魔法界、アルバニア郊外の屋敷に暮らすミラベル・ベレスフォードは生まれたその時から己こそが特別で、そして選ばれた存在であると考えていた。
まず、知恵だ。通常人間というのは生まれたその瞬間は無知で真っ白であるはずだ。
だが彼女は違う。生まれたその時にはすでに自我があり、知恵があり、そして数多の知識を有していたのだ。
輪廻転生、生まれ変わり、という奴だ。歴史を遡れば、過去何人かの魔女や魔法使いが古い肉体を捨てて新しい肉体に転生したという記録があるから、そこまで特別というわけでもない。だがミラベルは魔法など一切使わず前世の知識を有していた。だから自分は特別だと思ったのだ。
彼女はこれを“前世の遺産”と呼び、そして前世の人格から奪ったものであると考えていた。
記憶を辿れば分かる事だが前世の人格はつまらないマグルの、何の変哲もないただのOLであったらしい。
性格もごく平凡で目立たず日々を生きるだけの何ともつまらない女だ。
そのような存在を自分と結びつける事は、自尊心の強いミラベルには不可能だった。
故にミラベルは考える。前世と自分は別物である、と。前世の人格を踏み潰し、その知識と経験と知恵を奪った生まれながらの勝利者! それこそが自分であると!
この“遺産”はつまらないマグルの人生が大半を占めていたが、一つだけ何にも換えがたい貴重な知識が入っていた。
“ハリー・ポッターシリーズ”……この世界の未来の知識だ。
この世界の出来事が物語として記されていた本をこのつまらない女は読んでいる。
それは全7巻のうちの5巻までしか読んでいないという中途半端なものであったが、それでも闇の帝王が復活するまでのあらすじが全て理解出来る事に変わりはない。
そう、誰も知らないはずの未来の出来事を、生まれながらに自分は持っているのだ!
まさに生まれながらの勝者! 天はこのミラベル・ベレスフォードこそを何にも勝る存在として選んだのだ!
次に、才能。
物覚えのいい脳味噌は一度見た物は完全に記憶してしまうし、どんな本も一度読んでしまえば以後必要のないゴミと化した。
言葉もすぐに話せるようになったし、字も1歳の頃には書けるようになっていた。
身体能力も抜きん出ており、年上の男相手だろうが負けはしない。
だがそれ以上に優れていたのは純血の両親から継いだ魔法の才能だ。
魔法使いとして生まれた者は11歳になれば魔法学校へと入学する。
だがそれよりも前にこの純血の名家ベレスフォード家では徹底した……それこそ虐待同然の……魔法の英才教育が施され、幼い少女を打ちのめした。
しかし彼女の才能はそこで留まることを善しとしなかった。両親から与えられる屈辱を糧に、教えられる全てを己が力へと変え、痛みを踏み台とし高みへと昇ったのだ。
まるでスポンジが水を吸収するかの如く、教えられたそばから身に付けていく娘の姿に両親は大層喜び、自分達の後継者に相応しい子が生まれたと喜んだ。
しかしミラベルが自分達を冷めた目で見ていた事にこの両親が気付く事はないだろう。
ミラベルは与えられた屈辱を決して忘れはしない。
自分と比べて劣っているこの下劣な両親という名の生き物への怒りを忘れない。
劣っている者に踏みにじられた屈辱を忘れる事はしない!
この両親が施した英才教育は結果として元々歪んでいたミラベルを更に歪める事となった。
“踏み躙る権利は常に優れた者だけが持つべきだ”という選民思想を彼女の根底に植え付けてしまったのだ。
最後に、容姿。
「この世で最も美しいものは?」と聞かれたならばミラベルは一秒の迷いもなくこう答える。「それは私だ」と。
「この世で最も素晴らしい芸術品は?」と尋ねられたなら、ミラベルはやはり臆面もなくこう即答する。「私以外に何がある?」と。
それは完全に自惚れであり自己愛の極地であったが、しかし彼女の言葉を否定出来る者はいなかった。
腰まで届く柔らかな金髪は夜道でも輝き、歩くたびにサラサラと揺れる。
白い肌には染み一つなく、触れればまるで赤ん坊の肌のように柔らかい。
鋭い、猫を思わせる勝気な瞳は黄金。形の整った小鼻に桜色の唇。そして完璧な歯並びの白い歯。
「黙っていれば二枚目」などという言葉があるが彼女は違う。「黙っていなくても美少女」なのだ。何をしても様になる。
足はしなやかでスラリと長く、手は指の先まで見ても無駄がない。
11歳という年齢でありながら、しかし少女は既に妖艶な色気を身につけていた。
男を虜にし骨抜きにする魔女の魔性を秘めていた。
……唯一の欠点らしい欠点といえば胸が小さい事くらいだが、これは年齢を考えれば仕方あるまい。
余談だがこれを本人に言ってしまった哀れな召使いは翌日、ベレスフォード家から夜逃げするように逃げ出していったが、何があったかは誰も知らない。聞こうとすると酷く怯えて錯乱するからだ。
これらの要素が彼女を増長させた。自惚れを止める物は一つとして存在しなかった。
彼女の前に敵はなく、挫折はなく、出来ない事もなかった。
いっそどこかで壁に当たればその自惚れは終わり、まともな性格になったのかもしれない。
自分は神に選ばれた存在などではなく、たまたま全てに恵まれただけの運がいい娘であると考えたのかもしれない。
だが彼女の生まれ持った才能がそれを許さなかった!
「もっと増長しろ」とばかりの天運と天才はあらゆる壁を壁と認識せず、あらゆる障害を道端の塵と同価値にまで引き下げた。
そして彼女は遂に、その歪みきった人格を正す事もないままに11歳の誕生日を迎えてしまったのだ。
*
ベレスフォード家に仕える屋敷妖精ホルガーから見て、ミラベルは不思議な少女であった。
通常屋敷妖精というのは奴隷同然に扱われるのが普通であり、虐げられる事はあっても優しく扱われる事など滅多にないのだ。思いあがりの強い名家ならば尚更である。
そしてこのベレスフォード家というのもその例に漏れずホルガーをまるで使い古した道具であるかのように扱い、時には気に入らないと言うだけの理由で蹴り飛ばした。
だがその中にあってミラベルだけはホルガーに強く当たることはなく、それどころか彼女はホルガーに『敬意』すら見せていた。
この少女の性格はホルガーも知っている。傲慢極まりなく、他者全てを見下したような少女だ。
見下されている、という点で見ればホルガーも例外ではないのだが、しかしその度合いが何故か他の人間の召使よりも低いのだ。
その事を疑問に思ったホルガーはある日彼女に尋ねてみた。
「何故お嬢様はホルガーに優しくしてくれるのですか?」
すると彼女は口の端を吊り上げ、ホルガーに言った。
「それはホルガー、お前が優れているからだ」
「ホ、ホルガーが優れているですって!? いけませんお嬢様! そんな事を言われては!」
思いもしなかった賛辞にホルガーは舞い上がり、キーキー声で頭を振り乱した。
しかしそんな彼へとミラベルはいっそ優しくすらある声色で告げる。
「事実だ。杖を使わず強大な魔法を用いる貴様等屋敷妖精は、純血というだけで思いあがっているここの当主や夫人などよりも遥かに上にいる。
その気になれば貴様はこの屋敷に住む私以外の人間を皆殺しにだって出来るはずだ」
「み、皆殺しだなんて! そんな恐ろしい!」
「クックック……仮定の話だ。しかしそれが事実でもある。
ホルガー、お前は優れた存在だ。お前のような優れた存在が無能な連中に虐げられているのが私には我慢ならん」
ミラベルは金色の瞳でホルガーの目を覗き込み、彼の顎にしなやかな指を当てる。
まだ10代の少女でありながら、しかしその仕草はどうだ。まるで男を奈落に引きずり込む魔性の女のようではないか。
その幼い容姿に不釣合いながらも、何故かそれは不思議と様になっていた。
彼女は妖しく笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
「なあホルガー、私は知っているぞ。労働を美徳とする屋敷妖精でありながら貴様が自由を欲している事を。より善い主に仕えたいと望んでいる事を」
「!」
「いいかホルガー。今ここには父の靴下と私の枕カバーがある。
この靴下を今から貴様にくれてやろう」
そういう少女の足元には確かに言った通りの物があり、ホルガーの目はそれに釘付けになった。
屋敷妖精は主の命には無条件で応えなければならず、自分の独断でしもべを辞める事は許されない。
だが唯一の例外として主の衣服を与えられた場合は解雇……すなわち自由が認められる。
そして現在ホルガーの主は“ベレスフォード家”! この少女が衣服をくれるというのならば自由になるという事を意味するのだ。
「自由になった後に何をするのも貴様の勝手だ。
だがホルガーよ、貴様が望む貴様に相応しい主を欲するならば……そこの枕カバーを身に付け、改めて私への忠誠を誓うといい。ベレスフォード家ではなく、このミラベル・ベレスフォードにな」
屋敷妖精は奴属の証として衣服以外を身に付ける。
それは例えば枕カバーであったり布団のシーツであったりタオルであったり、だ。
そして今、その為のカバーがある。自由になった後にこれを着るならばそれは彼女に忠誠を誓うという事だ。
「し、しかし……」
「断言するが私以上に貴様の価値を理解し、貴様に相応しい主はいないぞ。
私は決して貴様を冷遇せん。貴様の望む仕事を与え、そして貴様の望む善き主であろう」
ミラベルの言葉を聞きながら、ホルガーは彼女の瞳から目が離せないでいた。
不気味に、淡く輝く金色の瞳には魅了の魔法でもかかっているのだろうか? そう思うほどに、その二つの瞳はホルガーを捉えて離さなかった。
そのホルガーの手へと、無造作に靴下が置かれ少女は一度ホルガーから離れる。
“主人から衣服をもらった”……思いがけず手に入った自由にホルガーは困惑した。
ここから先は彼の自由意志だ。家から去るのも、彼女に服従するのも、攻撃する事だって出来る。
だが少女はまるでこの先の出来事を確信しているかのように、腕を組んで微笑を浮かべていた。
「さあ、これで貴様は自由だ。好きなようにするといい」
「ホ、ホルガーは……ホルガーは……」
迷う必要など、なかった。
確かに自由を求めたがそれは決して屋敷妖精として働きたくなかったわけではない。
ただ今よりも少しだけマシな主が欲しかったのだ。
そしてこの少女はその自分の望みを理解してくれた。
理解し、自分を優秀だと! 優れていると評してくれたのだ!
いや、それを抜きにしても不思議と従いたくなってしまう“何か”が彼女にはあった。
天性の支配者の才! 有無を言わさず他者を従わせたくなる不思議な魅力が彼女にはあった!
囁かれる言葉の一つ一つが媚薬のように甘く心を溶かし、金色の瞳は相手から思考力を奪い去る。
その上で相手の望みを看破し、己の領域へと引きずり込むのだ!
「あなた様に……忠誠を誓います」
「ふふ……いい子だ」
与えられた新品の枕カバーを着るホルガーの頬を彼女の手が撫でる。
その仕草一つをとってもホルガーの心を溶かし、不思議な恍惚感を与えてくる。
だがその手はすぐに離れ、ホルガーは思わず名残惜しそうな顔をしてしまった。
その彼へとミラベルは微笑を浮かべ、口を開く。
「さて、早速命令を与えようか。
ホルガー、私に魔法を教えろ。
それも貴様らが使う“杖を使わない魔法の使い方”だ」
その下された命令にホルガーは驚いた。
何と、事もあろうにこの少女は屋敷妖精に師事するというのだ!
今までそんな者は誰一人としていなかったというのに!
驚きに口を開けるホルガーへと、少女は続ける。
「し、しかし妖精と人間では身体の造りが……」
「私をそこいらの凡夫と一緒にしてくれるなよホルガー。私に不可能などない。
世の中には箒を使わない飛行術もあるのだ……ならば出来ないわけはあるまい」
身体の構造が違かろうが杖を使わず魔法を使っているのは事実。
ならばその原理を解明し、己が物とすればいい。
杖に縛られるなどナンセンスだ。道具などなくとも強い魔女である事。それこそが理想!
その後、わずか一年足らずで“杖を使わない魔法”を彼女がマスターした時、ホルガーは理解した。
“ああ、この方はそういう存在なんだ”……と。
*
そして11歳の誕生日を迎え、ホグワーツからの入学許可証が届き、物語の歯車は動き出した。
全てはここから、今日この日から始まるのだ。
ハリー・ポッターを主人公とした長いヴォルデモートとの戦いが始まるのだ。
ヴォルデモートの復活は4作目……4年後だ。
その4年間はとりあえず大人しくしていよう。今の自分にはまだ力と知識が足りていない。
今のままでは行動を起こした所でダンブルドアか死喰人辺りに叩き潰されるのが目に見えている。
ミラベルは自分が世界一の天才である事を疑ってはいないが、しかしどんな大天才や指導者、革命者も最初から偉大だったわけではない。
然るべき準備期間と十分な成長を経て初めて真の偉大な支配者となれるのだ。
故にこの4年は潜伏期間とし、己を高める事に費やす。4年という与えられた時間を活用し、あらゆる知と力を身に付けるのだ。
そして闇の帝王の復活と同時に勝負をかける。
ただの勝負ではない。どちらが魔法世界の頂点に相応しいかを決める権力闘争だ。
優れた者が上に立ち、弱者は死ぬ。その理想の世界を築く為にも純血主義に傾いたヴォルデモートは邪魔な存在だ。何としても消さなければならない。
アレは自分が上に立つためには何としても排除しなければならない障害物なのだ。
未だ出会ってもいない闇の帝王の事を考えながらミラベルは野望に燃え、そして思う。
――世界の頂点に立つべきはヴォルデモートなどという過去の亡霊ではない!
このミラベル・ベレスフォードだ!