デモを中止の何が危険なのか?危機なのか? | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』
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清閑亭デモ


守屋派だけでなく、加藤派からもやめろやめろの大合唱でした。


日本というのは空気を作るのが好きです。


今回のデモは戦争前夜、日本が国家総動員法を作り、政党を解散して大政翼賛会を作り、全体主義、軍国主義の流れをとめられなかった


それに似てる精神構造だからです。


私はデモの主催者ではないし、主催が辞めると言われればやめますし、やるといえばやる。


なので、中止になることそれ自体は別に悔しくもないし、淡々と受け止めてます。


ただ、そこにもっていくにあたり、国民の憲法で認められた権利をこともあろうに憲法記念日に祭りが云々とか話して


まるで祭りのほうが憲法より大事だとかいわんばかりに


加藤憲一の選挙に影響が出るとわめいた


加藤憲一支援者にも私は全体主義の雰囲気があるように思います。


守屋陣営は憲法改正の政党ですから言うに値しません。


とすれば、どちらが市長になっても、それこそ


この流れを止めるな


というセンスのないダサいポスターがべたべた貼られてますが


この流れはとまらないし


変わらない


ということですね。


あの、軍国主義にひた走る大政翼賛会的な流れを加藤憲一支援者が私は作っているとも思いますが、


そのことを、デモに対して懸念を示した人はどうおもうのですかね?


あの人たちは感性でものを見てるにすぎないな、と思います。


私は社会の先生を目指したので、人よりは


歴史からものを見る


という視点があります。


その観点からすると、


今回の加藤支援者と称する人の振る舞いは誠に危険だと思いますね。




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