ある新人トレーナーは、三女神に囚われた。 作:まやキチ
――いつものように、目が覚める。
身体を起こすと隣のベッドで寝ているスペちゃんが目に入った。今日もぐっすり。なんだか良い夢を見ているようだった。
……まだ早いから、起こさないようにしないと。
寝間着を脱いで、ジャージを着て。手早く身嗜みを整えて――シューズを手に、慎重に部屋を出る。
廊下には勿論誰も居ない。しん……と静まり返っていて、いつもの明るく騒がしい雰囲気ではなく、冷たい……それでいてゆったりするような時間が過ぎている。
「……フジ先輩はもう起きてるかしら……?」
――フジ先輩。
フジキセキ寮長は、私が所属している栗東寮の寮長さん。
あのヒトは早起きで、たまに玄関前で掃除していたり、トレーニングをしていたりする。
見つからないように、気をつけないと。
トレーナーさんが言うには、私のやっている事は公許良俗……?に反する事らしい。私としてはそんな怪しい事だとは思わないけれどあの人がそう言うならそうなのだろう。
見つかったら最後、トレーナー契約を破棄されてしまうかもと言っていた。
なら――こうしてこっそり行くしかない。
「……今日は、居ないみたいね」
ラッキーな日を引けたようだ。寮の出入り口には誰もいない。
私は寮を出て、しばらく歩く。
校舎の反対側へ、まだほの暗い道を進むと――閉じられている校門に辿り着く。
早朝だからまだ鍵が掛かっている。警備員さんが開けるのはあと一時間後ぐらいだろう。
「……――よっと」
――校門を登び越える。
一見、柵の隙間が多い割りに登りづらそうだけど、コツがいるのだ。最近気づいた。それに、隅の方は監視カメラの目から外れてるから問題ない。
トレセン学園を出た私は、軽くストレッチをしてから地平線にチラつく“朝日”を見る。
「………」
しばらくそれを眺めてから――駆け出す。身体を撫でる心地よい風は、今日も心地良い。
そのまま、一時間ちょっと走り続けると――目的の場所に着いた。
そこは閑静な住宅街の一角にある、少し年季の入ったアパート。
――トレーナーさんの自宅。
せっかくの一人暮らしなのだからとトレーナーさんが借りて――結局は利便性から、トレーナー寮の方が良かった……!!と日々後悔している家だ。
私としてもトレーナー寮に居てくれた方が気軽に遊びに行けるし便利だから、出来れば引っ越してほしい。
……ああいや、でもここまでのジョギングも結構気持ちいいし……あっ……いっそ、私がここに住めばいいのでは?
そうすれば、いつもトレーナーさんと一緒にいれるし、毎日登下校で丁度良いジョギングも出来る。
なんだ、良いことづくめか。
「……後で、トレーナーさんに提案してみましょ」
私は、紐で首から吊していた合鍵をシャツの中から取り出して――部屋の鍵を開ける。
ドアを開けて、まず目に入るのは――
それは日々のトレーニング記録の切れ端で、トレーナーさんが忘れないようにと貼っているものだった。その数は私との時間を表すように徐々に増えてきている。
「……ふふっ」
何故だかそれが嬉しくて、笑みが溢れる。
いつか壁全体が埋まるぐらいになるのかな。そうだったらぁ……。……。いや。ちょっと、怖いかも?
うん、あんまり根を詰めすぎないように言わないとダメだ。
私は靴を脱いで、部屋に入る。
『……ぐぅ、かぁ……ぐぅ』
すぐにトレーナーさんを見つけた。スーツのままベッドに倒れ込むように寝ている。近くには何枚かの書類と電源が付けっぱなしのノートPC。仕事をしながら力尽きたらしい。
……まったく、仕事熱心なのは素敵だが、だからといってしっかり休んでくれないのは困る。やっぱり、一緒に住んだ方がいいのかしら。
私はトレーナーさんの肩を揺らす。
出来るだけ優しく、でも気づいてくれるように。
「トレーナーさん、トレーナーさん」
『うぅん……?……――
「はい。
トレーナーさんはしばらくパチパチと目を瞬かせるとーー
『……また、来たの?』
「はい。また来ました」
『……昨日、エアグルーヴと“周りの噂になるとやべぇから休日以外きちゃダメ”って話ししなかったっけ?』
「はい。だから――噂にならないように、こっそり来ました」
『………』
「………」
『……そういう問題なの?』
「そういう問題ですよ」
『そっかぁ……』
「そうです」
実際にそういう問題だろう。
寧ろ、周りの噂になる事のどこがヤバイのだろうか?
――“担当ウマ娘がトレーナーの家を尋ねる”。
…………うん。
――仲が良くて宜しい!って、なるのでは?
心の中の理事長も満面の笑みで“天晴れ!”の扇子を振り回している。
「まあ、その事はどうでもいいです」
『どうでもいい事……エアグルーヴになんて言い訳すれば……』
「トレーナーさん?ちゃんと寝ないとダメじゃないですか。それもスーツを着たままなんて」
『えっ?……あー……はは、申し訳ねぇ』
「……なにか持ち帰らないほど大変なお仕事が?」
『いや、昨日の帰りにね。数駅行った所に新しく出来た公園の広告を見つけてさ。綺麗だし、遊歩道もウマ娘向けに舗装されてそうだから、それを含めてサイレンちゃんの新しいジョギングルートを考えて――』
「…………」
『あっ!いっ、いや良いとこみたいだよ!?最終決定は実際に行ってみてから考えるけど環境保護を第一にしてるから自然豊かで……ほっ、ほら!なんか鷹も住んでるんだってっ!』
私の無言を怒っていると理解したらしく、何も言ってないのにノートPCを片手に、公園のPRを始めた。画面には広々とした森林公園が映し出されている。
……別に、勝手にジョギングルートに新しい公園を加えようとしてるのが嫌な訳じゃあ……あっ、でも確かに雰囲気良い。ここで走るのは気持ちよ―――ああいや、違う違う違う。
「そうじゃありません!……トレーナーさん?私の事を想ってくれるのは嬉しいですけど、家に帰ってまで仕事をするなんて――」
『えっ?別にこれ仕事じゃないよ。トレーナーとしての……なんだろう、趣味?』
「趣味……?」
『うん。だから平気だよ、気にしないで大丈夫大丈夫』
「………」
『………』
「……そういう問題なんですか?」
『そういう問題だよ』
「そうですか……」
『そうそう』
――そういう問題らしい。
……私は溜息を吐いた。
「朝ご飯にしますね。トレーナーさんはシャワーに入っちゃってください」
『うーい。今日もありがとうね』
「いーえ。勝手にやってる事ですから」
『それでもだよ。やっぱり男な若者の一人暮らしだとこういうのは嬉し――』
「――じゃあこれからも来ますね?」
『あっ、選択肢ミスった……』
何故か、とぼとぼと浴室に向かうトレーナーさんを見送ってからキッチンに向かう。
……今日は何にしようか。
お米は、残ってる。お湯は電気ケトルで……あっ、シャケがある。なら、焼き魚だ。
私は着慣れたエプロンを身につける。
「………っと」
私がこうしてトレーナーさんの家にお邪魔するようになったのは二年目に入った辺りの頃だった。いち早くトレーナーさんに会いたい……というのもそうだが、こうした世話に憧れたというのもある。
やはり私も一人のウマ娘。
気になる異性にこういった世話を焼くというのも楽しいものだ。
とはいえ、料理は今のところ殆ど出来ない。
一通り試してみたが、満足出来る代物じゃないからだ。やはりトレーナーさんには美味しいものを食べて貰いたい。
今の私には精々、焼き魚と目玉焼きぐらいだ。
でも、焼き魚はお塩を振ってオーブンに入れるだけだから料理って感じがしないし、目玉焼きはトレーナーさんが嫌いだから除外だ。
……卵自体が嫌いなのではなく――“目玉焼き”が何かを連想するらしく、それが嫌みたい。
なので、最近は出汁巻き卵に挑戦していた。
巻くのが難しくて結局は煎り卵みたいになってしまうから要練習。
「……それと」
私は棚から――インスタント味噌汁の袋を取り出した。
味噌汁も課題の一つだ。やはり日本人としては避けては通れぬもの。最初は「味噌を溶かすだけでしょ?」と吹いていた自分を叩きたくなる。どうしても満足行くものにならない。アケボノさんやクリークさんに師事しているがどうにも……。
私は袋を破いて器に粉を入れ、お湯を注ぐ。
途端に広がる――良い香り。
「くっ……!」
私は“あさげ”の袋を睨み付けた。
恐るべき企業努力。私はその時が来るまでコレに頼る事にしていた。
だけど忘れないで……先頭に立つのは私よ……!!
――お米、お味噌汁、焼き魚。それに冷蔵庫にあったパックのお新香。
朝ご飯をテーブルに並べると、シャワーから上がったトレーナーさんが喜んだ顔を見せてくれ、美味しい美味しいと事ある毎に言ってくれる。
嬉しい。シンプルに嬉しいけれど……やはり自分の力で一から作ったものでその顔を見せて欲しい。
やはり、道は遠い。
けれど、大丈夫――
あっ、そうだ。忘れてた。
「トレーナーさん」
『むぐっ?……んぐっ、なんだい?』
「私が引っ越す日取りなんですけどーー」
『ーー初耳なんですけど!?てか、拒否りますが!?』
「……?それで
――ピリリリリリリリリリリリッッッ
…………。
……電話。
ボタンを押す。
「もしもし」
『――どこにいるんですかスズカさんんん!!』
「……フクキタル?」
電話してきた相手は――
ちょっとスピリチュアルな友人だ。珍しい、いったい何の用だろう。
――正直後にしてほしい。
「どうしたの」
『どーしたもこーしたもないですよ!今日はスズカさんのメイクデビューの日!“単独出走”なんですから諸々の準備は自分でやらないといけませんよ!』
「……ああ」
そういえば、今日だった。
興味がなかったからルドルフ会長が渡してきた書類にサインしただけだったけれど。
……今のあの人には特に何もないが、無断外泊とか早朝脱走の件で結構お目こぼしを頂いた恩があったから。
でも。
「興味ないから出走取り消しにしておいて。じゃあ――」
『いや、ちょちょちょまぁってくださーい!!』
走る気も特にないからそう告げて切ろうとすると、フクキタルが止めてくる。
『お願いですから出てください!お願いしまぁす!』
「……」
『今日はおかしいんですよ!本当は雨だったはずなのに急に晴天になったと思ったら、太陽と星辰の位置がめちゃくちゃで、何かが……やっぱりあの“夢”は―――!』
「……?」
なにかフクキタルは焦っているようだった。
いつもわたわたしている子だったが、その声はどことなく怖がっているように聞こえる。
『ともかく出てくださいぃ!神様仏様スズカ様ぁ!』
「……はぁ」
……思えば、フクキタルにはお出かけで着ていく服の色やら場所やらをよく占ってくれていた。恩返しと思おう。
それに確か、今日出走するのは………。
「今から行くわ」
私は電話を切る。
「………」
しばらく、私は目の前を見つめた。
「……行ってきます、トレーナーさん」
そうして、私は“
まるで世界から切り取られてしまったように何も無い、私の思い出から。
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縺セ縺阪b縺ゥ縺
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縺セ縺阪b縺ゥ縺
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縺セ縺阪b縺ゥ縺
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縺セ縺阪b縺ゥ縺
―――――――――――――――
縺セ縺阪b縺ゥ縺
―――――――――――――――
―――――――――――――――
「――メイクデビュー。それはウマ娘の始めの一歩。ここが“トゥインクル・シリーズ”への登竜門。勝利しないとその門は開かれない」
「どうしたんですか急に」
「ぷんすこ顔なのです」
メイクデビュー当日。
レース場に到着した私とトレーナーは、指定された控え室でレース開始時刻を待っていた。その間、体操服に着替えたり。レースに向けた作戦の打ち合わせをしてたのだが……。
「大事な、大事な一戦なんだ……。ウマ娘によってはここから勝利出来ずに“未勝利戦”に進むも、そのまま競技人生を終える子もいる。特にモブ子の“目標”を目指すには躓く訳にはいかない……!」
「いや、分かりますけど――どこ向いてるんです?」
「むむっ、悪戯し過ぎ警報……という事です?」
――どういう訳か急に熱血トレーナーにキャラ変したかと思うと虚空に語り出した。いったいどうしたんだほんとに。いや似合ってるけども。なに?漫画のご都合モノローグとかしてる?私ああいうの醒めちゃうからあんまり好きじゃないんだけど。
「………」
「大丈夫です私のトレーナーさん。マーチャンは貴方のオリコウマーチャンなのです。今日は普通に応援に来ただけなのです。ぶいっ」
トレーナーはしばらく黙ると――両手を前に出して上下に揺らし出す。変な動作だ……。
「あぶぶぶぶぶぶぶ」
「……あの、トレーナー」
「どうしたんだい?モブ子」
「緊張してます?」
「あー……。……うん。“はじめて”、だからかな」
トレーナーは謎の動作を止めると静かに手を見つめだす。
……やっぱりさっきの行動は緊張からだったようだ。
「今の今までのモブ子に向けたトレーニング。勿論、万全!しっかり準備完了!……ってぇ、胸張れるんだけどね――頭の中で囁くんだ。“もっとやれる事があったんじゃないか”って」
「……心配性ですね」
「ふふ、そうかもね。君はどう?緊張してる?」
「私は……」
ふと、トレーナーのように自分の手を見つめる。
それは――小刻みに揺れていた。
「……緊張、してますよ。そりゃあ」
「………」
トレーナーとのトレーニング。そして最近やっているたづな先輩との座学。
どれもが一人だった頃はありえないもので――どんどん、自分が変わっていくのを実感していた。
思えば、トレーナーと出会ったあの日の選抜レース。
ボロ負けで終わったアレの映像を少し前に見返したけどーーあの死んだ魚よりも死んだ目をしてる私は私じゃないと思えるくらいには、私は変わった。
……あの時の私はどんだけ思い詰めてたんだ。
そう。あの頃とは違う。
私は、私は……速くなった。強くなった。きっとおそらくエリートウマ娘共とも戦える。
でも、うん……トレーナーと一緒だ。
――
――『勝てる訳ないじゃん』――
「………」
「………」
ずっと負け続けてきた。最初から今の今まで。
どんなに頑張っても、どんなに色んなものを削っても、他の連中の何倍も練習しても――それでも私は負けてきた。
“たづなさんの婚期よりも遅い”と言われた私の走りは伊達ではない。
そう言われるほど。
そう、自分から笑ってしまうほど――私は負け続けてきたんだ。
それが?そんな私が?二人に教わっただけで変わるの?変わったの?――そんな訳ないじゃん。
変わったのは見た目と脳みそだけ。きっと、心は。私のアホみたいなこの性根は何も変わってない。
そんな私に出来るの?
あの頭からっぽのウマ娘ですら目指さないようなあの“目標”――無敗の七冠ウマ娘に。
「……そんな訳……」
「モブ子」
ふと、トレーナーに呼ばれた。
気がついたら俯いていた顔を上げると――トレーナーの手の平が私の真ん前にあった。
「………」
「………」
謎に押し黙ってしまう。
えっ、なに。なんなの?何なんですのんこの手は?なに、あっ、ハイタッチ?ハイタッチすればいいの?
そんな風に混乱していると、トレーナーは手の平を緩く握り、
――ポンッ。
小さな音と煙が起きる。
びっくりして声も出なかった私の目の前には、一輪の花が現れた。
見た事がある。
それは暖かくなればそこらの草むらで勝手に生えているような野花。無数の花弁が広がっているようにも見える不思議な形の花。
――“シロツメクサ”だった。
「どう?びっくりした?マァジックだぜぃ」
「……びっくりしました」
「そりゃよかった」
トレーナーと目が合った。
優しげに緩んでいる瞳には、ぽかんとしている間抜けな私が写っている。
「モブ子。君の悩んでいる事に、俺は何も言えない。だってトレーナーは“部外者”でしかないんだ」
「……部外者?」
「そう、部外者。トレーナーはね。どれだけ時間を費やして、何をしようさせようみせようとも、部外者でしかない。君たちには介入出来ない。出来るのは道を作って背中を押すだけ。君たちが齎す答え、結果、そして栄光は――全て君たち自身が決めるんだ」
でも、これだけは言える――とトレーナーは、優しく微笑んだ。
「どんな答えになっても、どんな結果になろうとも、どんな栄光が待っていようとも――
「―――」
「ぐあああああああ!」
それと同時に部屋のドアがノックされる。
くぐもった声で「時間になりました。パドック前で待機お願いします」とスタッフさんの声が聞こえてきた。
「さっ、行っておいで。最前列の席で見守っているから」
「これはいけません!リアルNTRなのです!脳がぁ!」
トレーナーに私の背中を優しく押される、釣られて進む私の足は――すごく軽い。
けど……その前に。
「あの……トレーナー」
「んん?」
「その花、貰っていいですか」
「えっ”」
……何故嫌そうな声を出す。
でも、花をよく見れば何となく理由はわかった。
花の端っこが黄ばんで、萎れている――それは“枯れかけの花”だった。
私は花を引っ込めようとするトレーナーの手を、両手で包む。
「ください」
「いやでもモブ子。こんな花なんかよりももっと素敵な……あっ、そうだ。これが終わったら記念におっきな花束を――」
「これがいいんです」
なんとなく。
なんとなくだが。
――これを持っていれば、私は走れる。そんな風に思えた。
しばらくトレーナーを見ていると、諦めたように花を渡してくれる。
花は私が思った以上に枯れていて、軽く摘まんだだけで、その部分はぷちっと潰れてしまう。ただそれでも――何よりも心強かった。
「……いってきます」
「うん、いってらっしゃい」
「もう無理です!限界マーチャンです!このヨメサンマーチャンの前でこれは許せません!再戦を要求するのです!私にも“前”と同じように……って、ここぞとばかりに観客席に移動しないでください!私をスルーするつもりですね!もっとマーチャンに構うので――あぶぶぶぶぶぶぶ」
………
……
…
「――こんなもんでいいか」
私の目の前には鏡がある。
それはレース前の身嗜み確認用に、通路に併設されているやつだ。
そこに映っているのは、『五番』のゼッケンを付けた体操服を着ている黒髪こけしヘアーのスレンダー美少女ウマ娘。
つまりは私な訳だが――その右耳には、先ほど貰った“シロツメクサ”が付いている。
ウマ娘にとって、耳飾りはポピュラーなオシャレだ。
それはキーホルダー状だったりブローチ状だったり、あるいは髪留めを使っている奴もいる。イヤーキャップだってその一つだ。
私は、今までそんなものを付けてはいなかった。
……いや、入学当時は付けてた気がするが――レースを走る上で邪魔だと思って外して以降、どっか行ってしまっていた。
それから気にもしなかったけど……。
「うん。悪くないかも」
そこらにある野花。うん、実に私らしいじゃないか。
しかも“枯れかけ”なのもいい。まさしく、腐っていた私そっくりだ。
それでも――確かにまだ、花なのには変わりないんだから。
「……って、ちょっとクサイか」
まあ、でもその方が緊張しないからいいかな。
私は、鏡から視線を外す。
近くには――今日走る面々が思い思いに構えていた。
わかりやすく緊張しているやつがいる。軽くストレッチしているやつがいる。ぶつぶつと何か言っているやつがいる。
皆、無名の頑張り屋さん。大体知り合い未満で世間話くらいはする程度だが――今日は目で挨拶交わしただけで、皆、自分の世界に入っている。それだけ緊張してるのだ。
無理はない。
皆も私と同じとは言わないが――遅い、遅かった子達だ。私を見て“マシ”だと慰めてきた薄情者共な子達だったのだ。
そんな皆が今こうして、立っている。
ウマ娘達の夢。“トゥインクル・シリーズ”への行く為の門の前に。
「………」
だが、そんな皆とは浮くように一人のウマ娘が、ぼんやりと出口付近に立っている。
――
名前を聞くだけで嫌になってくるエリートウマ娘共の一人だ。このレースでもっと危険なやつだ。
緊張なんてどこへやら。ただぼぉーっとどこかを見ている。
……いやほんとどこ見てんだアレ。目の焦点がどっか旅立ってんぞ。これはこれで緊張してるのか……?
私がそんな風に見ていると、気づいたのかふらりとこっちに瞳が向く。
「………」
「……うぇ」
――何もない。
そこには何の色もない。目が死んでいた少し前の私が我に返りそうなくらい、何もない。
まるで人形でも眺めているような気分だった。なんだなんだ。
「――」
だけど、そんな瞳にほんの少しの色が乗る。
それに、私は身に覚えがあった。
それは私という存在を認めないと伝えるような――わかりやすい、敵意。
「――開始時刻でーす!皆さん、パドックの方へ!!」
係員さんから声が掛かる。
その瞬間、またサイレンススズカの瞳から色が消えて、いの一番にパドックへ向かった。
私は他の連中とぞろぞろと進みながら、その背を見つめる。
……私、なんかしたっけ?
………
……
…
聞き慣れた実況の声が響き渡る。
――『大盛況頂いております第二レース場、芝・2000m!本日は予報とは打って変わって――からっとした晴天となりました!場も良バ場、青々と芝が巡っております!』
――『いやはや、一時は土砂降りになると言われてヒヤヒヤしていましたが、これも三女神様の思し召しでありますかねぇ』
――『まさしくそうでしょう!……さぁ!このレース!三女神様のキスを賜るのはいったい誰なのか!――選手入場です!!』
レース場は、実況放送が言ってたように大盛況……とはいかずとも、実際空いている席の方が少ない印象だった。
流石は“トゥインクル・シリーズ”の初戦といったところ。ここから大スターが出るかもしれないとなれば観客の期待は高いのだろう。
にしても――
―――ガヤガヤ、ガヤガヤ
「………」
聞き慣れたはずの観客席の喧噪。
だけどそれがパドックから――そしてターフから聞くと、全然違う。
何故か途方もない圧を感じる。一歩一歩進むごとに胸の動悸がおかしくなって、観客席が見れない。胸に手を当てたいのに腕が動かない。
ヤバイ……ヤバイぞ、思った以上に緊張する……!
観客席から聞こえる声が私を笑っ「モブ子-!」――はっ!トレーナー!
私の耳があの人の声を拾う。
弾けるようにそっちを向くと――
「あっ、こっち向いた。おーい!」
「……むむぅ、まだ立場的に表だって応援出来ないのが悲しい所ですね……」
「んん?たづなさん、何か言いました?」
「いいえなにも。皆さーん!頑張ってくださーい!」
観客席の最前列。
大きな身振りで手を振ってくれているトレーナーとその横にはたづな先輩がいた。
いつも通りな姿。それにほっとしていると――その近くにジャラちゃんと、たまに絡む底辺ズを見つけた。視線を合わすと気づいたのか、皆が手を振ってくれる。
応援に来てくれたんだ。……やっぱりこういうのは結構嬉し――
「リトルちゃーん!がんばえー!」
「リトル-!あんたが勝ったら駅前のクレープおごってねーっ!」
「負けたら新しく出来たモールのパフェねーっ!」
「かてー!」「まけてー!」「パフェくいて-!」「だからやせねぇんだよ」「正論やめろー!」「クレープ飽きたよ-!」
――……応、援……か?あれが?
半分くらいパフェ民が勝ってるんだが?あれ?喧嘩売られてる私?てか勝っても負けても私が奢るの不公平の極みなんだが???
あっ、側にいた自分のトレーナー達に窘められてやんのざまぁ!
………。
「―――ふふっ」
――パンッ!と自分の頬を叩く。
「よし、やったりますか」
パドックを通り過ぎ、そのままターフへ――“ゲート”に着く。
そのまま呼吸を整え、構える。
“ゲート”内は狭苦しいし、閉じられてる戸はどこか恐ろしい。戸の隙間から輝く――カンカン照りの“太陽”も、見慣れてるはずなのにやけに気になってくる。
レースは芝・2000m。
“第一コーナー”“第二コーナー”“最終コーナー”――そして“最終直線”の四つの山場で構成されたオーソドックスなコースだ。
私が一番走り慣れて――一番負け越した距離。
でも、行ける。絶対に行ける。
いや――行くんだ。今日で私の連敗記録を終わらせるんだ。
――『さぁ!どのウマ娘も気合い十分!出走準備が整いましたっ!』
――『緊張の一瞬ですね』
その実況の言葉を最後に、一瞬会場が静まり返って―――
―――“ゲート”が開かれた!!
「……っ!!」
肝心なのはスタートダッシュ。
今回の私の作戦は“先行”――前方を維持しながら走る戦い方。
その為には、最初の位置取りが大事だ。ここをミスる訳にはいかない。
思い切り足を踏み出す。
日の光で乾いた芝はシューズと上手く噛み合って――私を問題なく、前を進ませてくれた。
「しまっ……!」「くっ!」
視界の端に掠める出遅れたやつの声。
それに喜ぶ……なんて卑しい私の性根すらかき消えるほど――素早く、私達よりも前へ駆け出したウマ娘に意識を集中させる。
――『サイレンススズカ、前へ出ました!!』
――『これはペースが早いですね』
くそっ、やっぱ来たか!
理想的なスタートダッシュが決められたのに喜ぶのも束の間、警戒する相手もまた理想的なスタートダッシュを決められた事に頬を噛む。
悠々と進む背を睨みながら――私は、控え室でのトレーナーとの打ち合わせを思い出した。
―――
『モブ子。今回警戒するのは“サイレンススズカ”だ。言い方は悪いけど、他の子は無視していい』
『そんなにですか』
『うん。直近のあの子の模擬レースとか見たけれどアレはえぐいね――“
『………』
『特に彼女の走り方も問題だ。作戦が“逃げ”は“逃げ”でも、彼女の場合―――』
―――
――『これは……サイレンススズカ!後続との距離がどんどん離れて行きます!これは掛かっているのでしょうか?』
――『いえ、そうは思えません。これも作戦づくでしょう。後ろの子達が焦らないといいのですが』
“逃げ”は誰よりも最前列を走って後続とのキープを稼ぐ。そして、最後の最後までそのキープを維持させて勝つ作戦だ。
でも、サイレンススズカの場合――そのキープが果てしなく長い。最初っからかっ飛ばすのだ。
――“
トレーナーさんがそう言った、奴の作戦は後続に強い圧力を掛ける。
「……っ、っ……!」
私は勝手に進みそうになる足をセーブしながら、“第一コーナー”を通り過ぎる。その間に何人か後続が私の前を進んだ。キープの差を何とか埋めようとしているんだろう。
だが――
―――
『いい?モブ子。俺の想定通りにサイレンススズカがかっ飛ばし始めたら、まずは一回落ち着いて自分のペースを保つんだ』
『……ほんとに大丈夫ですか?そのままキープを保たれたままになっちゃうんじゃあ』
『いや、ここで君のペースを乱される方が負ける。ビビって追いつこうとすると逆にスタミナが削られちゃうんだ。……なくせ、本人は気持ちよく飛ばしてるだけなんだから末恐ろしいよねぇ』
『……わかりました。“自分のペースを保つ”ですね』
『うん。彼女の背を睨む構図でキツイかもだけど――決して、それに呑まれちゃダメだよ。君の足なら“第二コーナー”から追いつける。そこからスパートをかけるんだ』
―――
私はそのまま直線を走る。
踏み締める力を抑えながら、自分のペースを保ち続ける。それでも私の足の動きは気持ち早く感じた。
何故なら――
(アイツ、どこまで飛ばすつもり……!?)
――
サイレンススズカの足はまだ飛ばしている段階だ。全然安定しない。
このままだと追いつけるビジョンが見えない!
「くっ……ごめんなさい……トレーナー……!」
私は少しだけ足に力を込める。
そうすると――“第一コーナー”で前へ出ていた連中を抜かす形になっていく。そいつらを見ればどれもキツそうだ。
……トレーナーの言う通りか。もしかしたら、あと数秒後の私がこうなるかも。
でも――きっとダメだ。
少し無茶をしてでもキープを縮めないと逃げ切られる……!
――『サイレンススズカ、快調に飛ばしていきます!後ろの子たちは苦しいか!』
――『……ペースを乱されていますね。あっ、五番“モブリトル”――前に出始めました。果敢な攻めの姿勢です!』
――『レースは“第二コーナー”へ入ります。このまま行けば―――』
そして――“第二コーナー”。
サイレンススズカの背以外に、私の視界に入るものはない。喧噪に混じった他の足音は遠い。きっと端から見れば、私とアイツの一騎打ちに近いに形になっている。
背は――縮まってきている。
まだ開いているが、それでも追いつけると思えるくらいの距離だ。
(よしっ!よしっ行ける!行けるぞ!ここでペースを上げて行けば!)
そう思って、さらに足に力を入れる――その時。
「………」
サイレンススズカの頭が動き、後ろ目にこっちを見た。
その瞳には――何もない。私を映しているはずなのに、まるで無価値なものでも見ているように。
「――あ?」
「………」
視線を交わしたのは一瞬。
――
縮まっていく背。
近付いていく――初めての勝利。
自分が高揚していくのが分かる一方で……何故だろう。
どうしようもなく、嫌な予感がする。
そしてそれはすぐ――“最終コーナー”に入った瞬間に分かった。
「………は?」
背が。
届きそうだったサイレンススズカの背が――どんどん遠ざかっていく。
――『これは!?サイレンススズカ、あのハイペースでまだ余力を残していたのかー!』
――『追い縋るモブリトルにはこれは苦しい展開。このまま逃げ切られるのか、あるいは……!』
ばっ……!はぁ!?
まだ伸びるのかこいつ!?こっ、これだからエリートウマ娘共は!
何とか足を踏み出すが――ダメだ。差が、差が広がっていく……!
「くっ……くそぅ……!!」
どれだけ進んでも、その背に追いつくビジョンが思い浮かばない。
走っても走っても、背は遠ざかる一方だ。
「……っ!……っ!」
ふと――何かが、私の耳に囁いた。
――『もう無理だ、諦めよう』――
それはきっと、私の声だ。
ずっとずっと呟いて――聞いてきた、
――『今日は、もういい。昨日よりは上達したから今日はもうやめよう』――
苦しくて、ずっと一人で悩んでいた“あの時”。
どんなに頑張っても、どんなに色んなものを削っても、どんなに他の連中よりも努力しても――負け続けた、私の声。
――『ここまで頑張ったじゃん』――
あっ。
――『ここまで頑張れば、きっと』――
きっと――トレーナーも褒めてくれる。
……そうだよ。だってもう快挙じゃん。
万年最下位な私が、今は何位?二位だよ?十分大出世じゃん。平社員が十段飛ばしで部長になったようなものだよ。急に社長なんかに……――一位になれっこない。
身体の緊張が解けていくのを感じる。
そうだよ。もう、いいじゃん。頑張っ「モブ子ぉおお!!」
――差すような声が聞こえてきた。
「モブ子ぉおお!まだ行けるよ!がんばれぇ!!」
「頑張ってリトルさん!ラストスパートですよー!!」
横を見ると、トレーナーが大身振りでこちらに声を張り上げている。……やりすぎて周りの人がちょっと迷惑そうだ。たづな先輩も、大手を振って私を応援出来ないんじゃなかったのか。
「リトルー!差せ-!いやもう殴れー!!」
「泥かけろー!!いっそ傷跡のこせー!!」
「あのいけ好かない先輩をわかめまみれにしたあの執念深さはどこいったのー!!」「そーだそーだ!私の尻尾をマリルリみたいにしたあの粘りを出せ-!!」「クレープやだぁーー!!」
せめて応援してよ君ら。
「――リトルちゃぁああん!!!がんばれぇえええ!!」
……もう。
ああ、もう……!
「……―――ッッッ!!!」
――ドンッ!!
私は自分に気合いを入れ直すように足を強く踏み出した。
手を振って、上半身を前に出す。もうフォームだなんだもペースもスパートも知った事か!
前へ、ただ前へ走る!!
――『最終直線に入りました!!最初に飛び出していったのは――――
もう実況も、歓声も。遠い音になっていく。
サイレンススズカの背も――何も見えない。ただ、前へ!
「……っっ!!」
――『諦めよう』――
「……んぎぎ……!!」
――『もう無理だよ』――
「んぐっ、ああぁあああ……!!」
――『恥掻くだぁああああ!!もううるっさい!この私の甘えた性根めっ!ぴぃぴぃ泣くだけならどっか行け邪魔だッ!!
もう!もう、私は――!!
――
底辺だからって!才能ナシの無勝ウマ娘だからって!“マルゼンスキー先輩が時代に追いつくよりも遅い走り”と言われていたって!
――それが今、
まだ距離はある!まだゴール板まで距離がある!
まだ先があるなら――最後まで!
「さい、っごまでぇぇええええ!!!」
そしてゴールを………――駆け抜けた!
「うわっ……!――うべっ!」
ゴールに辿り着いたと思った途端、力が抜けて――私は、そのまま前のめりで倒れてしまった。随分飛ばしたからか顔面から行った。くそいてぇ。
「……ぐぐ、うぅ……締まらんなぁ……」
でも、なんだろう。
――すごく、きもちいい。
もう一歩も歩けないくらい震える足も、風が無くなって一気に火照りを感じ始めた身体も、転んで土に汚れてしまった服も。
――どれもこれも清々しい。
なんでだろう。こんなの負け越してた時からずっと嫌だったのに。
「モブ子―――!!」
あっ、トレーナー。
声に振り向くと、最前席から飛び出したんだろうトレーナーがこっちに走ってきていた。
いやぁ……こんなふがいない担当ウマ娘で申し訳ない。
……結局、二着になっちゃったろうしなぁ。
流石にあの差は巻き返せんわな。もう少しスパートを早くしとけば良かったか?それともトレーナーの言う通りにもっと溜めれば良かったか。
「はぁ……」
まっ、全部出し切ったんならそれ――「モブ子!電光板!電光板見て!!」――……?電光板?そんなのを見なくたって。
―――――――――
一着――五番 モブリトル
二着――二番 サイレンススズカ 『ハナ差』
―――――――――
――『五番、モブリトル!ハナ差で勝利!粘り強い追い上げが……最後まで諦めなかった心が彼女に勝利をもたらしました!!』
「えっ……」
――
ずっとずっとそうなってほしいと願い続けて、でももう無理だと諦めていた名前が――電光板に映されている。
弾けるように後ろを見ると、呆然とした顔をしているサイレンススズカが息を切らしながらこっちを見ていた。
「一着……?わっ、私が……?」
そんな私の困惑に答えたように電光板の横のスクリーンが点灯する。
それは最終局面。
涼しげな顔で綺麗なフォームで走るサイレンススズカの横から、それはもう無様でかっこ悪いフォームのウマ娘が這い出てくる。
そしてゴール板前。
びっくりしたようなサイレンススズカの顔より前に、ブッサイクなウマ娘の顔が――一線に触れた。
まさしく、『
ギリギリのギリッギリ。そんな差で――
――
「えっ……えっ……」
「モブ子!」
走ってきたトレーナーが私に駆け寄ってくる。
その顔は嬉しさと心配が出たり入ったりして訳わかんない表情をしていた。
「あぁ大丈夫か?怪我は?結構強く……ああでもその前におめでとう?いや、でもその前に怪我の確認だよな?立てるか?でもやっぱりおめでとう!」
「とっ、トレーナぁー……」
優しく立ち上がらせて貰いながら、私は思わず声をあげた。
「かっ、勝ちました……」
「ああ、勝ったな」
「ちょっとブサイクでかっこ悪かったけど……!」
「――そんな事ない!誰よりもカッコ良かったモブ子は!」
「判定ギリギリでかなり危なかったけど……!」
「――それでも勝ちは勝ちさ!それを疑うなんて三女神にさえさせないよ!」
「勝った……勝ったんです……ぐずっ、はじめてぇえ……!!」
――胸の内からこみ上げてくるものが隠し切れない。
ちゃんと……ちゃんとトレーナーに伝えたいのに、トレーナーの顔を見たいのに――涙が邪魔で何も見えない。
そんな不甲斐ない私の背中を、トレーナーは優しく撫でてくれる。
「ああ、ああ。ほら、モブ子。顔を上げて」
「ぐずっ……はい……?」
「さぁ、皆を見てあげて。応援してくれた、君を見ていてくれた皆に」
トレーナーに促されるように、観客席に振り向くと―――
―――ワァァアアアアアアア!!
聞いた事もない歓声が響く。私に向かって、声を上げてくれていた。
「モブリトルさん……本当に、頑張って……!」
たづな先輩……。
「リトルちゃん……ほんとに、ほんとにすごいよぉ……!」
ジャラちゃん……。
「おぉー!リトルがついにやったよ!」
「私はわかってたねっ!あの子は絶対やれるって最初見た時から気づいてたもん!」「そうだよね!私達が見守ってた結果だねっ!あっ、恩師としてサインの練習しとかなきゃ!」
「うわーっ!」「すごい嬉しいけど嬉しくない-!」「クレープいやぁああ!!」
あいつらは……まあ、いいや。
――皆が皆。
私をお祝いしてくれている。それが、たまらなく嬉しかった。
私は一度、観客席に向かって頭を下げる。
それに呼応したかのような拍手がなんだか照れ臭かった。
「―――」
――きっと。
きっと、私はこの景色を決して忘れないだろう。この先何があろうとも。
自分が考える答えがどうであれ、自分が成した結果がなんであれ、自分が作り上げる栄光がどんな物になろうとも。
――“この景色”だけは。
「さっ、行こっか――モブ子」
こうして、寄り添ってくれるトレーナーがいてくれれば。
「むぅ。思いの他、良い映像が撮れてしまったのです。流石は流離いの映画監督マーチャン……自分の才能が恐ろしい」
「………。そうだ。これをウマチューブに上げるのです。そうすればファンがズバーン!トレーナーさんのハートをドキューン!そしてマーチャンの唇にズキューン!……なんて素晴らしい未来予想図なのでしょう」
「ふふふのふ。これもそれも――私のお願いを叶えてくれた“満ち欠けの神様”に感謝感謝なのです」
ちなみに、“トゥインクル・シリーズ”のレースは、終了後。一着のウマ娘をセンターに――“ウイニングライブ”という歌って踊るイベントをやるのだが……。
レースに勝つ事ばかり集中していたので――心構えが出来ていなかった私は、ガッチガチに緊張してしまい、生暖かい視線の中、違う意味で半泣きになってこなしましたとさ。
ある意味で、私のメイクデビューはよりいっそう忘れる事は出来ない思い出になった。
――解せる。
レースはなんてことはなく終わった。
……いいや、嘘だ。負けるとは、思わなかった。
「………」
――“モブリトル”。
今の、あの人の担当ウマ娘。
最初はただの普通の子かと思ったけれど……まさか差し切られるとは思っても見なかった。
あんな風に自分をかなぐり捨ててまで勝利を求めるあの姿勢は――一人のウマ娘として好感を持てる姿だった。普通に知っていれば、ちょっとファンになったかもしれない。
でも、一人の異性としては――心底気にくわなかった。
「……はぁ」
とはいえ、発散する事はない。
何故なら……一緒に走ってみてわかったからだ。
あの子は――気持ちの良いぐらいまっすぐとした走りをしていた。
それだけでもう妬むとかそういう気持ちが薄れてしまった。
今は――いっそ清々しい気分だった。
「……私達の景色は、もうどこにもない……」
そう、認められるほどに。
……レースを走る中。私は本当はちょっと期待していたのだ。
――
だから全力で走った。今出来る最大限の力を振り絞って。
……で。
気づいて貰えないのは愚か、負けたのだから世話ないけれど。
「……はぁぁぁぁ」
……これから、どうしようかな。
いっそ“三年間”の内に計画していたアメリカにでも留学しに行こうかな。あの二人を視界に入れるのつらいし。アメリカ縦断の旅とかちょっと楽しそうよね。本場のホットドッグとか食べに行きたい。
私はそう考えながら、自分の控え室に入る。
そこには――思わぬ先客がいた。
「……フクキタル?」
「――待っていましたよ、スズカさん」
――マチカネフクキタル。
ちょっとスピリチュアルな私の友人。……それにしても見てない内に、随分さっぱりしたわね。いつもはよくわかんない開運グッズとかじゃらじゃら付けてるのに。
そんなフクキタルは、何かを確信したような瞳をしている。
「……スズカさん。今日の走り、見ていました」
「……?ええ。負けちゃったけれど」
「いいえ、素晴らしかったです。まるで――
まあ、シニア級でしたし。さもありなん。
「………」
「………」
……何なのかしら、この空気。
私早く着替えて、アメリカへの
「……これは自分で言ってても信じられません。でも――見てしまったんです。だから、信じるしかない……」
「……はぁ」
「――単刀直入に言います」
「……貴女は、三女神のご加護を信じますか?」
……うそでしょ。
「………」
「………」
「――宗教の勧誘?」
「いや、違いますよ!?」
「フクキタル。確かに私は今心に隙間がある状態よ。でもね?そこを突いて信者を増やそうとするのは友人としてどうかと思う……いや、思います。マチカネフクキタルさん」
「ちょっとぉ!私がそんな悪辣な事するはずないじゃないですか!速攻で心の距離を離さないで!」
「じゃあなによ?」
「ええっと、だからぁ……そう!」
「―――“夢”に!心当たりはありませんか!」