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乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です 作者:三嶋 与夢

第二章

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プロローグ

本日より更新を再開いたします。


20時更新を二章終了まで続けさせていただきます。

 女の友情って儚くない?


 そんな事を思う俺【リオン・フォウ・バルトファルト】は、遊覧飛行船の有料ラウンジで札束を数えながら目の前で突っ伏している姉――次女の【ジェナ】を見ていた。


 丸テーブルの上には札束と金貨や銀貨が積み上げられている。


 壁一面がガラス張りになっており、外で行われている体育祭の競技がよく見えていた。


 体育祭……この乙女ゲーの世界は、日本の学校をモデルにされている。


 そのため二学期にはイベントが多い。


 体育祭の次は学園祭。


 そして修学旅行まで存在しているのだ。


 イベントが目白押しというか、詰め込み過ぎと言われても否めない。


 お札を数えるのを一旦止め、俺は次女を見た。


 溜息が出てくる。


「狙っている男子が同じだったから親友と絶交したのは分かったけど、そんなに落ち込むなよ。親友の男を狙うような奴は友達として失格だから」


 次女は親友と絶交して落ち込んでいた。


 その後ろでオロオロとしているのは、次女の専属使用人である亜人種の奴隷――猫耳野郎だった。高身長で細身ながらも筋肉質のイケメン……猫耳野郎で十分だな。


 話を聞いていたリビア――【オリヴィア】が、次女を慰めている。


「そ、そうですよ。先輩は悪くありません」


 紅茶を優雅に飲んでいる【アンジェリカ・ラファ・レッドグレイブ】は、我関せずという態度である。


 いや、そもそも恋人というか、結婚相手の略奪という話題はアンジェには地雷だ。


 夏休みに婚約破棄となったアンジェは、婚約者のユリウス殿下を奪われたのである。静かにしているが、内心は腸が煮えくりかえる思いが蘇っているかも知れない。


「……その程度で相手になびく男が悪いと思う」


 そんなアンジェのポツリとした呟きに、俺とリビアは視線をそらしてしまった。ごめん、かける言葉が見つからない。


 そもそも、どうして次女がこの場にいるのか。


 飛行船の有料ラウンジ――次女の入場料まで俺が支払っている。次女でもそれはちょっと許せないというか、図々しいと思う。


 おまけにアンジェがいるのに面倒な相談――というか、愚痴に付き合わせられる俺たちは迷惑だ。


「……違うの」


「え?」


「最初に狙っていたのは親友の子で、私も後から色々と聞いて声をかけたというか……」


 次女がそう言うと、リビアもアンジェも黙ってしまった。


 略奪したのはお前の方か!?


「最低だな」


 俺の冷たい視線と呟きに対して、次女が反論してきた。


「違うの! 聞いて! その子爵家の跡取りだけど、少し前まで無名というか貧乏貴族だったのよ。でも、夏休み中にその子の実家から鉱山が発見されたの。調査したらレアメタルで、王国から援助を受けて鉱山所有者になるの! お金持ちになるから黙って見ていられなかったのよ! ……しかも本土の領主貴族だし」


 大陸本土に領地を持つ領主貴族の子爵様。


 浮島の離島に領地を持つ貴族よりも、大陸本土に領地のある方が女子には人気だった。


 ……話をまとめると、夏休みに金持ちになりそうな男子が誕生。


 女子同士で奪い合いになっており、そこに次女も次女の親友も参加した、と。


「お前ら相手に謝れよ。お前らより相手の男子が可哀想だよ」


「何で可哀想なのよ!? こっちは結婚して“あげるのよ”」


 これだ。


 これがこの世界の標準的な女子の考えだ。


 貴族の女子。


 特に男爵家以上の家柄出身である女子は、とにかく優遇されている。


 そのため、結婚にしても男子より立場がとても強い。


 乙女ゲーの世界は女子に甘くて男子には辛い世界だ。


「金持ちになったからすり寄ってきているようにしか見えないよ。もっと愛とか恋とか、そういった感情はないのか?」


 俺の切実な訴えを次女は鼻で笑うのだった。


「私には【ミオル】がいるし、美形の男子なら普通クラスの男子から探しても良いからね。愛はそっちと育んで、旦那に求めるのは甲斐性よ」


 ミオルというのは猫耳野郎の名前らしい。初めて聞いた。


「……本当に最低だな」


「なんでよ! みんな同じじゃない」


 黙っていたアンジェが口を開いた。


「一緒にしないで貰おうか。私もリビアも専属使用人は持っていないし、愛人だの考えていない」


 公爵家のご令嬢であるアンジェの言葉に、次女が尻込みしていた。


 先程の俺に対する強気な態度はどこに行ったのか?


 リビアが苦笑いをする。


「私は出身が貴族様ではないので……そう言えば、アンジェはどうして使用人を雇わないんですか?」


 アンジェがリビアには親切丁寧に説明している。


 こちらは仲が良い……と、思う。


「使用人なら雇っているさ。専属使用人とは言っているが、亜人種の使用人たちは全員が奴隷だ。雇うのではなく買うのさ」


 リビアがそれを聞いて困った顔をしていた。


「ど、奴隷って良いんですか?」


 リビアには馴染みがないのだろう。俺の場合、次女や三女が奴隷を買うと言いだして調べていたので詳しくなった。


 三女も俺の金で奴隷を購入しようと画策している。


 マジで姉も妹も害悪だ。


「まぁ、色々とあるけど、女性に限って言えば奴隷を持っても白い目で見られないよ」


 そういう世界だ。


 女性にだけは限りなく甘い。


 同じ事を男がすれば白い目で見られるのに。俺だって猫耳美少女が欲しい。


 アンジェは小さく溜息をこぼした。


「……今では当たり前になってしまったな」


 そんな当たり前となっている奴隷の話を、アンジェはどうにも嘆いているように見えた。


 微妙な雰囲気になったので、俺はリビアに聞いてみた。


「専属使用人に興味がある?」


「え? あ、あの……その」


 顔を赤くしているのを見るに、彼らが日頃何を行っているのかリビアも知っているのだろう。次女が連れている奴隷たちは、そのまま女子の好みを表している。手を出していない女子の方が珍しいだろう。


 俺がリビアをからかっていると、アンジェが頬をつねってきた。


「リビアをからかうな。それはそうと、次の競技はエアバイクのレースだ」


 エアバイク――大地が浮かび、そこで暮らす人々には馴染みのある乗り物だ。


 空を飛ぶバイクなのだが、形状は水上バイクに近い。空を滑るように飛ぶのだが、結構高価な乗り物である。


 体育祭ではそんなエアバイクのレース競技があり、とても人気だった。


 因みに有料ラウンジには受付があり、賭け事も行っている。


「このレースも賭けているんだよね」


 俺が結果に興味を示すと、アンジェもリビアも呆れている。


「お前は賭け事が強いな」


「リオンさん、賭け事はいけません。程々にするべきです」


 丸テーブルの上に積み上げられた札束と金貨に銀貨の山。これらは体育祭の賭けで手に入れた物だ。


 俺にギャンブルの才能がある? 違うよ。俺は勝てる勝負をしているだけだ!


 相棒であるメタリックカラーの球体ボディーを持つ人工知能の【ルクシオン】が、俺にしか聞こえない通信を送ってくる。


 イヤホンもしていないのに聞こえるのはテレパシーかと思うが、科学で再現可能らしい。


 剣と魔法のファンタジー世界に、科学の結晶であるルクシオン……世界観が間違っているが、そんなのは問題じゃない。


 そもそも、乙女ゲーの世界なんて設定からしてふっわふわである。


 ツッコミを入れても意味がないのだ。


『マスター、少々問題が起きました』


 俺がこめかみを指で触れて聞く体勢に入ると、ルクシオンが続けるのだった。


『一年生の代表枠で出場したジルクですが、どうやら標的にされています』


 ……ジルクが?


 ジルクというのは元王太子殿下であるユリウス殿下の乳兄弟――元子爵家の跡取りである【ジルク・フィア・マーモリア】の事だ。


 緑色の髪を持つ優しそうな男で……乙女ゲー世界の攻略対象キャラである。


 エアバイクの扱いが上手く、一年生の代表の一人に選ばれていた。


 俺が真剣な表情で会場を見下ろしていると、リビアが少し気を使いつつ尋ねてくる。


「あ、あの、リオンさんもやっぱり出場したかったですか?」


「え?」


 俺が首をかしげていると、アンジェも申し訳なさそうな顔をしていた。


「……すまない。選手決めは実行委員の多数決だ。流石に私も口を挟めない」


「ん?」


 どうやら二人とも俺が出場したかったと思っているらしい。確かに立候補はしてみたが、男子は最低でも一種目に立候補する決まりになっているだけだ。


 別に出たくなかったし、賭け事で儲けるつもりだったので問題ない。


 何しろ俺には、情報収集が出来るルクシオンがいるのだ。


 賭け事の勝率が違う。


 次女がリビアとアンジェの二人に言う。


「気にしなくても良いわよ。愚弟の自業自得よ。だって、生徒の大半を敵に回したのよ。選手になんかなれるわけがないわ」


 ……分かっているが次女に言われると腹が立つ。


 俺はユリウス殿下をはじめ、攻略対象の五人と決闘を行った。


 誰もが五人が勝つと思っていたのに、俺が勝ってしまったのだ。ユリウス殿下と決闘をしたのも問題だが、その時の賭けで大損をした生徒たちが大勢出てしまい俺は目の敵にされている。


 嫌われ者という立場なのだ。


 ……理不尽すぎる。


『マスター、何やら不満そうな顔をしていますが、自業自得ですからね。成立しない賭けを自分に大金を賭け成立させ、おまけに王太子殿下の立場にいたユリウスたちをボコボコにして説教までしていましたから。アレでマスターを好きになる人は少ないと思いますよ』


 相棒が冷静過ぎてつまらない。


 そう思っていると、レースが開始された。


 空の上――数多くの飛行船が囲んで出来た会場は、空の上の競技場だった。


 体育祭を見るために学園が飛行船を用意し、金持ちたちが体育祭を見学するために更に周囲を囲む。


 なんともスケールが大きな体育祭だ。


 体育祭は男子にとって見せ場である。日頃さえない奴でも、大きな舞台で活躍すれば女子が熱に浮かされ婚約してくれる確率が上がると聞いている。


 そのため、男子たちは選手になるために必死だ。婚活事情から、こういった機会で結婚しようと本気で出場したいと思っている。


 おかげでどの競技も選手になるための競争率が非常に激しい。


 そんな体育祭で人気のエアバイクレースだが、スタート直後からどうにも様子がおかしかった。


 アンジェがすぐに気付いたようだ。


「ジルクの奴、マークされているな」


 一年生でも優秀な選手ならマークされてもおかしくはないが、そのマークのされ方が徹底していたのだ。


 囲まれ、そしてぶつけられ――明らかに攻撃を受けている。


 リビアが見ていて悲しそうにしていた。


「ど、どうしてあんな事をするんですか? ジルクさん、可哀想です」


 リビアの言うとおりだ。


 俺もジルクに賭けているため、このまま負けて貰っては困る。


 次女がジルクを囲んでいる生徒たちを見て気付いたようだ。


「待って。あの男子たち……伯爵令嬢の取り巻きたちよ」


 アンジェは呟く。


「そういう事か」


 レースは中盤から終盤へと移行すると、ジルクが勝負に出て上級生たちの囲みを突破した。無理矢理のアクロバットのような動きで囲みを抜け出し、そのまま加速して次々に他の選手たちを追い抜いていく。


「なんかあいつだけ違法改造したバイクみたいだな」


 まるでバイクの性能からして違うのではないか? そんな事を思ってしまうほどの華麗なごぼう抜きに会場は大盛り上がりだ。


 俺もジルクが勝てば賭に勝つから嬉しいのだが……。


 ルクシオンが告げてきた。


『ジルクは勝利しても決勝には出られませんね』


 小声で「駄目そうか?」と聞くと、ルクシオンはジルクの怪我の診断を俺に教えてくれる。


『骨折しています。囲まれて攻撃を受けてひびが入った所に、無理な動きをして折れてしまいました。いくら治療魔法なんて便利なものがある世界でも、次のレースまでには間に合いません』


 ジルクはギリギリでトップを抜き去ってゴールしていた。


 そんなジルクがエアバイクで飛行船に戻ると、倒れ込んだために医療関係者たちが集まって担架で運んでいく。


 アンジェがラウンジから出ようとするので聞いてみた。


「どこに行くの?」


「……これでも一年のまとめ役だからな。ジルクの怪我の様子を確認して、必要なら代役を用意する。実行委員と話をするさ」


 リビアも付いていこうとするので、俺も丸テーブルの上の札束や金貨をバッグに入れて追いかけることにした。


 次女が俺に言う。


「あ、出るならお金頂戴。お財布の中身が空なのよ」


「……お前は本当に清々しいくらいに図太いな」


 弟に堂々とたかる次女に、俺はお札を数枚渡してアンジェたちを追いかけるのだった。



 医務室にはマリエの声が響いていた。


「ジルク~!」


 俺と同じ転生者と思われる女にして、本来は主人公の場所を横取りした【マリエ・フォウ・ラーファン】は、ベッドに横になるジルクに泣きついていた。


 ジルクは心配させまいと笑顔を向けている。


「大丈夫ですよ、マリエさん。私はこの通り無事です」


 医務室には他にユリウス殿下と、マリエの専属使用人【カイル】というエルフの少年がいる。他の男子たちは選手として出場するので、この場にはいなかった。


 アンジェは一年生の実行委員と話をしている。


「代役を立てるしかあるまい」


「で、でも、そうなると選手が……」

「優秀な男子はほとんど他の競技に出ていますから、代わりなんて……」


 こちらはどうやら代役捜しで大変そうだった。


 リビアが俺の腕を掴む。この場の雰囲気に小声になっていた。


「あ、あの、ジルクさん大丈夫なんですか?」


「三日もあれば治るって。骨折しても三日で治るなんて凄いよね」


 本当に魔法って凄い。


 ルクシオンは対抗して『私なら条件次第で一日でも大丈夫です。いえ、二十四時間も必要ありません』とか俺にアピールしてくる。


 こいつ魔法に負けたくないのか必死すぎて笑える。


 リビアが不思議そうにしながら。


「で、でも、私ならもっと早く治療できますよ。どうして皆さんそうしないんですか?」


 治療魔法というのは使い手が少ない。


 そして主人公は治療魔法に適性がある訳で……聖女と呼ばれるほどに高い才能と力を持っている特別な存在だ。


 俺は黙っているように言う。


「リビアの普通は異常だから。医者に言ったら、怒られるから黙っていようね。これが普通だから」


「は、はい。そうなんですか?」


 あまり理解していないような感じだが、黙っていてくれれば助かる。


 専門家たちよりも優秀なのは分かるが、それをこの場で披露しても面倒になるだけだ。医者はプライドを傷つけられるし、噂を聞きつけたろくでもない連中が集まる可能性が高い。


 然るべき時と場所で、リビアの能力は発揮して貰うとして……。


「ジルクがレースで優勝すれば賞金が出たのに!」


 泣いているマリエの本音が酷い。


 ユリウス殿下など、そんなマリエの背中に手を置いて慰めている。


「大丈夫だ、マリエ。俺やみんなが他の種目で優勝するから」


 体育祭だが、貴族の子弟が通う学園だけあって各種目で優勝すれば賞金が出る。


 日本円で言えば百万とか二百万とか。


 各種目に賞金額は違っており、エアバイクレースの賞金は一千万円だ。それだけ人気があるのを賞金金額が物語っている。


「エアバイクレースに期待していたの! 他の競技じゃ全部手に入れてもエアバイクレースの半分の金額にもならないのよ!」


 ジルクが申し訳なさそうにしていた。


「申し訳ありません。まさかここまでするとは思っていませんでした」


 マリエが涙を拭っている。


「本当よ。上級生も酷くない? 慰謝料を請求してやるわ」


 マリエのそんな言葉にユリウス殿下もジルクも、自分たちを心配しているのだと思って照れくさそうにしている。


 恋は盲目とはよく言ったものだ。


「あいつ、さっきから金の話しかしていないぞ。良いのか?」


 俺が小声でそう言うと、リビアも困っていた。


「き、きっとジルクさんのことも心配していますよ。だって、皆さん一緒になるために地位を捨てたんですから」


 マリエという女のせいで、攻略対象の五人が籠絡された。それだけならまだ何とかなったかも知れないのに、その五人――自分たちの地位を捨てやがった。


 マリエと一緒になるため、婚約者を捨てて実家から縁切りされてしまったのだ。


 覚悟決まりすぎていて引いたね。


「え~、どうかな? マリエの方はお金の方が好きみたいだよ。さっきからお金の話しかしていないし」


 マリエという女がどういう女か分かったところで、医務室にやって来た女子とその取り巻きたち。


 女子は二年生の【クラリス・フィア・アトリー】伯爵令嬢だった。優雅な立ち姿に、ふわりとしたボリュームのある髪。


 絵に描いたようなお嬢様だ。


 宮廷貴族の伯爵家出身にして……ジルクの元婚約者だった女子だ。


 周囲には取り巻き以外にも、亜人種の専属使用人を五人も揃えている。


「あら、随分とみすぼらしくなったわね。……ジルク、今の気分はどうかしら?」


 ニヤニヤしている取り巻きたち。


 だが、アンジェがこの場にいるのを知ると表情を改めていた。


 ジルクが目を閉じている。


「……クラリス、貴方の仕業ですか」


 全てを察したジルクに対して、クラリスは怒鳴り散らす。


「えぇ、そうよ! 私を捨てたあんたには地獄に落ちて貰うわ! 私はあんたを絶対に許さない」


 美人であるクラリス先輩が激怒している姿は怖い。


「美人が怒ると迫力があるよね」


「リオンさん、何を言っているんですか! もっと真面目にしてください」


 リビアのそんな要望に応えるため、口を閉じるとクラリス先輩の前にアンジェが立った。


「医務室では静かにして欲しいな。……クラリス、気持ちは分かるが体育祭で堂々と不正行為か?」


 アンジェの睨みに対して、クラリス先輩が一歩下がるが首を横に振る。乱れた髪が余計にクラリス先輩を怖く見せていた。


「……偉そうにしないでよ。あんたが殿下の手綱を握れていないからこうなったのよ。同じように捨てられたくせに自分だけ何事もなかったように振る舞って腹が立つわね。いつもみたいに怒鳴り散らしなさいよ」


 アンジェが眉間に皺を寄せていた。


 ……アンジェ、怒りっぽいんだよね。


「私が何だって? 一人だけ悲劇のヒロインにでもなったつもりか? 専属奴隷まで連れて、随分と派手に振る舞いだしたな。お淑やかな姿は猫をかぶっていたと見える」


「っ! あ、あんたに何が分かるのよ!」


 二人がつかみ合いになりそうなところで、クラリス先輩の取り巻きたちが止めに入った。


 相手は公爵令嬢のアンジェだ。


 絶対に敵に回したくないと思ったのだろう。


 俺もそれには同意する。取り巻き連中も苦労しているんだな。ちょっとだけ同情した。


 クラリス先輩がジルクを睨んでいた。


 目を閉じて顔を見ないようにしているジルク……お前、本当に反省しているのか? お前のせいだぞ。何とかしろよ!


「次も出てきなさいよ。公衆の面前でボコボコにしてあげるわ。これからずっと仕返しをしてあげる。泣いて許しを請うのね。そんな事をしても、絶対に許さないけど!」


 これは相当怒っているね。


 対してジルクの反応は冷めていた。


「……それで貴方の気が収まるのなら、存分にすると良いでしょう。ただし、マリエさんや他のみんなへ何かすれば、私は貴方を絶対に許しません」


 マリエが二人の間で完全に空気になっていたのに、名前が出たことでクラリス先輩の血走った目が向く。


 ビクリと反応するが、何やらスイッチが入ったのか演技に入った。


 ……こいつ、こんな所まで前世の妹にそっくりだ。実に腹立たしい。


「先輩、復讐は何も生み出しはしませんよ。もっと大事な――」


「知ったようなことを言ってんじゃないわよ! 何も生み出さない? だから? それがどうしたのよ!」


「はいぃすみません!」


 マリエの嘘くさい台詞を聞いて、クラリス先輩が激怒していた。当たり前だ。婚約者を奪った女が、そんなことを言えば腹も立つ。


 アンジェも冷たい視線をマリエに向けていた。


 だが、そんな二人の視線を遮るように前に出たのは……ユリウス殿下だ。


「その辺で良いだろう。アンジェリカもそんな目をマリエに向けるな」


「……申し訳ありません、殿下」


 アンジェが謝罪をすると、ユリウス殿下はクラリス先輩へと視線を向けた。


 こいつ、無駄に王族オーラが出ていて羨ましい限りだ。


「クラリス先輩。ジルクのことが許せないのは理解している。だが、もうこんな事は止めて欲しい。貴方のためにもならない」


 俯いて暗い笑みを浮かべているクラリス先輩は、少しおかしくなっているように見えた。


「……殿下がそれを言いますか。たった一人の女のために、どれだけの人間が不幸になったか分かりますか? アンジェリカだけじゃない。私や、他の婚約者たちが陰で何て言われているかご存じで? 知らないですよね。貴方たちが知るわけがない」


 ……マリエが逆ハーレムを目指したために、不幸になった人間がいる。


 やっぱり乙女ゲーの世界って酷いと思いました。


「……俺たちに説教をする権利がないのは分かっている。だが、こんなことを続けさせるわけには行かない。貴方自身のためにもならない」


 俺は思ったことが口に出た。


「台詞までイケメンだな。マリエに誑かされて婚約者を捨てた男なのに、説得力があるように聞こえるのが凄いよね。やっぱり顔って大事だな」


「リオンさん、めっ! そんなことを言ったら駄目です。だから、めっ!」


 リビアの駄目の「めっ!」という仕草が可愛くて仕方がない。本来なら彼女が野郎共を侍らせるわけだが、この魅力なら侍っても良いと思えた。


 主人公恐ろしすぎる。


 それはそれとして、俺の台詞を聞いたユリウス殿下が睨んでいた。


 お口を閉じて視線もそらしておこう。


 クラリス先輩がきびすを返した。


「出てくるなら次も叩き潰してあげるわ。出てこなくても、代役を潰すわよ。あんたたちには思い知らせてやる……絶対に許さないから」


 笑いながら去って行くクラリス先輩。


 ……医務室の空気は最悪だ。


 俺が溜息を吐く。


「これ、次のレースは代役が立てられないよね? 誰も代わりになりたくないだろうし」


 そんなことを俺が言うと、ジルクが怪我をした体で立ち上がろうとしていた。


「――くっ!」


「ジルク止めろ!」


 ユリウス殿下がベッドに押さえつけているが、本人は出場するつもりらしい。


「放してください、殿下。私が出れば誰も傷つきません。これが一番冴えたやり方です」


 ……一番冴えたやり方は、お前たちが婚約破棄をしないことだったと思う。言っても仕方がないとは思うが、どうしても文句を言いたかった。


 本来なら主人公であるリビアと、五人の内の誰かがくっついてハッピーエンドに向かうはずだったのだ。


 今では勘当され、後ろ盾がほとんどない五人になってしまった。今後どうなるか予想もつかない。


 一年生の実行委員たちが俺をチラチラ見ていた。


「ね、ねぇ、バルトファルトはどう?」

「成績はギリギリ選手レベルだけど……」

「どうせボコボコにされるなら、ジルク様よりもこいつじゃない?」


 医務室にいる面子の視線が俺に集まると、アンジェが俺を庇うように前に立った。


「リオンを出場させるつもりはない。こんな話を知った上で出場などさせられるものか。悪いが棄権する」


 それを聞いてマリエが声を張り上げていた。相当慌てている。


「待ってよ! 賞金はどうなるのよ! エアバイクのレースには期待していたのに!」


 アンジェが視線で人が殺せそうな勢いで睨み付けていた。


「そんな物のためにこれ以上の怪我人を出せるものか」


 アンジェの正論にホッと胸をなで下ろす。


 出場するつもりはなかったが、出ていればきっと俺がボコボコにされるところを見て会場は大盛り上がりになっただろう。


 ……絶対出たくないわ。


 ――ただ。


「で、でも、それをするとアンジェリカ様の評判が」

「そうよね。代役も立てられないなんて学年の代表として問題に……」

「誰かが出てくれれば……」


 俺が首をかしげていると、マリエがまるで叩き込むように俺に言う。何気に初めて会話するのだが、こいつ何だか図々しい。


「そ、そうよ! あんたが出ないとそこの女が困ることになるわよ! ね、ユリウス!」


「あ、あぁ、アンジェリカは一学年の代表みたいなものだからな。代理を用意できないのはアンジェリカの手腕というか……まぁ、評判に関わるかな?」


 俺がアンジェを見ると、困ったような顔をしていた。


「……私のことは気にするな。わざわざ怪我をする必要もない。お前には、これ以上の迷惑はかけられないからな」


 ……ちょっと困るんですけど!


 そもそも、何で代理を立てられないとアンジェの責任になるの? そもそも、学年の代表ならそこの元王太子殿下様で良いだろうが!


 と言うか、アンジェの評判が落ちるとか困るんですけど!


 これ、俺を庇ったせいでアンジェが困るパターンだよ! そんなの許せないよ!


 ……だって、俺はアンジェパパに借りがあるのに!


 王太子だったユリウス殿下に喧嘩を売っても平気だったのは、アンジェのパパさんが俺を守ってくれると思ったからで、そして実際に守って貰った。


 おかげで出世するという意味不明なことにもなったのだが、そんなアンジェパパからすれば俺のせいで娘の評判に傷が付いたらどう思う?


 ……激怒するに決まっている。俺なら憤慨ものだ。


「……出場する」


「へ?」


 リビアが驚いていた。


 アンジェも目を見開いている。


「リオン、同情なら――」


「同情なんかじゃない! 決めた。俺は出場する。すぐに手続きをしてくれ。それからバイクの用意を」


 実行委員に言うと「やった。みんなに知らせてこよう~」と言いながら一人が医務室から出て行った。


 俺がボコボコにされる事になった、とでも言いふらしに行くのだろう。


「リオンさん、無茶をしていませんか?」


 リビアの言葉に俺は真剣な眼差しを向けた。


「無茶? 違うな。これは意地だ!」


 困った顔をしているアンジェは、俺の出場を止めたいらしい。


「だ、駄目だ。クラリスの所はエアバイクに長けた者が多い。去年の優勝者は、あいつの取り巻きの男子だぞ。ラフプレーもその気になれば何をしてくるか分からない」


「それでもやらないといけない時があるんです!」


 アンジェもリビアも俺の気迫に止めることを諦めたようだ。


「リオン……そ、そこまで言うならもう何も言わない。お前の勝利を祈ろう」


「わ、私も応援します! リオンさんのこと、凄く応援しますね!」


 アンジェパパは怒らせちゃ駄目だ。


 だって、俺が死んじゃうから。


 マリエはのんきにしていた。


「あんたが出るなら安心ね。負けても嬉しい。勝ったら賞金は私の物。うん、大丈夫!」


 ……こいつの顔面に拳を叩き込んでも良くない? こいつは殴っても許されると思う。確かに最終レースに出られるのはジルクのおかげだ。だが、賞金を貰うつもりでいるのが図々しい。


 ジルクが俺の顔を見てから、悔しそうに俯いた。


 そんなに俺のことが嫌いか! 俺も嫌いだね! 大嫌いだ!


「……今は貴方に頼るしかありませんね」


「泣いて喜べよ、緑の陰険野郎。貸しにするからな」


 俺がそう言うと、小さく笑っていた。


「大きな借りになりそうですね」


「……すぐに返して貰うから覚悟しておけ」


 俺は医務室を出てエアバイクレースへ出場するための準備に入った。


いかがだったでしょうか?


本日活動報告も投稿したので読んでいただければ嬉しく思います。


それと【乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です】は書籍化決定しました!


GCノベルズ様から夏前に出版予定です。


今後とも応援、よろしくお願いいたします!

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