障害者の活躍は茶番
				障害者がメディアに出てくると、どうしても、パラリンピックとか、スポーツ系が多い気がしている。身体障害があっても普通の仕事を頑張っているという人は出てこない。普通の仕事だとニュースとして地味で価値がないから紹介されないのか、つまり、普通の仕事を頑張っている障害者がたくさんいるならいいのだが、実情は「お客様」というか、法定雇用率を満たすための数合わせに使われているだけかもしれない。どうせお客様ならパラリンピックの方が見栄えがするのかもしれない。普通の職場では戦力にならないが、パラリンピックだと戦力になる。そういう懸念もある。そもそも障害者枠で雇用という時点で、戦力にはなってないのだろうし、戦力になる人なら障害者とは扱われない。たとえば大隈重信は暴漢に襲われて片足を切断したが、障害者扱いではないし、重光葵もテロで片足を失ったが、障害者扱いではない。あるいはジョン・F・ケネディも背骨に障害があったとされるが障害者枠ではない。障害者が社会から排除されてきたというのは、おそらく正しくない。見世物小屋に並ぶような奇形だと排除されたかもしれないが、片足がなければ無いで、それだけである。豊臣秀吉は指が六本だったが、その程度だと、昔は障害者ではない。なんにせよ、人権思想が広まるにつれて、障害者枠の人が出てきたわけで、それこそ障害が最大の特技なのである。そして多様性のために、「箱庭」というとなんだが、舞台をいろいろお膳立てして、彼らを活躍させないといけないらしい。結局のところ、本当の活躍ではないので、ただの茶番である。