「日本に、あなたが活躍する場所はない」
ところで、フジコさんがドイツに留学する前、さまざまな事情が重なって、国籍を持っていなかったフジコさんは、パスポートを取ることができなかった。それが、フジコさんのピアノの才能に惚れ込んだ人物から、「赤十字の難民として、ドイツへ渡ればいい」とアドバイスされ、難民のパスポートを取得して海を渡った。結局、フジコさんが、きちんとしたスウェーデン国籍を取得できたのは、40歳のときだった。しばらくして、「母の元に帰ろう」と思い、久しぶりに里帰りをすると、フジコさんの母は、容赦ない言葉を浴びせたという。
「母は、『日本にはたくさんの有名なピアニストがいる。あなたが活躍する場所はない』『ドイツに行っても、あなたのことは、悪い噂しか有名にならなかった。それはね、あなたにどこか悪いところがあるからなのよ』と私に向かって言いました。そのとき、『ああ、ここは私の居場所じゃない』と思ったんです」
それから数十年、フジコさんはドイツのあちこちを転々としながら、ピアノを教え、それだけでは食べていけずに、病院の清掃係もした。清掃だけでなく、寝たきりの病人や老人の世話もした。母が90歳で亡くなり、その2年後に日本に帰国したフジコさんは、以来ずっと、母の遺した下北沢の洋館を、東京生活の拠点にしている。「母のことは、大嫌いで、大好き」と語るフジコさんだが、一度も自分を褒めてくれなかった母の存在があったからこそ、今の自分があるのかもしれない、とも思うのだそうだ。