協力的な別居親と非協力的な別居親
しばはし:高葛藤の場合よくあるのは、妻子が家を出てしまうケースです。その時に「相手が家を出るほどつらい気持ちにさせてしまったのかもしれない」と振り返ることができる方は、自責の念を持てる方です。
最初は非協力的でも他責の念でもいいのです。でも、別居などを経験しながら、だんだん「自分にも至らないところがあった」「相手の言い分にも耳を傾けてみよう」と考えて、スタンスを変えることができる方を「協力的な別居親」と私たちは分類しています。
一方で、この逆の「協力的ではない別居親」の場合、「妻と子どもがいなくなった」「これは連れ去りだ」と考えます。
もちろん、「連れ去り」はその名のごとく、子どもを誘拐のように連れて行ってしまうことです。でも、出て行った側に立って考えてみると、自分が家を出る時に、子どもを置いていくわけにはいかないから、「子どもを連れて出るしかない」という判断でもあるのです。
「連れ去り」という言い方自体が一方的な表現だと思います。連れ去りではなく「避難」という言い方が適切な場合もある。暴力に限らず、言葉などの精神的苦痛も含めて「これ以上被害に遭わないように避難する」ということもあるのです。
しかし、そのまま長期的な引き離しになるのは良くありません。「避難」で始まっても、「長期的な引き離し」になれば、やがて「連れ去り」になってしまいます。
共同親権には向いている人と難しい人がいるという(写真:takasu/イメージマート) ここまでは、子どもと引き離された「別居親」の話をしましたが、子どもと暮らす「同居親」にも、協力的な方と非協力的な方がいます。
たとえば、夫が嫌になり別居をしてみたけれど、子どものことを考えたら「子どもは父親と会わせなければならない」という考え方ができる方、あるいは、私たちのところを訪れ、「直接は別居している夫には会いたくないけれど、支援に入ってもらえるならば子どもを夫に会わせたいと考えている」という方もいます。こうした方々は「協力的な同居親」と言えると思います。
これに対して、「非協力的な同居親」とは「自分が相手を嫌っているから、子どもも会わせたくない」という考え方をする方です。こういった考え方は、子どもを所有物のように扱っており、「自分と子ども」「自分の問題と子どもの権利」を切り離して考えることができていません。
別居親であれ同居親であれ、協力的になれない人には共同親権は難しいと思います。共同親権が導入された場合、「協力的な人かどうか」を裁判所がいかに見極めていくのか、これは私たちにとっても大きな関心ごとです。