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乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です 作者:三嶋 与夢

第一章

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真主人公

 ――ちょっと前の俺を殴りたい気分になった。


 勉強くらい教えてやるよ、などとオリヴィアさんに大見栄を切った俺だが、彼女のレベルを確認していなかった。


 だって、主人公なんてステータスのどれを伸ばすとか自由だし、勉強が出来ない雰囲気を出していたから脳筋タイプなのかと思ったら……。


「ここが分からないんです。魔法に関する物で、通常の呪文とは別に術式を用いた魔法は応用力もあって――」


 図書室での勉強会。


 俺は冷や汗を流しながら、オリヴィアさんの知識量に驚きを隠せない。


 そうだな。簡単に言うのなら、やや優秀な俺が学年でも上位争いをしている人に勉強を教えるくらい無謀だ。


 というかオリヴィアさん頭が良い。


「う、うん、ソレはこういうことじゃないかな?」


 今まで勉強してきた知識と、ゲーム知識でなんとか場を乗り切ろうと頑張る俺。


 だが、頭の良いオリヴィアさんは俺の曖昧な話を聞いて何度か感心したように頷いている。


「そうですよね! 教科書が正しいわけじゃありませんし、やっぱり間違っていたんですよね。私もなんとなくおかしいと思っていたんです。魔法を使用した感覚と、定説に違和感があったんです」


 どうしよう……この子、教科書の否定を始めた。


 俺はこの子が極端にならないように軌道修正を図る。


「す、全てが間違いじゃないんだ。やっぱり教科書は大事だと思うよ」


「そうですね。二割くらい首をかしげたくなったんですけど、裏を返せば八割は納得できたわけですし」


 なんだろう、教科書を見ると随分と使い込まれている。もしかして、この子は既に教科書を読み終えたのだろうか? 一学期のこの時期に? まだ六月だぞ!


 貴族の中には、教科書の内容が難しくて投げ出す奴もいるのに!?


 俺だってテスト対策で勉強しているが、内容を理解しているとは言いがたい。そもそも、魔法に関しても評価は七十点台だ。


 俺は早く時間が過ぎないか祈るような気持ちで勉強会を過ごしていた。


 そして予定の時間が過ぎる。


「も、もうこんな時間だし終わろうか」


「本当だ。あっという間でしたね」


 嬉しそうなオリヴィアさん。


 俺は時間が過ぎるのが凄く遅く感じていた。


「えっと、今度の休日にもお願いして良いですか?」


 上目遣いで頼まれると、男の性で「はい!」と返事をしたくなってしまう。しかし、こんな思いはあまりしたくない。


 なんとか回避するために理由を探す俺は、この学園での重要課題を思い出した。そうだ、結婚だ!


「ご、ごめん、次の休みはお茶会の準備があるから」


 オリヴィアさんが慌てて謝罪してくる。


「い、いえ、私がお願いしていることですから。そ、そうですよね、リオンさんも忙しいですよね」


 そうだった。俺は忙しかったのだ。


 教科書やノートを抱きしめ、少し寂しそうにしているオリヴィアさんに悪い気もするが、当初の目的を忘れてはいけない。


 ビジネスライクな関係を維持できる嫁を探すため、お茶会を開かなければ。


 そもそも俺はクラスのカースト的に下層に位置している。


 良い相手――性格も良く優しい女子は、カースト上位が必死に結婚を申し込んでいる。性格良く優しい女子はいても、そういう子は実家のことや今後のことも考えて出来るだけ上を目指すので俺たちに回ってこない。


 あぁ、なんて酷い世界。いや、元の世界も同じだったか?


 オリヴィアさんが俺の目を見て微笑みながらお礼を言う。


「リオンさん、今日はありがとうございました」


 その笑顔と瞳の輝きが、嘘を吐いてこの場を乗り切った俺の性根にはまぶしかった。この子、本気でお礼を言っている。


 俺は恥ずかしさに悶えそうになった。


 俺は目の前の女の子よりも長い人生を歩んできたはずなのに……。



 男子寮の俺の部屋。


 友人であるダニエルとレイモンドを部屋に招き、飲み物やらお菓子を食べていた。女子に出すようなお菓子ではなく、フライ物というか油っぽいお菓子だ。


 炭酸飲料があるのを考えると、この世界は近世でも現代寄りに近い気がする。


 思えば制服もそうだ。乙女ゲーだから当然か?


 ダニエルがフライドポテトを食べながら。


「聞いたか? 金持ち連中、もう二人は結婚確定だって。しかも相手は俺たちにも優しかったミリーとかジェシカだ。狙っていたのに」


 落ち込むダニエルに対して、レイモンドは冷静な風を装っていた。


 レイモンドはミリーのことが好きだったから仕方がない。


「僕たちの実家よりも良い条件があればそっちに行くのは当たり前さ。最初から無理だったんだ……そう、ミリーが幸せなら僕はそれでいい」


 二人を呼んだのは落ち込んでいたためだ。


 金持ちグループはあらゆるメリットを女子に提示し、是非とも結婚して欲しいと攻勢をかけていた。


 俺たちがつけいる隙など与えられない。


 周りの女子を見れば、それこそ優しい女性がいかにレアであるか分かる。更に上のグループは、そもそも結婚相手が決まっている。


 王太子殿下のように婚約者がいるケースも多い。


 ダニエルが炭酸飲料を一気飲みしていた。


「ちくしょう! これでこの学年の希望はもうなくなった! 後は酷い女子ばかりじゃないか!」


 男子に対して見下してくる女子がとにかく多かった。


 レイモンドも頷いている。


「今年の一年は運が悪いよね。王太子殿下を始め、名門貴族の跡取りが沢山いるのも悪いよ。比べられるこっちはたまったものじゃない」


 とびきりの美形。家柄も良くお金持ちの男が沢山いれば、周りに向けられる視線は厳しい物になる。


 比較対象のレベルが違いすぎて、俺たちカースト下位は女子を誘うことも難しかった。


 家柄、立ち居振る舞い、財力、外見……その上、婚約者もいて余裕もあるから精神的なゆとりも違う。


「それよりもリオン、お前の方は上手くいっているのか? 最近、あの特待生とずっと一緒じゃないか。結婚を諦めたのか?」


 心配してくるダニエルに、俺は肩をすくめるのだった。


「まさか。ちゃんと招待状は出しているけど、女子から拒否されているだけだ」


 レイモンドも口は悪いが俺を心配しているらしい。


「下手な同情心は身を滅ぼすよ。……特待生に入れ込んでいるから女子の反感を買ったんだ。距離を置いた方が良い」


 三年生のルクル先輩にも同じようなことを言われた。


 先輩たちの中には、女子との結婚が難しいので結構きつい条件を受け入れた例もある。例えば……亜人奴隷以外の愛人を認めること、だ。


 普通クラスの騎士家出身男子の中に、好みを見つけた女子がよくやるらしい。跡取りを生んで貰う代わりに、その騎士家の愛人も支援するという屈辱的な契約。


 女子は生活の支援をして貰いながら、好みの男性と結婚生活が送れる。まさに最高の環境だろう……女子にとっては、だが。


 女子から言わせれば、跡取りを生んでやったのだからそれぐらい当たり前らしい。


 そもそも政略結婚なので愛を求める方がおかしいとも言えた。


 まぁ、前世の方がマシだと思える環境なのは間違いない。


 ダニエルが俺にたずねた。


「リオンの兄貴は確か普通クラスだよな?」


「そうだね」


 兄貴も上級クラスに送り込みたかったが、そもそも大金を得たのは兄貴が入学した後なので無理だった。


 今から編入させるなんて鬼のような真似は俺には出来ない。


「羨ましいよな。普通クラスはまともなんだろ?」


 ダニエルが言いたいのは、結婚がそこまで難しくないという意味だ。


 普通クラスの女子は本当に普通だ。


 何しろ奴隷を買う余裕がない。


 上級クラスの女子のように横暴では結婚できないため、割と対等な関係で結婚できるらしい。


「話を聞いた時にさ……」


「ん?」


「……俺は兄貴を殴りたくなったよ」


 そもそも騎士家の女子というのは不遇だ。


 理由は色々とあるのだが、単純に言えば結婚相手である男子が――少ない。


 上級クラスの女子が普通クラスの男子と結婚が出来ても、普通クラスの女子が俺たち上級クラスの男子と結婚できないのも原因だ。


 優秀な男子は上級クラスの女子が持って行く。


 オマケに普通クラスの男子は、地元に婚約者や恋人がいるケースも多い。普通クラスの女子は不遇だ。


 そのため、個人として女子を見ると普通クラスの女子の方が優しく気立ても良く家庭的で……滅茶苦茶羨ましい。


 まぁ、俺たちよりはマシだ。時間的制約が学園の卒業までではないし、卒業してからでも結婚相手を探すことが出来る。


「俺も普通クラスが良かった。そうすれば、こんな苦労はしなかったのに」


 泣きそうになると、レイモンドも同意する。


「僕らの結婚ってなんでこんなに厳しいんだろうね」


 それは乙女ゲーの世界だからです、なんて答えたら二人はどう思うだろうか? 三人で愚痴をこぼして憂さ晴らしをしていると、レイモンドが学園内の噂を話し出した。


「そう言えば、最近は王太子殿下の周りが騒がしいらしいよ」


 俺はジュースを飲みながら「ふ~ん」という態度で話を聞く。そもそも俺たちには雲の上の話だ。


 興味はあるが、関係ない話。


 レイモンドも暇つぶしとして話をしているだけで、あまり信憑性を重要視していなかった。


 俺からすれば、強制イベントでも起きたかと思ったくらいだ。


 ダニエルも話しに加わる。


「アレだろ? 女子の……マリエだっけ? あの子、女子の間で随分といじめられているらしいじゃないか」


 王太子殿下にすり寄れば嫌われて当然だろう。


 そう思っていたが、レイモンドが続きを話したら――。


「その噂に関係しているんだけど、なんでもそのいじめの中心人物が公爵令嬢だったんだよね。それを王太子殿下が知って激怒したらしいよ」


 ――俺は飲み物を噴き出しそうになりむせて咳き込む。


「お、おい、大丈夫か?」


「リオン、何か知っているの?」


 二人が心配し、そして俺が何か知っているのかと聞いてくるので「いや、気管に入っただけだから」と言い訳しておいた。


 俺は口元を拭きながら、冷や汗も拭う。


 二人はテーブルの上を片付けてくれていた。


 ただ、気になるのはレイモンドの話だ。俺がゲームで知っているイベントでは、王太子殿下が婚約者に激怒するのはもっと後の話である。


 それに俺はオリヴィアさんと親しい。


 彼女が攻略対象の男子と仲が良い様子は見たことがない。


 いったい何がどうなっているというのか。



 関わらないでおこうと思った。


 モブはモブらしく遠巻きに眺めていれば良い。関係ない話だと思っていたのだが、どうにも雲行きが怪しい。


 俺はすぐにオリヴィアさんと話をすることにした。


 上級クラスの女子の知り合いなど彼女だけだ。


 図書室に呼び出し話を聞く事になったのだが……。


「ごめんなさい。私も詳しいことは知らないんです。一時期、マリエさんに女子全員が冷たくなって、今は落ち着いているということしか分からなくて」


「そ、そうなんだ。あ、もう一つだけ良いかな? マリエっていう女子と何か接点とかない?」


 主人公がいる場所を奪った女。


 実はこの世界はゲームとは関係なく、そもそも俺の方が勘違いをしている可能性も考えられる。


 だが――。


「……何度か会ったことがあります。入学式の数日後に私は図書館に来たんですけど、その時に話しかけられて」


 俯き悲しそうな顔をしているオリヴィアさんの態度から、あまり話したくない話というのが分かった。


 だが、俺は知りたかった。彼女の気持ち? マリエという不気味な女の情報を知るためにはこれくらいする。


「どうしても知りたいんだ」


 オリヴィアさんが顔を上げた。


「……リオンさんも、マリエさんみたいな人が好きなんですか?」


 恥ずかしそうにしているところを見ると、色恋の話と勘違いしたらしい。


 あいつと色恋? 虫唾が走る。


 俺が嫌そうな顔をすると、逆にオリヴィアさんが驚く。


「え!? 違うんですか?」


「俺、あいつの事が嫌いなんだよね」


「そ、そうですか」


 オリヴィアさんは少し考え込み、マリエとの関係を話してくれた。


「図書室を覗こうと思って来たら、マリエさんがいて邪魔だから出て行ってと言われました。他にも、中庭で見かけた時があります。同じように邪魔者扱いを受けたので、何かしたのかと思って聞いたんです。そしたら、あんたみたいな女が嫌いって言われてしまいました」


 苦笑いをしているオリヴィアさん。


 マリエはオリヴィアさんが嫌い?


 平民が貴族の学園に来るな、ではなく個人的にほとんど初対面の相手を嫌いと言うのも気になった。見る限り外面は良さそうな奴なのに。


 俺が黙っていると、オリヴィアさんが困ったようにオロオロしていた。


 ただ、二人で口を閉じていると声が聞こえてくる。


「こんなところで?」


「良いだろ。二人っきりだ」


 なんとも甘い会話が聞こえてきた。


 いったい誰がこんなところで羨ましい展開を繰り広げているのかと思い、そのまま身を屈めた俺は相手を確認するために移動する。


「リオンさん、何をしているんですか!」


 小声で注意をしてくるオリヴィアさんに、俺も小声で対応した。


「いや、気になるんだ。誰がくっついたとか俺たちにとっては必要な情報だから。さて、いったい誰が……!?」


 俺は思わずオリヴィアさんの口を塞ぐ。


 俺も息を潜め、物音を立てないように細心の注意を払った。


 そこには紫色の髪をした眼鏡の男子……ブラッドが、小柄で華奢な金髪の女子と抱き合っていた。


 そう言えば、ブラッドはよく図書室にいるキャラだった。


 オリヴィアさんもマジマジと見ている。


 しかも女子は――マリエだった。


 二人で腰を密着させ、腕を腰に回して抱きしめ合っている。まさか、図書室でこんな濃厚なキスシーンを見るとは思いもしなかった。


 俺たち二人は、その場をゆっくりと離れて図書室から逃げ出した。



 マリエ・フォウ・ラーファンは図書室から寮へと向かう途中だった。


 ブラッドとの甘い時間を思い出し、唇を指でなでる。


「ふふ、本当に最高の世界よね。元の世界みたいに馬鹿な男が少ないし、女性の権利が正当に認められる世界って最高」


 夕日で校舎がオレンジ色に染まっている。


 スキップしたい気持ちを抑えて女子寮へと戻る。


「ユリウスたちが味方になったら、私を馬鹿にしていた女子たちが悔しそうな顔をするし、もう最高。はぁ~、学園に入学して良かった」


 この世界はマリエにとって理想の世界だろう。


 何しろ、彼女は紛れもなく主人公がいるべき場所に存在していた。


 校舎の廊下を曲がったところで、そこにはユリウスとジルクの姿があった。どうやらマリエを探していたらしい。


「マリエ、ここにいたのか」


 二人が近づいてくる。


(この二人、いつも一緒にいるわよね。もしかしてそういう関係? 昔の人って男色も普通だったって聞くし、それならそれでありかも)


 内心で酷いことを考えながら、顔を作って姿勢を正す。


 二人が――特にユリウスが求めている女子の理想を演じるマリエだった。


「どうされたんですか、殿下?」


 ユリウスは少し呆れた風に注意をしてきた。


「殿下は止せ。ユリウスで良い。ジルクと話をしていたんだが、お前には専属の使用人がいなかったな?」


 マリエは頷く。


 それも、少し恥ずかしそうに、だ。


「は、はい。実家はその……金銭的に苦しい状況ですので、専属の使用人を用意するのは難しくて」


(両親が無駄遣いするからいけないのよ。出来れば金持ちの家に転生したかったわ)


 実家への不満を隠し、健気な自分を演じるマリエにジルクが提案するのだった。


「それでしたら、殿下と私の方で購入代金を支払わせていただきますよ。マリエさんも学園で専属の使用人がいないのは寂しいでしょうから」


 二人の申し出に内心でガッツポーズをするマリエは、お礼を言うのだった。


(これで避妊不要の愛人ゲット! 持っていない女子が少ないから、結構気にしていたのよね。それにしても、女は公然と愛人を連れ回せるなんて狂っているわね。まぁ、私は嬉しいからどうでも良いけど)


 内心、二人が自分に愛人を与えるのが少し気になるマリエだったが、そういう世界なのだろうと納得しておくことにした。


「あ、ありがとうございます。でん……ユリウス、ジルク」


 名前を呼ぶとユリウスが照れくさそうにしている表情を見て、裏もなさそうだとマリエは安心するのだった。


 ジルクがマリエとユリウスを案内する。


「では、馬車の用意をさせて出かけましょうか。王都でも指折りの奴隷商館があるというのを聞いています。そちらに向かいましょう」



 女子寮の広い部屋。


 そこを使用できるのは伯爵家以上の家柄の娘たちだけだった。中でも王家に連なる者たちには、特別な部屋が用意される。


 アンジェリカが使用している部屋はその一つだ。


 部屋には取り巻きの一人である女子が来ていた。


「アンジェリカ様、あの子は許せません。あの子のために殿下は亜人の奴隷を買い与えたそうではありませんか。アンジェリカ様は持つことも許されないというのに」


 窓の近くに立つアンジェリカは、女子から顔が見えないようにしていた。


 悔しさで表情がゆがむ。


「……放っておけ。亜人の奴隷がどういう意味か理解しておられるのなら、あの者とはそれだけの関係と言うことだ」


「で、でも」


 公爵令嬢のアンジェリカは、実家の規模を考えるとそれこそ亜人の奴隷を何十人と購入できる。


 だが、それをしないのは、アンジェリカが公爵家の娘だからだ。何より、王太子殿下の婚約者という立場もあった。


 王妃になろうという娘が、愛人を抱えているなど笑い話にもならない。


 女子を部屋から退出させると、アンジェリカは近くにあった置物を両手で手に取って力任せに床へと叩き付けた。


「ふざけるなっ! あんな……あんなどうでもいい娘にうつつを抜かして! 私は――私は殿下のために――殿下のためだけに!」


 荒れ狂うアンジェリカは、その外見から想像しやすく激情家でもあった。


 少し前、マリエをいじめていた女子たちをユリウスたちが問い詰めた。女子たちは別に命令されたわけではないが、アンジェリカの名前を出してしまう。


 同じグループに所属していたその女子たち。


 彼女たち的には調子に乗っていたマリエをいじめて日頃の憂さ晴らしをしたかったのだろう。女子は大事にされる貴族社会なので、どうしても精神的に自制が利かない女子は存在する。


 ただ、問い詰められると王太子殿下を前に怖がり、アンジェリカの名前を出してしまった。


 それによってユリウスたちに問い詰められ、否定したが信じて貰えなかったのだ。


 そこから学園内でのアンジェリカの立場というのが弱くなった。


 今では、マリエに取り入ろうとする女子が増えつつある。


 男子たちもその辺りに反応し、マリエに近づくグループがあった。主にユリウスたちに近づきたい金持ちの次男やら三男の跡取りではない男子たちだ。


 今までアンジェリカに反感を抱いていた女子たちの動きは特に顕著だ。


「私が指図した? その証拠もないのに、あんな女の言い分だけを信じて……」


 アンジェリカが悔しかったのは、ユリウスがマリエの言い分だけを信じたことだ。いじめをしていた女子たちの言葉だけを理由にアンジェリカはまるで悪人のように扱われた。


 それがアンジェリカにはたまらなく悔しかった。


 いじめをしていた女子たちも、このままでは自分が不利になると思ったのかアンジェリカの悪い噂を流して力を付けてきたグループに合流している。


 それはいい。


 アンジェリカもそんな小物に用はない。だが、今ではユリウスやマリエに近づくことさえ出来ない。


 しかもそのユリウスに。


『お前とは婚約をしているが、学園では一生徒だ。干渉しないでくれ』


 ――そう言われてしまった。


 アンジェリカは涙を流し、その場に座り込む。


「私は……私は殿下のことが……殿下のために育てられてきたのに! 殿下のためだけに!」


 アンジェリカはユリウスを愛していた。


 だが、ユリウスは違った。


 ただの政略結婚としか思っていなかったのだ。


 ユリウスの婚約者と決まってから、アンジェリカは喜んだ。ユリウスのために頑張ってきたつもりだったが、それは何一つ評価されなかった。


 ユリウスが求めたのは、マリエのような家庭的で優しい女性だったのだ。


 両手で顔を押さえ、アンジェリカは悔し涙を流すのだった。



「おい、愚弟ぃぃぃ!」


 休日の朝。


 男子寮に乗り込んできたのは、自慢の奴隷の肩に乗った次女だった。


 自室で欠伸をする俺は、時計を見るとまだ朝の七時だと気が付いて再び横になる。


「寝るな! あんた、いったいどういう事よ! どういう事なのよ!?」


 大騒ぎしている理由は知らないが、俺としては二度寝を楽しみたいところだ。


「悪いな、姉貴。昨日の授業、男子は格闘訓練だったんだ。疲れているから寝かせてくれよ」


 女子は楽しくスポーツで、男子は走り込みに格闘術の訓練で泥まみれである。本当に戦争やモンスターとの戦いで命を落としてもおかしくない世界だから、訓練も非常に厳しい物になるのだ。


「寝ているんじゃないわよ! 愚弟、あんた一年の詳しい情報を教えなさい。今すぐ!」


 相当慌てているのか、次女は俺を無理矢理起こそうとする。


 朝から筋肉質な猫耳奴隷に持ち上げられ、椅子に座らせられた俺は眠い目をこすりながら欠伸をした。


「一年の情報? 俺よりも女の姉貴の方が詳しいだろ」


「変な噂が聞こえてきたから確認しに来たのよ。あんた、一応は上級クラスの生徒でしょ」


 一応とは失礼な。


 そんな扱いなら俺は普通クラスでのんびりしていたかった。


「情報? あぁ、そう言えばクラスのマドンナだったミリーとジェシカが結婚を決めたんだ。本当に良い子だったのに残念で仕方がないね」


「そんなどうでもいい話は良いのよ」


 どうでもいい? 俺たち男子にとっては涙ものの話だったというのに。


「マリエって女を知っているわね?」


 俺がピクリと反応を示すと、次女が続きを話せと命令してくる。


 思い出すのは濃厚なキスシーンだ。


「……王太子殿下のグループと仲が良いね」


「王太子殿下とだけ?」


「……名門貴族の男子とも仲が良い。良すぎるよね」


 学園内でイチャイチャしていれば嫌でも噂は聞こえてくる。特に、噂になっているマリエならなおさらだ。


「公爵令嬢がいるわよね? そっちの詳しい情報は?」


「俺が知ってると思うの? 王太子殿下に怒られた程度の噂しか聞いていないね」


 考え込む次女は深刻そうな顔をしていた。


 今度は俺の番だ。


「詳しい内容を知っているかな? 公爵令嬢が指示を出してマリエをいじめたとか噂が広がっているんだけど」


「はぁ? あんた馬鹿じゃないの」


 次女に馬鹿と言われて腹が立つ。朝から男子寮に駆け込んでくるお前はもっと慎みを持った方が良い。まぁ、愛人を侍らせているので慎みなんてかけらもないだろうが。


「あれくらい身分が高いと、指示しなくても気に入られたくて周りが勝手に動くのよ。そもそも、本気で潰しにかかったら相手の女は生きていないんじゃないの? 公爵家とか洒落にならない規模よ。男はこれだから駄目ね」


 ヤレヤレという感じで俺を馬鹿にしてくる次女に聞く。


「公爵令嬢は関係ないと?」


「それとこれは別よ。自分のグループの子がやったんだから責任は取らないといけないの」


「理不尽じゃない?」


「そういうものなのよ」


 乙女ゲーの世界も大変らしい。ゲームだと公爵令嬢が指示したように……なっていたかな? もう十年も前の記憶だから、朧気にしか思い出せない。


 次女は俺の顔を見ると、真剣な表情をしていた。


「二年も三年も大慌てよ。よりにもよって王太子殿下の周りで変な波風を立たせないで欲しいわよね。こっちにも予定があるのに。あんた、もう少し情報を集めるとか真面目にしてよね。それから、私にちゃんと報告するように」


 この女、一体俺をなんだと思っているのだろう? 俺はお前の駒じゃない。まぁ、気になるので調べるけども。


 次女も暇である。


「あんたこれがどういう意味か理解できているのよね?」


「女子は大変だね」


「馬鹿、大馬鹿! 愚弟!」


 朝から五月蠅い次女を前に耳を押さえていると、次女は語り出す。


「王太子殿下は何もなければこのまま王位に就くのよ! ここで気に入られたら、この先安泰って分かっているの? 逆を言えば嫌われたら終わりだからね!」


 辺境の男爵家には関わりのない話だ。


 いや、都会に住みたい次女には大きく関わってくる話だった。下手な相手と結婚して、そいつが王太子殿下の反感を買えば将来の出世など望めない。


「俺は結婚できて無事に卒業できればソレでいいや」


「本当に男って奴は!」


 次女が荒れているが、俺としては王太子殿下の周辺には関わり合いになりたくないというのが本音だった。


 ――何しろ、これから国は大きく荒れることになるのだから。


 ゲーム的に言えば、だ。まだ確定ではない。


「とにかく、あんたは関わっていないのよね? なら、私にとってはマイナスもないけどプラスもないわね」


 次女は俺が下手に関わって家族に累が及ぶのを警戒しているらしい。


「向こうも辺境の男爵家なんて眼中にないって」


 ただ、気になることがあるのは事実だ。


 あのマリエという女が、これから何をしようとしているのか気になる。


 次女が俺に注意してくる。


「一学期の終わりには学年別のパーティーがあるわ。あんた、下手なことをして私に恥をかかせないでよね。まったく、これじゃあ男もまた選び直さないと」


 忙しい次女が部屋を出て行こうとする。


「あ、それと、あんたは相手が見つかったのかしら?」


 ニヤニヤしている次女を見ているとイライラする。


 こんな次女でも、結婚したいと申し込む男子が後を絶たないらしい。選り取り見取りとは羨ましい限りだ。


「見つかったら苦労なんかしないっての」


「でしょうね。あんたはちょっと目立っただけで魅力なんてないし。もう少し男を磨いたら?」


 俺は鼻で笑う。


「その魅力もない男の金で奴隷を買って貰えた気分はどうだ? 聞かせてくれよ、お姉様」


 すると、次女は「くたばれ、愚弟!」と吐き捨てて部屋を出て行った。


 一人になった俺は椅子から立ち上がると背伸びをした。


 部屋で置物を装っていたルクシオンが浮かび上がる。


『朝から賑やかなことです』


「一学期が終わるのか……パーティーとか流石貴族、って思えば良いのかな? よく分からないや」


 乙女ゲーの世界。


 学園の一年の行事は日本の学校をモデルにしているのが分かる。


 まぁ、日本人向けのゲームだし、その方が馴染みもあるから仕方がないのだが……。


「一学期……友達とダンジョンに入って、お茶会をしていたら終わった」


『成果がゼロでも、マスターにとっては有意義な時間を過ごしましたね。基本、マスターは怠け者ですから。動いている分だけマシです』


「お前、俺に恨みでもあるの?」


『新人類は嫌いですから、そういう意味ではマスターも嫌いです』


「その俺にこき使われるとか悲しいAIだな。一生こき使ってやるから覚悟しろよ」


『楽しみなことです。それにしても、本当に慌ただしい学園生活ですね』


 日々の授業とは別に、ダンジョンに入って小遣い稼ぎ。


 その金を元手にお茶会を開いて女子を招待しては、失敗を重ねていたら終わってしまった。


 本当にあっという間だった。


「……なぁ、情報とか集められるか?」


 ルクシオンは基本的に忠実だ。


『公爵令嬢の周辺を、でしょうか? 可能ではありますが、スリーサイズなどの情報は調べても教えませんよ』


「……教えてよ」


『お断りします』


「そうかい。なら、姉貴の話が本当か調べてくれるか?」


『噂の確証が欲しいと? マスターにどんな関係があるのですか?』


「ただの好奇心だ」


『野次馬根性ですか。度し難いことです。では、噂の確認に向かいましょう』


 そう言ってルクシオンはボディーに周囲の風景を写し、溶け込むとそのまま部屋を出て行って情報収集に向かうのだった。


 あいつ、何でも出来るな。


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