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ジョブレス・オブリージュ 作者:理不尽な孫の手

1章 参上、その名はムーンナイト

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2話 現在の無職

□ □ □



「ジーク!」


 声が聞こえた。

 毎日聞いている声だ。


「いつまで寝てるの! 起きなさい!」


 目が覚める。

 体を起こし、窓の外を見ると、太陽はとっくに天高く登っていた。

 窓と逆の方を見ると、白い髪の母が腰に手を当てて、僕を睨んでいた。


「ご飯、片付かないから、さっさと食べて」

「……ああ」


 母の言葉に従い、僕は着替えもせずに部屋を出た。


「部屋、勝手に掃除するからね!」

「はーい」


 母の言葉に適当に返事をしつつ、廊下を歩き、階段を降りる。


「おはよ」

「……おはよう」


 食堂には、赤い髪の母がいた。

 彼女は僕の姿を見つけると、ジロリと睨んできた。


「さっさと食べなさい」

「……はい」


 僕の席には、上から布を被せられたバスケットがあった。

 布を取り去ってみると、パンにスープにサラダといった、普通の朝食が並んでいる。

 もちろん、とっくに冷めてしまっている。


 僕は赤母に睨まれたまま、食事をする。

 冷めた食事が嫌なわけではないが、睨まれながらだと、少々食べにくい。


「あんた、今日はどうすんの?」

「……どうもしないよ」

「仕事ぐらい探しなさいよ」

「赤ママ、何度もいうけど、僕は今の状態に誇りを持っているんだ」


 そう言うと、赤髪の母の機嫌がみるみる悪くなっていくのがわかる。

 赤髪の母は、とても恐ろしい。

 幼い頃、僕らが間違ったことをしでかせば、すぐに捕まえて真っ赤になるまで尻を叩かれた。

 成人してからはそうした事も減ったが、未だに苦手意識がある。


「誇りって何よ」

「誇りは誇りだよ。今の僕は、とても誇り高い生き方をしているのさ」

「私には、とてもそうは見えないわ」

「それは赤ママが、僕の一面しか知らないからさ」

「……」


 赤髪の母はあまり口がうまくない。

 口論になると、勝てる相手は少ない。

 でも、剣術に関して言えば、世界中を見渡しても勝てない相手の方が少ない。

 だから、言い返す言葉が見つからない時は、無言で相手をぶん殴る。

 ついたアダ名は『狂犬』だ。


 でも、彼女は家族を殴らない。

 僕がよっぽど悪いことをしない限り、彼女は殴らない。

 こうして、口をへの字に結んで、無言で睨みつけてくるだけだ。


「……」


 僕は彼女の視線から逃げるように、せかせかと朝食を食べ終えた。

 母を不機嫌にさせることは、本意ではないのだ。


「ごちそうさま」

「暇なら、せめてロキシーにお弁当届けて。また忘れていったのよ」


 そう言われて見ると、テーブルの隅に、四角い弁当箱が置かれていた。


「青ママ、また弁当忘れたんだ……」

「仕事らしい仕事をしてないんだから、それぐらいはしなさい。いいわね?」

「はい。わかりました」


 僕は食べ終えた食器を片付けると、弁当箱を手に、逃げるように食堂から出ようとした。


「あ、ジーク……お弁当、届けてくれるの? ありがと」


 食堂を出ようとした所で、白髪の母が食堂に入ってきた。


「出かけるなら、ちゃんと着替えてよ?」

「はーい」

「それから歯も磨いて……」

「わかってるわかってる」


 白髪の母の言葉から逃げるように、僕は自室へと戻った。


「もう!」


 後ろから聞こえる母のため息を聞き流しながら。





 僕の名前はジーク。

 ジークハルト・サラディン・グレイラット。

 皆からはジークと呼ばれている。


 ラノア王国の魔法都市シャリーアに居を構えるグレイラット家の次男で、六人の兄弟姉妹の上から四番目。

 姉が二人、兄が一人、妹が二人。


 職業は無職だ。

 兄のように父の仕事を手伝うわけでもなく、

 上の姉のように誰かと結婚するというわけでもなく、

 下の姉のように何かの研究を始めるというわけでもなく、

 上の妹のように商会に就職するというわけでもなく、

 下の妹のように学校に行っているというわけでもなく、

 学校を卒業したあと、仕事もせずにブラブラとしている。


 だが、別に僕は今の状況に不満や焦りがあるわけではない。

 むしろ、僕は無職であることに、誇りを持っている。


 人は誰しもしがらみに縛られている。

 金、名誉、栄光。

 そうしたものを手に入れるため、時には己を曲げ、笑いたくない時にも笑い、悪を看過し、弱者を見捨てる。


 でも、無職は、それをする必要は無い。

 無職は、対価や報酬を貰わないからだ。

 己を曲げず、笑いたい時にだけ笑い、悪を断罪し、弱者を助ける。

 それができるのは、無職であるものだけだ。

 無職とは、気高い生き方なのだ。


 だから、僕は仕事につかない。

 仕事をするということは、対価を得るということだ。

 冒険者でも、職人でも、商売人でも、それは変わらない。

 対価を得るということは、しがらみができるということだ。

 しがらみに縛られて生きるのが悪いことだとは言わないが、気高いとはいえない。


 僕は無職になってからというもの、一度も対価を要求したことはない。

 でも、勘違いしないで欲しい。

 対価は貰わないが、人の頼みを断ったこともない。


 無償で人の役に立つ。

 それこそが僕の提唱する、気高き無職なのだ。


「ああ、ジーク。ありがとうございます。危うくお昼抜きで過ごすはめになる所でした」

「どういたしまして」


 家を出てから小一時間後。

 僕は魔法大学に赴き、そこに務める青髪の母にお弁当を届けていた。

 仕事の無い僕にとっては、まさにお安い御用といった所だ。


「ご褒美に、お小遣いでも上げましょうか?」

「いらないよ。こんなことでご褒美なんて」

「そうですか……」


 そして、報酬も受け取らない。

 無職は報酬を受け取るべきではない。

 タダより安い御用は無いのだ。


「でも、就職活動するのに、お金はいるでしょう?」

「あっはっはっは。あ、もうこんな時間だ、続きはまた今度」

「あ、こら、ジーク……」


 僕は笑ってごまかしつつ、その場を後にした。

 青髪の母は何か言いたそうだったが、最後に一言「ありがとう」と言って、僕を見送った。


 お気づきの者もいると思うが、僕には母が三人いる。

 白髪の母と、赤髪の母と、青髪の母だ。

 父は裕福だったし、ミリス教徒でもないため、妻を三人娶ったのだ。

 僕は白髪の母の息子だが、母親がそれぞれの息子や娘を贔屓することはない。

 逆に、僕ら子供たちも、母たちを全て同様に母として扱う。

 ミリス教徒の知り合いに言わせると、自分と血のつながらない相手を母とするのは意味がわからないそうだが、僕にとっては当たり前のことだ。


 母は贔屓することなく、僕ら子供たち全員の面倒を見てくれた。

 そして現在、無職の僕に対しても贔屓することなく、毎日のように「仕事をしろ」と言ってくる。言葉こそ違うものの、誰もが、だ。

 僕がどれだけ気高い無職について説明しても、理解してはくれないのだ。


 まあ、さすがに理解されないのはわかっている。

 母たちからすると、僕は家の手伝いはするものの、穀潰しだ。

 もし僕の家が裕福でなければ、とっくの昔に家から叩きだされていただろう。

 うん。わかってる。

 今、こうして偉そうなことを言えているのは、両親のお陰だ。

 仕事をしろとは言いつつも、家から叩きだそうとまではしない母たちには、感謝している。


 とはいえ、僕は父のことは避けていた。

 父に何かを言われるのは、正直、怖かった。

 父が僕の現状を見て何と言うのか……。

 幼い頃から父を尊敬してきたからこそ、それが恐ろしくてたまらない。


 なので、昼間はこうして出歩いている。

 この町、魔法都市シャリーアは狭いようで広い。

 父の行きそうな所にさえ出向かなければ、そうそう会うことは無いだろう。

 魔法大学は出没率がそこそこ高い方だが、今日の父は出張でアスラ王国だ。

 いきなり家に帰ってくることはあっても、魔法大学に顔を出すことはないだろう。

 つまり、家にはいられない。

 母達にも叱られるし、あまりいたくもない。


 というわけで、僕は魔法大学の一角。

 研究棟の一室へと訪れていた。


「ララ姉、いるー?」


 ノックもせずに扉を開けると、そこはごちゃっとした部屋だった。

 何に使うのかわからないガラクタや、大量の紙が散らばっている。

 紙に書かれているのは、主に魔法陣だ。


 僕は紙を踏まないように部屋へと入り込んだ。

 すると、部屋の奥から、のっそりと巨大な犬が姿を表した。

 3メートル近い大きさを持つ、大きな犬。

 これが僕の下の姉。

 ララ・グレイラットだ。

 彼女は成人するまで人間だったが、獣族の成人の儀式を終えて帰ってくると、毛深くなってしまった。


「わんっ!」

「……」


 というのは嘘だ。

 この犬は我が家のペットのレオ。

 彼は常に姉に従い、姉の身を守っている。

 保護者であり、守護者だ。

 ついでにいうと、奔放かつ気まぐれな姉の一番の被害者でもある。


「ララ姉は奥?」


 こくりと頷いたレオに従い、隣の部屋を見てみる。

 妙に生活臭のあるそこにはベッドが設置され、ベッドの上では一人の少女が眠っていた。

 14歳ぐらいに見える、青色の髪をした少女だ。

 魔族である青髪の母の娘であるがゆえ、見た目は14歳ぐらいだが、とっくに20歳は越している。

 ちなみに独身だ。


「ごがー……ぐがー……」


 彼女はパンツ一丁シャツ一枚というあられもない姿で、へその近くをボリボリと掻きながら眠っていた。

 寝相は悪く、いびきも凄い。

 色気は皆無だ。

 こういうのが好きだって人もいるだろうが……。

 独身も当然か。


 僕は寝室への扉をそっと閉めると、研究室へと戻った。

 一つだけある椅子に座る。

 王族がプライベートで使うような、ふかふかの椅子で、確か特注品だ。


 周囲に散らばっている紙を一枚、手にとって見る。

 書かれているのは、魔法陣だ。

 恐らく、召喚系魔術の魔法陣だろう。


 姉はアスラ王立学校を卒業した後、ラノア魔法大学で研究者となった。

 研究内容は、召喚魔術と占命魔術。


 召喚魔術とは、遠方や別世界から魔獣を呼び出したり、擬似的な生命体を作り出す魔術。

 占命魔術とは、未来に起こりうる出来事や、選択の是非を占う魔術だ。

 具体的にそれら魔術のどんな研究をしているのかはわからないが……。


 なんにせよ、姉はほぼ毎日を寝て過ごしている。

 学校から支給される研究資金で、ぐーたらと食っちゃ寝の日々を送っているのだ。

 気高くはない。

 が、僕と似たようなものなのだろう。僕の気高い無職理論の、数少ない理解者でもある。


「でもまあ、暇な時間に結構研究してるんだな……」


 前に来た時より、紙の数が増えている。

 あれこれと理論を書いたメモもある。

 単に昼間は寝て、夜に活動しているだけかもしれない。


「わふ」


 紙を見ていると、レオが近づいてきて、僕の膝に頭をのせた。

 レオは、僕が物心ついた時から家にいた犬だ。

 なんでも、父が僕らを守るために召喚した守護魔獣だそうだ。

 僕ら兄弟姉妹全員を守るために召喚したはずなのに、今は姉専属のお守りになってしまっている。

 どうやら、レオにとって姉は特別らしい。


「……」


 レオの頭を撫でると、お返しとばかりに手を舐められた。

 レオは姉を贔屓している。

 でも、僕らのことが嫌いというわけではない。

 もしかすると彼も、僕が無職であることを心配しているのかもしれない。


「お前も心配してくれてんのか?」

「別に」


 唐突に声が聞こえた。

 当然、レオが喋ったわけではない。

 顔を上げると、寝室から姉が出てくる所だった。

 相変わらずシャツとパンツのみのあられもない姿だ。


「乙女の部屋に勝手にはいるの、よくないね?」

「ちゃんとノックはしたんだけどね」

「ならいい……レオ」


 姉が手招きすると、レオは僕の所から、姉の足元へと移動し、丸くなった。

 姉は丸くなったレオの真ん中に、どっかりと座り込んだ。

 まるでソファのように。


「何しにきたの?」

「暇つぶし」

「そ、ゆっくりしていくといい」


 言われるがまま、僕は椅子に体を沈めこんだ。

 寝ている所を叩き起こされてしまったせいか、まだ少し眠気が残っている。

 椅子がいいせいか、眠りに落ちてしまいそうだ。


「ジーク。まだアレ、続けてるの?」

「あれ?」

「チェダーマン」

「んー……まあ」


 姉はいつも、何かを隠しておいても、すぐに見つけてしまう。

 隠し事も、すぐに知られてしまう。

 探しものが得意なのだ。


「いつまで続けるの?」

「さぁ、わからないよ」

「ふぅん……」


 姉は僕が隠し事をしていても、特に誰かに言いつけたりはしない。

 知っているぞ、と脅してくることも無い。

 だから、姉と過ごすのは心地よい。


「……」


 なんて思っていると、姉は無言で、近くに無造作に転がっていた水晶球を手にした。

 見た目はただの水晶球だが、占命魔術のために複雑な魔法陣を組み込んである。

 父は何も言わず、彼女にそれを買い与えていたが、確か特注品で、相当な価格がしたはずだ。

 そんなものが、部屋の片隅に転がっていることに、少し戦慄を覚える。


 彼女はあぐらをかいて水晶球を抱え、眠そうな目で水晶球を撫で回していた。

 傍から見ると、ただの怪しげな儀式だ。

 でも、あれは魔力を水晶球に注ぎ、操作することで何かを見ているのだ。

 何を見ているのか、知らないが。


「ジーク」

「何?」

「今日、パパ帰ってくるよ」

「え? でも、出張は3日後までじゃ……」


 占命魔術というのは、占いだ。

 今では胡散臭いとも言われるが、大昔に起きた人と魔族の戦争から続く、由緒正しき魔術だ。

 かつては大きな国は必ず一人、占命魔術師がいたそうだが、今ではすっかりすたれてしまった。


 というのも、一部のカリスマ的な占命魔術師を除けば、ほとんどの術者はどうでもいい未来しか見えないからだ。

 それでも、見えたものから未来について占うそうだが、正解率はせいぜい20%といった所だそうだ。

 要するに、ほとんどの占命魔術師は水晶に向かって怪しげに魔力を送り込み、外れる確率が高いことを思わせぶりな口調で信じようとさせてくる、胡散臭い輩なのだ。


 かつては一国に一人いて、国の行く末を占うことも多かったようだが、いつからかその数を減らし、今では学ぶ者もほとんどいない。

 歴史の先生によると、確か魔術や魔道具の発展に伴い、信憑性の薄い占命魔術は頼られなくなった、ということだ。

 魔法大学でも学ぶことは出来るが、姉が魔法大学で占命魔術の授業を取るまで、長らく生徒はゼロだったそうだ。

 僕も正直、胡散臭いと思う。


 でも、物好きな姉はそんなものを専攻している。

 何の目的があるのかもしれないが、気まぐれな姉のすることだから、きっと意味など無いのだろう。


「白ママがウキウキしながら下着を選んでるのが見えた。だから多分、パパが帰ってくる。多分、仕事が早く終わったんだよ」


 姉も別にカリスマ占命魔術師というわけではないが、高価な魔道具を使っているだけあってか、何も見えないということは無いらしい。

 とはいえ、占いでピンポイントに見たいものが見える確率は低い。

 その場合、術者は見えたものに他の情報を組み合わせ、推理して正解を導き出す。

 姉はこれがうまく、結構当たる。


 プライドが無いのもいいのだろう。

 母がウキウキしながら下着を選んでたから、今日は父が帰ってくる。

 なんて、普通の占命魔術師なら、口が裂けてもいわない。

 彼らには、「未来は出来る限りもったいぶった言い回しで伝えるべし」なんて教えがあるのだ。

 他の魔術師が占えば「深き山脈にて巨人が一人、雪を弄ぶ。巨人が雪を小人へと投げかければ、小人は慌てて故郷へと戻るだろう」なんて言い方をするはずだ。

 そんな言い回しにも理由あってのことらしいが……姉のように勿体ぶらずに見えたものを言っていれば、胡散臭いなんてレッテルは張られなかったんじゃなかろうか。


「じゃあ、今日は帰れないな」

「まだ、パパを避けてるの?」

「んー……まあ」

「そう、ジークは馬鹿だね」


 これは姉の口癖だ。

 姉は会話の最後を「馬鹿だ」で締める。

 昔は何か意味があるのかと思っていたが、割りと誰にでも言ってるので、やっぱり癖なのだろう。


「馬鹿で結構さ」

「そ」


 姉は高価な水晶球をゴロンと無造作に放り投げると、レオに埋まり、あくびをした。

 まだ眠るつもりらしい。

 人前だろうが気にせず振る舞うのは、いつものことだ。

 僕は姉が寝るのを気にせず、昼下がりまで部屋でのんびり過ごすことにした。





 昼下がり。

 僕は姉に別れを告げ、町をブラブラと歩いていた。

 目的の店が開くまでは、まだ少し時間がある。

 その間、こうして町を見て回るのだ。


 ふと、目の前で頓挫している馬車を発見した。

 馬車の車輪をつなぐ車軸が折れ、荷物が地面へとばらまかれてしまっている。

 馬車の持ち主と思わしき人物は、頭を抱えつつ地面へとばらまかれた荷物を集めていた。

 とは言え、二頭立ての馬車満杯に積んだ荷物。

 車軸の折れた馬車に載せ直すわけにもいかず、かといって修理を頼もうにも、盗まれる可能性を考慮するとこの場を離れられない。

 という感じに困っているようだ。


「手伝いますよ」

「おお、ジーク君……助かるよ。困ってたんだ。目的地はすぐそこなんだが……」

「なら、車軸を直しましょう」


 僕は馬車を持ち上げ、背中に乗せて高さを固定。下に潜り込んで、車軸を土魔術で固めた。


「応急手当てにすぎませんけど、これで一時間ぐらいは持つはずです」

「さすがだなぁ……」


 商人は感心しながら修理した車軸を見ていた。

 馬車の修理は、王立学校で習った。

 なぜ王立学校で、と思うだろうけど、騎士や貴族にとって馬車は日常的に乗るものだ。

 だからそれを修理する方法は、学校で教えている、というわけだ。

 貴族は、自分で馬車を直したりはしないだろうけどね。


 その後、落ちた荷物をひょいひょいと馬車に積み直し、商人を御者台に乗っけてあげた。


「いやぁ、助かったよ。金を払おう。あまり手持ちは無いんだが……」

「いえ、お代は結構です。報酬が欲しくてやったわけではないので」

「そうかい? ……さすがグレイラット家の子供だ。立派なもんだなぁ」


 僕はその言葉に満足感を覚え、その場を離れた。


「よー、ジーク君、ご苦労さん!」

「おっ、おっさん、ありがと!」


 唐突に果物屋の親父から、赤い果実が投げ渡された。

 どうやら、親父は一連の出来事を見ていたらしい。

 僕は果実をパシリと受け取り、口に含んだ。

 甘酸っぱく、口の中に爽やか味が広がった。


「ウチでも困ったらよろしくな」

「その時に暇だったらね」

「はっはっは」


 この果実は、対価ではない。

 僕とも、さっきの商人とも関係ないからだ。

 もし、果物屋の親父が困ったら、今回の果実とは無関係に助けるし、その時は報酬も貰わない。

 つまり、この果実は無料の果実というわけだ。


「おっ、ジーク君! 先日はお陰でいい肉が仕入れられたぞ、ありがとよ!」

「どういたしまして」

「よう、ジーク君。こないだはありがとな! おかげで元気な子が生まれたよ!」

「いえいえ、偶然通りがかってよかった」

「ジーク! これからかくれんぼやるけど、お前もはいるか!?」

「今日はやめとくよ。暗くなる前に帰るんだぞ!」


 町を歩けば、いろんな人が話しかけてくる。

 仕入れで困っていた肉屋の親父に、奥さんが道で突然産気付いてしまった衛兵、近所のワルガキ。

 皆、気のいい人ばかりだ。


 なんて考えつつブラブラして時間を潰し、日が落ちると同時に、僕は目的の場所へと足を運んだ。





 『酔いどれゴブリン』。

 それはこの町で、一番目立たない所にある酒場だ。

 特にうまい酒があるわけでもなく、料理もそこそこ。

 とはいえ、暗く静かな雰囲気のおかげか、客は入っている。

 暗く静かな雰囲気を好む、頬や脛に傷を持つ者達ばかりだが。


 酒場にはいると、僕は早速見知った顔を見つけた。

 頭頂部のハゲた小男で、名前はジョルジュ。

 僕は彼の前に座った。


「よう、ジョルジュ、景気はどうだい?」

「ジークか……今日は好調だ。たっぷり金が入ったぜ」


 彼は市場の方で日雇いの仕事をしつつ、日銭を稼いでいる。

 小悪党といっても差し支えないぐらい、小さな悪事を積み重ねているが、悪人と断じるほど悪いことはしていない。

 彼を悪と断じていたら、町中の悪ガキを全滅させなきゃいけなくなるだろう。


 彼はいつも景気が良く、いつもたっぷり日銭を稼いでは、機嫌良さそうに酒をあおっている。

 でも、ふしぎと裕福になっていく気配は無い。

 宵越しの銭は持たないタイプなのだろう。


「ジョルジュ、なんか面白そうな話はねえか?」

「面白そう? いつもの感じか?」

「ああ、いつもの感じだ」


 ジョルジュは情報屋でもある。

 市場で得た情報を、この酒場で売りつけている。

 そして、時にここで、別の情報を仕入れることもある。


「そうだな……ちと危ねえんだが」

「ちょっとぐらいなら問題ねえぜ」

「最近、この辺りに妙なクスリが出回ってるらしいんだ」

「……クスリ?」

「吸うと、気分がフワッとして天国に登った気分になるやつだよ」


 麻薬。

 人を廃人へと追い詰める、悪魔の薬だ。

 父はこれをこの町に流通させないように、細心の注意を払っている。


「どこだ?」

「売人がどこにいるか、なんてのは知らねえぜ。でも、最近レイジー商店の番頭が、夜な夜な人気のない倉庫に足を運んでいるって話を聞く。ついでに、最近やけに羽振りを良くしてやがるって話もな」


 クロというわけではない。

 しかし、レイジー商店の番頭が何かしら関わっている可能性は高いだろう。


「倉庫の場所は?」

「詳しい場所は知らねえ。だがレイジー商店も持ってる倉庫は、そう多くはねえ。そんで人気のない倉庫と言えば――」


 ジョルジュから、倉庫の予想場所を聞き出す。

 僕も、昼間に何度かその近くを通ったことがあった。

 あのあたりの倉庫街は、昼でも人の気配が少ない。

 夜になれば無人といっても過言ではないだろう。


「あんがとよ」

「何、いいってことよ。そういや俺も聞きてえことがあったんだが、いいか?」

「なんだ?」

「あんたの姉貴に、ララってのがいるだろ?」

「ああ、いるな」


 ジョルジュは気前のいい奴で、僕から金を取ろうとはしない。

 その代わり、僕にあれこれと聞いてくる。

 僕はそれに答える。

 対価ではない。


 ジョルジュは僕が何も教えなくても情報を教えてくれるし、僕もまた然りだ。

 そしてお互いに、言いたくないことは言わない。

 つまりこれは、世間話というわけだ。


「研究室から出てこないって話だけど、中でなんかヤベエことやってんのか?」

「いや、ただの召喚魔術と、占命魔術の研究だよ」

「占命魔術? 占い師にでもなんのか?」

「さあ。ララ姉は気まぐれだから、意味なんか無いかもしれない」

「へ~」


 ジョルジュは僕に金を要求しない。

 もっとも、ジョルジュは情報屋らしく、僕から得た情報を、何らかの方法で金に変えているらしい。

 でも、仕方あるまい。

 彼は気高き無職ではないのだから。

 咎めるのもお門違いってもんだ。





 そうして時刻は深夜。

 店が閉まり、客が三々五々、自分の寝床へと帰っていく。

 人々が寝静まる時間。

 一日の終わり。


 でも、僕の時間は終わらない。


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