よう実×呪術廻戦   作:青春 零

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40話 揺らぐ心

 

 夏油の襲撃から一夜明け、時刻は朝7時を過ぎた頃。

 場所は呪術高専校舎内の人気の無い廊下。そこで護は一人、電話を片手に通話していた。

 電話の相手は坂柳理事長。用件は昨日の一件に関してだ。

 

「――お手数おかけして申し訳ありません。

 ええ、娘さんの容態に関しては医師からも問題ないと……はい、では後程お迎えに上がります」

 

 事務的な口調で電話を切るなり、フゥと嘆息しながら壁にもたれかかる護。

 その姿からは全身から気怠さが滲んでおり、さながら徹夜明けのサラリーマンのよう。

 

 実際、徹夜明けというのも間違いではない。

 先日の一件の後、護は後処理の為に方々を駆けまわっていたのだから。

 

(ちょっと術を使いすぎたな……流石に怠い)

 

 夏油が去った後、護はまず楓花と有栖の二人を治療のため高専へと運んだ。

 その後は兄や坂柳理事長へと事のあらましを報告。

 理事長には学内にある監視カメラのデータ改竄(かいざん)や、戦闘の余波で荒れた公園の閉鎖を依頼。

 

 最初は娘である有栖のことが心配そうな様子だったが、自分の権限でないと動かせないことが幾つもあると分かっているからか、そこまでは話がスムーズに済んだ。

 

 しかしながら、問題はここから。

 実の所、現在の学内において理事長個人で動かせる人手はあまり多くない。人と金を動かすには正当な理由が必要だが、呪術の存在を大っぴらにできない以上、誤魔化すのにも限界がある。

 故に護としても、公園の修繕など自分にできる範囲での協力は惜しまなかった。

 

 術式で陥没した地面を(なら)し、目立たない場所から芝生を切り取り貼り付ける。作業自体は単純だったが、いかんせん空間操作は多大な集中力を要する技術。

 結果、一晩の作業の末にパッと見では違和感を感じない程度に片付いたが、特級の呪詛師とやり合った後の作業としては少々ハードワークが過ぎた。

 

「……(ねみ)ぃ」

 

 少々気を抜きすぎていると自覚しながらも、込みあがってくる眠気に目元を揉んでいると、ふと横からヒュッと空気を切るような音と共に、何かが飛んでくる気配を感じ取った。

 

 何とはなしに左手を掲げて、パシリと飛んできた物体を受け止める。

 手元を見ると、それは缶に入ったカフェオレだった。

 

「よっ、お疲れ~」

 

「……兄さん」

 

 続けて聞こえてきた声に振り向くと、そこにはいつも通り飄々とした笑みを携えた兄の姿がそこにあった。

 

「やー、大変だったみたいだね。あいつとやり合ったんだって?

 どうだった? 僕以外の特級術師と戦ってみて」

 

 嘗ての親友が実の弟と殺し合ったというのに、欠片も気にした素振りの無いあっけらかんとした態度。

 むしろワクワクと結果を聞くのを楽しみにしているかのような節すら見えて、護は呆れたように嘆息してしまった。

 缶のプルタブを開けながら言葉を返す。

 

「昨日報告した通りだよ。こっちは幾つか手札を切らされたってのに、結局逃げられた。

 向こうも全然本気じゃなかったみたいだし、完敗だよ」

 

 勝負の内容を見ればあと一歩まで追い詰めた訳だが、護にしてみれば敗北である。

 何せ向こうの目的は護の実力を探ることで、事実こちらは手の内の幾つかを晒された上、逃げおおせられたのだから。

 

 口調こそ落ち着いたものだが、内心苦い感情が込みあがってくるのを感じてしまい、それを誤魔化すようにカフェオレを(あお)った。

 

「そう気にすることはないさ。僕だってあいつを相手にしたら被害をゼロに抑えるのは難しい。

 結果的に死人は出なかったんだし、それだけ立ち回れりゃ上等だよ」

 

「被害が出なかったのは、向こうにその気が無かったからだよ。何より兄さんなら、仮に被害が出たとしても逃がすことだけは無かっただろ?」

 

「そりゃあモチロン……って言いたいけど、さてどうかな。あいつもあれで抜け目がない。

 流石の僕も人質をとられた状況じゃ、仕留められたかは分からないね」

 

 それはおそらく、慰めではなく本心からの言葉だったのだろう。しかしそれでも、護の表情は晴れなかった。

 むしろ、兄をしてそこまで言わせしめる人物を逃がしてしまったと、その事実が重くのしかかる。

 

 なまじ半端に追い詰めれたからこそ、一層悔しさを感じずにはいられない。

 おそらく、あのような千載一遇のチャンスは二度と来ないだろう。

 護にしても、まだ隠している手札は幾つもあるが、警戒度そのものが跳ね上がった今、次に戦う時は今回ほど簡単にはいかない筈だ。

 

「ま、お前はよくやったよ。それとも何、護は人質無視してでも倒せばよかったって後悔してる訳?」

 

「別に……あの娘らを庇ったこと自体を悔いてるわけじゃない。ただ……」

 

「ただ?」

 

「……あの瞬間、俺は何も考えてなかった。気付いたら先に体が動いてたんだ。

 考えた末に起こした行動ならまだしも、感情に身を任せるなんて未熟にも程が有る」

 

 戦いの中、思考する間もなく反射で動かなくてはならない場面など多々あることだが、あの状況は少し違う。

 あの瞬間、護は夏油を先に倒すべきだと半ばまで判断を下していたのだ。にも拘わらずその意思に反した行動をするなど、本人にしてみれば短慮としか言いようが無かった。

 

 苦虫を噛み潰したような顔をしながら、鬱憤をぶつけるかのように空になった缶を握りつぶす。

 

「なるほどね……」

 

 しかしそんな護と対照的に、兄はククッと愉快気な笑みを浮かべた。

 

「……なに?」

 

「いや――お前はそれでいい」

 

「どういう意味さ?」

 

 忠告にも聞こえる、真剣なトーンで発せられた言葉。

 しかし普段ふざけてばかりいる兄だけに、どういう意図で放たれた言葉なのかと、護は訝し気に眉を顰めた。

 

「咄嗟に動いたってことは、それは本心からの行動ってことだよ。

 お前は一々合理的に動こうと考えすぎる。若い内は少しくらい感情に身を任せた方が丁度いいってもんさ」

 

「……その結果失敗してりゃ世話ないでしょ」

 

「それは本当に失敗だったのかな?

 護が庇ってなければ、その子らは死んでいたかもしれない。

 なんなら、向こうもまだ手を残していて、見殺しにした上逃げられたなんて可能性だってゼロじゃない」

 

 確かに言っていることはもっともだが、護としては素直に納得できない。

 

 そんな僅かな可能性まで拾い上げていては、何も行動できなくなるというもの。

 少なくともあの瞬間、護はそれらの可能性も踏まえた上で最善手と思える選択を考えていたのだから。

 

 そんな不満の籠った視線を向ける護に対し、兄は構わず言葉を続ける。

 

「ま、何が言いたいかっていうと、出した結果なんて変えられないんだ。重要なのは選んだ選択をこれから正解に変えていくことだよ」

 

「……それっぽくいい事言った風だけど、途中で面倒になって無理矢理まとめたでしょ?」

 

「まぁまぁ、実際そうでしょ。反省するのはご立派。だけど答えの出ない問題をいつまで考えたって、損にしかなんないよ。

 少なくとも護のおかげで二人の命が救われた。それに関して僕は間違ってるとは思わない」

 

 そこで言葉を区切ると、兄は護の頭にポンと手を置きながら、言い聞かせるように口を開いた。

 

「友達は、大事にしなきゃいけないからね」

 

「…………」

 

 軽い調子だが、どことなくその声音には一抹の寂しさを感じさせるものがあった。

 

 ――果たして、兄はどのような心境でその言葉を口にしたのだろうか。

 

 そんな疑問を抱きながら、しかしその問いは喉の奥で詰まったかのように止まり、発せられることは無かった。

 

「ほらほら、分かったら余計な事を悩んでないで、その二人の様子でも見に行ってあげな」

 

 と、今一瞬感じた暗さはどこへやら。あっさりと気分を切り替えながらシッシッと手を振ってくる兄に、護も気を取り直して返事を返した。

 

「あ、いや、俺この後は理事長を迎えに行かないといけないから」

 

 元々、護が深夜の作業の後こうして高専に戻ってきたのは、家入に二人の容態を確認するためだ。それが終われば、すぐに理事長の下へと行くつもりだった。

 有栖の容態に関して、大した問題が無いことは理事長にも既に伝えたが、本人の心情を考えるならば、一刻も早く娘の安否を確認したいのが本心だろう。

 

 とはいえ、呪術高専に張られた結界は一般人の認識を阻害して侵入を拒む為、誰かしら迎えに行く必要があるのだ。

 

「そっちは僕が迎えに行くよ。さっきも言ったろ。友達は大事にね」

 

 言いながら、兄は任せろと言うように軽い調子で手を挙げると、背を向けて去っていった。

 しばらくその後ろ姿を見ていた護だったが、完全に見えなくなったところで口を開く。

 

「気……遣わせたか……」

 

 一見するといつもと変わらぬお調子者の兄の姿であったが、その言動は一貫してこちらに対する労いが見て取れて、それがなんだか、らしくない様に思えた。

 

 普段のふざけた態度もそれはそれで鬱陶しいが、それ以上に兄にらしくもない態度を取らせた自分が無性に不甲斐なくて、護は仰ぐように額に手の甲を当てながら、ポツリと呟きを漏らした。

 

「ホント、情けねぇな……」

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 壁に掛けられた水墨画。黒く塗られた木製のベッド。そのベッド周りにカーテンの代わりのように設置された木製の衝立。

 病室としては異様な風体のその室内で、楓花と有栖は並べられたベッドの上に居た。

 

「まさか、先輩とご一緒のお部屋で一夜を過ごすことが有るとは思いませんでした」

 

「おや、私では一夜の共としてご不満だったかな?」

 

「フフ、そのようなことはありませんよ。なにせあのようなことがあった後ですから。見知った顔が傍にあるというのはありがたかったです」

 

 軽口のようだが、有栖としてもありがたいと思ったのは本心だ。

 なにせあのような異形の怪物に襲われた後である。こうも古めかしい趣の建物で一夜を過ごすなど、一人だったら流石に心細さを感じずにはいられなかっただろう。

 

 薄く笑みを浮かべながら、とりとめもない会話に興じる二人。

 しかし会話が途切れたところでふと、有栖は笑みを潜めて問いかけた。

 

「……怪我は、もう大丈夫なのですか?」

 

「ああ、まだ多少痛みは残っているが問題は無い。全く呪術というのは大したものだよ。本来なら全治数カ月は掛かるだろうに、この通りだ」

 

 そう言いながら、見せつけるように左腕を軽く上げる楓花。 

 そこは先日、呪霊の一撃を受けて複雑に折れた筈の腕。本来ならギプスで固めなくてはならないだろう重傷だったというのに、今は軽く包帯が巻かれる程度で済んでいるのだから目を疑いたくなる光景である。

 

「呪術ですか……実際目の当たりにしなければ、信じられない話でしたね」

 

 呪いという存在に関して、有栖は昨晩の内に楓花からある程度の話は聞いていた。

 

 先日の襲撃者が何者だったのか、自分が何故狙われたのか。

 それら細かい部分に関しては護本人から聞くべきと説明はされなかったが、世に呪いという存在があること、それを解決する呪術師という存在がいることについては概ね理解していた。 

 

「先輩は、いつからご存じだったのですか?」

 

「見えるようになったという意味でなら、この学校に入学して間もない頃だな。

 それが呪霊という存在であると知ったのは、ほんの3週間程前になるが」

 

 その言葉を聞き、有栖は二つの意味で驚いた。

 優に1年もの間、あのような異形を目の当たりにしていながらこの学校に在籍している事。

 そしてその正体を知ったのもつい最近だというのに、立ち向かおうとしたその事実に。

 

「怖くは、無かったのですか?」

 

「恐ろしかったとも。本気で命の危機を感じたのは、私の人生においてあれが二度目だ」

 

 恐ろしかったと言いながらも、そんな様子はおくびにも出さない楓花。

 しかし有栖はその言葉を冗談とは受け取らず、真剣な表情で言葉を続けた。

 

「……なぜそこまでして、呪術師になろうと?」

 

 楓花の言葉を信じるのであれば、彼女はつい最近まで一般人だったことになる。

 それでどうして命懸けの状況に迷わず身を投じることが出来るのか、有栖にはそれが不思議だった。

 

「フム……どうやら勘違いしているようだが、私は別に呪術師に成りたいわけではない。

 私が呪術を習おうと思ったのは、護身が主な理由だよ。

 実際に目にした今なら理解できるだろう? 普段、私達の居る世界がどれほどの危険に溢れているか」

 

「…………」

 

 確かに、と有栖は言葉にしないまま内心で頷いた。

 一晩の内に、静かな部屋で有栖は様々な事に思考を巡らせていたが、その中でも気になったのは、どうして父は自分に何も教えなかったのかという点だ。

 深く考えるまでもなく、その答えは簡単に出た。

 

 知ったところで、何もできないからだ。

 

 想像してみる。

 例えば日常のふとした瞬間、暗がりなどで理由もなく悪寒を感じたとする。

 知らなければただの気のせいで済ませられる。しかし、呪霊という存在を知ってしまえばそうもいかない。日常のほんの些細な違和感にすら、それが呪いの仕業かもと怯えて過ごすことになりかねない。

 

 その点で言うなら、現状を受け止めてその対処法を学ぼうとする楓花の姿勢は間違いでもないのだろう。

 

「……ですが、主なということはそれだけが理由ではないのですよね?

 護身が目的というのであれば、今回のあなたの行動は矛盾しています」

 

 先日の一件で楓花が負った負傷は、それこそ一歩間違えれば命に関わりかねない重傷だった。

 我が身可愛さだけで動いているのであれば、有栖を命懸けで守ろうとする理由は無い。

 

「それを聞くのは、無粋というものではないか?」

 

 そう言って、有栖を見つめる楓花の瞳は「言わなくても分かるだろう」と言っているようで、有栖は真っ先に思いついた答えを口にした。

 

「護君の為、ですか」

 

 その言葉に、楓花はフッと涼やかな笑みを浮かべた。

 

「あいつの為、というのは少し語弊があるな。私の行動原理はすべからく自分の為だとも。

 しかし、お前も感じただろう。あいつの危うさを」

 

「……ええ」

 

 思い返すのは、先日の襲撃者が去る直前の護の後ろ姿。

 有栖には人の心の機微を察することはできても、完全に読むことなどできはしない。それでも、あの時の護からはこれから死地へと向かおうとしているかのような、鬼気迫る気配がはっきりと感じられた。

 

「あれだけの力があって、あいつは自分の価値を低く見ている。自分が居なくなったところで、周りには何の影響が無いとでも思っているのかもしれんな。

 まったく……腹立たしいとは思わないか?」

 

 有栖はその挑発的にも見える問いかけに、気付けば無言で拳を握り締めていた。

 楓花に対しての苛立ちではない。的を射たその言葉に、共感を覚えてしまったから。

 あの瞬間、有栖は護が居なくなってしまうのではないかと不安を抱くと同時に、悔しさを感じたのだ。

 

 自分の命を軽々しく扱えるということは、今の環境に何の未練も無いということ。

 それはつまり、自分達の事すらも護にとっては無価値と言われているようで、有栖はそれが気に食わないと思った。

 

「あいつにとってすれば、私の力など微々たるものでしかないだろう。実際、どれだけ研鑽を積もうとアレに追いつける気はしないしな。

 だが、それで簡単に諦めるほど潔い性格でもないのでな。今はまだ、この繋がりは捨てられんよ。

 あいつの中に、私という存在を刻み込むためにもな」

 

 そのように堂々と言い切れる楓花のことが、少し羨ましかった。何故ならそのやり方は、自分には真似のできない方法だから。

 仮に呪術を学んだとして、仮に疾患が無かったとして、有栖にはあのような怪物と戦える気はまるでしなかった。

 特別な力を持っているかどうかは問題ではないのだ。戦いに身を置ける人間というのは、その精神性からして常人とは逸脱しているのだと、有栖は正しく理解していた。

 

「それで、あなたは私に何をさせたいのですか?」

 

 鬼龍院楓花という女性が、意味もなく自分の目的や心情を吐露するようなタイプでないことは、付き合いの浅い有栖にもわかる。

 

「フッ、私からお前に望むことなど何もないさ。何をしたいかは、お前自身が決めることだろう」

 

 有栖は理解した。これは発破をかけられているのだと。自分は決意を示した。これを聞いてお前はどうするのかと。

 改めて有栖は考える。自分は何をしたいのか――いや、何ができるのかと。

 

 元々、有栖が護に対して執着するような感情を抱いていたのは勿体ないと思ったからだ。

 才能に恵まれていながら、それを無価値と断じるような歪んで見える在り方が、有栖には見ていられなかった。

 

 しかし、今回の件で有栖は自分の無力感というものを大いに思い知らされた。

 護の視点からすれば、有栖が持つ能力など、取るに足らないものに過ぎないのだろう。

 

 ならば、そんな自分が一体護に対して何を示すことが出来るというのか。

 

「私は――」

 

 自分の意思を明確な形に出来ないまま、どうにか口を開こうとする有栖。

 しかしそこで、コンコンコンと室内にノックの音が響いた。

 

「……話は一旦お預けだな」

 

 そう言って会話を中断した楓花は「どうぞ」と部屋の外に居る人物へと入室を促した。

 

 ガラガラと音を立てながら開かれる引き戸。

 そして入ってきたのは、丁度話題に上がっていた五条護その人だった。

 

「失礼するよ」

 

 護の姿を認めるなり、普段通りの余裕のある笑みを張り付ける有栖と楓花。

 その切り替えの早さは流石と言うべきか、先程までの神妙な雰囲気などまるで感じさせない自然な態度で、二人は護を迎えてみせた。

 

「ごきげんよう、護君」

 

「随分と遅いお出ましじゃないか。一晩も放置されて、忘れられているかと不安だったぞ」

 

 定型的な挨拶の言葉を述べる有栖と、一方で悪戯っぽい笑みを浮かべながら皮肉気な言葉を投げかける楓花。

 それに対し、護はバツが悪そうな表情を浮かべた。

 

「悪かったよ。一応顔を出すつもりはあったんだけど、どうも時間が嚙み合わなくてな」

 

 勿論、冗談であることは護も分かっているだろう。それでも素直に謝罪を述べたのは、やはり本人としても引け目を感じていたのか。

 ベッドの前へと移動しながら、護は気遣わし気な視線を向けてくる。

 

「体調の方はどうさ?」

 

「おかげさまで、私は特に問題有りません。

 これも呪術とやらの効果でしょうか。むしろいつもより調子が良いようにも感じますね」

 

「こちらも同じく問題は無い。多少腕に違和感はあるが、後は自然治癒に任せればいいと、あの医師殿にもお墨付きをもらった」

 

 二人の返答に、ホッと息を吐く護。

 するとその視線を有栖へと移しながら、口を開いた。

 

「そうか……こっちの事情に関しては、どこまで聞いた?」

 

「……呪術や呪霊という存在、それらに対処する呪術師という存在があることに関しては理解しました」

 

 と、そこで有栖の返事を補足するかのように、続けて楓花が口を挟む。

 

「あくまで、呪いに関する大まかな概要しか話してはいない。

 お前の立場や学校での職務に関しては、私も聞いていないことが多かったのでな。そこは本人が説明するべきと判断した」

 

「となると、この際楓花への説明も兼ねて一から話した方がよさそうだな」

 

 話が長くなると思ったのか、護は部屋の隅にあった椅子を二人のベッドの間へと動かし腰を掛けると、改まった様子で口を開いた。

 

「それじゃあ、まずはどうしてあの学校に入学したかってところから話そうか」

 

 そして護の口から語られたのは、高度育成高等学校を取り巻く問題について。

 

 年々増加する呪霊被害。それに対処できる人材の不足。政府と呪術界との軋轢。

 それら入り組んだ事情が重なり、生徒という立場で護が派遣されたこと等、事細かに説明がなされた。

 

 途中何度か有栖や楓花からも質問が飛んだが、護はそれらの疑問にも包み隠さず答えていく。

 程なくして、護の仕事に関してはほぼ語り終えたところで、話題は先日の襲撃者、夏油傑の件に移った。

 

「――あの夏油傑という男は、10年ほど前に呪術界から離反した現代最悪の呪詛師だ。

 その目的に関しては、話を聞いていたのなら分かるだろ?」

 

 そう話題を振られたところで、有栖は先日の襲撃者の姿を思い出してしまい、自然と背筋に寒気が走った。

 有栖は夏油という男とは一度も口をきいていないが、それは向こうが意図的にこちらを無視していたからだ。

 

 遠目にしか見えなかった有栖にも分かる。人当たりの良さそうな笑みの下に隠されたこちらに対する嫌悪感。

 偶にこちらへと向ける視線は楓花に焦点を当てるようにしており、意図的に有栖を視界から外すその態度は、不快な物から目を逸らそうとしているようで、まさしくこちらを虫けらとでも思っているのだと感じさせた。

 

「非術師の居ない世界か……そんな世界が成り立つとも思えんが、あれ程の力を見せられては一笑に付すこともできんな」

 

 有栖のように嫌悪感を向けられていなかった楓花も、夏油の危険性に関しては理解しているようで、笑みを潜めて神妙な表情を浮かべている。

 

 理由は異なれど不安気に表情を曇らせる有栖と楓花。

 そんな二人に対し、護はおもむろに立ち上がると静かに頭を下げた。

 

「すまなかった」

 

 突然の謝罪に、一瞬戸惑ったように目を見開く有栖達だったが、すぐに落ち着きを取り戻して問い返した。

 

「それは、何に対する謝罪でしょうか?」

 

「……本来、あのレベルの呪詛師なんてそう出くわすもんじゃない。

 学校の利権絡みで何かしらのやり取りがあったことは確かだろうが、今回あの人が襲撃を掛けてきたことに関しては俺が居たのが原因だ」

 

 言われて、有栖達は先日の護と夏油の会話を思い出していた。

 護の力を試すのが目的だったような話しぶり。有栖の命を狙う依頼を受けていたということだが、こちらに対する関心の薄さから見ても、護の方が本命だったのは分かる。

 

 だが、それを踏まえても有栖としては護を責める気にはなれなかった。

 

「頭を上げて下さい。仮にあの人が襲ってこなかったとしても、そのような依頼があった時点で代わりの者が雇われていたでしょう。

 結果的にこうして無事だったのです。感謝こそすれ、謝られる謂れはありません」

 

 確かに、このような危険な目に遭わせたのは夏油傑であるが、逆に言えば有栖に対して関心の薄いあの男だったからこそ、この程度で済んだとも考えられる。

 

 呪術師という存在が持つ術式という千差万別の異能。その能力によっては幾ら護が強かろうと、暗殺を防げない可能性も在り得たかもしれないのだ。

 最悪の可能性など幾らでも考えられるのだから、もしもの話をしたところで、仕方がないというものだろう。

 

 そこで、楓花からも有栖に追随するように声が上がる。

 

「確かにな。そもそも、お前がこの学校に派遣されたこと自体、他に人員が居なかったからなのだろう?

 ならば自分がいなければ、という仮定をしたところで、意味など無いというものだ」

 

 二人の言葉を聞き、護は一旦頭を上げたがしかしその表情は、変わらず浮かない表情のままだった。

 

「そう言ってくれるのはありがたいけど、生憎と俺に礼を言われる資格は無いよ。

 はっきり言うと、俺は君達を見捨てるべきかと迷ったんだ」

 

「見捨てる、ですか?」

 

 有栖の知る五条護という人物像から考えるなら在り得ない事。しかしその声音に含まれる重々しさからは、嘘や冗談の気配が感じられず、内心で僅かな困惑を覚えた。

 

「ああ、学内に呪霊がばら撒かれた時、俺は敵の狙いが有栖さんかもしれないと理解しながら、他の場所を優先した。

 最後、君達が呪霊に飲まれそうになった瞬間も、俺はあの男を逃がす危険性と、君達の命を天秤にかけた」

 

 まるで懺悔でもしているかのような告白に、有栖の中で一層困惑の感情が膨れ上がる。

 

 自分達の命を天秤にかけた。それ自体は別にいい。有栖自身、自分が優先されなかったことに一抹の寂しさは感じるが、護の立場を考えるならそれは仕方のないことだと理解できる。

 

 しかし疑問なのは、何故それを馬鹿正直に告白したのか。

 所詮、これは感情の問題。護の中で完結している話だ。言わなければ誰にバレる訳でもない。謝罪し、許されたとして得られるのは本人の中で単なる納得感だけ。

 

 はっきり言って、非合理的。

 真面目な護()()()と言えば確かに()()()が、しかし有栖はその行動にどことなく違和感を覚えた。

 

(罰を求めている?

 いえ、これは……迷い、でしょうか?)

 

 昨日の圧倒的な力を見せつけた姿と打って変わって、目の前で頭を下げる護の姿は、どことなく迷子の子どもを思わせる、弱々しさが感じられた。

 

 このように感じてしまうのは、自分の気のせいか。そう思いながらこの部屋に居るもう一人はどう思っているのだろうかと、視線を楓花の方へと向けると、同じくこちらの方を見ていた楓花と目が合った。

 

 しかし困惑している有栖と異なり、その瞳は有栖がどうするのかと、観察しているように見えた。

 

 護が部屋に入ってくる前の会話が思い起こされる。

 

(私に、何ができるのか……)

 

 そもそも護は、一体何を求めているのだろうかと有栖は考える。

 許しか、はたまた罰か。

 

(いえ、違いますね)

 

 きっと、本人にも自分が求めているのかは分かっていないのだろう。あれは謝罪という体を借りているが、実際は抱えていた葛藤がそのまま漏れ出たように聞こえた。

 

 求められていることは分からない。どうすれば正しいのかなんてことも分からない。

 

 けれど一つだけ、できることを思いついた。

 

「護君、少し近くに来ていただけますか?」

 

「……別にいいけど」

 

 急な有栖の呼びかけに、護は一瞬訝し気な表情を浮かべたが、すぐさま素直に頷くとベッドの脇へと移動した。

 そうして近くまで来た護に、重ねて有栖が要望を口にする。

 

「では、少し屈んでから目を閉じてください」

 

「……引っ叩かれるくらい甘んじて受け入れるけど、素手は止めときな。君の場合手を痛めそうだし」

 

 どうやら有栖を怒らせたと思っているのか、珍妙なアドバイスを口にする護。

 楓花はその言葉にククッと笑い声を上げ、有栖は半目になりながら呆れたように言葉を返した。

 

「……何のアドバイスですか。いいから、大人しく目を瞑ってください」

 

「わかったよ」

 

 軽く返事をするなり、言われた通りに屈んで目を瞑る護。

 すると有栖はベッドから起き上がると、護に対して向き直った。

 

(きっとこの人には、これくらいしないと駄目でしょうね)

 

 これから行うことに気恥ずかしさを感じながら、ベッドの上でゆっくり膝立ちになりながら護に視線を合わせる有栖。

 

 そして次の瞬間――

 

 有栖は、護の頭を抱え込むように、ギュッと抱きしめた。

 

「ほぅ……」

 

「は?」

 

 護の後ろから興味深そうにする楓花の呟きが発せられ、そこから一瞬遅れて、呆気にとられたような声が護の口から漏れる。

 その今までに聞いたことのない護の間抜けな声に、有栖の顔にはクスリと笑みが浮かんだ。

 

「ちょっ、おま――」

 

 状況を理解するなり驚いて離れようとする護だが、有栖は負けじとガッチリ頭を抱えており、引きずられるようになりかけたのを見て、すぐさま動きを止めた。

 

「……なんのつもりさ?」

 

 しかし流石に切り替えが早いと言うべきか、護はあっさりと動揺を収めると冷静な声で有栖へと問いかけた。

 

「いえ、護君が自己満足のような謝罪を口にしたので、こちらは自己満足のようなお礼をしようかと」

 

「はぁ?」

 

「あまり身じろぎしないで下さい。こちらも密着して恥ずかしいのですから」

 

「だったら、はよ離せや」

 

「まだ駄目です。少しそのままじっとしていて下さい」

 

 声こそ落ち着いたものであるが、やはり自分の胸元に異性の頭を押し付けるという行為には、流石の有栖をして羞恥心を感じるのか、その頬に朱が差している。

 それでも、頑なに頭を離そうとはせず、次第に護の方も諦めたように力を抜いた。

 

「……心臓の音が聞こえますか?」

 

「……ああ」

 

 それがどうした、と言わんばかりのぶっきらぼうな護の返事。

 しかし有栖は構わず言葉を続ける。

 

「護君は見捨てようとしたと言いましたが、実際はこうして助けてくれました。

 今この鼓動が続いているのも、あなたのおかげなんですよ?」

 

 恐らく、護は人を助けるという行為、それ自体に価値を置いてはいないのだろう。

 ただその行為、そのものを正しいと思っているから行動しているだけ。

 だから感情で判断しようとはせず、どうするべきか、なんてことで迷いを抱く。

 

 今、こうして抱きしめる行為にいったいどれほどの意味があるのか、有栖も自覚はしていない。

 ただそれでも、護は実感するべきだと思った。自分が成したことの成果を。救った命が確かにここに存在することを。

 例え護に並び立てるだけの力が無くとも、こうして触れ合うことは有栖にだってできるのだから。

 

「そこに葛藤が有ったとしても、あなたは最後に私達を助けると決断した。

 なら、そのように告解染みた謝罪は止めてください。罰を求めるのも許しを求めるのも、それは救われた私達に対する侮辱です」

 

 この行動が、この言葉が、どれだけ護に響いているのかは分からない。

 だが、珍しく怒ったように語気を強める有栖の態度が意外だったのか、護の方から僅かに驚くような気配が伝わってきた。

 

「……確かに、自己満足で余計な事を言ってたな、すまん。

 今の謝罪は別にいいだろ?」

 

 果たして、護に対してどれ程に影響を与えられたのかは定かではないが、しかし素直にこちらの指摘を受け入れた様子を見て、有栖は初めて護に勝てたような気がした。

 

「フフッ……ええ、許して差し上げますよ」

 

 我ながら大胆な事をしたと思いながら、しかし護の動揺した姿や、こうして素直な態度を見れただけでもやった甲斐が有ったと、有栖は優越感の滲んだ笑みを浮かべた。

 

 顔は見えずとも、声音から満足気な気配が伝わったのか、護も落ち着いた調子で口を開く。

 

「じゃあ、もういいか? さっさと離して――」

 

 ――カシャッ

 

「――ん?」

 

 と、そこで護が言葉を発しようとした瞬間、妙な音が聞こえてきた。

 現在、室内には三人の人間しか居ない為、必然有栖は残った一人である楓花へと視線を移すが、楓花は何故か窓の外を見ながら呆気にとられたように目を見開いている。

 珍しく本心から驚いているかのような反応に、有栖も一体何事かと思いながら、楓花が見ている方向へと視線を移し――固まった。

 

 自然と腕から力が抜けてしまい、その隙を見逃さず護がするりと抜け出してしまうが、それすらも気にならない様子で、有栖の視線は固定されたままだ。

 

 そして有栖達同様に視線を移す護。

 すると三人の視線の先には――

 

 

 ――パンダが居た。

 

 

 見た目はまさしく動物園で見かけるパンダそのものだが、その佇まいは普通のそれではない。獣とは思えない真っすぐとした屹立姿勢。そしてそのモフモフの手に構えられたスマホの存在。

 あまりの異常な光景に有栖達がフリーズしていると、パンダもこちらの視線に気づいて、構えていたスマホをゆっくり降ろした。

 そして護の方に視線を向けたかと思うと、とても晴れ晴れとした笑顔でサムズアップして見せるパンダ。

 

 

 瞬間――ブチッ、と実際に音が鳴ったわけでもないのに、何故か有栖の耳にそのような音が響いた気がした。

 

 

 続けて、パンダはこちらへ向かって両手を差し出すジェスチャーを取る。それはまるで「どうぞお構いなく」と言っているかのようで、それだけ終えるとパンダはすぐさま走り去ってしまった。

 

「あの、今の――」

 

「待てや、このクソパンダぁ! 今何撮りやがった!!」

 

 戸惑いながらも、どうにか口を開こうとする有栖。

 しかしそれが完全に発せられるよりも先に、護は叫びながら立ち上がると、勢いよく窓を開けて跳び出してしまった。

 

 程なくして、開かれた窓から何やら鈍い音が響いたかと思うと、遅れて幾つかの声が聞こえてきた。

 

「あいつら、朝っぱらから何はしゃいでんだ?」

 

「すじこ」

 

「えっと、止めなくていいの? ――って護君、それ僕のケータイ! 壊すの止めて!」

 

 慌てたような声と共に、一人の白い服を着た黒髪の青年が窓の外を走っていき、そこから僅かに遅れて眼鏡を掛けた女性と、白い髪の青年が歩きながら通り過ぎていく。

 

 その間も、楓花と有栖の二人は只々唖然としたまま取り残されていた。

 




 今回も、また大変お待たせいたしました!

 活動報告でも述べたのですが、今回本当なら事件後の説明回は一話で済ませるつもりが、結局纏めきれず次話に持ち越す流れとなってしまいました。
 進み方がじれったくて申し訳ありません。


 今回、キャラクターの心理状態を掘り下げる為の回だったのですが、正直途中から自分でもこの人何考えてるんだろ、とか思ってしまったり。
 何度も読み返して修正を挟んだんですが、むしろ修正を重ねる程に迷走する始末。

 気になる点がありましたら、ご指摘頂けましたら幸いです。

 

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