今日は「親パレスチナ」は「ナチス支持」という解説じゃ。
イスラエルのネアニヤフ首相は「ホロコーストはパレスチナ民族評議会議長がヒトラーに要請してナチスが実行した」という見解を発表した。なぜ一国の宰相がそういうのか背景を説明する。
まず、「ナチスはいつ、絶滅を決定したか?」という話からする。
一般的には1942年1月20日にヴァンゼー会議がされ
「最終的な解決」ということで方針が決まったと言われている。
しかし、これにはおかしい点がある。
それは、この会議が始まる1ヶ月前に、
絶滅収容所の建設が始まっていることだ。
もっと前から決まっていないと、
絶滅収容所建設の予算はどこから下りたのか疑問だよな。
それが、1941年11月にされた
ヒトラーとパレスチナ民族評議会議長(後の)の会議なんじゃ。
まず、ヒトラーは欧州全てのユダヤ人を追放する方針だった。
これは、人道的な理由ではなく、経済的理由だった。
絶滅方針となれば必死に抵抗してくるし、
実行する部隊の人件費や消費する弾薬など、
既に大戦争が始まっている中から割かなければならないからな。
なので、ナチスはフランス植民地だったマダガスカル島に
ユダヤ人を移送する計画など立て、
要するに「欧州から追放する」という方針だった。
それに異議を申し立てしたのが、
後のパレスチナ民族評議会議長じゃ。
ヒトラーに面会を申し込み、直接抗議したわけじゃ。
【総統閣下、ユダヤ人を追放したらパレスチナに来るじゃないですか】
実はこのタイミングのとき、ヒトラーには心配事があった。
ドイツアフリカ軍団は北アフリカでイギリス軍と交戦中だったが、
イギリス軍は「クルセーダー作戦」を発動し、大反撃をはじめ、
ドイツアフリカ軍団の戦車や航空機を大量に破壊していた。
ドイツ軍の目的はエジプトのカイロを占領することじゃ。
なので、カイロの西側から攻めていた。
そしてパレスチナはカイロのすぐ東側にある。
「もし、パレスチナが反イギリスを旗に立ち上がれば」とヒトラーは考えても不思議ではないよな。
(実際にアトラス作戦というのを発動し、パレスチナに語学堪能な武装親衛隊を送り込みパレスチナ人の扇動を試みた)
そして、この会談のあとから各地で絶滅収容所の建設が始まるわけじゃ。
このパレスチナ民族評議会議長は、
第13SS師団「ハンジャール」というイスラム教徒によるナチス武装親衛隊の設立にも協力し、
隊員募集業務も請け負っておる。
もちろん第13SS師団「ハンジャール」の隊員たちは戦後、
パレスチナ戦線に参加しているぞ。
2012年にはシリアの地下から、
5000丁の新品のSturmgewehr 44というナチス武装親衛隊員が使っていた突撃銃が出てきた。
これだけの量を少数人数で運ぶことは難しいよな。
こうした事情から、
「パレスチナがそれをドイツに決めさせた」
というネタニヤフ首相の考えとなっているわけじゃ。
もちろん、これには批判も沢山ある。
でも客観的事実として、
「どこかの時点」で、「追放から絶滅」に変更されたのは疑いようがない事情じゃ。
独ソ戦のなか、1人でも多くの兵士が必要なのに、
わざわざ戦場から兵士を減らして絶滅収容所に勤務させた理由は、
ヒトラーが足し算引き算ができない人だったか、
または「そうすればより多くの兵士がどこか別の場所から供給される」
という外交上の確約に基づくものだったか。
どちらを信じるかは自分次第じゃ!
みんなの意見を聞かせてな!
写真は前回動画撮ったときのポートレートじゃ。
最後に宣伝させてな!
ワシの著作『われ、正気か!』はパレスチナ問題の歴史背景の解説に力を入れ、ワシの地元、広島弁で書いた。
読んで深く知り、一緒に日本を守ろうな!
amzn.asia/d/0F6WSxq
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