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世界で一番幸せな国になる。

京都在住の女性W様から連絡をもらった。三歳の女の子がバスに閉じ込められて死ぬ事故が起きた。マスコミは「あり得ない」とか「罪のない子が」などのコメントを残したが、三歳の女の子は生きるために服を脱いだりバスの中にある水を全部飲み切ったり、最後の最後まで精一杯に生きる知恵を絞った。女の子のその姿を無視して、ただただ可哀想がる世間の姿に絶望して、私まで生きる力を失くしていた。三歳の女の子よりも、大人たちの方がよっぽど頭が悪くて、よっぽど意気地無しに思えた。そんな時に坂爪さんの存在を知って、あ、まだここにも生きている人がいると思って会いたいと思って連絡をした。W様は、そのようなことを話した。

私も似た感覚の持ち主なので、W様が言っている意味はわかった。どうして罪のない人がなどと嘆く世間に対しては「だったらお前らは死人全員罪人だと思っているのか」と問いたくなるし、あり得ないとか言う識者に対しては「あり得たんだよ」と思う。ただ、一つだけわからなかったことは「なぜ、三歳の女の子の生きようとした姿から励ましを得るのではなく、どうでもいい世間の反応に絶望する道を選んだのか」ということだった。せっかく、三歳の女の子が最後の最後まで生きようとした姿を見せてくれたのに、その姿に勇気づけられるのではなく、世間の反応の方に反応をするのか。これでは、W様も世間の人たちと同じことになってしまのうではないかと思って、そのことを指摘した。

三歳で死ぬのは確かに早逝だが、セミに比べればはるかに長生きだ。死を悲しめば女の子が蘇るなら、俺だって悲しむ。だが、現実は違う。それならば、喪失を嘆いてばかりいないで「あらゆる死は大往生である」と考え直し、生きる力に転換した方がよっぽど有意義だし、死者に対して敬意を払っていると思う。嘆くのは、相手を下に見ているからだ。嘆けば嘆くほど、三歳の女の子の死が「無駄死に」になる。そう思うことは、三歳の女の子に対して無礼である。私は、死を嘆くことより敬意を払うことを勧めたい。世間の反応に絶望する道を選ぶのではなく、三歳の女の子から力を得る道を勧めたい。死んでしまったことは問題じゃない。大事なことは、三歳の女の子が生きていたことだ。三歳の女の子は、死んだのではない。生きたのだ。

人間が生きている限り、これからも悲劇的な出来事は起こり続ける。それに対して、嘆くことしかできないのはダサい。運命を呪うことしかできないのは、あまりにも人間として未熟だ。死生観のアップデートが必要だ。死を、過剰に嘆く必要はない。個体の死は、最大の利他的行為だ。道を譲る。生きることが冒険ならば、死ぬこともまた冒険だ。私は私の墓碑銘に「生の冒険を終え死の冒険に向かう者ここに眠る」と刻みたい。ここに眠ると言うのは嘘で、眠ってなんかいない。眠った振りをしながら、死後の世界で遊び呆けている。私の墓の前で「安らかにお眠りください」などと言う人に対して、安らかに眠ってたまるかと中指を立てる。俺は死後の世界を満喫中だよとあっかんべーをする。

やりたいことをやり始めると「お前らみたいな人間が増えたら、この国はどうなると思っているのか」と説教をされる。そんな時は「世界で一番幸せな国になるんだよ」と答えればいい。死ぬことも含めて、俺たちは、地球に遊びに来たんだよ。死んだ後に行くのが天国ではない。今、俺たちが生きているこの地球こそが、天国なのだ。天国はデフォルトで、地獄は遊び場。あまりにも長いこと天国にいると体が鈍ってしまうから、時々地獄に遊びに行く。地獄に深入りすると本当に死んでしまうから、これ以上はやばいと思ったら、パッと離れて天国に戻る。天国に戻る方法がわからなくなっている人は、人間に中毒している可能性が高い。自然が、解毒剤になる。あるいは、坂爪圭吾が解毒剤になる。大事なことだから、繰り返す。死ぬことも含めて、俺たちは、地球に遊びに来たんだよ。死んだ後に行く場所が天国ではない。今、俺たちが生きているこの地球こそが、天国なのだ。

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おおまかな予定

5月9日(金)京都府京都市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

バッチ来い人類!うおおおおお〜!

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世界で一番幸せな国になる。|坂爪圭吾