A Quiet Place(2018 アメリカ)
監督:ジョン・クラシンスキー
脚本:ジョン・クラシンスキー、スコット・ベック、ブライアン・ウッズ
原案:スコット・ベック、ブライアン・ウッズ
製作:マイケル・ベイ、アンドリュー・フォーム、ブラッドリー・フラー
音楽:マルコ・ベルトラミ
撮影:シャルロッテ・ブルース・クリステンセン
編集:クリストファー・テレフセン
出演:エミリー・ブラント、ジョン・クラシンスキー、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュプ
「クワイエット・プレイス」、2回目観てきて、1回目は気づかなかったところがいろいろあったので、書き残しておこうと思います。
ですので、この文章はほぼ全面的にネタバレになります。
ネタバレ控えめなレビューは別で書いていますので、よろしかったらそちらもご覧ください。
① 89日目
〈リトルフォールズ〉
映画は89日目、リトルフォールズの街から始まります。
リトルフォールズはニューヨーク州にある小さな町です。
農園シーンの撮影はジョンとエミリー夫妻の自宅に近い、ニューヨーク州ポーリングという小さい町にセットを組んで行われています。
ポーリングとリトルフォールズの距離は約138マイル。歩いて2日かかる距離と出ました。
日暮れが近づいてから歩いて夜までに帰れるはずなので、設定としてはアボット一家の家はポーリングではなく、リトルフォールズ近くのどこか田園地帯に位置するのだろうと思います。
〈日付について〉
この89日目は、2020年9月14日です。2020年はボーの墓標の「2016-2020」から。日付は473日目が10月3日であることから逆算しましたが、計算苦手なので間違ってたらご容赦ください。
従ってこの映画は、2020年9月14日、2021年10月2日と3日の3日間を描いていることになります。
ちなみに、クリーチャーが最初に出現した(1日目)のは2020年6月18日ということになりますね。
それからのたった3ヶ月で、人類はここまで消え失せてしまったことになります。
〈スーパーマーケット〉
リトルフォールズのスーパーには行方不明者の貼り紙が大量に貼られています。
初めのうちは、まだクリーチャーの仕業であることは分からず、人が少しずつ消えてしまう…という時期があったことになります。
一家の末っ子、4歳のボーはスーパーの床にロケットの絵を描き、「それに乗って地球から逃げる」と言います。
ボーは宇宙がお気に入りのようで、彼の部屋には星が飾られ、まくらも宇宙船の絵柄でした。
彼がこのスーパーで選ぶ、そして彼の命を奪うことになるおもちゃも、スペースシャトルです。
幼いボーも手話を身につけています。
アボット一家が手話を身につけていたのはもちろん災厄の前からで、耳の不自由なリーガンがいたからです。
声を出さずに意思疎通する術をたまたま初めから持っていたことは、アボット一家が生き残れた最大の要因と言えるでしょう。
リーは基盤を持って帰り、それは無線用だとリーガンは思っていますが、実際にはそれは彼女の補聴器のためでした。
リーはリーガンにペンチをプレゼントし、リーガンはそのペンチを、ボーのスペースシャトルの配線を切るのに使うことになります。
〈白い砂の道〉
リトルフォールズの通りにも白い砂がまかれ、一家はその上を裸足で歩いています。
リトルフォールズから家までの林道も同様です。
リーが家から少しずつ砂の道を伸ばしていき、行動範囲を広げて行ったのでしょう。
このことから、ただ靴を履いて歩くだけでも足音をクリーチャーに察知され、殺されてしまうことがわかります。
たった3カ月で人類がここまで消え失せるなんて…と思いますが、ただ歩くだけで察知されるのだとしたら、ほとんどの人が生き延びられなかったのも無理もないかもしれません。
また、あらかじめ撒かれた白い砂がまったく乱されていないので、彼ら以外に生き残っている人間がほとんどいないこともわかります。
彼らのリトルフォールズ遠征は、食料調達の目的であるとパンフレットには書かれていました。
マーカスが病気だったみたいなので、薬を手に入れるというのも大きな目的だったようです。
それにしても、具合の悪いマーカスや幼いボーまで連れて、一家全員で遠征したのはなぜでしょう。
まだ89日目の段階では家の安全もそれほど確立されていなくて、全員で行動した方が安全と考えたのかもしれません。
あるいは、クリーチャーよりむしろ人間の侵入者を恐れたのかも。
クリーチャーはボーを一瞬でさらっていきます。
スペースシャトルは一緒に持って行かれず、一家の元に残ります。この時、音が鳴り続けていたのなら、リーがすばやくスイッチを切ったのでしょう。
リーは「家の近くで3匹」確認しているので、どんなに悲しくてもそれをしなければ別のクリーチャーを呼ぶことになっていたはずです。
② 472日目
〈アボット家の母屋と納屋〉
472日目は2021年10月2日。この日は土曜日です。
まさにハーヴェスト・ムーン。秋の収穫期ですね。
ただし、残念ながらこの日の月齢は満月ではなく、下弦も過ぎてどんどん痩せていく時期。新月に向かう細い月です。
アボット一家の農場の家は母屋と納屋に分かれており、生活の場は納屋に移されています。
母屋は板張りの床が軋むので、生活には適さないと判断されたようです。軋まない床の位置がペンキでマークされています。
母屋の地下室は特に作戦室のようになっていて、監視カメラのモニターがあります。リーが補聴器を作るのもこの場所です。
〈新聞記事〉
この地下室には多くの新聞記事がスクラップされ、リーがクリーチャーの研究をしていることがわかります。
「ニューヨーク封鎖」「上海で死者数十万人」などとありますが、新聞はどうやって印刷していたんでしょうね。輪転機は相当でっかい音がしそうですが。
新聞記事の中にさらっと「メキシコに隕石」というのが映ります。これが、クリーチャーが宇宙から地球に来たことを示しているようです。
しかし、クリーチャーが隕石に乗って地球に来たとするなら、メキシコからどうやって世界中に広がったのか、疑問です。世界を滅ぼすほどの数が、気候変動を起こさない程度の大きさの隕石に乗って来たというのも無理があります。
ウイルスみたいに微小な粒子の状態でやって来て、上空でばら撒かれた後に地上で成長したとか…?
メキシコと地続きのアメリカはともかく、中国や島国である日本もダメみたいなので、世界中に拡散するなんらかの設定は必要そうです。現時点でその設定があるのかどうかは、よくわかりませんでした。
ラストの展開を見てもわかるように、クリーチャーを銃で倒すことは不可能ではない。開いている口など、柔らかい部分をダイレクトに狙うことができれば。
でも、銃を撃つということは大きな音を立てることで、大量のクリーチャーを呼び寄せることになる。そうなると装甲に弾かれて、軍隊でも対処できない…ということになったのでしょう。
そう考えると、やはりものすごく大量のクリーチャーが地球上に存在しないと、ここまでの滅亡状態になることはないと思われます。
新聞の中には「地下に潜れ!」というのもあります。
大都市の住民や政府の要人など、ある程度の数の人々は、地下シェルターに避難しているのかもしれません。
ニューヨークなどの大都市なら、地下街とか密閉された空間であれば、ある程度は音を遮断して立てこもることもできるかも。
ヒットで予算が増えれば、都市が舞台の続編も実現するかもしれませんね。大都市を舞台に、息を潜めて生き延びる人々…面白そうです。
〈トラック〉
マーカスがトラックの運転席で、運転の真似事をしているシーンがあります。これは終盤の伏線です。
マーカスは、やがて大人になったらこのフォードのトラックを運転することに憧れていたのでしょう。それが叶わないことを、憂いているんですね。
でも、彼が日頃から運転方法を頭に浮かべていたおかげで、最後に彼と姉の命を救うことになります。
〈妊娠と出産〉
母エヴリンは妊娠していて、もうすぐ出産予定日です。
この状況で妊娠して出産しようとすることに対して、批判的な感想を持つ方もおられるようです。まあ確かに、赤ちゃんに泣き声を出させないわけにはいかないですからね。音を出してはいけない世界では命取りです。
赤ちゃんを産むことで、子供たちも危険にさらすことになる。赤ちゃん本人がこんな世界で幸せか、という問題もあります。
でもそこはやっぱり、彼らなりに考え抜いた結果なんだろうなあ、と。
子孫を残すことを諦めてしまうなら、それこそ人類がここで終わることを許容することになっちゃいますからね。子供を産むということは、決して降参しないという意思表示でもある。
こんな世界で絶望に負けないためには、未来へ向けてなんらかの希望を持つことが必要なのかもしれない。
ただ、エヴリンにとっては、ボーを失った喪失感を埋めるという動機が大きいのだろうと思いますが。
もちろん、ただ無策で出産を待っているわけではない。納屋の地下を赤ん坊の隠し場所と決めて、出入り口にマットレスを置き、音を漏らさない対策をしています。
空気ボンベとマスクを用意して、赤ちゃんを入れる木の箱を準備。
地下室の壁に何重にも新聞紙を貼り付けて防音にする作業は子供たちがやっていて、赤ちゃんのために皆が協力していることが伺えます。
〈かがり火〉
夕方、リーはサイロの上でかがり火を焚きます。それに呼応して、遠くの山にいくつかの灯りがぽつぽつ…。
これは、互いに遠い距離を隔てて、いくつかの家族が生き残っているということなのでしょう。でも、お互いに直接の接触はないようです。
クリーチャーはまず騒々しい都市に向かったでしょうから、田舎でぽつんと暮らす農民たちは、比較的生き残りやすかったと言えるでしょう。
アボット一家には手話を身につけていたという幸運があったわけですが、幼児を含む彼らが生き延びられたのだから、同じように人里離れて静かに暮らす、自給自足の人々がいくらか生き延びているというのもありそうなことです。
〈夕食とアライグマ〉
ろうそくの灯りの中で食卓を囲む、夕食のシーン。
音を立てないよう、お皿は葉っぱ、フォークもナイフも使わず手づかみです。
魚はあとで出てくる川で獲ったものですね。野菜は、農場で育てたものでしょうか。家畜は殺されるでしょうが、少量の野菜くらいなら音を立てずに作れそうです。
食後のボードゲームでマーカスがランプを倒して、音を立ててしまいます。
この時に皆を脅かしたのはクリーチャーではなく、野生動物でした。
一瞬なんでよくわからなかったですが、たぶんアライグマだと思います。
この2頭のアライグマは、畑の間を走ってるところでクリーチャーに殺されてしまいます。ここから、クリーチャーが人間だけを襲っているのではないことがわかります。
世界中の多くの野生動物やペット、家畜も、音を立てたら人間と同様に殺されているのでしょう。
アライグマが472日目まで生き延びていることが不思議にも思えますが、野生動物には身を守る本能がありますからね。音を立てずに身を潜めるのは人間より得意かもしれません。
〈ハーヴェスト・ムーン〉
夜の母屋の地下室。リーはリーガンのために補聴器を作り、エヴリンは彼を踊りに誘います。
エヴリンがこのような行動をとっているのは、これが土曜日の夜であることと無関係ではないかもしれません。
ニール・ヤングの歌詞は状況とよく呼応しています。
子供たちが眠っている間に、踊りに行こう…という歌だから。外に出て、音楽の演奏されているところへ出かけて行くことはできないのだけれど。
ここは字幕に歌詞の訳があっても良かったと思うんですが、映画の中でかかる音楽はめったに訳がつかないんですよね。
ちなみに、「ハーヴェスト・ムーン」はニール・ヤングが1990年に発表したアルバムなんですが、1972年発表で彼の代表作の一つとされる「ハーヴェスト」の続編として製作されています。
「ハーヴェスト」は27歳の時の作品、「ハーヴェスト・ムーン」は45歳の作品。同じバンド、同じメンバーを集めて、若い頃の歌の登場人物が歳をとって大人になった様子を歌っています。
だから、子供たちが眠った後で踊りに行く夫婦の歌なんですね。
その点でも、リーとエヴリンの夫婦にぴったりの選曲だと思います。
1990年の「ハーヴェスト・ムーン」
1972年の「ハーヴェスト」
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子供の件は、「なるほど、そういう考え方もあるのね」と思う一方、やっぱり私はリスクの方が大きいと考えてしまいますね~。
希望として産んでも、そのせいで一家全滅もあり得るし、この世界でなくても子供を産むこと自体に、いつもリスクがあるものですしね…。
ここが一番、観た人の意見が分かれるところだと思いますが、その人の考え方や価値観でも変わってくることですね。
ただ、みんなが絶賛する秀作も良いですが、こういう意見の分かれる映画について、あれこれ議論をするのが、やはり映画鑑賞の醍醐味かと(^_^)
後半も楽しみにしております!
kagamiko702
2018-10-05 08:43:35
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