公国
夏祭り会場から少し離れた神社。
その階段に腰を下ろした俺は、俯いて悔しさに涙を流した。
日本の夏祭りとか世界観がおかしい? 俺に文句を言うな。俺だっておかしいと思うが、ここは狂った乙女ゲーの世界だ。まともだと思っている奴が悪い。
「ちくしょう……欲しかったのに」
今からでも追いかけて全てを買い占めたい気持ちに駆られていた。だが、それを許さないのがアンジェとオリヴィアさんだ。
俺を見張っている。
そんな二人は、俺がとても落ち込んでいるのを見て逆に引いていた。
「そ、そんなに欲しかったのか?」
アンジェが俺の顔を覗き込む。
どうやら取り巻きたちから逃げ出したらしい。俺が側にいないため、今の内に決闘騒ぎの時に見捨てた失点を回復するため奴らも必死なのだろう。
「この日を凄く楽しみにしていました。昨日は眠れなかったのに」
涙を拭う。
お芝居だろって? 本気で悔しいから泣いているんだよ!
オリヴィアさんが話しかけてきたが、とてもぎこちない。
「で、でも、あんなのはいけないと思います。お金で買い占めるなんて」
言いたいことは分かるが、お金で物を買うのを全否定するのはどうかと思う。
「お金を払うから良いじゃない。十倍出しても良かったのに」
本当にそれだけの価値があるのか俺も怪しいが、本当に効果があるのなら百倍の値段を出しても買いたいお守りなのだ。
この浮島で回収したかったアイテムが、あの男が売っていたお守りだ。
ただ、中に何が入っているのか分からない。
ゲームでは完全ランダムで、外れても【幸運】のお守りが手に入る。
次に良いのが【武運のお守り】で、これがあると近接戦闘系の能力が向上し、フィジカル系のステータス成長率が良くなる。
大当たりは魔法系で【属性の加護】だ。こいつがあれば、魔法への適正値が上がるというゲーム的な効果がある。
魔法的な成長率が上がり、属性への適性も上がる優れもの。
これがあるため、一年の時の修学旅行先はこの浮島を選んだ。教師に金を握らせてここに来たのに、手に入らないとか悲しい。
成長ボーナスがつくので、一応念を入れてダンジョンにも最低限しか挑んでいなかったのに……。
最強育成法のために練ってきた計画が全て崩れた。
アンジェもオリヴィアさんも凄く困った顔をしていた。
俺が泣くとは思わなかったのだろう。
グスグスと泣いていると、夏祭りも終盤に差し掛かり男性が戻ってきた。
持っていた商品はほとんどが売れてしまったようだ。
「あ、ここにいた。貴族様、二つ余ったのでこちらをどうぞ」
俺は立ち上がってその二つのお守りを購入する。
「当たれぇぇぇ!」
「いや、あの、当たり外れなんてないですよ。全部お守りで種類が違うだけですから」
お金を払って袋二つを手に取りゆっくり白い紙を脱がしていく。
緊張して顔が赤くなっていく。
ゆっくりと剥がした紙の下にあったのは、ビー玉ほどの大きさの白い玉。それに金具と赤い紐がついていたお守りだった。
……駄目だ。俺には白……治療魔法の才能はない。
持っていても意味がない。
二つ目を乱暴に剥くと、今度は赤い玉が姿を現す。二つともとても綺麗な色をしているが、キーホルダーのようにしか見えない。
御利益はあるのだろうか?
「赤……俺、赤の才能がない」
アンジェが首をかしげて、
「お前は何を言っているんだ? だが、良かったじゃないか」
アンジェが安堵しているのを見て、男性は階段を上って去って行く。
「では、俺は戻りますので。大事にしてくださいね。でも……それ、貴族様よりも、そちらのお二人の方がお似合いに見えますけどね」
俺よりもアンジェとオリヴィアさんにお似合いだと? まぁ、そうだな。
俺が欲しかったのは黄色とか、青とかだ。
赤は狙っていなかった。
言い方は悪いが、俺にとって外れである。
肩を落とした俺は、お守りをそれぞれ二人に渡した。いつの間にか男性は階段を上っていなくなっていた。
「く、くれるのか?」
アンジェが少し引いている。俺が泣くほど欲しがった物を貰っても良いのかという顔をしていた。
「俺が狙っていた物じゃないし」
「そ、そうか」
オリヴィアさんにも渡すと、遠慮して拒否をする。
「も、貰えません」
「良いから貰ってよ。俺じゃ意味がないし。別に高価な物じゃないし」
投げて渡すとオリヴィアさんが手に取って困った顔をしていた。
俺は階段に腰掛け深い溜息を吐き、頭を抱える。
「リオンさん……あ、あの」
何か言おうとするオリヴィアさんだったが、この場にアンジェの取り巻きたちがやってくる。
「あ、お嬢様!」
その声を聞いてアンジェが慌てて逃げ出した。
「わ、悪い。私は行く」
逃げ出すアンジェを追いかけ、取り巻きの女子たちが追いかけていく。だが、彼女たちに専属使用人の姿はなかった。
バタバタと駆け抜けていくアンジェたちを見送ると、取り巻きの男子たちが俺を見つけて囲んだ。
相手は三人だ。
「バルトファルト、またお前か」
「少し出世したからっていい気になるなよ」
「お嬢様に取り入った貧乏貴族が」
俺は顔を上げて無能な男子の顔を見た。その程度の認識だからお前らは駄目なんだ。そしていい加減に気づけ。一度大事な場面で裏切ったお前らの信用は、これから何とかしようとしてもプラスにはならない。
今はマイナスで、一生かけて頑張ってゼロになるかどうか……今更取り入っても遅い。
「え? 悔しいの? お嬢様に気に入られた俺が羨ましいの? 残念だったね。お前らが決闘騒ぎの時に見捨てなければ、お前らがアンジェのお気に入りだったのに。お前らは学園の空気を読むのは上手いけど、もっと貴族の世情というか世間の空気を読んだ方が良いよ。今更取り入ろうと頑張って恥ずかしくないの?」
煽ってやると手を出してきそうになった。
苛々しているので喧嘩を買ってやろうと立ち上がると、リビアが俺の前に立って両手を広げる。
「け、喧嘩は駄目です!」
男子の一人が怒鳴ってくる。
「先に喧嘩を売ったのはそっちだろうが!」
「ご、ごめんなさい。で、でも、喧嘩は駄目です」
「――ちっ、行こうぜ。女の後ろに隠れる情けない野郎だ」
その言葉、そっくり返してやりたいね。アンジェという盾が欲しいだけの連中の癖に。
男子たちが去って行くと、俺はオリヴィアさんに言うのだ。
「別に放っておいて良かったんだ。あいつら、これ以上の騒ぎを起こせないから引いたのに」
手を出せないと分かっている相手を煽った。
まぁ、若いので暴力を振るってくるかも知れないが、その時は社会的に制裁するつもりだ。大人の喧嘩は殴り合いだけで終わらないのだよ。
オリヴィアさんが俯く。
「……ごめんなさい。リオンさん、本当にごめんなさい」
泣いて謝るオリヴィアさんを前に、俺は髪をかく。
「謝ることないのに。そもそも、俺なんかよりオリヴィアさんにはもっと相応しい人が――」
そこまで言いかけた俺は、近くに来ていた老婆に視線を向けた。
いったいいつからここにいた?
「……えっと、どちら様で?」
老婆に話を振ると、オリヴィアさんも驚いた顔をしていた。
杖をついた老婆は笑っていた。
「いえ、息子がお世話になりましたのでお話しに、と」
俺は老婆から視線をそらす。息子とは、あのお守りを売っていた男性だろうと思った。
「このたびは大変申し訳ないことをしたと思うわけでして――」
言い訳を始めた俺に、老婆は懐から白い袋を取り出すのだった。
「私の作ったお守りを、大金を払ってでも欲しいという方は初めてでした。ですが、アレはお祭りで楽しみにしている方が多いのでね。余っている物で悪いのですが、これをどうぞ」
受け取った白い袋に入っていたのは、武運のお守り? だった。
「これ、形が違うような?」
「随分と詳しいお方ですね。それは来年から用意しようと思った物です。試しに作ったのですが、お気に召すでしょうか?」
欲しかった物とは違うが、手に入ったのは嬉しい限りだ。
「あぁ、ありがとうございます。あ、代金を――」
「いりません。どうしてもと言うのなら、お参りでもしていってください。ここは縁結びの神社ですから、御利益もありますよ」
そう言って階段を上っていく老婆。
神職の関係者だろうか?
オリヴィアさんが驚いて階段を見上げている中、俺はお守りをよく見る。剣と盾がある武運のお守りではなく、剣が三本交差したお守りを顔の位置まで上げて眺め、そして手に握りしめた。
「……まぁ、大当たりでなくても当たりと思えば悪くないか」
ばらまいた金額に見合うだけの価値はあったと思っておこう。
それにしても縁結びの神社……夜は怖いから、明日の朝にでもお参りにでも来よう。
そう言えば、ゲームで主人公と攻略対象が距離を縮めるため神社に向かったような記憶が……。
オリヴィアさんが俺に聞いてくる。恥ずかしそうだ。
「リオンさん、縁結びってその――」
「そのままの意味だよ。縁を結ぶ御利益がある。明日の朝にでも来るさ。良縁を願わないと」
大金を積んでお願いするべきだな。
俺がその場を去って行くのを見て、オリヴィアさんが寂しそうな顔をするが放置する。
……俺と関わるべきではない。
◇
翌日の朝。
お昼には飛行船が出発するので、その前に島を観光していた。
浮島はとにかく独自の文化の発展を遂げやすい。
理由は海すらなく他の島への行き来は飛行船を使うしかない。時には、飛行船を持たずに自分たちだけの社会を作っている浮島もある。
そうした浮島を発見するのも冒険だ。
……まぁ、悪い奴らはそのまま侵略することもあるのだが。
どんなに取り繕っても冒険者が粗暴な連中と言うことだろう。
実際に俺もルクシオンを得るために遺跡荒らしのようなことをしたからね。
石を積み上げた階段を上る。
見えてきた鳥居と、神社はいかにも日本風だ。
浮島自体が日本風なので、どうにも違う世界に入り込んだような気分になる。
境内の掃除をしていた巫女さんを見つけた。
可愛い巫女さんは小学生くらいに見える。
「どうも。ここって縁結びの神様がいるのかな?」
そんな俺の質問に、可愛らしい巫女さんは笑顔で頷いてくれた。
「はい。縁結びの神様がおられます。武と魔法の御利益もありますよ」
武人や魔法使いにはありがたい神様らしい。
お礼を言ってお参りに向かおうとすると、話している間に人がやってくる。
「……あ」
「……お前ら」
「……え、えっと」
俺が間の抜けた声を出すと、アンジェが困ったように俺たちの顔を交互に見た。オリヴィアさんと下で出会い、そのまま上ってきたのだろう。
小さな巫女さんが笑顔で挨拶をしていた。
「あ、学園の貴族様たちですね。えっと、お参りの仕方はご存じですか?」
丁寧に教えてくれる可愛い巫女さん。
あ~、癒やされる。
乙女ゲーの理不尽さが浄化されていくようだ。
そんな訳でお参りをすることになったのだが、俺たち三人……横並びで賽銭箱の前に並んだ。
……気まずい。
「お、お布施をするんだったな。いくらが良いだろうか?」
困っているアンジェが財布から金貨を取り出した。
オリヴィアさんがそれを見て、
「そ、そんなに払うんですか?」
「違うのか? 神殿ではこれくらいは普通に……」
神殿が一神教で他の宗教を排斥していなくて良かった。宗教戦争とか本当に勘弁して欲しい。乙女ゲーの緩い設定に初めて感謝したね。
そんな二人の横で、俺は昨日支払うはずだった札束と金貨を入れていく。気が狂ったと思う? 違うね。ゲームでは一定金額を支払うと攻略対象キャラの好感度が爆上げされるのだ。御利益があると信じて、俺は大金を支払うのだ。
昨晩思い出し、もっと金を持ってくれば良かったと後悔したほどだ。
二人が唖然として見ている中、礼儀正しくお願い事をする。
「神様、贅沢は言いません。どうか……どうか、嫁を! 良識があって、優しい女性との縁を結んでください! 夫を見下す女や、他人の子供を育てさせるような女は嫌です。どうか良縁をお願いいたします!」
俺の強い願いが口から漏れ出てしまう。
二人は呆れている様子だが、俺にとってはとても大事な問題なのだ。
色々頑張ってきたのに、ことごとく裏目に出て苦労している可哀想な俺の願いをどうか聞き届けてください、神様!
必死に祈る俺の横で、どうやらアンジェもオリヴィアさんも願いだした。
流石に口から願いが漏れることはない。
何を願ったのだろう? まぁ、アンジェは結婚相手に関する事なのは間違いない。オリヴィアさんは恋人か? 是非ともブラッドとグレッグを除いた三人と――あ、駄目だ。ジルクの野郎は駄目だな。
とにかく、残ったユリウス殿下かクリスとくっついて……欲しいと思う。
まぁ、俺は自分のことを祈っておこう。
「出来れば胸は大きくて腰はくびれた女性が良いです。少しエッチだったらなおよしです! ぶっちゃけ、俺を甘やかしてくれる大人で色っぽい――」
俺の欲望だだ漏れな願いを聞いて、アンジェとオリヴィアさんが恥ずかしそうに俺の耳を引っ張り引きずり出した。
「待って! まだ伝えきれていない願いがあるんだ! まだ伝えたいことがあるんだ!」
アンジェが顔を真っ赤にしていた。
「こ、子供の前で何を言っているんだ、この阿呆が!」
見ると幼い巫女さんが顔を赤くしている。
……凄く可愛くない? いや、ロリコン的な意味ではなく、こう汚れていない女子というのは尊いと思える感じで。
オリヴィアさんが巫女さんに謝っていた。
「ごめんね。忘れてね」
「え、えっと、だ、大丈夫です。その、色々と驚きましたけど」
苦笑いをしてくれた巫女さんに手を振り、俺たちは階段を降りるのだった。
◇
リオンたちが去った境内。
巫女の衣装を着た少女は、お賽銭箱を見た。
「あんなにお賽銭にお金を入れた人は初めてかも。おじいちゃんに伝えないと」
少女が走って行く。
この神社にいるのは、少女と祖父だけ……老婆も壮年の男性も家族にはいなかった。
◇
豪華客船に戻った俺は、浮島から離れていくのを甲板から眺めていた。
握りしめたお守りを取り出すと、視線をそちらへと向ける。
ルクシオンは興味があるのか声をかけてきた。
『首に提げてはいかがです?』
「……なぁ、これって御利益があると思う?」
『精神的に何かに頼るのは悪いことではありません。頼りすぎなければ良いのです』
神頼みは否定しないが、それで幸運が手に入るとは思っていないらしい。
首に提げた俺は、夏のような日差しを見上げ目を細めた。
「暑いな」
『そうですね。ところで、少し気になったのですが』
「何?」
『もしかして、ダンジョンに積極的に挑まなかったのは、そのお守りを手に入れていないのが理由ですか? ゲーム的な効果を期待して?』
「……ば、馬鹿、違うよ」
『そうですか。いつまでも聖なる腕輪という奴を回収しないので疑ってしまいました』
「あ、アホだな、お前も」
ぶっちゃけ、効果を期待してダンジョンには必要以上に挑んでいなかった。ゲーム的な効果を期待していたためだが、現実になるとどうなのか分からない。
「回収する場所まで行くのは良いけどさ。そこ、上級生たちでも苦戦するような場所なの。安全に回収するなら準備が必要だったからな」
『そうですか。慌てていないので不安でした。マリエがいるのに焦っておられないようなので、気になっていたのです』
マリエもゲームをプレイしていたのなら、馬鹿な真似はしないだろう。
本格的にダンジョン攻略をするのは三学期からになる。
そこから二年生の中盤まではダンジョンで稼いで――。
『それにしても、せっかく【シュヴェールト】のお披露目が出来ると思ったのですが』
「あのエアバイクに勝手に名前をつけたの? お前、アレの持ち主は俺だぞ。まぁ、シュヴェールトだっけ? かっこういいから別に良いけど……なんて意味?」
『……マスター、時にエアバイクを魚に例える事をご存じですか。飛行船と比べると小さいですからね』
「聞いたことがあるな。それが何?」
『いえ、何でもありません。シュヴェールトは剣という意味です』
「良いじゃないか! 気に入った。そう言えば、先端が鋭いし、なんか良い感じだな」
『えぇ、本当はかじきマ……何でもありません』
こいつのネーミングセンスには脱帽だな。
まぁ、持って来たのだが使わなかった。浮島で乗り回している男子たちもいたが、俺はあのお守り売りの男を捜し回るので大変だったからな。
どういう訳かそいつの身元が分からないのだ。
現地の人も「あ~、あの人! 誰だっけ?」みたいな反応なのだ。
「随分と改造していたな。色までメタリックカラーにしやがって」
『良いじゃないですか。少し青を混ぜてみますか?』
「あぁ、今度お願いするよ。途中どこかの浮島で止まるし、その時に乗ってもいいな」
『準備しておきましょう。シュヴェールトはじゃじゃ馬の気分屋で調整が難しいですからね。マスター、大事に乗ってくださいね』
何だろう。
こいつ、あのエアバイクに名前をつけて改造して……結構可愛がっているのか?
そう言えば、パルトナーも何だか可愛がっていたような気がする。
……パルトナーとシュヴェールトの悪口は言わない方が良いな。
その場にいると、クリスが甲板に出てきた。
疲れた顔をしながら、
「まったく、一人になる時間もないな」
女子から逃げてきたらしい台詞を口にしていた。
こいつ俺たち男子に喧嘩を売っているのだろうか?
俺がいると気が付くと、不敵な笑みを作って近付いてきた。青く整った髪が風で少し乱れているのに、それすらかっこいいから腹が立つ。
眼鏡を外して俺に話しかけてきた。
「バルトファルト、ブラッドと試合をしたらしいな。私とも剣術の試合をしようじゃないか」
自分の得意分野で俺を倒したいのだろう。
俺は鼻で笑ってやった。
「ブラッドは自分の苦手な分野で勝負を挑んできたのに、お前と来たら得意分野で勝負しようと言ってきて……あいつの方が根性はあったね」
ブラッドの名前を引き合いに出したらすぐに表情が歪んだ。
お子様共が。
この程度で心を乱されるな。
「苦手な分野で勝負してやるからかかって来いよ」
このクリスという男は剣術特化である。そのため、他分野になると駄目になるキャラだ。
「わ、私は――剣術も得意だと思ったことはない」
俯いて眼鏡をかけるクリスに呆れた。
「見苦しいぞ。剣豪様はもっと堂々として欲しいね」
「嘘じゃない。ずっと剣の修行をしてきた。それでも、父には才能がないと言われた」
……そんな設定もあったな。
どいつもこいつも、とんでもなく面倒な設定を持っている。それこそ、原稿用紙何十枚となるような設定だ。
面倒くさいことこの上ないと思って愚痴を小声でこぼすと、隠れたルクシオンは『逆にマスターの人生は薄っぺらいですね』などと言いやがる。
五月蠅いよ! そうだよ、転生者と言うだけで他に何もないよ!
それでも面倒な奴らよりマシだと……思う。
「それで剣豪になった努力の人、ってか? 剣豪にもなれない俺たちは才能もないお前以下かよ」
クリスは俺を睨む。
「全て剣術に捧げて同じ事が言えたら謝罪でも何でもしてやる。お前に私の何が分かる?」
「何も? 逆にお前は俺の何を知っているのかな? 自分は可哀想なんです~、って同情して欲しいならマリエにでも言えよ。前にも言っただろ」
「……たいして努力もしてこなかったお前みたいな奴が私は嫌いだ」
……努力? 俺だってしてきたよ。
生きるために畑仕事とか、ランタンの明かりの下で勉強とか。
次女や三女が部屋の中で電気の下で勉強し、畑仕事もしない中でね。
女の子は大事にしないと駄目なんだって! ……けっ、胸くそ悪い。
野郎の扱いが酷すぎるわ。
「奇遇だな。俺もお前らが大嫌いだ。特に俺の期待を裏切ったブラッドとグレッグは許さない。あいつらには期待していたのに」
よりもよって俺が一番嫌うことをピンポイントで……必ず復讐してやる。
そうして話し込み、にらみ合っていると急に警報が鳴り響いた。
俺たちは周囲を見る。
「なんだ?」
「モンスターでも出たか? いや、だがこの警報は流石に――」
クリスが流石におかしいと言おうとしたときだ。
白い雲の中から大量のモンスターたちが現れた。
雲を突き破って続々と現れたその数は、数十、数百という規模ではない。
「……なんだよ、アレは」
海洋生物を真似たような外見のモンスターたちは、空を海の中で泳ぐように飛び回っていた。
その数は既に数え切れないのに、まだ雲の中から飛び出してくる。
浮島からは距離が離れ、周囲には他に飛行船が見当たらない。
船員たちが武器を持って外に出てくるが、その圧倒的な数を前に怯んでいた。
持ってきた武器を持って震えている若い船員もいる。
クリスが船員に詰め寄った。
「いったい何が起きた!」
「わ、分かりません。モンスターたちが急に現れて……こ、こんなことは初めてです」
クリスが焦っているが、それは船員たちも同じようだ。
俺は空を見上げた。
「……どうして囲むだけで襲ってこない?」
通常、出くわせばとにかく襲いかかってくるモンスターが、妙に大人しく飛行船を囲むにとどめていた。
ルクシオンが俺の肩の辺りで浮かんで報告してくる。
『統率が取れていますね。データにはない行動です』
群れで動いていたとしても、ここまで統制が取れたモンスターの集団なんて見たことも聞いたこともない。
少しピンクがかった白いモンスターたち――だが、額の辺りに何か見えた。
俺では確認できないが、ルクシオンが俺の周囲に映像を映し出す。
「紋章? どこかで見たことがあるな」
『公国の紋章ですね。ファンオース公国の紋章です』
「ファンオース? ……嘘だろ」
ファンオース公国。昔はホルファート王国の公爵家――だが、随分と前に独立して公国を名乗っていた。
通りで見たことがあるはずだ。
何しろ――ゲームでは終盤に出てくる敵なのだから。
『何か知っているのですか?』
「……ゲームで戦争を仕掛けてきた国がファンオース公国だ。だけど早すぎる。俺は三年になるまで余裕があると思っていたのに」
『モンスターとの関係があると?』
「公国にある魔笛だ。アレがモンスターを操る設定だった。だけど、こんな数を操るなんて知らなかったぞ」
数千か、それとも万か。
そんな数のモンスターを前にしていると、甲板の上で女子たちが騒いでいた。
「ちょっと、誰か何とかしなさいよ!」
「ぶ、武器くらい積んでいるんじゃないの?」
「あんな数、見たことがないわよ」
数十、数百なら、なんとか持ち堪えられるかも知れないが、流石に目の前の数は大型の豪華客船ではどうにもならない。
武器だって積み込んではいるが、それよりも居住性を優先した飛行船だ。
戦闘をメインに考えて作られていない。
船内へと逃げていく女子と専属使用人たち。騒ぎが徐々に大きくなり、気が動転したのか発砲している船員までいた。
ルクシオンは冷静だった。
『本体とパルトナーを出撃させます。マスター、ご許可を』
「すぐに出せ! 到着までの時間は?」
『急ぎますが、やはりすぐという訳には――』
そうしていると、雲の中から一際大きなモンスターが出てくる。鯨のような姿をしたモンスターの背中には、人が用意したらしい建造物が見えた。
「モンスターを飛行船にしたアレは……お姫様の登場か」
魔笛を扱える王女様……それが来ているとなると、本当に厄介だ。一年生のこの時期に、まさかラスボスを相手にするとは思いもしなかった。
もっと終盤に――三年生の時に相手をすると思っていたのに!
そんな王女の乗る大型モンスターの周りには、飛行船の艦隊――公国の紋章を掲げた飛行戦艦が隊列を組んでいた。
その後ろから浮島を飛行船に改造した物が雲を突き破って現れる。いつの間にか、大きな雲は四散していた。
公国の艦隊やモンスターたちに食い破られた。
クリスが眼鏡の位置を少し震えた指で整えると、声を絞り出すのだった。
「公国だと。王国の領空に入っていったい何を考えている」
どう考えても侵略するつもりなのだろう。
戦力としてみると飛行船の数はたいしたことがないが、それを補うモンスターたち。
甲板から中へと逃げ込む生徒たちが多い中、外に出てくるのはアンジェとリビアだった。俺たちを見つけると駆け寄ってくる。
「リオン、ここにいたか!」
「リオンさん! ――って、リオンさん、周りに何か浮かんでいますよ!」
ルクシオンが俺の側で浮かんでいるのは、それだけ警戒してのことだろう。隠れようとしないのは、俺の命に関わると判断したのか?
確かにこの数は……。
二人がルクシオンを見ていた。俺の周りに浮かんだ映像も見ている。
「だ、大丈夫なのか?」
心配そうなアンジェに対して、オリヴィアさんは空中に映し出された映像を指で触っていた。好奇心の方が勝ったようだ。
そしてルクシオンを見る。
「リオンさん、この丸いのは――」
俺は説明が面倒だったので、ルクシオンを――。
「あぁ、こいつ? 使い魔のルクシオンだよ。ほら、挨拶をしろ」
ただ、ルクシオン的には嫌だったらしい。
『使い魔? いえ、納得できません。私は魔に関係するのではなく、科学の結晶です。そこは絶対に譲れません。はじめまして、お嬢様方。私はマスターのサポートをしておりますルクシオンです。使い魔ではなく人工知能を搭載した――』
そんなルクシオンの説明を感心しながら聞いていたオリヴィアさんだが、アンジェは無視した。この状況の方が最優先事項だと判断したのだろう。
「変わった使い魔だな。お前、魔法の才能もあるのか? まぁ、それはいい。問題は奴らだ。公国のように見えるが、どうしてモンスターと一緒にいる?」
モンスターは人を襲う。
近くにいて襲われないのが信じられないのだろう。
俺は肩をすくめた。
理由は知っているが、それを俺が知っているのは現状ではおかしいだろう。
クリスが大きなモンスターを見て口を開く。
「待て、誰か出てくるぞ」
アンジェが目を細めていた。出てきたのは敵国――公国の王女である【ヘルトルーデ・セラ・ファンオース】。
「ヘルトルーデ王女か?」
リビアがルクシオンを気にしつつ、王女について質問する。
「あ、あの、お知り合いですか?」
「以前に一度だけ会ったことがある。だが、どうしてこんな場所に――」
すると、大きなモンスターの頭上に投影されたヘルトルーデ王女の大きな姿が現れる。
全員が警戒していると、拡声器を使ってこちらに通告してきた。
『ファンオース公国、第一王女ヘルトルーデ・セラ・ファンオースが告げる。我らはホルファート王国に宣戦布告する』
まだ若い女性が無表情で告げたのは宣戦布告。
……いずれくると分かっていたが、流石に準備不足だった。
「おいおい、前倒しにも程があるだろうが」
いったいどこで予定が狂った?
本来なら戦争になるまで時間はあったはずなのに……。
『愚かなる王国貴族の子弟たちよ。覚悟を決める時間をやろう。降伏か、それとも死か……一時間だけ待ってやる』
与えられた猶予は一時間。
アンジェが手すりを叩く。
「私たちを人質にするつもりか……卑怯者が」
開戦と同時に俺たちを交渉材料にするのだろう。
俺は周囲を見た。
船員たちはオロオロしているが、甲板に取り残された生徒たちは安堵している奴もいた。
公国側から使者が乗る小型のボートが出てくる。
ルクシオンが俺に、
『マスター、厄介なことになりましたね』
「あぁ、そうだな」
俺はアンジェを見た。俺たち木っ端と違い、王家に連なる公爵令嬢様だ。
公国としてみれば確保したくて仕方がないだろう。
「……いったいどこで間違えた」
どうして三年生のイベントがここで来てしまうのか?
俺は頭を抱えたくなった。