20 千変万化②
全ての力を絞り出すつもりで駆ける。必死に呼吸を整えながら、ただ脚を動かす。
薄暗く、細い道をただひたすらに進んでいく。冷たい空気が頬を撫でた。
グレッグ様にギルベルト少年、ルーダとティノがすぐ前を走っている。
全力を出しているのにその差が縮まる様子はない。
僕は気づいた。
あれ? もしかして僕を置いていかないように手加減してくれてる?
大剣を手に持ちながらも平然と走っているギルベルト少年が後ろの僕を振り返り、眉を顰めた。
僕が来る前は危機的状況だったにも拘らず、今の彼の表情には余裕があった。まさか走りながら回復したのか。
「そんなスピードじゃ、追いつかれるぞ。もっと速度を上げた方が――」
「馬鹿ッ! クライは、怪我してるティノに気を使ってるのよ!」
「!! そ、そうだったのか……悪かったな」
怒鳴るようなルーダの指摘に、ギルベルトがハッと気づいたように謝罪した。
え? 怪我してたの? そして僕の全力の速度は怪我したティノと同じ速度なの?
え? 別に遅くないよね? ティノが速いだけだよね?
もしかして僕、無意識の内に気を使っていた?
ちょっと傷ついたが、その言葉で少し落ち着いた。後ろから変わった物音がしないことを確認して立ち止まる。
僕に盗賊の技能はないが、もしも追手があったらティノが教えてくれるだろう。どうやら撒いたようだ。
立ち止まった僕を見て他のメンバーも立ち止まる。探索中に仲が良くなったのか、随分素直だ。
「?? もういいのか?」
「撒いたみてえだな。やばかった。本当に助かったぜ」
グレッグ様が礼を言ってくるが、本来なら謝罪するのは僕の方だろう。
だが、今はとりあえず体制を整えるのが先だ。
ゲロ吐きそうな気分を我慢し、軽く切れた息を整え、ティノの方を見る。
ティノが僕の視線に、怯えたように自身の肩を掻き抱いた。
「ま、ますたぁ……」
「クライ。ティノも――ほ、本当に頑張ったのよ」
ルーダが何故か言い訳するかのような口調で言う。
「うんうん。そうだね。……ごめんね。その一言で済んだらどれほどいいことか」
「!?」
言われるまでもない。頑張ったのはその姿を見ればわかる。
激しい動きをしたのか、いつも綺麗に整えられている髪は乱れ、顔色も悪い。何処かに引っ掛けたのか、黒のショートパンツの右腿の辺りが切り裂かれており白い肌が見えていて、そのコントラストに視線がつい吸い寄せられる。
視線に気づいたのか、ティノが不意にその裾をつかんで大きく腿をむき出しにする。
……こんなところで何やってんの、君。ただでさえ丈が短いのに……パンツ見えるよ。
ティノが恥ずかしそうに目を背ける。唇を結ぶティノをじろじろ見ていると、ギルベルト少年が呆れたように言った。
「千変万化、お前、治療までできるのか……」
…………あー、受けた傷ってそこかぁ。言おうよ。気づかないよ。いつもの悪ふざけかと思ったよ。
いや、まぁ止まったのは治療のためなんだけど。
見せつけるように差し出される発達した白い腿。
薄っすら血管が透けて見えるが、傷などは見えない。
だがまあ、見えないだけでダメージがあるのだろう。なにせそのせいで僕の全力と同じくらいの速さでしか走れないみたいだからなあ。
もちろん回復用の宝具も持っている。むしろ僕が持っていないわけがない。
首にかけていた銀の十字架のネックレス――『慈悲深き献身』を外し、ティノの腿に当てる。
十字架から放たれた青の光が染み込むように腿に消えると、その表情が一瞬緩んだ。ごめんねー、気づかなくて。
「ありがとうございます。ますたぁ。痛くなくなりました」
まぁ、ティノにはまだ頑張ってもらわないといけないからな。
治療光景を見て、どこかほっとしたようにギルベルト少年が言った。
「ああ……さすがに治療は宝具なのか」
全部も何も、なにもかもが宝具ですけどそれが何か?? ん? 悪いか?
ここが宝物殿じゃなかったら機嫌を損ねてクランハウスに帰ってるところだ。
「クライ。あのウルフナイト達は……倒したのか?」
今まさに走ってきた道を警戒しながら、グレッグ様が尋ねてくる。
倒したかどうかで言うと、まず間違いなく倒していない。
狼は鼻が利くという。先程のウルフナイト? らが恐れていたのはカプセルに付着したスライムの臭いだろう。
スライムに臭いがあるのかどうかわからないけど、それ以外に考えられない。
きっと今頃連中は怒り狂っているだろう。空っぽの金属カプセルに騙され獲物を逃したのだ。
これから僕達が考えるべきことは逃げることだけだ。
なんか凄い悍ましい姿をしていたが、宝物殿を抜ければあの幻影も追ってこないはずだ。
どうせ救助対象なんて死んでるよ。
一度ため息をつき、大きく伸びをする。剣は惜しいが命の方が大事だ。
「今考えるべきことはそこじゃない。とりあえず歩こう」
「お、おう」
さて、問題は……ここはどこで、出口はどこだろうか。
§
僕を先頭に黙々と歩く。疲労のせいか、会話はない。
白狼の巣は事前に地図を見た通り、細い通路が蟻の巣のように分岐しており、似たような光景が続いていてどこをどう通っているのかわからない。
あまり広い宝物殿ではないようだが、もしかしたら同じ道を通っている可能性すらあった。
というか、なんで僕が先頭なの? 僕、盗賊じゃないんだけど? こういうの盗賊の仕事でしょ?
このパーティ、二人も盗賊がいるじゃないか。
先に行かせようと立ち止まっても見たが、僕が立ち止まるとティノ達も立ち止まるのでいつまでたっても僕は先頭のままだった。
いつもの積極性はどうしたんだい、ティノさんや。
ティノの方を見るが、目と目が合うと、すぐに目を逸らされてしまう。
まるで拒絶されているかのようだ。ますたぁとは話したくないです、死んで下さいとでも言われているかのようだ。
んん? さっさと土下座したほうが良かったかな? この危険な宝物殿の中で? 詰んだ?
仕方ないのでわけがわからないままに前に進む。時には気分で横道に入ってみたりする。
あまり幻影がいない宝物殿なのか、一度も敵と遭遇していないのが唯一の救いだった。多分それとなくティノが幻影のいない方向に誘導してくれているのだろう。
時折、穴の中を咆哮のような声が反響して聞こえてくるが、まだ遠い。
遠いと思う。遠いんじゃないかなぁ。遠いといいなぁ。
しかし、結構歩いたのに出口にたどり着かない。方向だけは多分あっていると思うのだが、これだから洞窟型の宝物殿は嫌なんだ。
そろそろティノに土下座しようか。そう思い始めた辺りで、ギルベルト少年が耐えかねたように声をあげた。
「なぁ……もし意図的に言っていないんだったら申し訳ないんだが……これ、どこに向かってるんだ? 出口か?」
随分しおらしくなったな……だが残念ながら僕も知らない。まぁ、目標地点が出口なのは間違いないけど。
そう言おうとした時、ティノが焦ったように口を挟んだ。
「ギルベルト、ますたぁの意図を読むのも訓練の内。あと、出口には向かっていない。ボス部屋から右の道はどう行っても出口に繋がっていない」
「そ、そうなのか……」
そ、そうなのか……。内心でギルベルト少年と同じ反応をしてしまう。
出口だよ。向かっているのは間違いなく出口だよ。
でもそっか、右からは繋がってないのか……。てか、あれボス部屋だったのかよ。
じゃあ何? 今から戻らないといけないってこと?
おまけに、何? ティノ、こんな状況で訓練してたの? 出口以外にどこに向かってるっていうんだよ。他になにかある?
「でも、ねぇ、クライ。そろそろ、どこに向かっているのか教えてくれても――」
「…………」
ルーダが恐る恐る問いかけてくる。その声に情けなくなってきた。
どこに向かっているんだろう。僕はいつだって人生の迷子だ。
道標もない。むしろ何かわからないけど僕が道標みたいになってる。
とりあえずそれとなくUターンしよう。結構時間たったし、きっとあいつらもいなくなっているだろう。
ああ、人生もUターンしたい気分だ。泣きたかったが、せめて表情を引き締める。
曲がる道を選択する。二回同じ方向に曲がれば実質Uターンだ。気分を入れ替えて進んでいく事数分、ふとグレッグ様が乾いた声をあげた。
振り返ると、僕にまるで化物でも見るような目を向けている。
「馬鹿な……痕跡は……なかった。調べてすら、いなかっただろ――どうやって」
「……だから言った。ますたぁは適当なことなんてしない」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! た、助けないとッ!」
ルーダが駆け出す。そこでようやく、僕は道のずっと先で横たわる何人もの人影に気づいた。
大きさ的に幻影ではない。目を凝らすと、僅かに動いているのが見える。
なにそれ。グレッグ様もまさか今のに気づいて言ったの?
君たち、本当に目がいいなぁ。僕、下手したら気付かず途中で曲がってたぞ。
しかし、もしかしなくても今回の救助対象かな?
まさかまだ生きてるとは……運いいな。その幸運に是非あやかりたい。
ティノがどこか誇らしげに胸を張り、僕に眩しそうな目を向ける。
「だから言った。ますたぁは全部、読んでるって」
「いやいや、常識的に考えてどう見ても偶然でしょ」
そんな未来を読むなんて、宝具でも無理だよ。
「……なんで案内した本人が言うんだよ」
当然のことを言う僕に、ギルベルト少年が呆れの入った目を向けてきた。
§
救助対象はグレッグ様より更に大柄な男だった。
鈍色に輝く全身鎧に、緑に塗られた大きな盾。横には戦争で歩兵が使うものではない、円錐状の槍がいつでも掴めるように置いてある。
ロドルフ・ダヴー。聞いたことなかったし、今はぐったりしているが、その巨体はレベル5認定のハンターと言われても納得できる威容を誇っていた。
どうやら骨が折れていたらしい。
スムーズな動作で、僕にはどこを外していいのか見当も付かなかった鎧を脱がせ、ポーションを飲ませる。ティノ達が。
近くに倒れ伏す他のメンバーも全身ぼろぼろで重傷者も何人もいたが、どうやら全員ぎりぎりで生きているらしい。こんなところで倒れていてトドメを刺されなかったのは奇跡に近いだろう。
「痛くない?」
声をかけるティノに、ロドルフが掠れた声で礼を言う。
「は……はぁ、はぁ……あ、ありがどう。た、助かった」
「礼はますたぁに言うといい」
「いや、僕何もやってないし……」
正真正銘何もやっていない役立たずなのであった。やったことはティノを送り込んだことくらいだ。
あれ? もしかして僕、礼を言われるべき?
ロドルフが朦朧とした目つきで僕を見上げる。
三日も穴蔵にいたのだ、痛みが消えても体力の消耗は激しいだろう。
せめて申し訳ないので、腰につけた鞄から、おやつとして常備しているチョコレートバーを渡してやった。
貪るかのような勢いでそれを噛み砕くロドルフ。落ち着くのを待って聞く。
「食料は?」
「ッ……うぅッ……そ、そどだ」
「ますたぁ、私達のも外です。外でキャンプするつもりでした」
「あー、そうなんだ。うちはいつも中でキャンプしてたからな」
僕の幼馴染達は危険な宝物殿をいつでも訓練できる便利な場所だと思っていた節がある。
生存した全員を集める。何人か意識がないのがいるが、ポーションを飲ませたのでとりあえず死の危険はないだろう。
しかし、全員が生きてるとなると、また新しい問題が発生してしまう。
彼らの生存はそれを依頼した探協側からしたら吉報だが、助ける側からすると面倒なことこの上ない。
まず、怪我人五人を運ぶというのはかなりの手間だ。あんな恐ろしい幻影が出るのだから尚更である。
僕達にも余裕はないのだ。ロドルフはレベル5ハンターで頼りになりそうだが、ほとんど飲まず食わずで三日遭難した状態であの幻影の相手をするのは無理だろう。
そもそも、負けたから今の状況があるんだろうし。
むしろ動けるの? そんなでかい鎧着て。
それ運ぶのとか普通に無理だよ。多分槍を持ち上げるのすら無理だ。宝具があれば話は別なんだけど。最悪脱いでもらわないといけないだろう。
まだ意識が定まらないロドルフを叱咤し、状況の確認を始める。ティノが。
こんなところでいつまでも倒れていたらいつ幻影がやってくるかわからない。
ロドルフは運が良いのかもしれないが、僕は凄まじく運が悪いのだ。
ロドルフはベテランだ。五人もいれば白銀のウルフナイトにも負けないだろう。
ティノの質問に、ロドルフが一瞬唇を強く結び、震える声で訴え始めた。
大きく見開かれた緑の目がただそれだけで受けた恐怖の大きさを物語っている。
「はぁ、はぁ……や、やばいのが、いる。こんなの、レベル3じゃねえッ……ここには――やばいのが、いるんだ。油断、していなかった。だが――通じなかった。槍も、こいつの、攻撃も――」
「ああ、わかってるよ。なんか人の骨で顔の右半分隠してる狼の騎士だろ。俺達も戦ってきた」
ギルベルト少年が、身を震わせ語るロドルフの言葉に肩を竦めてみせる。空気読めてない少年だ。
だが、ロドルフはその言葉に、目を見開き、大きく首を横に振った。
「は……半分? ち、違う。俺達、やられたのは、傷を負ったのは――顔全体を、骨で隠した、幻影だ。早く逃げなければ――」
蒼白の表情。かっと見開かれた目はまるでその『敵』を幻視しているかのように恐怖に揺れていた。
クレームを入れたい気分だ。
あれより強いのがいるのか……どうなってるんだよ、この宝物殿。
……いくら運悪いなんて言っても、ま、まさか出会わないよね?
笑い飛ばしたかったが、とてもそんな気分にはなれなかった。
§ § §
ふと足音一つなく入ってきた小さな影に、白銀のウルフナイトがゆっくり顔をあげる。
その足の下にはひしゃげた金属片があった。
嗅いだことがないくらい強い死の臭いが染み付いた金属片だ。
だが、もうそれが安全であることを、自分が騙されていたということを、かつて存在したシルバームーンと同等以上の知能を持ったその個体は理解していた。
次に出会ったら、バラバラにできるということも。
身の丈程もある巨大な大剣を持ち上げ、どこか億劫そうにも見えるゆっくりとした動作で影を振り向く。
顔面の右半分を隠した骨の眼窩から覗く真紅の目が、先程よりも強い恨みを湛えている。
待ち伏せするように部屋に溜まっていた他の二体――弓を、棍棒を持った同格のウルフナイトが同じように顔をあげた。
その視線の先にいたのは――顔全体を歓喜の笑みを浮かべた骸骨で隠した小さな人影だった。
身の丈は天をつくほどの大きさを誇る白銀のウルフナイトの三分の一もないが、その身に纏う死の気配はウルフナイトのそれを大きく越えていた。
その手に握られたのはミドルサイズの抜き身の剣だ。白銀のウルフナイトの持つ武器と異なり、透き通るような透明な剣身の剣だった。
『静寂の星』
明らかに異なる輝きを持った宝具が、無造作に下ろされた腕の下で揺れる。それがかつてレベル8のハンターの背にあり、途中で投げ出されたものであることをウルフナイト達は知らない。
身に纏うはプレートメイルとは異なる、まるで身の軽さを重視したような酷く人間じみた軽装。しかし、その膝近くまでを覆ったブーツのみが、ウルフナイトの鎧を思わせる黒金に輝いていた。
『白狼の巣』という宝物殿はかつての蹂躙の歴史、魔獣シルバームーンの残した呪いそのものだ。
染み付いた怨嗟の感情はその巣穴に蓄積したマナ・マテリアルに強い影響を与えた。
そこにあるのは人への憎悪であり、同時に強い憧れだ。
力への憧れ。姿への憧れ。知恵への憧れ。
憧憬と憎悪は表裏一体。
白銀のウルフナイトが二足で立つのも、道具を纏うのもその現れである。そして、その頭の半分を覆う人の頭蓋を模した骨も、また。
ならば、完全なる骨で顔を隠す個体は?
マナ・マテリアルの不足により、そこまで強い呪いを実現できなかったその宝物殿は今や、レベル5のハンターを撃退出来るほどの魔境と化している。
三体の白銀のウルフナイトの前に、笑う頭蓋骨で顔の前面を覆った影が淡々とした足取りで進む。
かつて抱いた憎悪を込め、ウルフナイト達が咆哮を上げた。