そもそも難しいDVをどう判別するのか?

岡村:その議論は、ある程度は正しいと思います。DVをする人は、しばしば「これをしてほしければあれをしろ」と交換条件を突き付けてきます。「判を押してほしいなら頭を下げに来い」と言って、接触を求めたり、金銭を求めたり、性的な関係を強要したり、ということもあるのです。

 今の時代はメールやメッセージアプリなど対面以外の連絡方法もありますが、被害者としては、ちょっとしたやり取りが発生し、相手のことを思い出すだけで精神的に苦しくなる人も少なくありません。

 加害者から手紙が来るだけでも怖いから、一度弁護士が受け取って、中身を一緒に検討して、ようやく返事ができるというケースも現実にはあるんです。

 私は、自分が引き受けた事件に関して、離婚後の窓口業務をボランティアで受けていますが、すべての弁護士が対応するわけではありません。

 共同親権を導入すると、間に入るサポートが膨大に必要になる可能性もあると思います。内容によっては、弁護士でなければ対応できないものも出てくるはずです。

──「DVが明らかな場合は、原則的に共同親権は認められない」という方向で、共同親権の議論が政治の中で進められています。そうなると、DVの有無をこれまで以上に判断する必要がありますが、それを調査するマンパワーは家庭裁判所など司法にはないという議論があります。

岡村:これは、あまり知られていないことですが、DVはこれまであまり離婚の争点になっていませんでした。

 まず、DVの証明が難しいということがあります。また、DVを証明しなくとも「夫婦関係が悪い」「関係が破綻している」ということは明らかにできます。片方が「DVがあった」と言い、もう片方が「なかった」と言っている時点で「夫婦としてやっていけない」「離婚ですね」という判断に至ります。

 さらに、父母のどちらが親権者にふさわしいかという議論においても、「DVがあったのか」「どちらがDVをしているのか」ということはあまり関係がなく、「どちらが主に子どもを育ててきたのか」ということを審査してきました。

 よほどハッキリとしたDVの証拠があり、慰謝料を請求するような場合や、「保護命令」と言って、暴力を振るったから接近禁止を申し立てる場合など、DVの有無が問題になるのはレアなケースです。

 面会交流の議論を裁判所で争点とする場合も、「父母の話と親子の話は別である」と裁判所から言われます。ですから、実情では子どもにとって明白な害が見当たらなければ、実際は多少のDVがあっても「面会はしなさい」というスタンスでこれまで実務が動いてきました。

 今後は親権を外すために、DVがもっと争点になるかもしれません。でも、DVの有無を明らかにするのは(マンパワーの問題というより)そもそも判別することが難しい。

共同親権の導入後、親権を外すためにDVの有無が争点になるケースも増えると思われるが、そもそもDVの有無をどのように判別するのか、という問題も残る(写真:yamasan/イメージマート)
共同親権の導入後、親権を外すためにDVの有無が争点になるケースも増えると思われるが、そもそもDVの有無をどのように判別するのか、という問題も残る(写真:yamasan/イメージマート)