よう実×呪術廻戦   作:青春 零

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38話 己の価値

 

 ――自分は何のために生まれてきたのだろう――

 

 人間誰しも、思春期の折に考えるようなありふれた疑問。五条護の場合は、それが人より少し早かった。

 

 

 五条護は過去に二度、家族から失望の視線を向けられたことが有る。

 一度目は、五条家相伝の術式を継いでいないと分かった時。

 そして二度目は、生まれ持った術式の複雑さから、満足に扱えないと分かった時。

 

 あからさまに蔑まれたり、酷い言葉を投げかけられた訳じゃない。

 ただ幼いながらに人より少し聡かった護は、周囲の視線に落胆の色が混じっている事を感じ取っていた。

 

 優秀な兄が居ることは聞いていた。しかし自分には誰も、何も期待していない。

 

 そうして事あるごとに、先の一言を思い浮かべては、自らの価値について自問する日々。 

 

 自分には何が成せるのか、何かを成せたところでその行為に意味はあるのか。

 

 そんな日々を打ち破ったのは、ある日突然現れた兄を名乗る男だった。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 『黒閃』

 

 言うなればそれは、呪力のクリティカルヒット。

 

 打撃との誤差0.000001秒以内に呪力が衝突した際に起こる空間の(ひず)み。

 その威力、平均して通常の2.5乗。

 

 1級呪霊の戦力比として、戦車が有っても心許ないと言われるが、五条護が放った一撃はまさしく戦車の装甲すらも貫く一撃。

 呪霊の腹部にめり込んだ拳はそのまま肉体を貫通するに留まらず、その周辺の肉を丸ごと吹き飛ばし、胴体を分断させるまでに至った。

 

 毒々しい紫色の血を撒き散らしながら、宙を舞う呪霊の上半身。

 残った下半身もまた、衝撃によって後方へと大きく吹き飛び、分かれた二つの肉体は僅かな時間差を伴ってドチャッと瑞々しい音を響かせながら地に落ちた。

 

 何が起こったのか分からない。呪霊はまるでそう言っているかのように目を見開き、あがくように護へと手を伸ばすが――瞬間、その身はまるで煤のように黒ずんだかと思うと、灰が舞うかのように宙に溶けて消えてしまった。

 

 その光景を一瞥するなり振り返る護。すると視線の先には目を丸くしてこちらを見つめる楓花の姿。

 おそらくは、あまりにも呆気ない幕切れに張り詰めていた気が緩んだのだろう。次の瞬間、楓花の身体はグラリと傾いた。

 

 それを見た瞬間、護は呪力で強化した肉体を以って10メートル程あった距離を一瞬にして詰めると、その身体をそっと受け止める。

 

 トンッと軽い音を立てて、護の胸元に楓花の額が当たる。

 すると楓花は、まるでその表情を見られまいとするかのように胸に顔を埋めたままポツリと呟いた。

 

「……すまんな。結局……助けを求めてしまった」

 

 声も出すのも辛いだろうに、まず楓花の口から出てきたのは謝罪の言葉だった。

 普段と打って変わったその弱々しい姿に、護は自分の中で感情にさざ波が立つかのような、奇妙な感覚を覚えた。

 ショックや怒りとはまた違った感覚。生じた感情の正体が分からず、心の内ではただ疑問の言葉だけが浮かび上がる。

 

(どうして、ここまで……)

 

 護自身「任せる」と言いはしたが、ここまでするとは思っていなかった。

 

 護から見て、鬼龍院楓花という女性はある側面において、自分に近い印象を抱いていた。他者に対する関心が薄く、一線を引いたところに立ち位置を置くタイプ。

 

 自己の安全を第一に考えるなら、戦闘を避けられなくなった時点で護を呼ぶべきだった筈だ。

 その結果として一般市民が危険に陥るとしても、楓花には関係が無い他人の命。はっきり言ってそんな見ず知らずの誰かの為に、命を投げ打つ性格ではないと思っていた。

 

「ど……」

 

 どうしてと、抱いた疑問がそのまま口を衝いて出そうになったが、咄嗟にその言葉は飲み込んだ。

 起こした行動に対して疑問を挟むなど、少なくともたった今命懸けで務めを果たした人間に対して、言っていい言葉ではないと思ったから。

 

「……謝られることなんて何もない。さっきも言ったろ、間に合ったって。

 こっちもやることは終わった所だった。おかげで助かった」

 

 改めて口を開いて出てきたのは、慰めではなく労いの言葉。

 その口調は淡々としたものであったが、それを聞いた楓花は護を見上げるとフッと笑みを浮かべて呟いた。

  

「そうか……」

 

 それだけ言うと、緊張の糸が切れたのか楓花の身体から一層力が抜けていくのが感じられた。

 護は崩れ落ちそうになる楓花の身体にそっと手を回すと、傷に障らないよう壊れ物を扱うかの如く慎重にその身を抱え上げる。

 

「ふっ……役得、だな。

 こうも丁寧に扱われるなら……苦労した甲斐もある」 

 

「その状態で言う言葉がそれか。辛いなら大人しくしてろよ」

 

 吐血の跡も見える辺り、内臓もどこか傷ついているだろう。声を出すのも辛い筈なのに、普段と変わらぬ軽口を聞いて、呆れると同時に少しホッとする。

 

「そうしたい……がな。伝えることが、有る。

 呪霊の術師が……まだ……」

 

「わかってる」

 

 切れ切れに呟く楓花の言葉を遮り、護は近くの林に向けてチラリと鋭い視線を向ける。

 楓花が言いたかったこと、それは先程の呪霊を操る術師が、まだ近くに居る可能性についてだろう。

 

 呪霊の始末こそ終わったが、今回の襲撃者については未だその姿を確認できていない。

 護にしても、むざむざ逃がしたくないというのが本心だ。今しがたの呪霊、一撃で終わりこそしたが他の場所に撒かれた呪霊とは明らかに格が違った。それだけの呪霊を行使できる術師。

 

 仮に二度目の襲撃があれば、今度こそ本当に死人が出かねない。

 

(けど、今はまず楓花達だ)

 

 だが、それよりも先に優先すべきは楓花と有栖の安全確保。術師を探しに行くにしても、この二人を放置はできない。

 護は少し離れた場所で結界の中に横たわる有栖の姿を確認すると、楓花を抱えたまま印を結び、その結界内へと転移をした。

 

 一瞬にして、横たわる有栖のすぐ傍に現れる護。

 すると結界の中では有栖が胸を抱えた状態で蹲っており、目を瞑りながら苦しそうに呼吸を繰り返していた。

 音もなく移動したせいか、有栖の方は護の存在には気が付いていない。

 

(こっちも、あまり余裕はないか)

 

 心拍というのは、一度乱れてしまえば自身の意思で落ち着ける事は容易ではない。

 呼吸を落ち着ける応急処置方法というのも確かに存在するが、慣れない呪いの気配を感じながら冷静に対処しろと言うのが無理な話だ。

 

 こうして、手を伸ばせば届きそうな距離に居るのにすぐ気づかない辺り、本人もよほど余裕が無いことが分かる。

 

 護が一歩踏み出すと、有栖はその足音に一瞬ピクリと身を震わせたかと思うと恐々とした様子で振り向いた。

 

「……護、君?」 

 

「ああ」

 

 有栖の表情には、護が突然現れたことに対して、一瞬戸惑いと安堵が混じったような色が浮かんだが、抱えられたボロボロの楓花が目に入ると、驚いた様子で目を見開いた。

 

「っ……先、輩は?」

 

「生きてるよ。さっきの呪れ……怪物に関しては、もう片付いた。そこは安心していい」

 

「は……」

 

 護のあまりにも端的な回答に対し、困惑の表情を浮かべる有栖。

 そんな有栖を見て、護に抱えられた楓花は弱々しい笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「はは……そう、注視してくれるな。

 そんなに……私の抱かれた姿が、珍しいか?」

 

「誰もそんなこと気にしてないから。大人しくしてろって」

 

 減らぬ軽口を叩く楓花に呆れながらも、護は静かに屈むと丁寧な動作で楓花の体を有栖のすぐ傍へ横たえる。

 

「有栖さんも、悪いけど質問は後にしてくれ。君もその状態で話す気力は無いだろ」

 

 どちらにせよ言葉を絞る余力など無いだろうが、今は大人しくしていろと念を押しながら、護は二人の容態を改めて観察した。

 

(本当なら、急いで家入先生のところに連れていくべきだが……)

 

 問題は、今もどこかで見ているだろう術師を放置することになるということ。

 逃げられるのもまずいが、それ以上に最悪なのが護の居なくなった後の学校で、暴れられるようなことがあればそれこそ手に負えない。

 

 かといって、今の状態の二人を放置したまま術師を捜しに行くわけにもいかない。

 護は視線を上げて公園周りの林をグルリと見渡すと、それから改めて倒れる二人へ視線を落とした。

 

「やるしかない、か」

 

 そうポツリと呟くと、護は胸の前で印を組み、一つの呪文を唱えた。

 

闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え

 

 それは“帳”を降ろすための文言。その言葉を唱えた瞬間、公園全体を覆うように空から夜が落ちてきた。

 

(まず、これで術師の退路は封じた)

 

 あくまで周囲に潜んでいればという前提の話になるが、襲撃者の立場で考えるなら有栖(ターゲット)の姿が確認できる位置に身を置いている可能性は高い。

 

 仮に力づくで“帳”に穴を空けて逃げようものなら、その瞬間に穴の空いた場所を特定できる。

 

 そして“帳”が完全に降りきったところで、楓花から疑問気な声がかけられた。

 

「……何を、する気だ?」

 

 その問いかけに対し、護は胸の前で印を組みながら言葉を返した。

 

「ここで、治療をする」

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 反転術式。それは、本来負の念から生まれる呪力という(マイナス)のエネルギーを、生命力や活力といった(プラス)のエネルギーに変換し、肉体の治癒を行う技術である。

 

 繊細な呪力コントロールを要求されるため、使える術師はほんの一握りに限られてくる高等技術。

 中でも、生成したエネルギーを外部へ放出して他者へ施すには、単純な呪力操作の枠に収まらない特殊な才能が必要となり、最強の術師五条悟ですらも習得には至っていない。

 

 現状、この反転術式のアウトプットができるのは護の知る限り高専医師、家入硝子(いえいりしょうこ)ただ一人。

 当然、護もこのアウトプットに関して、習得してはいなかった。

 

 

 ――但しこれは、実用に足るレベルの放出ができないというだけの話だ。

 

 

 呪力や反転術式を体内で循環させる際、僅かではあるが体外に漏出するエネルギーというのは存在する。

 

 術師はエネルギーのロスを減らす為に無意識下でその漏出を抑えている訳だが、逆に抑えを意識的に緩めることで、体外に漏れ出るエネルギーを増やす、その程度のことは護にも可能だった。

 

 もっとも、本来ならばだからどうしたという話。

 漏出した程度のエネルギーなど、他者に施す前に霧散してしまうのがオチだ。

 

 だがしかし、仮にこの漏れ出たエネルギーを受け止める受け皿が用意できるのだとすれば。

 溜め込んだその力を、他者へ転用することも不可能ではないといえる。

 

 そして、そのような受け皿に適した術式を、護は持っていた。

 

 

 護は印を組むと、まず先程楓花が呪符で張った結界の内側に、更に自分と有栖達をギリギリ覆えるだけの小さな結界を生成した。

 そして屈んで印を組んだ姿勢のまま、集中力を高めるかのようにそっと目を閉じる。 

 

 結界内に反転術式のエネルギーを溜め込む。言うまでもなく、これはかなり強引な理屈の上に成り立つ力業だ。

 反転術式自体、かなりの呪力消費を伴う術であるが、自分では使いもしないエネルギーを循環させて、その上澄みだけを汲み取るこの方法は、蓄積に時間が掛かる上、呪力の消耗も激しくなる。

 

(有栖さんの方はともかく、楓花の方はかなり溜める必要があるな)

 

 反転術式による治療の際に重要となるのは、明確な治癒のイメージ。しかし感覚的に状態を判断できる自身の身体と違って、他人の身体というのは見ただけで判断するのは難しい。

 

 大まかなイメージでも治療自体ができないわけではないが、そんな曖昧なイメージで無理を押し通そうとするなら、相応の呪力量が要求される。

 

「…………」

 

 ジッと黙りながら、意識を集中させる護。

 反転術式により生成されたエネルギーが、身体にめいっぱい満たされる感覚。しかし肉体が満たされた後もその生成が止むことは無く、護という器から溢れたエネルギーは、徐々に結界内を満たし始めた。

 

 呪力を感知できる有栖と楓花の二人も、不可思議なエネルギーに満たされていく気配を感じ取ったのか、その衰弱した表情に僅かな驚きが浮かび上がった。

 

「これは……」

 

「反転術式、呪力を活力に変える治癒術だ。心配しなくても害はない。

 もっとも、今出来るのは応急処置だけ。悪いけど折れた腕は後回しにさせてもらうぞ」

 

 有栖の方は、全身の血流を整えるようなイメージで流せば大した呪力消費にはならないだろう――あくまで比較的という話だが。

 しかし楓花の方、内臓の損傷に加えて複雑に折れた腕まで完全に治そうと思えば、確実に半分以上の呪力は持って行かれる。

 襲撃者の対処も考えなくてはいけない以上、今できるのはあくまで応急処置レベルだ。

 

 もっとも、楓花にしてみれば治療術という点だけで驚きだったらしい。腕の事を気にした様子もなく、強がりじゃなく本心から好奇心が混ざったような笑みを浮かべた。

 

「は、はは……呪術というのは……こんなこともできるのか」

 

 そしてその隣で、有栖の方も明確に自分の体調が良くなっていることが実感できたのか、先程まで胸を押さえていた手を離すと、ゆっくり体を起こして護へ向かって信じられないものを見るような目を向けた。

 

「護君……あなたは、一体……」

 

「説明は後って言ったろ」

 

 血色の良くなっていく二人に対し、反面護の表情にはあまり余裕が無く、疲労の色が浮かんでいた。

 

 それも当然の事。元来、反転術式単体ですら高度な呪力操作を必要とする技術。加えてそれを蓄える特殊な結界の維持。並大抵の集中力で成せることではない。

 

(どこまで治せるか……)

 

 正直、護としてはこの二人の治療が滞りなく終わるなどとは、端から思っていなかった。

 “帳”により逃げ道を封じられた術師にとって、護が無防備を晒している今の状態はチャンス以外の何物でもない。

 逃げるにせよ、隙を狙って襲ってくるにせよ、動くとしたら今が最大の好機だ。

 

 むしろ護にしてみれば、それを待ち望んですらいた。

 襲撃者さえどうにかできるのであれば、この二人の治療は今すぐ行う必要はない。高専に運んで、自分よりよほど腕が確かな家入に診せればいい。

 

 但し、これも一つの賭け。

 今の状態で仮に攻撃されたとして、確実に対応しきれるとは限らない。むしろそうでなくては囮としての意味が無いのだから。

 

 意識の大半を二人の治癒に割きながら、最低限の警戒の糸を張り詰める。

 

(さっき、黒閃が出たのは幸いだったな)

 

 黒閃を撃った後、術師は一時的に集中力が増し、アスリートで言うところの“ゾーン”と同じような状態に入る。普段意識的に流している呪力が自然と肉体を廻り、術師のパフォーマンスを120%引き出せる、そんな状態。

 

 そのおかげで、想定よりも早く有栖達の治療は進んでいるし、警戒に割くだけの余裕も生まれている。

 もし黒閃が出ていなければ、どれだけの意識を警戒に割けたか怪しい所だ。

 

 

 ふと、そこまで考えたところで護は背後に誰かが近づく気配を感じた。

 

(……来たか)

 

 ガサリと、風で揺れたとは思えないような木々の音に、その方向へと振り向く護。

 同時に、最低限蓄えたエネルギーが霧散しないよう結界を維持しつつも、反転術式の出力を弱めて他の術を使えるだけのリソースを空ける。

 

 時間は掛けない。相手の術師を即始末した上で、すぐ治療に戻る。そのような意思で鋭い視線を向けた護は――

 

「な……」

 

 ――近づいてきた術師を見た瞬間、目を見開いた。

 

「やぁ、邪魔をしてしまったかな? 私のことは構わず、どうぞ続けてくれ」

 

 そこにいたのは、黒い袈裟姿の一人の男。

 長い長髪と、狐や鼬を連想させるかのような胡散臭さを匂わせた細い目つき。

 

 その男の顔を、護は知っていた。

 

「夏油、傑……!」

 

「おや、私のことを知っているのか。確か君とは初対面だったと思うんだが、五条護君?」

 

(俺の名前……いや、この男なら知ってて不思議じゃないが)

 

 警戒心の滲む鋭い目つきで睨む護と対照的に、人当たりの良さそうな穏やかな笑みを浮かべて近づく夏油。

 名を知られていること、それ自体は不思議ではないが、しかし護には呪霊を嗾けられた時点から感じていた違和感の理由が、明確に線で繋がったような気がした。

 

 そして倒れていた楓花も、近づいてくる男が襲撃者であると察したのか、まだ治療途中の身体を起こそうとしながら、護へと小さな声で問いかけた。

 

「……知り合いか?」

 

「まだ起きるな。傷に響く」

 

 質問には答えず、チラリと横目に視線を送りながら警告を発する護。

 

「心配は無用だ。もう、腕以外は然程痛みも無い」

 

 そう言って笑みを浮かべる楓花だが、強がっているのはバレバレだった。

 表面的な裂傷こそ既に塞がってはいるが、内部のダメージは未だ癒えていない筈だ。それでもなお起き上がろうとするのは、それ程に足手纏い扱いされるのが嫌なのか。

 

 どうにか上体を起こした楓花だったが、やはり辛いのか僅かにふらついて見える。

 すると意外なことに、そんな楓花を支えるように、そっと有栖が隣に身を寄せた。

 

「無理をしないで下さい。今のあなたは、私よりもか弱く見えますよ」

 

 どうやら、有栖の方は大分体調が回復したらしい。息を切らした様子もなく、顔色も正常に戻ってる。

 とはいえ、普段から虚弱で体も小さな有栖に支えられるとは楓花も意外だったのか、一瞬目を丸くするとフッと笑みを浮かべて礼の言葉を呟いた。

 

「すまんな」

 

 そんな二人のやり取りを尻目に、とりあえず楓花のことは有栖に任せて大丈夫かと思った護は、それ以上何か言うことは無く、改めて眼前の夏油に意識を向ける。

 

「……呪詛師、夏油傑。あんたの噂は聞いてる。なにせ特級の、まして確認されているだけで百人以上を殺した現代最悪の呪詛師だからな」

 

 先程の楓花の疑問にも答える形でその素性を説明しながら、目の前の夏油に語り掛ける。

 すると背後から二人分の息を呑む気配が伝わってきた。

 

 特級という枠組みについて、楓花もその特異性を完全には理解していないだろうが、百人以上を殺したという部分から目の前の男の危険度は理解できたのだろう。

 

 この状況についてこれていない有栖も、その点に関しては同様らしい。

 

「ははっ、君みたいな若い術師にも知られているとは、私も有名になったものだね」

 

「自分の悪名くらい理解してない訳じゃないだろ。よく堂々と姿を現せたな?」

 

 そう問いかけると、わざとらしく困ったように肩をすくめる夏油。

 

「私としても、本当なら姿を見せる気は無かったさ。だが流石に“帳”に閉じ込められてしまってはね。

 君の方こそ大胆じゃないか。わざわざ見晴らしの良いこんな場所で反転術式を使うなんて、私をおびき寄せるためにわざと隙を晒したんだろ?

 こういう強気なところは流石兄弟かな、あいつにそっくりだよ」

 

「あの人なら、こんな回りくどいことしないで周りの林ごと一掃してるだろ」

 

「クッ……違いない」

 

 先程までの愛想笑いと違って、本当に愉快気に喉を鳴らす夏油。

 そんな呑気な態度を眺めながら、しかし護は油断することなく鋭い視線で見据える。

 

「……世間話をしに来た訳じゃないだろ。あんた、一体何の用でここに来た?」

 

「それに関してはもう分かってるんじゃないのかい? そっちの小さい子だよ。

 呪詛師なんてやってると、色々物入りでね。この学校の理事長の身内を狙えと依頼があったんだ」

 

 そう言って、夏油は有栖に向かって指をさす。

 有栖自身も、自分が狙われているという自覚は有ったのだろうが、改めてはっきり言われたことで緊張に体を強張らせる。

 しかし、その解答を聞いた護は軽く舌打ちをすると、面倒臭そうに口を開いた。

 

「そういう建前を聞きたいんじゃないんだよ。依頼の話が本当でも、あんた自身の目的は違うだろ。

 あんたの呪霊操術ならこの娘の身柄なんてどうとでもできた筈だからな」

 

 呪霊を嗾けた以上、有栖の命を狙っていたのは本当なのだろうが、それだけが目的とはとても思えない。もしもそうなら、治療している護に声など掛けず仕掛ければよかったのだから。

 

 確信の籠った護の言葉に、惚けても無駄と思ったのか、しばらくすると夏油は意外なほどあっさりと頷いた。

 

「……流石に気が付くか。確かに、私としてはその子に興味は無い。この依頼もこの学校に入るついでに受けたようなものだからね。

 私の目的は君さ。五条護君」

 

 半ば予想通りの返答に、護は内心でやはりと得心を抱く。

 呪霊がばら撒かれた段階から、こちらを試すような意図は護も感じていた。その上で、予め護のことも知っていたような口振りを聞けば、嫌でも予想がつく。

 

「俺みたいな落ちこぼれが、あんたに興味を持たれる覚えはないな」

 

「今の君を見て、落ちこぼれと評するのは流石に無理があるね。幾ら黒閃が出たとはいえ、あの呪霊を一撃で屠れる術師などそうはいない。その上、この歳で反転術式を習得しているとなれば、天才と評するのも生温い。

 あの悟ですら、反転術式を習得したのは君より遅かった」

 

「あの人の場合、必要に駆られる機会が無かったから遅かっただけだろ。

 間違っても俺が上みたいな言い方するなよ。不愉快だ」

 

「おいおい、誉め言葉くらい素直に受け取れよ」

 

 そんな風に言葉を交わしながら、護は僅かな苛立ちを感じていた。

 掴みどころのない飄々とした態度。一見すると隙だらけにも見えるその姿から感じるのは強者の余裕。

 

 その態度がどこか兄の姿とダブり、言いようのない警戒心を掻きたてさせられる。

 

「……さっきも言ったが、世間話をする気は無い。さっさと用件を言え」

 

「せっかちだな。そう警戒しなくても、もうその子を狙う気は無いよ。

 まぁいい。本題に入ろうか」

 

 すると夏油は改まって護の瞳を真っすぐに見つめながら切り出した。

 

「護君、君はこの学校を見てどう思った?」

 

「は?」

 

 いきなり学校の話題が振られたことに、護は答えを考えるより先に疑問が口を衝いて出た。

 

「すごい呪霊の数だったろ? 一応言っておくけど、君が見たのはまだましな方さ。

 3級以上の呪霊は、私が定期的に間引いてたからね」

 

「なにを言って……ッ!」

 

 その言葉に、一瞬何を言われているのか分からなかった護だが、すぐにその意味を察した。

 

「あんた、ここを呪霊の養殖場にしてたのか」

 

「流石察しが良いね。何せ高専も易々と干渉できないような土地だ。呪霊の温床としてこれ程適した場所も無い」

 

 この学校に来てからというもの、3級以上の呪霊の姿がほとんどないことに、護自身密かに疑問を抱いてはいたのだ。

 当初はこの学校の特殊な環境によるものと思っていたが、今の夏油の話で合点がいった。

 

 人間に直接危害を加える危険のある3級以上の呪霊は間引き、軽度なストレスを与える程度の低級呪霊を残せば、負の念は集まり易くなり、より強力な呪霊が生まれやすくなる。

 

 呪霊を取り込む術式を持つ夏油にとって、まさしく養殖場としては最適と言えるだろう。

 

「けどね護君、養殖場と言えば聞こえは悪いが、私が行ったのは危険な呪霊を取り込んだだけ。それ以上のことは何もしていない。

 これだけの呪霊が生まれたことに関しては、全てここの住人の自己責任によるものさ。

 君はこの事実に対してどう思う?」

 

「どう……?」

 

 どうと聞かれたところで、護にはなんと返せばいいのか分からない。人が呪霊を生み出すのは当然のこと。それ自体に何か思うことは無い。ただこの学校そのものに関して思うところがあるとすれば――

 

「何とも愚かしいとは思わないかい?」

 

 回答に先んじて、夏油が口を開く。

 護自身愚かとまではいかなくとも、それに近しいマイナスの印象を抱いていただけに、一瞬ギクリとさせられた。

 

「学校は社会の縮図なんて言うが、この学校はまさに術師が居ない世界の在りようそのものだ。

 おぞましい怪物を生み出しながら、自らはそれに気づかない。なんて愚かな事か!」

 

 まるで演説でもするかのように語る夏油。

 大仰な身振り手振りであるが、心の底から熱意に溢れているのが分かる程の熱弁。

 そうして言葉を一旦区切ると、夏油は護へと向かって(おごそ)かにゆっくりと手を差し出した。

 

「私は、このような世界を変えたい。そのために、君のような優秀な術師に手伝ってほしいんだ」

 

 袈裟の恰好も相まって、見ようによっては理想を語る聖人君子といった風だが、それで話が終わる筈もないと、護は言葉を投げかける。

 

「世界を変えるね……具体的に、あんたは何がしたいんだ?」

 

「非術師を皆殺しにして、術師だけの世界を作る」

 

「ッ……!」

 

 瞬間、護は息を呑んだ。あまりにも突拍子もない発言に、驚いたから――ではない。

 その言葉に込められた感情が、あまりにも真っすぐで真摯な物だと分かったから。

 

 表情こそ薄ら笑いを浮かべているが、目だけは笑っておらず、その一言からは明確な覚悟が感じられた。

 

 護の感情を揺さぶったという手ごたえを感じたのか、夏油は更に言葉を続ける。

 

「なぁ護君、君は仲間や友人を亡くしたことは有るかい?」

 

「……そこまで親しい関係じゃないが、知り合いが死んだことは何度かある」

 

 護自身、単独任務が多いので目の前で同行者が殺されるという状況こそ遭遇したことは無いが、後になって誰か知り合いの訃報を聞く何てことは呪術師としては珍しくも無い。

 

「理不尽とは思わないか? 呪霊は非術師から漏出した呪力が(おり)のように重なり形作られる。

 つまり我々術師は、無力で愚かな一般人が吐き出した汚泥の山を、その身を削って処理してる訳だ。

 一方で何も知らぬ猿共は、我々を恐れ、蔑み、虐げる。これを理不尽と言わずなんと言う。

 断言しよう、奴らに、我々が命を懸けて守るだけの価値はない!」

 

(守る価値か……)

 

 力強く言い切られたその言葉は、まさに信念とでも呼ぶに足るもの。

 大抵の人間にとってみればテロリストの掲げる誇大妄想染みた目的。

 しかし護は、それを馬鹿馬鹿しいの一言で済ませる気にはなれなかった。

 

「一つ聞きたい。あんたの目的に関して、兄さんは知っているのか?」

 

「……ああ、残念ながら賛同は得られなかったが」

 

「そうか……」

 

 護はそれだけ呟くと、夏油と視線を切るように、軽く俯いた。

 その仕草は、護自身何かしら感じる事あったのだろうと思わせる素振り。

 

 楓花と有栖の二人はそんな護にどこか心配するような視線を送り、夏油の笑みには僅かな期待が浮かんでいる。

 

 しかし次の瞬間、顔を上げた護の表情は、まるでスイッチでも切り替わったかのように瞳が暗く沈んでいた。

 

「……ッ!」

 

 護の眼つきが変わったのを見ると同時に、即座に後方へと跳ねる夏油。

 すると一瞬遅れて、夏油が立っていた場所に立方体の結界が現れる。

 

「ふぅ、危ない危な……ッ!」

 

 間一髪結界を躱した夏油は着地しながらそのような呟きを口にしたが、完全に言い切ることは無かった。

 更に次の瞬間、躱した結界の中に拳を振りかぶる護の姿が現れたから。

 

 着地の瞬間という、ブレーキがかかり回避の難しいタイミングの一撃。

 反射的に、夏油は腕を交差させてその攻撃をガードするが、咄嗟の事ゆえ踏ん張りがきかず、その身を大きく後ろに退がらせるに至った。

 

 足元の芝生を抉りながら5メートル程後退した所でようやく止まると、交差した腕の隙間から鋭い視線を護へと向ける。

 

「……そう言えば瞬間移動ができるんだったね。忘れてたよ。

 一応聞くけど、何か機嫌を損ねることでも言ったかな?」

 

「いや、別に。前々から、()()()とは話がしてみたいと思ってたんだ。兄さんの親友だった男が、何を思って呪詛師に堕ちたのか聞いてみたかった。

 けど、それも聞けたからもういい」

 

 淡々と語る護の表情に、先程まであった感情らしきものは一切浮かんでいなかった。

 

「きっと、あなたの言ったことは間違ってないんだと思う。はっきりした理想の形を持っていて、それを目指す理由がある。俺なんかより、よっぽどしっかりした人間だよ。

 けど、俺はあなたほど世界に興味が無いんだ」

 

「興味が無いか……じゃあ君は、何のために術師をしている?」

 

「……俺に世界を変える力は無い。けれど、世界を変えられるだけの力を持った人は知ってる。その人が歩く先の礎に成れたのなら、きっと俺の人生には意味があったと思える」

 

 初めて兄と会った時、一目見た瞬間、その存在感に圧倒された。

 世界を変えられる人間とは、きっとこのような人の事を言うんだろうと。

 あの人のように成りたいと思いながら、自分には無理だろうとも思った。

 ならばせめて、その人の礎になれるのなら、自分の存在にもきっと価値はあるのだと。

 

「目指す先が何であるかは関係ない。例えその先に待つ光景が地獄のようなものだとしても、きっと()()()()()()()()()

 あなたの進む先に兄さんはいない。俺が戦う理由なんて、それだけで十分だ」

 

 そう答えた護に対し、夏油はどこか寂し気な笑みを浮かべながら、憐れみが籠ったような視線を向けた。

 

「青いな、君のそれは盲信ですらない。ただの諦めだ。自分には何も成せぬからと悟に縋っているに過ぎない」

 

「そうだとして、あなたに何の関係がある? なんにせよ、あなたはここで殺す」

 

 言いながら、護は印を組んで夏油へと向ける。

 すると、夏油は呆れたように嘆息しながら言葉を返した。

 

「やれやれ、話す余地は無しか。しかしいいのかい? 私なんかに構っていて。まだ学内に撒いた呪霊は2体残っているよ?」

 

「ああ、あなたやっぱり、呪霊と意識を共有したりはできないんだな。そいつらに関してはもう対処済みだ」

 

「なに?」

 

「普通に祓ったんじゃ、きっと数が少なくなった時点で強硬手段に出ると思ったからな。

 そいつらに関しては敢えて祓わず、結界に閉じ込めるだけに留めた」

 

 もっとも、護にしてもこの方法は賭けだった。仮に術師が呪霊と意識を共有できるタイプの場合、こんな方法は全く意味がなくなる。

 そうでなくても、他に潜伏している呪霊が居たとしてもアウト。その場合は、流石に護も犠牲を容認しなくてはならないと覚悟していた。

 

「なるほど、道理でのんびり会話に応じた訳だ。

 仕方ない。折角だし、少し相手をしてあげようか」

 

 印を向ける護に対し、構えを取る夏油。

 

 次の瞬間――両者の姿が掻き消えた。

 

 

 

 





 遅くなった上に、中途半端な終わり方で申し訳ありません!
 本来であれば今回で襲撃編は終わらせるつもりが、色々と情報を盛り込んだ結果、結局書ききれず。

 一応、夏油さんとの戦闘シーンに関しては、然程長くもならないと思うので、場合によっては、次話ではなく後から今回の話に追加するかもです。
 その場合は、次話の前書き欄にて報告させていただきます。

 
 そして今回、反転術式に関して書いたのですが、結構独自解釈が入ってます。
 具体的には、治癒にはイメージが重要だけど、呪力量によってはある程度強引に修復できるって辺り。
 オートで肉体再生やら毒物除去やらができる金ちゃんなんかはまさにその代表例ですし、エネルギーさえ確保できるなら強引な治療もできるんじゃないかなと。

 ちなみに護君の結界治癒、時間が掛かる、燃費が悪い、無防備になるという欠点こそありますが、逆に時間さえあれば大量のエネルギーも蓄えられるので、結構無茶な治療もできます。これが唯一の利点。



Q.そんな治癒術使えんなら、何で水泳授業で言ってた傷痕治さんの?
A.この結界による治癒術覚えたのはここ2、3年の事。それ以前に傷痕として定着したのは治せません。ワンチャン傷口開いて修復しなおせばいけるかもしれないけど、時間も呪力もかかるのでめんどいと思ってる。


Q.何で護君、夏油さんの呼び方が「あんた」から「あなた」に変わったの?
A.夏油さんの行動理念があまりにもはっきりしていて、且つ五条悟と同じステージを目指しているという点で、無意識ながら一定の敬意を覚えたから。
 

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