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この作品「【アオチリ】Meant To Be」は「アオチリ」「PKMNノマカプ」のタグがつけられた作品です。
【アオチリ】Meant To Be/ダーク♂グレイジスの小説

【アオチリ】Meant To Be

12,272文字24分

ブライダルのお仕事をすることになったチリちゃんと、その仕事に同伴することになったアオキさんの話。

表紙お借りしました。
illust/104306804

5/28インテックス大阪で行われるオルスタに、全年齢アオチリ本持っていく予定です。よろしくお願いします。
更新報告ばかりのTwitter垢→@J0J7n3

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 塵ひとつない真っ白な空間。等間隔に置かれたベンチを彩るように飾り付けられた花々。大胆に切り出された窓の向こうは抜けるような青空で、白と青のコントラストが美しい。華やかで明るいだけではなく、荘厳さも感じるこの場所は、所謂チャペルと呼ばれる場所だ。
 ベンチに挟まれた真ん中の道に佇むのは、純白の花嫁。Aラインと呼ばれる王道のドレスにはたっぷりと花の刺繍が施され、高級さを感じさせる。肩から背中までがっつりと露出しているオフショルダーでも上品さは損なわれない。萌葱色の髪の毛を沢山の花飾りが彩り、編み下ろされては緩やかにまとめられている。
 ふと、花嫁がこちらを振り返る。紅玉色の瞳がゆっくりと細められ、色っぽく微笑んだ。その視線の先に想い人がいるのだと分かるような、愛おしさでいっぱいの表情。
 瞬間、フラッシュと共にシャッターが切られる。激しい点滅を繰り返しながら、カメラマンはその一瞬一瞬を逃さずに切り取っていく。
「はい! ありがとうございます!」
 その一言で、花嫁の表情は緩み、一瞬で元の女性──チリへと戻った。
「おおきに! ちゃんと可愛く撮れてます?」
 そのコミカルな様子に、現場の雰囲気も良くなる。その様子を一歩引いたところで見ながら、アオキは一人ため息をついた。
 何故、自分がこんな場所にいるのか。回想するのも何度目だろうか。

「チリ、少しいいですか」
 四天王の控え室に突如として現れた上司は、同僚であるチリを呼んだ。自分が目的ではなかったことに安堵しながらできる限り存在を消し、ノートパソコンとの睨めっこに戻る。
「はいはーい、なんですか」
「少しお願いがありまして……チリにしか頼めないんですが」
「その話し出し、めっちゃ怖いんですけど……とりあえず聞きますわ」
 なぜだが、オモダカとチリの会話を盗み聞きしているようで居心地が悪い。アオキとて聞こうと思って聞いていたわけではない。四天王控え室という閉じられた空間であることや、二人の声量が基本的には大きいことなど理由は様々あげられる。いくら存在を消そうとしているからといって、あのオモダカが自分に気が付かないなどということはないだろう。
 どちらにせよ、オモダカはアオキがいる場で話しても問題ないと思って話し始めているのだ。聞き耳を立てている訳では無いが、聞こえてしまうことは問題ないのだろう。そう判断し、作業BGMがてら二人の会話に耳をすませた。
「実は、ポケモンリーグを懇意にして下さっている企業が近々ブライダル業界に進出するのですが、パンフレットや資料のためのモデルを探しているそうで。もしよければ、チリにそのモデルをやっていただきたいのです」
「ブライダルって……あんま、柄じゃないんやけどね」
 オモダカはスマホロトム上の資料を見せながら、簡潔に説明を済ませる。話を盗み聞きしながら、こっそりと自分のスマホロトムで企業の名前を検索したが、場所の写真だけが配置された状態の仮のホームページが出来上がっていた。
 パルデアは学生都市であるため、ブライダルの需要はそこまで高くはない。だが、広大な自然の美しさや美味しい料理を主軸に外国向けに売り出していくようだ。トップページに用意されていたチャペルの様子に、チリを重ね合わせてみる。想像でしかないが、間違いなく美しい光景だ。
 当の本人であるチリは、資料の一点に対して疑問を述べた。
「てか、チリちゃん起用するのにウエディングドレスなん? てっきりタキシードやと思ってたわ」
「これも先方の作戦のようですよ? 普段メンズライクなチリがドレスを身に纏うことによって話題性があると」
「はぁ〜……そういうもんですか」
「チリがどうしても嫌というならこの話はなかったことにします。ですが、あなたは見目麗しい。きっと花嫁姿も似合いますし、新しい企業のプロモーションとしてはこれ以上ない人材かと」
 念の為逃げ道を用意してくれたオモダカだったが、そこにはやれと言わんばかりの圧がある。自分がチリの立場だったら、面倒事を避けるために仕方なく首を縦に降っていただろう。
 チリは、暫くうんうんと唸った後、最後は首を縦に降った。
「……ほなまぁ、やりましょうか。これも広い意味でリーグのためですもんね」
 からっとした笑顔で告げたチリは、なんだか気恥しそうだった。普段から快活な彼女のそんな姿を見るのは初めてのことで。もしかしなくても、ドレス……もといスカートを履くことに抵抗があるのだろうか。考えをめぐらせた所で、一回りも年下の女性の悩みが分かるわけもない。
 オモダカはチリの返事に、より一層深い笑みを湛えた。
「ありがとうございます。後ほど日時と場所をお送りします」
「おおきに」
「あ、相手方の企業とのやりとり等もあるので、アオキも同伴してください」
「え」
 突如として自分が話題に引きずり込まれ、思わず声を上げてしまった。ついでに、今とんでもないことを告げられた気がする。
「おや、聞いていませんでしたか?」
「……いえ、聞いてはいましたが……」
「では、いいですね?」
「………あの」
「アオキ」
「はい」
「……いいですね?」
「………………はい」
 そんなこんなで、チリのモデルとしての撮影に同伴することになってしまったのだ。
 なぜ自分なのか。たまたまチリにその話をした時、近くにいて都合が良かったからではないのか。別に自分でなくても良かったのでは。これらの問答は撮影日である今日まで幾度となく繰り返されてきたものだ。
 多少撮影が難航しても問題ないよう、他の仕事は前日までにできる部分をこなしておいた。お陰様で残業続きによる寝不足ではあるが、今日はせいぜい相手方とのやり取りだけ。本業のように何かを売り込む必要もなく、ただ今後の予定や展開について話を聞いてお上に報告をすればいいだけだ。だから尚更、自分である必要はないのだが。
 撮影地に赴く前にチリと待ち合わせ、二人でタクシーで移動をしている時もずっと、なぜ自分なのかと問答を繰り返していた。チリもぼーっと窓の外を眺めるばかりで、会話らしい会話もなかったと思う。
 現場に到着してすぐに衣装室に連れていかれたチリは、暫くの間姿を見せることは無かった。その間に先方との取引含め自分のすべきことは終わってしまい、先に帰ってしまおうかとも思った。だが、同僚であるチリに挨拶くらいはしなければと思ってその場に残っていたのだ。持ってきていたノートパソコンを開き、仕事の資料を作成する。周りではドタバタと撮影の準備が行われていたので、邪魔にならないよう現場の隅に陣取っていた。
 次の仕事で使用する資料作成が丁度終わったタイミングで、スタッフ達がざわつき始める。どうやら、チリの着替えが終わったようだった。
 これでようやく帰れる。トップから押し付けられた面倒な仕事もこれで終わりだ。安堵のため息を吐きながらノートパソコンを仕舞い、帰り支度を始める。早いところチリに挨拶をして、この場を後にさせてもらおうと、そう思っていた。
 だが、その考えはドレスアップされたチリの登場によって、覆されてしまう。
「まいど! パルデアの別嬪さんことチリちゃんやで〜!」
 ドアの向こうから現れたその姿に、一瞬で目を奪われた。
 ドレスのシルエット、まとめあげられた髪、優雅な所作。お決まりの自己紹介がなければ、天使か女神が間違えて下界に現れたかのようにさえ思ったかもしれない。普段のボーイッシュな格好とのギャップも相まって、とんでもない破壊力だ。スタッフ達のざわめきも納得がいく。
 へらり、と笑みをこぼしたチリはあっという間にスタッフに囲まれ、その美麗さを褒め称えられる。だが、チリはそれに愛想良く微笑むと真っ直ぐにこちらへ━━アオキの元へとやってきた。唖然としている間にチリはもう目の前まで来ていて、ルビーのような瞳でこちらを見上げる。
「アオキさん! チリちゃん、どや? 似合っとてます?」
「あ…………っ、え、と」
 褒め言葉のひとつでも直ぐに出ればよかったのだが、口が縺れて言葉が出てこない。普段とはまるで違う同僚の姿を前にして、柄にもなく緊張しているのだと気がついた。
「チリさん、すぐ撮影始めますー!」
「はーい!」
 スタッフがチリを呼ぶ。自分になどかまけていないですぐに戻ればいいものの、チリはこちらに向き直り、周りに聞こえないような小さな声で呟いた。
「休憩時間まで、居ってくれますか?」
「え?」
「アオキさんこのまま帰っても仕事に忙殺されるだけですよね? チリちゃんの同伴っちゅーことにして、撮影見てったらええやないですか」
「……いや、そんなことは」
「目の保養や思うて、ね?」
「……はぁ」
「ほな、また後で!」
 そう捲し立てると、チリはくるりと踵を返し、撮影へと向かっていった。
 そうだ。そんな経緯があって、自分はチリの撮影の見学をすることとなったのだ。チリは気を利かせてくれたのかもしれないが、こうしてチリの撮影を見ている間にも、未来の自分の業務量が増えているのだ。だが、そんな雑念や不安が吹き飛ぶほど、チリの存在は美しかった。審美眼がくすみきっているであろう自分でも、それだけは分かる。
 ロケーションは元より、天候にも恵まれ、さらには絶世の美女がモデルだ。間違いなく、この会社のプロモーションは成功を収めるだろう。
 チリがカメラの向こうの姿なき相手役に向かって微笑みかける。その度に眩い光と共にシャッターが炊かれる。その様子を横で見ていると、何故か父性が湧き上がってきた。
 いずれはチリも、相手を見つけて嫁ぐのだろうか。彼女の場合はその端麗な容姿も相まって相手を娶っていても違和感はない。いづれにせよ彼女の選択次第で、彼女は誰かひとりのものになる、そんな日が来るのかもしれない。
「……」
 何故だろうか。そう思うだけで、なんとも言い難い切なさが腹の奥で疼いた。どろりとした黒い感情について思考を巡らすが、恐らく父性の延長のようなものだろう。実際に娘を見送ったことは無いが、チリが誰かのものになるかもしれないという切なさは見送る父親の気持ちに由来しているはずだ。
 そう思うと、余計にチリが美しく儚いもののように見えた。同僚の女性とはいえど、一回りも年が離れているし、チリを美しいと思うのは美醜の区別がつく生物として真っ当な感情だ。━━決して、自分からチリに向ける特別な感情などではない。これが、普通の感覚に違いないのだから。
 何故、そう思うのか。否、何故そう思い込みたいのか。明確な答えは出なかったが、それもまた普通なのだと自らに言い聞かせた。期待しない方がいい、ということは長い社会人人生の中で嫌という程学んできたことだ。始めから期待しなければ、裏切られることもなく、気落ちすることもない。
 自分は一体何に怯えているのか。その答えを求めようとすれば、道を踏み外してしまう。そんな予感がした。
「今から三十分休憩でーす!」
 スタッフの一人が、高らかに宣言する。その言葉に、はっと意識が浮上した。
 どうやら自分が一人、うだうだと自問自答を繰り返しているうちに撮影は一段落したようだった。休憩後はまた違う形態で撮影を再開するらしく、みな一時の休憩時間となる。思い思いに羽を伸ばしに行くスタッフを眺めていると、ヒールの音が近づいてくる。
「アオキさん」
 振り返れば、そこには純白の花嫁がいる。撮影していた時は遠い世界の出来事のように感じていたが、こうして目の前にウエディングドレスを身にまとった同僚が現れると、いよいよ感慨深い気持ちになってくる。これも多分、父性だろう。
「お疲れ様です、チリさん」
「お疲れ様です。まさかホンマに撮影見ててくれはるとは思っとらんかったです!」
「……もしや、冗談を真に受けてしまいましたか」
「冗談ちゃうよ? でもアオキさんのことやからこういうんは興味無いかなって思っててんけど……これは意外な収穫やな」
「はぁ……」
 何やらぶつぶつ言っているのは、よく聞こえなかった。
 普段の装いであればポケットに突っ込まれている手も、今はスカートの裾を踏まないようにドレスに添えられている。普段の振る舞いが見慣れているせいで失念していたが、彼女は間違いなく女性なのだ。
 気の利いたセリフのひとつでも言えたら良かったのだろうか。いや、自分のような男に言われても彼女を困らせるだけだろう。
 そんなことを考えていると、チリがぽつりと呟いた。
「アオキさんさえ良かったら、ちょっと外に出てみません?」
「え? 外……ですか?」
「さっきスタッフさんが教えてくれたんですけど、ガーデンパーティ用の庭があるらしいんです。折角やし、見とこうかなぁ思いまして」
「……なるほど」
「チリちゃん、普段と違って動きづらいし、エスコートお願いしてもええですか?」
 その申し出に、自分なんかがチリのエスコートを、と思った。だが、普段の職場とは異なるこの場で、一番チリと面識があるのは自分だった。今日会ったばかりの人を誘うのはチリほど朗らかで気さくな人物でも難しいのかもしれない。だから自分を指名したのだろう。合点がいけば断る理由はない。
「……分かりました」
「おおきに。ほないきましょ」
 そう言うや否や、チリは迷いなく自分の腕を掴んだ。まさか接触するとは思っておらず、反射的にびくりと身体が跳ねてしまう。それを気にも留めず、チリはずんずんと足を進めてしまう。スカートだからか普段よりもずっと歩幅は狭いが、ぼーっとしているうちにずるずると引き摺られていた。
 慌てて足並みを揃え、チリの隣に並び立つ。こうも真っ直ぐ歩けている女性に、果たしてエスコートが必要なのだろうかと思うのはあまりにも失礼だろうか。
 チャペルから直結している庭は、チャペル同様しっかりと整えられていた。季節の花が実をつけ、生垣は僅かな隙もないほど精巧に手入れされていた。緑が広がるその庭を見て、チリは感嘆の声を上げる。
「めっちゃ綺麗やん! 今日、晴れてて良かったですねぇ」
「そうですね」
 つまらない返ししかできない自分相手でも、チリは朗らかに微笑み返した。どう反応すべきか困っていると、チリの視線はすぐさま自分から離れ、庭を見渡す役割りへと戻った。
「あ、あそこにベンチある! ちょっと座りましょ。立ちっぱなしでヘトヘトなんですわ」
 自分が何かを言うよりもはやく、チリが腕をひく。ひかれるがままに連れて行かれ、小さなベンチの前までやってきてしまった。大人二人が並んで座ればくっついてしまうほどの小ささだ。チリはドレスを引っ掛けないよう慎重に腰を下ろす。
「ふー! 疲れたぁ! 普段と違う格好ってやっぱ疲れますね〜」
「お疲れ様です。ゆっくり休んでください」
「アオキさんも、隣、座ってください」
「え、でも」
「ええからええから」
 チリは少し空いたベンチを軽く手で示した。有無を言わせぬ物言いに、仕方なく、隣に腰をかけることにする。ドレスを踏まないよう細心の注意を払い、無為な接触をしないようできるだけベンチの端に座る。そこまでしても、チリと自分との距離は、同僚とは言い難い距離感だった。
 だが、それを気にしているのは自分だけのようで。チリはあっけらかんとした様子で再び話を再開させた。
「意外と面白いもんですね、撮影って」
「そうですね……普段の仕事では見られないので新鮮でした」
「ちょーっと草臥れはしますけどねぇ。でも女の子の憧れとして載るんやし、気張っていかな」
 どう返答すべきか考える。頑張ってください? 無理はしないように? どちらも不適切なような気がした。既にチリは頑張っているし、無理をしないなど社会人にとって当たり前の事を言われたくはないだろう。
 自分が返答を考えている間に、チリの思考は次のトピックへ移ってしまったらしい。ぽつり、とチリが呟いた。
「でもええなぁ。こんなドレス着れるんやったら、さっさと結婚したいわ」
「……ドレスなら普段も着れるのでは?」
「普通のドレスちゃいますよ。ウェディングドレスやからええんです。ま、それが着たいがために結婚〜ってのはないですけど、綺麗なうちに着ときたいな〜とは思いますね」
 そう言いながら、チリはドレスを傷つけないように気をつけながら伸びをする。ベイクタウンの陶磁器のように真っ白な肌は、太陽の元で更にその輝きを増した。そして、遠い目で青空を見上げている。
 その横顔を見ていると、心の中でだけ思っていたことがぽつりと口をついて出てしまった。
「……そもそも……結婚、考えられてるんですね」
「考えるも何もその前に相手探さなあかんのですけどね!」
 言ってからしまった、と思ったがチリは気に留めなかった。寧ろ、愉快そうにからからと笑っている。
 今、付き合っている相手はいないらしい。だが、彼女の年齢であれば結婚適齢期ドンピシャ。結婚について考えていてもおかしくはない。ないのだが……なんとなくチリという人物が誰かひとりのものになるのは想像しづらかった。それを正直に伝えることにする。
「……こんなことを女性に言うのは失礼ですが、貴女に結婚願望があると思ってませんでした」
「えぇ? そうなんです?」
「なんと言いますか、縛られることを望んでなさそうというか、ひとつのところに収まるような器では無いと言いますか……」
「なっはっは! そら確かに言えてますわ」
 実際、チリという女性は自由奔放なタイプだった。勿論、社会人として守るべきところは守るし、譲れないところは譲らない。だが、誰よりも柔軟に思考し、動いているのだと、日々共に働いていればわかる。そして彼女もそれを心地よく思っている。それが、自分の中のチリに対する見解だった。
 チリは赤い瞳を細めて笑っていたが、その表情がふっと切なげに歪められる。そして、自嘲するかのように薄く微笑んだ。
「結婚願望っていうのはないかもしれないですけど……チリちゃんかて、こないな綺麗な格好は憧れてまうんですよねぇ」
 焦がれるように呟いたチリの髪が、やわらかなそよ風と共に靡く。整えられた草木が風に揺れる音が、静寂をかき消した。
 自分はというと、なんと答えたらよいか分からず黙り込んでしまった。「今日着られてよかったですね?」それでは、今後一生着られないことを示唆しているみたいではないか。では、「きっとまた着れる日がきますよ?」否、そんな不確かで無責任なことは言えない。
 考え、考え、考え抜こうとしたが、最適解が思いつかない。そもそも返事をするのが正解だったのだろうか、などと考え込んでいるうちに、いつもの癖で時間を忘れていたらしい。
 先程の切ない表情が嘘だったかのようにケロリとした様子のチリが、ちらりとアオキを見やる。そして、小さくその名を呼んだ。
「なぁアオキさん」
「……あ、はい」
「突然なんやけど、今日のチリちゃん、綺麗です?」
 ビシリ、と身体が石になる錯覚。本当に突然の質問に再び固まってしまった。
 なぜそんな当たり前の質問を。そんなの、ウェディングドレスを身にまとった貴方が現れた時から……いや、なんならウェディングドレスなどなくても普段から美しいのだが、彼女が求めている答えはそういうことではないだろう。
 そしてこれは何より、失言をすればセクシャルハラスメントで訴えられかねない。そうすれば辞職せざるを得なくなり、路頭に迷った末に行き倒れ……社会的に存在を抹殺されてしまう。
 そんなことを考え過ぎていたせいか、チリは拗ねたように口をへの字に曲げた。
「社交辞令でも言ってくれへんと、チリちゃんへそ曲げますよ」
 それは、それだけは困る。年頃の女性の気分のとり方など、分かるはずもないのだから。
 それに何より、チリの機嫌を損ねたくて考え込んでいた訳では無い。寧ろ、その逆だ。だが、どうも自分にはこういった才はないようで、結局お得意のシンプルな言葉に落ち着いてしまう。飾り気もなければ、気も利かない。口から零れたのはシンプル故に愚直すぎる表現だった。
「……すごく、美しいと思います」
 その言葉に嘘偽りはない。シンプルな言葉はまっすぐ彼女に届いたのか、への字口は緩められ、チリは花が咲くかのように微笑んだ。
「なはは! おおきに。社交辞令でも嬉しいです」
「いえ、社交辞令ではなく……本当に、そう思って先程の撮影も見ていました」
「……そうなんです?」
「はい。それでなんだか感慨深い気持ちになっていたんです」
「へぇ〜……」
 じっ、とチリの視線が突き刺さる。まるで言葉の裏の意味を探るようなその視線は、いたたまれない。裏の意味も何も、そこにはない。そこにあるのは中年男性の本音だけなのだから。
 とにかく、彼女の機嫌を損ねるのは避けられた。その事実に安堵していると、チリの指先がスーツの袖口を軽く引いた。
「アオキさん」
「……はい」
「……そんな、アオキさんが感慨深くなってまうくらい綺麗なチリちゃんを、特等席があるんやけど……気になりません!?」
「……はぁ」
「……全然興味持たへんやん。セクハラするよりそっちのが失礼ですよ」
 何を言われるのかと身構えていたら、自分に向けられているとは思えないほど突拍子のない話だった。既に十分チリという女性は美しいのに、それを見れる特等席だと? あまりにも自分の存在には釣り合っていない申し出。だが、チリの言い分も最もだったので、訴えられる前に胸中を明かすことにする。
「……すみません……よりにもよって自分が特等席なんて、勿体ないなと思いまして」
「チリちゃんが見せたるって言うてんのに?」
 言われてみれば、それもそうだ。押しが強いような気がしなくもないが、これもチリなりの厚意なのかもしれない。であるなら、断る方が失礼に値する。特等席などという権利を得る訳ではなく、あくまでもそれが何かを聞くだけだ。
「……はぁ、わかりました。では、その特等席とやらをお教え頂いても?」
「ここです」
「え?」
「やから……チリちゃんの、となり」
 ──勿論、永久プレミアシートですよ?
 そう言って、こてん、と首を傾げてこちらを見上げてくる。ターキーレッドの瞳が煌めき、うっとりと細められる。芸術品のようなその表情は、何故かまっすぐ、自分にだけ向けられている。その意味を、勘違いしてしまいそうで。
「……」
「絶賛募集中やねんけど。非凡サラリーマンの人限定で」
 勘違い。勘違いのはずだ。しかし、チリが口にした肩書きは間違いなく自分が背負わされている二つ名で。チリの告げた言葉に語弊があったとしても、チリの表情が雄弁にその意味を語ってしまっていた。
 理解が追いつかない。兎にも角にも、何か言わなければ。そう思えば思うほどなんと言うべきか分からずに黙り込んでしまう。仕舞いには、チリが困ったように絞り出した。
「……なんか、言うてくださいよ」
「……」
「なんでもええですから」
「…………そもそも…………そういう、大事なことは男から伝えるものかと……」
「.……っふ、なはは! 考え方が古いわ、アオキさん!」
 なんでもええとは言ったけど、とチリは笑い泣きしている。余程予想外の返事だったのだろう。
 このご時世に男だから女だからと言うのは確かに古いな、と言ってから気がついた。というか、冷静に考えても先程のチリの言葉はプロポーズのように聞こえた。まずはその真意を確かめなければならない。
「……さっきの、本気ですか」
「おん……分からへんかもですけど、今めっちゃ心臓口から飛び出しそうですよ」
 表情こそ、普段と変わらないように見える。だが、髪の合間からちらりと覗いた耳が驚くほど真っ赤に染っているのをみて、本心なのだと察してしまう。
 冷静に、冷静になるんだ、アオキ。事の状況を整理しなければ返事どころの話ではない。
 まず、先ほどのチリの言葉がプロポーズだったとしても──。
「そもそも、自分たちは交際してませんよね」
「そうですね」
「色々と……急に、飛びすぎかと」
「えらいすみません……なんか今なら言ってもええかなーって思ったら全部口から出とりました」
「……そうですか」
 思わず、眉間を抑える。チリの気持ちと、自分の気持ち。揺れ動きながら変動を始める自分の中の何か。
 少なくともチリは、赤裸々に全てを語ってくれた。ならばまずは同じくらい誠意を見せなければならない。
「……このままではフェアではありませんのでついでに自分も告白しますと……撮影時のチリさんを見学していた時、娘がいたらこんな感じなのかと思って見ていました」
「なっはっは! 娘て! 流石にそこまで歳離れてませんやん」
「でも、自分にとってはチリさんはそういう対象でした」
「そうやんな……まぁ、脈ナシやろうなとは思っとったけどな」
「……ちゃんと聞いてください。そういう対象"でした"」
 そう。確かについ数分前まではそういう存在でしかなかった。だが、本当はそう思い込みたかっただけなのだと気がついた。チリを娘のように思うことで自分の本心に蓋をした。何も間違いが起こらないよう、自分の感情に鍵をかけていたのだ。
 改めて、チリに向き直る。純白の花嫁は、暫し逡巡した後、真っ直ぐにこちらの目を見つめ返した。
 本心を口にするのは、こんなにも緊張するものだっただろうか。耳の裏にハッキリと血が脈打つのがわかった。心臓の鼓動が大きくなる中、意を決して口を開く。
「父親面はもうやめます」
「ん……」
「自分も一応、男ですので」
「……おぉ」
「やっぱり、特等席で綺麗なチリさんを見たいです」
「……うん」
「なので……チリさんのお隣、頂いてもよろしいでしょうか?」
「……つまり?」
「……え?」
「大事なことは男から伝える……でしたっけ?」
 揶揄うような口ぶりとは正反対に、チリの瞳には緊張の色が揺らいでいた。その目を真っ直ぐに見つめ返しながら、一生口にしないと思っていた言葉を、口にする。
「自分と、結婚を前提に、お付き合いして頂けますか」
 その言葉を聞いた瞬間、赤い瞳が揺らぎ、見開かれ、そして。
「〜〜〜ッ、勿論ッ! 喜んで!」
 気がつけば、純白の花嫁が自分の腕の中にいた。
 返事と共に飛び込んできた花嫁を何とか受け止める。喜びに安堵のため息をつきかけた所で、今いる場所を思い出しあわてて周りを見渡す。幸いにも、この場所はチャペルから影になっており、スタッフ達に見られることはなかったようだ。
 名残惜しさに後ろ髪引かれながらも、そっとチリを引き離す。渋々といった様子でチリも引いてくれたが、互いに手を離すことはしなかった。
「っは〜! ほんま夢みたいやわ! 結婚遅れるどころか未来の確約されてもうた! この仕事受けて良かったわぁ」
「……急な事だったので、指輪も何もありませんが……」
「なっはっは! 焦らずともこれからゆっくり、色々決めていきましょ? というか、やっぱなし、気の迷いでした〜とかは今更なしですよ」
「そこまで甲斐性なしに見えますか」
「見えへんけど……! あまりにもチリちゃんに都合良すぎるから……なんかな……!」
 そう言いながら自身の頬を両手で挟み、う〜ッと唸り声を上げている。
 最初にプロポーズ紛いのことをしてきたのはそっちだと言うのに、実感が湧かないとは。
 自分だって、こんなことは夢にも思わなかった。思わなかったが、ここまで都合がいいと因果のようなものを感じてしまうのも確かで。そう思えば心做しか気持ちが楽になるのでは、とチリに向かって口を開く。
「こうなる……」
「ん?」
「こうなる運命だったと、思えば……受け入れ……や、すく……」
 言いながら、とんでもない事を言っていることに気がついた。撤回しようにも、チリが呆然とこちらを見つめていたため、言い間違いとも言えない。
「……すみません。なんだか、キザったらしいことを……」
「ええけど……アオキさん、そないな事言うんやなぁ」
「……年甲斐もなく浮かれているんですよ、これでも」
「そうなんです? ……へぇ」
 ……嬉し、と小さく呟いたのを見逃さなかった。その小さな呟きが羞恥となって飛び火し、こちらも顔に熱が集まった。
 本当に、この人は自分のことを好きなのだ、という実感が、チリの漏らした一言に詰まっていたのだ。
 そうして、ひとしきり二人で照れ合っていると、休憩時間も終わりに近づいていた。詳しくはまた後日、ということで二人でベンチを立つ。
「さーてと! この後の撮影も、ず〜っとアオキさんのこと考えて臨みますかね」
「……ちょっと待ってください。後の撮影も、とは」
「わざわざ言わせるんです? イケズな人やなぁ」
 そんな、まさか。だがチリの表情が言葉よりも雄弁に語り、否応にでも自分に都合よく考えてしまう。いや、でも、と否定を繰り返す脳内の自分。そんな問答ごと吹っ飛ばすかのようにチリの決定打が落とされた。
「折角の純白の花嫁姿撮ってもらうんやから、好きな人のこと思いながら着とるのは当然ですよ?」
「……ッ!」
 先程の撮影を思い返す。あの表情一つ一つが、自分に向けられていたものだと、そう思うだけでなんとも言い難い多幸感に全身を支配された。ぐぅ、とおもわず漏らした呻き声を聞いたチリが弾かれたように笑う。
「ほな、戻りましょうか! アオキさんも程々で帰ってええんですからね?」
 そう言われても今更帰る気などない。自分に向けられる視線をカメラに向ける花嫁がいるというのに、帰れる男がいるなら会ってみたいものだ。
「最後までいますよ」
「……忙しいんとちゃうん?」
「……結婚相手を見守る仕事が、今は一番大事ですので」
 それ以外のタスクは、明日に回せばいいんですから。
 そう言えば、未来の花嫁はまた嬉しそうに目を細めるのだった。



コメント

  • ゆずす
    2023年5月27日
  • 文月いずみ
    2023年3月22日
  • 2023年3月22日
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