為時と申す儒者の子に、惟規と申す者ありき。親の越中の守に成りて下りける時に、蔵人にて、え下らで、かうぶり賜はりて後にぞ、まかりける。道より病を受けて、行き着きければ、限りなるさまになりにけり。親、待ちつけて、よろづにあつかひけれど、やまざりければ、今は後の世の事を思へとて、枕上に、僧をすゑて、後の世の事言ひ聞かせけるに、「地獄などはひたぶるになりぬ。まづ死ぬければ、中有といひて、いまだ定まらぬほどは、はるかなる広野に鳥けだものだにも音もなきに、ただ一人ある心細さ、この世の人の恋しさなどの堪へ難さ、推し量らせたまへ」など言ひければ、目を細めに見上げて、息の下に「その中有の旅の空の下には、嵐にしたがふ紅葉、風にしたがふ尾花などのもとに、松虫などの声は聞こえぬにや」と、ためらひつつ、息の下に言ひれば、僧、憎さのあまりに、あららかに、「なにの料に尋ぬるぞ」と問ひければ、「さらば、それらを見てこそは、なぐさめめ」と、うちやすみて言ひければ、僧、「このこともの狂ほし」とて、逃げてまかりけり。
というのはわっしの好きな「俊頼髄脳」という本に出てくる紫式部の弟、藤原惟規の臨終のときの様子です。仏教が正面から信じられていた時代であることを頭にいれてこの逸話を考えると、惟規のいまわの際の言葉にはすさまじい迫力がある。「風流の人」というが単なる風流でこんなところまでたどり着けるわけがない。
9世紀末から10世紀初頭のひとであることを考えると、いっそ不思議な感じがします。
…………
わっしは移動の途中だが、この「俊頼髄脳」がこの山小屋に置いたままになっているのを思い出して、ここに立ち寄ることにした。旅行のあいだじゅう読みたかったのだ。もっていけばよかった。
ひさしぶりにひとりではないか。ひとりで行動するのはシカゴ以来であるから、えーと、およそ三ヶ月ぶりである。モニも妹もかーちゃんも例の事の準備でモーレツな忙しさだそーだが、わっしはヒマだ。ほんとうはヒマではいけないのであるが、だって役に立たないんだもん。
みなさんは大変忙しくても、わっしは山の中のしょぼい小屋で朝から長いすに寝っ転がって本を読んでいるだけである。
日本はたいへん暖かいそうだが、この山小屋はまだ寒い。朝起きて寒暖計を見ると零下です。わっしは飛行場からへろへろとクルマを運転して、ここまでやってきた。
ここに来るのはひさしぶりなので間抜けなことに迷子になってしまった。
着いたら深夜ではないか。なあんにも開いておらぬ。
棚を探検してみるとカントチーニのでかい袋がある。コーヒーもある。
でもカントチーニはあってもヴィンサントはない。コーヒーはあるが、フィルタがねーじゃん。がーん。おまけにくそ寒いので裏庭に積んである薪(と言ってもこの国じゃ枝のことだが)を取りに行く。どーやって火をつけるべかなーと思って悩むことおよそ半時間。
ふと壁の棚を見ると「ディアボリーナ」があるでねーの。
ラッキー。
イスタンブルは初めの一ヶ月の予定がどんどん短くなって一週間になってしまった。
一瞬ですね。「ちらっと見た」とか、そのくらいです。
しかも後半はアジア側の町があまりに居心地がよいのでフェリーに乗って出かけてはモニとふたりでカフェの通りに出たテーブルでバックギャモンばかりしていた。
まことにフマジメな観光客である。トプカピ宮殿のすぐ側のホテルにいたのに、トプカプすらいかなくてよいのか。いーんです。イスタンブル気に入ったから、また行くもん。
ちゃんとブルーモスクやハギヤソフィアや地下のセスティンには行ったしな。
厳粛な雰囲気の現役回教寺院ブルーモスクのなかではモニがスカーフを髪にかけて座っていたら、敬虔なイスラムのおっちゃんたちがバシバシ、モニの写真を撮りまくっておった(^_^;)
第一目的であった「世界一おいしいターキッシュデライト」もちゃんと食べた。
目的はお菓子であったがトルコのひとには、まったくたまげてしまった。
親切であって、ひとと関わることを面倒くさがらない。
公園に座っていると、中学生たちがどどっと走り寄ってきて、てんでに英語やトルコ語で話しかけてくる。バチバチ写真を撮る。取り囲まれてしまうが、嫌な気がしない。
公園はブルーモスクの脇にあるのであって、世界中の観光客がいっぱいうろうろしているのに、なんでわっしとモニのところにだけ走ってくるんだ?と思いましたが、
どーやら、わっしはいつもヘラヘラしているしモニも根っから明るい性格でニコニコしているので、それをめざとく発見して寄ってくるらしい。
ガキの観察力はおそろしいものがある。
出発の朝のことである。
受付のおじちゃんもねーちゃんも妙にかしこまった服を着てそわそわしておる。
朝食を食べながら「なんか団体かなんかくるんじゃな、きっと」と考えるわっし。
クルマがくるまで(だじゃれではない)、チャイコユオルスンを飲みながら、英語が話せる方のねーちゃんとジョーダンをぶっこいてガハガハと下品に笑うわっし。
ねーちゃんは来年はアメリカに行くのだそーだ。ニューヨークにお友達がおるのですと。
「危なくないかなあ」という。「あぶなくねーですよ」と、わっし。
ダイジョブダイジョブ。みんな親切なひとばっかしだし。
イスタンブルほどじゃないけどね。
お別れの時間が迫ってきたのでモニとわっしは昨日の晩、必死におぼえたトルコ語で挨拶します。
おっちゃんやソージしてくれたおばちゃんや、そーゆーひとたちは全然ぜーんぜん英語を話さないからな。
ヘルシェイイチンチョクテシェクルエデリム。
シズイウヌツマヤジャム。あと3センテンス。ブラブラブラー。
わっしは全然トルコの言葉を理解できないウツケなので、言ってるほうは呪文を唱えているようなものである。
そうしたら、だね。その後に起きたことは、わっしの理解を越えておる。
みな泣くのだ。目が真っ赤です。毎日一生懸命名所を説明しているのにわっしらが全然どっこにも行かないので地団駄を踏みそうにしておった件のおっちゃんは胸に腕をあてて、何事か言いながら泣いておる。
英語ができるねーちゃんも泣いておる。
「わたしはホテルの仕事を初めてまだ一年半だが、あなたたちのようなひとは初めてである」と言う。どう初めてなのか知りたかったが、どう見てもあなたのように間抜けなひとは初めてである、と言ってるようではなかったので、深くは訊かなかったが。
くるまが来た。道が狭いのでモニとねーちゃんやおばちゃんたちが抱き合っているうちにくるまがどんどん渋滞してゆきます。トルコのひとはこーゆーときブワブワクラクションをならしまくる……はずなのであるが、どーしてか、怒らないで待ってます。
わっしらのクルマの運転手のひとも、初めうしろに並びつつあるクルマを指さして何か言ったものの、あとは諦めてニコニコして立っているだけになってしまった。
空港についてから、あのひとたちが正装していたのは、わっしらのためだと突然気がついた。
なんというひとたちだろう。
わっしは空港でトルコ語の辞書を捨てかけた(重いからな)が、思い直して鞄に詰め直した。
また、くるときに使うからです。
(この記事は2008年に書かれた記事です)
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