1991年8月18日付 日記より
散策―――――
僕は、君の間違い電話にこだわっている。
長休明けの知らせのように、”1”のポケベル。
間違い電話は、2度目だ、いや、3度目だ。
無意識のうちに、僕のポケベルを呼び出してしまった君の心の動き。何となく、君の立ち往生している気持ちが伝わって来て、僕は切ない。もっと、やさしく受け応えしてやらなきゃいけないのではないか、と。
”M〇KI & M〇KOTO”の物語りは、依然として前に進まない。
僕は、君と歩いている。
きかん坊だったコロの、T幼稚園。
もはや、誰一人知る人もなく、昔の姿とはすっかり変わってしましったO小学校。
やがて来る難しい季節を前にして、それ以前とそれ以後に分かれてしまったO中学校。
”青春ド真ん中”―――一番イロイロやった、また、やることの出来たH高校。
そして、挫折と暗中模索に窒息しそうだったH大学。
僕の内向と、精神的危機の入り口となったキャンパス。
向かうべき対象を見失った末に、やっと手に入れたアヘン、Sストアー
T店。
S氏。
「僕がこの業界に入ったキッカケを作ってくれた人だよ。
エリートコースからは残念ながらはずれていたし、労働組合を作ったユニークな人だった。ふられ虫だったネ。当時、27歳
ったと思う。社員とバイトっていう差を作らない人だった。好きなようにやらせてくれたし、イロンな話をしたヨ」
「今は、結婚して、一時のパパ・・・、そう、マイホームパパになっている。FMでSVしてるヨ」
「今度、君を連れて会いに行こう。君のこと、何て言うか、楽しみだ・・・、フフ」
そして、K・Sの話し。
S氏が去り、T店で浮いてしまったこと。
T店の店長から、自分の店に来ないか、と誘われたこと。
B店。
ここでも、店長の回し者と浮いたこと。
酒席での一世一代の大芝居―――道化を演じて、それを気に入っと、すっごく気に入った女と出逢ったこと。
A子・Kの登場。
いつも、こっちから惚れていたのに、今度は向こうから惚れて来た経験。
出逢い―――恋へと発展しながら、結局別れたこと。
そして、彼女に振られた状態をハネ返してやろうと、可山優三、留年の自分が一部上場企業にチャレンジしたこと。
それは、家業を継ぐことを諦めることでもあったこと。
漠然と信じていた自分の自信が、現実を前にいかに無力であったか、を思い知らされたこと。
女一人口説けず、自分の往くべき道に勇気を持てなかったこと。
*
どうしようか、と僕は迷い、悩んだ。
でも、僕は君を誘うことにした。
―――― え? どこ、それ。
―――― 付いて来れば、分かるサ。
早く過ぎた夏の日差しは、もう秋のモノになっていた。
人影すらない林の中で、鳥の鳴き声も時々しか聴こえない。
君は、明らかに面食らった顔をして、僕の後ろを付いてくる。
―――― どこまで行くノ、こんな所?
やがて、長いトンネルが見えてくる。
二人は、線路の脇の大きな石に並んで座った。
―――― あなたの行きたいとこって、もしかして、ここなノ?
―――― うん。
(こんな思いをして、歩いて来たのが、ただのトンネルの入り口。この男(ひと)、何を考えているのかしら)
―――― 家業を断念し、A子を見返してやろうとして入社したS社で僕は何を掴んだのか?
何もなかった。
前に話した、大学で窒息しそうになったこと、「個人の全体化」と、「大審問官」の問題、僕はつくづく嫌になって、理想だ
、ヘチマだノと言ったところで、そんなもの、A子一人で粉々に、どこかへ吹っ飛んじまったし、現実を前に、僕は何も出来なかった、勇気すらなかった。
やるだけやり抜いて、彗星のように消え去ること、それだけが、その時の僕の全てだったんだ。
ついに、その時が来たと思って、ここへ来た。
このトンネルを抜けると、民間の鉄道では日本一高い鉄橋がある。そこから、僕は自殺するつもりだった。それでも、このト
ンネルの中で、僕は”何か”を期待した。
例えば、父の顔、母の声、あるいはA子の温もり。
それが、もしかして僕を引き留め、僕に今一度、生きる勇気を与えてくれるのではないかってネ。
君は、悲しげな眼差しで、僕を覗き込むように聴いていた。
―――― ”それ”は、あったノ。
僕は力なく笑うと、質問に応えた。
―――― なかった。何にもなかった。
沈黙。
―――― 行こう!!
僕は、君の手を取ると、立ち上がりながら先を促す。
―――― ハハハ、大丈夫だよ、今日は”そんなつもり”で来たんじゃない。安心しな。
長いトンネルの中、遠くに出口が小さな穴がポツンとしか見える。
彼女は終始黙ったまま、僕の左の二の腕に、自分の両手で掴んでトボトボと、トボトボと付いて来る。
やがて、出口。
明るい日差しの中に、あの鉄橋はあった。
遥か下方から、かすかに聞こえる川のせせらぎの音。
彼女はおそるおそる、下を覗き込んだ。
―――― その時は、真夜中だった。今来たトンネルも、想像を絶するほど静かだった。
僕は途中で、気が狂うのかと思ったヨ。
その夜は、月明かりで鉄橋が青白く光っていたネ。谷底の川もしっかり見えた。
君は、いつしか黙ったまま、僕を見つめている、その視線に応えて、僕は微笑みを浮かべている。
沈黙。
―――― それから・・・、
本当に小声で、君は僕に聴いた。
今度は、僕が下を覗き込んだ。あの時の記憶を呼び戻すために、しっかり谷底の川を見つめた。
―――― その瞬間になっても、何もなかった。
この柵を乗り越えれば、永遠があると思ったし、生きる無意味からも解放されるんだ、と思った。
でも・・・、
―――― でも?
―――― でも、結局乗り越えることは出来なかった。
―――― どうして?
―――― ・・・・・。さぁ、どうしてだろうか? 今になっても、分からない。もしかして、ここでも勇気がなかったのかも知れない。
君は、ゆっくりと手を差し出す、両方の手を。
僕は、その手をゆっくり受け止め、君を引き寄せ、しっかり抱きしめた。
―――― お願い。二度とそんなこと考えないで。
―――― うん。
―――― その時、もしも、あなたが柵を乗り越えていたら、私たち永遠に知り合うこともなかったのヨ・・・。
彼女の方は震えていた。泣いているのだ。
―――― そんなことって、考えられない。
君は、顔を僕の胸にこすりつけてきた。
―――― そんなことって、考えられない・・・。
決意を込めて、君は顔を上げると、僕を見つめた。
―――― お願いヨ。二度とそんなこと考えないでヨ。
―――― うん、分かった。
*
やがて二人は結婚し、
幸せになったとさサ。
めでたし、めでたし。
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