SNS投稿で罷免は「バランス欠く」 弁護士が読み解く弾劾裁判

裁判官はどんなことをしたら辞めさせられるのか。「司法の独立」を守るために身分の保障があるが、戦後8人目となる「罷免(ひめん)」の事例があった。

 国会議員でつくる裁判官弾劾(だんがい)裁判所(裁判長=船田元・衆院議員)は4月3日、SNSの投稿で殺人事件の遺族を傷つけたなどとして岡口基一元判事に罷免の判決を言い渡した。法曹資格が奪われ弁護士になることもできず、裁判官にとっては「死刑」のような厳しい判断だという。司法の独立や表現の自由など様々な論点がある今回の弾劾裁判について、刑事・行政裁判にも詳しい金岡繁裕弁護士に聞いた。

――判決をどう読みましたか。

 「裁判官弾劾法には罷免できる要件の一つを『裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき』としています。非行とは何か。判決は、『一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位を辱める行為』という。でも、品位というどうとでも解釈できるキーワードを使って、法曹資格を奪うような強い制裁をしていいのでしょうか」

 「裁判官にとって品位を辱めるとは何でしょう。基本的な法律がわかっていないとか、勉強が足りないとかは職業上の品位を辱めるかもしれません。しかし、上半身裸の自分の写真を私的に投稿したり、注意を引くために面白おかしい表現を用いてブログを書いたりするのは個性ではないか、と私は思います。そんな裁判官はけしからん、という人もいるでしょうが、価値観の違いだけで品位を辱めるかどうか、となると判断が難しい。そんなあいまいな基準で、罷免という『死刑判決』にするかどうかを決めるのは、危険です」

 「さらに問題なのは一般国民の尊敬と信頼を裏切ったかどうかをはかるのに、遺族が傷つくようなことをしたのだから、品位を辱め、非行にあたると認定したことです。国民の信頼を害したという事実は何ら立証されていません。裁判所の裁量に属するから立証責任は問題にならないと、判決で開き直っていることにも驚きました」

国民の信頼害した事実とは

 ――罷免の要件には「著しい非行」があり、「著しい」という絞りがかけられています。

 「実際にはまったく絞りをかけていないのです。判決は、国民の信託に背反したことが認められる場合に限って非行が『著しい』ものになると一見、慎重な言い回しをしています。しかし『一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位を辱め』ることと、『国民の信託に背反』とは、同義で、絞りになっていません。実際、判決を読むと、結果として被害者が傷ついているのだから『著しい』非行があったとしか言っていない。つまり、『(岡口氏の)真意はどうであれ、結果として遺族を傷つけた。おわり』です。中身がスカスカの議論です」

 ――結果責任だけを問題視しているようにも受け止められます。

 「法律家の世界では、責任には行為責任と結果責任があるといわれます。問われるべきは本来、行為責任のほうなのです。どんな意図でやったのか、どれぐらい危険で悪いことをしたのかを議論したうえで、制裁の度合いを決めます。ところが、結果だけを見て結論を決めたのが今回の判決です。法曹の『命』を止めるほどのことを岡口さんはしたのでしょうか。判決は結果的に傷つけたから非行だと繰り返していますが、説得力を欠いています」

 ――岡口さんの行為をめぐって様々な評価があるとしても、罷免は均衡を欠いているという指摘もあります。

 「制裁は目的達成に見合った最小限度でなければならないというのが、憲法が要請する比例原則です。ところが、判決はこの視点を欠いています。罷免判決は裁判官の身分を失い、法曹資格も失い、退職金も失うという、幾重にも過酷な制裁を科すものですから、岡口さんの行為がその制裁に値するのかを丁寧に議論しないといけません」

 「弁護団も比例原則の観点を指摘しましたが、判決は『不利益処分との均衡は一定程度考慮すべき』としかいっていません。比例原則は絶対的に考慮すべきなのに、『一定程度』しか均衡を考慮しないというのは驚きです。しかも、その一定程度の均衡とやらが保たれているのかについて、判決は黙して語っていません」

裁判官の自由な表現萎縮させる

 ――今回の判決は裁判官の表現の自由に対する萎縮を招くという懸念もあります。

 「萎縮効果は非常に大きいと思います。裁判官の品位という緩い基準で罷免を認めてしまったので、何でもかんでも品位の問題にされてしまう。かつて、裁判官が『日本野鳥の会』に入会するかどうか悩んだというエピソードがありました。裁判官が萎縮してしまっていることを象徴するような話ですが、そんな時代に戻ってしまうかもしれません。何かを発信すれば品位を汚すと言われかねないからです。価値観が多様化し、言説が容易に反発を招く現代において、品位を基準とした制裁は裁判官の私生活を過剰に束縛するでしょう」

 ――弾劾裁判が権限乱用の場になりかねないという危惧も憲法学者から出ています。

 「その危うさが現実になったのではないでしょうか。刑事弁護人をやっていて実感するのは、被害者の言うことに逆らいにくい環境が生まれていることです。もちろん、被害者の権利を守ることは大切ですが、被疑者・被告人の権利が小さくなるのはおかしい。両方大切なのです。ところが、被害者が傷ついているのだからとにかく重い罰を与えなければならない、手続き保障や立証責任はそこまで不要だというのはポピュリズム(大衆迎合主義)でしょう。国民の信託に背反したことがちゃんと立証されていないわけですから」

 ――弾劾裁判所の岡口さんの公判は22年3月の初公判から第2回まで8カ月空いています。初公判から判決まで約2年間、公判の回数は16回。初公判から結審までの15回で裁判員14人が全員そろったのは4回。判決の最終判断に関わった12人のうち15回全てに参加したのはわずか3人でした。弾劾裁判の仕組み自体にも問題があるような気もします。

 「私は弾劾裁判の仕組みに詳しいわけではありませんが、刑事弁護人をやっている立場からみると裁判官弾劾法には刑事裁判では『命』にあたる手続き保障的な規定がごっそりありません。唯一あるのは裁判官を尋問できるという規定(28条)と、必要な証拠調べをできるという規定(29条)です。すでに指摘しましたが、どの程度の立証が必要なのかもはっきりせず、厳格な証明責任を課す刑事訴訟法を意識した条文であるのに不徹底です」

「今回の判決にいたっては、岡口さんが『司法に対する国民の信頼』を害したのかは裁判員(国会議員)の良識に依存し、立証の程度や方法も弾劾裁判所の裁量に属するというのです。つまり、立証責任というものから解き放たれて、裁判員である国会議員がどう感じるかにすべてが委ねられている。手続き保障規定がないというのは人権保障がない、ということです。こんな古色蒼然(こしょくそうぜん)とした制度でいいのか。制度改革は必須です。今回の判決を機に見直しの議論を始めるべきだと思います」

制度の改革論議始めるべき

 ――弾劾裁判は司法への国会の牽制(けんせい)機能でもあります。

 「司法に対する民主的コントロールの柱は、最高裁裁判官の国民審査と弾劾裁判の二つです。今回の問題は岡口さんと遺族の方との紛争であって、制度の想定からは大きく外れたところにある。性質上、民事裁判で決着をつけるべきものです。岡口さんは慰謝料の支払いも命じられている。本人は裁判官の再任希望を出さないとも言っていた。さらに法曹としての息の根を止めるのはやり過ぎです」

 ――弾劾裁判は国会議員によって構成されています。

 「今回の事件では、裁判官のあるべき身分保障や裁判官のあるべき市民的自由、比例原則など考えるべき論点はたくさんあった。判決は岡口さんの真意はどうであれ、遺族を傷つけたのはけしからんという結果だけを見て、思考を停止した。比例原則は憲法が求めていることです。今回の裁判で浮かび上がったのは、政治家たちには憲法に関する素養が欠けているのではないか、ということです」

 1980年生まれ。刑事や行政事件を多く手がける。司法の様々な問題を「コラム」で発信。共著に「保釈を勝ち取る」など。

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