↑前回のつづき。




『稲荷信仰』を「狐」として広めたのは『空海』であったという説がある。

これを紐解くにはまず、『稲荷社』の創建について知らなければならない。

空海の遣唐使船乗船に手を貸したと言われる『秦氏』。
『稲荷社』にも、秦氏が関わっているという。


この『秦伊呂具』こそが『伏見稲荷大社』を創建した人物だ。

山城国風土記に残る、稲荷社創建の物語。

「餅は白い鳥になって飛んでいき…」

いやいや、餅は鳥にはなりません。
これは、日本人お得意の「比喩」。
例え話なのではないか。

餅とは、↓

↑コレのことだとしたら…

餅とは「蛇」。
そして、飛んでいったということは、「空飛ぶ蛇」つまり、『龍』ってことを言いたかったのではないだろうか。

伏見稲荷大社の祭神と言えば『宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)』。

「うか」とは『海蛇』を表す言葉。

「うか」、「へび」と言えば↓


『宇賀神(うがじん)』。
身体が蛇。

そして、シュメール神話の『エンキ』や、インド神話の『ナーガ』、古代中国神話『ふっき・じょか』もまた、下半身は蛇である。

※半神半蛇の話は↓でもちょっと書いてます。
 



古代日本では『龍蛇信仰』が根強く、「稲荷山」も元々は『蛇神信仰』であったという。

「狐」を稲荷神、あるいはその眷属とされたのは平安時代からだった。

渡来民族『秦氏』。

都が平安京に遷され、すでにその地を基盤としていた「秦氏」が強大な力を持ちはじめた。

一方で、空海が「真言密教」の根本道場とした『東寺』では、インドの女神『ダーキニー(荼枳尼天)』と稲荷神を習合させて、狐として世に広めた。
※『荼枳尼天』は白狐に乗った天女の姿で描かれている。

そして、『東寺』建造時には、「秦氏」が稲荷山から木材を提供しているのである。
よって、稲荷神は東寺の守護神となった。

これは暗に、「取引」がおこなわれていたということ。

土着の神である『竜神』は、渡来民族であり、日本を牛耳るつもりであった『秦氏』にとって、都合の悪い神様であったのかもしれない。


空海に東寺を託したのは、第52代天皇『嵯峨天皇』。
嵯峨天皇の御代から使われ始めたと言われる『桐紋(五七の桐)』。
現在でも、皇室や政府において広く使われている。
「桐」は「鳳凰」が宿るとされている、めでたい木なのだそうな。

しかしこの紋章、ナニカに似ていると思いませんかね️
私には『アレ』にしか見えません。

しかも、『嵯峨天皇』の葬儀は、旧暦の7月17日に行われていた。

『7月17日』


この日は、『桐』に隠された本当の意味に、大いに関係がある。

↓につづく。
 

 ↓にもつづく




ではまた




ちなみに…稲荷神はお米の出来を司る神様だったから、米俵を模した油揚げを使ったお寿司をお供えしていた。
それが、『稲荷寿司』なのだそうな。

おもしろーい。








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