みずほ銀行のシステム障害があると、量子金融システムの移行の実験をやっているとか、NeseraGeseraの準備だとか、考える人がけっこういますが、私はそうは思いません。
ただし、何か起こされているのはここまでくると確実なんでしょうね。
メガバンク3行のうち、私はどこかと言えば、みずほを応援したい。
なぜなら、純国産系だから。
日本興業銀行と、富士銀行と、第一勧業銀行の合併でできた銀行です。
三菱UFJはロックフェラー系、三井住友はロスチャイルド系と言われています。
だから純国産系に踏ん張ってもらいたい・・・・と、単純に考えてしまうのですが、どうなんでしょう。
みずほは昨年2~9月、8回のシステム障害を起こし、金融庁から2度の業務改善命令を受けた。親会社のみずほフィナンシャルグループ(FG)の坂井辰史社長とみずほ銀の藤原弘治頭取が引責辞任することとなり、2月から新体制に移行したばかりだった。
以下、引用。
前述した通り、最初に日本との関係を深めたのはロスチャイルド系でした。ロスチャイルド=三井の政界大番頭は内務卿の井上馨でした。それに対して三井総本家が見込んで任せた三野村利左衛門という人物がいました。この人が明治はじめの三井の大番頭です。三野村は、優れた幕府重臣だった小栗忠順の使用人だった人ですが、三井家をよく支えて幕末維新期を上手に切り盛りした。
ロックフェラー家は、西南の役をきっかけに三菱の岩崎弥太郎と組んで、明治10年には早くもロスチャイルド=三井と対抗する大勢力となっている。
ロスチャイルド=三井の次の大番頭は渋沢栄一です。渋沢は岩崎弥太郎より五歳年下です。弥太郎は明治18年に45才の若さで死んで、弟の弥之助、弥太郎の長男・久弥と続いていきます。渋沢は91歳まで生きて約500もの会社の設立に関わります。
渋沢が第一国立銀行(のちの日本銀行)を拠点としてつくった主な会社は、王子製紙、東京海上保険、東洋紡、日本郵船、東京ガス、サッポロビール、帝国ホテル、石川島播磨重工業、渋沢倉庫……等々です。始まりは国営(官営)企業だった大会社の多くを渋沢がつくった。つまりはほとんどはロスチャイルド=三井系企業と考えればいい。東京湾岸にずらりと横浜の方までつづく倉庫群が建っていた。
幕末に幕臣だった26歳の渋沢は、幕府使節団に加わって御用商人としてフランスに渡っています。このとき渋沢は銀行家のフリュリ・エラールから銀行業というもの、近代の金融業というものを学びます。このエラールのボスがアルフォンス・ド・ロスチャイルド伯爵で、フランス・ロスチャイルド家の総帥です。
渡仏中に日本で大政奉還があって幕府が倒れた。帰国した渋沢は、明治維新後、明治新政府に大蔵卿として招かれます。そして第一国立銀行を設立し、多くの会社を興した。渋沢の第一銀行と三井銀行が一緒になって、やがて日銀が誕生します。
だから日銀は、伝統的に三井ロスチャイルドの牙城なのです。