分かたれた道のその先で
付き合っているアオチリ。
死を扱うお話です。苦手な方はご注意ください。
作者はハピエン厨です。
追記
まさかこんなに沢山の方に閲覧していただけると思っておらず、録な注意書きもせずにすみませんでした。
かなり特殊な設定になっており、読む人を選ぶ作品です。具体的には
・死ネタ(のようなもの)
・身体欠損(のようなもの)
・年齢操作(のようなもの)
を含む内容です。
つまり、何でも大丈夫な方向けです。今更ではございますが、ご注意ください。
最後になりますが、閲覧、ブクマいただきました皆様、ありがとうございました!
この二人のその後のお話(年齢制限あり)→novel/19323963
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「長期出張が決まりました」
アオキとチリが自宅のソファで二人くつろいでいる時、不意にアオキが告げた。
マグカップに口をつけようとしていたチリは、動きを止めた。
アオキの長期出張。その意味がわからないチリでは無かった。
「いつまでなん」
「期間は未定です」
期間未定の長期出張。営業の、ではもちろんない。
「いつからなん」
「明日」
明日。二人が共に過ごせるのは、今日が最後、なのかもしれない。
不安を見せないようにチリは努めていたが、アオキにはお見通しのようで。ふ、と微笑みを漏らすと、チリの頭をそっと撫でた。
「必ず帰りますよ」
かならず。そんな言葉をこの男が使うなんて。
過去にこの男が必ずと言うのを聞いたのは、付き合いだしたその時だけ。「必ず幸せにします」と目を見て告げた、その言葉に頷いてから、もう1年になる。
年の差やお互いの立場など、世間体を気にすれば、付き合わない理由はいくらでもあった。それでも手を取る勇気を得られたのは、アオキの真摯な言葉と、こちらを真っすぐ射貫く眼差しがあったからだ。バトルの時のような、あの強い眼差しを受けて、これ以上自分の気持ちを棚に上げて逃げ回ることは出来ないと観念した。チリはアオキの事を、ずっと前から愛していた。
付き合いだして1年。同棲して半年。もうチリの生活に、アオキは欠かせないものになっていた。
「待ってるからな」
チャンプルタウンの守り人は、明日、禁足地へ向かう。
アオキが長期出張へ出てから半年が経っていた。チャンプルタウンにある二人の家で、チリは一人待っていた。
元々一人暮らしは長かったし、一人で過ごすのが苦になるタイプでもない。帰ってきたアオキをいつでも出迎えられるよう、部屋を綺麗に片づけて、愛しき人が帰る日を待ちわびていた。
『ロトロトロトロト』
スマホロトムが鳴る。その瞬間、心臓に氷が刺さったような気がした。
何故だかとても嫌な予感がする。
発信者は——オモダカ。
「はいまいど、チリちゃんです。……すぐ、行きます」
チリの雰囲気の変化を敏感に感じ取った手持ちのポケモン達が、そっと寄り添う。
「ポケモンリーグ行くで」
ポケモン達をボールに戻し、チリは職場へと急いだ。
『アオキの事で、……伝えたいこと、が、あります』
先ほどのオモダカの声が脳内をリフレインする。良い内容では無いのは、声色からも、妙に歯切れの悪い言い回しからもありありと分かった。オモダカは隠し事が苦手なタイプではない。むしろ、どんな場面でも動揺を見せず凛と振る舞う姿勢こそが、彼女がトップたる象徴のようなものだった。
そのオモダカが、かすかに声を震わせていた。
チリの気は急くが、そらとぶタクシーはいつもと同じ速度で目的地へ向かう。焦れたチリは、そっと舌打ちした。
漸くポケモンリーグに着く。タクシーを飛び降りると、ハッサクがチリを待っていた。
「トップの場所まで小生が案内しましょう」
静かにそれだけを告げ。前を行くハッサクは、どこまでも冷静で、それが逆にチリの不安を煽った。激情家の彼がこんな風に己を律するのは、きっと。
嫌な予想ばかりが脳裏を過る。ここに来るまで何の詳細も与えられていない頭は、どんどん最悪を予想していく。落ち着け。意識して深呼吸し、ハッサクの後を追う。
「待っていましたよ、チリ」
扉の前で、オモダカが立っていた。目元が少し赤いような気がして、視界が一瞬ぐらりと揺れる。まだ、まだだ。勝手に最悪を考えるな。そうだ、信じろ。
アオキは言ったではないか。『必ず帰る』と、そう言っていたではないか。
オモダカが静かにドアを開く。
そこには、四天王のグローブを嵌めた、右腕があった。
見間違えようがない。これはアオキのグローブだ。
そっと近寄り、腕に手を添わす。冷たい。そっと、グローブを外した。
あの日、チリの頭を優しく撫でた手が、そこにある。
涙が溢れ出す。それでもチリは、言わなければならない。
「おかえりなさい、アオキさん」
もう、嗚咽をこらえる事は出来なかった。声を上げて泣くチリを、撫でてくれる手は、もう無い。
アオキは右腕以外発見されなかった。手持ちのポケモン達も同様に、見つけることは叶わなかった。現場の状況から、アオキは死亡したと断定された。
葬儀は、小さなものだった。喪主はチリが務めた。ポケモンリーグのデータを探っても、アオキの両親が既に他界している事以外、近親者の存在は見つけられなかった。チリは、アオキの両親の事も知らなかった。まだ1年しか、共に過ごしていなかったのだ。もっともっと知りたいことはあったのに、早すぎる別れだった。
チリが喪主である事を知った参列者たちは二人の関係を察し、ひと際沈痛な面持ちを浮かべた。
チリは泣かなかった。笑いもしなかった。表情を失ったようなチリに、アオキの面影が映った。
チリは今も、チャンプルタウンで一人暮らしている。アオキと二人の家で。
アオキと付き合う前も、アオキの帰りを待っていた時も一人だった。でも、あの頃はこんなに辛くなかった。
今日にも帰ってくるかもしれない。もう帰ってこないかもしれない。揺れ動く気持ちを抱えながら過ごしていたあの日々は、チリの生来の前向きさと、『必ず』というアオキの言葉が後押しし、どうにかいつもの『チリちゃん』を保っていた。
もう彼は帰ってこないのだという事が、信じられない。信じられないのに、あの頃のように必ず帰ってくると信じることもできない。持て余した感情は、チリを追いつめた。
アオキの事を思えば辛いと分かっていても、考えずにはいられなかった。心のどこかでまだ帰りを待ってしまう自分がいた。こんなにチリが待っているのに、待てども待てども帰ってこない。
アオキに夢の中で微笑まれた日など、涙が止まらなかった。ああ、好きだと思った瞬間に目が覚めた。アオキがチリに微笑みかけるなど、日常であるはずだったのに。アオキはもっとチリのそばで、しわくちゃになるまで共に過ごすはずだったのに。
どんなに辛くても、チリは懸命に生きた。アオキを思い泣き、アオキを思い生きた。
彼が必死に守ったものを、無に帰す事は出来なかった。
アオキ亡きあと、チャンプルタウンのジムリーダーは、チリが兼任している。兼任して初めて、チャンプルジムリーダーの責務の重さを実感した。アオキはこの重責を負ってなお、チリに微笑みかけたのだから、恐ろしい男だ。
とはいえ、今やチリはアオキに負けず劣らず、多忙だった。チャンプルのジムリーダーをしながらも、面接官も四天王の先鋒も譲らなかった。譲れなかった。己を多忙の中に置いていないと、負けてしまいそうだった。
チリは知ってしまった。一人で暮らす寂しさを。帰ってこないと知った人を心で求め続けてしまう苦しさを。最愛の人を失った悲しさを。
今にも弾け出しそうな感情を抑え込む為に、チリは働き続けた。
はじめの1年は、毎日ゼロゲートに花を手向けた。アオキのためにできることが他に思い浮かばなかった。
朝はあまり食べないタイプだったが、おにぎりを食べるようになった。「朝食は大事ですよ」というアオキの声が頭の中に穏やかに響く。おにぎりをじっと見つめると、嬉しそうに食べるアオキの姿が目に浮かぶ。
何をしていても、脳内でアオキが顔を覗かせるので、そのたびにチリは人目を忍んで少しだけ泣いた。
やがて、花を手向けるのは週に一度になり、月に一度になり、年に一度となった。朝食のおにぎりは習慣となり、感情を動かされることは無くなった。
今日は年に一度、アオキに花を手向ける日だった。右腕が見つかったあの日を命日と思い定め、そっとゲート脇に花を置く。あれから10年が経っていた。
チリは、今もなおアオキを愛してやまなかった。月日とともに薄れるかと思えた気持ちは、全くもってそんなことは無く、むしろ日々、思いは募るばかりだった。
誰にも受け取ってもらえない愛を抱えて、チリは生きている。辛くないと言えば嘘になる。それでも、やめられるようなものではなかった。
「アオキさん」
そっと呼びかけながら、ゲートに目を向ける。
そんなチリの目の前で、ゲートが少しずつ開き始めた。
目を見開く。信じられない思いでゲートを見つめる。
まさか。あの事故以来ゲートはより厳重に封鎖されている。鍵を持っているのはトップであるオモダカと、博士の息子であるぺパーと、チャンプルジムリーダーである自分だけ。
あとは……失われた4つ目の鍵。
アオキとともに消失した、あの鍵があるだけだ。
呆然としていると、目の前にふらりと人影が現れた。
まさか、そんなことがあるわけ。
意外とがっしりした体躯。跳ねた髪。疲れた表情。
片腕を無くし、10年前とそっくりそのままの姿のアオキが、そこに立っていた。
「アオキさん!」
慌てて駆け寄る。ぐらりと揺れた身体を支え、二人で崩れるようにしゃがみ込む。
しばらくの無言の後、じっとチリを見つめたアオキが囁くように言葉を発する。
「あなたは今、いくつですか」
震える声でチリは答える。涙が頬を伝う。
「そう、……10年。10年経っても、貴女は美しいのですね」
そう呟いて、アオキはそのまま意識を失った。
アオキはチリによって病院へ運び込まれた。全身傷だらけだったものの命に別状は無く、右腕の切断面も適切に処置されていたため、感染症の類の心配も無いとのことだった。
アオキの懐には、手持ち達のモンスターボールがあった。こちらも全員ひんしではあったが、ポケモンセンターの処置で回復が見込まれた。
アオキは諸々の検査を終え、病室へと落ち着いた。チリがそっと寄り添う。
チリは涙を流しながら、微笑んでいた。彼女が感情をこんなにも表面に出すのは、久しぶりの事だった。
「アオキっ……」
病室の扉が開く。オモダカが四天王を連れ立って室内に飛び込んできた。
オモダカはアオキを見て呆然とした後、両手で顔を覆い崩れ落ちた。静かに涙を流すオモダカの肩を支えるハッサクも、声を上げずに泣いている。後ろから飛び出してきた少女が、アオキに抱き着く。
「おじちゃん!」
チリもオモダカもハッサクも、驚くほど若々しかったため、10年が経ったという事をいまいち掴み切れていなかったアオキだったが、自分にしがみつく少女を目にし、初めて流れた時の長さを実感した。
あの頃の面影を残してはいるが、しっかりと少女へと成長している。こんなにも大きくなったのかと、親戚のおじさんような心持ちを覚える。
なんと答えていいかわからず、おずおずと不器用にポピーの頭を撫でる。ポピーはまた、わっと泣き出してしまった。
部屋に、もう一人少女がいる事に気づく。いや、少女だったころの面影をこちらも残してはいるが、もう立派な大人の女性になっている。
アオキの視線に気づいたチリが、声をかける。
「今の、四天王は、あの子がやってるんやで」
そこにいたのは、チャンピオンアオイだった。そうか、この子が今は四天王をしているのか。
「お久しぶりです、アオキさん」
涙を浮かべ、声を震わせながらアオイが声をかけてくる。
「立派になられましたね」
彼女にならば、任せても安心だと思えた。
オモダカとチリが残った病室で、アオキは事の次第を報告した。
エリアゼロ最深部でパラドックスポケモンに囲まれ窮地に陥っていたアオキは、不意に背後から光を感じ、振り向いた。そこには完全に停止していたはずのタイムマシンが稼働しており、そのままアオキは右腕を置き去りに過去に飛ばされた。
過去で、アオキはオーリムに会ったという。正確には、オーリムの姿を模したAIに。
オーリムAIから右腕の手当を受け、タイムマシンを再稼働してもらい帰って来たらしい。
古代には、見たこともないポケモンがまだまだいる。エリアゼロへ出て来ていたポケモン達は、極々一部だった。興味をそそられないでは無いが、それは、己たちには不可侵の領域だ。
アオキが見聞きしたものの詳細は、オモダカとチリにのみ共有される事となった。
今回の件を踏まえ、またタイムマシンが作動しないとも限らないと、ゼロゲートはより厳重に封鎖される事となった。
「もう、大丈夫だと思いますよ」
アオキは穏やかに語った。アオキには、これ以上パルデアに古代のポケモンが現れる事は無いと信じられた。
タイムマシンはもう限界ギリギリだった。どうにか調整を重ねアオキを送りだしてくれたが、10年未来に繋がってしまっている。オーリムAIも、これ以上はマシンが持たないだろうと語っていたし、万が一を考えて機能を完全停止するよう尽力すると請け合ってくれた。
もちろん、ゲートの厳重封鎖に異論は無かったが。
アオキの退院は意外と早く決まった。元々頑丈な身体ではあったし、本人としては何日も彷徨っていたわけでもないので、外傷さえ治れば、動き出すことができた。ただ、利き手である右腕を失っていることが、行動に支障をきたしてはいたが、チリが上手くカバーしていた。
腕以外に目立つのは、頬に残る大きく深い傷跡だった。顔に位置するため、腕よりも目立つとすら言える。しかし、この傷についても、チリが「えらい男前になったなあ」と人目も憚らず口づけを落としたため、本人は元より、周囲も気にすることは無くなった。
また、皮肉な事ではあるが、二人は誰から見ても似つかわしいカップルとなっていた。
元々付き合い始めてからは年の差など気にしていなかったし、今更年の差が近づいた事で嬉しいとは思わない。アオキにとっては、この美しい人の10年間を見逃した事が何よりも惜しまれた。
ただ、チリはどこに行っても夫婦として扱われることに、少しだけ喜んだ。
程なくして、アオキはチャンプルのジムリーダーに復帰した。四天王にはアオイがいるし、営業としては見た目がいかつすぎるため、ジムリーダー専任となったのだが、オモダカにしょっちゅうリーグへ呼び出され、あれこれと仕事を押し付けられているため、リーグの事務職員として二足目の草鞋を履くことになるのは、時間の問題ともいえる。
今のところジムリーダー専任のアオキは、バトルの強さは折り紙付きだ。
あの力強いサイドスローはもう見れないが、片腕を失い、顔に大きな傷のある男の気迫は、以前よりも増すようだった。
おかげで、バトル後のご飯タイムに滲み出る笑みは、前よりも深いギャップをもたらし、アオキはちょっとした人気者になっていた。もちろんチリは嫉妬するのだが、アオキには何が何やらわからない様子だった。
「アオキさん、ちょっと散歩しませんか」
諸々の処理が片付き、二人の生活が落ち着きだした頃、チリはアオキを誘って外に出た。チャンプルタウンから南東へ向かって、坂を登る。向かう先は、ゼロゲート。
野生のポケモン達を刺激しないよう、ゆっくりと歩く。手を取り合い、ふとした拍子に視線が交わり微笑みあう。穏やかな時間が訪れる。チリにとってこの10年間で、何よりも求めていたものだった。
「アオキさん、バタバタしとってずっと言えんでごめんな。……おかえりなさい」
「……はい、ただいま」
アオキがそっとチリを抱き寄せる。優しく頭を撫でる手に、チリの涙腺が緩む。
「帰ってきてくれて、ありがとう」
アオキの胸にチリが顔を埋める。アオキはギュッと、頭を抱え込むように抱きしめた。
「待っててくれて、ありがとうございます」
「ほんまやで。こんな美人さんを10年も待たせて、贅沢もんやな自分」
アオキは小さく声を上げて笑った。
パルデアにそれは仲睦まじい夫婦がある。
時間も死も、二人を分かつことは出来ない。