人生のピークは遅いほうがいい?
卓球選手の伊藤美誠はどうにもパリ五輪の代表から漏れてしまうらしい。卓球界には衝撃が走った。あの大魔王と言われた伊藤美誠がである。代表に内定したのは上り竜の早田ひなと平野美宇だった。団体の残り一枠は張本美和に奪われた。ただ、伊藤美誠は複雑な燃え尽き状態だと思う。伊藤美誠はすでに4つもメダルを保持しており、卓球業界ではほぼ見ることのない金メダルを持っている。史上初の快挙だろう。これらを考えると実は伊藤美誠はもうやることがないのだ。彼女は二十歳にして既に一生分の快挙を成し遂げてしまったのである。
メダリストに関する調査で面白いものがある。金メダリストよりも銀メダリストや銅メダリストの方が、その後の活躍度が高いらしいのだ。試合直後の幸福度は金メダリストが一番高いことを考えると意外だ。選手の心境を考えると意外だが、そうらしい。金メダリストはそれ以上なにもやることがないので、その後に燃え尽きてしまうリスクがあることが原因のようだ。
こうした事情は若くして成功した人間に共通して当てはまることである。人間は未来志向の生き物であり、「上がっていくこと」に幸福感を感じやすい。したがって、人生のピークが早いことは結構なリスクとなる。現役時に稼いでいた野球選手は引退後に注目を浴びることができず、所得も大幅に減ることになる。したがって、うつ状態に陥る人間も多いかもしれない。清原の薬物乱用も実のところアスリート特有のうつ状態が原因にも思える。
これらを踏まえると、人生のピークはなるべく遅いほうがいいということになる。早くに成功してしまうと、その後の人生が下り坂になってしまうので、人生に充実感を見出しにくい可能性が高い。ピークが遅ければ人生は向上心にあふれるものになるだろう。
JTCというのは絶妙に設計されているシステムだ。JTCの場合は年功序列でどんどん昇格していくし、出世競争が確定するタイミングはかなり遅い。50歳辺りだろうか。したがって、多くのサラリーマンは40代まで「上がっていく感覚」を味わうことになる。これは幸福度に直結しているだろう。JTCに努めている限りは年齢を重ねることでどんどん下がっていく感覚というものを実感しにくい。これが転職市場とは異なることである。
JTCは高給がもらえるかもしれないが、金持ちにはなれない。人生のピーク理論もこれに似ている。JTCに勤めている場合、人生のピークを50代以降に持っていくのは至難の業だ。役員になれば別だろうが、残りの社員は本当に閉塞感を感じることが多いだろう。
以前話題になった東大生の幸福度が低いという論争も、「人生のピーク理論」を多分に含む。東大合格であまりにも強い達成感を得てしまうため、その後の人生が下り坂なのだ。正直、JTCの部長よりも「東大」の方が肩書の社会的威信は強いと思う。したがって、東大生が人生を上り坂にするにはそれより上のゾーンに行かないといけないのだが、難易度があまりにも高く、多くは挫折する。JTCに就職した東大卒は20代にして既に40代のような心境のことがある。一方で早慶やMarchから就活を勝ち抜いて来た人々は「上り坂」なので、就職後も出世意欲がバリバリである。
人生のピークが遅い人間はどういった人々か。一番は政治家だろうと思う。政治家のピークは60代のことが多いし、バイデン大統領の場合は80代が人生のピークである。例を見ない遅さだ。大企業などで出世競争に勝ち続けた人はだいたい60代がピークである。自営業の場合は全く予測不能だ。
もう一つのパターンとして、「ストック」で評価するというものもある。時間とともに積みあがっていくものは老齢になっても増加ペースが衰えるだけで、単調増加であることは間違いない。noteで例えるなら月間PVではなく累積PVで考えようというものである。芸術家などは老齢になってペースが落ちたとしても、生み出した作品は増える一方だから、ストック的な解釈ができる人はQOLが高いかもしれない。一番メジャーなのは家族だ。子供や孫が増えていくのはストック以外の何物でもないだろう。
サラリーマンの場合、仕事でこの状態に持っていくのはやや難しい。雇われ人の場合はどうしてもフロービジネスになるからだ。実務の現場では過去の功績は興味を持たれないし、そうした話をしてくる人間はウザがられてしまう。ただ、この点JTCの場合は過去の会社への貢献を評価して50代になると実力以上に役職・年収が高いことがほとんどなので、一応ストックという側面は考慮されていると思う。中小企業であっても、社歴の長い社員は首を切りにくい。これはある種の社会資本の積み上げと言えるかもしれない。50代の転職が良くない最大の理由はストックに頼るべきまさにその時期に社会資本を捨て去ってしまうことだ。したがって、過去の人脈を利用した独立などは成功することが多い。
なお、人生のピークが遅いほうがいいからと言って、大器晩成の幸福度が高いとは限らないだろう。遅くなってから売れる漫画家などが典型例だ。こうした場合は人生の長い期間不安定な立場に置かれるため、精神的な幸福度は下がる。ここはなんとも難しい。一般に「レールに乗ること」が求められる場合は早いほうがQOLが高いかもしれない。レールが明確に存在している場合は減点法の評価になってしまうからだ。一年遅れるごとに、どんどんできることが少なくなってしまう。売れない芸人がアルバイトに勤しんでいる期間といった「何物でもない期間」は基本的に下降気流と考えてもいいかもしれない。
人生100年時代、人間の精神的な幸福度は下がるだろう。これは人生のピーク理論が理由だ。近代以前の人間は幼少期に死亡したものを除いてもせいぜい寿命は40歳が相場だった。実は近代以前の単純な社会であっても人間は頭を使って生きてきたので、能力のピークは40代だった。したがって、ほとんどの人間は上り坂の状態で人生を終えることになる。50歳以降も生き残った人間はいただろうが、近代以前の高齢者は希少価値が高かったので、尊敬されて生きることができた。
ところが人生100年時代ともなると、多くの人間は40代にピークを迎えたあと、下り坂となってしまう。高齢者が供給過剰になっているため、尊敬も得られない。したがって日本人の大半は人生の半分を下り坂の状態で過ごすことになるだろう。これは結構しんどい。最近の人生論がどことなく憂鬱なのはこれが原因かもしれない。
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