★菊花紋はユダヤの紋章か?

 

エルサレム市内のヘロデ王の門に刻まれ、ヘロデ王の棺にまで、ちゃっかり描かれている「菊花紋」。

菊花紋といえば、天皇及び皇室の「十六八重表菊」が有名だが、古代イスラエルと日本の皇室は関係があるのだろうか?

 

 

ヘロデ門とヘロデ棺の菊花紋

 

イラン・イラク戦争の時、サダム・フセイン大統領が十六菊花紋の指輪をしていて、ヨーロッパの記者が、日本の皇室の物と似ているので尋ねたところ、フセイン大統領は「この紋章は、我が国の祖先が世界最古の文明を築いたシュメール王朝時代に用いていた、王家の紋章である」と答えられた…という逸話がある。

 

 

そう、菊花紋らしきシンボルは、最古の文明シュメールにまで遡る。

シュメールまで遡るということは、メソポタミア文明圏(イスラエルを含む中東エリア)でも同じデザインが採用されても全然おかしくないということになる。

 

そう、探したら同じようなものが沢山見つかる。

 

紀元前2300年頃、シュメール・アッカド王朝の時代に建造されたナラム・シン王の戦勝碑とか・・・

 

 

紀元前575年、新バビロニアのネブカドネザル2世により建設されたイシュタール門とか・・・

 

 

新アッシリア王国時代のアッシリア王、アッシュールバニパルの腕輪(在位:紀元前668年 - 紀元前627年頃)とか・・・

 

 

菊花紋は腕輪に多いことも判明するし・・・

 

 

 

ツタンカーメンの墓からも出土しちゃったり・・・

 

 

バビロニア神話のマルドゥク神なんて、全身菊の紋状態だし・・・

 

 

菊花紋にしてはいびつだが、腕や肩にびっしりあるのがおそらく菊花紋の原型と思われる。

これは女神イナンナのシンボルなのだ。

イナンナとはイシュタールのことで、金星の神格化。

いわば、元祖ヴィーナス。

 

つまり、どういうことかというと、中東の菊花紋は菊の花ではない。

天体の輝きをシンボライズしたものなのだ。

菊は中東に無いのだから当然だ。

 

 

中央の人物がイナンナ。その右上にあるのはどう見ても天体だろう。

太陽かもしれない。

おそらくこれが発展して菊花紋のようになったのではないかと。

 

下の図では左上に菊花紋へとトランスフォームする星が刻まれている。

牛角の王冠をかぶってライオンを従えているのがイナンナ様だ。

 

 

古代において牛は非常に重要な意味をもっている。

それはこのブログでも何度も登場しているバール神の象徴だ。

バールと表裏一体のミトラ神は太陽神としてペルシャやローマで崇拝される。

また、弥勒菩薩として仏教の未来仏として崇拝される。

もちろん、日本に仏教が伝来したとき、弥勒菩薩の信仰も入ってきているのだ。

 

さらに、ミトラはその救世主的性格から、イエス・キリストへと変貌していく。

そう、日ユ同祖論を主張してきたのが、クリスチャンばかりだったことを考えてみれば、見えてくる。

 

イエス・キリストはユダヤ人の王。

イスラエル十支族の末裔である天皇家にも同じ血が流れている。

彼らはそう言いたいのだ。

 

ユダヤが解れば日本が解る。

しかし、中東情勢も含めて解らなければ、とんでもない方向性に行ってしまう。

 

 

★菊花紋は仏教のシンボルか?

 

菊花紋も唐草模様と同じように、仏教の装飾として伝来したのだろうか?

菊花紋が仏教由来だとすると、古代日本へ影響を与えたのはヘブライズムではなく、ミトライズムだったということになる。

 

菊そのものは元々、外来種であり薬草や観賞用植物として中国から伝来し、平安時代に用いられ始めた。

菊花紋も奈良時代に中国から伝えられたが、最初から天皇御用達だったわけではない。

鎌倉時代に、後鳥羽上皇が自らの印として愛用。その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに十六八重表菊が皇室の紋として定着していく。

 

じつは菊花紋は元々、天台宗の紋章だった。

でも、天皇家が欲しがるので譲ったらしいのだ。

 

仏教の一宗派である日本天台宗は、十六菊の中央に3つの星をあしらった紋(三諦章)を宗章としている。星は三諦星、または三台星とよばれ、「三台」とは中国の星座体系において、天帝を囲む3つの星の意味である。また「三諦」と書く場合は、天台宗の教理において実相の真理を明かす3つの要諦、すなわち空諦・仮諦・中諦を指す。十六菊を用いることについては、「天台宗の皇室を守護する役割を表すため」「皇室が菊紋を用いるきっかけとなった菊の花を最澄が桓武天皇に献上したため」などの伝説がある。ただし上述のように、現在では皇室の菊花紋が定着したのは後鳥羽朝以降のことだったと考えられている。(ウィキペディアより)

 

右が天台宗の「三諦章」 左が比叡山延暦寺の「菊輪宝」

 

さて、輪宝、あるいは法輪と呼ばれるこのハンドルみたいなものだが、昔から何なのか気になっていた人は多いだろう。

 

 

卍がヨーロッパでタブーなので(ナチスのせい)、代わりにシンボルとしてよく使われる法輪。仏像より古い信仰対象として知られるが、一体何なのか?

 

八正道を意味するとされるが、じつはインドの武器「チャクラム」を象ったもので、ヴィシュヌも愛用している。

インドの国旗にも使用されているのも、じつは同じなのだ。

 

 

チャクラは円、円盤、車輪を意味しているのでチャクラムと同義。

インドに侵入したアーリア人が強かったのは、戦車の車輪のおかげだともいえなくない。宗教的な意味合いだけではなく、パワーそのものの象徴だったのかもしれない。

そういえば、インド起源とされるロマのシンボルも車輪だ。

 

 

この形は、どうみても菊花紋ではないか。

菊と法輪を組み合わすまでもなく、これらは同一のものだった可能性はないのだろうか?

 

こうした放射円状のものは、例えばゴシック教会の窓なんかにも見ることができる。

もっとも、この場合は菊ではなく薔薇と呼ばれるが。

 

 

それが、フラワーであれ、太陽であれ、車輪であれ、それがサークルであるならば、円の不思議さとそれに魅了される人の心は、古今東西を問わないのである。

 

 

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