ここ数日ツイッターの更新をやめてみて気づいたことをいくつか。
・ツイッターってジェットコースターみたいな場だなと、改めて感じます。
あらゆる物事が猛スピードで動いていて、さまざまなテーマが次から次へと投げ込まれ、それにたいして瞬時に対応することを迫られる。
もちろん「対応しない」、「周囲とは無関係なツイートをする」という対応も可能なのですが、それも含めて判断は迫られるわけで。
こういう場に長い間いて適応し続けるというのは、おそらく精神的に相当消耗させられることなのだろうと思います。
もう一回あのジェットコースターに乗りたいという気分には、今はなれないかも。
・瞬時に対応することは悪いことばかりではないとは思うのですが、そういう営みを繰り返していくうちに、「深い思考」という、研究者としての一番重要な点が損なわれていくのではないかという危惧もあります。
もちろん多くの研究者は、そのあたりうまくバランスを取りながらやっているのですが、それほど器用ではない人間にはなかなか難しいことでもあり。
(ちなみにブログは、「下書き」機能があって、プレビューを見ながらなんども推敲を重ねられるのがいいところですね。ツイッターでもそれに類したやり方はやろうと思えばできないことはないのですが、やはりツイッターの使い方としては違うのではないかと)
・ツイッターに限らずSNSの(研究者にとって)よくないところは、「ワンストップ」なところだと思います。
いながらにして情報が続々と集まってくるというのはじつにありがたいことである反面、情報に対して「受け身」になりやすいということでもある。
自分から積極的に情報を集めに行くという「主体性」や「関与」の姿勢が、SNSでは失われやすいと感じています。
情報を十分に与えない/十分な説明をしない発信側が悪い、という思考にどうしてもなりやすい。自省という方向にはなかなか向かいづらい。
ツイッターの場合、「弱みを見せたら負け」みたいなところがあるので、とくにそう。
そういうSNSの空気感みたいのにあまり慣れないほうがよいのかも、と思うところもあります。
・ジジェク『パンデミック1&2』を読んで感じたことでもあるのですが、コロナ禍で人となかなか直接会えない反動として、ネット上で「繋がりすぎる」という現象が起きているのかもしれない、とも思います。
コロナ禍以前は、リアルな人間関係というのがまず前提としてあったうえで、ネット上での人間関係はそれへの「プラス」に過ぎなかったものが、コロナ禍では前者がどんどん溶解していくなかで、後者の比重が相対的にどんどん高まっていている。そんななかで、自分にとってどの「繋がり」が本当に重要なのかが、非常に見えにくくなっているところがあるように感じます。
コロナ禍になって2年が経ち、収束も見通せない現在、自分にとって一番重要な「繋がり」とは何なのかをそれぞれが冷静に考える時期なのかもしれないと思います。
書きたいことはまだまだあるのですが、長くなってきたので今日はとりあえずこのへんで・・・。
・ツイッターってジェットコースターみたいな場だなと、改めて感じます。
あらゆる物事が猛スピードで動いていて、さまざまなテーマが次から次へと投げ込まれ、それにたいして瞬時に対応することを迫られる。
もちろん「対応しない」、「周囲とは無関係なツイートをする」という対応も可能なのですが、それも含めて判断は迫られるわけで。
こういう場に長い間いて適応し続けるというのは、おそらく精神的に相当消耗させられることなのだろうと思います。
もう一回あのジェットコースターに乗りたいという気分には、今はなれないかも。
・瞬時に対応することは悪いことばかりではないとは思うのですが、そういう営みを繰り返していくうちに、「深い思考」という、研究者としての一番重要な点が損なわれていくのではないかという危惧もあります。
もちろん多くの研究者は、そのあたりうまくバランスを取りながらやっているのですが、それほど器用ではない人間にはなかなか難しいことでもあり。
(ちなみにブログは、「下書き」機能があって、プレビューを見ながらなんども推敲を重ねられるのがいいところですね。ツイッターでもそれに類したやり方はやろうと思えばできないことはないのですが、やはりツイッターの使い方としては違うのではないかと)
・ツイッターに限らずSNSの(研究者にとって)よくないところは、「ワンストップ」なところだと思います。
いながらにして情報が続々と集まってくるというのはじつにありがたいことである反面、情報に対して「受け身」になりやすいということでもある。
自分から積極的に情報を集めに行くという「主体性」や「関与」の姿勢が、SNSでは失われやすいと感じています。
情報を十分に与えない/十分な説明をしない発信側が悪い、という思考にどうしてもなりやすい。自省という方向にはなかなか向かいづらい。
ツイッターの場合、「弱みを見せたら負け」みたいなところがあるので、とくにそう。
そういうSNSの空気感みたいのにあまり慣れないほうがよいのかも、と思うところもあります。
・ジジェク『パンデミック1&2』を読んで感じたことでもあるのですが、コロナ禍で人となかなか直接会えない反動として、ネット上で「繋がりすぎる」という現象が起きているのかもしれない、とも思います。
コロナ禍以前は、リアルな人間関係というのがまず前提としてあったうえで、ネット上での人間関係はそれへの「プラス」に過ぎなかったものが、コロナ禍では前者がどんどん溶解していくなかで、後者の比重が相対的にどんどん高まっていている。そんななかで、自分にとってどの「繋がり」が本当に重要なのかが、非常に見えにくくなっているところがあるように感じます。
コロナ禍になって2年が経ち、収束も見通せない現在、自分にとって一番重要な「繋がり」とは何なのかをそれぞれが冷静に考える時期なのかもしれないと思います。
書きたいことはまだまだあるのですが、長くなってきたので今日はとりあえずこのへんで・・・。
コメント
コメント一覧 (2)
問題は、人がこのブログまでどうやってたどりつくか。
いや、知る人ぞ知る、名研究者の秘やかなブログでもよいのですが。
今後も無理なく、ほどほどの投稿を楽しみにしています。
takuya1975
がしました