心では、下流から吹き上げる雪で視界が悪くなりつつあった。足場の雪を払いながら対岸に戻ったウルフは、流木に腰掛けていたピグマへ駆け寄る。
「なんや、置いてかれた思たわ」
「その割に呑気に待ってるじゃねえか」
「怪我人に厳しくないでっか? これでもアンドリューをサポートしてたんでっせ」
「そのついでにもうひと歩きしろ」
立とうとするピグマに手を貸したウルフは、持ってきた棒を差し出した。
「こないなとき重たいんは嫌やなぁ…帰ったらダイエットでもしよか」
先導するウルフが棒をついたピグマへ腕を伸ばす。ピグマは腕と棒を頼りに岩を移っていくが、着地するたび捻挫に響いて表情を歪ませた。しかしこれ以上時間をかけていてはもっと危険になる。痛くとも急がねばならない。
「ったいわぁ。そういやアンドリューは、騒いでへんかったかっ?」
「ああ?」
喋って痛みを紛らわそうと、ピグマはウルフに尋ねた。
「あれでもっ! ここに来るまで随分揉めたんや。アンドリューは目をやられてるし、敵か獣かわからん遠吠えも聞こえてくるし。ほっ! …わてが、きっとウルフの遠吠えやって宥めて説得したんやで?」
「少し考えりゃわかるだろ」
「わかれへんのやっ! まだ経験が浅いから。…いや、経験は関係あらへんな。どこにおるんや、戦場の真ん中で自分の居場所を明かすヤツが」
「……」
「ここにおったわ〜ブヒョヒョ!」
愉快そうに小休止を挟むピグマに、ウルフは渋い顔をする。
「落とされてえのか」
「許してや、そんな大胆なことできるんはウルフだけやって、ちゃーんとっ! 気がついてここまで来たんやから」
痛みに呼吸を乱しながらもピグマは続けた。
「よそから見たらアンドリューはっアンドルフ様の甥や、捕まったら利用されるのはアンドリューにもわかっとる。わても! 研究所からの部下やから、おっそろしいことになるし。かといって、わてらだけじゃ逃げても隠れても凍死するとこやった。あんたに賭けるしかなかったんや」
大きめの岩上で立ち止まった二人は先を見る。次の岩までは遠く、先導があっても手は届かないだろう。かといって棒を支えに脚を伸ばせば渡れるとも思えなかった。
「で? どないしてここを渡るつもりやねん」
ピグマは足をさすり河に入る覚悟をした。自分の足では跳べないと自身が一番理解していたからだ。
「棒をよこせ」
棒を受け取ったウルフは河底に先端を刺して入念に位置を整えていたが、狙いが定まるとピグマの前に屈む。
「乗れ」
「嘘やろ? なんぼウルフでも無理やって!」
ウルフがやろうとしていることを察してピグマは慄く。いくら逞しいとはいえ、重たいピグマを背負って跳ぶのは至難の業である。しかし躊躇を許さないウルフは強く迫った。
「時間が無えんだ! 早くしろ!」
一喝にピグマは怯む。失敗すれば揃って凍てつく河の中だが、濡れない道は他に無い。腹を括ったピグマはウルフにおぶさった。
「ほんまに痩せとけば良かったわ…」
「まったくだ。…着地が一番問題だ、受け身の用意はしとけ」
反動をつけて立ち上がったウルフは棒を掴み、先ほどの位置を確かめる。ピグマは雪で真っ白になりつつある視界を前に、しがみつく腕へ力を込めた。
「ふーー……」
向こうの岩までの距離を目算し、ウルフも覚悟を決める。身体に力を巡らせ、足場を均し、バネのように全力で踏み切った!
「っ!!」
渾身の力で棒を握り一気に体重をかける。ミキキッと嫌な音を立てて棒が傾き、ウルフの足先が岩へかかった。
「ッ」
「危なッ!」
接地の瞬間足元が滑り前のめりに倒れる。咄嗟に岩へしがみついた身体は摩擦で動きを止めた。
背後からぼちゃぼちゃっと水が跳ねる音がして、崩れた雪が流水に埋もれていく。落下を免れ息をついた二人は、ゆっくりと身を起こした。
ウルフが握る棒は途中で折れかかっていて、もう使えそうにない。手を離せば呆気なく河に飲まれ、粉雪の向こうに消えていった。
「ヒヤッとしたで……」
「足は」
「無事や。けど、代わりに手ぇを挫いてしもた」
「チッ。力仕事のあてが無くなったか」
「まあまあ、あんさんやのうて良かったわ。これ以上怪我人が増えたらたまったもんやない。まだ片手は使えるし、できる仕事はやりまっせ」
はよ行こか、とピグマは先を促す。残る飛び石の間隔は狭く、ウルフの支えだけでも十分だ。
浅瀬をどうにか渡りきり、岸へ着いた二人はアンドリューの元へ向かう。河辺端の吹き上げは中央部に比べればまだ穏やかで、森に入ればさらに大人しくなった。薄明るい空も樹々の隙間から窺える。
「アンドリュ〜」
「ピグマか。ウルフはいるのか?」
「おう」
「よくピグマを運べたな」
「ぼちぼち苦労したで〜」
アンドリューの隣にピグマは腰を下ろす。それを横目にウルフは先ほどのように木を折って新しい杖を作った。今度は胸ほどの長さだ。それを休憩していたピグマに投げて寄越す。
「すぐ移動だ。アンドリューは俺が背負う。ピグマはそれでついてこい」
「待て、さっきは何も聞かずついてきたが何処へ向かっているんだ。ちゃんと説明しろ」
「ぐだぐだうるせえぞ。レオンを拠点に残してる、あいつも自力で動けねえ。薪木が残ってるうちに戻らねえとまずい」
「レオンも生きてたんか! さすがスターウルフや、なかなかしぶといわ」
おぶさるのに抵抗を見せていたアンドリューだったが、渋々納得してウルフへ腕を伸ばす。再びアンドリューを背負ったウルフはピグマもついて来れるのを確認し、森の奥へ進んだ。
ぎゅっぎゅっと雪を踏み締めては止まり、踏み締めては止まり。急く気持ちとは裏腹に歩みは進まない。拠点を出発した際に伝った小川を戻っているが、ピグマの挫いた足に合わせていてはどうしても歩みは遅かった。
繰りかえし発生する待ち時間にウルフの焦りは募る。二人と合流できたのは拠点へ戻る瀬戸際の時間であり、そこから渡河に費やしたため、本来の帰還予定時刻は過ぎていた。これからあっという間に暗くなるが、到着までレオンの薪木が持つかは疑わしい。
背後を振りかえり、再びピグマと距離が開いたのに気がついたウルフは、アンドリューを小川の畔に座らせる。
「どうした、休憩するのか?」
「てめえにもやらせないと間に合わねえ。ピグマの目印になってろ」
小川の茂みの向こうに立枯れの木が倒れていた。その枝をウルフはつけ根から手折る。パキパキと乾いた気持ちのいい音が森に響き、ウルフが何をしているのかアンドリューに知らせた。抱えられるだけ枝を集めたウルフはアンドリューの前に束を積む。
「この枝を束ねやすいように整えろ。これくらいは手探りでもできんだろ」
一本の枝を握らせたウルフはその手を上下に振り、枝の塊を叩いて位置と量を伝える。薪木にするのだと察してアンドリューは頷いた。
「いいだろう。だがどう運ぶつもりだ」
「それを用意するからその間にやっとけ」
ぶっきらぼうに答えたウルフはまた茂みの向こうに戻っていく。アンドリューの耳にはときおりガサガサと枝葉を揺する音しか聞こえなかったが、そう遠くへ行かず作業しているのはわかった。絶対にウルフとピグマが来る前に仕事を終わらせようと、アンドリューは手探りながら枝を短く折っていく。
機体から緊急脱出したときの目の火傷が眼底へ響き、ここに至るまでずっと、酷い頭痛がアンドリューを襲っていた。おまけに熱と寒気までついてきて身体も震えている。だがそんなものに構っている余裕はアンドリューには無かった。
ピグマは遠吠えを察知してチームを合流させ、遅いながらも自ら動けている。ウルフは言わずもがな四人分働いていて、レオンは動けないが火の番くらいはできているようだ。
ではアンドリューはといえば、ピグマに肩を借り、合流に反対し、ウルフに背負われている文字通りのお荷物だった。生死がかかっている状況で、ただおぶわれている者はいつまで背を借りられるのか。下ろされればどうなるのか。想像に難くない未来に、アンドリューは怯えていた。
木に絡む蔦を引っ張っていたウルフは、作業に没頭するアンドリューを遠目に息を吐く。ウルフも知っている視界を奪われる悔しさと不安は、背で震える身体からずっと感じていた。今動揺が爆発されてはさらに帰還が遅れてしまう。それだけは避けたかった。
落ち着かせるために役割を与え、わざとじっくり蔦探しをしていたが、この蔦は丈夫で良さそうである。引っかかっているところを狙い大きく揺らすと、枝葉を巻き込んでずるずる落ちてきた。ナイフで断ち切れば十分な長さが確保できる。
木々の合間からピグマとアンドリューを窺いつつ蔦を整え巻いていく。すでに森は薄暗くなる気配がしていた。気の焦りを拭い、ウルフはアンドリューの元へ戻る。
「終わったか」
「ほとんどできている、あと数本だ」
「よし」
几帳面に揃えてある薪木を括り、余った蔦は切らずに巻いて長さを残した。そうして束ねた薪木を持ってウルフはアンドリューの背後へ回る。
「てめえが背負ってろ」
「…荷物を増やしていいのか」
「てめえを担いでると持てねえんだ、てめえが尻拭いしろ。戻ったらすぐ火を強くするんだからな」
まどろっこしい運び方をするウルフにまた反論がアンドリューの口をつきそうになるが、自分を下ろして薪木を運べとはとても言えなかった。己の臆病さを目の当たりにしてアンドリューは唇を噛む。ウルフなりの気遣いなのか、まだ自分に利用価値があるのか、価値があるならどんな使い道なのか。区別がつかないアンドリューには、完全に主導権を握っている狼が恐ろしかった。
「やっと追いついたわ〜……」
気まずい間にアンドリューが俯きかけていると、くたびれたピグマの声がして、自然とそちらへ顔が向く。
「遅いぞピグマ!」
「……堪忍してぇや…。ウルフ、拠点にはまだ着けへんのか?」
「すぐそこだ」
「ほんまかいな……」
急かすアンドリューにピグマは嫌そうな顔をするが、ひぃはぁと弱音を吐きながらも足は止めていない。その歩みを遮らないようウルフはアンドリューを背負って出発した。薪木の重さが増えたがなんてことはない。
レオンが耐えていれば、まだぎりぎりどうにかなりそうなのだ。一分でも早く帰還しなくては努力が水の泡になってしまう。ウルフたちは川原の小石を蹴って、薄暗い森を東へ急いだ。
パチパチと木の爆ぜる音がする。身体の下の岩盤は冷たく、硬い。辺りには影しか存在できないような闇が迫っている。薪木はベッドの枝葉まで使い果たして、身体も震えを止めていた。犬のように駆けていった男は戻らない。
ふと、何故くだらない思考に労力を割いているのか疑問を浮かべて、朧げな意識を保とうとしているのだと自覚した。侵食してくる睡魔に、寒さで眠くなるのは本当なのだと感心する。次に誰か殺すときは凍死させるのも楽しそうだとほくそ笑んだ。
焚き火番をする必要がなくなったレオンは目を閉じて、消えていく火の音を聞いていた。とうに諦め転がっていても良かったのだが、一番気に入る男に粘れと言われてしまったので、無いも同然の火の際で丸くなっている。
うとうとと暗くなっていく思考にやんわり抗っていたレオンだが、背中に何かが押し当てられて意識が浮上する。徐々にはっきりしてくる音に耳をすましていると、次には鼓膜を破りそうな声が頭を突き抜けた。
「レオン!!! 起きろ!!!」
「っーー…!」
至近距離の大声に肩が跳ね、パカッと目蓋が開く。目の前では切羽詰まって怒るウルフが胸倉を揺さぶっていた。薄闇でもわかる顔の近さにレオンの喉が震える。
「てめえ何笑ってやがる! 粘れっつっただろうが!」
「うるさいぞウルフ! 敵に見つかる!」
「二人とも喧しいて、はよ薪木を焚べな」
気がついたレオンの傍らでは、ピグマが火に枝を足して空気を送っていた。反対隣にはアンドリューがくっついて座り、二人でレオンを挟んで身体を温めている。ピグマの言葉に胸倉を離したウルフは立ち上がり、すぐに腕いっぱいの枝葉を採ってきてベッドを新調した。両脇にいた二人はえっちらおっちらとレオンを移動させ、その上に三人で踞る。
大きくなった火の熱が背後の岩に反射して、数分前とは比べものにならない暖かさに、レオンは呆けてされるがままになっていた。同時に、本当に死にかけていたのだとぼんやり実感する。
焚き火の向こうの薄闇ではウルフがせっせと動く音がしていて、見送ったときと変わらぬ頑強さにレオンは笑いを洩らした。
「まさかぜんいんできかんするとはな…よくみつけたものだ……」
「…死にかけたのにどうして笑ってるんだ」
「アンドリュー、わては壁を作るからレオンを抱えとってな」
「……むう、仕方ない。ありがたく思え」
ピグマが雪を寄せて拠点を囲い始め、アンドリューは気味悪がりながらも自身と火の間にレオンを抱えた。冷える尾を丸めたレオンは脚を焚き火に伸ばし手先を揉んで動かしていく。少しずつだが凍てつく身体が解れていき、血の巡りが戻ってきた傷も痛み始める。
その頃には、辺りは白く深い闇に呑まれ、何も見えなくなっていた。木々の上を風が吹き抜け、葉の隙間から雪が降ってくる。積もる雪に震えながら雪壁の完成を待つばかりの二人だったが、やがて重たい何かを引き摺る音を耳にした。
「おう、進んだかピグマ」
「…じぶん、ほんまに働きもんやな〜、なにも言われへんわ。どないして切ったんやそんなもん」
「なんだ、今度は何をするんだ」
周囲の様子がわからないアンドリューの横で、ウルフはどこからか担いできた生木を岩に立て掛け、登って位置を調整している。寝床を跨ぐように架けられた木は一部の枝葉を落としてあり、座る空間を残してすっぽりと頭上を覆った。簡易な屋根は頭上の雪を遮って、焚き火の反射熱を寝床に閉じ込める。落とされた枝葉も無駄なく壁に並べられ、隙間に埋めた苔と一緒に断熱材となった。
屋根、床、壁が整い、俄然暖かそうになった拠点を見てピグマが外から逃げてくる。
「うううもうむりや、さぶいさぶい」
ときおり焚き火にあたっていたものの、ずっと雪を触っていた身体は悴み、口が回っていない。ピグマはレオンの隣に踞り、冷たい手と手袋を温める。岩から下りてきたウルフは白い闇を睨んで、蔦のロープを肩にかけた。
「あとは俺がやる。薪木を採ってくるから火の番でもしてろ」
「だがもう日が暮れてるんじゃないか? 夜の森で単独行動は危険だ」
「鼻も夜目もきくから問題ねえ」
不安気なアンドリューの声をウルフは跳ね除ける。さらにその肩を持つようにレオンがもごもごと口を開いた。
「むだだ…ひるもこうして、きさまらをさがしに出たのだ……好きにやらせろ…」
薄ら笑うレオンは死体のように不気味で、アンドリューは怖気づく。
「だが、」
「ざんねんやなアンドリュー、もう行ってしもたで」
「ぐっ…!」
静止を無視されてアンドリューは歯軋りした。それをピグマは面倒臭そうな表情と裏腹に、優しい声音で宥める。
「まあまあ、アンドリューは正しいわ。こんな天気で出歩くなんてむぼうやって。一晩ならちかくの枝を薪木にしてかたまってれば、なんとかなるかもしれへんのに。…せやけど、それじゃウルフの考えには足らへんからとりに行くねんやろ」
しかしフォローも虚しく、いよいよ我慢ならなくなったアンドリューは激昂した。
「だが、今まともに動けるのはウルフしかいない! 薪木はあとどれくらい残ってるんだピグマ? それが尽きてヤツが戻らなければ私たちはどうなる? 全員の命がかかってるんだぞ!」
「落ちついてや。薪木はまだあるから大丈夫や、いざとなればわてがちかくのをとりに行くさかいに」
体調不良と緊張で焦燥するアンドリューをピグマはどうにか鎮めようとする。蝕む寒さに喚き、頭痛が増した額には脂汗が滲んでいた。その様にレオンは冷笑をこぼす。
「フン…ぜんいんの命ではなく、きさまの命だと言いたいのだろう? かってに私もどうれつにするな」
「な…! なんだと!!」
「あーあーあーやめてぇな、今揉めてどないすんねん」
ピグマの静止など耳に入っていないアンドリューは捲し立てる。
「フィチナの寒さを甘くみているんじゃないか? こんな焚き火でいつまで耐えられるというんだ! キサマだって死にかけていたくせに! 誰かが死ねば一人分の暖が消える! まだ日が暮れたばかりなのだろう!? これからどんどん冷えるのになぜ生命線を手放せる!?」
「ウルフは薪木をひろい、もどってくるだろう」
「そんなのわからないじゃないか! だいたい一人で運べる薪木なんてたかが知れている、それにヤツは一人でも……」
アンドリューはそこから先を噤んだ。自分の考えが現実になったのを想像したら、恐ろしくて紡げなかった。
「きさまひとりで疑心暗鬼におちいっているだけではないか。バカらしい」
「……ヤツは善人じゃないぞ」
「ククク、なにを言いだすかとおもえば…。いまさらじぶんのリーダーが恐ろしくなったか? ボウヤ」
「……」
アンドリューが黙るとレオンも無言になった。ピグマも仲裁を諦めて怠そうに薪木をいじるだけで、関わろうとしない。
焚き火から跳ねた火の粉がなびいては消えていく。明かりが反射する白い闇の奥では風の唸りが険悪な拠点を包んで、たびたび屋根を軋ませた。心細い炎を食いつくさんと密度を増した大気は、刺す冷たさで拠点ごと押し潰しそうである。ぽかりと残された空間で三人は身を寄せ合い、揺らめく炎へ吸い込まれるように時間を流した。
だから外への注意が疎かになっていたのだろう。近くから突然足音がして、心臓が跳ねる。風に砕けた音は雪に吸われて届かなかったのだ。人か獣か。全員が慌ててブラスターに手をかけるのを、壁の縁からウルフが覗いた。
「随分静かじゃねえか、死んだかと思ったぜ」
やれやれと抱えていた石を焚き火近くに置いて、ウルフは身体についた雪を払っている。紛らわしい登場にレオンとピグマは脱力するが、置かれた物の音が木ではないと気がついたアンドリューは、わなわなと口を震わせた。
「き…きさまっ! 薪木はどうしたんだ!!」
「そこに置いてあるぜ」
「えっ……」
ウルフが示す先にピグマが身を乗り出すと、蔦で括った枯れ木が三本転がっているのが見える。こんな大荷物を抱えた近くの存在に誰も気づかなかったのかと、ピグマは背筋が凍った。
「安心しぃアンドリュー。丸太がたんまりあるわ」
「ま、丸太?」
驚くアンドリューをよそに、ウルフは並べた石の上へ枯れ木を渡した。山型に積んだ木へ火を移すと炎はじわじわと横に広がり、丸太三本を使った大きな焚き火になる。拠点と並行に燃える炎は空間の隅々まで暖めた。
照らす炎に三人の身が解れ、互いの間に自然と隙間が出来た頃にウルフは立ち上がる。溶けた雪で焚き火や寝床が濡れないよう溝を掘り、作りかけの雪壁を完成させ、どこからか採ってきた小石を火の傍に並べると、太い枝を削ってコップにしていく。
淡々と作業を進めるウルフを眺めていた三人は、やがて疲労感に従い身を横たえた。ベッドほど快適ではないが、しばらくの暖が約束された空間は現状用意できる最高の環境である。先ほどまで圧迫感をもたらしていた白い闇でさえ、今や外部への防壁に感じられた。ウルフはその油断も容認していて、静かに外を見張っている。
戦場であることを忘れそうな雰囲気に、状況が落ち着くのを待っていたピグマは寝返りを打ち、ウルフの無線機を指さして尋ねた。
「なあ、その無線は使たんか? わてらのは壊れてしもて繋がらへんねん」
問いかけに振り向いたウルフは、忘れていたという風に答えた。
「ああ、レオンと逃げてすぐ本隊に連絡した。今夜母艦がウルフェンを回収しに着陸する。そこへ合流だ」
「救助が来るのか? よかった…」
希望を見出してアンドリューの声音が明るくなる。だがウルフは無情な現実を伝えた。
「救助は無い。あくまで機体の回収が目的だ、こっちから出向かなきゃ置いてかれるぜ」
「何だと!?」
「悪天候の敗戦地で撤退中に、鬱陶しい寄せ集めの分隊が救助してもらえると思ったか? ウルフェンが無えなら俺らは用済みだ」
アンドルフの息が掛かる精鋭として結成されたスターウルフだが、所詮はただの傭兵の集まりだ。アンドルフに忠誠を誓った軍幹部からすれば、過剰に戦果を上げるたん瘤であった。
「合流のこうじつを得られただけでもじゅうぶんだろう」
「だが………」
レオンのように納得できないアンドリューを置いて、ピグマが増えた疑問を投げかける。
「待ってや、出向くのはしゃあないけど、どこに母艦が下りるか知っとるんか?」
「知らねえ。だが、でけえ母艦を下ろせる場所は限られてる。てめえらが堕ちたのはどの辺りだ?」
記憶を遡ったピグマとアンドリューが墜落したのは、おそらく西の森近くだった。地形的に平地が小さく大型船を下ろすには少し狭い。悪条件の中停泊するとしたら、ウルフたちが墜落した広い平野の方が有力そうだ。本隊はレーダーで墜落地点を特定しているはずであり、速やかに回収作業を終えたいなら機体のすぐ傍に停めるだろう。合流可能だとウルフは頷いた。
「雪次第だが、未明に発てば間に合うだろ。それまでは全員休んでおけ」
コップができたウルフは仕上がりをためつ眇めつして拠点を離れると、それを小川の水で満たしてきた。そこに焚き火脇で熱していた小石を棒で摘み入れる。ジュワッと音を立てて沸騰した水はブクブクと大きな泡を作り、やがて静かになった。
少し冷ました湯を一口含んで確かめ、ウルフはレオンを抱き起こす。縮こまっていたレオンは目を開き、口に添えられたコップから最小限の動きで湯を飲んでいく。冷えた内臓に染み渡らせるようゆっくり喉に通していたが、その音を捉えたアンドリューが頭を起こした。
「湯があるのか」
「ああ、水を汲んでくりゃあすぐ作れる」
「本当か?」
疑いにウルフは眉をひそめた。顔を向ける方向が僅かにずれたアンドリューの血色は悪い。
「なぜ隠れるように用意しているんだ?」
「隠れちゃいねえだろ、すぐそこで沸かしてたろうが」
「だが黙ってレオンに与えているじゃないか、外で作業してたときもこっそりピグマに飲ませてたんじゃないのか?」
「何言ってやがるんだ……」
呆れた物言いに、横で聞いていたピグマも開いた口が塞がらず、ウルフは脱力して顔を俯けた。するとレオンが目配せしていることに気がつく。コップからアンドリューへ向けた視線は、先にアンドリューへ湯を飲ませろ、と言っている。
しかしウルフは躊躇った。今すぐ内臓を温めるべきはレオンだ。アンドリューも熱と脱水症状が気になるが、レオンの低体温の方が深刻である。
その短い迷いの間に、アンドリューは焦って騒ぎ始めた。
「誤魔化すな! 私が見えてないのを良いことに、三人で物資を分けているんだろう!?」
レオンに身体を押され、ウルフは渋々立ち上がる。
「わかった、てめえから飲ませてやるから静かにしろ」
傍らに移動してコップを持たせると、アンドリューは湯気に肩を震わせ、こぼさないよう慎重に一口飲んだ。身体の芯から温まる安堵で滲んだ涙が目隠しを濡らす。代わりに、貴重な湯を奪った気まずさがアンドリューを責めた。今度は自身の行動に不安が煽られる。
「……その、もういい」
「冷めるから全部飲んじまえ。どうせ人数分作りなおす」
いつも通りの平坦なウルフの返事に、何も言えなくなったアンドリューは大人しく湯を飲み干した。空になったコップを受け取ったウルフは、また水を汲みに拠点を出ていく。吹雪へ消える足音に耳を澄ませていたアンドリューは静かに身体を丸く横たえた。
拠点の中に意識を向けてみれば、ピグマが脚をさすったり、震えるレオンの気配がしていて、どちらも疲労は濃かった。ウルフからしたら全員大して変わらない負傷者なのだろうが、同じくらい足手纏いなら誰から切り捨てられるのか。貢献できることの少ないアンドリューはどうしてもその不安が大きくなっていた。
アンドリューが悶々としている間もウルフは何度も小川と行き来して、三人が温まれるだけの湯を配るついでに、怪我や体調の確認をしてまわる。雑だった応急手当を直したり、濡れた手袋やスカーフを乾かしたりと細かなことまで世話をした。それらを終えて最後に自分の湯を用意すると、ようやく焚き火の脇にどっかりと腰を据えて、拠点の外を見張ったまま動かなくなる。
吹雪と焚き火の音しかしない時間がどれほど続いたか。暖まった寝床は眠くなりそうなほどなのに、戦場で昂る身体は全く睡魔が訪れない。誰かが身じろぎしては静まるのを繰りかえしていたが、燃えて崩れる薪木を組み直したウルフはおもむろに口を開いた。
「アンドリュー」
焚き火をいじる手が止まる。
「どうして俺はてめえを助けたと思う」
不意の芯を貫く声に、アンドリューは萎縮した。だが答えの中に最も尊敬する人が含まれているならば、泰然とした声で振る舞えた。
「私が居ないとアンドルフ様直属の部隊という説得力が失われるからだろう」
「それだけなら、もうてめえじゃなくていい。てめえの入隊もチーム結成の条件だったが、スターウルフは既に結成され軍内の位置も確立してる。錦旗が必要なら他の奴とすげ替えるだけだ」
アンドリューは言葉が詰まる。スターウルフにとって自身の価値がそれ以外にあると考えていなかったからだ。しばし俯いて、別の理由を搾り出す。
「……簡単に味方を捨てては、傭兵の信用に関わるからか?」
「違えな。ターゲットの討伐失敗、貸与戦闘機は全機スクラップ、最新機体が情報流出の危機、挙句撤退中の本隊に救助要請を出してやがる。とっくに信用は失った。捕虜になって情報を売るか、しばらく行方不明にでもなってる方が楽だ」
「……」
自身ではアンドルフを捨てる選択肢など考えられず、返答に窮したアンドリューは閉口する。傭兵の生存戦略と理解はするが、おじを信じている心には受け入れられない道だった。
困惑するアンドリューへ染み込ませるように、ウルフは話を続ける。
「てめえらを助ける理由が命や仕事なら、俺はとっくに依頼を投げてとんずらしてる。こんな吹雪の雪山で三人も足手纏いを連れたサバイバルなんざしねえ」
「なら、どうしてだ」
疑問が追いついたアンドリューの問いかけに、それを待っていたウルフの瞳がギラリと光る。渇望していた獲物の姿を浮かべ、逸る心に唇の端を吊り上げた。
「戦うためだ」
氷雪の煌めきのごとく、鋭利な断言に場が冴える。
「俺は絶対に、あのキツネと撃ち合わなきゃならねえ」
その清々しさに、濁っていたチームの視界が開ける。凍りついていた精気が迸る。
「アーウィンに対抗できる機体はウルフェンだけだ、そして乗りこなせる奴も限られてる。アンドルフの象徴とパイロットの要件を同時に満たせるのはアンドリュー、てめえくらいだ」
目隠しを突き抜け見つめる瞳は、これまでアンドリューが向けられたことの無いものだった。ウルフの言葉には血筋以外への期待が込められている。例えそれが自分本位な理由からだとしても、他の誰よりアンドリューを必要としている声だった。
「だが、それだけじゃ足りねえ。ピグマがいなきゃ機体の改良もできねえ、レオンがいなきゃ戦闘力が足りねえ。俺が何がなんでも戦いたいキツネの前に戻るには、てめえら全員が必要だ」
ウルフはピグマとレオンとにも同じ瞳を向ける。ピグマは追懐混じりの呆れた瞳を、レオンは愉快そうな同意の瞳を返した。
「必ずてめえらを生きてベノムへ帰す。じゃなきゃ俺の目的を果たせねえ」
言い切ったウルフの瞳はアンドリューの元へ戻る。
「だからてめえを死なせることも、ここに置いていくことも絶対に無い。わかったか、アンドリュー」
念押すウルフの真意に気がついて、アンドリューは今度こそ胸を張って返事をした。
「フ、フン! 言われなくてもわかっている。そんなことよりも、アンドルフ様がこのチームを創設してくださったというのにキサマらは畏敬が足りん! もっとおじさんの尊さを認識するべきだ!」
「はっ、そうかよ。畏敬な、畏敬」
どうでも良さそうに薪木をいじり始めたウルフにアンドリューは拳を震わせた。わかりやすい変化を笑うレオンにどつく元気まで戻り、険悪な空気が和らいでピグマも力を抜いた。
「ウルフの考えはわかったわ。…あんさん、自分が思うてるよりあいつの影響受けとるで」
「あ゙?」
「すまんすまん! いらんこと言うたわ。えー、それより全員で戻るつもりみたいやけど、戻ったところでわてらは怪我してもうてる。回復には時間がかかってまうし、ウルフェンに乗れんスターウルフなんてただの穀潰しにしかなれへんわ。どないしてチームの立場を取り戻すつもりや?」
本気で凄まれ誤魔化したピグマの問いかけに、ウルフの返事は間が空いた。
「アンドルフとてめえの研究に、人体の一部をサイボーグ化させる計画があっただろ」
「!」
「これから人で試すところだとか言ってやがったな? …被験者探しは面倒くせえだろ」
「……さすがやな、わての動かし方をよぉわかっとる」
ピグマはにたりと笑う。ウルフは嫌そうに顔を歪めるが先を続ける。
「スターウルフのサイボーグ化を提案すればアンドルフが釣れて治療も同時にできる。…だが、てめえの身体をいじるんだ。強制はしねえ。やりたくなきゃ今のうちに降りるんだな」
渋るウルフと裏腹に、いの一番でアンドリューが答えた。
「アンドルフ様の研究に貢献できるならこれ以上嬉しいことはない、喜んでやってやる」
「わても実験台になるのはかまへんで。自分で体験せな見えへんこともあるやろ」
ピグマも前向きに頷く。眉間に皺を寄せたウルフはレオンの方を見る。
「私も構わんぞ。もう一度あのトリと遊びたいからな」
レオンまで快諾するのは意外だったウルフは、仕方なく目を伏せて了承した。
「ウルフもサイボーグ化するんやろ? 見たところかすり傷だけのようやけど、ついでに左目の治療もしたらええやん」
「俺はしねえ」
「はあ!? キサマ自分で提案しておいて…!」
思わぬ返答にアンドリューは勢いよく起き上がる。
「そんな考えでどうやって復帰しようとかほざくんだ! さては怖気づいたな!」
「相変わらずわかっていないボウヤだな。我々には選択肢など無いということだ、そうだろうウルフ?」
「ああ」
サイボーグ化を断る者はこの場で捨てればいい。もし全員に断られてもウルフ一人で生き延びればいつか再戦のチャンスはある。目的達成こそ難しくなるが、フィチナ脱出の足手纏いを連れなくて済むのだ。どちらに転んでもウルフは痛くないのだから、他の三人は着いていくしか生還の道が無かった。
「おのれ、謀ったな…!」
「強要する気が無かったのは本当だぜ、断るなら世話は焼かないってだけだ。…俺はこの身体のまま奴と戦う。それまでサイボーグにする気はさらさらねえよ」
「サイボーグ化はてっとり早い強化手段だろう! これでキサマだけ負けたらお笑いだな!」
「そうなったらそれが俺の結果なんだろ」
「そのせいで我が軍が敗北したらどうするつもりだ! 真面目に戦え!!」
「はっ! てめえなんざより真面目にやってるぜ。だが俺は戦争の勝ち負けに興味は無え、どうこうしてえなら自分でどうにかするんだな」
頑ななウルフにアンドリューは歯噛みする。楽しそうに観戦するレオンが見えていればさらに顔を赤くしていただろう。
「ちょっとは仲良うできひんのか自分らは。なんしか、ウルフはサイボーグにせぇへんっちゅうことやな? …まあ説得力は落ちてまうけど、ウルフェンが回収できんのやったら間に合わへんかったバージョンアップも試せるさかい、アンドルフ様も興味持ってくださるやろ。わてらの需要もあるわ。そこまで折込み済みなんやろ?」
「ああ。交渉はてめえに任せる」
「ぶひょひょ、楽しなってきたわ。一肌脱ぎまっせ」
自分を無視して進む話にアンドリューは口を挟もうとしたが、おじの名前が出たことで拳をおさめる。しばらく腕組みで何やら考えて、そのうち一人で納得したのか何度も頷いた。
「アンドルフ様を謀るような言い回しは見逃してやろう。我々が復帰すればアンドルフ様の大きな力になれるのは本当だからな。必ずスターフォックスを撃ち倒すぞ!」
「何リーダー面してんだ」
話が終わったと思っていたウルフは呆れ顔でアンドリューを見る。困惑する様子がおもしろかったのか、レオンは丸聞こえの小声で教えた。
「リーダーをやってみたいのだ、お年頃だからな」
「リーダーってかっこええもんなあ」
「頼りないリーダーのフォローをしてやってるんだ! キサマら馬鹿にしているな!?」
「「してない、してない」」「してへん、してへん」
軽く流されて悔しがるアンドリューだったが、見通しが立って緊張が解けたのかぎゅうと腹が鳴る。それを聞いてピグマも腹をさすった。
「一息つけたら腹が減ってきたなあ、アンドリュー」
「いや、これくらいなんとも…」
「栄養補給は大事やって。仲直りにええもんあげるわ」
ピグマは自身のポケットを探り、ぽろぽろとキャラメルを転がした。その一粒をアンドリューの手に乗せる。包み紙を開いて匂いを嗅いだアンドリューは目隠しの下で目を輝かせた。
「キサマこんな良いものを隠し持っていたのか!」
「許してや、食べ物の怨みは恐ろしいから言い出しにくかったんや」
「でけえ声出すなアンドリュー」
「ぐっ」
縮こまるアンドリューの横で、レオンが身じろぐ。
「ウルフ、私の右ポケットを開けろ」
「あん? …てめえも持ってんじゃねえか」
ウルフがポケットを探ると、圧縮ビスケットが出てきた。それを聞いてアンドリューは振りかえる。
「なんだとキサマら」
「……待てよ」
思い出したようにウルフは自分の服を探った。軍用クッキーが出てくる。
「そういや入れてたな」
「キサマもだと…!」
「最前線に行くならひとつは忍ばせるだろう。貴様は無いのかアンドリュー」
問われたアンドリューは身を固め、小さな声で正直に答えた。
「……無い」
それを聞いて三人はおもしろいものを見つけたようにニヤつく。
「まだ戦場の作法はお勉強中か」
「くっ…!」
「まあまあ煽らんとって。分け合おか、そのために出したんやろ?」
「私の分だけ減らすつもりだろう」
顔を背けていじけるアンドリューを、割れたクッキーを持つ手でウルフが小突く。
「それならてめえが寝てる間に食うだろうが、いい加減にしろ」
吹き荒れる雪の中、かまくらで晩酌をするような呑気さでスターウルフは再結成されたのだった。
深夜。もう一度本隊に無線を繋いだウルフたちは、ブリザードの中を平野へ向かっていた。
母艦は予想通り、ウルフの墜落した近辺に停泊していたが、無線では収容状況を聞き出すまでが精一杯だった。救助する気も聞く耳も無い相手は、説得する間もなく早々に無線を切ってしまったのである。
昨夜から続く回収作戦でウルフとレオンの機体はすでに収容されていたが、ピグマとアンドリューの二機は捜索が難航しているらしい。時間は稼げているものの、場所さえわかれば作業はすぐ終わるだろう。運悪く吹雪が止んでしまった場合も母艦は早々に立ち去るはずだ。
これ以上休む余裕は無いと判断したウルフたちは、深夜の雪中行軍を決行するしかなかった。
「まったく、何なんだあの無線の態度は…!」
「最初に繋いだときもああやったようやからな。よぉ粘ってくれたでほんまに」
「ああ、少しは見直したぞ」
ピグマとアンドリューは肩を貸し合い、前を歩くウルフを追いかけていた。レオンを背負ったウルフの腰には二人と繋がる蔦が巻いてある。それがアンドリューの手掛かりとなりピグマを支える余裕を作っていた。代わりに足元や頭上の危険はピグマが補助をして、どうにかウルフの足についていっている。
「おい、後ろついてきてるか」
「…ああいるぞ、お喋りする元気があるようだ」
二組の間は数人分しか離れていないのに地吹雪で声も姿も捉えにくい。レオンが松明で照らして背後を窺うと、杖をついたピグマが段差を越えるところだった。アンドリューはしっかりと蔦を握りウルフの動きを触覚で探っている。二人の足取りは怪我の割に力強く、歩みが遅れてウルフの足を止めさせることはなかった。レオンの返答にウルフは笑みを浮かべる。
「上出来だ」
前を行くウルフは貧血で立てないレオンを背負い、森へ逃げ込んだ道を戻っていた。木々の重なりを抜けるほど地吹雪は強まり、唯一道を知っているウルフが誤れば即遭難しそうである。
出発してすぐにそう感じた二人は役割を分担し、ウルフは方向感覚を維持することに、レオンは目となることに集中していた。レオンがスナイパーの五感を研ぎ澄ませて得た情報で、パイロットのウルフが進路を定める。白い闇を飛ぶ戦闘機とレーダーのように、二人に慣れた作戦で突き進んでいた。
岩場へ到着したウルフたちは次の目印を共有していたが、どこを見ても雲の中にいるようだった。進むほど狭くなっていく視界に、レオンはいよいよ渋い顔をする。
「森の中でこれか、平野はとても進めないのではないか?」
「だろうな。だが行くしかねえだろ」
今は目印を頼りに進んでいるが平野に出ればそれらは無く、風に混ぜられて音も辿れない。当然方位磁石など持っておらず、ホワイトアウトの中で最後に頼れるものは、ウルフの直感だけだった。
斜面を下り、目を凝らして進んでいたウルフはふと傍らの木に手をついて立ち止まる。鈍い風音と共に濃くなる白い闇の圧迫感が、前方だけ抜けている気がした。風の流れと匂いが違う。数歩戻ったウルフはピグマとアンドリューにぶつかった。
「なんだ!? どうした!?」
風に負けないようアンドリューは声を張る。
「少し戻って、倒木と切り株を探せ!」
ウルフの声に全員で周囲を探る。アンドリューも目隠しをずらして、痛みでほとんど開けない目を凝らした。おそらく今は森と平野の境界近くにいて、正しく移動できたなら近くにレオンを凭れさせた切り株があるはずだった。数メートルしかない視界から、わずかに風雪が弱まる瞬間を狙って木の影を追う。
「どれくらいの大きさや!?」
「俺の腰丈で、腕で囲えるくらいの切り株だ!」
「……、レオン! あっちを照らせ、何か見える気がする…! 私の代わりに見ろ!」
レオンはアンドリューが指さす方へ松明を向け、全員でそちらを凝視する。しかし明かりを乱反射する白い闇が遮り、影が見えなくなってしまう。
「松明を隠せ! 眩しくて見えねえ!」
松明が下ろされると辺りの暗さは増したが、目が慣れれば影がうっすらと浮いてくる。焦ったい時間をかけて見つめる先で、不自然な塊をレオンが捉えた。
「あったぞウルフ! 1時の方向、5smだ!」
レオンの声に全員で駆け寄ると、示されたちょうどの位置に倒木と切り株が揃っていた。
「どうだ? これか?」
切り株を識別するウルフからレオンを預かりアンドリューが尋ねる。慎重に瘤や形を調べてウルフは頷く。
「でかした、間違いねえ!」
レオンを凭れさせた位置を見つけたウルフは数時間前と同じ場所に膝をつき、記憶と目の前の光景を擦り合わせた。
「……2時の方角、約4skm。上手くいけば1時間ってところか」
ウルフは呟き前方を見据える。平野は完全にホワイトアウトしており視界はゼロだ。真っ直ぐに到着できなければ凍死してしまう。
松明を中心に円陣を組んで暖を取らせながら、ウルフは命令を下した。
「火種は落とすな! レオンは俺が背負う、アンドリュー、ピグマの順に続け! 前の奴を掴んで隊列を組み、後ろの奴が離れたらすぐに知らせろ! てめえらははぐれないことに集中しやがれ! 道は俺が開く!」
遂にこの雪の壁へ突っ込むのだと全員の表情が強張り、一蓮托生の覚悟が決まる。迷う時間すら惜しんで隊列を組み直し、仲間のベルトを強く握った。
「行くぞ!」
意を決してスターウルフは平野へ踏み出す。森の境を過ぎた瞬間、吹きっさらしの横風が叩きつけた。煽られる脚を踏ん張り、ウルフは腰まで埋まる新雪を掻き分けていく。その崩した獣道をアンドリューが進み、歩きやすくなった道をピグマが追いかける。
あっという間に全身へ纏わりつく雪を耐えながら、ウルフは頭の中で歩数を数えていた。極力まっすぐ平行に、同じ歩幅で歩いて距離を測っているのだ。森へ逃げたときもウルフェンから歩測をして大まかな距離感は掴んでいる。進んでいる実感が得られれば、その場で足踏みしている錯覚はしにくい。ムカデのように進むのはたかだか100smでも果てしないが、ウルフは直線の上を歩くイメージを保ち、方向感覚を失わないように集中していた。
そのウルフに背負われて体力に余裕のあるレオンは、猛吹雪で消えた松明を諦めて尻尾に持ち変え、再び目の代わりとなっている。母艦ほど巨大ならばホワイトアウトしていても輪郭を捉えられるかもしれない。ときおりエンジンらしき音が微かに流れてくるので、平野のどこかに停泊しているのは間違いないだろう。だが風は音を曲げて惑わしてくる。視覚情報を優位に判断すべきと考えたレオンは、目眩に襲われながらも周囲を探るのはやめなかった。
「、ウルフ待て!」
「っ…1357、どうした!」
「ピグマが」
レオンの呼びかけにウルフは足を止める。振り向くとアンドリューが後方を指差しており、転んだピグマがもぞもぞと起きている最中だった。
「すまん! 足場が悪うて…」
「構わねえ、このやり方を続けろ!」
出発してからまだそう進んでいないのに、体勢を整えるピグマは肩で息をしていた。アンドリューのベルトを掴みなおすまで待っていたウルフは進行速度を落として先へ向かう。
「先は長えな」
「あと何歩だ?」
小さなひとり言へ返ってきたレオンの声に、一拍間を空けてウルフは静かに笑う。何も言わずとも全て察した仲間に、背が軽くなったようだった。
「6643だ」
平野の中央へ向かうほど森のざわめきは遠ざかり、冷たい風と雪に叩かれ、辺りは白しか認識できなくなる。時間も距離もわからず、空間織失調と似た恐怖がじわじわと首を締めてくるのを、ウルフへの信頼だけでチームは耐えていた。
ブーツに入った雪で濡れる足先。機械的に動かす身体。腰に感じる仲間の手。蜃気楼のようなエンジン音。自らの呼吸。水蒸気で凍る口元。末端の血流も、考えようとする頭も、全てを白い闇に埋め尽くされても、生きようとする本能だけで抗う。ひたすら前へ、止まるな。前へ。進め。歩け。動け。浮かぶ言葉は単純な命令になっていく。
会話などできず、ろくな防寒具も無く晒された顔は冷気に焼かれ、耳は千切れそうだ。腰まで浸かる脚は体温で雪が溶け、濡れた服は氷となって腿に貼りつく。ガチガチに固まった服は鑢のように身体を擦り傷まみれにした。
気力を張り詰めていたウルフ達だったが、どれほど進んだ頃か。いつの間にか、風に混ざる低い音が大きくなっているのに気がついた。視界を奪われ音に敏感になっていたアンドリューが悴んだ口を開く。
「これは、えんじん音じゃないか!?」
「……ほんまや! 母艦がちかいんや!」
「まだだ! そんなに進んでねえ!」
ウルフの怒声を遮るようにエンジン音はどんどん大きくなり、轟々と風に巻いて唸りを上げた。
「だが、こんなにはっきりきこえるぞ!?」
アンドリューは音の方へ顔を向ける。ピグマも半信半疑で同じ方へ顔を向け、何か見えないかと目を凝らしている。
「てめえら!! 俺がなんて命令したか忘れたか!?」
「あ……」
アンドリューはウルフの怒声に冷静さを取り戻す。だがピグマはそれだけでは納得しない。もし音が本物なら明後日の方向へ向かっているからだ。
「この音をシカトするこんきょはなんや!?」
「まだ5028歩しか進んでねえからだ! 森へ逃げたときの歩数に全然足りねえ! 逸れてるにしても着くのが早すぎる!」
歩測していたのを知って驚くピグマとアンドリューの、更に後方をウルフは振りかえる。数sm先も見えないが、ウルフの直感は伝えていた。
「今から方向を定め直すのは無理だ! 大きく逸れてねえなら母艦のどこかにぶち当たる、このまま進むぞ!」
怒鳴る迫力に気押されたのか、先ほどまで取り巻いていたエンジン音が急に小さくなる。風向きが変わったのだ。ウルフは畳み掛ける。
「本当に至近距離で聞こえてるなら、あんなでけえ音が消えるわけねえ! 振動も伝わる、そうだろ!」
ピグマは黙るが納得しきれていない。それを察したアンドリューは力強く声を張り上げた。
「わたしもウルフが正しいとおもうぞ、ピグマ! 頭のいいきさまが、はんだんできないわけがない! さては疲れているな!? ウルフ、みち沿いでいい、小休けいをていあんする!」
考えるウルフにレオンも助言する。
「みち沿いならば、ときどき吹きだまりがあった。短じかんの風よけくらいはできるかもしれん」
「……道沿いに休める場所を探しながら進め! ピグマはそこで考えろ!」
「…りょうかいや」
ほとんど聞こえない返事だったが、アンドリューがピグマの雪を払いながら頷いたのを見て、ウルフは前に向き直った。
ウルフ以外の三人は周囲に吹き溜まりや物陰を探す。アンドリューも完全に目隠しを外して必死に首を回した。幸い今いる辺りは、平野部とはいえ多少の隆起や小木がある。ほどなくして、レオンは強風で雪庇になっている所を見つけた。
「あそこはどうだ」
「……ああ、そこでいい」
しかし雪庇に近づいたウルフは目前で止まってしまい、背後の二人も戸惑う。何事かとレオンが背中から窺った。
「どうした」
「……脇に逸れたら、方向を見失う」
自身の感覚と直感だけで方向を認識していたウルフは、雪庇までのほんの十数歩さえずれることを躊躇っていた。休むには多少なりとも雪を掘らねばならず、体力の残っているウルフが掘るのが理想的だが、そうすれば道を逸れてしまう。
その意図を汲んだレオンは、振り向いてアンドリューに尋ねた。
「きさまは雪をほれるか、アンドリュー!」
「……!」
ウルフにできなくて、自分にできることがある。それだけでアンドリューは力が漲ってきた。
「まかせろ! ピグマ、すぐ休めるようにしてやる! あと少したえろ!」
蔦を切ってばふばふと新雪に分け入ったアンドリューは、大急ぎで雪庇の陰に数人入れる程の穴を掘っていく。激しい頭痛と目の痛みを、脂汗を流して耐えながら必死に手足で雪を掻いた。
レオンもウルフからずり下りて、よろけつつも穴へ向かう。鈍い動きだが、アンドリューが大まかに掘った部分を固めて崩れない壁にした。三人が身を屈められる程度の窪みはそうかからず形になる。
「できたぞピグマ! こい!」
呼ばれたピグマは窪みへ向おうとして、ウルフを振り返った。少しも足をずらさず立ったまま休む姿に、珍しく素直な気遣いが口をつく。
「…じぶんはほんまに休まんでええんか?」
「ああ。早く行け」
促されたピグマは微動だにしないウルフの背を見ていたが、のろのろと道を外れる。窪みではレオンが松明に火をつけようとしていた。
「ちょうどいい、きさまのずうたいで風よけになれ」
「つくんか?」
「風でうまくいかんのだ、輪になってかべになれ」
三人は顔がつきそうなほど近づいてしゃがみ、身体で風除けを作る。松明には油分の多い枝を選んでいたが冷えていては燃えにくく、アンドリューは先端を握って温めていた。レオンは苔や樹皮に包んで携帯していた火種を火口に乗せて、そっと息を吹きかけ育てていく。三人の身体に守られた小さな火はやがて赤さを増し、勢いよく発火した。すかさず松明の上に乗せると徐々に焦げ臭い煙が昇る。小さいながらも暖かな炎が松明に灯った。
「おお……! あたたかいな……!」
冷えた手を温められるだけでも随分気持ちが違う。三人は交代で松明を持ちかえ暖をとった。身体についていた雪を払い、足を休め、少しは頭の血流が良くなったピグマは呟く。
「やっぱりわてがおかしかったわ。あれからいっぺんもエンジン音が聞こえへん。ウルフの言う通りや」
佇んで地吹雪の奥を睨むウルフは、ときおり雪の積もった耳を動かすのみである。しばらくその姿を見ていたピグマは、やれやれと首を振った。
「さぶいと頭がおかしくなるんかな。アンドリュー、提案してくれて助かったで」
「……ピグマ、キサマ本当の礼ができたんだな」
「なんや、わてだってブタの子でっせ」
ぶひひっ、とわざとらしくピグマは笑った。その弾みで揺れる足を見つめてレオンは問いかける。
「足の具合はどうなんだ、かいぜんできる問題はいまのうちにかいけつしろ」
「それが、歩いとるうちに固定がゆるんでしもて…。直したらちょっとは良うなると思うんやけどな。すぐおわるから待っとってや」
ブーツを脱いだピグマが雪を払って足の固定を解くと、その下は青紫になって腫れていた。再度スカーフで結ぶ手の動きの違和感に気づいたレオンは指摘する。
「貴様、手首もくじいているな?」
「ああそうやった、布がないから手当てしてへんかったわ」
「しかたない。特別にわたしのスカーフを使わせてやろう」
アンドリューは首に巻いていたスカーフを差し出した。受け取ったレオンは手際よく捻挫を固定していく。
「こんどは手が痛んではぐれたなど言われてはめんどうだからな」
「かなんわあ、こりゃ母艦についたらしっかり交渉せないけまへんな」
次に休めるのは無事到着するか遭難してからだろう。手当てと身繕いを整え、顔を見合わせた三人はよたよたとウルフの元へ戻る。
「すまんなウルフ、わてが悪かったわ。予定どおりいこか」
「ああ。もう半分は過ぎてる、あと少しだ」
合流したウルフはピグマの謝罪へなんてことなさそうに返して再出発するが、おぶさったレオンだけはその背に緊張が滲んでいるのを感じて口を噤んだ。さりげなく、松明を寄せて仄かな熱を送る。
猛吹雪は悪化も好転もせず続いており、どこからか流れてくるエンジン音だけが、母艦はまだ離陸していないと知れる希望だった。急げ急げと絡まる新雪を踏み分け、黙々と同じ歩みを繰りかえして道を拓く。
ウルフに聞こえる背後の足音は、強風に負けてふらつき、頼りなかった。足を滑らせた揺れもしょっちゅう伝わってくる。その度に歩調を緩め、止まり、時間ばかりかかってちっとも先に進まない。前へ集中したいのにどうしても後ろが気になってしまう。不安定な足場で手が使えない動きにくさも煩わしい。一人で駆けていればきっととうに母艦に着いていて、今頃温かいシャワーでも浴びているはずだ。
だがそれらの重さが、ウルフの脚を支えていた。
無言の行軍を続けていると、エンジンの低い唸りが大きくなってくる。今度こそ風に紛れず空間を振動させる音に全員が顔を上げた。特にレオンは凝視して、その姿を捉えようと首を伸ばす。
程なくして、吹雪の向こうに巨大な黒い輪郭を捉えたレオンは全員に叫んだ。
「見えたぞ!」
「!」
「は……! や、やった……!」
「ほんまや、ほんまにおる!」
巨大な影に駆け寄るとそれは幻覚ではなく、確かな質量をもって母艦が聳えていた。間違いなく自軍の、フィチナ攻略部隊の旗艦である。
アンドリューとピグマは歓声を上げ、ウルフは呆然と立っていた。身体の下で胸が大きく膨らんだのに気がついて、レオンはひっそりと笑う。
「まだ乗り込んでねえんだ! さっさとタラップを探すぞ!」
もしタラップが下りているのと反対側にいれば、迂回するだけで時間がかかってしまう。うかうかして乗り損ねては後の祭りだ。さらに接近すれば母艦が風除けとなり、細部が判別できるようになる。幸運にも今いるのは左舷の前方で、艦に沿って後方へ向かうと、まだタラップは下りていた。離陸に間に合ったのだ。
「早く乗れ!」
ウルフはアンドリュー、ピグマを先に促し、最後にレオンと階段へ足をかける。四人は疲労も痛みも忘れて駆け上がり、足音に警戒していた見張りの兵を驚かせた。
「ス、スターウルフ!?」
しかしそんなものには構わず我先に艦内への扉へ飛び込む。瞬間あふれてくる暖気に、今度こそ心から安堵の息が洩れた。溶けていく身体は末端からジンジンと腫れるような痛みを訴え始める。
そのまま重力に従って足を崩しかけていたアンドリュー達の横を、ウルフだけは一片も緩みを見せず、ずかずかと足音を立てて奥へ向かった。休む間もなくどこへ行くのか気がついた三人は、すぐに倣ってその後ろへ毅然と続く。
「な…!? と、止まってください、今は会議中で、」
「どけ」
目的の場所にいた人払いの兵を乱暴に押し退けて、ウルフはドアの開閉スイッチを壊す勢いでぶん殴った。
「よお、来てくれて助かったぜ。まだ機体回収は終わってねえのか?」
突如指揮所へ現れたスターウルフに、司令官と部下たちは動揺する。満身創痍の様相から滾らせる怒気に室内がざわついた。
ドン!と手の平を机に叩きつけて、ウルフは司令官に眼光を飛ばす。
「とっとと収容してもらわねえと、俺らの仕事が無えじゃねえか」
「くっ…傭兵風情が偉そうに! ターゲットに負けた挙句、アンドルフ様の大事な機体を無様に堕としおって! 本隊の手まで煩わせておいて何を言うか! どう報告させるつもりだ!!」
がなる司令官の前にピグマが進み出る。
「ウルフェンとチームについては、帰還後にわてからアンドルフ様へ新しい提案をします。ただ、極秘研究に関わることやから、ここでは詳細を控えさせてもらいます」
出鼻を挫かれた司令官は眉間に皺を寄せて口を開こうとするが、ピグマはそれを遮っていかにも申し訳なさそうな声音で続けた。
「そらそれとして一番重要な話やけど。こっちの落ち度で本隊に手間かけさせたのは事実や。にも関わらず、司令官殿が軍のため危険な回収作業に尽力してくれよったことは、わてからアンドルフ様へ丁寧〜に説明します」
やから、とピグマは言いづらそうに小声で進言する。
「どうかここは堪えて頂けまへんか? 外面だけとは言うても、アンドルフ様の甥御はんを見捨てたちゅうんは…。反逆の疑いありと誤解されるかもしれまへんで?」
「む…」
ウルフの後ろで控えるアンドリューに司令官は口籠った。ピグマとアンドリューはこの空間で最もアンドルフに近い立場だ。階級よりも強力なカードを出されては文句も言えなかった。
「……良いだろう。結果的にアンドルフ様への貢献に繋がるならば、今回の失態は目を瞑ってやってもいい」
「ほんならそういうことで…」
「ただし」
ふんぞり返った司令官はウルフを睨む。
「オドネルが先程の非礼を詫びれば、だ」
「ああ?」
ウルフ本人よりもピグマが焦った。アンドリューは顔色を変え、レオンは無表情の内側で好奇心のまま凝視している。
「当然だ、先程の態度は雇われが依頼主の部下へとるものではないだろう? ただ一言詫びろと言っているのだ。難しくあるまい」
司令官はゆっくりと机を回り込み、偉そうにウルフの前まで歩いてくる。そして溶けた雪でずぶ濡れの全身を上から下まで眺めると、わざとらしく侮蔑の表情を向けた。
「アンドルフ様を崇拝する我々は、言わばアンドルフ様の手足であり、貴様の態度は皇帝への大変な無礼ということになる。わかるか? 本来なら赦されないが、この場でおさめてやろうと言っているのだ。早く犬らしく跪け」
静かに怒りをぶつける司令官を、ウルフは興味無さそうに見下した。
「するわけねえだろ」
「何考えとんねん…」
頭を抱えるピグマを無視してウルフは続ける。
「痛い目を見る前に、自分の状況を理解するんだな」
「簡単な詫びさえできんとは。やはり、アンドルフ様の研究を口実に失態を誤魔化そうとしているのだな? なんと不敬な。上層部へ報告し処罰を検討せねば」
返された拒否に司令官はにやりと嗤う。スターウルフを引っ込ませられる機会を待っていた幹部たちはすぐ食いつくだろう。だが脅されたウルフは面白そうに目を開き、口角を上げた。
瞬時に司令官の顎を鷲掴み机に叩きつけたウルフはこめかみに銃口を当てる。早業に追いつけなかった部下たちの銃口を睨んで牽制し、手を外そうとする司令官の金玉を膝で潰した。声にならない悲鳴が上がったところで場が硬直する。
主導権を掌握したウルフは楽しそうに司令官へメンチを切った。
「痛い目見る前にと忠告してやったよな? やれるもんならやってみやがれ」
「ふ、ふて! ふてー!!」
司令官の喚きに部下たちは引き金を引こうとするが、ウルフは多数の銃口に怯みもせず、敵意の無い笑みを向けた。
「撃つならこいつにしたらどうだ? 昇格の枠ができるぜ。機体収容が終わればあとは帰るだけだ、楽なもんだろ」
「ひ、ひさまら! わらしが死んらら、ろう言い訳する気ら! 早ふふて!」
「死体なんざそこらに捨てりゃいい。司令官は路面凍結による転落事故で死亡、直後敵軍に艦を発見されたため速やかに退却し、遺体の回収はできなかった。これでいいか? 他の理由が欲しいならいくらでも出してやるぜ」
即座に撃たない時点で迷う理由があると言っているようなものだ。どう動くか考えあぐねている部下たちに、ウルフは駄目押しをする。
「こいつを撃つなら、アンドルフへ直々に取り入れるようにしてやってもいい。できるなピグマ」
「そら簡単や」
「…!!」
銃口が揺れる気配に司令官は動揺する。それを待っていたウルフは無視していた男を改めて見下した。
「…ってわけだ。早く考え直さねえと、てめえが撃たれるぜ」
「ひゃ、ひゃめてやる! はなしぇ!」
悲鳴に近い答えにウルフはブラスターを収め、あっさりと退く。手形のついた頬を押さえながら青褪めている司令官に、ウルフは穏やかな声で和解を提案する。
「フィチナの功績が無えのはお互い様なんだ。しくじり仲間同士、仲良くしようぜ」
室内は静まりかえる。ひりついた空間で呟いたのは司令官だった。
「……き、機体回収作戦は終了していない。指揮の邪魔だ、速やかに退室せよ…!」
「ふん」
ウルフは肩をすくめて、チームを引き連れ退室する。部屋の前で様子を窺っていた兵はウルフと目が合うと慌てて道を開けた。他に遮る者はおらず、悠々と艦内への階段に向かう。背後では部下を叱責する司令官の声がうるさく響いていたが、不意にその声は途切れて静かになった。階段を下りきったあたりでレオンから口を開く。
「なんだつまらん、てっきりもっと暴れてくれると期待したのだがな」
「巻き込まれるかと思ったぞ。大体キサマも悪いんだ、おじさんの名前を出すなら様くらいつけろ!」
「せっかくのトークがわややで。あれじゃすぐ部下がタカりにくるやろうけど、わては何もせぇへんからな」
「悪いな、脅しが下手すぎて遊びたくなっちまった。連中が来ても口約束なんざ放っとけ」
姿勢を崩して文句を言う三人にウルフは肩を揺らす。その笑みはやがて、もう我慢できないと口端を裂き、大口から牙を覗かせた。
「だがこれで、奴らをぶち堕としに行けるぜ」
脳裏には青と白の機体が焼きついている。上機嫌で示された報復の予感は、チームの仮死していた芯をぐつぐつと沸かし始めた。
「ククク…本当に楽しみだ……、ああ早く会えんものか……」
「次のウルフェンはええ機体になるで〜楽しみにしとき! ぶひひひ!」
「あいつらのせいでこんな目にあったんだ、絶対に許さん! 次こそ我々が勝利するのだ!」
スターフォックスへの厭悪を受けたウルフは愉快で堪らない。地上を歩いていたときが嘘のように生き生きし始めたチームに、再戦への期待が高まっていく。珍しく尾までゆらゆらと揺れていたが、興奮する三人も、ウルフ自身も、誰も気がついていなかった。
艦内の分かれ道まで来て、もう一方の道を示したウルフはしっしと手を払う。
「てめえらは救護室でとっとと休め。俺はウルフェンを見てくる」
「言われんでもそうさせてもらいますわ。いや〜やっと休めるわ〜」
「ああ長かった…救護室はもっと暖かいんだろうな……」
「貴様もあとで来い、ウルフ。顔の傷を縫ってもらえ」
「いらねえよこんなもん」
レオンは血が垂れた顔を指さすが、ウルフは面倒そうにハンガーへ向かう。その背中へレオンは揶揄いを投げた。
「では私がガーゼを当ててやろう、おまじないにかわいい絵でも描こうか」
「……後で行く」
一瞬足を止めたウルフは素直に返事をし、今度こそ立ち去る。
途中、幽霊でも見たような顔の兵たちとすれ違うが、その中にいた整備士を呼び止めてウルフェンがどこにあるか聞き出せた。ハンガーに着くと並ぶ戦闘機を通り過ぎて、やっと左翼がもげた自機と再会する。
収容されたウルフとレオンの機体は保護まで完了していた。シートで覆われ中は見えないが、特徴的な四枚の前進翼は間違えようがない。あと二機をおさめるスペースが設けられているのを確認し、回収作業自体は順当に実施されているようだと胸を撫で下ろす。
ようやく今回の始末がついて一気に身体が重たくなったウルフは、レオンの言うとおり救護室へ向かった。ウルフとて足先の感覚は既に無く、垂れる滴も鬱陶しい。
早く熱いシャワーを浴びて、レーションでも何でも良いから腹を満たして眠りたかった。